僕にとっての中森明菜は、生意気だけど可愛い妹っていう感じでした。今思えば、音域も狭く声量も少ない娘でしたが、16歳にしては歌を聴かせる術を持っていたように思います。
僕は、明菜のデビュー曲、「スローモーション」が好きでした。だから、世間的に、次の「少女A」がデビュー曲みたいになって、ツッパリアイドルみたいに扱われているのが残念だったんです。確かに暗いイメージのある子でしたけど・・・。僕は、ファンとしては少数派だったのかもしれません。
下宿にテレビもなく、ラジカセしか持っていなかった僕は、1stアルバムのカセットテープを擦り切れるまで聴いていました。ザ・ベストテンを見るために、テレビのある駅の待合室まで、片道25分かけて出かけたこともあります。
彼女が、まだデビューして間もない頃、風邪を引いた状態で、ザ・ベストテンに出たことがありました。視聴者が不快にならない程度に歌うことができたと記憶していますが、なんと彼女は、ちゃんと歌えなかったと云って、黒柳徹子の隣でポロポロ泣き出したんです。アイドルといえども歌手と名のるからには、歌にプライドがあった時代でした。
その後、彼女が国民的歌手になっていくに反比例して、僕は彼女に対する興味を失っていきました。オタク心なんて今も昔もそんなものでしょうか。聖子ちゃんと同じように、彼女もまた楽曲には恵まれていました。彼女がレコード大賞をとる頃には、僕はもう完全に興味を失っていましたが、ジャニーズの某との熱愛騒動が全てのつまずきの始まりで・・・。
あれから何年経ったんでしょうか、昨年の紅白歌合戦に出た彼女は、僕の目には明らかに病んで見えました。年齢より年を取ってしまったようにも見えました。生中継と云いながら、人前に出られなかったことで、僕は、もう彼女がライブを開くこともできない状態であると確信しました。こんな状態で出すアルバムなど、たかがしれているし、そんなCDを買おうなんて奴は、昔の明菜のイメージに捕らわれているだけの音楽の分からない奴だろうと、密かに軽蔑していました。
だけど或る日、そんな彼女の歌をダウンロードしたという若者に出会いました。親子ほど年が離れ、明菜の過去など何も知らないというその若者は、あの歌を、僕には、歌唱力のなさを誤魔化しているだけにしか聞こえないあのアレンジを、カッコいいと云うのです。
僕は、ショックでした。そして、明菜にすまないと思いました。なぜもっと素直に彼女の歌を聴けなかったのか、先入観に捕らわれていたのは、他ならぬ僕自身でした。歌唱力の衰えを一番自覚していたのは、明菜本人だったはず。でも彼女は、これから迎える50代の歌手生活にむけて、ピークを必死になって作ろうとしていたんです。
歌唱力の衰えた歌手は、人前に出て歌ってはいけないのでしょうか。声の伸びがなくなったとき、エコーをかけることは、悪いことなんでしょうか。高音が出なくなったとき、キーを下げて歌うことは、恥ずかしいことなのでしょうか。
僕は、希有な歌唱力の持ち主である、松浦亜弥のファンであることを誇りに思っていましたが、その一方で僕自身が天狗になってたのかもしれません。僕自身が歌っているわけでもないのに、です。
タレントには、去るファンもいれば、新しいファンもいる。それは、僕が松浦亜弥のファンになってから常に考えていたことです。
明菜から離れた僕の心は、もう戻ることはないでしょうが、少なくともこれからの彼女を目をそらさずに見守っていこうと思います。彼女が新しい理解者に囲まれて、再びステージに立ってくれることを祈りながら。
いずれ削除されてしまうだろうけど、怒濤の3本立て、貼り付けさせていただきます。これでファンにならなかったら、男じゃないっwwwww