2016年3月30日水曜日

松浦亜弥 「花いちもんめ」 再投稿

 桜の季節ですね。「花いちもんめ」の記事を投稿させていただきます。と、云っても昨年の5月の記事の再投稿になります。

 洋服の青山のCMソングながらマニアックライブで歌い、封印すると云いながらアルバムに収録、さらにコットンクラブでも歌うなど、かなりお気に入りの曲のようです。

 もちろん、僕も大好きな曲の一つです。可愛くって、明るくって、ちょっと切なくって、何より日本語の表現が巧みですよね。「ひらりひらり 花びら舞い とめどない時のひとひらごと」とか。
 今って、(かなり前からなんだけど)やたら、英語を混ぜたりするでしょ。日本語だとしてもワザと巻き舌で英語っぽく歌ったりするし。だから、こんな当たり前の曲が貴重になるのって、本当は残念なことでもあるんですけど。

 作詞は、久保田洋司さんという方のようですが、他にも「今はレットイットビー」とか「真珠」とか「風に任せて」、「ダブルレインボウ」、「七回歌うといいことがある歌」などなど、名曲揃いですね。

 で、CM動画を探したんですが・・・ありました、こんな昔のCMが。YouTubeって本当に何でもあるんですね。ちなみに青山のCMキャラクターは、松浦亜弥→相武紗季→佐々木希→武井咲さんと続いているようです。


 参考にAOKIは上戸彩→剛力彩芽さんです。洋服屋さんだけあって、モデルさんとか女優さんが多いようですね。「あやや」のCM起用って正解だったんでしょうか。

 では、貼り付けさせていただきます。「マニアックライブⅣ」の2公演目からのにしました。1公演目と両方聴いて思ったんですけど、だいぶテンポが違いますよね。
 歌は、20秒からです。


 コットンクラブのテイクの方が豪華なんですけど、何かこっちの方が好きなんですよ。

2016年3月26日土曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 資料編~自筆版全文掲載~

     権狐            新美南吉 著


 茂助というお爺さんが、私たちの小さかった時、村にいました。「茂助爺」と私たちは呼んでいました。茂助爺は、年とっていて、仕事ができないから子守ばかりしていました。若衆倉の前の日だまりで、私たちはよく茂助爺と遊びました。
 私はもう茂助爺の顔を覚えていません。ただ、茂助爺が夏みかんの皮をむく時の手の大きかった事だけ覚えています。茂助爺は、若い時、猟師だったそうです。私が、次にお話するのは、私が小さかった時、若衆倉の前で、茂助爺からきいた話なんです。



 昔、徳川様が世をお治めになっていられた頃に、中山に小さなお城があって、中山様というお殿さまが少しの家来と住んでいられました。
 その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐という狐がいました。
 権狐は、一人ぼっちの小さな狐で、いささぎの一ぱい茂った所に、洞を作って、その中に住んでいました。そして、夜でも昼でも、洞を出ていたずらばかりしました。畑へ行って、芋を掘ったり、菜種がらに火をつけたり、百姓屋の背戸に吊してある唐辛子をとって来たりしました。

 それはある秋のことでした。二三日雨が降りつづいて、権狐は、外へ出たくてたまらないのをがまんして、洞穴の中にかがんでいました。雨があがると、権狐はすぐ洞を出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥の声がけたたましく、響いていました。
 権狐は、背戸川の堤に来ました。ちがやの穂には、まだ雨のしずくがついて、光っていました。背戸川はいつも水の少ない川ですが二三日の雨で、水がどっと増していました。黄くにごった水が、いつもは水につかっていない所のすすきや、萩の木を横に倒しながら、どんどん川下へ流れて行きました。権狐も、川下へ、ぱちゃぱちゃと、ぬかるみを歩いて行きました。
 
 ふと見ると、川の中に人がいて何かやっています。権狐は、見つからないように、そーっと草の深い方へ歩いて行って、そこからそちらを見ました。
「兵十だな。」
と権狐は思いました。兵十は、ぬれた黒い着物を着て、腰から下を川水にひたしながら、川の中で、はりきりと言う、魚をとる網をゆすぶっていました。鉢巻きをした顔の横に、円い萩の葉が一枚、大きな黒子みたいにはりついていました。

 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一番後ろの、袋のようになったところを水の中から持ち上げました。その中には、芝の根や、草の葉や、木片などが、もじゃもじゃしていましたが、ところどころ、白いものが見えました。それは、太いうなぎの腹や、大きなきすの腹でした。
 兵十は、しばらくすると、兵十は、はりきり網の一番うしろの魚籠の中へ、ごみも一緒に、そのうなぎやきすを入れました。そしてまた、袋の口をしばって、水の中に入れました。兵十は魚籠を持って川から上がりました。そして、魚籠をそこに置くと、着物の端から、ポトポトとしずくを落としながら、川上の方へ何か見に行きました。

 兵十がいなくなると、権狐はぴょいと草の中からとび出して行きました。魚籠にはふたがなかったので、中に何があるか、わけなく見えました。権狐は、ふといたずら心が出て、魚籠の魚を拾い出して、みんなはりきり網より下の川の中へほりこみました。どの魚も、「とぼん!」と音を立てながら、にごった水の中に見えなくなりました。
 
一番おしまいに、あの太いうなぎをつかもうとしましたが、このうなぎはぬるぬるして、ちっとも権狐の手にはつかまりません。権狐は一生懸命になってうなぎをつかもうとしました。とうとう、権狐は、頭を魚籠の中につっ込んで、うなぎの頭をくわえました。うなぎは、「キユッ」と言って、権狐の首にまきつきました。その時兵十の声が、
「このぬすっと狐めが!」
と、すぐそばでどなりました。権狐はとびあがりました。うなぎをすてて逃げようとしました。けれど、うなぎは、権狐の首にまきついていてはなれません。権狐はそのまま、横っとびにとんで、自分の洞穴の方へ逃げました。
 洞穴近くの、はんの木の下でふり返って見ましたが、兵十は追って来ませんでした。
 権狐は、ほっとしてうなぎを首から離して、洞の入口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。うなぎのつるつるした腹は、秋のぬくたい日光にさらされて、白く光っていました。
 


 十日程たって、権狐が、弥助というお百姓の家の背戸を通りかかると、そこのいちじくの木のかげで、弥助の妻が、おはぐろで歯を黒く染めていました。鍛冶屋の新兵衛の家の背戸を通ると、新兵衛の妻が、髪をくしけずっていました。権狐は、
「村に何かあるんだな。」
と思いました。
「いったいなんだろう。秋祭りだろうか。でも秋祭りなら、太鼓や笛の音が、しそうなものだ。そして第一、お宮に幟が立つからすぐ分かる。」

 こんな事を考えながらやって来ると、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前に来ました。兵十の小さな、こわれかけの家の中に、大勢の人がはいっていました。腰に手ぬぐいをさげて、常とは好い着物を着た人たちが、表の、かまどで火をくべていました。大きな、はそれの中では、何かぐつぐつ煮えていました。
「ああ、葬式だ。」
権狐はそう思いました。こんな事は葬式の時だけでしたから、権狐にすぐわかりました。
「それでは、誰が死んだんだろう。」
とふと権狐は考えました。
 けれど、いつまでもそんな所にいて、見つかっては大変ですから、権狐は、兵十の家の前をこっそり去って行きました。

 お正午がすぎると、権狐は、お墓へ行って六地蔵さんのかげにかくれていました。いい日和で、お城の屋根瓦が光っていました。お墓には、彼岸花が、赤い錦のように咲いていました。さっきから、村の方で、「カーン、カーン」と鐘が鳴っていました。葬式の出る合図でした。
 やがて、墓地の中へ、やって来る葬列の白い着物が、ちらちら見え始めました。鐘の音はやんでしまいました。話し声が近くなりました。葬列は墓地の中へ入って来ました。人々が通ったあと、彼岸花は折れていました。権狐はのびあがって見ました。兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げていました。いつものさつま芋みたいに元気のいい顔が、何だかしおれていました。
「それでは、死んだのは、兵十のおっ母だ。」
権狐はそう思いながら、六地蔵さんのかげへ、頭をひっこめました。
 
 その夜、権狐は、洞穴の中で考えていました。
「兵十のおっ母は、床にふせっていて、うなぎが食べたいと言ったに違いない。それで兵十は、はりきり網を持ち出して、うなぎをとらまえた。ところが自分がいたずらして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。それで、おっ母は、死んじゃったに違いない。うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと言いながら、死んじゃったに違いない。あんないたずらをしなけりゃよかったなー。」
 こおろぎが、ころろ、ころろと、洞穴の入口でときどき鳴きました。



 兵十は、赤い井戸の所で、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧しい生活をしていたので、おっ母が死んでしまうともう一人ぽっちでした。
「俺と同じように一人ぽっちだ」
兵十が麦をといでいるのを、こっちの納屋の後から見ていた権狐はそう思いました。権狐は、納屋のかげから、あちらの方へ行こうとすると、どこかで、いわしを売る声がしました。
「いわしのだらやす。いわしだ。」
権狐は、元気のいい声のする方へ走って行きました。芋畑の中を。
弥助のおかみさんが、背戸口から、
「いわしを、くれ。」
と言いました。
 いわし売りは、いわしのはいった車を、道の横に置いて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へ持って行きました。そのひまに、権狐は、車の中から、五六匹のいわしをかき出して、また、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の背戸口から、家の中へ投げこんで、洞穴へ一目散に走りました。はんの木の所で立ち止まって、ふりかえって見ると、兵十がまだ、井戸の所で麦をといでるのが小さく見えました。権狐は、何か好い事をしたように思えました。

 次の日には、権狐は山へ行って、栗の実を拾って来ました。それを持って、兵十の家へ行きました。背戸口からうかがって見ると、ちょうどお正午だったので兵十は、お正午飯のところでした。兵十は茶碗をもったまま、ぼんやりと考えていました。変な事には、兵十のほっぺたに、すり傷がついていました。どうしたんだろうと、権狐が思っていると、兵十が独言を言いました。
「いくらかんがえても分からない。いったい誰がいわしなんかを、俺の家へほりこんで行ったんだろう。おかげで俺は、盗人と思われて、あのいわし屋に、ひどい目に合わされた。」
まだぶつぶつ言っていました。
 権狐は、これはしまったと思いました。かわいそうに、あんなほっぺたの傷までつけられたんだな。権狐は、そっと納屋の方へまわって、納屋の入口に、持って来た栗の実を置いて、洞に帰りました。次の日も次の日もずっと権狐は栗の実を拾って来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きのこや、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もういたずらをしなくなりました。



 月のいい夜に権狐は、遊びに出ました。中山様のお城の下を通って少し行くと細い往来の向こうから誰か来るようでした。話し声が聞こえました。「チンチロリン、チンチロリン」松虫がどこかその辺で鳴いていました。
 権狐は、道の片側によって、じっとしていました。話し声はだんだん近くなりました。それは、兵十と、加助という百姓の二人でした。
「なあ加助。」
と兵十が言いました。
「ん」
「俺あ、とても不思議なことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでから、誰だか知らんが、俺に栗や、きのこや、何かをくれるんだ」
「ふん、誰がくれるんだ?」
「いや、それがわからんだ、知らんでるうちに、置いていくんだ。」
権狐は、二人のあとをついて行きました。
「ほんとかい?」
加助が、いぶかしそうに言いました。
「ほんとだとも、うそと思うなら、あした見に来い、その栗を見せてやるから」
「変だな。」
それなり二人は黙って歩いて行きました。
 
 ひょいと、加助が後ろを見ました。権狐はびくっとして、道ばたに小さくなりました。加助は、何も知らないで、また前を向いて行きました。吉兵衛と言う百姓の家まで来ると、二人はそこへはいって行きました。「モク、モクモク、モクモク」と木魚の音がしていました。窓の障子にあかりがさしていました。そして大きな坊主頭が、うつって動いていました。権狐は、
「お念仏があるんだな」
と思いました。権狐は井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また、三人程、人がつれだって吉兵衛の家にはいって行きました。お経を読む声が聞こえて来ました。

 権狐は、お念仏がすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。お念仏がすむと、また、兵十と加助は一緒になって、帰って行きました。権狐は、二人の話を聞こうと思って、ついて行きました。兵十の影法師をふんで行きました。
 
 中山様のお城の前まで来た時、加助がゆっくり言いだしました。
「きっと、そりゃあ、神様のしわざだ。」
「えっ?」
兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「俺は、あれからずっと考えたが、どう考えても、それゃ、人間じゃねえ、神様だ。神様が、お前が一人になったのを気の毒に思って、栗や、何かをめぐんで下さるんだ。」
と加助が言いました。
「そうかなあ。」
「そうだとも。だから、神様に毎日お礼言ったが好い。」
「うん」
権狐は、つまんないと思いました。自分が、栗やきのこを持って行ってやるのに、自分にはお礼言わないで、神様にお礼を言うなんて。いっそ神様がなけりゃいいのに。権狐は、神様がうらめしくなりました。



 その日も権狐は、栗の実を拾つて、兵十の家へ持つて行きました。兵十は、納屋で縄をなっていました。それで権狐は背戸へまわつて、背戸口から中へはいりました。

 兵十はふいと顔をあげた時、何だか狐が家の中へ入るのをみとめました。兵十は、あの時の事を思い出しました。うなぎを権狐にとられた事を。きつと今日も、あの権狐がいたずらをしに来たに相違ない。
「ようし!」
 兵十は、立ちあがつて、ちょうど納屋にかけてあった火縄銃をとって、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて行って、今、背戸口から出て来ようとする権狐を「ドン!」とうってしまいました。権狐は、ばったり倒れました。
 兵十はかけよって来ました。ところが兵十は、背戸口に、栗の実が、いつものように、かためて置いてあるのに眼をとめました。
「おや。」
兵十は権狐に眼を落としました。
「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは。」
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。

 兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出ていました。

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その10  ~田舎の葬式~

 権狐の投稿記事も10編目になりました。とりあえず、これで一区切りにしようかと思います。お付き合いありがとうございました。

 今回は、兵十の母親の葬式の場面です。この場面の分析については、沢田保彦著「南吉の遺した宝物」に詳しく出ています。ここでは、本文の表現に注目して、進めていきたいと思います。

 自筆版です。 
【十日程たって、権狐が、弥助というお百姓の家の背戸を通りかかると、そこのいちじくの木のかげで、弥助の妻が、おはぐろで歯を黒く染めていました。鍛冶屋の新兵衛の家の背戸を通ると、新兵衛の妻が、髪をくしけずっていました。権狐は、
「村に何かあるんだな。」
と思いました。
「いったいなんだろう。秋祭りだろうか。でも秋祭りなら、太鼓や笛の音が、しそうなものだ。そして第一、お宮に幟が立つからすぐ分かる。」】

 「くしけずる」【梳る】という言葉は知りませんでした。「櫛で髪の毛を梳かす」という意味なんですね。勉強になります。
 で、ここで如何にも南吉らしい表現がでてきます。最後の「そして第一、お宮に幟が立つからすぐ分かる。」です。「すぐ分かる」というのは、可愛らしい表現ですよね。自分は村のことなら何でも分かるんだという、権狐の得意そうな顔が目に浮かびます。赤い鳥版では、「第一、お宮にのぼりがたつはずだが。」と普通の表現になっています。

 自筆版です。
【こんな事を考えながらやって来ると、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前に来ました。兵十の小さな、こわれかけの家の中に、大勢の人がはいっていました。腰に手ぬぐいをさげて、常とは好い着物を着た人たちが、表の、かまどで火をくべていました。大きな、はそれの中では、何かぐつぐつ煮えていました。
「ああ、葬式だ。」
権狐はそう思いました。こんな事は葬式の時だけでしたから、権狐にすぐわかりました。
「それでは、誰が死んだんだろう。」
とふと権狐は考えました。
 けれど、いつまでもそんな所にいて、見つかっては大変ですから、権狐は、兵十の家の前をこっそり去って行きました。】

 ここにも出てきましたね。「こんな事は葬式の時だけでしたから、権狐にすぐわかりました。」だそうです。狐にだって分かるくらい当たり前のことという表現ですね。いかにも南吉っぽいです。この文は、赤い鳥版では、丸ごと削除されています。

 この部分は、珍しく赤い鳥版での書き換えが少ない部分ですが、「腰に手ぬぐいをさげて、常とは好い着物を着た人たちが、表の、かまどで火をくべていました。」を「よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。」と書き換えています。
 この「常とは好い着物」という表現ですが、単純に考えれば、「普段着より良い」となりますが、これを三重吉氏は、「よそいきの着物」と書き換えています。最近の葬儀は、葬祭会館などで行うので、手伝う事なんてありませんから、皆さん最初から喪服を着てくることが多いですよね。葬式の手伝いに行く時の服装ってどんなでしたっけ?
 服装に関する言葉ですが、イメージ的には、「野良着」<「普段着」<「常より好い着物」≦「よそいき」≦「晴れ着」でしょうか。このあたりの表現に沢田保彦氏は、だいぶ拘っています。
 しかし、「常より好い」というのは、権狐の目線から出た表現と考えられます。狐にとっては、晴れ着もよそいきも全部まとめて常より好いと思っているのでしょうから、無理に「よそいき」などと書き換えなくても「いつもより好い服を着た」で十分だったと思います。
 あと、三重吉氏は「人たち」をわざわざ「女たち」に直してますが、葬式の準備で火を焚くのは、男の仕事だそうです。

 自筆版です。
【お正午がすぎると、権狐は、お墓へ行って六地蔵さんのかげにかくれていました。いい日和で、お城の屋根瓦が光っていました。お墓には、彼岸花が、赤い錦のように咲いていました。さっきから、村の方で、「カーン、カーン」と鐘が鳴っていました。葬式の出る合図でした。】

 権狐は、一度帰ってから、出直して来ているようですね。葬儀は午前中に行って、出棺はお昼過ぎという葬式のスケジュールや、葬列のルートがちゃんと分かっているみたいです。お城の屋根瓦といい、彼岸花といい素敵な情景描写です。細かいところで云うと、「さっきから、鐘が鳴っていました。」ってところが良いですよね。葬列はゆっくりですから、鐘が鳴ってから、お墓に行って隠れても十分間に合うわけです。
 赤い鳥版では、「と、村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴ってきました。」と書き換えています。権狐が隠れるのを待っていたかのように葬列が出発した、あるいは、権狐は、ずーっとお地蔵さんの影に隠れていたという描写になります。これはこれで、アリかもしれませんけど、鐘の音を聞いてお地蔵さんへ駆けていく権狐の情景描写の方が、絵になると思います。これって「さっきから、~鳴ってました」を「と、~鳴ってきました。」に変えただけなんですけどね。

 自筆版です。
【やがて、墓地の中へ、やって来る葬列の白い着物が、ちらちら見え始めました。鐘の音はやんでしまいました。話し声が近くなりました。葬列は墓地の中へ入って来ました。人々が通ったあと、彼岸花は折れていました。権狐はのびあがって見ました。兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げていました。いつものさつま芋みたいに元気のいい顔が、何だかしおれていました。
「それでは、死んだのは、兵十のおっ母だ。」
権狐はそう思いながら、六地蔵さんのかげへ、頭をひっこめました。】

 ここにも、南吉らしい表現がありますね。「墓地の中へ、やって来る葬列の白い着物が、ちらちら見え始めました。」つまり「白い着物が見えた」とあります。赤い鳥版では「白い着物を着た者たちが見えた」です。見えたのは、「着物」か「人」かっていうことです。どっちでも同じようなものですけど、沢田保彦氏によると、赤い鳥版の記述では、葬列の参加者が全員白い着物を着ていることになるので誤りであるとしています。
 葬列で白装束になるのは、喪主とか近親者だそうで、それ以外の者は、黒い服で歩くそうですから、絵本の挿絵で、全員が白装束なのは、間違いだそうですよw

 もう1つ、どっちでも良いことを云うと「彼岸花は、折れていました」が「彼岸花が、ふみ折られていました」に書き換えられています。わざと彼岸花を踏んで歩く奴なんているとは思えないんですけどねw

 ちなみに、岩滑の葬式では、喪主が「白い裃をつけて位牌を捧げる」のは、目上の葬式の場合だそうで、自分の家内の葬式では、裃は着けないとありました。で、裃を着けていることから、兵十にとって目上の家族、つまり母親の葬式となるそうで、権狐の「それでは、死んだのは、兵十のおっ母だ。」の台詞につながるんだそうです。そこまで、岩滑のしきたりに精通している権狐って凄いですねwww

2016年3月25日金曜日

松浦亜弥コンサートツアー2006 秋 「進化ノ季節…」

 「進化ノ季節…」は、2006年9月9日から11月5日まで、6会場で8日間、のべ15公演行われたコンサートツアーです。DVDは、10月22日の東京厚生年金会館でのテイクが収録されています。このライブでは、昼公演と夜公演で、セットリストを4曲ほど入れ替えています。ファンが2公演続けて参戦するというのは周知のことですから、ファンサービスとも云えますけど、簡単にチケットが手に入るということの裏返しでもあるわけで、複雑な気分ですね。DVDは、夜公演を収録していますが、昼公演で差し替えた曲は、特典映像として収録されています。

 この公演の直前、10月9日に相模大野で予定されていた公演が、顎関節症のため中止になっています。公演開始時刻を1時間以上過ぎての中止発表ということで、だいぶ叩かれたようですが、中止にしたくないという思いが、結果的に中止の決定を遅らせてしまったようです。わずが13日前のできごとなんですが、DVDを見る限り、顎関節症の影響は、僕には分かりませんです。

 出だしの3曲は「(昼)砂を噛むように:(夜)ずっと 好きでいいですか」「(昼)風信子:(夜)渡良瀬橋」「(昼)(夜)気がつけばあなた」です。
 中くらいのノリの曲から始まったって感じですね。この5曲は、いかにも松浦亜弥さんらしい安定したテイクだと思います。1つ挙げるとすれば、渡良瀬橋の間奏で「鍵盤ハーモニカ」を演奏したことでしょうか。森高千里さんみたいに「アルトリコーダー」を吹かなかったのは、難しくて吹けなかったからだと思います。鍵盤ハーモだってトチルくらいですから、ホントに楽器が苦手なんでしょう。ただ、やるからには、しっかり練習して100%にすべきだと思いますよ。

 「ずっと好きでいいですか」と「渡良瀬橋」の2曲入っている動画です。


 で、ここで、このツアーの最大の特徴である、ブラスの登場ですね。「The 美学」「GOOD BYE 夏男」「ナビが壊れた王子様」「宇宙でLa Ta Ta」と4曲続きます。


 まあ、前回の「OTONA no NAMIDA」が「大規模なディナーショー」ならば、今回は「テーマパークのアトラクション」と云えるでしょうか。「The美学」の方は、特に違和感なしに良い感じだと思いますが、「GOOD BYE 夏男」以降で、ブラスのお兄さんたちが一緒に振りをするのには驚きました。これ、どう思いますw
 ライブに来るファンは、松浦亜弥を見に来るわけですよ。アイドルが異性と共演するというのは、ファンの立場からすると、あまり面白いことではありません。僕は、アイドル系ライブのバックバンドの基本は、演奏に徹することだと思うんです。ステージのサイドに控えて演奏して、ソロパートでスポットライトを浴びてる方が、絶対格好いいと思うんですけど、一緒にダンスしようって、誰が言い出したんでしょうか。

 でも、折角ですから、三人を紹介しますね。ウィキペディアで調べたんですよ。
 トロンボーンの望月誠人氏がバンマスのようです。愛称は「ヅッキー」。ジャニーズ関係のライブの他、レコーディングやテレビ番組で様々なアーティストと共演するサポートミュージシャンだそうです。2011年9月6日、劇症肝炎にて他界とありました。このライブのわずか5年後です。
 トランペットは渡辺尚仁氏。愛称は「ナベさん」。ジャニーズ関連のライブサポートやレコーディングの他にテーマパークのバンドのお仕事もしていたそうです。
 サックスは森宣之氏。愛称は「ノリさん」。バンド「オリジナル ラブ」に参加後、シャ乱Q「ズルイ女」のホーンアレンジを担当。2006年に脳梗塞を患いますが、リハビリをしながら童謡・歌謡曲の演奏活動に携わるとありました。

 で、次は、ギターの登場ですね。ギタリストは「戸谷 誠」。愛称は「トニー」。椎名林檎のライブでサポートギタリストを務めている方のようです。ギターのみの伴奏で、ヲタクを着席させて、「可能性の道」「(昼)私のすごい方法:(夜)ハピネス」と2曲歌っています。その中から、今回はこちらを。


 で、今度は、キーボードの登場ですね。キーボーダーは寺田志保さん。愛称は「しほちゃん」。現在は、ゲーム主題歌やアニソン関係の仕事をされているようです。


 この「YOKOHAMA SING A SONG」が、僕的には、ベストテイクに思います。「草原の人」のカップリングでミューカルでも歌いましたけど、16才の「あやや」にはいくら何でも早すぎる印象がありました。ようやく曲に追いついたって感じですね。衣装、バンド構成も曲にピッタリです。
 次の「オリジナル人生」もなかなかだと思います。


 続くメドレーは「好きすぎて バカみたい」「桃色片想い」「ね~え?」「SHALL WE LOVE」「LOVE涙色」「Yeah!めっちゃホリディ」と、これぞ松浦亜弥というアイドルメドレーなんですが、ことごとくアレンジを変えてきてますから、これじゃあ振りマネもコールもできませんね。それでいて「皆さんご一緒に」って云うんですから、もうメチャ振りもいいところです。健気についていく亜弥オタさんたちが痛々しく感じたのは、僕だけでしょうかw

 この「デート日和」は、良いと思いますよ。タレントとバンドの距離感も良いし、キーボードの 志保さんが最高です。


 で、ラストスパート「恋してごめんね」「(昼)絶対解ける問題:(夜)I know」です。ここは、オタクさんも今までのノリでOK、ホッと一安心といったところでしょう。

 アンコールは、「夢」「女の友情問題」と盛り上げ曲とは云え、全く知名度の無いカップリング曲を2曲続けて、最後の最後までオタクの予想と期待を裏切り続けてお終いになります。



 僕は、このライブの「進化の季節…」の「…」の意味が分かりませんでした。で、ここに何か特別な想いがあるのではないかと、必死に深読みをしていたんですけど、「砂を噛むように…NAMIDA」から、前回「OTONANO no NAMIDA」で「NAMIDA」を使ったから、今度は、「…」を使ったのかなって思ったんですよ。安易すぎですよね。だとしたら、前回ストリングスだから、今回ブラスという安易な発想で企画したという予想も間違っているとは言えないと思いますよ。

 まあ、前回がストリングスでしたから、今回はブラスでというのは、確かに安易な発想ですが、アップテンポの楽曲については、それなりに迫力のあるステージになっていたと思います。完全フルバンドでカラオケの被せ無しが理想なんですけど、当時の動員力では、望むべくもないことですからね。これだけやらせてもらえてるだけでも、破格の特別扱いだと思います。

 2006年の2つのステージは、新たな挑戦というに相応しい試みだったと思います。歌を聴かせるという観点では、春のライブが、ステージを楽しむという観点では、秋のライブが良かったと思います。しかし、Amazonのレビューなんかは、概ね好意的な書き込みが多いんですけど、ファンが無理して自分を納得させている感じもするんですよね。受け入れられずに、黙って去って行ったファンも多かったのではないでしょうか。

 私は、自分の道を行きます。ついて来これるファンだけいればいい、っていうのは、結局は、ファンに甘えているだけってことなんですけどね。

2016年3月21日月曜日

松浦亜弥コンサートツアー2006春 ~OTONA no NAMIDA~

 2006年4月1日の市原市市民会館から6月25日の東京厚生年金会館まで開催されたコンサートツアーが、「OTONA no NAMIDA(大人の涙)」です。DVDは、最終公演であり、お誕生日公演でもある6月25日のテイクが収録されているようです。

 オープニングは、「I LOVE YOUの続き」です。奇をてらうって云ったらよいのでしょうか、「渡良瀬橋」のカップリング曲だそうですけど、何の予備知識も無く、いきなりこの曲がかかったら「なに?なにっ?」って感じで、絶対戸惑ったと思います。新曲か、どこかのカバー曲って思ったかもしれません。


 で、「奇跡の香りダンス」「SHINE MORE」と続いて、賑やか系のメドレーがあり、カントリー娘が出てきて第一部終了となります。この後のライブの構成から察すると、これでノルマ達成ってことなんでしょう。

 この後、青い衣装に着替え、グランドピアノが出てきて、このライブ最大の特徴である、アコースティックライブの始まりとなります。「ね~え?」「LOVE涙色」と2曲ありますが、今回は、こちらで。


 「ね~え?」のボサノバ風のアレンジは、2004年に村田陽一氏が、「LOVE涙色」については、いくつかのステージでスローバージョンを披露していますが、「超」とまでは、いかなくとも、並ビックリポン程度のインパクトはあったと思います。
 亜弥ヲタと呼ばれる人たちは、盛り上げる時には盛り上げる、聴くときには聴くということをモットーにしていたようですけど、さっきまで「あーやや、オイ!あーやや、オイ!」と叫んでいた人たちが、一転して着席し、涙を流しながら聴き入るという光景は、何とも1度共有してみたかったですw

 で、ここで、ストリングスが入って、ピアノ弦楽五重奏ですね。


 この青い衣装のアコースティックコーナーは、5曲ともYouTubeにアップされているんですが、それぞれアップ主さんが異なるというものです。当時のライブレポートによるとこのライブを評して「大規模なカジュアルディナーショー」という書き込みがありましたが、なかなか言い得て妙であると思います。
 松浦亜弥さんにしてみれば、一度こう云うライブをしてみたかったというところでしょうか。カラオケライブと違って、アレンジやリハーサルなども必要でしょうから、それなりにお金も掛かるでしょうし、そんなに多くの動員も見込めない時期です。CDなどが、バンバン売れているアーティストがファンへのお礼代わりに、採算度外視でライブを行うということもあると思いますが、松浦亜弥さんの場合は、ライブも重要な収入源だったでしょうから、よくOKが出たなと思います。
 ファンの中には、松浦亜弥さんの人気低落の原因を、つんく♂氏や事務所に求め、批難の書き込みが見られますが、少なくとも事務所は、彼女のやりたいようにやらせていたように思えます。


 ここでの5曲についてですが、「.ね~え?」は村田氏による2004年のテイクが、「LOVE涙色」については2002年のファクトリーライブ、「初めて唇を重ねた夜」はファーストコンサート、「ずっと 好きでいいですか」はキャプテン公演、「渡良瀬橋」は代々木スペシャルが、それぞれのベストテイクだと僕は思っています。でも、この「OTONA no NAMIDA」のテイクは、それに続く準ベストテイクとも云える出来です。それぞれの視聴回数は、松浦亜弥さんの動画の中では、決して多い方ではありませんけど、1枚のライブDVDから、これだけの動画がアップされているということは、ファンをして世間に伝えたいと思わせるだけの魅力のあるステージだといえましょう。

 ここからは、また、盛り上げ系の曲が続きますが、カラオケ伴奏に生伴奏を被せてのステージになります。


 何て云うのかなあ、弦楽器のお嬢さん方の雰囲気が良いんですよね。音楽をすることが楽しくってしょうがない感じで、聴いている方も心の底から楽しめる。

 で、ラストソングが、裸足で歌う「砂を噛むように…NAMIDA」


 そして、お約束のバースデーケーキに顔を突っ込んだ後の、アンコール2曲へと続きます。


 しかし、本当に楽器苦手なんですかね。緊張していたことを差し引いても、素人だって、もう少しマシには、弾けるかと。っていうか、何で弾いたんだろう?

 今回は、YouTubeで検索して出てくる11曲中の7曲も貼り付けさせていただきました。ファンの中には、このライブを一推しにしている方も多いみたいです。僕は、「そうなのかなあ」程度に思っていたんですが、改めて動画を見ていて納得してしまいました。
 このライブの動画群の視聴回数は、松浦亜弥さんの動画の中では、決して、多くありません。しかし、「OTONA no NAMIDA」は、アイドル歌手あややの最終到達点であると同時に、マニアックライブに代表されるシンガー松浦亜弥の出発点でもあると思います。両方の素晴らしさを兼ね備えている反面、どちらも中途半端な印象もありますが、松浦亜弥さんを語る上で、欠かすことのできないコンサートであることだけは、確かだと思います。

 この時期に新しいオリジナルアルバムを発表できなかったことが、何とも残念です。結果として、既存曲を新アレンジするなどの焼き直しで構成するしかなかったわけですから。
 ニューアルバムを発表してコンサートツアーをスタートさせるという、アーティストの王道ともいえる音楽活動は、翌年の「ダブルレインボウ」を待たなくてはなりません。

2016年3月19日土曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その9  ~栗は鰻の償いなのか~

 ちょっと、順番が変わりますが、今回は、この物語の核心部分である、償いの場面を考えていきたいと思います。

 兵十の母親の死を知った権狐は、一人(一匹)穴の中で思いを巡らせます。

自筆版です。
【その夜、権狐は、洞穴の中で考えていました。
「兵十のおっ母は、床にふせっていて、うなぎが食べたいと言ったに違いない。それで兵十は、はりきり網を持ち出して、うなぎをとらまえた。ところが自分がいたずらして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。それで、おっ母は、死んじゃったに違いない。うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと言いながら、死んじゃったに違いない。あんないたずらをしなけりゃよかったなー。」
 こおろぎが、ころろ、ころろと、洞穴の入口でときどき鳴きました。】

 赤い鳥版も此所のところは、大体同じようなものです。ただ、自筆版では、権狐は自分のことを「自分」か「俺」と言いますが、赤い鳥版では、「俺」と「わし」です。「俺」と「僕」などは、併用したり、使い分けたりすることもありますが、「俺」と「わし」を併用する人は、いませんから、ここは、どちらかに統一した方が良いかなと思います。
 あと、自筆版は「鰻が食べたいと言いながら死んじゃった」ですが赤い鳥版は、「思いながら死んじゃった」です。言いながら死ぬというのは、もの凄い場面ですね。死ぬ間際の言葉が、鰻が食べたいですから。この部分に関しては、珍しく赤い鳥版の方が、ソフトな表現になっていて面白いところです。
 で、「こおろぎ」の部分は・・・当然カットですw

自筆版です。
【兵十は、赤い井戸の所で、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧しい生活をしていたので、おっ母が死んでしまうともう一人ぽっちでした。
「俺と同じように一人ぽっちだ」
兵十が麦をといでいるのを、こっちの納屋の後から見ていた権狐はそう思いました。】
 
 「赤い井戸」って分かりますか。これ井戸囲いに常滑焼の土管を使っている井戸なんですよ。半田の隣が、焼き物で有名な常滑です。常滑では、昔から焼き物で土管を作っていて、商品にならなかった土管をブロック代わりに再利用してます。この常滑焼の赤い土管を井戸囲いに使うという記述は、「牛をつないだ椿の木」にもでてきます。だから、絵本で木枠の赤い井戸が描かれている本は、勉強不足ってことですw


 ここで、重要な記述は、「俺と同じように一人ぽっちだ」というところですよね。

 権狐が、盗んだ鰯を兵十の家に投げ込む場面です。自筆版です。
【いわし売りは、いわしのはいった車を、道の横に置いて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へ持って行きました。そのひまに、権狐は、車の中から、五六匹のいわしをかき出して、また、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の背戸口から、家の中へ投げこんで、洞穴へ一目散に走りました。はんの木の所で立ち止まって、ふりかえって見ると、兵十がまだ、井戸の所で麦をといでるのが小さく見えました。権狐は、何か好い事をしたように思えました。】

 いきなり、栗を持って行くので無く、その前に「鰯」の場面があるというところが、この物語が良くできているところだと思います。
 自筆版はこのように続いています。

【次の日には、権狐は山へ行って、栗の実を拾って来ました。それを持って、兵十の家へ行きました。背戸口からうかがって見ると、ちょうどお正午だったので兵十は、お正午飯のところでした。兵十は茶碗をもったまま、ぼんやりと考えていました。変な事には、兵十のほっぺたに、すり傷がついていました。どうしたんだろうと、権狐が思っていると、兵十が独言を言いました。
「いくらかんがえても分からない。いったい誰がいわしなんかを、俺の家へほりこんで行ったんだろう。おかげで俺は、盗人と思われて、あのいわし屋に、ひどい目に合わされた。」
まだぶつぶつ言っていました。
 権狐は、これはしまったと思いました。かわいそうに、あんなほっぺたの傷までつけられたんだな。権狐は、そっと納屋の方へまわって、納屋の入口に、持って来た栗の実を置いて、洞に帰りました。次の日も次の日もずっと権狐は栗の実を拾って来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きのこや、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もういたずらをしなくなりました。】

 赤い鳥版では、「いわし屋の奴にぶん殴られて」という記述になるのですが、自筆版では、「いわし屋にひどい目にあわされた」とあるだけです。兵十は、ほっぺたに「すり傷(かすり傷)」をつけていますが、殴られて受ける傷は、打撲ですから、「おでこにたんこぶ」みたいな記述が良いかと思います。「ひどい目」を読者(この場合は、子供たち)に分かり易いように「ぶん殴られた」と書き換える一方で、「かすり傷」は、そのままにするという不徹底なところが気になります。って云うか、「ひどい目」で十分だと思います。あと、いわし屋には、罪は無いんで、いわし屋の「奴」なんて言われる筋合いはないかと・・・w

 権狐が持って行く物について、「栗ばかりでなく、きのこや、薪を」とありますが、赤い鳥版では、「栗ばかりでなく、松茸も二,三本」となって、キノコと薪が、松茸に変わります。知多半島では、松茸は採れないというツッコミも可能なんですが、山で松茸を見つけて、大事そうに持って行く権狐を思い浮かべると、何とも可愛い感じなんで、僕は、これは良しとしますw
 ただ、薪を持ってくるという記述は、素朴で捨てがたいですよね。償いのメインは、栗でなく薪でも良かったかなって思うくらいです。

 今日の本題は、栗は鰻の償いであるのかという問題でしたね。で、普通は、云うまでも無く「償いである」となります。赤い鳥版では、鰯を投げ込んだ時に、「ごんは、鰻のつぐないに、まず一つ、良いことをしたと思いました。」と書いてあるからです。まず1つ目が鰯なんですから、その後の栗も松茸も、つぐないの延長線上の行為と考えるのが普通です。

 ところが、自筆版では、「権狐は、何か好い事をしたように思えました。」とあるだけです。償いという直接的な表現が無いこともそうなんですが、「好い事をしたように思える」という記述がなんとも微妙です。権狐は、自分の行為について、自分でも上手く説明ができず、ただ、おこなった後の心地良さだけを味わっているんです。
 確かに、鰻の件で権狐は反省し、一人ぼっちになった兵十に共感していますけど、鰻を盗んだことを償うとは書いてない。兵十に好いことをしてあげようと思っているんです。「よい」っていうのは「好い」「善い」「良い」ってありますけど、正に「好い」なんですよね。今度は、兵十に好かれるようなことをしたい、ということです。

 プレゼントって、受け取るより、渡す立場の方が楽しいし、人に尽くされるより、尽くす方が、より幸せを感じることがあると思います。
 権狐も、初めて尽くす相手を見つけたんですよ。もちろん、鰻を盗んだことの罪滅ぼしの気持ちもありますし、同じ一人ぼっち通しという連帯感もあるでしょうけど、好いことをしているときの心地よい思いを知ったのだと思います。

 だから、この後に「そして権狐は、もういたずらをしなくなりました。」となるんです。悪戯をやめるのは、鰻の件を反省したからで無く、悪戯よりも楽しいことを見つけたからだったんです。
 僕は、最初、何で此所にいきなりこんな文が入ってくるのか分からなかったんです。三重吉氏もこの文を削除しているんですが、僕も、この文が物語の流れに沿っているとは思えなかったんです。普通は、「鰻の件を反省」→「悪戯をやめる」→「償いをする」っていう流れでしょうから、この文を入れるとすれば、穴の中で反省した次に入るのが普通だと思っていました。でも、南吉にすれば、この文は、此所に入れるべきものだったんです。

 不思議なことが続いた兵十は、このことを加助に話します。加助は、それは神様の仕業だから、神様にお礼を言うがいいと答えます。
 
 自筆版です。          
【権狐は、つまんないと思いました。自分が、栗やきのこを持って行ってやるのに、自分にはお礼言わないで、神様にお礼を言うなんて。いっそ神様がなけりゃいいのに。権狐は、神様がうらめしくなりました。】

 赤い鳥版です。
【ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。「俺が、栗や松茸を持っていってやるのに、その俺にはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃあ、俺は、引き合わないなあ。」】

 ここの記述については、償いの気持ちで始めたことにもかかわらず、感謝して欲しいと願う権狐の身勝手さということになっています。特に「つまんない」という記述で、権狐って偉いと思ってたのに案外、見下げた奴だなあ、ってことになってしまいます。
 赤い鳥版では、「償い」を強調してしまったことと、「神様がいなけりゃあ」という表現を憚って「俺は引き合わないなあ」と書き換えたことで、より一層がっかりイメージが強く出てしまいます。

 でも、権狐にとって、栗は賠償でなくてプレゼントです。秘密のプレゼントなんで、贈り主が分からないのは仕方ないとしても、無関係な人と間違えられたら厭ですよね。で、神様がいなけりゃあになる訳です。贈り主がずっと分からないままの方が、まだマシなわけです。何もしないのに感謝される神様がうらめしいわけです。決して、損得勘定でものを云っているわけではないんですよね。
 昭和初期という時代に「神様」について記述することは、デリケートなことだったでしょうから、「引き合わない」と書き換えた三重吉氏の行為も理解できますし、上手いこと書き換えたなって思いますけど、やっぱり損得勘定が出てしまいます。

 まあ、三重吉氏の書き換えをどうこう云うよりも、そうせざるを得なかった時代を悲しむべきなんでしょうね。

2016年3月18日金曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その8 ~はりきり網の現場を検証する~

 今回は、権狐の最後の悪戯について考えていきたいと思います。

 まず、舞台となった「はりきり網」についてですが、記念館のHPに解説がありました。

 【大雨が降った後に池から落ちてくるウナギを川の下流で捕るための網。普通は待ち網といいますが、川幅いっぱいに“張りきって”使うため、岩滑では“はりきり網”と呼んでいました。】



 2つのことが分かります。1つは、「はりきり網」が方言であると云うことです。にもかかわらず、赤い鳥版でも、そのまま「はりきり網」と書かれています。方言は必ず書き換えているのに不思議なんですが。三重吉氏は、「はりきり網」がどのようなものか分からなかったのだと思います。なので、書き換えようが無かったのでしょう。
 そして、もう1つ。「はりきり網」は川が増水した時に使うということです。これは、意外でした。僕は、兵十が増水した川で漁をしたのは、母親にウナギを食べさせるために、危険を承知で敢えてしたと思い込んでいたんです。木ぎれや枝が網に入ってしまう悪条件の中、何が何でも、今日、ウナギを捕る必要があったのだと。実際は、兵十がはりきり網を持ち出したのは、この日がはりきり網の漁にとって好条件の日だったからなんですね。
 母親にウナギを食べさせたいという想いは、同じでしょうけど、うなぎを食べさせるということが、切羽詰まった緊急を要するような事態ではなかったということになります。

 漁の様子などの情景描写を比較すると、いろいろとツッコミどころもあるんですが、今回は、ちょっとスルーして先に進みますね。

自筆版です。
【兵十がいなくなると、権狐はぴょいと草の中からとび出して行きました。魚籠にはふたがなかったので、中に何があるか、わけなく見えました。権狐は、ふといたずら心が出て、魚籠の魚を拾い出して、みんなはりきり網より下の川の中へほりこみました。】

赤い鳥版です。
【兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきりあみのかかっている所より下手の川の中を目がけて、ぽんぽん投げこみました。】

 やっていることは、同じに思えるんですが、微妙にニアンスが違うのが分かりますでしょうか。自筆版では、魚籠の中の魚を見たときに、ふと悪戯心が出る、いわゆる「できごころ」ってやつですけど、赤い鳥版では、最初から、悪戯をするつもりで、魚籠に近づいて行くんですよね。
 自筆版の場合、蓋が無いから、狐でも中の魚が見えた、だから悪戯したくなったという流れです。魚籠に蓋が無いのは、普通の事だと思いますけど、まるで、蓋さえあれば悪戯しなかったみたいな言い方です。

 では、ウナギの件です。自筆版です。
【とうとう、権狐は、頭を魚籠の中につっ込んで、うなぎの頭をくわえました。うなぎは、「キユッ」と言って、権狐の首にまきつきました。その時兵十の声が、
「このぬすっと狐めが!」
と、すぐそばでどなりました。】

赤い鳥版です。
【ごんは、じれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッといって、ごんの首へまき付きました。そのとたん、に兵十が、向こうから、
「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」
と、どなりたてました。】

 自筆版ですが、面白い表現を使っています。「兵十の声が、すぐそばで怒鳴りました。」だそうです。「声が怒鳴る」とは変わった表現です。赤い鳥版では、「兵十が向こうから怒鳴り立てました。」と一般的な表現に書き換えられています。南吉にとっては、実験的な表現だったのでしょうが、敢えなくボツとなっています。

 で、考えたいのは、その時の台詞です。自筆版は「この盗人狐めが」ですが、赤い鳥版は「うわあ盗人狐め」です。赤い鳥版は明らかに慌ててますよね。落胆の色も隠せません。ただ、慌てながら怒鳴るって難しいですよね。ここは、「わめく」とか「叫ぶ」が適当かと思います。
 自筆版の方は、叱り飛ばしている感じです。悪戯する方も、される方もお互い相手のことを承知している。村人たちは、権狐の悪戯に迷惑してますけど、追い払えば良しって感じで、権狐は、ギリギリのところで存在を黙認されているように思えます。
 考えてみれば、網は、まだ張った状態ですので、もう少し待てば、次の魚がかかってくるわけで、再びウナギが捕れる保証はありませんけど、逃げた狐に関わっている暇があったら、次の漁の支度をした方が良いはずです。だから追いかけて行かなかったのでしょうかね。

自筆版です。
【権狐は、ほっとしてうなぎを首から離して、洞の入口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。うなぎのつるつるした腹は、秋のぬくたい日光にさらされて、白く光っていました。】

赤い鳥版です。
【ごんはほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっと外して穴の外の、草の葉の上にのせておきました。】

 自筆版の「うなぎのつるつるした腹は、・・・」というのは、南吉が好んで書きたがる表現です。赤い鳥版では、物語の進行に不要と云うことでカットなんですけど、南吉の作品を味わうという目的で、「権狐」を読むならば、こういうところは無くてはならない部分だと思います。
 で、やっぱり、気になるのは、「鰻の頭を噛み砕き」のところですよね。ひと言で言って「グロい」です。三重吉氏の意図は、何だったんでしょうか。権狐の残忍さを表したかったのか、野生の一面を見せたかったのか、童話なんですからもう少し気の利いた表現がなかったんでしょうか。というより、この記述、必要だったのかなあと思います。
 で、権狐は、鰻をいささぎの葉の上にのせます。意味深な行為ですけど、これが何を意味するのか僕には分かりません。ただ、捨てたのでは無いことだけは確かです。赤い鳥版は、「いささぎ」を「シダ」に書き換えちゃったんで、草の上にのせましたと書かざるをえないですね。頭を噛み砕かれた鰻が草の上に置いてあるという残念な情景になってしまいました。
 1つの完成された作品に対して、部分を変えてしまうと、全体が崩れ落ちていくという典型的な例だと思います。

 兵十が、はりきり網を持ち出した本当の理由や、兵十の母親の死と鰻との関係は、はっきりと書かれていません。でも、子どもだったら、鰻を食べれば病気が治ると考えるかもしれません。
 権狐が兵十の母親の葬式に出会うのは、この10日後のことです。この10日という設定も、なかなか上手くできていると思います。この後、ごんは、兵十の母親の死と、自身がウナギを盗ってしまったことを結びつけて、勝手に自己反省します。それは、キツネの知恵がその程度だからってこともありますけど、10日後という設定がそう思わせたと云えます。

2016年3月17日木曜日

AKB48「桜の木になろう」を初音ミクが歌う ~柏木由紀VS初音ミク~

 卒業式シーズン真っ只中ですね。そして、もうすぐ桜の季節。地球温暖化の影響で、入学式のシンボルだった桜の花が、卒業式のシンボルになる日も近いみたいです。
 ところで、卒業ソングには、桜の花を歌うものが結構あるんですよね。卒業式に桜の花が満開なんて地方は、ほとんど無いと思うんですけど、歌の世界では、地球温暖化を待つまでも無く、出会いのシンボルだった桜の花が、別れのシンボルになっていたんですね。

 で、桜の季節にちなんで、今回、紹介させていただくのは、AKB48が2011年2月にリリースした「桜の木になろう」です。まずは、本家からいきましょうか。


 ちょうど5年前のテイクみたいです。やっぱり前田敦子さんがセンターにいると、これこれって思ってしまいます。ネ申7とかネ申8とか言われてた頃、AKBが一番充実していた時期ですよね。
 そう云えば、あっちゃんが「私のことが嫌いになっても・・・。」って言ったのは、この年の総選挙の時でした。僕、何故かテレビで見てたんですよ。で、聞いた瞬間、これは歴史に残る名言になることを確信しました。だって、AKBのセンターですよ。日本のアイドルのトップに君臨した女の子の第一声が「どうせ、みんな私のこと嫌いなんでしょ。」ですから。ホントに希有な存在。「あっちゃん」って「あやや」のアンチテーゼだったんだなって思います。

 では、ボーカロイドカバーの前に「柏木由紀」さんのライブテイクを見つけましたので、


 期待せずに聴くと、なかなかのように思います。

 柏木由紀さんは、石川梨華さんのファンで、モーニング娘のオーディションにも応募したことがあるんだそうです。三次選考まで残ったそうですけど、ネット情報によると、つんく♂氏に「全くディレクションとかレッスン受けずにこんだけ歌えるというのはすごいけど・・・」と云わせたとか。小さい頃からアクターズスクールでレッスンを受けているような子じゃ無くって、こういう伸びしろが期待できる子を見いだすのがオーディションの目的だと思うんですけどね。まあ、結果的に彼女は落選して良かったのでしょうが。

 では、初音ミクです。柏木さんと勝負ですよ。


 melodylightsさんは、可愛く歌わせるという分野で、いつもいつも素晴らしい作品を発表してくれています。

 期待せずに聴くと、なかなかのように思いますが、いかがでしょうかw

2016年3月16日水曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その7 ~鈴木三重吉という人~

 では、鈴木三重吉氏とは、どのような人物なのでしょう。


 鈴木三重吉氏は、1882年(明治15年)生まれ、広島県出身で東京帝国大学英文学科卒。夏目漱石の門下生。童話雑誌「赤い鳥」を創刊し、日本の児童文化運動の父とされています。
 「赤い鳥」の発刊については、かなりのご苦労があったようで、有名作家に原稿を依頼しても、童話なんて誰も書いたことがないという時代で、なかなか原稿が集まらなかったそうです。で、ゴーストライターに書かせて、名前だけもらったとか・・・。何でも最初に始めるというのは、大変なことみたいです。あと、かなり酒癖の悪い方だったそうですけど、それはここでは関係ない話ですね。

 三重吉氏がどのような文章を書いていたのか、気になるところです。ネットにある作品の中で、どれを選べば良いのか、全然検討もつかないんですけど、とりあえず、これにしました。
 鈴木三重吉氏の代表作「千鳥」の一部分です。夏目漱石が絶賛し、雑誌「ホトトギス」に掲載されたという、氏の出世作になります。

【すると、いつの間にか、年若い一人の婦人が自分の後に坐っている。きちんとした嬢さんである。しとやかに挨拶をする。自分はまごついて冠を解き捨てる。婦人は微笑ながら、
 「まあ、この間から毎日毎日お待ち申していたんですよ」
という。
 「こんな不自由な島ですから、ああはおっしゃってもとうとお出でくださらないのかもしれないと申しまして、しまいにはみんなで気を落していましたのでございますよ」
と、懐かしそうに言うのである。自分は狐にでもつままれたようであった。丘の上の一家の黄昏に、こんな思いも設けぬ女の人がのこりと現れて、さも親しい仲のように対してくる。かつて見も知らねば、どこの誰という見当もつかぬ。自分はただもじもじと帯上を畳んでいたが、やっと、
 「おばさんもみんな留守なんだそうですね」
とはじめて口を聞く。
 「あの、今日は午過ぎから、みんなで大根を引きに行ったんですの」
 「どの畠へ出てるんですか。――私ちょっと行ってみましょう」】

 いかにも明治の文学ですよね。で、一番気になったのは、一文がやたら短いんですよね。「何がどうした」「何がどうした」「誰が何と言った」って感じで文が続いていきます。表現も明確で、何より主語と述語の関係がはっきりしています。
 もう1つは、「と」が多い。「と、言いました。」とか「と、その時」という表現を好んで使っています。これは沢田保彦氏も指摘されているところで、「ごんぎつね」についても、自筆版に元々な無い「と」が、赤い鳥版では加えられていて、こういうところに、添削者の癖が出ているように思います。

 こういう分析があっているのかどうか自信は無いんですけど、三重吉氏の文体は、氏が英文学者であったということが関係しているように思えます。氏の文章には、英文の翻訳文のような印象があります。情景描写についても、1つ1つの文がクリヤーで、たたみかけるように書いている。ちょうどスライド写真を見ているかのようです。
 それに対して、新美南吉氏の文章のイメージは、ほんわかした感じで、暖かみのある文章です。ただ、ピンぼけ写真みたいなところがあって、何が言いたいのか分からないときもあるし、その表現必要なのかなって思うものもあったりします。

 歌に個性が出るように、文にも個性があります。例えば、僕の文章は、一文がやたら長くって、文末をこねくり回します。だから、この文を誰かが添削してくれたら、きっと文を分割して、語尾をはっきりさせてくれると思います。きっと読みやすくって分かり易い文になるでしょうが、それはもう、僕の文章ではないですよね。例え、書いてある中身が同じであったとしても。

 そういう観点を持って読んでいくと、赤い鳥版の「ごんぎつね」には、あちらこちらに、三重吉氏らしさが出ています。それは氏が添削をしている以上致し方のないことです。もちろん、三重吉氏は、「ごんぎつね」のストーリーを改ざんしているわけではありませんから、ストーリー展開を追って読んでいる限りは、三重吉氏の文体であろうが、南吉の文体であろうが、あまり気にならないのかもしれません。
 しかし、赤い鳥版「ごんぎつね」を他の南吉作品と読み比べたときに、何となく感じる違和感は、そのせいではないのかって、僕は推理しているんです。

 僕は、自筆版「ごんぎつね」が広く世に紹介されていくことを望んでいます。自筆版の絵本が出版されることを望みます。また、既存の絵本には、巻末に資料として自筆版を掲載すべきです。こちらは、かなり実現可能なことだと思います。
 自筆版が単なる下書きや草稿だったら、こんなことは考えませんけど、赤い鳥版に他人の手が入っていることが明らかな以上、2つの権狐は、少なくとも同等に扱われるべきだと思っているんです。

2016年3月15日火曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その6 ~ごんのプロファイル~

  ここまで、さんざんと鈴木三重吉氏を批判してまいりましたが、一方的な考察ばかりでは、公平さを欠きますので、三重吉氏の改作を絶賛する意見も紹介しておきます。

 


 もちろん、納得の意見もあります。方言の排除が正義であった、当時の国語教育の現状を考えれば当然のことですし、情景描写の分かり易さ(僕的には、品性を欠いた表現と、オヤジギャク的なユーモアですが)も向上していると思います。もっとも、文章の添削というのは、後出しジャンケンみたいなものですから、直す側がよくできて当たり前なんですけどね。

 ただ、自筆版のファンからすれば、{?}なところも満載で、例えば、自筆版に、ごんが償いに薪を持ってくるところがあるんですが、これが赤い鳥版では削除されてるんです。この理由を「薪を持ってくるというのは擬人化のやりすぎであるから削除が適当」としているんですけど、木の枝や棒くらい狐は口にくわえて持ってきます。それだったら、自筆版で「栗を拾って持って行きました」ってところを「栗をどっさり拾って、かかえて持って行きました」って書き換えた三重吉氏の方が、よっぽど擬人化をやりすぎていると思うんですけどねw

 結論としては、「ごん狐は、三重吉の手によって地域性を失う一方で,より普遍的な物語性を獲得して読者市場を流通する文学テクストに変換されたのである。」だそうです。
 要は、「昔々或る処」の話に書き換えたってことを評価しているのでしょうけど、「ごんぎつね」の普遍的な物語性は、三重吉氏が、知多半島の方言を品の無い江戸っ子言葉に直したり、「納屋」を「物置」に書き換えたりしたから獲得できたとは思えません。ごんぎつねが広く指示されたのは、その表現方法の巧みさでは無くって、ストーリーからだと思います。ストーリー構成については、三重吉氏は、指一本触れていないわけで、ごんぎつねは、直しても直さなくても素晴らしい物語だったと思うんですけどね。

 では、今日の本題です。権狐とは、いかなる狐かを考えていきたいと思います。いきなりですが、記念館のキャラクター「ごん吉くん」です。

 自筆版です。  
【その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐という狐がいました。権狐は、一人ぼっちの小さな狐で、いささぎの一ぱい茂った所に、洞を作って、その中に住んでいました。そして、夜でも昼でも、洞を出ていたずらばかりしました。畑へ行って、芋を掘ったり、菜種がらに火をつけたり、百姓屋の背戸に吊してある唐辛子をとって来たりしました。】

 赤い鳥版です。
【その中山から、少しはなれた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱい茂った森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、辺りの村へ出ていって、いたずらばかりしました。畑へ入って芋をほり散らしたり、菜種がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家の裏手に吊してあるとんがらしをむしり取っていったり、いろんなことをしました。】

 権狐がどこに住んでいたのかという問題は、岩滑の町おこしにも関わる重要な問題です。一般的には、新美南吉記念館から見て北側、矢勝川(背戸川)の向こうに見える権現山(ただし川が境界線なので、此所は、半田市岩滑では無く、隣の阿久比町になる)と考えられています。確かに、記念館前の公園に立ってぐるりと見回すと、権現山は良く目立ちます。でも、戦前の風景は、今とは異なっていたでしょうから、狐が棲んでそうな山は、他にもあったのかもしれません。童話だから、そんなの何処でも良いだろうって思うかもしれませんけど、南吉の作風からして、必ず設定された場所があるはずです。
 沢田保彦氏は、権狐の洞を中山の城の近くに設定しています。権狐が川を渡っている描写が無いことのがその根拠のようです。場所的には、記念館の裏にある森、記念館と焼きたてパンが有名でいつもお客が絶えない「パンのとら:半田店」に挟まれた辺りでしょうか。しかし「少し離れた山」という記述を考えると、やはり、記念館から直線で600mほど北側にある、権現山が第一候補のように思います。権現山は、山といっても、比高は32m。こんもりと木が茂っている丘みたいなものです。


 自筆版では、権狐は「一人ぼっちの小さな狐」とありますが、赤い鳥版では「一人ぼっちの小ぎつね」になっています。狐は繁殖期以外は、単独で行動するから一人ぼっちは当たり前だそうですけど、そう云う問題じゃあないですよね。「一人ぼっち」は権狐のプロファイルには、絶対必要な言葉です。ここは、三重吉氏もちゃんと分かってくださってます。ただ「小さな狐」ならば「小ぎつね」で良いだろうって感覚だとしたら、ちょっとがっかりですw
 「小ぎつね」は「子ぎつね」に通じる言葉なんで、どうしても「幼い狐」「可愛い狐」という印象がつきまとってきます。ここでは、「小さな」という中に有る「ちっぽけな存在」「とるに足らないもの」という意味が重要になってきます。「小ぎつね」にしてしまうとその辺が弱くなってしまいますから、ここは、やはり「小さなきつね」のままにして欲しかったですね。

 あと「洞」が「穴」になってますけど、これは良しとしましょう。先の論文では、「洞は岩や大木にできた空洞をいうので,洞を作ったは誤りと考えられ、穴に改められた。」と分析しています。確かに「洞を作る」というのは、違和感有りますけど、恐らく、南吉は「洞は横に広がるもの」「穴は下に広がるもの」と考えていたと思います。
 南吉は、「洞」ともう1つ「洞穴」という記述をしているところもあるんですけど、これは、「穴」と書き換えたところと「ほらあな」とそのままで書き換えていないところがあって、考えが有ってのことかもしれませんけど、三重吉氏も意外と適当なんだなって思いますw

 で、その洞(穴)がある所なんですが、「いささぎの一ぱい茂った所」となっています。この「いささぎ」ですが、「ヒサカキ」の方言だと云うことです。「ヒサカキ」は、仏壇やお墓に供える、僕らの地方で云うところの「仏さんの木」です。そんな木の下に洞を作るというのも意味深ですが、権現山には、「ひさかき」が沢山あるそうですから、地元の人たちが、お墓参りの季節になると、権現山へ仏さんの木を取りに行っていて、南吉少年もそのことを知っていたという推理も可能になります。やはり、権狐は、権現山に棲んでいたのでしょうか。 


 赤い鳥版は、「しだのいっぱい茂った森の中」になっています。方言を直すのであれば、「いささぎ」を「ひさかき」にすれば十分なんですが、子供は「ひさかき」なんて知らないだろうということで、シダに変えたのでしょう。どうも、三重吉氏は、権狐の住んでいるところを「ある程度大きな山の奥の薄暗い森の中」に設定したかったようです。そのほうが、権狐の孤独感が強調されると考えたのでしょう。ただ、権狐が、村に悪戯をするためにはるばる山奥からやって来るという設定では、村のことにやたら詳しいことが不自然になります。やっぱり、権狐は村人の近くで、村の営みを感じながら生きていたと思います。「離れて暮らす」より、「近くにいるのに関われない」方が、孤独感が強いと思いますが如何でしょうか。

 最後に権狐の悪戯が具体的に書かれています。赤い鳥版では、「掘る」→「堀り散らす」、「取る」→「むしり取る」というふうに表現が強調されています。「散らす」を加えて「堀り散らす」としただけで、畑全部を滅茶苦茶にしてしまったような印象を与えます。権狐1匹のせいで、村がメチャメチャにされているかのようにも受け取れます。さらに「いろんなことをしました」と付け加える念の入れようです。こういうところは、さすが文学者って感じなんですが、あまり強調し過ぎると前回紹介したような「ごんは、殺されて当然」みたいな感想を引き出してしまいますし、第一、そんな危険な狐は、兵十が手を下す前に、誰かがとうに撃ち殺しているでしょう。

 では、何故、南吉は「掘る」とだけにしたのでしょうか。

 1つは、狐の獣害の実態に合わせているのではないかと思います。狐は、肉食が基本ですが雑食性だそうで、餌不足の時は、畑の芋を食べることもあるそうです。また、沢田保彦氏によると、菜種殻は、自然発火することがあるそうで、これを土地の人たちは、「狐火」と読んでいたそうです。
 もう1つは、南吉は、権狐をそこまで悪者にするつもりが無かったのでは、と思います。南吉の設定では、兵十が権狐を撃ったのは、偶然が重なった悲劇です。ラストシーンでの兵十の台詞は、自筆版も赤い鳥版もどちらも同じ「ようし」ですが、込められている気持ちは、異なります。赤い鳥版は、「ようし、ぶっ殺してやる」ですが、自筆版は「ようし、懲らしめてやる」です。銃を使ったのは、偶然に過ぎません。兵十は、懲らしめることができれば、使う物は、石でも棒でも良かったんです。
 南吉は、権狐が、一人ぼっちであることと、悪戯好きであることが、読者に伝われば十分だったのではないでしょうか。

 三重吉氏は、物語を面白くするために必要だと思い強調した。南吉は実態に合わせたので強調しなかった。馬鹿馬鹿しいほど当たり前の結論で、今日は、お終いです。

2016年3月14日月曜日

モーニング娘「鈴木香音」の卒業に思う

 モーニング娘の第9期メンバー、ズッキこと鈴木香音さんが、今回の春ツアーを持って、実質的に芸能界から引退するそうです。
 発表が2月7日とありましたから、1ヶ月以上前のことなんですが、つい最近知りました。このようなブログを立ち上げている自分とすればお恥ずかしいことなんですが、言い訳をさせてもらえば、それが現在のモーニング娘の世間からの注目度とも云えます。
 鞘師さんに続いて、ズッキまでということで、モーニング娘で僕の知っているメンバーは、とうとう、「小田さくら」ちゃんだけになってしましいました。
 

 この動画、鈴木香音さんで合ってますよね。

 福祉に関わる仕事をしたいそうです。人の役に立ちたいそうです。あの、仕事がキツくて、低収入で、若者から敬遠されて慢性的に人手不足に悩んでいる福祉関係のお仕事が、モーニング娘より良いそうです。
 でも、本人が決めたことならば、仕方ありません。福祉の勉強をしたいというのが、引退の理由の全てであれば、この件はこれでオシマイなんですが、記事を読んでいて気になることがあったものですから。

 ズッキといえば、何と云っても、あのポッチャリ体型でした。っていうか、そればっかりでした。正直云って、僕が彼女に関心を持ったのもそこからです。面白半分は否定できません。もちろん歌唱力云々とか、ダンスがどうとかありましたけど、それだって、あの体型にしては、という言葉がついてまわっていたと思います。
 でも、そうやって名前を覚えてもらって、活動の場を確保していくっていうのが、タレントという仕事だと思ってました。一時はポッチャリ系タレントとして、開き直ったかのような云われ方をされてましたけど、本当のところ、心は折れていたんでしょうか。

 体型を理由に選抜メンバーから外され、ダイエットに成功すればセンターに抜擢される。分かりやすいと云えば分かりやすいし、公正公平だと思います。タレントが体型を自己管理するというのは、基本中の基本です。でも、これでは、リバウンドすれば外されるという強迫観念と闘い続けなくてはなりません。17才の女の子がです。
 ズッキは、昨年ダイエットを敢行し二ヶ月で9kg、あるいは12kg痩せ、その後、猛烈にリバウンドしたそうです。思春期の女の子の急激な体重の増減は危険です。これが、精神の方にいっちゃったら、あのカレン・カーペンターの二の舞になりかねません。
 
 ズッキは、海外では、人気が高かったそうです。アメリカ人にとっては、ポッチャリも数ある個性の1つであり、魅力の1つにもなり得るということなんでしょう。

 いいえ、ズッキは、日本でだって人気者だったと思います。一推しでは無いにせよ、応援していたファンは少なからずいたはずです。センターをとれなくたって、最後列で踊っていたって、彼女をちゃんと見ていたファンがいたはずです。僕は、ズッキみたいなメンバーが存在することが、モーニング娘の強みだと思っていました。

 デビュー当時、つんく♂氏は、彼女を「強力な人懐っこさが武器」「元気が有り余ってこぼれている」と評したそうです。その彼女を、デビューしてわずか5年、17才でモーニング娘を去らざるをえないところまで、追い込んだのは、一体何だったのでしょうか。

 春ツアーの主役は、ズッキになるでしょうけど、でも、痩せたとか太ったとか、また言われるんでしょうね。
 
 まあ、余計なことだと思います。ズッキは、福祉の勉強がしたくてモーニング娘をやめる。それが全てであって欲しいと願うばかりです。

2016年3月13日日曜日

ブログ開設1周年を迎えられたことを皆様に感謝

 本日でブログを開設して1年となります。テンションに任せて投稿しまくろう、行き詰まったらそれはその時、と云う「兎と亀」のウサギ作戦で始めて、228本の記事を投稿させていただきました。こんな独り善がり、自己満足の自己完結、そして、思いつきと思い込みだらけの記事たちにお付き合いいただきありがとうございます。

 思えば、松浦亜弥さんのYouTube動画のコメント欄に感想を書き込んだのが全ての始まりでした。たまーに、高評価を押してもらったりすると、ますますイイ気になって、せっせと書き込んでました。そのころのコメントは、もう下の方に沈んでしまいましたが、今でもたまーーーに、高評価を押してくれる方がいて、Googleのお知らせ通知が来たりすると「ああ、読んでくれてるんだ」って嬉しくなります。

 その後、再生リストを編集することに熱中し、自分のYouTubeチャンネルのフリートーク欄に、思いついたことを書き込むようになりました。で、だんだん調子に乗って長文を書き込むようになり、それではと云うことで、1年前の今日、ブログを開設いたしました。このブログの名前にある「フリートーク」は、YouTubeチャンネルのフリートーク欄からとったものです。もっとも、最近は、フリートークであることをいいことに、タイトルとは無関係な記事を投稿することが多くなってしまいましたが、まあ、半分は、松浦亜弥さんのせいですので、お許しください。

 最後に、コメントを寄せてくださった皆様に感謝です。今後とも、御教授の程、よろしくお願いします。

 では、お終いに、このテイク、貼り付けさせていただきます。理由は・・・・特にありません。何となく聴きたい気分なものですから。


2016年3月12日土曜日

映画「桜の雨」が公開されたんですけど

 7月に、ボカロの卒業ソング「桜の雨」の実写映画が制作されているという記事をアップさせていただきましたが、この映画、今月の5日から公開されているようです。

 主演は山本舞香さん、相手役は浅香航大さん、とある海辺の小さな高校の合唱部が舞台の青春映画だそうです。主人公の名前がミクということ以外は、ボーカロイド色の無い、普通の映画みたいですね。
                                   
 ロケは、静岡県の沼津市で行われました。西浦、内浦、静浦あたりでしょうか、伊豆半島の付け根にある地区です。この辺は、何回か行ったことがあるんですけど、駿河湾の入り江を利用して鰺の養殖をしたり、山の斜面では、温暖な気候を利用して蜜柑の栽培をしたりというのどかなところです。
 実は、この地区は今、人口流失が大きな問題になっているそうです。東海地震がおきれば、この海沿いの地区は、大規模な津波被害が予想されているからで、集落の高台への集団移転も計画されていますが、なかなか難しいみたいです。海の向こうには富士山も見えて、旅行で訪れる分には、とっても良い所なんですけどね。
 

 正直云って、僕は、こう云うやり方に反発をおぼえていました。ボカロ人気にあやかって、ボカロ曲として発表し、その後、ボカロ色を打ち消していくって云うやり方です。
 でも、考えてみれば、これが正しいって云うか、こういう使い方を想定して作られたのが、ボーカロイドだったんですよね。歌を歌えない奴がボーカロイドでデモテープを作って、認めてもらえたら、ちゃんと人間が歌って形にするっていうふうに。それが、たまたま初音ミクのキャラクター戦略が成功して、ボーカロイドを人間扱いすることが商売になっただけ。本来の機械としての領分をわきまえれば、ここで僕が熱くなることが可笑しかったわけです。

 「桜の雨」は、確かにボーカロイドの楽曲として発表されたけど、みんなが卒業式で歌って、小説になって、映画になって、こんな可愛い女優さんに初主演というチャンスをプレゼントできたんです。今更、この曲はボカロ曲なんだって叫ぶことに何の意味があるんでしょうか。
 だから、もう此所に、初音ミクの「桜の雨」は、貼り付けないことにしました。この曲は、確かにボカロ曲として世に紹介されましたけど、たくさんの人たちに繋いでもらって、スタンダードな楽曲になったんですから。


 って、格好良く締めくくって、こっそり映画を見ようかなって思ったんですけど、この辺りでは公開している映画館が無くって。いくら何でも映画を見るために東京まで行くわけにもいかないし・・・w

2016年3月10日木曜日

3月9日がミクの日だってことを忘れてた

 またやってしまいました。初音ミクファンを自称していながら、大切な日をスルーしてしまいました。「ごんぎつね」なんて投稿している場合じゃありませんでした。

 で、1日遅れになってしまいましたが、早速、「39」貼り付けさせていただきます。まずは、2013年のマジカルミライからです。


 スタンドマイクで歌うというのは、わりと珍しいパターンだと思います。字幕の言葉は、ベトナム語だと思います。世界中のオタクが日本語の歌を聴いて、母国語の字幕を付ける。なんて素晴らしいことでしょうか。
 made in VIETNAMっていろいろな物でよく見るようになりましたけど、ベトナムの人たちって、何か好感が持てるんですよね。日本と仲良くしてくれそうだし・・・。近いうちにボーカロイドのライブも開催されるんじゃないでしょうか。

 引き続き、2014年のマジカルミライからです。同じ曲の場合、CGを使い回すという、手抜きが多い最近のミクライブですが、珍しいことに作り直しているようです。あと、バンド構成も変わっていますんで、比べるには、良いテイクかと思います。歌は、全く同じみたいですけど。


初音ミク5周年のアニバーサリーソングとして誕生し、ラストソングの定番となってきた「39」。2016年も、みんなで声を合わせて「サンキュー!」って叫ぶシーンがあるのかな。

 で、3月9日ですから、やっぱりこれですかね。デビュー間もない頃の堀北真希ちゃんです。15才だったそうですよ。もう12年も前の話です。レミオロメンは解散するし、真希ちゃんは、お嫁さんになっちゃうしで、月日の経つのは早いものです。


 というわけで、やっつけ仕事みえみえの投稿ですみません。

2016年3月8日火曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その5 ~兵十の殺意を検証する~

 今回は、いきなりのクライマックスです。

自筆版です。
【その日も権狐は、栗の実を拾つて、兵十の家へ持つて行きました。兵十は、納屋で縄をなっていました。それで権狐は背戸へまわつて、背戸口から中へ入りました。】

続いて、赤い鳥版です。
【その明くる日も、ごんは、栗を持って、兵十の家へ出かけました。兵十は、物置で縄をなっていました。それでごんは、家の裏口から、こっそり中へ入りました。】

 ほとんど同じ意味だったら、書き換える必要などないと思うんですけど、さすが三重吉氏ですw
 「その明くる日」とか「こっそり中へ」など、表現を強調して印象づけようとする傾向があるようです。「栗を拾って持って行く」のと「栗を持って出かける」は、いかかでしょうか。やっていることは、同じなんですが、拾った物を持って行くというのは、あまりたいしたことではありませんね。できる範囲でやっているという感じです。所詮、狐ですから。でも、こういう描写がいかにも南吉なんですよね。まあ、ごんが頑張ってるイメージが強い程、最後の悲劇とのギャップが強調されますから、三重吉氏の書き換えの意図も理解できないわけではありませんが。

 それからもう1つ、当時は、正しい日本語を教育して、普及させるということが重要とされていましたから、恥ずかしいものとされた方言や地方色のある表現を書き換えようとする傾向があります。ここでは、「背戸口」を「裏口」に、そして、もう1つが「納屋」です。僕は、納屋は立派な日本語だと思うんですけど、これを赤い鳥版では、「物置」と書き換えています。「納屋」と「物置」って似て非なるものだと思うんですけどね。物置小屋ならまだ分かるんですけどw

 世界大百科事典の解説です。

【納屋】
 物を収めておくため,独立して作られた建物。同じ性格の建物には倉と物置があるが,倉が物を長期にわたって保存格納する性格であるのに対して,納屋はある行事や作業に必要な道具を格納し,ときには作業場として使われることもある。また,物置は雑多な物を入れておく建物であるのに対し,納屋は使用目的がしぼられた物を収納する。

 この中の「作業場として使われる」のいうところが重要になってきますよね。兵十は、納屋で縄をなっているんですから。ごんぎつねは、栗を納屋に置くんですけど、物置に置いてったら、気づいてくれるまで何日かかるか分かりません。

 しかし、ここが悲劇の始まりです。今日に限って、兵十が納屋にいるんです。で、ごんぎつねは、仕方なく、背戸に回ることにします。今までだったら、納屋に栗を置くだけですから、誰にも気づかれずに済んでいたんですけど。

 自筆版です。 
【兵十はふいと顔をあげた時、何だか狐が家の中へ入るのをみとめました。兵十は、あの時の事を思い出しました。うなぎを権狐にとられた事を。きっと今日も、あの権狐がいたずらをしに来たに相違ない。
「ようし!」
 兵十は、立ち上がって、ちょうど納屋にかけてあった火縄銃を取って、火薬をつめました。そして、足音を忍ばせて行って、今、背戸口から出て来ようとする権狐を「ドン!」と撃ってしまいました。権狐は、ばったり倒れました。】

 赤い鳥版です。
【その時、兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家の中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎを盗みやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は、立ち上がって、納屋にかけてある火縄銃を取って、火薬をつめました。
 そして足音を忍ばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンと、撃ちました。ごんは、ばたりと倒れました。】

 ニュアンスがだいぶ違いますでしょ。赤い鳥版は、「こないだ、鰻を盗みやがった、あのごんぎつねめが」です。自筆版は、「あの時のことを思い出しました。」です。兵十は、ごんぎつねに鰻を盗られたことを忘れていたんですよ。許せないこととはいえ、その程度の出来事だったんです。それを赤い鳥版では、「盗みやがった」「狐めが」と表現している。児童文学に相応しくない下品な表現ですが、それくらい、鰻を盗られたことを片時も忘れていないし、もの凄く憎んでいることになっている。

 さあ、ここからが今日の本題です。兵十は、「ちょうど掛けてあった火縄銃をとって、撃ってしまいました。」とあります。兵十は、今日に限って納屋にいたんです。で、納屋には、たまたま火縄銃があった。兵十が火縄銃を使ったのは、ちょうどそこにあったからなんです。だから悲劇なんですよ。偶然に偶然が重なってしまった。素晴らしいストーリーの構成ですね。

 ところが、赤い鳥版には、不思議な記述があります。「納屋?にかけてある火縄銃を取って」ここまで、納屋は全て物置と書き換えていたのに、ここだけ納屋のままなんです。これが最大のミステリーになります。この記述のために、兵十の家には、物置と納屋と2つあることになります。物置にいた兵十は、納屋まで行って火縄銃を取ってくるんです。偶然そこにあった凶器を使うのと、わざわざ凶器を持ってくるのでは、刑事裁判になったときに裁判官の心証が随分変わってくると思います。

 多くの研究者は、これを単なる書き換えの見落としとしています。そんなことってあるでしょうか。だとすれば、国語の教科書でこの文章を学んだ7000万人ともいわれる国民は、こんなつまらないミスのために、50年間も物置から納屋へ銃を取りにいったという間違った読み取りをさせられていたことになります。
 僕は、三重吉氏の執拗な添削を見る限り、氏が見落としをするなんて、とても思えません。僕は、これはワザと残したと推理します。物置と納屋があることにして、兵十の強い殺意を印象づけるために、わざわざ取りに行ったように読みとらせたのではないかと思うんです。(納屋から物置に火縄銃を取りに行くのが普通ですけど)
 自筆版の兵十ならば「殺すつもりは無かった」という言い訳もできましょうが、赤い鳥版の兵十から伝わるのは、明確な殺意です。殺そうとして撃ったのか、思わず撃ってしまったのか。納屋という言葉を1つ書き換えないだけで、これだけの違いが出てきます。

ラストシーン、赤い鳥版です。
【兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に、栗がかためて置いてあるのが目につきました。「おや。」と、兵十は、びっくりしてごんに目を落としました。「ごん、お前だったのか。いつも、栗をくれたのは。」ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。兵十は、火縄銃をばたりと、取り落としました。青い煙が、まだ、筒口から細く出ていました。】

自筆版です。
【兵十はかけよって来ました。ところが兵十は、背戸口に、栗の実が、いつものように、かためて置いてあるのに眼をとめました。「おや。」兵十は権狐に眼を落としました。「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは。」権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出ていました。】

 ラストシーンの書き換えは、最も有名なところです。「うれしくなりました。」を「目をつぶったまま、うなづきました。」と書き換えています。余韻を持たせた終わり方といえます。この「うなずく」というのは、行動であって心情ではありません。ですから、学校の先生は、恐らく生徒たちに、こう質問するはずです。「うなずいた時のごんの気持ちを考えましょう。」って。先生の役割を提供してくれたという点で、三重吉氏の書き換えは、役に立っているといえます。
 さて、生徒たちは、何て答えるでしょうか。「最後に分かってもらって良かったな」「撃たれるのは仕方ないな」「何も撃つことは無いだろう」自由に考えて良いのですから、どれが正解でどれが間違えているかを判定することはできません。ただ南吉は自筆版でこう書いています「嬉しくなりました」って。ですからこれが正解です。作者本人が書いているのですから、間違いありません。
 大方は、この書き換えに好意的です。やはり、作者自ら答えを書いてしまっては、面白くないということのようです。いっそのこと、「ぐったりなったまま、二度と動きませんでした」でも良かったかも知れません。

 で、ちょっと兵十の目線で考えてみました。
 赤い鳥版では、兵十の問いかけに、ごんは頷いて答えます。遅すぎたとはいえ、最後の最後に心が通じ合ったと云えます。
 しかし自筆版では、ごん狐は、「ぐったりなったまま、うれしくなりました」です。全てを理解し後悔する兵十の目の前にあるのは、ぐったりなったままのごんぎつねです。兵十の呼びかけにも応えることも無く、「嬉しくなった」というごん狐の想いが、伝わることもありません。兵十は深い後悔の念のまま立ち尽くしているだけなんです。

 生誕100年の時に、ある小学生の感想が話題になりました。それは、「やったことの報いは必ず受けるもの、こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、撃たれて当然」というものでした。まあ、このくらいの感想は、小学生が20人もいれば、そのうちの2.3人は、言いそうなことなんで、別に驚くことでも無いんですが、面白おかしく2ちゃんねるで取り上げられたりして、今でもその辺の残骸を読むことができます。
 そのへんの小学生でしたら感想の多くは、「ごんが可哀相」でしょうから、結果として、撃ち殺した兵十が非難されるかたちになります。この子みたいに兵十を弁護する立場からの意見が出てくること自体は、悪いことではないと思います。
 ただ、僕は、こういう感想が出てくる遠因の1つに、赤い鳥版の改作があるように思えてなりません。兵十の殺意を強調した結果、ごんが大変重い罪を犯しているかのような印象を与えてしまったのではないでしょうか。

 兵十は、確かにごんを撃ち殺してしまいましたけど、殺したいほど憎んでいたわけではありませんでした。そして、ごんは、確かに悪戯をしましたけど、兵十の母親の死に関しては無関係です。死をもって償うべきことなんてしていないし、兵十だって、ごんのせいで母親が死んだとは思ってもいないはずです。思っていれば、栗を持ってきたことぐらいで許せるはずなど無い。

 「母親の死に関して、ゴンに恨みを抱いていた兵十が、絶好の復讐の機を得て、ゴンを撃ち殺した」のではなく「病床の母親に鰻を食べされられなかったことを思い出して、ちょっと懲らしめてやろうと思った」これが新美南吉が書きたかった事件の真相なのです。
                                   
 芥川龍之介が「赤い鳥」に「蜘蛛の糸」を投稿することになった時、彼は、当時すでに大作家でしたが、自分の文章が児童文学として通用するのか自信が無かったようで、鈴木三重吉氏の添削を受け入れる旨の書簡を書いています。三重吉氏の添削は、それほど有名で、一目置かれていました。
 新美南吉が「赤い鳥」に「権狐」を投稿したとき、彼は、半田第二尋常小学校の代用教員でした。南吉は、子供たちに自作の童話を読んで聴かせていて、その中に「権狐」もあったそうです。戦前の純粋な田舎の小学生が、この話に魅了されないはずがありません。「権狐」は、南吉にとって、会心の自信作だったと思います。そして、その自信は、学校教育という現場の実践に裏打ちされていたものだったのです。

2016年3月7日月曜日

「松浦亜弥歌うまいベストVol.11レジェンド」が2周年になりました。

 早いもので、この再生リストをまとめて2年になります。何で2年って分かるかって云うと、ソチオリンピックから2年経ったからです。

 松浦亜弥さんのベストアルバム的再生リストを作ろうって思って、タイトルを考えたとき、ちょうど、オリンピックでスキージャンプの葛西紀明選手が話題になってたんで、それにあやかって「レジェンド」ってタイトルにしたんです。葛西選手みたいに、いつまでも活躍して欲しいって意味もあったんですけど、肝心な松浦亜弥さんが、そのまま伝説になって消えちゃいそうな雰囲気なんで、こんなタイトル付けない方が良かったかななんて、今は後悔しています。

 当時の僕が、ベストかなって思って集めたのがこの曲たちです。本来ならば、全部再生しても1時間くらい、12・3曲以内に収めるべきなんですけど、あれもこれもって感じで詰め込んだんで、23曲になってしまいました。あまりにも多すぎて、自分でも最後まで聴くことなんて、めったに無いんです。でも、カットするのも忍びなくって・・・。

「松浦亜弥歌うまいベストVol.11レジェンド」

1 渡良瀬橋                                      (松クリスタル)
2 あなたに逢いたくて~Missing You~  (マニアックライブ2)
3 LOVE涙色                                     (ファーストデート)
4 横浜ロンド                                     (マニアックライブ4)
5 桃色片想い                                   (ファーストデート)
6 dearest.                                        (2013カウントダウン)
7 トロピカール恋してーる                    (2002サマーライブ)
8 GOOD BYE 夏男                            (想いあふれて)
9 ね~え?                                      (松クリスタル)
10  レスキュー!レスキュー!              (マニアックライブ2)
11  初めて唇を重ね夜                         (ファーストデート)
12  気がつけばあなた                         (OTONA no NAMIDA)
13  笑顔                                            (マニアックライブ2)
14  メドレー                                       (松クリスタル)
15  Yeah!めっちゃホリディ                    (松クリスタル)
16  ホームにて                                  (マニアックライブ4)
17  ずっと 好きでいいですか               (松浦亜弥キャプテン公演)
18  砂を噛むように・・・NAMIDA            (COTTON CLUB 2010)
19  Subject:さようなら                       (僕たちにはいつも音楽があった)
20  only one                                      (CBCスペシャルライブ)
21  想いあふれて                              (マニアックライブ3)
22  ひこうき雲                                   (ファクトリーライブ)
23  ダブル レインボウ                        (クリスマス・ナイト2013)


 オリジナルからカバー、アイドルからバラード、15才から27才まで満遍なく選んだつもりです。で、ワザとギャップを感じるように、並べました。「あなたに逢いたくて」と「横浜ロンド」の間に「LOVE涙色」を挟んだり、「dearest.」の後に「トロピカール恋してーる」が出てきたりするのは、そういう意図があったんです。
 でも、結果的には、ごちゃ混ぜになっちゃって、コンセプトも何もあったものではありません。自分が聞いていても、いきなり「めっちゃホリデー」とか始まるとビックリしてしまいます。考えてみれば、YouTubeのプレーヤーには、シャッフル再生の機能もあるんで、無理して混ぜなくても良かったんですよね。

 松浦亜弥さんのどの部分のファンかって、人それぞれでしょうけど、僕は、その日によって変わります。バリバリのアイドルのテイクを聴きたいときもあるし、マニアックライブを聴きたくなる日もあります。「金子みすゞ」でしたっけ、みんな違って、みんな良いってのがありますけど、まあ、そういう感じです。同一の歌手で、これだけのギャップが味わえるのって松浦亜弥さんしかいないと思います。

2016年3月5日土曜日

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その4 ~中山様というお殿様~

 冒頭部分には、茂助爺ともう1つ、中山様の記述があります。

 赤い鳥版です。
【むかしは、わたしたちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまがおられたそうです。
 その中山から、すこしはなれた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。】

 自筆版です。
【むかし、徳川様が世をお治めになっていられた頃に、中山に小さなお城があって、中山様というお殿さまが少しの家来とすんでいられました。
 その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐という狐がいました。】

 
 まず、「徳川様が世をお治め・・・」という部分が削除されていますが、沢田保彦氏の著書「南吉の遺した宝物」によると、氏は、この作品が投稿された昭和7年という時代が関係しているのでは、という分析をされています。昭和7年という年ですが、3月には、満州国が建国され、5月には、「5・15事件」が起きています。南吉が「ごんぎつね」を発表したのは、正に、日本が太平洋戦争への道を突き進んでいた時代です。「皇国史観、日本は万世一系の天皇陛下が治められていた国」という思想が支配していましたから、「徳川様が世を治める」という記述は、都合が悪かったと言えます。南吉は尾張の国の人間ですから、徳川家に対して親しみを持っていたのかも知れません。しかし、一歩間違えば「赤い鳥」そのものが発行禁止の処分を受けたかも知れない、そんな時代だったのです。
 
 ところが、不思議なことに、削除された部分に「わたしたちの村のちかくの中山」という一節が加筆されています。この「村のちかくの中山」という記述に、沢田氏は、猛反発をされています。ごんぎつねの舞台である「岩滑(やなべ)」は、今は半田市と合併して、半田市岩滑ですが、当時は岩滑村でした。中山は、岩滑村の地名の1つです。ですから、「わたしたちの村の中山」で良いのです。「ちかくの」を入れてしまうと、中山は、岩滑村の外にあることになると言うのです。

 三重吉氏の感覚では、村の中にお城があるのは、不自然と思ったのかも知れません。しかし、この「村にお城があった」というのが、岩滑村の人々の誇りだったのです。
 岩滑村の隣は、半田市(当時は半田町)です。半田は、古くから酒や酢の醸造業が盛んで、お酢の有名なメーカーである「ミツカン」の大きな工場もあります。運河があり、鉄道もひかれている大きな町です。隣の岩滑村は田舎の農村に過ぎません。この「村」が「町」に抱くコンプレックスなどは、南吉の作品「疣」などに面白く書かれています。
 ところが、この地を治めていた中山氏の居城は、半田でなく、岩滑にありました。岩滑は田舎だが城があった、というのが村の誇りでした。

 この心情が、次の記述に表れます。

【中山様というお殿さまが少しの家来とすんでいられました。】

 「小さなお城に少しの家来と住んでいる。」何て、ほのぼのとした表現でしょう。おとぎの国の王様みたいですね。この一文で、中山様がどのような殿様で、いかに村人たちから慕われていたかが分かります。
 ところが、三重吉氏は、これを

【中山さまというおとのさまがおられたそうです。】

 と、書き換えました。確かにシンプルな記述です。氏の求めていることは、児童文学として、子供にも分かりやすい表現でした。しかし、村人にとっての中山様は、時代劇にあるような、農民から厳しく年貢を取り立てるような、お殿様では無いのですw

 さて、この中山様ですが、どのような殿様だったのでしょう。

 新美南吉記念館では、このような特別展が2006年に開催されていたようです。


尾張中山氏についての詳しい記述があります。


 ウィキペディアに戦国時代の武将、中山氏の記述がありますが、この記述をされたのも、このブログ主様のようです。

 戦国時代に岩滑城主となり、この地を治めたのは、「中山勝時」という武将のようです。ただ、岩滑城については、物語に出てくる「中山」ではなく、1kmほど離れた半田市岩滑中町の常福院にあったとされています。中山に在った城は、中山城と記述されています。どちらも城主は、「中山勝時」とされていますが、両城の関係は、旧城と新城、本城と支城、城と館などいろいろと考えられますが、よく分かりません。
 
 中山勝時は、本能寺の変で織田信忠に従い討ち死にしたと伝わっています。その子孫たちは、徳川将軍家の旗本となったり、水野家に仕えたりしたようです。勝時以降の中山氏、つまり江戸時代の中山氏は、主君に仕える武家であり、大名ではありません。中山様が岩滑の城に住み、この地を治めていたのは、戦国時代のことで、中山様というのは、「中山勝時」に限定されることになります。

 【その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐という狐がいました。】

 自筆版の「ごんぎつね」は、このように話が始まっていきます。「その頃」とは、中山様がいた頃ですから、この記述通りだとすると、「ごんぎつね」は戦国時代の話ということになります。しかし、兵十や村人たちの記述から考えると、時代は、江戸時代末期、あるいは明治時代初期、のような印象を受けます。兵十のモデルとなったとされる「江端兵重」という人の存在も知られています。「その頃」が本当に戦国時代をさし、「ごんぎつね」の元話が戦国時代まで遡るような古い話なのか、結論づけるには、もっと勉強が必要のようです。

 中山勝時の子孫の中に、尾張徳川家に仕えた系統がいて、御馬廻役や武術師範などを務めていたようです。その末裔「中村元若」氏は、明治になって岩滑に移住しました。中山勝時の子孫が、先祖がかつて治めていた土地に帰ってきたということになります。この中山家は家族ぐるみで新美南吉と交流があり、妻「中山しゑ」は南吉に民話を語り聞かせ、六女「ちゑ」は南吉の初恋の人として知られています。
 中山様は、茂助爺と同じく、物語には、全く関わらない人物です。その中山様を好意的に、物語に登場させたのは、中山家と南吉の個人的なつながりがあったからだと言われています。



 調べれば調べるほど、新しい疑問が湧いてきますね。岩滑を再訪して、聖地巡りが必要なようです。

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その3 ~削除されたプロローグ~

【これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。】

 これは、「赤い鳥版ごんぎつね」の冒頭文です。実は、ごんぎつねの冒頭部分は、実際は、もっと長いものでした。三重吉氏による最大の削除がされているのが、この冒頭部分です。「自筆版ごんぎつね」では、次のようになっています。

【茂助というおじいさんが、私たちの小さかった時、村にいました。「茂助じい」と私たちは呼んでいました。茂助じいは、年とっていて、仕事ができないから子守ばかりしていました。若衆倉の前の日だまりで、私たちはよく茂助じいと遊びました。
 私はもう茂助じいの顔を覚えていません。ただ、茂助じいが夏みかんの皮をむく時の手の大きかった事だけ覚えています。茂助じいは、若い時、猟師だったそうです。私が、次にお話するのは、私が小さかった時、若衆倉の前で、茂助じいからきいた話なんです。】

 細かいところで云うと、茂助爺が茂平になっています。何故、茂助では、だめなのでしょうか。この後の登場人物に、弥助とか加助が出てくるので、区別しやすくするためとも言われていますが、それが理由だとすれば、三重吉氏の改作がいかに徹底していたかということになります。
 これは、僕の個人的なイメージですが、茂平という名前からは、何か、村の物知りのご隠居さんのような人物を想像します。村の子供たちを集めて、のんびり昔話を聞かせるような人物の名前は、茂平の方が似合うと、三重吉氏は、思ったのかも知れません。もし、茂助が実在の人物であったのなら、こんな失礼な話はありませんがw

 さて、削除された部分を読み味わいたいと思います。

【茂助じいは、年とっていて、仕事ができないから子守ばかりしていました。若衆倉の前の日だまりで、私たちはよく茂助じいと遊びました。】

 「若衆倉」ですが、一般的には、「若衆宿」と言われている、村の青年団の集会所のことだと思われます。新美南吉も13才になると地元の山車組に加入したそうです。山車組の一番の活躍の場は、村の祭りです。この祭の様子は、「狐」という話に出てきます。もっとも、南吉は、おとなしい性格だったそうですから、若衆倉での役割は、庶務や会計の仕事を手伝っていたそうです。
 これだけリアルな記述が出てくるということは、若衆倉の前の日溜まりで、子供たちがよく遊んでいたというのは、実際にあったことのように思います。

 余談ですが、僕の住んでいた町では、すでにこのような制度は、ありませんでしたが、僕の親の時代はあったそうで、酒は飲むし、弱い者イジメはするしで、どうしようもないところだったそうです。中高生の男ばかりを集めて、自由にさせたらロクなことにならないってことですが、しっかりしたキャプテンがいれば、大人が干渉しなくても、しっかりした活動はできるわけで、そういう団では学ぶことも多かったようです。

【私はもう茂助じいの顔を覚えていません。ただ、茂助じいが夏みかんの皮をむく時の手の大きかった事だけ覚えています。茂助じいは、若い時、猟師だったそうです。私が、次にお話するのは、私が小さかった時、若衆倉の前で、茂助じいからきいた話なんです。】

 僕は、此所の部分を読んで、思わず泣きそうになりました。顔は覚えていないが、手の大きかったことだけは覚えている。手を見ればその人の生き様が分かるって言いますけど、この一文で、今は体を壊して子供と遊んでばかりいる茂助爺が、どんな厳しい人生を歩んできたかが目に浮かびます。南吉の巧みな情景描写が味わえる秀文です。

 この削除された冒頭部分は、確かに、この後のストーリーとは、一切関係ありません。それが、削除された一番の理由だと思います。しかし、南吉にとって「ごんぎつね」は、自分の故郷に伝わる、そして故郷を舞台にした大切な話で、決して、「昔々在る処」の話ではありませんでした。だからこそ、このプロローグが必要だったのです。

新美南吉 自筆版「ごんぎつね」の魅力 その2 ~自筆版と赤い鳥版を比べる~

本文の考察に入る前に、2つのごんぎつねを並列しておきます。似ていると云えば似ているし、違うと云えば違うでしょw
 しかし、これだけの改作を、恐らく本人の承諾を得ずにやっているんですから、戦前の日本の著作物に対する意識というのは、今と随分違っていたみたいです。



                                                         
             自筆版      権狐                                              赤い鳥版 ごんぎつね
                                                         
 茂助というおじいさんが、私たちの小さか          
った時、村にいました。「茂助じい」と私たち          
は呼んでいました。茂助じいは、年とってい          
て、仕事ができないから子守ばかりしていま          
した。若衆倉の前の日だまりで、私たちはよ          
く茂助じいと遊びました。                              
 私はもう茂助じいの顔を覚えていません。          
ただ、茂助じいが夏みかんの皮をむく時の手          
の大きかった事だけ覚えています。茂助じい              一
は、若い時、猟師だったそうです。私が、次          
にお話するのは、私が小さかった時、若衆倉              これは、わたしが小さいときに、村の茂平
の前で、茂助じいからきいた話なんです。                 というおじいさんからきいたお話です。
                                                           
1                                                      
                                                         
 むかし、徳川様が世をお治めになっていら              むかしは、わたしたちの村のちかくの、中
れた頃に、中山に小さなお城があって、中山             山というところに小さなお城があって、中山
様というお殿さまが少しの家来とすんでいら              さまというおとのさまがおられたそうです。
れました。                                              
                                                         
 その頃、中山から少し離れた山の中に、権              その中山から、すこしはなれた山の中に、
狐という狐がいました。                                         「ごんぎつね」というきつねがいました。
 権狐は、一人ぼっちの小さな狐で、いささ               ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだ
ぎの一ぱいしげった所に、洞を作って、その             のいっぱいしげった森の中に穴をほって住ん
中に住んでいました。そして、夜でも昼でも、            でいました。そして、夜でも昼でも、あたり
洞を出ていたずらばかりしました。畑へ行っ             の村へ出ていって、いたずらばかりしました。
て、芋を掘ったり、菜種がらに火をつけたり、            畑へ入っていもをほりちらしたり、菜種がら
百姓屋の背戸につるしてある唐辛子をとって            の、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家の
来たりしました。                                                   うら手につるしてあるとんがらしをむしり取
                                                                         っていったり、いろんなことをしました。
                                                         
 それはある秋のことでした。二三日雨が降              ある秋のことでした。二、三日雨がふり続
りつづいて、権狐は、外へ出たくてたまらな               いたその間、ごんは、外へも出られなくて、
いのをがまんして、洞穴の中にかがんでいま             あなの中にしゃがんでいまいた。
した。雨があがると、権狐はすぐ洞を出まし              雨があがると、ごんは、ほっとして穴から
た。空はからっと晴れていて、百舌鳥の声が             はい出しました。空はからっと晴れていて、
けたたましく、ひびいていました。                             もずの声がキンキンひびいていました。
                                                           
 権狐は、背戸川の堤に来ました。ちがやの              ごんは、村の小川のつつみまで出てきまし
穂には、まだ雨のしずくがついて、光ってい               た。あたりのすすきの穂には、まだ雨のしず
ました。背戸川はいつも水の少ない川ですが             くが光っていました。川はいつもは水が少な
二三日の雨で、水がどっと増していました。               いのですが、三日もの雨で、水がどっとまし
黄くにごった水が、いつもは水につかってい             ていました。ただのときは水につかることの
ない所のすすきや、萩の木を横に倒しながら、         ない、川べりのすすきやはぎのかぶが、黄色
どんどん川下へ流れて行きました。権狐も、             くにごった水に横だおしになって、もまれて
川下へ、ぱちゃぱちゃと、ぬかるみを歩いて             います。ごんは川下の方へと、ぬかるみ道を
行きました。                                                        歩いていきました。
                                                       
 ふと見ると、川の中に人がいて何かやって              ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっ
います。権狐は、見つからないように、そー               ています。ごんは、見つからないように、そ
っと草の深い方へ歩いて行って、そこからそ              うっと草の深いところへ歩きよって、そこか
ちらを見ました。                                                   らじっとのぞいてみました。
「兵十だな。」                                                       「兵十だな。」
と権狐は思いました。兵十は、ぬれた黒い着             と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒
物を着て、腰から下を川水にひたしながら、              い着物をまくし上げて、こしのところまで
川の中で、はりきりと言う、魚をとる網をゆ       水にひたりながら、魚をとる、はりきりというあ
すぶっていました。鉢巻きをした顔の横に、              みをゆすぶっていました。はちまきをした顔
円い萩の葉が一枚、大きな黒子みたいにはり           の横っちょうに、円いはぎの葉が一まい、大
ついていました。                                                  きなほくろのようにへばりついていました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一番うしろの、                                                        
 袋のようになったところを水の中からもち              しばらくすると、兵十は、はりきりあみの
あげました。その中には、芝の根や、草の葉             いちばん後ろの、ふくろのようになったとこ
や、木片などが、もじゃもじゃしていました                ろを、水の中から持ち上げました。その中に
が、ところどころ、白いものが見えました。                は、しばの根や、草の葉や、くさった木ぎれ
それは、太いうなぎの腹や、大きなきすの腹             などが、ごちゃごちゃ入っていましたが、で
でした。                                                              もところどころ、白いものがきらきら光って
 兵十は、しばらくすると、兵十は、はりき                 います。それは、太いうなぎの腹や、大きな
り網の一番うしろの魚籠の中へ、ごみも一緒             きすの腹でした。兵十は、びくの中へ、その
に、そのうなぎやきすを入れました。そして               うなぎやきすを、ごみといっしょにぶちこみ
また、袋の口をしばって、水の中に入れまし              ました。そして、また、ふくろの口をしばっ
た。兵十は魚籠を持って川から上がりました。            て、水の中に入れました。
そして、魚籠をそこに置くと、着物の端から、              兵十は、それから、びくを持って川から
ポトポトとしずくを落としながら、川上の方                上がり、びくを土手においといて、何をさが
へ何か見に行きました。                                        しにか、川上の方へかけていきました。
                                                         
 兵十がいなくなると、権狐はぴょいと草の              兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草
中からとび出して行きました。魚籠にはふた             の中からとび出して、びくのそばへかけつけ
がなかったので、中に何があるか、わけなく             ました。ちょいと、いたずらがしたくなった
見えました。権狐は、ふといたずら心が出て、           のです。ごんはびくの中の魚をつかみ出して
魚籠の魚を拾い出して、みんなはりきり網よ             は、はりきりあみのかかっているところより
り下の川の中へほりこみました。どの魚も、「と        下手の川の中を目がけて、ぽんぽん投げこみ
ぼん!」と音を立てながら、にごった水の中             ました。どの魚も、「とぼん」と音を立てな
に見えなくなりました。                                         がら、にごった水の中へもぐりこみました。
                                                       
一番おしまいに、あの太いうなぎをつかもう              いちばんしましいに、太いうなぎをつかみ
としましたが、このうなぎはぬるぬるして、               にかかりましたが、何にしろぬるぬるとすべ
ちっとも権狐の手にはつかまりません。権狐            りぬけるので、手ではつかめません。ごんは
は一生懸命になってうなぎをつかもうとしま              じれったくなって、頭をびくの中につっこん
した。とうとう、権狐は、頭を魚籠の中につ               で、うなぎを口にくわえました。うなぎは、
っ込んで、うなぎの頭をくわえました。うな                キュッといって、ごんの首へまき付きました。
ぎは、「キユッ」と言って、権狐の首にまきつ             そのとたんに兵十が、向こうから、
きました。その時兵十の声が、                              「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」
「このぬすっと狐めが!」                                      と、どなりたてました。ごんは、びっくりし
と、すぐそばでどなりました。権狐はとびあ              てとび上がりました。うなぎをふりすててに
がりました。うなぎをすてて逃げようとしま                げようとしましたが、うなぎは、ごんの首に
した。けれど、うなぎは、権狐の首にまきつ              まき付いたままはなれません。ごんは、その
いていてはなれません。権狐はそのまま、横            まま横っとびにとび出していっしょうけんめ
っとびにとんで、自分の洞穴の方へ逃げまし            いに、にげていきました。
た。                                                      
                                                         
 洞穴近くの、はんの木の下でふり返って見              ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえ
ましたが、兵十は追って来ませんでした。                ってみましたが、兵十は追っかけては来ませ
 権狐は、ほっとしてうなぎを首から離して、             んでした。
洞の入口の、いささぎの葉の上にのせて置い           ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみ
て洞の中にはいりました。うなぎのつるつる             くだき、やっとはずして穴の外の、草の葉の
した腹は、秋のぬくたい日光にさらされて、              上にのせておきました。
白く光っていました。                                  
                                                       
2                                                                        二
                                                         
十日程たって、権狐が、弥助というお百姓の             十日ほどたって、ごんが、弥助というお百
家の背戸を通りかかると、そこのいちじくの              姓の家のうらをとおりかかりますと、そこの、
木のかげで、弥助の妻が、おはぐろで歯を黒           いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おは
く染めていました。                                               ぐろを付けていました。かじ屋の新兵衛の家
鍛冶屋の新兵衛の家の背戸を通ると、新兵衛         のうらをとおると、新兵衛の家内が、かみを
の妻が、髪をくしけずっていました。権狐は、             すいていました。ごんは、
「村に何かあるんだな。」                                       「ふふん。村に何かあるんだな。」
と思いました。                                                     と思いました。
「いったいなんだろう。秋祭りだろうか。で                  「なんだろう、秋祭りかな。祭りなら、た
も秋祭りなら、太鼓や笛の音が、しそうなも                いこやふえの音がしそうなものだ。それに第
のだ。そして第一、お宮に幟が立つからすぐ             一、お宮にのぼりがたつはずだが。」
分かる。」                                              
                                                         
こんな事を考えながらやって来ると、いつの              こんなことを考えながらやってきますと、
間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前          いつのまにか、表に赤い井戸がある、兵十の
に来ました。兵十の小さな、こわれかけの家             家の前へ来ました。その小さな、こわれかけ
の中に、大勢の人がはいっていました。腰に           た家の中には、おおぜいの人が集まっていま
手ぬぐいをさげて、常とは好い着物を着た人             した。よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐい
たちが、表の、かまどで火をくべていました。             を下げたりした女たちが、表のかまどで火を
大きな、はそれの中では、何かぐつぐつ煮え             たいています。大きななべの中では、何かぐ
ていました。                                                        ずぐずにえていました。
「ああ、葬式だ。」                                                  「ああ、そう式だ。」
権狐はそう思いました。こんな事は葬式の時             と、ごんは思いました。
だけでしたから、権狐にすぐわかりました。               「兵十の家のだれが死んだんだろう。」
「それでは、誰が死んだんだろう。」                    
とふと権狐は考えました。                              
けれど、いつまでもそんな所にいて、見つか          
っては大変ですから、権狐は、兵十の家の前          
をこっそり去って行きました。                          
                                                         
 お正午がすぎると、権狐は、お墓へ行って               お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地に行っ
六地蔵さんのかげにかくれていました。いい             て、六地蔵さんのかげにかくれていました。
日和で、お城の屋根瓦が光っていました。お             いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根
墓には、彼岸花が、赤い錦のように咲いてい            がわらが光っています。墓地には、ひがん花
ました。さっきから、村の方で、「カーン、カ                が、赤いきれのようにさき続いていました。
ーン」と鐘が鳴っていました。葬式の出る合               と、村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴っ
図でした。                                                           てきました。そう式の出る合図です。
                                                         
 やがて、墓地の中へ、やって来る葬列の白             やがて、白い着物を着たそう列の者たちが
い着物が、ちらちら見え始めました。鐘の音              やってくるのがちらちら見え始めました。話
はやんでしまいました。話し声が近くなりま                し声も近くなりました。そう列は墓地へ入っ
した。葬列は墓地の中へ入って来ました。人             ていきました。人々が通った後には、ひがん
々が通ったあと、彼岸花は折れていました。              花が、ふみ折られていました。
権狐はのびあがって見ました。兵十が、白い               ごんはのび上がって見ました。兵十が、
裃をつけて、位牌を捧げていました。いつも            白いかみしもを付けて、位はいをささげていま
のさつま芋みたいに元気のいい顔が、何だか           す。いつもは赤いさつまいもみたいな元気の
しおれていました。                                             いい顔が、今日はなんだかしおれていました。
「それでは、死んだのは、兵十のおっ母だ。」              「ははん。死んだのは兵十のおっかあだ。」
権狐はそう思いながら、六地蔵さんのかげへ、            ごんは、そう思いながら、頭をひっこめ
頭をひっこめました。                                               ました。
                                                       
 その夜、権狐は、洞穴の中で考えていまし              その晩、ごんは、穴の中で考えました。
た。                                                                   「兵十のおっかあは、床についていて、うな
「兵十のおっ母は、床にふせっていて、うな              ぎが食べたいといったにちがいない。それで
ぎが食べたいと言ったに違いない。それで兵           兵十がはりきりあみを持ち出したんだ。とこ
十は、はりきり網を持ち出して、うなぎをと                ろが、わしがいたずらをして、うなぎを取っ
らまえた。ところが自分がいたずらして、う               て来てしまった。だから兵十は、おっかあに
なぎをとって来てしまった。だから兵十は、               うなぎを食べさせることができなかった。そ
おっ母にうなぎを食べさせることができなか              のままおっかあは、死んじゃったにちがいな
った。それで、おっ母は、死んじゃったに違               い。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べ
いない。うなぎが食べたい、うなぎが食べた              たいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、
いと言いながら、死んじゃったに違いない。              あんないたずらをしなければよかった。」
あんないたずらをしなけりゃよかったなー。」          
 こおろぎが、ころろ、ころろと、洞穴の入          
口でときどき鳴きました。                              
                                                         
3                                                                       三
                                                         
兵十は、赤い井戸の所で、麦をといでいまし              兵十が、赤い井戸のところで、麦をといで
た。兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧              いました。兵十は今まで、おっかあと二人き
しい生活をしていたので、おっ母が死んでし             りで貧しいくらしをしていたもので、おっか
まうともう一人ぽっちでした。                                 あが死んでしまっては、もうひとりぼっちで
「俺と同じように一人ぽっちだ」                                 した。
兵十が麦をといでいるのを、こっちの納屋の             「おれと同じひとりぼっちの兵十か。」
後から見ていた権狐はそう思いました。権狐             こちらの物置の後ろから見ていたごんは、そ
は、納屋のかげから、あちらの方へ行こうと             う思いました。
すると、どこかで、いわしを売る声がしまし               ごんは物置のそばをはなれて、向こうへ
た。                                                                   いきかけますと、どこかで、いわしを売る声
「いわしのだらやす。いわしだ。」                             がします。
権狐は、元気のいい声のする方へ走って行き             「いわしの安売りだあい。生きのいい、いわ
ました。芋畑の中を。                                             しだあい。」
弥助のおかみさんが、背戸口から、                       ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走
「いわしを、くれ。」                                                っていきました。と、弥助のおかみさんがう
と言いました。                                                     ら戸口から、
                                                                        「いわしをおくれ。」
                                                                         と言いました。
                                                         
いわし売りはいわしのはいった車を、道の横            いわし売りは、いわしのかごをつんだ車を、
に置いて、ぴかぴか光るいわしを両手でつか           道ばたに置いて、ぴかぴか光るいわしを両手
んで、弥助の家の中へ持って行きました。そ             でつかんで、弥助の家の中へ持って入りまし
のひまに、権狐は、車の中から、五六匹のい            た。ごんは、そのすきまに、かごの中から、
わしをかき出して、また、もと来た方へかけ              五、六匹のいわしをつかみ出して、もと来た
だしました。そして、兵十の家の背戸口から、           方へかけ出しました。そして、兵十の家の中
家の中へ投げこんで、洞穴へ一目散に走りま          へいわしを投げこんで、穴へ向かってかけも
した。はんの木の所で立ち止まって、ふりか             どりました。とちゅうの坂の上でふり返って
えって見ると、兵十がまだ、井戸の所で麦を             みますと、兵十がまだ、井戸のところで麦を
といでるのが小さく見えました。権狐は、何              といでいるのが小さく見えました。
か好い事をしたように思えました。                         ごんは、うなぎのつぐないに、まず一
                                                                        つ、いいことをしたと思いました。
                                                         
 次の日には、権狐は山へ行って、栗の実を              次の日には、ごんは山でくりをどっさり
拾って来ました。それを持って、兵十の家へ             拾って、それをかかえて、兵十の家へ行きま
行きました。背戸口からうかがって見ると、               した。うら口からのぞいてみますと、兵十は、
ちょうどお正午だったので兵十は、お正午飯             昼めしを食べかけて、茶わんを持ったまま、
のところでした。兵十は茶碗をもったまま、               ぼんやりと考えこんでいました。変なことに
ぼんやりと考えていました。変な事には、兵             は、兵十のほっぺたに、かすりきずがついて
十のほっぺたに、すり傷がついていました。             います。どうしたんだろうと、ごんが思って
どうしたんだろうと、権狐が思っていると、                いますと、兵十がひとりごとを言いました。
兵十が独言を言いました。                                   「いったいだれが、いわしなんかをおれの
「いくらかんがえても分からない。いったい               家へほうりこんでいったんだろう。おかげで
誰がいわしなんかを、俺の家へほりこんで行            おれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のや
ったんだろう。おかげで俺は、盗人と思われ             つに、ひどい目にあわされた。」と、ぶつぶ
て、あのいわし屋に、ひどい目に合わされた。」         つ言っています。
まだぶつぶつ言っていました。                          
                                                       
 権狐は、これはしまったと思いました。か              ごんは、、これはしまったと思いました。
わいそうに、あんなほっぺたの傷までつけら             かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐら
れたんだな。権狐は、そっと納屋の方へまわ             れて、あんなきずまで付けられたのか。
って、納屋の入口に、持って来た栗の実を置              ごんは、こう思いながら、そっと物置の
いて、洞に帰りました。次の日も次の日もず             方へ回って、その入口にくりを置いて帰りま
っと権狐は栗の実を拾って来ては、兵十が知             した。
らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。           次の日も、その次の日も、ごんは、くり
栗ばかりではなく、きのこや、薪を持って行               を拾っては、兵十の家へ持ってきてやりまし
ってやる事もありました。そして権狐は、も                た。その次の日には、くりばかりでなく、松
ういたずらをしなくなりました。                                たけも、二、三本持っていきました。
                                                         
4                                                                        四
                                                         
 月のいい夜に権狐は、あそびに出ました。             月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶら遊び
中山様のお城の下を通ってすこし行くと細い            に出かけました。中山さまのお城の下を通っ
往来の向こうから誰か来るようでした。話し              て少し行くと、細い道の向こうから、だれか
声が聞こえました。「チンチロリン、チンチロ              来るようです。話し声が聞こえます。チンチ
リン」松虫がどこかその辺で鳴いていました。            ロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
                                                         
 権狐は、道の片側によって、じっとしてい              ごんは、道の片側にかくれて、じっとして
ました。話し声はだんだん近くなりました。             いました。話し声はだんだん近くなりました。
それは、兵十と、加助という百姓の二人でし             それは、兵十と加助というお百姓でした。
た。                                                                  「そうそう、なあ加助。」
「なあ加助。」                                                     と、兵十が言いました。
と兵十が言いました。                                         「ああん?」
「ん」                                                                「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなこと
「俺あ、とても不思議なことがあるんだ」                 があるんだ。」
「何が?」                                                          「何が?」
「おっ母が死んでから、誰だか知らんが、俺             「おっかあが死んでからは、だれだか知らん
に栗や、きのこや、何かをくれるんだ」                    が、おれにくりや松たけなんかを、毎日、毎
「ふん、誰がくれるんだ?」                                   日くれるんだよ。」
「いや、それがわからんだ、知らんでるうち              「ふうん。だれが?」
に、置いていくんだ。」                                         「それが、わからんのだよ。おれの知らんう
権狐は、二人のあとをついて行きました。                ちに、置いていくんだ。」
「ほんとかい?」                                                 ごんは、二人の後をつけていきました。
加助が、いぶかしそうに言いました。                     「ほんとかい?」
「ほんとだとも、うそと思うなら、あした見                「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見
に来い、その栗を見せてやるから」                       に来いよ。そのくりを見せてやるよ。」
「変だな。」                                                        「へえ、変なこともあるもんだなあ。
それなり、二人はだまって歩いていきました。     それなり二人は黙って歩いて行きました。            
                                                       
 ひょいと、加助が後ろを見ました。権狐は              加助がひょいと、後ろを見ました。ごんは
びくっとして、道ばたに小さくなりました。                  びくっとして、小さくなって立ち止まりまし
加助は、何も知らないで、また前を向いて行             た。加助は、ごんには気が付かないで、その
きました。                                                            ままさっさと歩きました。吉兵衛というお百
吉兵衛と言う百姓の家まで来ると、二人はそ             姓の家まで来ると、二人はそこに入っていき
こへはいって行きました。「モク、モクモク、               ました。ポンポンポンポンと木魚の音がして
モクモク」と木魚の音がしていました。窓の               います。まどのしょうじにあかりがさしてい
障子にあかりがさしていました。                             て、大きなぼうず頭がうつって動いていまし
そして大きな坊主頭が、うつって動いていま              た。ごんは、
した。権狐は、                                                    「お念仏があるんだな。」
「お念仏があるんだな」                                         と思いながら、井戸のそばにしゃがんでいま
と思いました。権狐は井戸のそばにしゃがん             した。しばらくすると、また三人ほど、人が
でいました。しばらくすると、また、三人程、             連れ立って、吉兵衛の家に入っていきました。
人がつれだって吉兵衛の家にはいって行きま           お経を読む声が聞こえてきました。
した。お経を読む声がきこえて来ました。              
                                                                           五
                                                         
 権狐は、お念仏がすむまで、井戸のそばに             ごんは、お念仏がすむまで、井戸のそばに
しゃがんでいました。お念仏がすむと、また、              しゃがんでいました。兵十と加助はまたいっ
兵十と加助は一緒になって、帰って行きまし             しょに帰っていきます。ごんは、二人の話を
た。権狐は、二人の話をきこうと思って、つ               聞こうと思って、ついていきました。兵十の
いて行きました。兵十の影法師をふんで行き            かげほうしをふみふみいきました。
ました。                                                
                                                       
中山様のお城の前まで来た時、加助がゆっく           お城の前にまで来たとき、加助が言い出し
り言いだしました。                                               ました。
「きっと、そりゃあ、神様のしわざだ。」                     「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さま
「えっ?」                                                            のしわざだぞ。」
兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。              「えっ?」
「俺は、あれからずっと考えたが、どう考え              と、兵十はびっくりして、加助の顔を見まし
ても、それゃ、人間じゃねえ、神様だ、神様              た。
が、お前が一人になったのを気の毒に思って           「おれは、あれからずっと考えていたが、ど
栗や、何かをめぐんで下さるんだ」                         うも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神
と加助が言いました。                                          さまが、お前がたった一人になったのをあわ
「そうかなあ。」                                                   れに思わっしゃって、いろんなものをめぐん
「そうだとも。だから、神様に毎日お礼言っ              でくださるんだよ。」
たが好い。」                                                      「そうかなあ。」
「うん」                                                              「そうだとも。だから、毎日、神さまにお礼
権狐は、つまんないと思いました。自分が、             を言うがいいよ。」
栗やきのこを持って行ってやるのに、自分に            「うん。」
はお礼言わないで、神様にお礼を言うなんて。         ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思い
いっそ神様がなけりゃいいのに。権狐は、神            ました。おれが、くりや松たけを持っていっ
様がうらめしくなりました。                                   てやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、
                                                                       神さまにお礼を言うんじゃあ、おれは、ひき
                                                                       あわないなあ。
                                                             
5                                                                            六
                                                         
その日も権狐は、栗の実を拾つて、兵十の家            その明くる日もごんは、くりを持って、兵
へ持つて行きました。兵十は、納屋で縄をな            十の家へ出かけました。兵十は物置でなわを
っていました。それで権狐は背戸へまわつて、          なっていました。それでごんは、うら口から、
背戸口から中へはいりました。                               こっそり中へ入りました。
                                                         
 兵十はふいと顔をあげた時、何だか狐が家            そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、
の中へはいるのをみとめました。兵十は、あ             きつねが家の中へ入ったではありませんか。
の時の事を思い出しました。うなぎを権狐に             こないだうなぎをぬすみやがった、あのごん
とられた事を。きつと今日も、あの権狐がい             ぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
たずらをしに来たに相違ない。                              「ようし。」
「ようし!」                                            
                                                                      兵十は、立ち上がって、納屋(なや)にか
 兵十は、立ちあがつて、ちょうど納屋にか             けてある火なわじゅうを取って、火薬をつめ
けてあった火縄銃をとって、火薬をつめまし             ました。
た。そして、足音をしのばせて行って、今背             そして足音をしのばせて近よって、今、戸
戸口から出て来ようとする権狐を「ドン!」                口を出ようとするごんを、ドンとうちました。
とうってしまいました。権狐は、ばったり倒                ごんはばたりとたおれました。
れました。                                              
                                                             
 兵十はかけよって来ました。ところが兵十              兵十はかけよってきました。家の中を見る
は、背戸口に、栗の実が、いつものように、             と、土間にくりが固めて置いてあるのが目に
かためて置いてあるのに眼をとめました。                つきました。
「おや。」                                                            「おや。」
兵十は権狐に眼を落としました。                            と、兵十はびっくりしてごんに目を落としま
「権、お前だったのか……。いつも栗をくれ               した。
たのは。」                                                          「ごん、お前だったのか。いつもくりをく
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなり                 れたのは。」
ました。                                                              ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うな
 兵十は、火縄銃をばったり落としました。               づきました。
まだ青い煙が、銃口から細く出ていました                 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落
                                                                        としました。青いけむりが、まだつつ口から
                                                                        細く出ていました。