2016年12月30日金曜日

SMAP「オリジナルスマイル」 ~今こそ、この曲を彼らに捧げたい~

 SMAPが解散します。世界中のファンが嘆き悲しんでいるようです。まあ、解散したと云っても、すでに事実上の解散状態でしたし、これからも個々に芸能活動を続けていくそうですから、そんなに思い詰めなくても・・・と思っていたんですけど、こんなCMを見させられると、やっぱり5人揃ったときのオーラは凄かったんだなって思います。何もしなくてもいいから、解散だけはしないで欲しいというファンの声も分かるような気がしてきました。


 SMAPの代表曲っていうと、「世界で1つだけの花」ってことになるんでしょうが、あれって聴いているうちに、学校の先生に叱られているような感じがしてきて、何となく苦手なんですよね。だからソフトバンクのCMから「オリジナルスマイル」が流れてきたときは、ちょっと嬉しかったんです。この曲って、励ましソングとしても単純に明るくって前向きだし、何よりも1番SMAPらしさが出ているように思っているんですよ。

 では、敬意を表して、ボカロカバーを。歌っているのは、ボーカロイド「GUMI」です。


 声を伸ばした時のビブラートが、ちょっと強めで気になりますが、このへんは、好みの問題でしょうか。あと、伴奏は打ち込みのようですね。音数が少ない感じですけど、コンピューターに歌わせるには、このくらいが丁度良いように思います。

 次も敬意を込めて、初音ミクのテイクになります。「世界で・・・」のカバーはたくさんありますけど、「オリジナルスマイル」のカバーって貴重なんですよ。


 彼らが解散に至るまでの分析や考察は、ネット上に溢れていますから、ここでは取り上げませんけど、「ファンにハッピーエンドを見せて、勇気と希望を与えなきゃだめだ。でないと、Youたち2年後に必ず後悔する。」と諭したと云われている、ジャニー喜多川氏の言葉が印象的でした。
 でも、SMAPって、ジャニーズの所属タレントでありながら、全然ジャニーズらしくなかったですよね。他のグループとからむ場面なんて全然無かったし、完全に独立していて、全てが特別扱いだったと思います。まあ、年寄りの云うことは聞いておくものだと云いますから、ジャニー喜多川氏の忠告通り、2年後には後悔するかも・・・って大きなお世話ですね。

 では、お終いに5人で歌っているテイクを貼りつけさせていただきます。2007年とありましたから、個々の活動へと軸足が移っていった頃かと思います。

 SMAPの歌割りって、歌唱力が皆無なのにもかかわらず、一人一人がソロで歌って、合わせるのは、サビのところだけってのが多いですよね。ダンスも基本的なところだけ揃えておいて、後は、それぞれがアドリブでって感じだし。ホントにチームワークの感じられないグループだったんだなって思います。でも、見せ方に関しては、ホントにプロですよね。
 

 なんか、こんな終わり方も有りなのかなって気がしてきました。「ビートルズ」を引き合いに出すのもナンですけど、グループって、その存在が偉大になればなるほど、綺麗になんか終われるものではないし、仲良く手をつないで、さよならコンサートなんて開いたら、ナンでやめるのってことになるでしょ。本当にギリギリまでやってきたからこそ、こんな終わり方しかできなかったんだろうなって、思えてきました。

 キー下がってますけど、って大きなお世話ですね。

2016年12月21日水曜日

松浦亜弥「横浜ロンド」 ~切なくも、ちょっとオシャレで、かわいくて~

 少し前の話になりますが、職場の仲間でカラオケスナックに行きました。カラオケボックスに行くことはあっても、カラオケスナックなんて、本当に何十年ぶりって感じです。
 今時、カラオケスナックに行く人なんているのかなって思ってたんですけど、地元のお年寄りが結構来ていて、おもいのほか繁盛してました。カラオケボックスと違って、お客さんみんなで1本のマイクを共用するわけですから、3時間くらいいても、何曲も歌えるわけではありません。だけど、他人の歌に拍手したり、知らないオジさんから「お兄ちゃん、なかなか良い曲だね」なんてお世辞を云われたりして、楽し懐かしかったです。

 とは言っても、僕は、カラオケが得意ではありません。歌うことは嫌いではないのですが、マイクを回されても、曲を決められないんです。上手く歌えなかったらどうしようとか、こんな曲を歌って変に思われないだろうかとか、余計なことばかり考えてしまうので、面倒になって、聴く側にまわることが多くって、まあ、妙なところにプライドがあるって云うか・・・。
 で、その時もマイクがまわってきたんですけど、ふと、自分が松浦亜弥と初音ミクのファンであることを思いだしたんです。いつもなら、場がシラケたらどうしようとか、グチグチ考えちゃうんですけど、あの時は、何故か、ちょっと歌ってみようかなって気になったんですよね。

 で、1曲目にこれを入れたんです。


 何百回、何千回(?)って聴いてきた曲ですけど、声に出して歌ったことなんて1回も無かったんで、ほんとにぶっつけ本番でした。前奏が始まってから、キーのことを全然考えてないことに気がついて・・・。松浦亜弥さんって、女性の中でも、一際キーが高いじゃないですか。こりゃマズいって思ったんですけど、始まったらそれなりに歌えてるんですよ。気がついたら、1オクターブ下げて歌ってました。キーが高いおかげで、オクターブ下げたら、オジさんにちょうど良かったんです。

 で、イイ気になって、2曲目に入れたのがこれです。このテイク、前にも言ったことがありますけど、右手でリズムをとるところとか、松浦亜弥さんにそっくりなんですよ。


 こいつもキーがメチャメチャ高いですけど、オクターブさげたら、やっぱりピッタリでした。「からくりピエロ」は、ネット上に歌ってみた動画が溢れていますけど、オクターブ下げて歌っている動画は、1つも無かったですw

 「横浜ロンド」を歌った時の反応ですか?

 正直、スルーってとこでしょうか。でも、お年寄りの皆さんからも拍手してもらいましたし、お世辞と分かっていても、声を掛けてもらえば嬉しいですし、最近は、他人というのは煩わしい存在みたいな感じだったんで、妙に温かかったです。
 まあ、松浦亜弥さんに関しては、「めっちゃホリデー」でも歌えば盛り上がったかもしれないけど、そう云う役回りでもありませんし、そこまで吹っ切るには、アルコールの助けが必要ですからね。

 で、歌ってみて、改めて実感したんですけど、「横浜ロンド」って、淡々と歌うしかない曲なんですよね。歌詞で多くを語るわけでもないですし。だから、その分、歌い手さんのキャラクターの魅力が反映されるように思いました。


 CHINOさんのコーラスもホントに良い感じです。マニアックライブのⅣ番って、「腑抜けなくらいが丁度良い」っていう亜弥さんの言葉通り、軽い感じで歌っているライブのように思えるんですが、この曲については、ばっちりハマっていると思います。

 2年前、Yahooトップに松浦亜弥再評価記事が出て「Click you Link me」がちょっとだけ売れたってことがありましたけど、「横浜ロンド」は、そのアルバムの中での数少ない新曲の1つです。ただ、ファンからの評判も良かったのに、肝心の松浦亜弥さんが、どうもお好みではないようですね。次に発表した「Subject:さようなら」は、ネット上に幾つかのライブテイクがありますけど、こちらは、マニアックライブのⅣ番と、アルバム発売記念ライブの2つだけなんですから。

 熱唱系の楽曲で歌唱力をアピールするのは簡単ですけど、此の手の曲をライブで歌いこなすのって、なかなかできるものでは無いと思います。例えば「dearest.」だったら歌自慢の素人さんが歌ってもサマになるかもしれないけど、「横浜ロンド」はどうでしょうか。
 歌い手のキャラクターの魅力が反映されるってことは、オジさんがオクターブ下げて歌ったら全然お話にならないってことですからね。まあ、ブスが歌っ・・・・.失礼しました。

 今、ライブでこの曲を歌って似合う歌手さんって誰でしょうか。

 そりゃあ、歌っていうのは、歌い手さんが自分の解釈で歌いこなすものですから、50過ぎてアイドルソングを歌っても何ら問題はないんですけど、何にでも、旬ってものがあるじゃあないですか。そう考えると、この時の松浦亜弥さんこそ「横浜ロンド」に選ばれし歌手だったように思います。
 この曲が収録されたアルバムがリリースされたのは2010年。「Click you Link me」は、その4年後にネットでちょっと騒がれて、そこそこ売れましたけど、当初から企画盤なんかじゃなく、オリジナルアルバムとして、もっとベターな状態でリリースできていれば、その何倍も売り上げることができたと思います。いえ、売れることはなくても、地道に歌い続けていけば、もう少しは世に広まったはずです。4年後の再評価?そんなものにどんな価値を見いだせばいいんでしょうか。
 「横浜ロンド」と24才の歌手「松浦亜弥」は、最高の巡り会いを、最悪のタイミングでしてしまったんだと思います。

 この曲を聴く度に感じる切なさは、そんな、何もかもが遅すぎたという想いからきているんじゃないかって・・・。

 お終いにこちらも、もう、これで全部です。

2016年12月17日土曜日

炭焼きレストラン「さわやか」

  「さわやか」は、静岡県限定のファミリーレストランです。大変繁盛しているお店ですが、静岡県内にしか店舗がありません。そして、一度でも「さわやか」に行くと、もう他の店には行けません。静岡県人は、みんな、自分の町に「さわやか」が開店してくれることを夢みています。新規開店の噂が流れると、みんなその話で持ちきりになります。我が町に来て欲しいお店のNo.1が「さわやか」です。ちなみに、2番は「スターバックス」です。

  「さわやか」については、最近メディアに取り上げられることが多いので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 先日も、「秘密のケンミンSHOW」で、「相川七瀬」さんが、大阪出身にもかかわらず、「さわやか」のファンだと発言していました。また、「福山雅治」氏が、長崎出身にもかかわらず、仕事で静岡に行ったら必ず立ち寄ると、ラジオで発言して話題になったこともあります。どうやらミュージシャンと云われている方たちにファンが多いようです。

  「さわやか」は、ハンバーグがメインのファミリーレストランです。メニューの種類は多くありません。開業当初は、いろいろとあったようですが、みんなハンバーグばっかり頼むものですから、メニューを絞り込むようになったようです。値段は、ライス込みで1000円前後です。
 人気メニューの「げんこつハンバーグ」は、まん丸に焼かれたハンバーグを、バイトのお姉さんが、目の前で半分に切って、最後の仕上げ焼きをしてくれます。でも、こんなの「ビッグボーイ」とか「ブロンコビリー」でもやってますから、全然珍しいことではありません。
 肉は、オーストラリア産です。決して「何とか牛」みたいな銘柄品ではありません。だって、1000円ですから。

  「さわやか」は、ただのローカルなファミリーレストランです。でも、いつも混んでます。時間をずらしてもダメです。週末の待合室は、人で溢れていますが、バイトのお姉さんは、決して動じません。常に笑顔で余裕の接客です。まるで、ディズニーランドやUSJのクルーです。まあ、客を待たせるのに慣れきっているってことです。でも、バイトさんがテンパらないおかげで、みんな、イライラすることなくちゃんと待っています。それが静岡県民の気質と云えばそうなんですけど。
 ときどきヤンキーの兄ちゃんもやってきますけど、「40分待ちです」とか言われても「はーい」って言って、スマホをいじりながら温和しく待ってます。その隣では、孫を連れたジイさんバアさんが、その隣には、彼氏と彼女が座っています。週末で、1時間以内に呼ばれると「今日は早くて良かったね」なんて言ってます。
 座席予約なんて云う不公平なシステムはありません。食べたければ待つ、呼ばれたときにいなければ飛ばされる。それだけのことです。僕は、いつも文庫本を持っていきます。この前は、待合室にあった新聞を隅から隅まで全部読み終わった頃に呼ばれました。

 こんなふうに書くと、「馬鹿馬鹿しい、そんなところに絶対行かない」って思うかも知れませんけど、行けば必ずファンになると思います。週末の待合室が、何となくテーマパークの行列っぽい雰囲気を醸し出しているのは、多くのリピーターによって支えられている、そんな共通点があるからだと思います。

  「さわやか」には、ドリンクバーもサラダバーもありません。クーポン券も配りません。もちろん、食べ放題でもありません。
 ですから、ジュースが飲みたければ、注文してお金を払う。そうすれば、厨房で絞って持ってきてくれる。サラダが食べたければ注文してお金を払う。そうすれば、冷やしたお皿に綺麗に盛りつけて持ってきてくれる。
 ステーキも看板メニューのはずですけど、「さわやかステーキ」という1種類しかありません。部位はリブロースだそうです。ただのオーストラリア牛ですけど、自社工場で脂身を外して筋をちゃんと処理しています。店では、お兄ちゃんが炭火で丁寧に焼いてくれる。だから、ハズレがない。全部、美味しく食べられます。
 ハンバーグだって、クズ肉を使ったりしない。だから、他のファミレスのやつと見た目と値段が同じでも、食べると全然違う。ヤンキーの兄ちゃんだって、ちゃんと分かっているから、並んでも食べに来る。付け合わせのポテトは、生のジャガイモを半分に切って焼いたやつです。
 パフェもあるけど1種類だけ。いちごの季節はいちごのパフェ、メロンの季節はメロンのパフェ、ぶどうの季節はぶどうのパフェ。県内で採れた果物で作ってくれる。600円くらいだから、決して豪華ではないけれど、缶詰を使ったりしない。厨房で皮を剥かれた果物が乗ってくる。

 ファミレスといえども、料理と云うからには、食材(料)に手をかけて(理)客に出す物でなくてはならないはずです。最近は、どこのファミレスも差別化をしたいから、何処何処産のナントカみたいに、食材には、一応のこだわりを見せているけど、肝心の調理に関しては、どんどん効率化してしまっている。でも、ちゃんと調理すれば、特別肥育されたアンガス産の高級サーロインステーキよりも、普通のオーストラリア産リブロースの方が美味しく食べられるってことがあるんです。
 つまり、「さわやか」は、今流行の、高級な食材を効率化によって安く食べさせる店ではなくって、普通の食材を手をかけることによって美味しく食べさせてくれるファミレスなんです。

  「さわやか」は、店舗あたりの集客数は抜群に良いのですが、収益率は低いそうです。その原因は、かさんでいる人件費、「さわやか」が県外に出店しないのは、家賃の高い首都圏では、やっていけないからだと云われています。

 今月、30店舗目の「さわやか」が開店しました。県東部の「長泉町」と云うところです。隣接する「沼津市」には、未だに「さわやか」がありません。沼津市民20万人の落胆ぶりは、察するに余りあります。

2016年12月13日火曜日

「東ロボくん」東大合格断念に思う ~初音ミクが松浦亜弥を越える日~

  2011年から取り組まれてきた「ロボットの東大合格をめざすプロジェクト」ですが、先日、東大合格を断念したことが発表されました。国立情報学研究所の新井紀子教授によると「東ロボくんは高校生の8割より良い成績になったが、読解力に問題があり、上位1%以上になれないことが分かった。」からだそうです。

 初音ミクで云うと、ボーカロイドは、並みの歌手程度の歌唱力を身につけることには成功したが、「松浦亜弥」にはなれないことが分かった、ってところでしょうか。

 断念と云っても、東大には入れないというだけで、センター試験模試は、偏差値58だそうですから、国公立33大学、私立441大学で合格可能性80%以上を勝ち取ってはいるんですよ。少なくとも、僕がいた大学には入れると思いますし、「東ロボなんてダメだ」って言ってる奴らの大部分は、学生時代、東ロボくん以下の成績だったということになります。

 英語では、問題を解くためのデータベースを10億単語から500億単語に増やしたら、得点が15点伸びたそうですが、その後、1500億単語まで増やしても、それ以上、成績は伸びなかった、とありました。増やしたデータベースが余計な情報になって、正解を絞り込めなくなってしまうと云う、人間にもよくある「知りすぎて間違う」ってやつですね。
 さらに人工知能が囲碁の名人と対戦して話題になったディープ・ラーニングを導入すると、かえって成績が落ちたそうです。

 人工知能の研究は、人間が読解、つまり情報を処理しているバックには、膨大な知識や豊かな生活経験があるという仮説に基づいて進められてきたように思います。その一方で、人間は、たいした根拠も無いなか「何となく」って感覚だけで理解しているようにも思えます。
 文章の行間を読むとか、空気を読むとかって部分までもデータベース化して、気の遠くなるような情報量をバックに、課題を解決していこうという手法は、大きな壁にぶち当たってしまったようです。
 それから、「何となく」という部分については、「ディープ・ラーニング」によるアプローチが期待されていたのですが、こちらもあえなく玉砕してしまいました。

 物量作戦の限界が見えたことが、プロジェクト断念となったわけで、「読解力とは何か」、つまり、「人間が意味を理解するというのは如何なることか」という根本的な答えを得ない限り、先には進めないようです。

 これは、初音ミクについても同様だと思います。「人間が歌うとは如何なることか」って問題をスルーして、音素連鎖がどうとか、歌声調整がどうとかって、物理的に情報量を増やしていくだけでは、限界があるように思います。

 現状の初音ミクは、歌っているのでは無くって、音声を使って演奏しているに過ぎません。言葉を発しているように感じますから、擬人化してとらえてしまいますが、実はインストゥルメンタルなんですよね。自動演奏のピアノやオルゴールに近いと云えば良いでしょうか。
 もちろん、オルゴールの音色に感動することもあるように、初音ミクの歌声を聴いて、ああ良いなあって思うこともありますけど、本当の意味で「歌に感動した」ということには、なっていないということです。

 僕は、初音ミクが松浦亜弥になれる日の実現については、楽観的に考えていましたが、最後の一線を越えるのは、生易しいことではないみたいです。
 「歌うことは人間だけができることで、機械には無理」と考える人は多いと思います。しかし、そういう人たちは「ならば人が歌うとはどういうことなのか」という問に対して明確な解答を持っているのでしょうか。
 確かに現状では、初音ミクは限りなく人間に近づけたとしても、人間にたどり着くことはできないと思います。でも、それは、初音ミクが人間が造った機械だからでなく、人間が人間を理解できていないからだと思うんです。

 まあ、「東ロボ」君が、並みの受験生より成績が良いように、初音ミクに負けている人間の歌手もいるんじゃないかと思いますが。
 ってことで、これなら絶対に勝てるというテイクを紹介して今日はお終いにします。まずは、人間。次にボーカロイドですwww



 勝ってると思うんだけどなあw

2016年12月10日土曜日

松浦亜弥「女 Day by Day」 ~亜弥さんの、亜弥さんによる、亜弥さんのためのB型ソング~

 あれほど流行っていた「血液型占い」、最近めっきり言われなくなりました。どうやら、ブラッドタイプ・ハラスメント(ブラハラ)などが問題にされて、ワイドショーや雑誌で扱われなくなったのが原因らしいです。 
 まあ、昔から、科学的根拠が無いだとか、そんなの言ってるのは世界中で日本人だけだとか指摘されてましたけどね。血液型性格診断を否定するのが一流の社会人であり、喜んでいるのは低俗な人間で或ると云うのが、現在の風潮のようです。どうも、最近は、何でもカンでも右にならえの感があって、ひとたび否定し始めると一斉にそっちに偏りますからね。
 まあ、僕だって血液型性格診断なんて本気で信じているわけでもないんですが、話すネタが無いときとか、重宝しますからね。それなりに人間関係を構築するツールとして、世の役に立っていたようにも思います。

 少し前までは、B型が、「空気読めない」とか「自己チュウ」みたいな云われようで、頻繁にからかわれていましたっけ。ブラハラの最大の被害者がB型といえるかもしれません。B型は自由奔放の裏で傷つきやすいって言いますからね、ってこう云う発言をブラハラと云うんですよ。

 僕らの世代だと、B型の代表は、「長嶋茂雄」さんなんですけど、われらが松浦亜弥さんもB型だそうです。

 では、1つめは、2007年のライブテイクからでいかがでしょうか。


 自虐的自己啓発系B型応援ソング「女 Day by Day」は、アニソンの作曲なども手掛けている「村井 大」氏の作詞になるもので、松浦亜弥さんを歌ったものとされています。
 けど、何か変ですよね。まず、松浦亜弥さんは、僕の思っている限りでは、歌詞に描かれているような人ではありません。ホントは、こういう方かも知れませんけど、世間がイメージしている松浦亜弥さんをちゃんと描いてくれないと、聴く側としては納得できません。
 それから、歌詞に歌われている人物像は、一般的に云われているB型人間とは少し異なっています。「気まぐれ」は、良く言われていますけど、B型人間が「自己主張が苦手」ってことは無いですよね。

 この楽曲は、松浦亜弥さんのリクエストによって作られたそうです。オリジナルアルバムに収録されているということからも、楽曲の内容については、打ち合わせ等が行われたはずです。と云うことは、この歌詞に書かれている内容は、やっぱり、松浦亜弥さんのこと、あるいは松浦亜弥さんの考えが反映されたものなんでしょうか。
 でも、あまり直接的に書いてしまうと、重い感じになってしまいますから、適当にぼやかしたんでしょうね。結果的に「これ誰のこと」、って感じになっちゃったように思います。
 耳障りの良い単語を羅列しただけの歌詞は、読解力に難があり東大受験をあきらめたという「東ロボ」君でなくても読解不能です。でも、松浦亜弥さん以外が歌っても違和感の無い、普通の楽曲になっちゃったおかげで、こんなカバーも行われています。


 鈴木愛理さんも、今年22才で、B型だそうですよ。でも、カバーしていただいて、こんなことを云うのも何ですけど、イマイチ似合ってないような・・・。

 3つめは、マニアックライブⅤからのテイクです。歌は2分18秒からです。


 Cメロで盛り上げて、間奏に入っていくところが最高ですね。どの曲でもそうなんですけど、松浦亜弥さんのCメロの歌い方は、抜きんでて素晴らしいと思います。

 この他、2008年のライブでも歌っているのですが、何故か、このマニアックライブのテイクが一番良いように思います。
 鈴木愛理さんのカバーからも分かるように、この楽曲ってアイドルソングじゃないですよね。だから、アイドルソングの歌い方じゃあ似合わないし、アイドルが脱アイドルっぽく歌っても無理がある。
 マニアックライブのテイクが良い感じに思えるのは、実年齢が、歌詞の世界観に近づいていて、無理に演技して歌わなくてもサマになってきたからだと思います。歌が似合う、似合わないというのは、歌唱力で代替えできることでは無いようです。

 ですから、「女 Day by Day」は、今の松浦亜弥さんが無理なく歌えて、一番似合う楽曲のように思います。松浦亜弥さんが復帰したら、歌って欲しい曲のNo.1です。まあ、一番安心して聴けそうってのが本当の理由なんですけどね。他の楽曲だと、声出るかな、上手く歌えるのかなって、ヒヤヒヤしながら聴かなきゃならないでしょ。これだったら、とりあえず大丈夫そうって云うか。
 
 ってことは、やっぱり「女 Day by Day」は、松浦亜弥さんについての、松浦亜弥さんのための楽曲だということになるのかなあ。

2016年12月3日土曜日

中島 愛「星間飛行」 ~えっ?3年ぶりに活動再開だって!~

 「星間飛行」は、2008年に発表された、アニメ「マクロスF(フロンティア)」で、劇中のアイドル「ランカ・リー」が歌った挿入歌です。作詞:松本隆、作・編曲:菅野よう子とありました。松本隆氏については、説明の必要は無いかと思います。たかがアニメの挿入歌に松本隆氏ってところが、さすがマクロスですね。
 菅野よう子さんは、主にアニメやテレビCM、映画、ドラマの音楽製作を手掛けている作曲家、編曲家さんです。手掛けたCM曲だけでも500曲以上といいますから、この世は、彼女の作品であふれていますが、裏方さんの仕事がほとんどですので、彼女の名前を知っている人は多くないと思います。ちなみに、来年放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の音楽も彼女が担当するようですよ。
 
 マクロスFは、マクロスシリーズのテレビ版3作目で、初代マクロスから25年周年を記念して制作されたとのことですが、僕は、全然知りませんでした。だって、社会人ですから。
 でも、この曲は知っていましたよ。


「誰だ、あの娘。」
「ご存じ、ないのですか。彼女こそ、代役からチャンスをつかみ、スターの座を駆け上がっている 超時空シンデレラ 『ランカちゃん』です。」

 まあ、これに関しては、僕は、一切ツッコミませんよ。アニメ相手に大人げないですから。

 では、中の人「中島 愛」さんに登場してもらいましょう。武道館でのライブテイクになります。チケットの倍率が凄まじかったとのことですが。


 いいなあ。武道館ライブ、楽しそうですね。ステージとスタンドの距離感も最高だし、僕も一緒に「キラッ」ってやりたいです。社会人ですけど。

 初代マクロス、飯島真理さんから25年経っているんですけど、やってることって全然変わってないんですよね。まあ、それだけ初代マクロスが先進的だったということでしょうか。飯島真理さんがリン・ミンメイをやってたときには、彼女は未だ生まれてなかったんですよ。

 中島 愛さんは、1989年生まれ、お母様がフィリピン人とのことです。ランカ・リーも確か宇宙人とのクォーターでしたね。
  芸能事務所に所属して歌手・声優になるべくレッスンを続けていた中島愛さんは、マクロスFのヒロイン役に5000通の応募者の中から抜擢されます。さらにアニメの挿入歌「星間飛行」で歌手デビュー。オリコン週間チャートで最高5位を記録します。

 僕の知らないうちに、世の中は随分変わっていました。声優は憧れの職業になり、アニメの挿入歌が当然のようにヒットする時代になっていたんです。
 飯島真理さんと中島愛さんの決定的な違いは、中島愛さんが、望んでこの立ち位置についたということです。彼女は、歌える声優でもなく、声優をこなす歌手とも違って、その両方でした。オタクから絶大な支持を受けていた彼女は、ライブ活動なども精力的に行い、彼女の音声データから作られたボーカロイド「Megpoidメグッポイド(GUMI)」がインターネット社から発売されるなど、順風満帆な芸能活動を展開していたはずでした。

 その彼女が、突然の休止宣言をしたのが、今からちょうど3年前、事務所を退社し、ブログも公式HPも閉鎖してしまいます。突如の事態に、ファンの間では様々な憶測が飛び交ったようです。結局、マクロスでついてしまった、中島愛=ランカ・リーというイメージを落とすための冷却期間をとったというのが定説とされました。事務所を退社していることから、活動方針に関して意見の相違があったのかもしれません。
 考えれば、勿体ない話です。飯島真理さんと違って、中島愛さんは、こうなることを希望しての芸能界入りだったはずでした。その中島愛さんにしても、アニメキャラクターのイメージがついてまわることは、負担に感じることだったのでしょうか。

 近年は、声優を希望する者も増えていて、さらに、有名タレントやアイドルなどを声優に採用する作品も増えるなど、声優業は、過当競争の時代になっているそうです。そんな中で、一度やめてしまった中島愛さんが声優・アニソン歌手として活動を再開するのは、ほぼ絶望的だろうと云うのが、オタクたちの語るところでした。

 その彼女が、これまた突然の活動再開宣言ですから驚きです。Yahooニュースでも取り上げられましたから、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。しかも、新しい所属事務所がマクロスと関係の深いビクター系だなんて。

 「マクロスの垢を落とすんじゃ無かったんかい!」

 失礼しました。
 まあ、復帰されるということは、素直に嬉しいことですし、予定されている「お帰りなさいライブ」もきっと盛り上がることと思います。
 僕は、初音ミクのライブでもギリなんで、中島愛さんのライブに行くことはないと思いますけど(って云う前にチケット絶対取れない)、影に日向に応援させていただこうと思います。
  
 お終いは、ボーカロイドカバーです。今回は、GUMIではなくって、あえて初音ミクと鏡音リンのテイクです。デフォルメされたキャラクターが可愛いですし、何より歌がマッチしています。やっぱりアニソンには、ボカロですね。中島愛さん御本人のテイクを除けば、他のどんな人間のカバーよりも似合っていると思いますよ。


 中島愛さんは、活動を休止していたとは云え、まだ27才です。今度こそ、末永く活動してくれることを願っております。

 松浦亜弥さんも、こうなると良いなあ。

2016年11月30日水曜日

飯島真理「1グラムの幸福」他 ~唯一無二のアイドル系シンガーソングライター~

 「1グラムの幸福」は、飯島真理さんの4枚目のシングルになります。アニメ映画「超時空要塞マクロス」の主題歌「愛・おぼえていますか」(1984年6月)の大ヒットを受けて、同年11月にリリースされました。作詞:松本隆、作曲:飯島真理、編曲:清水信之とありますから、彼女がいかに期待されていたかが分かります。


 なかなか素敵なテイクでしょ。だいぶ強くエコーがかかっていますけど、口パクではありませんよね。自ら作詞作曲して、このくらい歌えて、ルックスもこのくらいですから、僕がファンになったのもお分かりいただけるかと思います。
 ラストの「せえのお。まりぢゃああああん。」のかけ声は、昭和の証です。スタジオに親衛隊を入れていたのか、声だけを被せたのか分かりませんけど、まあ、当時の彼女がこういう扱いだったということが分かります。

 でも、飯島真理さんは、ちゃんとしたアーティストですから、楽曲発表は、アルバムが基本になっていました。彼女がマクロスに出演した直後にリリースしたのが、坂本龍一プロデュースによる1stアルバム「Rosé」です。
 いいですか、ここ大事ですよ。マクロスで人気が出たからアルバムを出したんじゃなくって、マクロスに出ている時には、既にオリジナルアルバムの制作を開始していたと云うことです。
 ファンから最初にして最高と讃えられているこのアルバムは、19才のシンガーソングライター、飯島真理の魅力が遺憾なく発揮された名盤と云われています。

 では、アルバム「Rosé」の中から「まりン」、貼りつけさせていただきます。ライブテイクのようです。


 これっ、これ聴いてましたよ。まさにアイドル系シンガーソングライターですよね。動画を見ていたら、泣きそうになりました。この頃だと「今井美樹」なんかも聴いてたはずですけど、やっぱり僕は、飯島真理でした。
 ちなみに「まりン」と云うのは、ピエロの人形のことだそうです。決して飯島真理さんが連続逆上がりをしているわけではありません。

 当時、飯島真理さんは、国立音大のピアノ科に在学中でした。ピアノ科ですよ。音大では、ピアノ科はヒエラルキー最上位ですからね。彼女の作品に、転調するものが多いのも、幼いときから音楽の英才教育を受けてきたことと関係があるように思います。この「私、音楽知ってるんで」って云わんばかりの生意気な態度も、僕にとっては、魅力の1つでした。
 
 続いても、1stアルバムから「きっと言える」を貼りつけさせていただきます。この楽曲は、アルバム発売の直後にシングル盤として発売されています。アイドル歌手のように、シングル盤を出してからアルバムにまとめるのでなく、ちゃんとアーテイストっぽく、アルバムが先行してからシングルカットされています。


 ただ、これらがリリースされる半年ほど前に、NHKアニメ「スプーンおばさん」の主題歌「夢色のスプーン」が発売されていて、一般的には、こちらがデビュー作とされています。
 このことについて、本人は、ご不満のようで、「そんな曲知らない」ぐらいな態度をとっていたそうです。「夢色のスプーン」は、作詞:松本隆、作曲:筒美京平となっていて、自作曲ではありません。
 実は、「愛・おぼえていますか」も作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦で、自作曲では無いんですよね。つまり、彼女のデビュー曲と最大ヒット曲が、共に自作曲で無く、共にアニメの主題歌だったということになります。このことは、アーティストとしての自覚と高いプライドを持つ彼女にとっては、認めたくないことだったようです。
 「愛・おぼえていますか」は名曲とされていますが、多分にマクロスの威光の結果もあり、このレベルの楽曲ならば、彼女が自作することも可能だったと思います。もし「愛・おぼえていますか」が、彼女の自作曲であったなら、ライブで、ワザと歌わないなどと云う態度をとることもなかったでしょうし、その後の展開も大きく変わっていったように思います。

 ただ、「夢色のスプーン」が、松本隆&筒美京平という、当時のアイドル曲制作の最強コンビによるものであることや、歌手デビューの直前に、リン・ミンメイ役のオーディションを受けさせていることを考えると、所属していたビクターが、彼女のアイドル的な部分を強調して売ろうとしていたのは明らかです。オーディションにあたって、「度胸試しに受けてみないか」なんていう誘い言葉は、いかにも若い女の子を騙くらかしているみたいに聞こえます。マクロスの楽曲は、ビクターからリリースされることが既に決まっていたと云いますから、オーディションそものもが出来レースだった可能性だってあります。

 ザ・ベストテンに出演したときの映像がありました。「愛・おぼえていますか」は、彼女の最大ヒットですが、このことが彼女の後の音楽活動の足枷になったとされています。でも、足枷かどうかなんて、本人の考え次第だと思うのですが。


 アニメの主題歌が社会的なヒット曲になるというのは、今は珍しいことではありませんが、当時は、アニメの主題歌と云うのは、どんなにヒットしても、しょせん子ども相手の楽曲として、一段低く見られていたように思います。そんなアニメの主題歌を、映画から独立しても成立できるほどに地位を向上させたのが、飯島真理でした。
 声優にしても同じです。今でこそ、声優は、憧れの職業の1つになっていますけど、当時は、女優、歌手などと比べると、一段低く見られていたと思います。声優を憧れの職業に引き上げた最大の功労者も、やはり、飯島真理だったと思います。

 でも、そんなことは、彼女にとって、何の魅力も価値もないことだったようです。 

 彼女は、その後、レコード会社を移籍して、数多くのアルバムを発表しました。マクロスの封印に成功した彼女は、彼女が望んでいた形での、つまり普通のシンガーソングライターとしての活動を続けていきます。
 でも、それは、僕にとっては、彼女が唯一無二の存在から、大勢の中の一人になってしまったと云うことでもありました。

 別に、アニソン歌手になってくれとか、声優をやってくれなんて思っていたわけでは無いんです。歳を重ねるにつれて、彼女の音楽性が変わっていくのは仕方のないことだし、それによって、ファンが付いたり離れたりするのも当然のことだと思います。
 ただ、彼女が確かに輝いていたあの時代を、彼女が黒歴史扱いしてしまったことが悲しかったんです。
 
 お終いは、もう1回この曲で、


2016年11月27日日曜日

飯島真理「天使の絵の具」feat. 初音ミク

 実は、このブログの最初の投稿記事は、「風の谷のナウシカ」で、2番目が「飯島真理」さんでした。松浦亜弥さんのファンブログとしてスタートしたはずなのに、最初から脱線していたんですよね。
 で、先日、初音ミクの最新ヴァージョンによる「天使の絵の具」のカバー作品を見つけて再びハマってしまいました。ということで、再脱線を承知で投稿させていただきます。

 飯島真理さんの「天使の絵の具」は、伝説のロボットアニメ「超時空要塞マクロス」の劇場版においてエンディングテーマに使われた曲です。1984年リリースですから、32年前のことになります。
 アニメに登場するアイドル「リン・ミンメイ」役の声優として起用された「飯島真理」さんは、当時、国立音楽大学音楽学部ピアノ科に在学中の本物のシンガーソングライターで、「天使の絵の具」は、自身の作詞・作曲になるものです。
 その後、飯島さんが、いつまでも自分につきまとう「リン・ミンメイ」のイメージやアイドル歌手、声優歌手としてしか扱ってもらえないことに苦しみ、逃げるようにアメリカへ移住してしまったのは有名な話で、そのあたりのことは、以前、ブログの記事として書かせていただきました。それから、22年の時を経て、飯島さんは再びマクロス関連のオファーを受けるようになるのですが、ブログ最後の「飯島真理は、リン・ミンメイではありませんが、リン・ミンメイは、飯島真理だったんです。」って上手いこと書いたなって自分でも気に入ってるんですよw

 マクロスにおいて飯島真理さんの貢献度は、計り知れないものがあります。もし、リン・ミンメイの担当が既存の声優さんであったら、ここまでの、社会現象ともいえる事態にはならなかったはずです。楽曲群は、アニソンの革命とも云えるものだったと思いますし、アイドル系シンガーソングライターとしての現実世界での彼女の活躍がなければ、現在の声優ライブなど存在しなかったと思います。

 皮肉なものですね。

 で、1つめは、飯島真理さんのライブ動画になります。僕は、彼女がテレビの歌番組に出ていたのを見たことはあったのですが、ライブ動画を見たことは無かったので、大変興味深く視聴させていただきました。当時、飯島真理さんは、21才くらいでしょうか。       
     

 アイドルが否定されていて、いわゆるアーティストたちがアイドル的な役割を兼ねていた時代です。松浦亜弥さんのライブ動画を見慣れている者からすると、何ともお粗末なところもあるんですが、アイドル系シンガーソングライターの渾身のライブということで評価させていただきます。
 紙テープが飛んでくるのが昭和ですよね。怪我をさせないように、テープの芯は抜いておくのがマナーだったんですよ。

 2つめは、初音ミクの初期のカバー作品になります。動画の制作者さんと歌の制作者さんは別のようです。MMD動画が妙にぎこちなく見えるのは、恐らくアニメの再現を意識しているからだと思います。当時のアニメにおける歌の振り付けってこの程度のものだったんですね。


 飯島真理さんは、ご自身の楽曲がアニソンとして扱われるのは不本意だったと思いますけど、ボーカロイドとこれほど相性が良いことを考えると、「天使の絵の具」は、やっぱりアニソンだったのかなあ、って思ってしまいます。

 3つめは、ちょっとお姉さんっぽい歌わせかたの作品です。ボーカロイドカバーは、かくあるべしって感じの作品だと思っているんですよ。


 伴奏のアレンジが素晴らしいですね。ギターアレンジが格好良いし、初音ミクのセルフコーラスも可愛いです。基本的なスコアーは、人間用の伴奏の流用だと思いますけど、音の選び方がボーカロイドの特性にバッチリ合っているように思います。

 4つめは、初音ミクV4Xによる歌唱です。打ち込み伴奏ですけど、パーカッションは、ボカロPさんが自ら演奏しているとのことです。


 初音ミクV4Xには、2つの音声ライブラリーを混合して新しい歌声を作る「クロスシンセシス」という機能があるのですが、この声の場合は、「SOLID」と「DARK」をクロスシンセシスして、落ち着きのある歌声を表現しているようです。
 どうですか、少しは、大人っぽくなりましたかね。初音ミクも来年で発売10周年、16才でデビューしていますから、人間だったら現在25才ですからね。いつまでも可愛いだけでは困ります。

 ロボットに変形する可変戦闘機「バルキリー」と飛び交う自動追尾型のロケット弾、三角関係においてヒロインが失恋すると云うまさかの結末と云ったところがマクロスの特徴とされていますが、中でも特筆すべきは、劇中で「リン・ミンメイ」が歌う挿入歌のレベルの高さだったと思います。劇中のアイドルライブは、やがて現実のものとなります。アニメという虚構の世界と現実の音楽市場がリンクするという現象は、後のヴァーチャルアイドルの先駆けと云えるものでした。
 しかし、その結果、飯島真理さんは、アニメの世界だけで無く、現実世界でも、虚構の姿を演じつづけることを求められました。

 お終いは、「セシールの雨傘」。脱マクロスと云えるような作品です。これは、ボーカロイドでは歌えないですね。


 マクロスの偉大さは、飯島真理という若きシンガーソングライターの才能をも飲み込んでしまったのでしょうか。
 でも、純粋に彼女の歌が好きだってファンは、少なくなかったんですよ。彼女がマクロスを封印しようとしまいと、純粋に彼女を応援していたファンは、少なくなかったはずです。
 今も残る数多くのボーカロイドカバーは、マクロスへのリスペクトだけでなく、作曲家飯島真理へのリスペクトの表れでもあるはずなんです。
 

 才能がプライドを生み、そのプライドがファンとの決別を決意させたのならば、これほど寂しいことはありません。飯島真理さんは、リン・ミンメイを「あの人」と表現したといいます。

 何だか、どこかの元アイドル歌手さんとカブっているように思えてきました。

 ってことは、脱線なんてしてなかったのかも。

2016年11月19日土曜日

いきものがかり「ありがとう」feat.松浦亜弥&初音ミク

 いきものがかりの「ありがとう」については、今さら説明するまでもないと思います。相変わらずのご活躍のようで、先日の「ベストヒット歌謡曲」にも出演していましたね。デビュー10周年とのことでしたが、もっと前からやっていたように思っていました。
 さっそく御本家のテイクを聴かせていただきましょう。歌は38秒後からです。


 今はもう解体されてしまった国立競技場でのライブテイクのようです。それにしても大掛かりなライブですね。動画はミキシングされた音で聴くことができますけど、実際の会場ではどんな感じで聞こえるのでしょうか。僕は、こんな大きな野外ライブというものに参戦したことがありませんから、よく分かりませんが、一度体験してみたいものです。

 では、続いて、松浦亜弥さんのお馴染みのテイクになります。歌は3分25秒からです。


 会場の大きさは何百分の一、バンドのメンバーも何十分の一なんですけど、バンドって5人いれば、とりあえずフルバント構成の音を再現することは可能なんですね。

 「また~いつ~もの~町へ出かけるよ」のところの、ちょっと、ねちっこい歌い方がいかにも松浦亜弥さんらしいです。松浦亜弥さんって、カバーでは、あっさり歌うという印象が強いので、没個性と思いがちですが、それでも、所々にこのような松浦節が出てくるように思います。

 最初に聴いたときは、何か物足りなくって、あまり好きなテイクでは、なかったのですが、最近は、普通に良い歌を普通に歌ってくれれば十分と思うようになりました。もともと、そんなに気持ちを込めて歌う曲でもありませんからね。彼女に対するハードルが下がったとは思いませんけど、歳のせいか、気持ち込めまくってガンガン攻めてくるような歌い方に疲れちゃうのかもしれません。

 では、貼りつけなくっても良かったんですけど、ボーカロイドカバーも。


 当たり前なことかもしれませんけど、伴奏が、菊ちゃんたちと同じなんですよね。こっちの伴奏は、打ち込みかと思いますが、元にしたスコアーが同じなんでしょうかね。
 作りものだからといって馬鹿にしないでくださいね。口を見ていると分かると思いますが、ちゃんとリップシンクしているでしょw
 初音ミクのカバーもいくつかあるんですけど、一番普通に歌っているこのテイクが、一番良いように思います。キーもあまり高くしない方が良いみたいですね。あまり高いとキンキンしてきて、聴いていて疲れちゃう、って、これも歳のせいかなあ。

2016年11月16日水曜日

桑原薬師堂と仏の里美術館 Ⅱ  ~収蔵仏像に関する私見~

 もし、薬師堂にある仏像をプレゼントしてもらえるのなら、「観音菩薩」「地蔵菩薩」のペアセットがいい。大きさも手頃だし、平安後期の穏やかさと、地方仏の素朴さを合わせ待つ、正に癒やしの仏さんだからだ。
 この2躯は、明らかに同一の仏師によるものである。観音さんと地蔵さんをペアで祀るというのは、珍しいことらしい。でも、地蔵は大地に、観音は水に関係のある仏さんだから、2躯をペアで祀ることには、それなりの説得力がある。
 上原美術館の田島先生によると、観音・地蔵菩薩は、阿弥陀如来の脇侍として祀られることもあるそうだ。だとすれば、このペアには、かつて、共に仕えていたご主人様がいたということになる。まあ、三尊が並んでいるのを想像するのも楽しいが、このペアは、センターが不在でも十分やっていけるだけの実力を持ったタレントだと思う。


薬師堂の仏像群の中で、最も有名で、評価の高い仏像と云えば、阿弥陀三尊像である。唯一の重要文化財であるし、平成3年には、あの大英博物館で展示されたという輝かしい経歴をもっているからだ。
 この阿弥陀さんは、鎌倉時代の前期に慶派の仏師「實慶」によって造られたことが分かっている。實慶という仏師は、運慶願経の記述から、存在だけは古くから知られていたが、その作品は長い間、未発見だった。ところが、昭和59年、近くの修善寺の大日如来から墨書銘が発見されたのに続いて、この阿弥陀三尊の胎内からも「實慶」の名が発見されたのだ。實慶の現存する作例は、今でもこの2例、計4躯だけだ。

 阿弥陀さんを乗せている台座は、仏像が造られた当時のものだという。確かに、蓮の花弁の脈がくっきりと彫られていて、いかにも鎌倉期の作品という感じではある。
 仏像の台座とか光背というものは、後の時代に造られたものがほとんどで、当初のものがそのまま残っているというのは、極めて貴重だ。お寺が火事になったとき、仏像は抱えて持ち出しても、台座まで持ち出すのは大変だろうし、仏像は、傷んできたら修理するが、台座などは、壊れたら新調することが多いからだ。

 實慶の墨書銘は、美術館に行けばパネル写真で見ることができる。面白いことに、「實」のところに「しんにょう」のようなものが付いていて、一見すると「運慶」って書いてあるように見える。後の世の人が、仏像の価値を上げようと、しんにょうを付け加えて實慶を運慶に書き換えた、なんて解釈もあったようだ。
 ただ、よくよく見ると、意図的に書き加えたにしては下手過ぎるから、何かの墨が付いちゃって、それがたまたま「しんにょう」っぽく見えているんだと思う。だいたい、何百年に一度の修理の時にしか見てもらえない仏像の内側にそんな細工をしたって、意味のないことだ。

 脇侍は、観音・勢至菩薩さんだ。なかなかの良像で、ピンでも十分通用すると思うし、実際、勢至菩薩さんは、仏像のカレンダーにピンで採用されたこともある。ただ、この両像は、阿弥陀さんの脇侍にしては、ちょっと違和感がある。普通、観音菩薩が阿弥陀さんの脇侍を務めるときには、蓮台を持っているのが普通だからだ。僕は、この像を初めて見たとき、奈良薬師寺の日光・月光菩薩を連想した。


 ただ、このような観音・勢至菩薩像が他に無いわけではない。横須賀の浄楽寺の運慶作の阿弥陀三尊の脇侍は、ここのと同じで、日光菩薩っぽい観音菩薩さんである。慶派の阿弥陀三尊像には、このような形式のものが普通にあるということなのだろうか。


 桑原薬師堂の名の由来となっている薬師如来さんは、榧材の一木割矧造という、マニアには、ちょっと気になる仏さんである。土地の人たちは、国の重要文化財である阿弥陀さんより、県の文化財に過ぎないこの薬師さんの方を主に祀ってきた。切実な信仰の前では、県より国の方が偉いなどという尺度なんて存在しないのだろう。
 もっとも、薬師さんが県文止まりなのは、長い間秘仏であったことが関連しているのかもしれない。或るお寺さんの話によると、国の文化財に指定されるといろいろと煩くなるらしい。だからといって、補助金がたいして増えるわけでもないので、仏像は、県の文化財くらいが丁度いいそうである。とは云っても、美術館にあって、お客を呼ぶためには、箔がついている方が良いのも確かだ。

 かなり古風な造りであるので、平安時代初期の作品と言われていたこともあったようだ。しかし、円満な顔立ちや衣文の彫りが浅いことなどは、平安時代後期と云えるし、堂々とした胸や腹の厚さを考えると藤原期より遡るようにも思える。ということで、先生方の見解は、平安時代中期(11世紀半ば)頃の作と云うことである。
 この薬師さんの特徴は、素地造りで、漆や金箔を貼られた痕跡がないことと、膝の張り出しが小さいことだそうである。田島先生によると、これらは神社の御神体として造られた像に共通することだそうだ。仏さんが御神体というのは、神仏が習合されていた昔の日本では、極々普通の事である。
 そう考えると、衣文の彫りの浅さも膝の小さな張り出しも頷ける。神像というのは、御神木を彫って造られることが多いから、あまり深く彫り込まれない。京都の松尾大社の神像なども、平安時代初期の作と云うことだが彫りはかなり浅い。それから、祠に入れることを考えると、膝を張り出して立派に見せることよりも、箱の中にきっちり収まるように、膝の張り出しを抑えた造りのほうが好ましいはずだ。どこかのブログに、下半身が小さくてバランスを欠く、なんて書かれていたが、造り手には造り手の言い分があるのだ。
 両腕が細く感じるのは、後の時代に補修されているからだそうだ。後頭部を見ると、縦横に碁盤の目のように刻まれていて、確かにこうすれば手っ取り早く螺髪を彫ることが出来るとは思うが、雑な造りである。このへんが地方仏とされる所以なのだろう。
 ただ、薬師堂にいた時のように、厨子の中に収まと、何か強い威厳を感じるから、やはり、この薬師さんは、この地方の神社の御神体として造られたのかもしれない。
 

 十二神将は、薬師堂にあった頃は、江戸時代の修理で白く塗られていてチープな感じだったが、毎年、数躯ずつ修理されて、精悍な仏像に変身した。
 修理を担当した、吉備文化財修復所の牧野先生の手法は、文化財保存の考えからするとやや直しすぎの感があるが、直すのが商売だから致し方ないことだ。まあ、十二神将は国でなく県指定の文化財だから問題にはならないのだろう。痛んだ顔に補材を付けて、彫り直したりすれば、見違えるように素晴らしく蘇るわけだが、そんな仏像を前にして、面相がどうだから時代は・・・などと素人が偉そうに云ってしまうと、思わぬ間違いをしでかすことになる。
 もちろん、修理された仏像には、必ず修理報告書が作成されているから、それを見れば良いのだが、そんなものは、美術館の書棚か金庫にしまわれていて、部外者が目にする機会などないわけだし。
 ただ、あまり直しすぎると、重要文化財の指定の際にマイナスポイントとなるのではないかと心配になってくる。まあ、重文になりそうもないから、大胆に修理したのだろう。

 ただ、ここの丑神将は別格である。細かいところまで神経が行き届いている優れた仏像だ。例えば、バックルに通した紐1つにしても、キツく縛ったときとユルく縛ったときとでは、皺のでき方が違うし、素材が布か皮かによっても変わってくる。優れた仏師というのは、それらをちゃんと表現できるのだ。丑神将は、明らかに中央の一流の仏師の作である。もし、奈良・京都にあれば、ピンでも重要文化財に指定されているだろう。

 ここの十二神将は、それぞれ造られた時代が異なっているのが特徴だ。長い年月の間に、12躯あった神将像は、1つ、また1つと失われていったのだろう。そして、それぞれの時代の人々は、失われた像を1つ、また1つと補ってきたわけだ。
 それぞれが造られた年代については、一番古いものが平安時代で、新しいものが江戸時代とされてきた。ところが、最近の調査で、1つの像の内部から墨書が発見されて、平安時代とされていた像が鎌倉時代中期の作と分かった。そこで、各像の年代を見直しした結果、造られた時代は、鎌倉前期から室町時代までの間と変わり、上下に年代が縮まったかたちになった。
 
 一番出来の良い丑神将は、古い方から4番目だったのが、一番古い像にかわった。このことは、かなり重要である。丑神将は、失われた仏像の代わりに造られた補作品でなく、最初に造られた12躯の唯一の現存作ということになるからだ。つまり、当初は、丑神将レベルの像が12躯揃って、薬師さんを守っていたことになる。


 これだけの造仏ができる仏師。つまり、鎌倉時代の前期に、この地方の造仏に関わった一流仏師と云えば、實慶以外に考えられない。實慶は、阿弥陀三尊像だけでなく、薬師如来の周辺仏の造仏にも携わったのではないだろうか。

 実は、以前の薬師堂の仏像群は、今とは違う祀られ方をされていた。

 現在の阿弥陀三尊像の観音・勢至菩薩は、もともとは薬師如来の脇侍の日光・月光菩薩として祀られていたのだ。阿弥陀如来の脇には、江戸時代に補作された、観音・勢至菩薩が置かれていたらしい。その後、文化財調査によって、薬師如来の脇に置かれている像は、阿弥陀如来とセットであるとされ、現在のかたちになったという。つまり、阿弥陀さんの脇侍は、失われていないのだから、補作など必要なかったということになる。
 しかし、これは不思議な話である。現在の阿弥陀三尊像は、文化財調査をするまでもなく、明らかにセットに見えるからだ。見た目も同じで、造った人も同じなのだから、そんなのは、ど素人でも分かる。
 問題は、なぜ昔の人たちは、これをセットと見なさなかったのかと云うことである。誰が見てもセットに見えるものを、セットとして扱ってこなかったということは、それなりの理由があったと考えるべきではないだろうか。しかも、観音・勢至菩薩を補作までしているのである。
 もしかしたら、間違っているのは、江戸時代の人たちでなく、我々ではないだろうか。

 以下は、僕の私見である。

 この地で阿弥陀三尊像を造った實慶は、続いて、薬師如来の関連仏の造仏に携わった。人々に深く信仰されていた薬師如来は、元来、神像であったために、単独の像として祀られていたが、北条氏がスポンサーとなって、脇侍を揃えることになったからだ。實慶は、薬師如来の脇侍として日光・月光菩薩と十二神将を造る。
 やがて、長い年月の中で、神将像は失われていき、当初の像の中で丑神将のみが残った。一方、阿弥陀如来の脇侍であった観音・勢至菩薩も失われ、代わりの脇侍として江戸時代に補作された像が置かれた。

 ある講演会で、この考えの真偽を質問させていただいたことがある。講演会の先生は、僕の質問に対して、面白いでもなく、有り得ないでもなく、「それは恐ろしい考えですね」とおっしゃた。肯定でも無く、否定でも無く、スルーに近いお返事だ。所詮、素人考えなのでそのことは別に良いのだが、「恐ろしい」と云われたのが愉快だった。
 像の配置を入れ替えるきっかけとなった文化財調査を行ったのは、東京芸術大学名誉教授の水野敬三郎先生である。入れ替えたことが間違いであるなど、考えるだけでも恐ろしいことなのだろう。

 丑神将から「實慶」の名前でも出てきてくれれば、面白かったのだが・・・。

2016年11月13日日曜日

冨田勲 追悼特別講演「ドクター・コッペリウス」に行ってきました。

 渋谷のオーチャードホールで11月11日(金)12日(土)の2日間で開催された特別講演。僕は、2日目の昼公演に参戦してまいりました。
 公演前に新宿のヨドバシでプラモデルを見ていたんですが、時計を見たら開演30分前。慌ててしまいました。渋谷駅からBunkamuraまで、人混みをかき分けながら走ってしまいましたよ。3分前に席に着けてセーフだったんですけど、座ったとたんに汗が噴き出してきて、困ってしまいました。
 
 チケットが簡単にとれてしまいましたから、観客の入りを心配していたんですけど、3階席までいっぱいの満席状態でした。まあ、僕が予約した時は、冨田先生は、まだご存命でしたからね。追悼公演に変わってから、一気に売れたということなんでしょうか。満席になったのは嬉しいけど、写真の冨田先生にしか会えなかったのは、本当に悲しいです。

 さすがに、中高生や若者カップルはいませんでしたね。初音ミクのライブでは、僕は、ほぼ最年長なんですけど、今回は平均年令が、ちょうど僕ぐらいで、僕みたいに、一人者のオジさんが多数派でした。84才で亡くなられた冨田先生と同世代と思われる年配の方々も多かったです。
 早々と予約しましたので、座席は、前から6列目という良席でした。ただ、ミクのライブならば最高のポジションですけど、オーケストラのコンサートだと、ちょっと前過ぎでしたね。
 フルオーケストラ+合唱団+バレエ+初音ミクの機材一式でS席1万円ですから、オタク相手の初音ミクライブSS席9000円が、いかにボッタクリかが分かります。
 
 コンサートは、挨拶とか、何も無くって、追悼公演ではありましたけど、通常のコンサートと同じように、極めて普通に始まりました。

 1番目は、「イーハトーヴ交響曲」です。全部で7楽章ありますけど、各楽章がそれぞれ独立した合唱曲という感じでしたから、交響曲と云うよりも合唱組曲みたいでした。合唱団は、男声10名・女声10名と、児童合唱団が30名ほどでしょうか。それから、ソリストとして「初音ミク」ですね。前回公演や紹介番組の動画がYouTubeに幾つかあります。


 初音ミクは、ステージ中央の上段に設置されたディラッドスクリーンに、裏からではなくって、前から投影されていました。後ろにプロジャクターを設置するスペースがなかったからでしょうか。ですから、スクリーンを透過した映像が後ろの壁にも映っちゃっていました。影が2つ横に並んでいましたから、2台のレーザープロジェクターを左右に並べて使っていたということになります。
 会場の皆さんは、初音ミクについてどう思っていたでしょうか。初音ミクが目当てで来た人は、1割もいないと思います。で、3割は初音ミクって何?って感じで、3割がこれが初音ミクなんだ?って感じで、残りの3割が何で初音ミクなの?ってところだと思います。

 楽曲は、宮沢賢治の世界を表現した、分かり易い作品だったと思います。ただ、初音ミクでなければ歌えないものではありませんから、ソプラノの歌手さんが歌っても全然問題ないと思います。この先、初音ミク抜きで演奏されることもあるでしょうね。YouTubeに、「機械に頼ることなく人間を信じるべき」みたいなコメントがありましたけど、今さら初音ミクを使ったからと云ってチケットが売れるわけでもないし、人間がやったほうがお金も時間もかからないわけで、こんな無駄なことを単なる好奇心だけでやってしまうのが、冨田勲だと思います。

 2番目は、「エイドリアン・シャーウッド」氏による、組曲「惑星」のライブ・ダブ・ミックスでした。サポートでパーカションのお兄さんが1人とストリングスの人たちが4人出てきました。
 この方は、ダブ・ミックスの分野では、巨匠とか、鬼才とか呼ばれているみたいですけど、僕はこの分野に関しては全く知識がありませんので、どのくらい凄い人か全然分かりませんです。
 曲が始まる前に、通常のクラシックコンサートでは有り得ないほどの音量であること、気分が不快になった場合は途中退席を認めること、などの場内アナウンスがあって会場の笑いを誘っていました。
 ダブ・ミックスというのは、楽曲を加工して別物に作り変えることだそうです。ところどころに、知っているメロディーが出てきますので、これは火星だな、これは木星だなってかろうじて分かりました。ホルストの惑星でなくって、冨田先生の惑星のダブ・ミックスでした。(って当たり前ですね)
 まあ、音量はともかく、低音の響きが凄くって、スピーカーのウーファーが破れてしまうんじゃないかというくらいに強調していました。これじゃあ、お年寄りだったら心臓発作を起こしかねないと思います。ネットで調べてみましたら、単独ライブでは、サブウーファーを特設して行うこともあるみたいです。

 20分の休憩をはさんで、3番目が「ドクター。コッペリウス」でした。スペース・バレエ・シンフォニーだそうです。先生が逝去されたのは、今年の5月5日でしたが、倒れる1時間前まで、この作品についての打ち合わせをしていたそうです。
 全7楽章構成ですが、第1楽章と第2楽章が欠番になっているのが悲しみを誘います。ただ、いきなり第3楽章から始めるのも不自然だったみたいで、新たに第0楽章を付け加えて完成としたようです。

 バレエのダンサーさん(っていうのかなあ)は、女性が1人と男性が2人、あと女の子が8人出てきました。普通のバレエ公演というのは、楽団はオーケストラボックスに入っていて、ステージを空けるものだと思うのですが、今回は、オーケストラの前や後ろで踊っていて、バレエ公演と云うよりは、オーケストラに合わせて踊るコンテンポラリー・ダンスみたいでした。僕は、この分野も全く知識がありませんが、ダンサーさんの「風間無限」氏はクラシックバレエ界で有名な方のようです。ただ、バレエ組曲と云うのは、歌も台詞もありませんから、あらすじをちゃんと理解していないと、何が何だかさっぱり分からないということを学びましたです。

 初音ミクのスクリーンは、オーケストラ後ろの上段に設置されていました。スクリーンは透過型では無いようにも見えましたが、投影は後ろからしていたようです。ただ、あまりにも映像が不鮮明でした。もうボケボケです。座っている位置のせいかもしれませんけど、こんなのは初めてです。あと、人間とCGのからみもイマイチでしたね。1st PLACEの「IA」のライブの方が何倍も良く出来ています。
 ステージをオーケストラが占領していたのが原因かもしれません。まあ、1回の公演で、合唱組曲とバレエ交響曲の両方をやろうって云うんですから、致し方ないことですが。
 客観的に申し上げて、作品の完成度としては、「イーハトーヴ交響曲」の方が上だと思いました。

 最後に、アンコールがなかったことが、寂しかったですね。オーケストラだけの演奏で良いんで、みんなが知っている冨田先生の楽曲を1つでも2つでも最後に演奏して欲しかったです。

 来年の4月に再演決定だそうです。それはそれで嬉しいのですが、できれば、もっと皆が知っている、これぞ冨田勲と云う作品を演奏する、正式な(?)追悼公演もやって欲しいです。


 冨田先生がシンセサイザーを手掛けたとき、周囲は全然理解できなかったと云います。冨田勲は、シンセなんかに手を出さなくても、売れっ子の作曲家としてやっていけたはずでした。しかし、その後シンセサイザーは驚異的に進歩して、現在があります。
 冨田先生が初音ミクに関わったときも嘲笑するコメントが多く書かれました。先生が初音ミクに関わったことを、音楽人生の汚点とする意見もあります。でも、先生が初音ミクに関わるのは、必然のことだったと思います。シンセサイザーで音楽を再現することができれば、次は、歌うことを再現しようと考えることは、当然の思考だからです。
 冨田先生は、すでに音楽界の大御所であったのにもかかわらず、初音ミクを面白いと云ってくれました。ライブにも出掛けていきました。これを待っていたとも言ってくれました。ただ、初音ミクが発売されたとき、先生はすでに75才を越えていました。

 初音ミクが先生の期待に応えるには、あまりにも時間が無さ過ぎました。

2016年11月6日日曜日

「桑原薬師堂」と「かんなみ仏の里美術館」 ~賛美歌と薬草茶と~

 静岡県に函南町という町がある。「はこなん」ではなく「かんなみ」と読む。どこにもあるような平凡な町というと、住んでいる人に怒られそうだが、ちなみに、昨年のふるさと納税額は、2万円という断トツの最下位だったそうである。

 函南町には、過ぎたるものが2つある。1つは酪農の丹那ブランド。そしてもう1つが薬師堂の仏像群だ。

 その薬師堂は、桑原という地区にある。桑原と云っても桑畑があるわけではない。桑原の語源は、「河原」からきているそうだから、箱根山麓の原生林から流れてくる川に沿った谷間についた地名、ということになる。今は、何も無い長閑な田舎の村であるが、近くにある高源寺は、源頼朝が平家打倒の旗揚げをしたときの「軍勢ぞろいの地」だったそうである。馬揃い、つまり軍勢の集合場所に指定されるということは、そこが交通の要所であった証拠だから、900年前は、この谷筋が箱根を越えて関東へ抜けるための重要な街道だったということになる。

 薬師堂の仏像群は、そんな平安時代から鎌倉時代にかけて、此の地に建立されたいくつかの寺社で祀られていたらしい。立派な仏像というのは、有力なパトロンがいなければ造ることができないが、恐らく北条氏あたりが造らせたのだろうと推察されている。
 寺は、とうの昔に無くなってしまったが、仏像は地区の人たちによって、900年間、この地で守られてきた。900年もの間、守り続けるというのは簡単なことではないが、朽ち果てさせるにはあまりにも惜しいと思わせ続けるだけのオーラが、この仏像にはあったということである。

 仏像は、20躯以上あるが、主要なものは、慶派仏師「實慶」作の阿弥陀三尊像、平安期の「薬師如来像」、あとは、同じく平安期の「地蔵・観音菩薩」と「毘沙門天」、それから、十二神将の内の「丑神将」あたりであろうか。

 薬師堂は、この地に伝わる仏像を守るため、桑原にある長源寺というお寺の裏山の中腹に、明治時代に建てられたのが最初らしい。寺の境内にあるが、お堂の所有者は桑原区ということだった。と云っても、実際の管理は、お寺でやっていて、長源寺の奥さんは、この地に来て40年の間、このお堂と仏像を管理してきたそうである。

 お堂は、毎週土日に開けられていて、最初に訪ねた時も、奥さんが番をしていた。拝観料をとられなかったので、お賽銭を入れた覚えがある。怪しげな薬草茶なるものをすすめられて飲まされた。
 薬師如来は、秘仏ということになっていたので、厨子の扉は閉められていた。ほかに観音菩薩と地蔵菩薩の扉も閉められていたように思う。静かに時が流れていて、別世界のようなところだった。
 僕がいた30分ばかりの間にも、2,3人の拝観者がやってきていた。仏像ブームの頃であったし、パワースポットだと云う噂を聞いて、遠くから訪ねてくる人も増えてきたという話だった。

 薬師堂の仏像群の中では、鎌倉期の阿弥陀如来が有名だ。阿弥陀如来は、北条時政が、石橋山の合戦で討ち死にした嫡男、北条宗時の墳墓堂の本尊として造らせたと伝わっている。だが、地区の人たちは、薬師如来のほうをメインに祀ってきた。だから、お堂も「阿弥陀堂」ではなくって「薬師堂」と呼ばれてきた。村の人たちにとっては、死後に極楽浄土へ誘ってくれる阿弥陀さんより、現世御利益のある薬師さんのほうが大切だったのだろう。阿弥陀さんは、お堂では客仏的な扱いだった。

 それから、しばらくして、美術館建設の話が伝わってきた。文化財調査によって、阿弥陀如来の胎内から「實慶」の銘が発見され、仏像は重要文化財に指定されていた。2008年、桑原区は、仏像の管理を町に委譲する。仏像の所有者となった函南町は、仏像群を展示する美術館を建設することを決定したのだ。4億円近い建設費が、箱物行政だとオンブズマンから批判されたらしいが、3年の歳月を掛け2012年4月に「かんなみ仏の里美術館」は開館する。

 その前年の12月、仏像の搬出が行われる前にと、薬師堂を再訪した。薬師堂に入ると、驚いたことに、全ての厨子の扉が開かれていた。「もう最後ですから。全部開けてしまいました。」と奥さんは言った。しかも、お堂の内陣に入って良いと言う。「写真も好きなだけ撮って良いですよ。もう最後ですから。」奥さんは、最後ですからを繰り返した。



 お堂に置かれた電気ごたつに足を入れ、薬草茶を飲みながら、奥さんは、薬師如来にまつわる話を聞かせてくれた。雲水が訪ねてきて、ここの薬師如来は広く世に知られる仏になると預言をしたこと、東日本大震災が起きた日の朝、仏像の様子がいつもと違っていたこと。

 奥さんは、立ち上がると、よかったら歌を聴いて欲しいといって、お堂の隅にあるオルガンを弾きながら賛美歌を歌い出した。何で賛美歌なのか分からないが、お堂で賛美歌を聴くというのは、かなりのレアな体験なので、奥さんの賛美歌は、仏像の研究者や仏像マニアの間では有名だった。

 新しくできた美術館は公設だ。公共団体は、宗教活動をしてはいけないから、仏像は、信仰の対象ではなく、彫刻として扱われなければならない。もう、お賽銭も献花も灯明も許されないのだ。仏像たちは、美術館に移される前に、魂抜きをされる。抜かれた阿弥陀如来の魂は、西の彼方の極楽浄土へ、薬師如来の魂は、東の彼方の浄瑠璃浄土へ帰っていくのだという。
 
 春になって、開館した美術館を訪ねた。照明も工夫されていて、小さいながらも、居心地の良い美術館だった。仏像たちは、それぞれガラスケースに入れられていた。特に展示室の中央に置かれた薬師如来は、4面ガラス張りになっていて、背中まで見ることができた。もっとも、12世紀の作と云われている薬師如来は、後ろから見られることを想定して造られてないから、後頭部の螺髪などかなりいい加減な彫り方だ。こんなことになって、薬師さんも恥ずかしいのではないかと思う。
 ボランティアガイドのおばさんに、長源寺の奥さんのことを訪ねたが、ガイドさんは奥さんのことを知らなかった。知らないということは、奥さんは美術館とは関わっていないと云うことだろうか。美術館のパンフレットには、仏像は桑原区の人々が守り伝えてきたと書かれているが、この40年間に限って言えば、守っていたのは、長源寺の奥さんのはずだ。「これで最後ですから。」という奥さんの言葉の本当の意味がようやく分かった。

 「仏の里美術館」は、この秋、入館者数10万人を達成したそうである。他に何もない田舎の美術館としては、なかなかの健闘ぶりである。
 それから、ふるさと納税の話だが、今年の函南町は、「さとふる」でもランキング上位に食い込むなど、こちらも、なかなかの健闘ぶりである。昨年度比、数千倍らしい。

                
 仏像群については、次回ということで。まあ、美術館のホームページを見れば良いだけのことであるが。

2016年11月3日木曜日

スキマスイッチ「奏」feat. 松浦亜弥&初音ミク&雨宮天

 前回、スキマスイッチさんの「全力少年」を取り上げさせていただきましたが、引き続き、「奏」についても投稿させていただきます。気がつきませんでしたけど、300本目の記事だったんですね。松浦亜弥さんと初音ミクとのコラボ記事ですので、ちょうど良いかもです。

 「奏」は、スキマスイッチの2曲目のシングル曲です。発売当初は、ほとんど知られることもなかったようですが、スキマスイッチがメジャーになるにつれて、この曲も広く知られるようになり、今では、スキマスイッチの代表曲になりました。
 この曲の最大の特徴は、たくさんのアーティストにカバーされていると云うことです。ウイキペディアで調べると、この曲をカバーしたたくさんのアーティストがでてきますが、初音ミクと松浦亜弥さんは出てきません。CD化されたわけではありませんからね。
 
 では、御本家のオフィシャル動画から貼りつけさせていただきます。視聴回数4200万回ですって、さすがですね。


  君が 大人になああああってく その季節が
  悲しい歌で溢れないように
  最後に何かきみいいいいに伝えたくて
  「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた

 だそうです。こんな歌詞を考え出したのは、お二人のうちのどちらの方でしょうか。

 2つめは、「雨宮天(そら)」さんのテイクです。雨宮さんは、今年23才になる声優さんです。2014年に「奏」がアニメ「一週間フレンズ」のエンディングテーマに使われた際、主人公「藤宮香織」の声を担当した雨宮さんが、自身でカバーしました。「奏」は2004年リリースの楽曲なんですが、このアニメにより、若い世代にも知られるようになりました。


 こちらも、視聴回数250万回越え、関連動画もいれると500万回は越えていると思います。いかにも声優さんのカバーって云う感じですけど、並みの歌手さんよりも良いと思いますよ。しかも可愛いです。声優さん=大山のぶ代、と云う昭和のイメージから脱却しなければいけませんね。

 3つめは、松浦亜弥さんです。いつのまにかの視聴回数24万回越えです。1年半で20万回ほど再生されたことになります。ファイル名が「奏」だけという正体不明の動画ですから、松浦亜弥さんが歌っているってこと、分かってない人もいるかもしれません。


 他にも「島谷ひとみ」さんのカバーなどもあって、YouTubeにアップされているだけでもかなりの数になります。まあ、それぞれに良さもイマイチなところもあるのですけど、松浦亜弥さんのカバーの魅力ってどこにあるんでしょうか。
                                                             
 感情を込めているというならば、島谷さんのほうがこもっています。歌に気合いも入ってます。でも、松浦亜弥さんの、Cメロから大サビへの盛り上げかたは、さすがだと思います。最後を盛り上げて終わりたいから、初めは押さえぎみでってことなのでしょうか。決め球のストレートを速く見せるためにスローカーブから入るってやつですよね。

 でも、そんなことは、素人でも考えつくことです。何で、松浦亜弥さんの歌のときばかり感じられるんでしょうか。

 他のアーティストさんが盛り上げきっていないように感じるのは、最初から気合いが入っちゃているからじゃないかと思います。感情込めまくりと云うのは、聴いている側にとっては、感動を押し売りされているようなもので、合う人には良いんだろうけど、こっちが引いちゃう感じになるときがあります。聴き手の心に入り込むためには、やっぱりスローカーブから入るほうが良いんじゃないかと思うんです。
 力を抜くというのと、手を抜くというのは違います。70%の力でもしっかり歌う、あるいは、歌っているように思わせる、というのは、それを支えるだけの余裕、潜在的な歌唱力が必要となるわけで、そう簡単にできることではないと思います。松浦亜弥さんだって、マニアックライブⅤ以降のテイクでは、頑張らないと歌いきれないレベルになってしまったように思います。スローカーブが使えない。そこが、悪くないんだけど、何となく物足りない感じになっている理由かもしれません。

 4つめは、初音ミクです。こちらは、究極の一本調子。最後までスローカーブだけで勝負です。人間だったら、ここまで感情を抑えきって歌うのって、逆に怖くって出来ないと思いますよ。


 初音ミクの歌が「一週間フレンズ」のスライドに合っていますよね。僕は、このアニメは、あらすじ程度しか知らないんですけど、それでも感動してしまいました。あらすじ読みながら初音ミクの歌を聴いていると、泣きそうになるんですよ。やはり、アニソンにはボカロですね。年明けには、「川口春奈」さんの主演で実写映画版が公開されるようです。
 でも、「君が大人になああああってく」のところですよね。ここが上手く歌えてません。人間たちは、高音を出したときにファルセットになって軽く抜いたような感じに歌っているんですが、コンピューターだと、そのあたりの微妙な調教が難しいようです。もしかしたら、コンピューターのほうが、馬鹿正直に歌ってしまっているのかもしれません。人間は、そこの部分を誤魔化しているのにもかかわらず、逆に違和感なく聞こえてしまっているのかもしれません。雨宮さんの場合は、ファルセットというよりは、悲鳴り声に近いんですけど、わあっ可愛いって思わされちゃいます。

 初音ミクの可愛いテイクというと、こちらになります。


 典型的なボカロ歌唱ですが、声を裏返したりと、実験的な試みも多くって、そりゃあ生身の女の子の歌には敵いませんけど、かなりの努力賞だと思います。「君が大人になああっっってく」のところは・・・良しとさせてください。

 で、初音ミクでお終いというのも何ですので、最後にもう1つ。日本で最も過小(歌唱?)評価されているアーティスト「玉置浩二」氏とのコラボテイクです。


力の入れ具合は、60%ってとこでしょうか。それでこのクドさですから、恐れ入りますw

2016年11月1日火曜日

「酒飲み」考

 世の中に、お酒の好きな人は多いでしょうが、「酒飲み」とまで呼ばれる人は、多くは無いと思います。
 そう云う僕は、酒飲みでも酒好きでもありません。酒を飲んで記憶をなくすという話は、からっきし酒が飲めない僕には無縁のことです。僕は記憶をなくす前に、気分が悪くなってしまいます。乾杯のビールをやっと半分飲み終わった時に、また、満杯につがれて、振り出しに戻ってしまうのがツラいという人間なんです。
 結局、自分が酒を飲めないので、相手に酒をつぐことが苦手です。タイミングというか頃合いが分かりません。空になっているグラスを見ても、ついで良いものか、余計なことなのか、自分で勝手に悩んじゃうんです。で、面倒なので、飲み会の時は、つぎに回ることなどなく、席も動かず1人で座って料理を完食しています。

 僕のこのようなありさまは、母方の血筋を引き継いだためです。で、僕の父方の血筋というのが、これまた、どうしようもない酒飲みなんです。

 以前にも書かせていただきましたが、僕は、とある半島の、とある漁村で生まれました。僕の祖父は漁師でした。僕は、これでも漁師の孫なんですよ。

 幼い頃、僕の家での手伝いは、祖父さんの晩酌用の焼酎を買いに行くことでした。夕方になると、外で遊んでいた僕は、家に呼ばれて、空の小瓶と白銅貨を渡されます。それを持って、近所の酒屋へ行きます。すると、奥からオヤジさんが出てきて、小瓶に漏斗をさし、樽の栓を抜き、焼酎を注いでくれました。その間、僕は、ずっと黙ったままでしたが、毎日のことでしたから、別に問題はありません。それが、僕の、毎日の手伝いでした。

 僕が生まれるずっと前、焼酎を買いに行くのは、伯母の役目だったそうです。伯母は父(つまり僕の祖父)が毎晩酔っ払うのがとても嫌で、酒屋からの帰り道、こっそり瓶の蓋を開けて、ドブ川に少ーーし焼酎を捨てていたそうです。捨てると云っても気づかれない程度ですから微々たるものですけど、その子ども心、痛いほどよく分かります。

 祖父の家を出てからは、父親の晩酌用のビールを買いに行かされました。買い物かごを持って、大瓶3本を、近所の酒屋まで買いに行きました。僕は、親子二代の酒飲みに、毎日酒を買いに行かされた哀れな少年でした。

 なぜ、毎日酒を買いに行くのか不思議に思う方もいるかもしれません。でも、それが酒飲みの家なんです。酒飲みという奴らは、あればあるだけ飲んでしまいますから、酒の買い置きができないんです。で、毎日毎日、その日の分を買ってきて、飲み終わったらそれでお終い、というルールを作るわけです。
 よく、「ビールが好きだから、冷蔵庫にビールを切らしたことがない」なんて云いますけど、酒飲みの家では有り得ない話です。
 つまり「酒飲みの家に酒は無い」ということです。

 祖父さんは、何を思ったか、時々断酒をしました。子どもの僕には、分かりませんでしたけど、きっと酒で失敗をして、深く反省をしたんだと思います。一切飲まなくなって、牛乳屋に毎朝牛乳を配達させたりして、人が変わったようになりました。でも、何週間かすると結局飲むんですけどね。
 つまり「酒飲みは、時々、極端な断酒をする」ということです。

 祖父さんも、父も、毎晩のように酒を飲みました。でも、ほとんど、外で飲んだことがありません。父は、サラリーマンでしたから、会社の付き合いがありましたが、漁師の祖父さんにいたっては、外で飲んできたという記憶が全くありません。家で飲めば、家族から嫌がられるわけで、そのうち喧嘩が始まるんですけど、それでも毎日、家飲みをしていました。理由は簡単です。外で飲むと高くつくからです。酒飲みは、酒場の雰囲気なんて関係ありません。酒が好きなんですから、同じお金でたくさん飲める、家飲みをすることになります。
 つまり「酒飲みは、外では飲まない」ということです。

 よく、息子が大人になったら、一緒に酒を飲むのが楽しみだ、なんていう、ほのぼのとした話がありますけど、僕は、一度も酒を勧められたことがありません。大人になってからも「一緒に飲むか」なんて言われたことがありません。理由は、お分かりですね。人にやったら、自分の飲み分が減るからです。酒はつぎつつがれつ、なんて云いますけど、酒飲みには、有り得ない話です。酒飲みは、手酌ですし、基本、相手につぐこともしません。
 つまり「酒飲みは、人に酒を勧めない」ということです。

 それから、不思議なことですけど、父は、祖父と同居している時期は、家では酒を飲みませんでした。親子で酒をつぎあっている場面など見たことがありません。父が酒飲みとしての本領を発揮するのは、別居してからです。
 どうやら「酒飲みは、一家に一人しか存在できない」ようです。

 子どもの頃は、当然のことながら、酔っ払いが嫌いでした。臭いし、しつこいし、何より、目が据わってきて、人が変わってしまうのを見せられるのがイヤでした。
 そんな僕も、今では、たまにお酒を飲もうかなって思うときがあります。スーパーマーケットのビール売り場で、期間限定とか云う美味しそうな缶をみると、ふらふらっと買ってくることがあります。で、冷蔵庫に冷やしておくんですけど、結局、何週間も入れっぱなしになって、いつの間にか、無くなっています。
 それから、酒を飲んで騒いでいる人を見ると、羨ましく思えるときがあります。たわいもない話で盛り上がって、楽しそうです。まあ、そのレベルで止まってくれれば問題ないんですけど、酔っ払いと云うのは、そのうち、くだを巻き始めますからね。でも、酔っ払うって、どんな心持ちなんでしょうか。

 祖父さんが67才の夏のことです。やたらと疲れを訴えるようになり、やがて寝付いてしまいました。村のお医者さんに往診に来てもらいましたが、病状は悪くなる一方でした。お医者さんは、「もう、息子さんも立派になられてますから」なんて言い出す始末でした。
 でも、さすがに、このままほっとくわけにはいかない、ということになって、救急車を頼んで、峠を越えた町の病院へ連れて行きました。病室に入れられ、点滴につながれた祖父さんは、さかんに喉の渇きを訴えました。子どもだった僕らは、病室から出されましたが、祖父さんの水を欲しがる声は、廊下にまで聞こえてきました。ようやく静かになったと思ったら、ほどなくして祖父さんは死んでしまいました。病院に着いてからわずか数時間のできごとでした。病名は、おそらく十二指腸潰瘍だろうとのことでした。

 祖父さんが、死ぬ間際に飲みたがっていたのは水でした。ですから、今でも仏壇には、酒ではなく、水が供えられています。

2016年10月30日日曜日

スキマスイッチ「全力少年」feat. 初音ミク&GUMI

 スキマスイッチです。特にファンというわけではないのですが、好きなんです。歌詞も面白いし、ピアノの弾き語りデュオって云うんでしょうか。アフロヘアーはやめてしまったみたいですけど、ピアノのお兄さんが、相変わらずピアニストらしからぬ風貌なのも良い感じです。
 だけど、アルバムを持っているわけでもないし、もちろんライブに行ったこともありません。知っている楽曲って云っても「全力少年」と「奏」くらいなんですけどねw

 YouTubeにもいくつかテイクがアップされていますけど、漁った中では、これが一番だと思いました。ベースラインが強調されていてライブ感というか、バンド感が良く出ています。久しぶりにバンドでも組んで、キーボード弾きたいなって思わせてくれるテイクです。メインのボーカルのお兄さんは、以前はギターを持っていたように思ったのですが、違いましたっけ。


 作詞・作曲が2人の連名なんて、ビートルズみたいです。ビートルズは、直に形式的なものになってしまいましたけど、彼らは、今も仲良く二人で相談しながら楽曲を制作しているんでしょうか。

 で、ボーカロイドカバーでは、これが僕的ベストです。2009年投稿ですから、初期の作品で、ボカロ感丸出しの調教なんですけど、無理に人間に近づけようってしてないところ、開き直っていることが、成功していると思います。


 高音へ上がるところなんて、人間だったら有り得ない歌わせ方ですし、息継ぎもほとんどありませんけど、この楽器っぽさが、妙な安心感につながります。此の手の楽曲を何曲か集めて、仕事用のBGMとして聴くと、邪魔にならなくって良いんですよ。それと、歌に合わせて適当に出てくるイラストのスライドが、不思議と楽曲のイメージに合っているんですよね。

 今回は、もう一つ。同じくボーカロイドカバーですけど、「GUMI」によるテイクです。こちらは、先のと好対照で、人間の歌唱に少しでも近づけようと云う意図が伝わってくるテイクです。


 イマイチな部分が多々あることは否めませんけど、だったらお前やってみろ、って云われたら返す言葉がありません。かなりの努力賞だと思います。
 カバー曲っていうのは、オリジナルと比べられる宿命があるぶん、ボーカロイドの歌唱技術を高めるには、大切な試みだと思いますけど、最近は、こういうことをやってくれるオタさんも減ってしまったようで残念に思います。

 ボーカロイドカバーって、オリジナルのファンであるオタさんの作品と、そうで無いオタさんが作ったものでは、歴然とした差があります。心を込めてボーカロイドに歌わせるというのは、心を込めてピアノを弾くということと同じ行為だと思います。
 まあ、将来、AI技術が応用されて、初音ミクが歌詞を読み込んで、感情表現を自らの判断で出来るようになれば別ですけど、そのためには、歌で感動させるということの根本的な部分を数理的に解明していく必要があるわけで。人間が何不自由なく出来ていることを、何でわざわざ機械にさせなくてはならないのか疑問に思う人も多いと思いますが・・・。

 神は、自らの姿に似せて、人間を創ったという。
 ならば、人間は、自らに似せて、何を造る。

2016年10月23日日曜日

「オシャレ!」松浦亜弥 ~ハロプロファンの皆さん、これが本家ですよ~

 僕がファンになった時には、松浦亜弥さんは、既に、まあ、こんな状態でしたので、ファンとしての活動は、YouTubeの動画にコメントを書き込むくらいのものでした。せっせと書き込んでいたコメントの多くは、消えて無くなるか、下の方に沈んでしまいましたけど、今でもたまーーーーーに読んでくれる人がいるみたいで、Googleからお知らせメールが届きます。で、ここ数日間の出来事なんですけど、「オシャレ!」の通知が続けて何通かきました。何が起きたのだろうって、久しぶりに動画を覗いてみたら、視聴回数も10万回を越えてたんですね。再生されていると云っても、ホントにささやかなことなんですけど、ちょっと嬉しくなりました。
「オシャレ!」は、デビューシングルの候補にも挙がっていたと云うくらいですから、それなりに名曲ですし、ファーストアルバムの収録曲の中でも、人気の曲です。といっても、シングルカットされたわけではありませんから、一般的には、全く知られていないし、何で今頃、注目されているのか不思議に思っていたのですが、どうやらこれが原因のようですね。


 ハロプロファンが、松浦亜弥さんのテイクを訪問していたんですね。「やっぱ本家は違う」とか書き込んでありました。では、本家を。


 15才ですからね、本当に、人前に出て歌うために生まれてきたような子だと思います。半年後がこれです。


 こちらのテイクは、声が出ないようで、若干キツそうですが、振りは大きいし、健康的で、僕は、良いと思いますよ。最近は、グループアイドルですから、振りもこぢんまりしているし、そうでなければ、パフォーマーに任せちゃってるかですから、此の手のステージって、ホントに少なくなってしまいました。

 で、サビのところで、右手を左右に振るんですけど、会場のオタさんたちの振り方が、バラバラなんですよね。手を振るときに、鏡でするのか、コピーでするのか、統一されていないんですよ。初音ミクやアニソンライブでは、ほとんど鏡で手を振ります。理由は、その方が簡単だからです。でもハロプロのライブでは、振りコピをするという伝統があるみたいで、鏡でない、正しい振り付けで全部マネしているんですよね。で、結果的に、鏡とコピーがごちゃ混ぜになっているようです。


 2008年のライブのMCによりますと、どちらかに統一したいけど、双方の主張が平行線で決まらないから、松浦亜弥さんに決めて欲しいという訴えがあったそうです。松浦さんは、「そんなのどうでも良くない?」って取り合いませんでしたけど、このライブテイクを見ていると、明らかに手と手がぶつかり合っています。お互い信念を持っているので、譲り合いません。この問題が、ファンにとって、いかに切実なことだったかが分かります。

 でも、この2008年のテイクでは、手を振る前に、明らかにアピールしていますよね。「今から、手を振るから、準備してね」って感じで。ということは、このお手振りは、振り付けでなっくて、観客へのリードです。ならば、素直に鏡で手を振る方が良いということになります。ですから、次のライブでは・・・?

 久しぶりの松浦亜弥さんの記事だというのに、どうでも良いことを書いてしまいました。

2016年10月14日金曜日

船舶画家「上田毅八郎」追悼展によせて ~神と呼ばれた二人の箱絵画家~

 展覧会の会場、静岡ホビースクエアの売店で買ってきたウォーターラインです。ネットでも買えますけど、こういう物は、テンション物ですから、やはり売店で買ってしまいます。小さい箱が駆逐艦「暁」、大きい箱が巡洋艦「熊野」です。「暁」の箱絵の作者は「小松崎茂」氏、「熊野」の作者が「上田毅八郎」氏になります。箱絵画家の双璧と称された両氏の作品を並べて写真を撮らせていただきました。


  何十年ぶりかで、ウォーターラインを組み立てました。1/700スケールですから、探照灯なんて、米粒よりも小さいんです。でも、タミヤの模型は、どんなに小さい部品でも穴や突起がついていて、ビシッとつけることができます。プラモデル用セメントも昔よりも品質が良いみたいで、ストレスもなく、作っていて気持ちが良かったです。タミヤは金型を外注せず、昔から自社製だそうですけど、改めて、高い技術に脱帽です。
                                
  赤は情熱、青は精密を表しているそうですよ。

 田宮俊作氏(現タミヤ会長)が大学を卒業し、父親の経営する木材模型会社(田宮商事)を手伝い始めたのが、昭和33年。俊作氏は、単純なラベルが貼ってあるだけだった模型の箱に、専門家に描いてもらった軍艦の原画を、写真製版で印刷することを思いつきます。クオリティの高い箱絵をつければ、店頭に並べた時に人目を引き付けることができるし、模型の商品価値も上がると考えたからです。
 そこで、俊作氏は、当時同じ町内に住んでいた「上田毅八郎」氏を訪ねます。毅八郎氏は、塗装業を営む傍ら、趣味で軍艦画を描いていました。氏が描く精密な軍艦は、近所でも評判となっていたからです。毅八郎氏は、俊作氏の申し出を快諾します。

 「上田毅八郎」は、1920年、静岡県藤枝市生まれ、小さい頃から乗り物が好きでよくスケッチをしていたそうです。父親の営む塗装業を手伝った後、召集され、陸軍の徴用輸送船に高射砲兵・機銃士として乗り込みます。従軍していた3年8ヶ月の間にジャワ島、アリューシャン列島、ラングーン湾など南・北太平洋からインド洋まで転戦します。毅八郎氏は、見張りなどの軍務の傍ら、乗船やすれ違う艦船などを軍事郵便ハガキにスケッチしていたそうです。上官の目を盗んで、1枚を数分で描き終え、描いたスケッチは弾薬庫に隠していたそうです。軍艦のスケッチなんて、スパイ活動と疑われれば、大変なことになると思いますが、描きたいという衝動を抑えきれなかったのでしょう。
 毅八郎氏が、海戦の場となった様々な海や空の色、船の速度による煙のたなびき方や波の切り方の違いなどを描きわけることができるのは、氏の従軍による実体験があればこそだと云われています。見張りの時に、見たこともない巨大な戦艦が二隻並んでいるのを見たそうですが、それが「大和」と「武蔵」だったそうです。実戦配備された本物の大和と武蔵を見たことのある人が、絵を描いているんですから、敵うはずがありません。

 毅八郎氏は、26隻の輸送船に乗船し、6回撃沈されたそうです。6回目の撃沈の際に、右腕と右足に大怪我をし、利き腕の自由を失います。復員した毅八郎氏は、ペンキ職人として、看板の文字などを書く仕事の傍ら、趣味として艦船などの絵を「左手」で描き続けていました。
 俊作氏の申し出を受けた毅八郎氏は、日本で最初のボックスアーティストとなりました。

 まもなく、模型は、プラモデルの時代になりました。田宮模型もたくさんのプラモデル商品を発表していきます。しかし、毅八郎氏はあくまでもペンキ職人であり、箱絵画は副業でした。仕事が終わってから描く絵の数には、限界がありました。プラモデルの時代になって、タミヤは小松崎茂氏にも箱絵の依頼をするようになります。

 「小松崎茂」は1915年、東京生まれ、最初は、日本画家を志しますが、転じて、挿絵画家の道を歩むようになります。戦時中から、戦争物や空想科学を題材にした絵物語や挿絵を描き、戦中、戦後を通して、空想科学イラスト、メカイラストに関しては、絶大な人気を博していました。
 タミヤにおける小松崎氏の功績の1つが、モーターライズ戦車プラモデル「パンサータンク」の箱絵です。経営的にも苦しかった当時のタミヤが、社運をかけて制作したのが、モーターで走る戦車のプラモデルでした。氏が描いた「パンサータンク」の絵からは、硝煙やオイルの匂いが漂うようだと云われ、小松崎氏の画力とタミヤの模型技術によって製品はヒットし、タミヤの経営が軌道に乗るきっかけとなりました。


やがて、タミヤは、海外への輸出に力を入れるようになります。そこで懸念されたのが、模型の内容と箱絵のギャップでした。箱に入っていない物を箱絵に描くことは、外国、特にアメリカの消費者団体などから不正表示とされる恐れがありました。タミヤは、商品イメージを膨らませるダイナミックでドラマチックな箱絵から、精密な資料性の高い箱絵への転換を行います。
 小松崎氏のタミヤでの箱絵の仕事は1971年、1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦が最後となりました。最初に貼りつけさせていただいた模型の写真がそれにあたります。
 
 代わって、ウォーターラインシリーズの箱絵を手掛けたのが、上田毅八郎氏でした。毅八郎氏は、この頃、塗装業をやめ、画業に専念するようになります。ウォーターラインシリーズは、静岡の模型会社4社の協同企画製品ですが、毅八郎氏は、それらの箱絵のほとんど全てを担当することになります。
 小松崎氏を芸術家だとすると、毅八郎氏は職人でした。小松崎氏の描いた箱絵には、画家としてのサインがありますが、毅八郎氏の絵には、ほとんどサインがありません。そんなところからも、両氏の作画に対するスタンスの違いが現れているように思います。

 小松崎氏は、タミヤの仕事から手を引いた後も「バンダイ」など国内市場が主力の模型メーカーの箱絵を担当します。特に「今井科学」の「サンダーバード」シリーズは、氏の代表作になりました。小松崎氏のダイナミックで夢にあふれた構図は、アニメ・特撮物の箱絵にうってつけでした。


 小松崎氏が戦後もメカイラストを描き続けたのは、進駐軍の兵士に物乞いをする日本の子供たちの姿を憂いたからだと云われています。氏は、子供たちに夢を与えるためにイラストを描き続けました。夢を与えられた子供たちは大人になり、未来への夢を描くイラストレーターや漫画家になりました。氏のイラストは、現在のアニメ界に多大な影響を与えたと云われています。アニメの原点は「手塚治虫」氏にありますが、メカニックデザインに関しては、その原点は、小松崎茂にあります。

 上田毅八郎氏もまた、船舶の絵を描き続けました。氏の絵から伝わってくるのは、艦船に向けられた強い想いです。ウォーターラインの箱絵の軍艦は、北太平洋の鉛色の海や、南洋のセルリアンブルーの海を進んでいます。ウォーターラインの箱絵に、戦っている軍艦が描かれることはありませんでした。氏は、軍国主義者でも、反戦画家でも無く、ただ、単純に、軍艦が好きだったのだと思います。田宮俊作氏は、追悼文をこう結びました。「これほど日本帝国海軍の艦船を愛情をこめて見事に表現された方が、あったであろうか。」と。




 僕の買ってきたウォーターラインですが、二人の画家について知っていて選んだのだったら格好良かったんですけど、実は偶然なんです。買ったときは、2つとも毅八郎氏の絵だと思っていました。で、家に帰って見てみたら、箱絵のサインが違うじゃありませんか。それで、小松崎氏のことをいろいろと調べて、今回の記事になったというわけです。ぶっちゃけ、ウィキペディアの毅八郎氏と小松崎氏の項目を足して割ったものに、ちょびっと付け加えてできたのが、この記事です。

 小松崎氏がタミヤの仕事から離れた時期と、毅八郎氏が画業に専念する時期が一致しているのは、偶然なのか関係があるのか、僕には分かりません。ただ、タミヤでは、その後も、小松崎氏に教えを受けた、いわば弟子にあたる人たちが仕事をしています。小松崎氏は、当時、多忙を極めていましたから、喧嘩別れをしたというよりも、代われる人があれば、代わりたかったと云ったところだったのかも知れません。

 小松崎氏の華々しい業績に比べると、毅八郎氏の地味な印象は否めません。これは、小松崎氏が画家に師事し、若いときからプロの絵描きとして活躍したのに対して、毅八郎氏は人生の大半をペンキ職人として過ごし、画業に専念したのが50才を過ぎてからだったためです。
 毅八郎氏の葬儀は、家族葬で行われ、その死も田宮会長など極めて親しかった人にしか伝えられませんでした。しかし、その死を知った人たちから、多くの追悼の言葉が寄せられ、追悼展を開くに至ったことは、氏の業績が決して小さなものではなかったことを表していると思います。上田毅八郎の名前を知らなくとも、ウォーターラインの絵を描いた人だと聞けば、「ああ」と思い、展覧会に足を運んだ人も多かったと思います。

 名が広まることはなくとも、その業績は確かに世に残りました。毅八郎の人生は、正に、職人の人生そのものであったと思います。

2016年10月10日月曜日

船舶画家「上田毅八郎」追悼展 ~作品紹介編~

  「艦これ」の記事でも書かせていただきましたが、僕は、子どもの頃、海軍オタクでした。旧日本海軍の艦名をほとんど覚えていましたし、写真を見て艦名を当てることもできました。当然のことながら、プラモデルのウォーターラインシリーズを集めていました。僕は、艦艇が描かれたプラモデルの箱絵にも魅了されていました。プラモデルを作ってしまうと、箱は不要になりましたが、捨てることができなかった僕は、絵の部分を切り取って、大事にとっておいたのを覚えています。

 箱の絵(ボックスアート)を手掛けていた人たちは、箱絵画家と呼ばれ、その出来は、プラモデルの売上げを左右するものでしたから、各社とも力を入れていたようです。その箱絵画家の双璧といわれていたのが「小松崎茂」氏と「上田毅八郎」氏でした。
 上田毅八郎氏は、今年の6月に97才で逝去されました。先週、追悼展が「静岡ホビースクエア」で開かれました。わずか10日間ほどの小さな展覧会でしたが、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられたためか、多くの人たちが訪れていました。
来場者は、プラモデルを作っていたようなマニアばかりでなく、一般の方も多かったように思います。お年を召された方が、家族に付き添われたりして、何人か来ていました。「天皇陛下から戴いた船に・・・」なんていう会話をしていましたから、どうやら、若い頃、海軍の兵隊さんだったようです。そうかと思えば、中学生くらいの女の子が、オタク的知識を披露していて、一体この子は、何をきっかけに海軍オタクになったのだろう、「艦これ」の影響だろうか、などと考えてしまいました。

 展覧会では、写真OKでした。「ご自由に撮って下さい。そして、拡散して下さい。作品を沢山の人たちに広めて下さい。きっと故人も喜ぶはずです。」とのことでしたので、僕もたくさん写真を撮ってきました。ただ、ほとんどの絵がパネルに入っていたものですから、蛍光灯などの映り込みがあって、僕の写真の腕ではちょっと力量不足でした。その中で、まあ上手く撮れたものをいくつか貼りつけさせていただきます。


 3本煙突が特徴の「軽巡洋艦」です。船体に錆が描かれているのが分かりますでしょうか。毅八郎氏の絵の最大の特徴は、リアルな描写にあります。氏は、太平洋戦争中に陸軍の高射砲兵・機銃士として輸送船に乗り込んでいました。各艦の波の切り方や船体の錆の出方などは、実戦で本物の軍艦を見ていた毅八郎氏だからこそ描けたと云います。
  「長良」型のようですが、主砲が対空砲に改装されています。調べてみましたら、どうやら軽巡洋艦「五十鈴」のようです。レトロな感じの3本煙突と近代的な対空兵装のアンバランスな感じが面白いです。それにしても、綺麗な海の色です。毅八郎氏は、船を描く前に、まず海や空を描いたそうです。


 こちらは、主砲が単装砲になっています。このタイプの巡洋艦は、旧式で地味でしたので、子どもの頃は、あまり格好いいと思いませんでしたが、大人になって良さが分かってきたように思います。背景も地味で、渋い感じです。「単装砲って、何気に侘び寂び」ってのは「艦これ」の台詞ですが・・・スミマセン、今回は「艦これ」の話は封印します。


 こちらは、新型の軽巡洋艦「阿賀野」型です。同じ軽巡洋艦でも印象がだいぶ違います。新型といっても、この船が就役した時には、すでに航空機戦の時代になっていました。


  僕が、軍艦の中で最も美しいと思っている「重巡洋艦」です。最上型のようです。時化の中を進 む巡洋艦の艦首を波が洗っています。毅八郎氏は、どのくらいの時化だと何処まで波を被るかが分かっていたそうで、決して、想像で描いているのではないとのことです。                                


夕日をバックにした。停泊中の重巡洋艦「鈴谷」です。プラモデル屋さんで、こんな箱絵を見たら絶対欲しくなりますよね。毅八郎氏の箱絵には、戦闘の場面というのが、ほとんど無いのも特徴の1つだと思います。朝焼けだったらごめんなさい。


僕の大好きな巡洋艦「熊野」の原画です。


で、実際の箱がこれです。売店で買ってきました。プラモデルを買うなんて何十年ぶりかです。当たり前のことですけど、「あ、絵が同じだ」って思いました。この箱も捨てられそうにありません。
 主砲が15.5cm3連装砲ですから、重巡洋艦に改装される前の型がプラモデルになっています。この型の巡洋艦は、後に主砲が20.3cm連装砲塔に換装され、重巡洋艦になりますが、15.5cm3連装砲は、かなり使い勝手の良い大砲だったようで、交換される際、砲術士達は、名残惜しがったと云います。撤去された主砲は、「大和」や「武蔵」の副砲として転用されたそうです。


次は、航空母艦です。たぶん「蒼龍」だと思います。先ほど、艦名を全て当てられると云ってしまいましたが、自信がなくなってきました。



艦橋の形からすると、「隼鷹」のようです。同型艦の「飛鷹」かもしれませんけど、「飛鷹」はウォーターラインのラインナップには無いようですから、「隼鷹」だと思います。今頃、何でこんな推理をしているかと云いますと、写真を撮ることばかり一生懸命で、艦名が書いてある札をほとんど見てこなかったからです。
 アメリカの航空母艦みたいなデザインですね。子どもの頃の僕は、空母では正規空母の「翔鶴」「瑞鶴」が好きでした。「隼鷹」は改装空母で地味なイメージだったので、あまり注目してませんでしたが、改めて見るとなかなか格好いいです。プラモデルが欲しくなりました。


駆逐艦です。艦名を推理するのは、あきらめました。会場で出会った女の子なら、きっと言い当てられると思います。


駆逐艦「雪風」です。これは、絵のタイトルをちゃんと見ましたから間違いありません。二番砲塔が機銃座に改装されているので、戦争後期の姿のようです。「雪風」については、以前、記事にさせていただきました。軍艦は、残された資料や写真を見ればある程度正確に描けると思いますが、駆逐艦が進むときの波形などは、余程の確信がなければここまでダイナミックには描けません。「これ、ありえないでしょう」なんて云おうものなら、怒鳴られるでしょうね。本物が海原を進んでいるところを見たという毅八郎でなければ描けない作品だと思います。

 この他にも、戦艦の他にドイツ海軍、アメリカ海軍などの外国の艦艇の絵もたくさんありました。

  上田毅八郎氏は、従軍していた3年8ヶ月の間、赤道近くの南国の海から、極寒の北太平洋まで転戦しました。毅八郎氏は、海戦となった様々な海の色を覚えていて、描き分けることができたそうです。
 乗船した輸送船は26隻。撃沈されること6回。6回目の撃沈の時、右腕に大怪我をして利き腕の自由を失います。ですから、ここに展示されている絵は全て、利き手では無い左手で描かれたものです。戦争で片腕を失うというと、漫画家の「水木しげる」氏を思い浮かべますが、6回も海に投げ出されて、生きて帰ってきたというのは、奇跡としか云いようがありません。


 毅八郎氏は、輸送船の絵を何枚も描いたそうです。残された写真や資料もほとんど無いなかで、毅八郎氏は、戦地でこっそり描いたスケッチと自らの記憶をもとに、失った多くの戦友を想いながら、輸送船の絵を描き続けたそうです。

 上田毅八郎氏がプラモデルの箱絵を描くようになった経緯については、次回ということで。
 今日は、ここまでにさせていただきます。

2016年10月3日月曜日

原田知世「時をかける少女」「ドント・ノー・ホワイ」~奇跡の40代の奇跡の歌声~

 以前、「時をかける少女」の記事でも取り上げさせていただいた知世ちゃんですが、現在NHKで放送中のドラマ10「運命に、似た恋」で斎藤工君と共演するなど、ここのところ、活躍が目立っていますね。ドラマの視聴率も上々、相変わらずの可愛らしさで「奇跡の40代」なんて言われているようです。ドラマの設定では、45才とのことですが、実年齢は、現在48才。この感じでは「奇跡の50代」となるのも確実かと思います。

 まずは、デビュー当時の映像を。伝説の「時をかける少女」、15才の時のテイクです。ちゃんと口パクのテイクを探してきましたから、安心してお聴きください。


 無くなってしまいましたね。では、こちらを。尾道の素敵な街並みとともに。




 口パクで合ってますよね。

 まあ、女優さんですから、歌はそこそこでも、と言いたいところなんですけど、肝心の演技も、ド素人って感じでしたからね。って云うか、ホントに素人だったと思います。田舎から純朴な素人を連れてきて、いきなりカメラの前に立たせて、演技させたり歌わせたりしたって感じです。ところが、それが不思議と嫌悪感を抱かせること無くって、許せちゃって、ハラハラ、ドキドキさせられながらも、応援したくなってしまう。もちろんタレントさんですから、自分を可愛く見せようという仕草もあるんですけど、あざとさが感じられないんですよね。しかし、笑って立っているだけで商売になってるんですから、良い時代だったと思います。大人数のグループで常に競わされている、今のアイドルにしてみると、信じられない話ではないでしょうか。

 2つめは、最近のテイク。「欅坂46」との共演のようです。



 あれっ、ピアノを弾いているのは、武部聡志さんじゃないですか。相変わらずアイドル絡みのお仕事にひっぱりだこのようですが、羨ましい限りです。ユーミンあるところに武部氏有りですね。

 それにしても、歌のキーが凄く下がっています。半音下げとかの話じゃないですよね。ってことは、オリジナルはかなり高いキーで歌わされてたということです。知世ちゃんが、サビのところで、声が裏返ってしまうのを聴かされて、下手くそだな、なんて思っていましたけど、もしかしたら、わざと高いキーにしていたのかもしれません。「作られた歌下手」だとしたら、いくら売れるためとはいえ、酷いことをする大人たちです。まあ、僕も、そんな状況で、はにかみながら歌う知世ちゃんを見て、応援してたんですから、まんまと戦略にのせられたってことなんでしょうけど。

 で、「欅坂46」でメインボーカルをとっている女の子は、「平手友梨奈」ちゃんという子だそうです。2001年6月25日生まれの15才ってことは、松浦亜弥さんがデビューした時には、まだ生まれてなかったってことですよね。それと、「あやや」と誕生日が同じなんですけど、このこと、友梨奈ちゃんは知っているんでしょうか。
 1つ目の知世ちゃんのテイクも、同じ15才なんですけど、比べてみると、いかに知世ちゃんがド素人だったかが分かります。欅坂さんも素人っぽさで売っているのだと思いますけど、全然違いますからね。
 でも、このツーショット、2人は親子以上の年の差なんですよ。知世ちゃんは、既に離婚されていて、お子さんもいないようです。ファンとしましては、こんな感じの女の子がいてくれれば最高だったんですけどね。そういえば、ドラマでもバツイチで、格好いい男の子のお母さんと云う設定でした。

 知世ちゃんは、コンスタントに音楽活動を続けていたようです。最近も、カバーアルバムを二枚ほど出していて、オリコンでTOP10に入るなど、結構売れているそうです。昔の知世ちゃんを知っているファンからは、これまた「奇跡の歌声」なんて云われてるようですけど。「作られた歌下手」という仮説が現実味を帯びてきましたよ。


 へえ~。良い感じじゃないですか。ダイジェスト版ですから、途中で切り替わってしまいましたけど、「Don't Know Why」なんてもっともっと聴いていたいと思いました。
 でも、歌唱力に関しては、化けたと云うよりは、あの頃の延長線上にあるように思います。もしかしたら、15才の知世ちゃんも、もう少し練習して、ちゃんとキーを合わせてあげれば、これくらい歌えていたように思えてきました。
 相変わらず声量は無いし、ただ丁寧に歌っているだけでなんですけど、「Don't Know Why」に関して云うと、松浦亜弥さんのテイクよりも、僕は良いと思います。もちろん、大人になってからの松浦亜弥さんが歌えば、きっと素敵な雰囲気を醸し出してくれるとは思いますけど・・・。

 こちらは、竹内まりやさんのカバーですね。公式ホームページにありました。


 こんなに歌が上手いとは思わなかった、って云うと松浦亜弥さんみたいですけど、似たような現象が知世ちゃんの周りでも起こっているようです。歌手「原田知世」の再評価って感じでしょうか。まあ、最初のハードルがめちゃめちゃ低かったですからね。あの頃は、知世ちゃんが30年後も歌っていて、ライブをするなんて思ってもいませんでした。
 今年も、11月には、全国4カ所でライブを行うそうです。ちょっと覗いてみたら、チケットは即完売みたいです。何てったって知世ちゃんですからね、コットンクラブやブルーノートを満席にするくらい簡単なことだと思います。セットリストは、ジャズやカバー曲が中心になるようですけど、「時をかける少女」もボサノバ・バージョンなんてのがあるそうですから、きっと歌ってくれることと思います。って云うか、時をかける少女は、最初っからボサノバっぽかったですかね。
 
 歌って不思議なものだと思います。誰のどんな歌が心に響くのかなんて、人ぞれぞれだし、どんなに歌唱力のある歌手でも、自分に合わなければ響いてきませんからね。「あやや」の歌は、疲れた心に活を入れてくれる応援歌でしたけど、知世ちゃんの歌は、心に寄り添って癒やしてくれるように思います。
 お終いは、「ドント・ノー・ホワイ」。カバーアルバムからのCD音源のようです。


 う~ん。ライブ動画の方が良いかな。でも、30年変わらない、この透明感。知世ちゃんが、ずーっと知世ちゃんのままでいてくれたことに感謝です。

2016年10月1日土曜日

「色覚障害」 ~僕がピンクの充電器を使っている、全く個人的な理由~

 僕は、色覚異常です。おかげで色々な面白い体験をしてきました。どうも色覚障害者は、自らの体験を語りたがる傾向があるようで、体験談が、本になったりネット上で公開されたりと、巷に溢れています。
 で、前回の左利きの話よりは、若干重くなりますが、僕も負けじと、記事にしてみることにしました。ただ、色覚障害というのは、かなり個人差がありまして、僕の体験が、そのまま他の人にも当てはまるとは限りませんので、そこのところだけは、ご配慮ください。

 よく誤解されるのですが、色覚障害だからといって、色が分からないわけではありません。色は、ちゃんと見えています。だから、紅葉に染まる山々や、神秘的な青い水を湛えた湖を見てその美しさに感動することもできます。問題は、色の中で識別が苦手なものがあると云うことです。
 例えば、黄色とレモン色があります。2つを並べれば、どっちが黄色かなんてすぐ分かりますよね。だけど、片方だけ見せられて、これはレモン色ですかって聞かれたら、一瞬、戸惑うと思います。
 色覚障害者の場合、同じようなことが、緑と赤などでおきます。赤は分かります。緑も分かります。ただ、赤と緑で判別しにくい時があるというわけです。

 僕は、顔色の変化がよく分かりません。「何となく顔色悪いんじゃない」なんて言いますけど、僕はその何となくがわかりません。
 あと、「その肉、少し赤みがかっているから生焼けだよ。」がわかりません。だから、家族で焼き肉屋に行くと、「これ焼けてる?」「これ食べられる?」って聞きます。いちいち聞かれると向こうも煩わしいみたいで、最近は「ここからこっちの肉は、全部焼けてるから大丈夫」って、向こうから先に教えてくれます。
 職場の仲間で焼き肉屋に行ったときは、悲惨でした。僕は、生焼けがイヤなので、大丈夫かな、大丈夫かなって感じで、焼けるのを待っていました。生焼けより焼き過ぎの方がマシですから、どうしてもしつこく焼いてしまいます。そしたら、目の前の肉をどんどん取られてしまったんですよ。いつまでも、焼いているんで、食べる気が無いと思われたみたいです。「これは僕のだから取っちゃダメ」なんて言うのも大人げないし。まあ、その時は、色覚以外の全感覚を総動員して対抗しました。

 ピンクと緑は、普段は間違えません。緑は暗くて、ピンクは明るいからです。でも、ライトグリーンみたいになってくると困ります。それから、鮮やかな緑と薄汚れたピンクなんてのも、ちょっと困ります。
 僕が学生の頃、ブックバンドで教科書なんかを縛って持ち歩くのが流行ってました。僕が買ったブックバンドは、白に少し色が付いたやつでした。自分の感覚では、アイボリーかベージュのつもりでした。で、そのブックバンドを使い始めて半年くらいたった時のことなんですけど、「あのさ、今までずーっと気になってたんだけど。お前、何でピンクのブックバンド使ってんだ?」って言われたんです。アイボリーじゃなくってピンクだったんですよ。何か、凄い拘りを持って使っているかの印象を、周りに与えていたようで、密かに噂になっていたみたいです。でも、人間の感覚というのは不思議なもので、そう言われた瞬間、僕にもブックバンドがピンクに見えたんですよ。
 この前、携帯の充電器を買いに行きました。いろいろ並んでいたなかで、ライトグリーンっぽいやつを買ってきたんですけど、家族に見せたら、これはピンクだって言うんです。何年ぶりかで、同じ失敗をしてしまいました。
 でも、ブックバンドも充電器もちゃんと使い続けましたよ。

 色の識別で厄介なのは、LEDライトみたいに光っているやつです。どの色も眩しく光っているので、明度による区別ができないんです。
 僕にとって一番身近なLEDライトと云えばペンライトです。みなさんご存じの通り、ライブでは、初音ミクはグリーン、巡音ルカはピンク、鏡音リンはイエローっていうふうにタレントごとに色が決まっております。で、みなさん、登場してくる子が変わる度に、ボタンをパチパチ押して色を切り替えているんですけど、僕は、自分の出している色に、ちょっと自信が持てないときがあるんです。初音ミクが歌っているのに、1人でピンクのライト振ってたら恥ずかしいじゃないですか。で、青は絶対間違えませんから、これを基準にして、緑は青の次の次、ピンクは青の1つ手前、みたいに順番で覚えています。ですから、出てくる子が変わる度に、一度青に戻してから、緑は青の次の次って思いだしながらパチパチしているわけです。時々、押しすぎることがあるんですけど、そう云う時は、もう一度青に戻ります。時には、緑をだすために何周もしてしまうことがあります。周りから見ると、「何であいつ、いちいち下を向いて、全部の色を順番に出してんだ」って思われてるかも知れません。
 それから、今年のライブなんですけど、途中で、イエローとオレンジの順番が分からなくなってしまったんです。しかも、鏡音リンとレンでイエローとオレンジを使い分けていたはずなんですけど、どっちがどっちの色かも忘れてしまいました。周りを見て、同じ色を出そうとしたんですけど、分かりません。で、よーーく見たら、何だかごちゃ混ぜなんですよ。家に帰ってネットで調べてみたら、リンがイエローって記述と、リンの方がオレンジって記述があるんです。なんてテキトーなライブなんでしょう。悩んで損した気分です。

 5色のペンライトでさえこうなのですから、パソコンの文字色選びは、もうあきらめています。家族を呼んで「この中で一番薄いピンクってどれ」なんて聞いてます。以前、カーソルを色見本の上に置くと、色の名前が表示される機能のやつがあって、感動しました。カラーユニバーサルデザインって言うそうです。

 色覚障害者の間で必ず話題にあがる物に、東京の地下鉄路線図があります。全部で13路線あるそうです。パステルカラーっていうか、淡い中間色をふんだんに使って、とっても綺麗なんですけど、これが判別しにくいことこの上ありません。図と索引を見比べるのが大変なんですよ。ただ、この路線図は、有名になったおかげで、カラーユニバーサルデザインの実験台となって、いろいろと改良されているようです。


 他には、黄色や赤の点滅している単眼の信号機とか、充電終了を色の変化で知らせるLEDランプなど、1つ1つ取り上げているとキリがなくなってしまいます。

 色覚障害者の体験談で必ず語られるのが、学校の図画工作の授業でのできごとです。絵の具の混色、よーく見て、その通りの色を作って塗る、ということができません。色は見えているのですが、どの色をどう混ぜればその色が作れるのかと云うことが、感覚的に捉えられないんです。だから、色塗りの時は、概念で塗るようになります。空だから青く塗ろう、木の葉だから黄緑にしようって感じです。
 子どもの頃、神社へ写生会に行きました。下絵が終わって色塗りを始めたんですけど、近所のオジさんが僕らの描いた絵を覗きに来ていて、あーだ、こーだとお節介を焼いていました。
 僕は、神社の柱が日の光に照らされてるのを見て、これを表現しようって思いました。柱は、茶色に決めました。で、光の当たっているところは、眩しく光っているんだから黄色にしようと考えたんです。つまり、僕は、神社の柱を茶色と黄色で塗り分けたんです。そしたら、そのオジさんが僕の絵を見て、「黄色は、無いだろう」って言ったんですよ。まあ、僕もその時は、「そりゃそうだろうな」って思ったんですけどね。
 顔の色を塗るときも、自分で混色して作りなさいって云う先生が多いんですよ。折角、はだ色の絵の具があるのに使わせてくれないなんて・・・w

 中三の時のできごとです。高校受験が近づいてきたので、先生たちが面接官役になって面接の練習が始まりました。先生は、用意された質問の中から、理系と文系とどちらに進みたいのかって聞きました。理系小僧でミリタリーオタクだった僕は、迷うことなく理系に進みたいですって答えました。そしたら、面接官役の先生は、「はあっ」て顔をして、「あのさあ、お前は色弱だろ。だからこう云う時は、文系に進みたいですって、答えなさい。」って言ったんです。若い数学の教師でした。挫折感なんていう高級な感情で無くって、普通に衝撃でした。そりゃあ、今までいろいろな失敗はしてきましたけど、色覚障害であることが、そこまで深刻な問題であるなんて、思いもしてませんでしたから。
 家に帰って、母にこのことを話しました。母は、何も言いませんでした。今思えば、余計なことだったと思います。そんなことを言ったところで、どうなるものでもないし、結局、悲しんでしまう人を1人増やしただけのことなんですから。
 
 高校に進学して、僕は理系に進みました。別に中学校の先生に反発したわけでは無くて、ただ単に、国語と英語の成績が悪かっただけのことです。高校時代、僕の最も得意な教科は、皮肉なことに化学でした。僕は、化学に関しては自信がありました。かなり難しい受験問題も解くことができました。でも、この分野には進めないことは分かっていました。色覚異常者は不可という学部や学科も多かった時代です。理系で色覚障害が問題にならない分野は数学科でしたけど、数学は好きではありませんでした。僕は、その頃始まったばかりの、情報関係の学部や経営工学、数学科でもあまり数学ぽくない統計学や応用数学の学科を受験することにしました。

 大学では、地質学のサークルに入りました。山登りがしたかったというのが理由です。採取した岩石で薄片を作り、偏光顕微鏡を使って鉱物を調べるという活動に参加しました。偏光顕微鏡を覗くと、様々な鉱物が光り輝いていてとても綺麗でした。先輩は、偏光板を操作しながら、微妙な色の変化による鉱物の見分け方を教えてくれましたが、僕には分かりませんでした。「この分野には進めないな」と思いました。でも、それは全くの想定の範囲内のことでしたから、別にショックでも何でもありませんでした。山登りをしたいから入ったサークルですから、辞めるつもりもありませんでした。岩石ハンマー持って、あっちこっちの火山を巡検してまわって楽しかったです。

 色覚障害者に対する排除の論理は「何かあったら困るから」という考えが元になっています。点滅信号が分からない者に運転免許を与えて良いのか。肉が焼けたか分からない者に調理師免許を与えて良いのか。顔色が分からない者に医師免許を与えて良いのかって云う具合です。看護師、警察官、公共交通機関の運転手などたくさんの職業で就業制限がありました。
 しかし、色覚障害者と云っても様々ですし、色の判別が苦手でも他から得られる情報で、信号を見分けたり、肉を焼いたり、相手の体調を判断したりできます。日常生活において、色覚障害者が周りの人にほとんど気づかれることが無いのは、そのためです。

 今では、色覚障害に対する考え方も随分変わりました。以前のような門前払いは無くなりました。「色覚異常」を「色覚特性」と呼び換えようと云う意見もあります。入試や就職の際に提出する健康診断表から色覚の欄は削除されています。学校では、もう色覚検査はありません。過去の厳しい就業制限への反発が大きな揺れ戻しになっているかのようです。

 当然のことですが、学校で行われた色覚検査、悪名高い「石原式色覚異常検査」は、好きではありませんでした。最初の1枚目から分からないって言ってるのに、何枚も見せられて、何度も分からないと言わされるのは、つらいものです。でも、それ以上に「これが分からないんだ」って思われていることがイヤでした。先生は、そんな感情を顔に出さないように気をつけていてくれたと思いますけど、出さないようにしようっていう態度って、伝わってきてしまうんですよね。
 僕が受けている人間ドックでも、何故か色覚検査があって、「分からない」って毎回言ってました。僕が分からないって言うと、最近は、看護師さんや検査技師さんの方が恐縮してしまって、「いいんですよ、子どもの時から分かっていますから」って僕が慰めていました。今年もやったんですけど、後で、「スミマセン、今年から検査が無くなっていました」って、また恐縮されてしまいました。あの看護師さんたちの表情が見られなくなってしまうと思うと、それはそれで寂しく思います。

 心配な報告が報道されていました。現在では、色覚異常の子どもの半数が異常に気づかぬまま進学や就職時期を迎え、その6人に1人が進路の断念などのトラブルを経験しているそうです。
 これは、障害者への差別を無くす方法として、「色覚異常は障害では無い。」「色覚異常者はこの世に存在しない」ってことにしてしまったからです。カラーユニバーサルデザインを取り入れるよう進めているから、色覚異常者は困らないはずだ、だから、色覚検査は必要ない、という論理です。しかし、過去に検査が差別を生んでいたからと云って、差別をなくす手段として検査を廃止する、と云う論理が正しいとは思えません。先の報告は、音痴である人が歌手になって初めて自分が音痴であることに気づいたようなものです。確かに、門前払いは、間違っていると思います。しかし、障害を持っていれば困難な場面に遭遇することがあるのも事実です。
 今の制度なら、僕は薬学部への進学も可能です。しかし、実験や実習で苦労する可能性があります。それを乗り越えていく覚悟があるのか、別な道を進むのかの判断が必要です。覚悟を持って薬学部に進学するのと、進学してから色覚障害を持っていることを知るのでは、大きな違いです。

 欧米では、色覚異常者の比率は、日本より少し高いそうで、色覚障害者も社会に広く認知されているようです。欧米の色覚障害者は、自らの障害を隠さないと云います。まあ、僕も結構周りに触れ回る方なんですが、それでも、他人様に手助けをしてもらおうとは思いませんでした。でも、欧米だったら、携帯の充電器を買う場面ではこうなったはずです。

「僕は、色覚異常なんですけど、この充電器は、ライトグリーンですか?」
「これは、薄いピンクです。ライトグリーンは、こちらの商品になります。」

って、それだけのことなんですよね。最近は、日本でも、体の不自由な人の代わりに信号機の押しボタンを押してあげるくらいのボランティアって、自然にできていると思います。色の識別が苦手な人がいた時に、色を教えることだって、同じだと思うんです。ただ、色覚障害は、自分から申告しないと周りの人には分からないってことが、他の障害者と異なるくらいなもので。

 「色覚障害者への差別を撤廃させる会」みたいなところに入って、ハチマキしてデモ行進するのも、方法の1つかもしれませんけど、そこまでしなくてはならないほど、日本って酷い国なんでしょうか。日本には、アメリカみたいに障害者法なんてありませんけど、だから何も出来ないっていうことは無いはずです。

 今度、買いに行くときには、聞いてみましょうか。

 ヤマダ電機の店員さん、どんな対応をしてくれるでしょうかね。きっと、変な顔をすることなく親切に教えてくれそうな気がします。

 お終いは、「マージナル」。いろいろな色が歌詞の中に出てくる、素敵な曲です。


 「ペンライトの色、これで合ってますか?」

2016年9月26日月曜日

僕が左隅を好む、全く個人的な理由

 みんなで居酒屋に行くとする。テーブルに案内される。で、僕は、きまって左端の席をキープする。理由は簡単、僕は左利きだからだ。

 僕ぐらいの年代だと、左利きは矯正されることが多かった。だから、左利きと云いながらも、お箸は右で、なんて奴が多い。だけど僕は、日常生活のほとんど全てを左手で賄う、生粋の左利きである。
 昔は、左利きというのは、それだけで恥ずかしいことだったし、「ギッチョ」と云われて馬鹿にもされた。女の子だったら、お嫁に行けないなんて本気で思われていた。だから、親たちは必死で矯正した。利き手の矯正というのは、生易しいものではない。それを可能にしていたのは、「これじゃあ恥ずかしくって他人様の前に出られない」と云う世間体に対する危機感と、「我が子が虐められたら可哀相」と云う親心である。僕の親も、僕が幼いときに矯正しようとしたらしい。だけど、僕は、吃音(どもり)もあった。今でも、肝心なときに言葉が出てこない時がある。吃音の原因が利き手の矯正にあると考えた僕の親は、矯正を諦めたらしい。おかげで僕は、生粋の左利きとして育つことができた。

 僕が左手で仕事をしていると、周りの人たちは、「よくそれでできるね。」って言う。傍から見ると異な感じに見えるらしい。実は、それは僕も同じで、左利きの奴が何かをしているのを見ると、自分が左利きであるのにも関わらず、見ているだけでイライラしてくる。

 就職して間もなくの頃、ある研修会で、会議室の机をロの字に並べて、皆で食事をとっていたのだが、目の前に座っている女の子がどうも気になるのである。で、よくよく見たら、その子は左手で箸を持って弁当を食べていた。僕と同年代で、左手で箸を持つ女の子というのは、極めて珍しかったので、ついついジロジロと見てしまったことを覚えている。まあ、そういう僕も、左手で箸を持っていたわけだから、向こうもイライラしながらこっちを見ていたのかもしれない。
 でも、その時は、何となくその子が可愛く見えてきた。違和感が上手い具合にチャームポイントになったってことだろうか。

 最近は、堂々と左を使うタレントも多くなってきたように思う。自らが左利きであることをアピールするアイドルなんかもいるようだ。CMで云うと、小栗旬なんて左手で箸を持って美味しそうにお茶漬けを食べてるし、瀬戸朝香も左手でペンを持っている。

 左でペンを持つと云うと、歴代のアメリカ大統領が有名だ。僕は、ロナルド・レーガンが、何かの条約の調印式で、左手でサインをしているのを見て驚いた。あの年代の人が左で字を書くなんて、日本では有り得ないことだからだ。やっぱりアメリカは違うと感心したものだ。そしたら、次のパパ・ブッシュも左利きだった。次のクリントンもだ。息子のほうのブッシュは右利きだったけど、現大統領のオバマも左利きである。アメリカでは、過去5人の大統領のうち4人が左利きだということになる。
 だからと云って、左利きには特殊な能力があって、大統領に向いているなんて学説は信じない。僕も、よく周りから、「左利きは器用だよね」なんて云われるけど、そんなことはない。左利きにだって器用な奴もいれば不器用な奴もいる。

 実は、僕は、字を書くことだけは、右手を使っていた。これだけは、矯正されていた。だから、僕は字を書くことが大嫌いだった。上手く書けてないその字を見るだけでもイヤだった。僕は、授業中も全くノートをとらなかったし、漢字の書き取りなんか絶対やらなかった。宿題で漢字を書くくらいなら、先生に叱られた方がマシだった。だから僕は今でも漢字が書けない。もしワープロという機械がなければ、僕は平仮名だらけの文章を書いているはずだ。
 ところが、大学2年のある日、僕は、何となくペンを左で持ってみた。で、何の気なしに字を書いた。そしたら書けたのである。今まで一度も左手で字なんか書いたことがなかったのに、普通に書けたのである。今でも、その時のことは鮮明に覚えてる。西洋思想史の講義を受けているときだった。以来、僕は、左手で字を書くようになった。
   
 よく、左で書くと鏡文字になるっていうが、必ずそうなるわけではない。鏡文字になるのは、字を手の動きとして覚えている奴で、字を形として覚えている奴は、どっちの手で書いても鏡になることは無い。
 ただ、人間の腕は、内側から外側へ動かす方が楽なようにできているので、左手で鏡文字にならず、尚且つ窮屈な思いをしないで字を書くには、ちょっとした工夫が要る。
 1つは、腕を前に出して手首を曲げて書く、いわゆる「引っかけ書き」と云うやり方だ。先日行った、家電のコジマのお兄ちゃんは、このやり方で契約書を書いていた。実は、オバマ大統領もこのやり方だから、どこの国でも左利きの考えることは同じらしい。
 もう1つは、紙を90度傾けて書くやり方である。僕は、こっち派だ。だけど、左手を使っていても、普通に書いている人も多いから、まあ、人それぞれということではある。

 世の中は、右利きに合わせてできているらしい。「らしい」というのは、生まれたときから左利きの自分にとっては、世の中とはこういうものだと思っているから、それを不便と感じることが難しいからだ。
 でも、駅の自動改札で、カードをタッチする時には腕がクロスするし、自動販売機にお金を入れる時も腕がクロスする。取っ手付きの急須や注ぎ口が付いているオタマとか、確かに右手で操作すれば使い易そうだが、だから直そうと云うことにはならない。試しに右でやってみたりするが、そっちの方がよっぽど上手くできないからだ。不便だからなんていう理由で直せるんだったら、世の中に左利きなんて、あっという間にいなくなる。

 腕時計をしている頃は、左手で竜頭を巻くために右腕にしていた。でも、右腕にすると何となく使いずらかったから、女性みたいに腕の内側にしていた。そうすると、左腕の外側から右腕の内側へ平行移動するかたちになって、しっくりきたからだ。でも、これはかなり特殊なつけ方だと思う。もう何年も生きているが、腕時計を右腕の内側につけている男性には、未だ出会ったことが無い。

 野球のグローブでは、親指を入れる穴の方へ、4本の指を突っ込んで使っていた。裁ちバサミもそうだ。ただ、ハサミは、それだけでは上手く切れない。左手にハサミを持つと紙の切断面が上の刃の影になってしまい、切りにくいからだ。だから、左利きは、ハサミの外側から切断面を見て切っている。
 今は、親切な世の中になったので、左利き用のハサミが売っている。僕も面白がって買ってくるのだが、外側から切断面を見る癖がついているので、上手く使えない。で、1回使っただけで、机の引き出しにしまうことになる。でも、何年かすると、そのことを忘れて、また買ってきてしまう。で、「あっ、そうだった」と気がつく。だから僕の机の引き出しには、1回しか使っていない左利き用のハサミが、いくつも入っている。
 パソコンのマウスのボタンも左利き用に設定できるのだが、かえって使いにくい。僕は、右クリックも左クリックも、どっちも左手の人差し指でやっている。共用のパソコンを使う時は、マウスを左側に引っ張って使っているので、次の人にすぐバレてしまう。

 定規で線を引くときは、0cmからでなく30cmの方から線を引く。12cmの線を引きたいときは、30cmから18cmのところまで引く。でも、「だから左利きは引き算が得意なんだね。」なんていう、おだてにのったりはしない。

 1つ1つ挙げていくとキリが無い。

 左利きは、裏返しの世界で生きている。子どもの時に「お箸を持つ方が右だよ」なんて教わっても、「えーっと、僕は左利きだから、それって、お箸を持っていない方のことなんだよね」って複雑な思考処理を要求され続けてきたので、左右に敏感になっている。で、結果として、パニックを起こしやすい傾向がある。信じてもらえないかも知れないが、とっさに右と左が分からなくなってしまうのである。
 だから、車の助手席に座っていてナビをする時も、右折なのに左折って言ってしまったりする。家族は慣れたものなので、「あなたが左って言うってことは、右のことなんだよね」なんて勝手に修正してくる。こうなってくると、もう何が何だか分からない。だから、「こっち」って言って指で示している。まあ、最初からこうすれば良かっただけの話ではある。

 左利きに生まれて、「もしかしたら不便なのかも」って思ったことはあるが、「右利きに生まれたかった」と思ったことは一度もない。子どもの頃も「みんなと少し違う俺って、ちょっと格好いいかも」って思っていた。こういうのを「厨二病」というのだそうだ。そして、僕の厨二病は、未だに治っていないようだ。

 もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、感謝申し上げますw

 せっかくですから、お終いに動画を1つ。


 僕、この曲、大大大大嫌いでした。左利きで、そう云う奴、多いと思う。

2016年9月24日土曜日

「dearest.」松浦亜弥 ~僕がカラーサンダーを使っている、全く個人的な理由~

 数ある「dearest.」のYouTube動画なんですが、今回は、超ベタなこの2テイクを貼りつけさせていただきます。

 1つめは、マニアックライブⅡのテイクになります。このライブからの動画は、他にもあるのですが、視聴回数100万回越えに敬意を表しまして、こちらを貼りつけさせていただきました。
 何も活動していないタレントさんの動画群で、いくつもの100万回越え動画があるというのは、結構な話題だと思うのですが、まあ、動画の素性を考えると、ちゃんとしたメディアは取り上げないでしょうし、注目されたが故に消えてしまっても困りますからね。


 さすがですね。聴くのが久しぶりであればあるほど、素晴らしさが実感できるような気がします。まあ、ここのところ、人間でも無いアイドルの歌ばかり聴いていましたから。
 
 松浦亜弥さん関連の動画は、長寿なものが多いので、視聴回数が多くなるのも当然なんですが、実際のところ、多いのはアイドル時代のPVとか、大人になってからのカバー曲ばかりで、この動画のように、非アイドル、非カバー曲で、100万回越えって有りそうで無いんだってことに気がつきました。
 
 2つめは、2013年12月31日に行った中野サンプラザでのテイクになります。


 この動画、アップしていただいてから、2年半になろうとしています。1つめの動画と比べると、声がどうとかって批評されますけど、それって、ファンがどんどんハードルを上げているからで、このテイクそのものは、なかなかのデキだと思います。

 このテイクの良さの1つに、会場の雰囲気があると思います。やっぱり、松浦亜弥さんって、大きなコンサートホールが似合うんじゃないかってことです。会場を埋め尽くすペンライトの波の中で歌っているのが一番似合っているんじゃないかってことです。
 ここの会場の皆さんは、ちゃんと席に座っていませんけど、ペンライトを振りつつも、静かに歌を聴いていると思います。確かに、アイドル時代の彼女のライブって、一生懸命バラードを歌っていても、歌っている最中に平気で声援を送るファンも多かったし、そう言う雰囲気に彼女が嫌気がさしてしまったのも理解できるんですけど、あやオタさんて、聴くときは聞くってポリシーを持っていた人も多かったって云いますし。
 
 今の松浦亜弥さんのファンって、彼女が復帰したときには、ちゃんと落ち着いた雰囲気の会場で、じっくり歌を聴きたいって考えてる人が多いのかもしれませんけど、僕は、このテイクのように、立ち上がってペンライトを振りながらのライブも密かに望んでいるんです。だから、この動画を見る度に、観客席で一緒にペンライト振りたかったなって、ついつい思ってしまうんです。

 僕が、初音ミクのオフィシャルペンライトを買わない理由も、そこにあるんです。だって、ライトをつけると、HATSUNE MIKUって文字が浮かび上がるんですよ。そんなの松浦亜弥さんのライブで使えないじゃないですか。
 だから、僕は、Amazonで買ったカラーサンダーを使っています。そりゃあ、ミクのライブで市販のペンライトを振っていると、微妙な心持ちになります。皆と同じ物を使っていれば、一体感と安心感が得られますからね。会場係のお兄さんに見つかって注意されたらどうしようなんてビクビクすることも無いですし。
 でも、仕方ないんですよ。だって、僕のペンライトは、今はやむなく初音ミクのライブで使っていますけど、あくまでも、松浦亜弥さんのコンサート用なんですから。

 そりゃあ僕だって、じっくり歌を聴こうかなって思うときがあります。でも、今はどんな小さなライブだって、DVDになるわけですから、その時に、ヘッドホン掛けて、腕を組んで、パソコンの前で、審査員みたいに難しい顔をしながら聴けば良いと思うんです。

 松浦亜弥さんは、本当は心優しいタレントさんでしょうから、コットンクラブでお酒飲みながら歌を聴いているお客さんは相手にするけど、ライブ会場でペンライトを振っているファンは相手にしないなんてことは無いと信じています。

 あっ、でも、誤解しないでくださいね。僕もいい歳をした大人ですから、時と場に応じた行動はできるつもりです。
 いくら初音ミクが出演するからって、11月のオーチャードホールでペンライトを振ろうなんて考えてませんし、松浦亜弥さんがコットンクラブでライブをやってくださるなら、それなりに相応しい振る舞いはできるつもりです。密かにペンライトを忍ばせて、チャンスがあったら振ろうなんて、絶対考えてないですから。

2016年9月21日水曜日

初音ミク「マジカルミライ2016幕張メッセ」No.3  ~来年に向けて、決意を誓った巻~

 今年のマジカルミライは、演奏曲の大幅入れ替えがありました。ライブの1曲目から、初演奏曲のオンパレードでした。今までは、半分ほどは昨年の使い回しの曲だったと思いますが、今回は、全26曲中、おそらく17曲が新しい曲に差し替わっています。
 もちろん、「shake it!」みたいに何年も続けて演奏している曲や、「タイムマシン」みたいに久しぶりに演奏する曲もありますし、初演奏だからと云って、全部が新曲なわけではなくって、「どうぶつ占い」みたいに、以前からあったのですが、今まで演奏する機会が無かった曲などが採用されたりしています。

 あと、気がついたところでは、バラード系の曲が無かったように思います。ノリの良い曲や、バンド系の曲が多くって、それ自体は悪いことではないのですが、結果的に似たような楽曲が続いてしまった感もあります。
 
 最初の38秒間はMCです。一般の方々はスキップを推奨致します。


 「Strangers」は、Heavenz氏の作品で、2012年7月に公開されています。一人称が「ボク」となっているところから分かるように、作詞曲者の心の内を初音ミクに代弁させるタイプの楽曲になります。
 今回のライブ全体が、このタイプの楽曲の演奏で進んでいったように思います。まあ、ライブ向きの楽曲ですし、バックバンドのパフォーマンスも格好良かったですから、決して不満があるわけではありません。

 前回の記事の繰り返しになりますけど、この時の初音ミクは、特に可愛かったですよ。

 「夜目遠目」ってことかもしれませんけど、ステージ上のディラッドボードに浮かび上がったミクは、CGと分かっていても現実感がありました。やっぱり、実物大ってのが大事なんでしょうね。
 それから、今年新披露された楽曲全体に言えることなんですけど、CGの出来が良かったように思います。特にモーションですね。モーションキャプチャーがとても上手くいったのではないでしょうか。どんなダンサーさんにお願いしたのか存じませんけど、素晴らしい仕事だと思います。
 ダンスがキレッキレなのは勿論ですが、可愛く見えるかどうかって云うのは、ちょっとした仕草や体の動きで変わってきますよね。まあ、人間の女の子であれば、誰に教わるわけでもなく、やっていることなんでしょうけど、その動きをトレースして、CGを作りこんでいくとなれば、大変な作業になるわけです。
 世の中、アイドルになりたい人間の女の子なんて幾らでもいるでしょうに、わざわざ手間暇かけて作っているわけですから、本当にご苦労なことであります。

 では、可愛いやつをもう1つ。「すろぉもぉしょん」。「スローモーション」は、中森明菜さんのデビュー曲ですけど、こっちは、こんな感じの曲になります。初音ミクのダンスの向こう側に、人間のダンサーさんの姿が透けて見えてくるようです。


 贅沢が言える身分ではありませんけど、音声と動画が若干ズレてるのが残念です。

 「すろぉもぉしょん」は、2014年05月に投稿された、ピノキオピーさんの作品になります。ボーカロイドならではの楽曲ですね。今時の人間の女の子では、歌うことも踊ることもできないんじゃないでしょうか。

 ドラムのお兄さん素晴らしいです。此の手の楽曲を当たり前のようにサポートするんですから、さすがにプロのミュージシャンさんたちです。
 曲のなかで、「あっそれ」とか、「あっどうした」なんて掛け声をかけるところがあるんですが、皆さん、ちゃんと分かっているみたいで、しっかり声が出ていました。僕は、完全に予習不足でしたから、完全に乗り遅れていたんですけど、しっかりリベンジできるように練習しておきますんで、是非とも、来年もこの曲をやって欲しいです。

 来年と云えば、早くも次回のマジカルミライの告知がありました。2017年9月1.2.3日  IN幕張メッセだそうです。
 って、またここでやるんですか~っ。できれば、リニューアルした横浜アリーナとかが良かったんですけど。
 
 お会計と同時に、来年もここでお願いしますって予約したんでしょうか。忘年会の会場取りみたいですね。