2015年11月25日水曜日

「女帝の手記」「天上の虹」里中満智子 ~奈良旅行のお供に~

 今回も、松浦亜弥さんも初音ミクも全く関係の無い、僕の自己満足的な記事ですが、これをもって、とりあえずの一区切りとさせていただきますので、安心してください。

 仏像マニアでもある僕は、はっきり言って、奈良については詳しいですw。どのくらい詳しいかというと、今までに何回奈良へ出かけたか、自分でも分からなくなりました。僕は、松浦亜弥さんと出会わなければ、初音ミクと出会うことも無く、今頃は仏像関連のブログを立ち上げていたはずです。
 で、今回取り上げさせていただく少女漫画は、その奈良を舞台にした作品になります

 「天上の虹」は、言わずと知れた、持統天皇の一生を描いた「里中満智子」さんの長編漫画です。先頃ようやく完結したようですが、連載32年、単行本で全23巻、厚めの文庫本で全11巻という大作です。近年は、連載も滞りがちでしたので、完結しないのかもと心配しておりました。

 僕が持っているのは、第一期と呼ばれている、持統天皇が即位するまでの文庫本6巻分です。最も印象的な場面は、阿閇皇女が、自殺を図ったものの死にきれずにいた夫・草壁皇子を手にかけるところでしょうか。
 この続きも何冊かコミックを借りて読んだのですが、皇子と皇女が次から次へと出てきて、恋愛物語を繰り広げるものですから、読んでいて疲れてしまいましたw。残り5巻分も関心はあるんですけど、未だ購入はしていません。

 で、実は、僕がここで取り上げたいのは、孝謙・称徳天皇の生涯を描いた「女帝の手記」の方なんです。こちらは、文庫本で全4巻と程よい長さです。ところが、Amazonのコメントでは「天上の虹」が絶賛されているのに対して、こっちは、何故かボロクソなんですよ。
 でも、阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)と安宿媛(光明皇后)、そして聖武天皇って、阿修羅像に代表されるような、素晴らしい天平仏をつくらせた人たちだし、何よりも、両親と一人娘の核家族なんで、どことなく親しみが沸くんですよw。


 物語は、聖武天皇の皇子・基親王が誕生した727年から始まって、称徳天皇が崩御した770年までの、奈良時代の後半部分、40年あまりのできごとが描かれています。この40年間は、「長屋王の変」「藤原広嗣の乱」「橘奈良麻呂の変」「恵美押勝の乱」「道鏡事件」などが次々に起きた波乱に満ちた時代なんですが、それが全4巻のなかでテンポ良く展開していきます。
 「女帝の手記」という題名の通り、作品の前半部分、特に阿倍内親王が子ども時代の記述については、大人になった阿倍が回想しているという手法で話が進んでいきます。これが、四角い枠の中で解説のように書かれていて、登場人物の台詞より多いかなって位の量ですから、ちょっと学習漫画っぽくなっています。僕としては、話の展開もさくさく進んで、好きなんですが、「天上の虹」ファンからは、こういったところが不評なのかも知れません。

 聖武天皇と光明皇后の記述は、奇をてらうことの無い正統派な、それでいて程よくデフォルメされた感じです。彼らの自筆と云われている書が伝わっていて、平城京資料館で写真を見ることができます。書は人を表すという考えからすると、ナルホドと思ってしまいます。
 
  聖武天皇の字です。几帳面で繊細といわれています。


 光明皇后の筆跡です。「藤三娘」とは、藤原家の三女という意味だそうです。お世辞にも上手いとは云えませんが、迫力がありますね。この2つを見ただけで、この夫婦の力関係が分かる気がしますw。でも、正倉院の宝物が伝えているように、夫婦仲は決して悪くなかったようです。

 さて、僕が、この作品の中で一番好きな登場人物は、何と云っても「吉備真備」です。遣唐使として2度も唐へわたり、下級貴族の出身ながら、聖武、称徳両天皇のブレーンとして右大臣にまで上りつめた人物です。古代、中世において、学者から立身出世して大臣にまでなったのは、吉備真備と菅原道真のみと云われています。
 物語の第4巻、恵美押勝の乱では、上皇軍を指揮して、素早く的確な戦略により仲麻呂軍を圧倒。それまで読者に溜まっていた鬱憤を一気に晴らしてくれます。軍事参謀としての真備の活躍は、彼が学識を実務に生かすことができる優れた人物であり、称徳天皇が崩御し、光仁天皇が即位した時も右大臣の職を慰留されていることは、彼が誠実で野心の無い優れたブレーンであったこと示していると思います。

 正統派な記述が多いこの作品なんですが、「道鏡」の描き方については、独特の立場をとっています。ただ、道鏡に関しては、近年、再評価が盛んで、ひところの「天皇をたぶらかし、自ら天皇になろうとしたエロ坊主」というイメージは、薄れつつあります。この作品では、称徳天皇と男女の関係はあったとしていますが、彼には野心が無く、重用したのは天皇の一方的な意思であるように描かれています。
 宇佐八幡宮の神託事件は、反道鏡派の罠という立場をとっています。この事件は、道鏡の陰謀なのか、反対派の罠なのか、何故、わざわざ和気清麻呂に確かめさせたのかなど、謎が多く、さまざまな推測が可能なのですが、この作品のように、罠を逆に利用しようとしたという説は説得力があります。
 和気清麻呂の発言については、神を利用しようとした全ての思惑を否定する、という彼の信念から出たものという立場のようです。従来、藤原氏との結託説が言われてきましたが、そんな人物を天皇が選任したというのもおかしなことです。一説には、吉備真備の意向というのもあって、だとすれば、真備は、国の混乱を避けるために、最後の最後に称徳天皇の意に反した行動を取ったことになります。
 ただ、称徳天皇も、その後は、あっさりと彼を天皇にすることを諦めていますので、単に、ご機嫌取りの神託に振り回されただけで、最初から陰謀など存在しなかったのかもしれません。第一、彼が皇位を簒奪しようとした大悪人であれば、下野の薬師寺別当職への左遷程度では済まなかったはずです。

 今まで孝謙・称徳天皇については、仲麻呂や道鏡に利用され、奈良時代を終焉させてしまった、暗愚な女帝、という扱いだったと思います。仲麻呂が皇帝になろうとしたことを追認したり、道鏡を天皇にしようとするなど、およそ常識では考えられません。しかし、その常識とは、何なのでしょうか。私たち日本人は、平成の世に至るまで、天皇は、万世一系、天皇家の血筋のものだけが継ぐということを、何の疑いも無く受け入れてきました。しかし、彼女は、天皇は実力のあるものならば血筋に関係なくなれる、という発想を持っていたことになります。そんな大それたことを実現しようとした彼女は、単なる飾り物の天皇で無かったことだけは確かです。
 
 この物語の主人公、称徳天皇が建立した「西大寺」は、奈良の寺院の中でも、僕の大好きな場所です。現在の西大寺は、鎌倉時代に叡尊によって再興された真言律宗の寺院なんですが、それでも、東塔跡の礎石や四王堂の邪鬼など、称徳天皇につながる史跡もあって、灯籠で荘厳された本堂にある仏像群など、素敵で落ち着いた雰囲気の寺院です。少し歩いたところには、称徳天皇の陵とされている古墳もあるんですよ。


 僕が、7年前に西大寺を訪れたときに書いたものがありました。

【 西大寺(まぼろしの大寺) 】


 道鏡と称徳女帝の縁の寺でもある。
 四王堂の増長天は、幾たびか作り替えられたが、踏んでいる邪鬼だけは天平時代のままなので、ここでは、邪鬼が主役である。灯明が美しい本堂には、灰谷健次郎の小説に出てくる善財童子がある。彼は、童子の目を「兎の眼」と表現したが、そう思って見ていると善財童子が兎に見えてきた。
 奈良時代は、国家が寺院を建立した時代だ。平城遷都1300年、その恩恵により、奈良には世界中から観光客が集まる。しかし、度重なる寺院の建立は、環境を破壊し、国家の財政を破綻させ、農民は疲弊し、律令制は崩壊、そしてわずか七十四年で奈良の都は捨てられてしまう。
 東塔の基壇跡に夕日が当たっていた。秘仏、愛染明王坐像は、今日が開扉最終日。薄暗くなった愛染堂の奥、厨子に納められた明王は、写真で見たような鮮やかな赤ではなく、限りなく黒に近かった。

 ちょっと、格好つけすぎでしたねw

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