2015年11月14日土曜日

「柏原よしえ」 ~殿下を虜にしたアイドル~

 突然ですが、今回取り上げさせていただくのは、昭和のアイドル「柏原よしえ」です。

 1970年代、花の中2トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の成功によって、アイドル歌手のデビューは、一気に低年齢化していきました。しかし、その結果、聴くに堪えない歌唱力と、あまりにも幼稚なタレント性が世間から批判されることになります。1980年代になると、その反動から、アイドルのデビュー年齢が引き上げられていきました。中学校を卒業していることは最低条件であり、例えば、松田聖子さんも、メジャーデビューは、高校を卒業してからといった具合でした。そういう中にあって、柏原よしえの14才でのデビューは、やはり当時としては、異例のことだったと思います。
 デビュー時よりソコソコに売れてはいましたが、彼女を一躍有名にしたのは、何と云っても7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」でしょう。

 では、最大ヒット曲「ハロー・グッバイ」貼り付けさせていただきます。


 低めの声とマズマズの声量、そして年齢の割には、大人っぽい容姿などが、彼女の14才でのデビューを可能にしたのかもしれません。

 特に、歌唱力は、当時のアイドルの中でも定評がありました。僕は、当時ファンだった「中森明菜」が、あまりにも声量に乏しく、すぐに喉を痛めたりしていたので、同じ歌番組に出てくる柏原よしえの声量をとっても羨ましく思っていたものですw。

 1983年にリリースした中島みゆき作品「春なのに」は、レコードセールスこそ「ハロー・グッバイ」に劣りますが、彼女にとって最も有名な持ち歌になりました。1980年代の前半から中頃にかけては、ヒット曲を連発して、彼女にとっては、よい時期だったと思います。
 また、アイドルでありながら、レコード大賞の最優秀歌唱賞部門に、1985年から1987年まで3年連続ノミネートされたのは、彼女の歌唱力が世間から認められていたことの証とも云えましょう。

 では、代表曲「春なのに」です。この曲が紅白初出場曲だったんですね。意外です。


 彼女は、隠れファンが多いことでも知られていました。特に、当時の徳仁親王(現・皇太子殿下)が、彼女のファンであったことは有名な話です。殿下は、1986年にはリサイタルに参戦し、バラの花を贈っています。

 そんな彼女でしたが、1990年代になると、タレント活動の方向性を大転換してしまいます。
 もとより、彼女は豊満な体型が特徴でしたが、そのギリギリなショットの写真集やビデオは、かなりの話題になりました。というか、ショックでした。そりゃあ、僕も男ですし、しかも当時は若かったですから、現役アイドルのセクシーショットには、興味がありましたよ。それに、売れなくなった元アイドルがグラビア女優になるなんて、芸能界では普通の事です。
 でも、アイドルとは云え、歌唱力をそれなりに評価され、何より、未来の天皇陛下が、自らライブに足を運び、バラまで贈られたというタレントが、ここまで落ちぶれたのかという驚きでいっぱいでした。
 
 彼女には、それに先だって、「空港こけし事件」という、まあ、悪質なデマが飛び交っていました。松浦亜弥さんの年齢詐称疑惑からも分かるように、清純派アイドルのイメージなど、たった1つのデマで、あっけなく崩れ去るものです。それが理由の全てでは無いでしょうが、いずれにせよ、清純派で正統派のアイドル歌手「柏原よしえ」は、消えてしまったのです。

 そんな「柏原芳恵」さんですが、最近は、歌手活動を精力的に行っているという話を聞きました。懐かしのアイドルブームに乗っかって、合同リサイタルなども開催されているようです。関連の動画がYouTubeなどに投稿されていました。まあ、キーも下がっていますし、全然衰えていない歌唱力・・・とはお世辞にも云えませんが、元アイドルが、懐メロファンの前で披露する分には、十分通用するステージだと思います。

 えっ、貼り付けませんよ。僕だって、何でもかんでも貼り付けているわけじゃあありませんからw

 ただ、彼女が、歌手として最も充実していたであろう、20代後半から30代にかけてを、全く無駄に過ごしていたことは、あまりにも空しく残念としか言いようがありません。もっともっと、ヒット曲を飛ばし、昭和、そして平成の歌謡史を書き換えたかもしれない才能は、世間に披露されることも無く、年月だけが過ぎていたのです。
 僕が、50才になった彼女のライブテイクをどうしても褒める気になれない理由を、みなさんならお分かりいただけると思います。

 では、お終いに「最愛」。貼り付けさせていただきます。


 僕も隠れファンだったんです。ってもうバレバレですよねww

2 件のコメント:

korou さんのコメント...

柏原芳恵は
ある博覧会に行ったときに
たまたま無料ライブをやっていたので
実物を見たことがあります。
1989年頃のことで
いしだあゆみのヒット曲「あなたならどうする」のリメイクを
新曲で歌っていました。
そんな古い曲をリメイクするよりオリジナルを出したほうがいいのにと
思いました。
無料ライブというのも「おちぶれ感」が漂うわけで・・・
10年目のアイドルというのは
なかなか大変だという印象を持ちました。

ただ、本人は元気そうで
がんがん歌っていました。
会場から「カワイイ!」と声がかかると
「よく言われます」と返して、笑いをとっていました。

さんのコメント...

生・芳恵ちゃんを見ていたとは、羨ましい限りです。
1989年というと、アイドル歌手として活動していた最後の時期ですよね。
その後、事務所が変わって、グラビアの仕事が増えて・・・。

女性タレントにとって、
アイドルとしてデビューすることのリスクってあるんだなって思います。
どんなに人気があっても、歌が上手くても、落ちぶれていくんですから。

同じ10年目で比べたら、松浦亜弥さんは、恵まれていたのかもしれません。
ご本人にその気が無ければ、どうにもなりませんが・・・w