2016年2月7日日曜日

「遠野物語」 あんべ光俊と柳田國男

 僕がこの曲に出会ったのは、学生の時でした。たぶんラジオで聞いたんだと思います。その後、時々思い出しては気になっていたのですが、最近、何となしに検索したらこの動画を見つけたんです。

 楽曲の作詞曲者である「あんべ光俊」氏は、釜石市出身のシンガーソングライターで、現在も東北地方を中心に活動をしているようです。代表作は「遠野物語」「星の旅」「イーハトーヴの風」とありましたが、僕は、遠野物語以外の楽曲のことは知りません。彼の地元である仙台や岩手以外の人で、「あんべ光俊」と云われてピンと来る世代は、かなり狭い範囲に限られているかと思います。

 楽曲の題名は、「遠野物語」となっていますが、物語そのものに題材を採ったものでは無くって、心に痛手を負い旅に出た主人公が、遠野の村で素敵な女性と出会ったけど、特に何も起こらずに別れた、という歌詞です。ですから、別に「安曇野物語」でも「伊賀上野物語」でも話は成立するんですが、やはり「遠野」という響きと、最果て感が有りながらもどことなく懐かしさを感じるイメージが良いんでしょうね。


 僕は、遠野には行ったことがありません。ただ、「ハヤチネウスユキソウ」を見るために、早池峰山に登ったことがありますんで、遠野市に足を踏み入れたことにはなってます。今はもう無くなってしまった、東北本線の夜行急行「八甲田」に乗って花巻まで行き、気仙沼に住んでいた友人に迎えに来てもらったんです。あの頃の僕は、山登りにハマっておりまして、アルプスなどに登っては、山や高山植物の写真を撮っていました。確か、天気はイマイチでしたが、お目当ての「ハヤチネウスユキソウ」に出会えて満足の山旅でした。

 それから、東日本大震災の1ヶ月後、東北の仏像巡りに行ったときに、「成島毘沙門堂」のある花巻市東和町に泊まりました。東和町の隣が遠野市になります。当時、遠野市には、震災関連ボランティアの基地がありましたから、東和町にもボランティアが泊まっていたり、被災地の人が避難してたりしてました。夕食時に、震度3くらいの余震が来て、慌てて鍋を押さえたのも懐かしい思い出です。

 しかし、いわゆる遠野郷を訪れることは、未だに実現していません。

 「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。鏡石君は話し上手には、あらざれども誠実なる人なり。」で始まる、柳田國男の「遠野物語」は、日本に民俗学という学問を定着させるきっかけになった名作です。

 遠野物語に納められている100余りの伝承の中で、僕の好きな話の1つが、九十九番の「福二」です。NHKの「100分de名著」でも取り上げられていました。

(部分略)福二という人は田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの霧の布きたる夜、霧の中から男女二人の者の近よるを見れば、女はまさしく亡くなりしわが妻なり。思はずその跡をつけて名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。男はと見ればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありといふに、子供は可愛くはないのかといへば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。男女は再び足早にそこを立ち退きて見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者と心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。その後久しく煩ひたりといへり。

 この話は、物語の中では、かなり異色の作風でして、ちょっと出来過ぎ感があるのですが、「あの世で妻が元彼と結ばれている」ことを知ってしまった男の心中を察すると心が痛みます。男にできることは、残された二人の子と懸命にこの世を生きることだけなのですから。

 あと、山口孫左衛門の座敷童の話なんかも、如何にも遠野物語っぽくって好きなんですよ。

 何か、あんべ光俊さん、全然関係なくなっちゃいましたね。

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