2015年10月12日月曜日

大阪万博にリアルタイムで参戦できたという幸運

 先日、NHKの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」の第2回目の放送を見ていたら、いきなり「時をかける少女」が出てきました。そして、以前このブログでも想いを紹介させていただいた、あの伝説の「タイムトラベラー」の映像が出てきたんですよ。動いている「島田淳子」さんを見るのは、何十年ぶりでしょうか。日本で唯一残っていたという、和歌山県の電気屋の息子が録画していた最終回のビデオテープから、NHKが修復した映像に違いありません。
  僕は、テレビ番組は録画しておいてから、後で見ているんですが、ラッキーでした。これは絶対消去しませんよ。

 で、その回のテーマが「SF」だったんですよね。番組のかなりの時間を「大阪万博」に割いていたんですけど、番組を見ていたら、過去の記憶が、まざまざと蘇ってきました。僕は、大阪万博にリアルタイムで参戦できたという幸運な少年だったんです。

 1つ目の幸運は年齢です。万博の思い出を一生の記憶に留めておけるギリギリの年齢だったことです。一緒に行った弟などは、哀れなことに、長時間行列に並ばされた記憶しかないそうですから。
 2つ目は、大阪に親類が居たことです。僕は、春休みに確か4泊5日くらいで行きましたが。当時の大阪は、万博を当て込んだ超ぼったくり状態でしたから、連泊して万博を見に行くなんて、貧しかった当時の庶民にとっては夢のような話でした。


 大阪に着くとおじちゃんが迎えに来ていました。おじちゃんは、母の従兄弟に当たる人です。腹が空いただろうとのことで、当時日本一と云われていた大阪の地下街へ連れて行かれました。地下に商店街があると云うだけで、僕にとっては既に未来世界でしたけど、そこで「ハンバーガー」なるものを食べることになりました。
 で、今で云うトッピングを注文することになったんです。おじちゃんは「ベーコン」でした。「ベーコンって何?」って母親に聞いたら、「油っぽい肉だ」って云われました。で、「お前は何にする。」って云われたんですけど、何も分からずモジモジしてたら、結局何ものっていない普通のやつになっちゃったんです。弟は、チーズとかがのっているのを注文したんですよ。食べ物の恨みは恐ろしいですね。もう45年も前なのに鮮明に覚えています。
 でも、ノーマルなハンバーガーも美味しかったですよ。初めてマクドナルドを食べたときに感動したとか云う話がありますけど、僕のファーストハンバーガーは、そんな安っぽいのじゃなくって、大阪の地下街のハンバーガーなんですからねw。

 おじちゃんの家は、阿倍野あたりにあったと記憶しています。そこから地下鉄を乗り継いで、阪急千里線の万博西口駅まで三日間通いました。僕は、分厚い万博のパビリオンの解説書をほとんど暗記するくらい熟読していました。恐らく全部のパビリオンの名前を言えたと思います。少年時代の、人生で一番記憶力のある時代、僕は、万博のパビリオンと帝国海軍の艦艇のために記憶脳を使いきっていました。
 
 子どもなりに、事前に綿密な?計画を立てていたのですが、会場に入ったとたん、圧倒的な雰囲気に飲み込まれて、そんなものは吹き飛んでしまいましたよ。
 日立館は、とにかく長時間並びました。今は、ディズニーランドなどに行っても、並ばせるための仕組みとかがありますけど、当時は、そういうノウハウがありませんから、とにかくヘビのような行列をつくって待っているしかありませんでした。世界一長いエスカレーターとかに乗ってパビリオンに入っていきましたけど、今だったら、東京駅の中央線エスカレーターの方が長いと思います。展示内容というか、アトラクションは、飛行機のシュミレーターみたいなやつでしたね。
 アメリカ館は5時間待ちとか云われてたんで、最初から諦めてました。でも、代わりに云ったソ連館は、人工衛星や宇宙船の展示があって見応えがありましたよ。もちろん日本館にも行きましたし、テーマ館の太陽の塔にも入りました。母は、念願のスイス館に行けて喜んでました。松下とか三菱とか東芝などの大企業系のパビリオンは、どこも凄く混んでいて入れませんでしたね。リコー館やコダック館とかだったらすぐ入れましたw。あと、地味な外国のパビリオンとか。
 動く歩道も乗りましたよ。ちょうど、夕方になるときで、パビリオンの照明がつき始めて綺麗だったことを思い出しました。動く歩道っていったって、横にしたエスカレーターですから、今、考えると笑ってしまいますね。
 
 どこの館に行ったか、いろいろと思い出そうとしたんですけど、実際に見た記憶と、ガイドブックで覚えた記憶がごちゃまぜになって、全部行ったことがあるような気がしちゃうんですよw。

 その後も、科学博とか、花博とか、デザイン博とか、いろんな博覧会に行きましたけど,今の博覧会って、終わったときのことを考えて、建物がプレハブ的な安っぽい作りですよね。大阪万博は,もの凄く気合いが入っていたんで、どのパビリオンも造りが凝ってました。そのかわり、解体費用がもの凄く掛かって大変だったみたいですけど。

 3日目は、エキスポランドで一日遊んでお終いになりました。

 最後の日は、おじちゃんが休みを取って、大阪見物に連れて行ってくれました。大阪城に行った記憶があります。それから、帰りに食べようと買ったお寿司が押し寿司だったことを思い出しました。何だこれって思いましたよww

 大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」でした。確かにそこには、ひたすら明るい未来がありました。21世紀は素晴らしい時代になっているんだって、子ども心に信じていました。けど、直に、ドルショックとか、オイルショックとか、公害問題が出てきましたからね。大阪万博は、EXPO'70って言ってましたけど、70年代の始まりではなくって60年代の終わり、つまり、未来の始まりではなくって、夢の終わりを象徴するイベントだったんだなって思います。

 投稿する直前になって思い出しましたけど、おじちゃんの家のトイレが、当時としては極めて珍しく洋式だったんです。見るのも初めてだったんで、用が足せなくって困りましたwww

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