2016年1月29日金曜日

松浦亜弥コンサートツアー2005春「101回目のKISS~HAND IN HAND~」

 フライデーの熱愛報道により、あやオタの8割が死滅したといわれています。

 2005年は、松浦亜弥さんにとって、どんな年だったのでしょうか。

 2005年は、年始めの恒例だった新しいアルバムのリリースがありませんでした。もちろん、これは、熱愛報道とは全く関係の無いことです。代わりに3月になって、発売されたのが「松浦亜弥ベスト1」です。一般的にベスト盤は、お買い得感がありますので、売れるものなんですが、このアルバムは、オリコンで1位をとることが出来ませんでした。
 ベスト盤にもいろいろありますが、「松浦亜弥ベスト1」は、シングル盤を集めたタイプのアルバムです。最初からのファンは、そんな音源は既に持っているし、今更、昔のアイドルソングを買いたいなんていう、新しいファンもいなかったということなんでしょう。

 それから、秋のコンサートツアーが開かれませんでした。かわりに開催されたのが、「ハロ☆プロ パーティ~!2005 ~松浦亜弥キャプテン公演~」(5月21日 - 6月26日)と「ハロ☆プロパーティー! 2005 〜松浦亜弥キャプテン公演NEO〜」(9月3日 - 11月27日)です。春だけでなく秋にも開かれたってことは、よっぽど評判が良かったのか、よっぽど楽しかったのか、ソロではお客が入りそうにもなかったのか・・・。


 松浦亜弥コンサートツアー2005春「101回目のKISS~HAND IN HAND~」は、2月25日にハーモニーホール座間で始まり、ファイナルは5月7日の大阪厚生年金会館とありました。全国9ヶ所で21公演。概ね1会場で2公演ずつの開催で、DVDは、5月5日の中野サンプラザの公演が収録されているようです。
 ですから、フライデーは、ツアー中に発売されたということになります。こういう場合、よくライブの最初にお詫びMCみたいなのがあるんですが、実際のところ確認できませんでした。このへんの経緯は、当時のファンの方々の証言を頂きたいところです。
 
 オープニングは、Remix版の「めっちゃホリデ-」、それから「GOOD BYE 夏男」「ね~え?」と盛り上げていきます。なんか昔の「あやや」に戻ってしまったような構成ですが、亜弥オタさんたちは、変わらない「あやや」に安心したかもしれません。

 で、MCを挟んで、静かめの2曲。「ずっと 好きでいいですか」「渡良瀬橋」です。



 今更云うのも変ですが、やっぱり歌が上手いですね。2004年から、さらに安定感が増しているように思います。ただ、このビジュアルどうにかならなかったんでしょうか。多少のポッチャリは良しとしても、この衣装と、この化粧はないと思いますよ。だって、この時、まだ18才でしょ。同じ年に開催された「ハロ☆プロパーティー」の格好が年相応の可愛い感じで好感が持てただけに、あまりにも残念です。

 「ナビが壊れた王子様」は、3枚目のアルバムに収録された曲で、確か、本人もライブで歌うのが楽しみみたいなことを言っていたようですが、この時が初披露になるようです。


 凄い盛り上がりようですね。中野サンプラザという最も一体感が出せる大きさの箱の中に、あややに何があってもついて行くというコアなヲタクだけが集まっているのですから、この異常な盛り上がり、やけクソ気味の熱気も納得できます。まあ、悪く言えば、内輪だけで盛り上がっているのですが。

 このツアーでは、再び「メロン記念日」と共演しています。で、お互いの持ち歌を交換して歌うという演出だったようで、メロン記念日が「奇跡の香りダンス」を、松浦亜弥が「赤いフリージア」を歌っています。


 唖然とするしか有りませんね。これ他人の持ち歌ですよ。YouTubeでも異例の視聴数40万回越えで、今も伸び続けているようです。

 表情のつけかた、振りのつけかた、正にアイドル歌唱のお手本だと思います。もっとも、今のグループアイドルは、振りが揃うことばかりを気にしますし、そもそも、こんな大きく振ったら、周りのメンバーとぶつかってしまうので、お手本にはならないかもしれません。

 「恋愛戦隊シツレンジャー」は、ハロプロのユニット「後浦なつみ」の楽曲です。松浦亜弥さんは、ユニットなどで歌った楽曲をソロで歌い直すことが多いですよね。多分、ユニットだと不完全燃焼な気分になるのでしょう。


 同じ曲を、後藤真希さんもソロライブで歌っていますが、後藤さんは、ゲストのメロン記念日と歌割りをして歌っていました。松浦さんは、同じくメロン記念日がいるのにも関わらず、独りで全部歌っちゃうんです。本当に彼女は、根っからのソロ歌手なんだなって思いました。

 ラストソングは「100回のKiss」。

 MCでは、デビュー前に、同じ中野サンプラザで歌った「100回のKiss」について語っています。何か、遠い過去の話のように語っていますけど、たった4年前のことなんですよ。
 ただ、2つの動画を見比べると、確かに遠い過去の出来事のようにも思えます。女の子って、わずか4年で、こんなにも変わって行くものなんですね。


 生き残ったコアなファンと一緒に、内輪で盛り上がっているライブ。一生をアイドル、元アイドルとして活動していくつもりなら別ですが、これでは、歌手、松浦亜弥の進歩は望めません。進化している松浦亜弥を世に示すことができないと云ったほうが正確でしょうか。
 世間的には、まだまだ露出度も高くて、バラエティ番組なんかに出ていたはずなのですが、何故か、彼女の歌唱力が話題に上ることはありませんでした。「松浦亜弥がこんなに歌が上手いとは知らなかった。」YouTubeの動画に寄せられたコメントの多くが、こう書かれています。

 2005年は、松浦亜弥さんにとって、どんな年だったのでしょうか。
 
案外、ご本人は、楽しい一年間だったなんて思っているのかもしれません。なんだか、松浦亜弥さんだったら、そうあって欲しい気がしてきました。

4 件のコメント:

Dragon さんのコメント...

フライデーの熱愛報道のときにそのまま結婚して、一旦あややに区切りをつけてから2,3年後に歌手松浦亜弥として再出発できたらよかったのにと最初は思ったんですが、

もしそうしたらその後の、進化の季節~想いあふれて、にいたるアイドルとして他に例を見ない完成度のステージは実現しなかったわけで、それはそれで勿体ないなと。

結果的に亜弥さんが歩んだ道が一番よかったんじゃないかと思うようになりました。

ボーカリスト松浦亜弥としてはこれからさらに円熟した歌唱を聴かせてくれる可能性が十分ありますが、あのステージはもうできないでしょうし、「松浦亜弥」以外に誰もできないと思います。

結果的に慶太さんとの愛を貫き結婚・出産と当時の思いを実現したし、今は子育てという夢を実現中だとは思いますが、その先がきっとあるぞと期待しています。

さんのコメント...

松浦亜弥さんの最後のコンサートツアー「想いあふれて」が23才、
その後の入籍までの間が、何だか「失われし数年間」って感じがします。
完全な憶測ですが、
病気を告白した時点で、彼女は結婚したかったのではないかと思います。
旦那さんが海外公演等で大事な時期でしたから、待つことになったのではないかと。
ただ、結果的に彼女が選んだ道が最善なのかもしれない、という思いは僕も同じです。
同時期のハロプロ関係のタレントの中で、一番真っ当な人生を歩んでいるのが彼女ですから。
ファンの想いなど意に介さずってとこが、辛いですけどww

Dragon さんのコメント...

亜弥さんを思い、支え、伴走してきた人達にとってはもどかしさがあるでしょうねぇ。
私のように、すでに表舞台から消えて子育て専念中からファンになった新参者にとっては
そういう人を勝手に好きになったわけですから、復帰を願い信じつつも無理は言えません。
過去の遺産を堪能しつつ、密かな(でもないか)ラブコールを送り続けます。

さんのコメント...

不思議なことですが、古いファンの方ほど、
松浦亜弥さんに対して、お疲れ様という気持ちが強いようです。
あれだけ頑張ったんだから、もう十分ですみたいな感じでしょうか、
僕などは、完全に乗り遅れてますんで、
このままでは、とても諦めきれないんですけどww