2016年6月27日月曜日

突然ですが「餃子」について語ります

 僕は、餃子が好きです。隣町にある「餃子の王将」にも行きますし、浜松へお寺巡りに行くと、浜松餃子の「石松」へ行きます。石松は、新東名の浜松SAにもあります。本店だと1時間待ちは当たり前ですけど、SA店は待ち時間ゼロで食べられます。浜松餃子独特の円く並べた形では焼いてくれませんが、ゆでモヤシは付いてきます。
 栃木に仏像巡りに行った帰りには、必ずってくらい宇都宮の「みんみん」に行きます。「みんみん」だって「石松」だって、自社工場で大量生産している餃子を、店で焼いて出しているだけなんですけど、僕は、美味しいと思います。
 「みんみん」に行くと必ず「水餃子」を注文します。今日は、その「水餃子」について語らせていただきたいと思います。


 僕の母方の曾祖父は、旧陸軍に薬剤師として務めていた軍属でした。で、朝鮮のソウルに赴任したときに軍を退職し、ソウルに薬局を開き、そこで暮らすことにしたそうです。戦前の、朝鮮が日本の植民地だった頃の話です。
 曾祖父は、ソウルで亡くなりました。祖父は、ソウルで育ち、ソウルで就職し、ソウルで結婚して暮らしていたのですが、やがて敗戦となり、まだ幼かった母たちを連れて、命からがら日本に引き揚げてきたとのことでした。

 祖父は、戦前の人にしては珍しく、料理が好きな人でした。朝鮮で長く暮らしていたので、キムチ(当時は「朝鮮漬け」と云ってました)などもよく食べていました。
 そんな祖父の得意料理が「餃子」でした。戦前の朝鮮には、多くの満州人なども行き来していましたので、祖父もそういった中国人から餃子の作り方を学んだのだと思います。

 終戦間もない頃の話です。ほとんどの日本人は、餃子を見たことも、聞いたこともないという時代です。もちろん、餃子の皮など店に売っていませんから、皮から手作りしたそうです。
 祖父は、胃が弱かったので、餃子には、ニンニクの代わりにニラならぬ長ネギを入れ、あと、キャベツを使ったり白菜を使ったりして、いろいろと試行錯誤していたようです。
 それから、これが最大の特徴なんですけど、祖父の作る餃子は、「水餃子」でした。
 現在の日本では、「焼き餃子」が一般的ですけど、餃子は本来、茹でて食べるものでした。今でも本格的な中華料理屋では、料理の〆として出てくるのは水餃子です。

 焼き餃子の始まりについては、こんなエピソードがあります。
 中国では、客人をもてなす際には、食べきれないほどの料理を出すのが礼儀とされていました。で、宴会料理で残ったものは、使用人たちがもらうことになっていました。あるとき、宴会で出した水餃子が大量に余ったのですが、茹で直しても美味しくありません。そこで、試しに焼いてみたところ、美味しく食べることができたそうです。焼き餃子は、余った水餃子を美味しく食べるための工夫であり、使用人たちが食べる卑しい調理法でした。
 戦後、日本に餃子が入ってきたときに、水餃子でなく、焼き餃子が広まったのは、ご飯と味噌汁が必ずセットされる日本の食卓では、ご飯のおかずに合い、お総菜としてそのまま食べられる焼き餃子の方が好まれたからだと云われています。水餃子を食べると分かるんですけど、ご飯を食べるタイミングがつかめないんですよね。

 祖父は、晩年、餃子の店をやれば良かったと、よく話してました。もし、祖父に多少の商才と実行力があれば、今頃は、日本の水餃子発祥の店として、ちょっとは有名になっていたかも知れません。

 母も、よく餃子を作ってくれました。その頃になると、餃子は一般的な食べ物でしたから、皮は手作りしなくても、お店に行けば売っていました。母が作る餃子も水餃子でした。たまに、今日は焼いてみようか、などという日もありましたが、基本的には水餃子でした。

 大きな鍋で茹でた餃子をどんぶりにゆで汁と一緒によそいます。それに多めの酢と少なめの醤油、七味をかけて食べます。売っている餃子の皮は、焼き餃子用に薄めに作っていますから、水餃子にした場合、箸でつつくと簡単に破れてしまいます。僕は、お行儀の悪い食べ方ですけど、どんぶりの中で全部の餃子をほぐして、最初に皮を食べて、後から具を食べるのが好きでした。
 水餃子は、サッパリしているので、幾つでも食べられました。気分が悪くなるほど食べたものでした。

 あるとき、友人と餃子の話になったことがありました。僕は、水餃子の話をしましたが、友人は、餃子を茹でて食べるなんて信じられない、有り得ないと笑いました。僕は、そのときから、水餃子の話を他人にするのをやめました。

 僕は母に連れられて、よく隣町まで買い物に行きました。お昼を食べようってことになって、母は僕を餃子の店に連れて行ってくれました。メニューは、餃子とライスしかないと云う「みんみん」や「石松」みたいな店でした。
 そこの餃子は、普通の餃子の3倍はあろうかという大きさでした。で、焼き目を付けた後に、大量の湯を入れて茹で上げるという、ふにゃふにゃの「煮餃子」と云うようなものでした。僕は、一発でこの餃子の虜になりました。気分が悪くなるくらい食べました。それから、隣町に行くたびに、その店で餃子を食べることが楽しみになりました。

 この前、急にその餃子のことを思い出しました。もう40年以上前のことでから、お店なんかとっくに閉めているだろうと思いましたが、一応ネットで検索してみました。そしたら、親子三代、60年間変わらぬ味ってことで、店は続いていました。そればかりではありません。並んでも食べたい餃子の店として、全国放送のワイドショーでも紹介されたというではありませんか。僕が行っていた頃も繁盛はしていましたが、外に並んでいる程ではありませんでした。

 僕は40年ぶりに、その店を訪ねようと思いました。1人ならば、開店前に並ぶことなど厭わないのですが、家族も食べたいと言うので、お持ち帰りの予約を入れることにしました。実家の分も持って行ってあげようと思いました。

 約束時刻の午後2時に行ったのですが、すでに暖簾は降ろされていました。椅子に座って店の名かをぐるりと見回しました。何となく見覚えがあります。4人掛けのテーブルを相席にして、食べていたことを思い出しました。
 どんなに繁盛しても、支店を出すわけでも無く、家族で作れるだけ作って、売り切れたらお終い、という商売を60年間続けていたそうです。家族で作れる餃子には限りがあります。(一説には3000個)そこから予約のお持ち帰りを除いた分がお店に出す数になります。ですから、午前11時に開店して、午後2時前には店じまいです。
 
 餃子を受け取って、店を出ようとした時、腰の曲がった小さなお婆さんが入ってきました。僕を見て「いらっしゃい」と言ったこのお婆さんこそ、40年前、子どもだった僕に餃子を焼いてくれた方に違いないと思いました。
 40年ぶりに食べた餃子は、記憶通りの大きさと柔らかさで、ご飯やビールがすすみそうな、しっかりした味の付いているものでした。思っていたより味が少し濃いように感じましたが、変わったのは、餃子でなくって、僕の味覚の方なんでしょう。
 
 とりとめもなく、書いてしまいました。

2016年6月26日日曜日

初音ミクのライブチケットの当選通知が届いたこと

 昨日、チケットぴあ様より、幕張メッセで開催される「マジカルミライ2016」の当選通知が届きました。呆気なく取れてしまったんで、拍子抜けしております。取れないのも困りものですけど、あまりにも簡単に取れてしまうと「不人気なのかな」なんて心配になってしまいます。
 最初に行われた、オフィシャルWebの抽選がかなり厳しい状況でしたから、良席を手に入れることなど諦めていたのですが、やっぱり、コンビニ支払いでなく、カード引き落としにしたのが良かったんでしょうか。向こう様にすれば、当選→即引き落としならば、取りっぱぐれがありませんからね。その分、こっちは別の意味でドキドキですけどw
 まあ、初音ミクのライブでSS席をゲットする確率は、僕の5年生存率よりも高かったということのようです。名古屋の二の舞にならないよう、体調管理を徹底したいと思います。

 それから、ライブに合わせて、OFFICIAL ALBUMの発売も発表されています。この中にある10曲に、今まで演奏された曲を15曲ほど使い回して、セットリストができるのだと思います。ただ、楽曲に関して云うと、仕方ないこととはいえ、年々ついて行けなくなってきました。オリジナル曲が全部同じように聞こえてきました。末期症状です。潮時なのかも知れません。

 オジさん的には、往年の名曲のカバーなどを演奏していただけるとありがたいのですが、有り得ないですよねw


2016年6月25日土曜日

「トロピカール恋してーるからの渡良瀬橋」松浦亜弥 ~2004松クリスタル~

 松浦亜弥さん。まずは、お誕生日おめでとうございます。

 30歳という人生の1つの区切りを迎え、いかがお過ごしでしょうか。2人目のお子さんの話は伝わってきませんけど、あったとしても、公表しない可能性もありますかね。

 ファンとしては、復帰を心待ちにしている次第です。まあ、ファンクラブを解散した時点で、彼女の心情を察するべきでしょうし、休業宣言をしなかったことで、事務所の思惑を察するべきでしょうけど。だからといって、そう簡単にあきらめきれるものではありませんからね。 

 で、今回、貼り付けさせていただいた動画は、「TKLYIM」さんがアップしてくださったものです。「TKLYIM」さんは、最近、意欲的に動画をアップしているファンの方のようです。
 松クリスタルでの「トロピカール恋してーる」のテイクに関しては、YouTubeには、あまり良い動画がありませんでしたから、この動画を見つけたときは、嬉しかったです。


 「イエーイ」のかけ声が異様に低いのが若干気になりますけど、なかなか良いテイクだと思いますよ。
 で、衣装を一枚脱いで、MCで息を整えて、渡良瀬橋へと続くんですけど、このギャップこそが松浦亜弥のライブの最大の魅力に思います。

  2004年に戻れるのなら、空席のある3階で良いんで、参戦したいですw

 聞くところによると、渡良瀬橋の歌い方には、御本人もだいぶ悩んでいたようで、ライブの後にも、スタジオに行き、無理を言って、歌い直しをしていたそうです。

 皆さん、松浦亜弥さんに関しては、この1曲というものを持っていると思いますが、僕は、結局は、このテイクに戻ってきてしまいます。この後のテイクは、僕には、どうしてもあざとく聞こえてしまうんです。CDリリースの1ヶ月も前に歌ったこのテイクが、僕的にはベストです。
 この先、松浦亜弥さんが復帰して、どれだけ精進したとしても、こういうテイクは、再現できないと思います。

 松浦亜弥さんも30歳になりました。大人になって得るものは多いと思いますが、もし、失うものがあるとすれば、それは、このテイクの中にあると思います。

2016年6月15日水曜日

栃木県益子「西明寺」 №300 ~笑い閻魔と九躯の観音様とステージ4b~

 6月になって、投稿のペースが落ちていることに気がつきました。いつでも書けると云う思いが油断につながっていたようです。それから松浦亜弥さん関連の記事が少なくなっていますが、ファンをやめたとか、ネタが切れたということでは無くって、テンション待ちというのが正直なところです。
 で、今回は、今までに訪ねた寺院を思い出しながら、記事を書きました。今まで訪ねた寺院は約300ヶ寺、全部書くと300回分のネタになりますが、それをすると別のブログを立ち上げなくてはなりませんから、あくまでも繋ぎということにしておきます。では、


 先日、仏像・寺社巡りで集めていた御朱印が300になりました。記念すべき300筆目は、「西明寺」です。西明寺という名前のお寺さんは、日本中にたくさんあります。一番有名なのは、紅葉の名所、滋賀県湖東三山の西明寺でしょうか。僕も湖東三山には何度もお参りしましたけど、今回の西明寺は、そこじゃ無くって、栃木県の益子にある西明寺です。


 仏像巡りを始めてから、御朱印を頂くようになったんですけど、お寺に行っても御朱印をもらえないこともあります。でも、1つのお寺さんで、複数の御朱印をいただくこともありますから、御朱印300ってことは、訪ねたお寺さんも概ね300ヶ寺ぐらいってことになります。

 今回は、特に西明寺が目的地というわけでは無くって、ついでに寄ったくらいの感じだったんですけど、なかなか侮れない立派なお寺さんでした。さすが坂東三十三観音の札所です。 
 御朱印は、下の寺務所でいただきました。本堂内陣の仏像を拝観したい者は、ここで三百円を納めて階段を登って行くのですけど、上には、誰もいなかったです。本堂内には、監視カメラがあったようですけど、後はご自由にという感じでした。


 さすが札所。なかなかの御朱印です。真ん中の文字、十一面観世音はご本尊さまの名前です。


 寺伝によると、建立は奈良時代まで遡るようですが、現在の寺容が整えられたのは、鎌倉・室町時代からのようです。重要文化財は、本堂内の厨子の他に、楼門と三重の塔が指定されています。どちらも室町時代の建築で、地味ですけど、落ち着いた立派な建物でしたよ。楼門には、大きくて立派な仁王様もいます。


 内陣です。撮影禁止の表示は無かったんですけど、監視カメラもあるし、後で注意されるのもイヤですから、写真は撮りませんでした。これはネットから拾ってきたものです。仏像に関しては、全然期待していなかったので、この質と量は、かなりのサプライズでした。関東でこれだけの仏像を持っている寺院は、そうあるものではありません。鎌倉・室町時代の仏像と云うことですけど、かなりの修理が入っているようで、全て県の指定文化財です。これが奈良・京都であれば国の重要文化財に指定されるレベルの仏像もあるかと思うんですけど、東国の仏像はどうも低評価されがちなんですよね。

 重要文化財の厨子の中には、ご本尊さんがいるはずですが、秘仏と云うことで扉は閉まったままです。札所のご本尊さんというのは、秘仏であることが多いですね。仏さんは、見るものでなく拝むものですから、姿を見せない方が有り難みが増すという、良く或る演出です。厨子の前にいらっしゃるのは、御前立ちの観音様で、両側は脇侍の観音菩薩と勢至菩薩です。

 この中で目を引いたのは、向かって左の千手観音様です。後世の修理が入っていることを差し引いても、良く整っている仏像です。特に台座は、蓮の花の彫り方が、いかにも鎌倉時代っぽいです。鎌倉時代のオリジナルかもしれません。右には、真言宗のお寺らしく、如意輪観音様もいます。他にも准低観音様、馬頭観音様、聖観音様など、観音菩薩のオンパレードでした。


 趣の或る茅葺きのお堂は、閻魔堂です。で、中にいらっしゃるのが、この寺院の名仏「笑い閻魔」です。


 時代的には、そう古い像ではないようです。遡っても江戸時代くらいでしょうか。手前の2体は、司命・司録という、地獄の裁判所の書記官みたいな方たちです。後ろの両側には、お地蔵様と、奪衣装婆がいました。で、真ん中が「笑い閻魔」と呼ばれている閻魔大王ですね。
 怖いはずの閻魔様なのに笑っているというのは珍しいので、この寺の名仏になっています。笑っている理由がパンフレットに書いてありました。閻魔様は、地蔵菩薩の化身とされています。で、地蔵菩薩は、いつも笑顔なんで、その化身の閻魔様も笑っているとのことですけど、ちょっと無理矢理感がありますね。
 これは、僕の予想なんですけど、この像を造った人って、最初は怒っている像を造りたかったのでは無いでしょうか。そしたら、皆から笑っているみたいだって云われたんで、開き直って笑い閻魔にしちゃったとかw

 喜怒哀楽って云いますけど、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、人間って同じ表情をするように思います。子どもが笑っているのか泣いているのか分からない時があるように、もの凄く怒っている顔とか、もの凄く悲しんでいる顔とか究極の表情って、同じじゃないかって思うんです。だから、笑い閻魔の顔も、その時その時に、拝観する者の心持ち次第で、変わるんじゃないかって。なのに笑い閻魔なんて名付けたものだから、笑っているようにしか見ることが出来なくなっちゃったんじゃないかって思うんです。
 って、こっちの方が、ちょっと無理矢理でしたかね。

 最後に西明寺の住職「田中雅博」師についてです。この記事を書くにあたり知ったんですけど、田中師は、元国立がんセンターのお医者さんだったんですね。実家である西明寺を継いだ後も、住職を務めながら境内に診療所を建てて、医師と僧侶の二足のわらじで活躍していたとのことです。
 さらに驚いたことに、田中師は、2014年10月にステージ4bの膵臓がんが見つかり、肝臓への転移も見つかったとありました。
 僕はステージ3Cの直腸がんですから、自分で言うのも何ですが、なかなかのものです。けど、4bには敵いません。ましてや膵臓がんですから余命1年も無いと思います。発見が2014年10月ってことは、失礼な話ですが、すでにお亡くなりになっているかもしれません。
 師は、癌が見つかった後も、著作を発表し、講演会の依頼があれば何処へでも出かけていったといいます。患部には痛みもあったと思います。末期がんの専門医で、僧侶で、自らも末期がん患者という田中師ですが、こんな動画がありました。


このことを知ってから、お寺を訪ねたら、もっと違う印象を持ったかも知れませんね。

2016年6月7日火曜日

「愛はかげろう」雅夢 ~今も歌い繋がれる中高年のカラオケソング~

 昔、カラオケは、自宅かスナックに置いてありました。カラオケボックスなんて無かった頃の話です。
 僕は、田舎の大学の学生だったんですけど、コンパの後の3次会は、カラオケスナックでした。「愛はかげろう」を聴く度に、僕は、そんなカラオケスナックを思い出します。曲を入れても、何十人もお客がいるのに、カラオケは1台、自分の番なんてなかなか回ってこないんですよ。ようやく次かなって時に、「スミマセン閉店です」なんてこともあったりで・・・。
 で、カラオケスナックって、絶滅したのかと思っていましたら、中高年に根強い人気があって、最近復活しているようです。他人の歌を聞かされるのはアレですけど、他人に歌を聞かせるってことは、やっぱり楽しいんでしょう。まあ、お酒の力を借りてのことですけどね。
 若い人たちも、会社の上司とかとカラオケにいくことがあったら、この曲、歌ってあげてください。年代的に絶対ウケると思います。


 この程度の曲だったら、僕にでも作れるじゃないかってくらいに、ありふれたコード進行に、使い古されたフレーズ。
 「雅夢」は、ヤマハのポプコン出身のグループですが、グランプリは、取っていないんですよね。「愛はかげろう」って良いんだけど、ちょっとありふれた曲かなって思われたのかもしれません。でも、そんな曲がグランプリ曲以上に大ヒットするのですから、分からないものです。僕だって、自分でも作れそうなんて云いながら、喜んでカラオケで歌っていたんですけど。「ありふれた」と「親しみやすい」の違いってどこにあるんでしょうかね。

 で、今回もボーカロイドカバーは、「The LSC Band」さんの作品で、歌っているのは「猫村いろは」になります。アレンジでは、サックスの使い方が効果的ですね。完全にドラマのエンディングテーマになってます。


 僕的には、もう少しテンポを速くしていただきたいところなんですが、それは贅沢というものですね。The LSC Bandさんのカバー作品って、とにかくアレンジが素晴らしいです。何度も言いますけど、オリジナルとの距離感が絶妙なんですよね。
 でも、この動画、投稿から3ヶ月なんですけど、視聴回数が100回にも満たなくって・・・、「イイね」もまだ2つなんですよ。(そのうちの1つは僕なんですけど)まあ、「愛はかげろう」の世代で、ボーカロイドを聴く奴なんて、この世に何人もいないってことでしょうけど、もったいない話です。

 雅夢は、直に解散してしまいますが、「三浦和人」氏は、その後もソロとして、ライブを開いたり、アルバムをリリースしたりと、今でも精力的に活動しているみたいです。コメントによく書かれているように、確かに一発屋だったのかもしれませんが、決して消えてしまったわけじゃあないんですよ。僕らがカラオケで歌う度に、多少の印税も発生しているでしょうしw

 ただ、三浦和人氏の奏でる、あまりにも叙情的で純粋なフォークソングが、1980年代という時代に合わなくなっていたことは、あったと思います。そう云う意味でも、大衆的なカラオケソング「愛はかげろう」は、雅夢の楽曲の中では、異色だったのかもしれません。

2016年6月2日木曜日

「トーマの心臓」萩尾望都・森博嗣 ~伝説のコミックを人気作家がノベライズ~

 「トーマの心臓」は、「ポーの一族」と並ぶ、萩尾望都さんの初期の代表作です。1974年「週刊少女コミック」に連載とありますから、今から40年以上前、萩尾さんが25歳頃の作品になります。ドイツのギムナジウムを舞台に、女子かと思うような可愛い男の子たちが登場、キリスト教学的な罪と愛、赦しがテーマという、思春期の女の子たちの心をバッチリ捉えたであろう作品です。
 ストーリーは、1年にも満たない間の出来事で、話の核心部分の周りをグルグル回っているような感じ、男である僕的には、ちょっとイライラさせられるところもあるんですが、じっくり読み返してみると、その微妙な心理描写に感心させられるという不思議な作品です。
 作画については、正に「神」。人物をアップで描くと、体のバランスが「?」になってしまうところがあるんですけど、グッとひいて、人物を風景にとけこませたようなカットは、まるで昔の外国映画のワンシーンのようです。


 一番肝心な、トーマが自殺することの意味なんですけど、お恥ずかしい話ですが、イマイチ理解できないんですよね。で、「トーマの心臓、自殺、理由」って検索すると、続々と引っかかってきました。Yahoo質問箱などの回答をみると、さすがに皆さん読み込んでいらっしゃるので、ナルホドという回答ばかりです。で、トーマが自殺した「理由」は、まあ分かるんですけど、「意味」となると、やっぱり「?」なんです。
 好きな人に(この場合は、男の子同士ですが)振り向いてもらいたいから遺書を残して自殺する、という行為は、普通「あてつけ」だと思われても仕方ないことです。何故それが無償の愛で、何故それで最終的に「ユーリ」が救われるのか。信仰という行為に無頓着な僕らが、「ユーリ」がうけた心の傷の深さを理解するのは、不可能なのかもしれません。

 2009年、その「トーマの心臓」が森博嗣氏によって、ノベライズされました。氏は、「創作者として崇拝する唯一の存在」と絶賛するほどの萩尾望都ファンであることが知られています。
 一般的にノベライズというと、創作小説よりも1段低く見られていますが、森博嗣氏が手掛けるとなると話は別です。しかも、小説をコミック化することはあっても、コミックを小説化することは極めて異例のことです。


 森博嗣氏については、今さら説明の必要も無いと思います。工学博士で、元名古屋大学の助教授。鉄道オタクで小説家。驚くべき多作の方で、その全てがヒット作。現在は、多額の印税収入を手に、仕事を選別し、悠々自適の生活をしているようです。
 僕が、森氏の財産形成に協力したところは、「スカイクロラ」シリーズの文庫本5巻と、アニメ化された「スカイクロラ」を劇場に行って見てきたこと。それから、「トーマの心臓」の文庫本を購入したことです。

 森氏の作品の最大の特徴は、「速く読める」と云うことです。文庫本1冊を1日で読むことなんて余裕です。理系作家らしく専門用語が頻繁に出てきますが、読み飛ばしてしまっても全然困りません。森氏は、凄まじい速さで、文章を書き上げるそうですが、速く書いた文章は速く読める、ということなんでしょうか。
 もう1つの特徴は、「ハマる」と云うことです。1冊読むと無性に次が読みたくなります。あの独特の文章を読むことによって、脳が何らかの中毒的刺激を受け、快楽を要求するのではないかと思いますw
 あと、もう1つ加えるならば、説明文ぽいってことでしょうか。森氏の文章は、物語文というよりは、説明文です。森氏の頭の中に浮かんでいる世界観を読者に説明しているっていう感じです。

 今回「スカイクロラ」について語ることはやめときますけど、押井守監督によってアニメ映画化された作品の冒頭部分がYouTubeにありましたから、とりあえず貼り付けさせていただきます。


 うわー、思い出しました。なにも脱出したパイロットを撃ち殺さなくても・・・。これ、しばらくトラウマになってたんですよ。また、今晩、うなされそうです。

 この作品の注目点は2つ。まず、舞台設定がドイツのギムナジウムから、日本になっていることです。登場人物は、日本人という設定です。オリジナリティを打ち出すためだとは思いますが、これは、かなり思い切った試みです。しかし、登場人物の名前は、そのままカタカナ表記で、ニックネームだということなんです。「トーマ」を「冬馬」にするくらいのことをやっても良かったと思います。っていうのは、話の舞台がどう読んでも、日本離れしているんですよね。設定を変更するならば、徹底すべきなんですが、あまりにも中途半端です。森氏自身が、設定を変更していることを忘れているんじゃないかってくらい、話がドイツです。
 もう1つは、物語が「オスカー」目線で、彼の一人称で語られていることです。まあ、この方が、軸がしっかりするので、小説化するには、都合が良いかと思います。彼のキャラクターが物語の中で生かせなくなっているのは、残念なんですが、語らせるとなると「オスカー」以外に適任者がいませんからね。

 ノベライズをざっと読む限りは、オリジナルに沿ったものという感想を持ちますが、細かく読み込んでいくと、かなりの変更点がありあす。ノベライズを単なるコピーでは無く、創作的なカバー作品として成立させるという、森氏の意気込みが感じられます。
 サイフリートの登場の場面とか、エーリクがユーリの家にお泊まりするところとか、アンテとトーマがユーリのリンチを目撃するところとか、物語の核心的なところでも、森流の変更がなされています。もちろん、凄く違和感がありますけど、仕方ないですよね。僕には僕なりの、森氏には、森氏の「トーマの心臓」についての想いがあるわけですから。
 オリジナルとの距離感。これは、物語をカバーするときも、楽曲をカバーするときも、重要なポイントになることだと思います。カバーは、コピーとは違う。しかし、オリジナリティを込めれば込めるほど、既読の読者がもつ観念からの批判に曝されるわけで、この付かず離れずの舵取りっていうのは、難しいですよね。

 で、コミックのノベライズについてですが、やはり、難しいですよね。特に「トーマの心臓」は、登場人物に多くを語らせない傾向があります。それぞれが胸の内を語ってしまえば、お話は終了してしまいますから。だから、絵だけを見せて「この子は何を考えているのでしょう。読者の皆さん予想してください」みたいなコマが幾つかあるんですけど、小説は、そういうわけには、いきませんから、とにかく語らせるわけです。ノベライズの中の会話文の数って半端ないですよ。登場人物が、とにかく饒舌なんです。また、物語がオスカーの一人称で書かれていますから、彼以外の登場人物の心理描写は、会話文を通してでしかできません。だから、ますます饒舌にならざるを得ないです。
 でも、語らせて、説明させればさせるほど、陳腐になっちゃうんですよね。コミックなら、台詞なしで、絵だけを描いて読者に考えさせることができますが、小説は、文字を書かないわけにはいかないわけで。
 森氏をしてこうなのですから、並みの作家では。コピーするのが精一杯、創作性を織り込んだカバー作品は、かなり難しいと思います。
 逆に云えば、コミックという表現方法が、小説や映画などと比べて、いかに優れているのか、ということを表しているのかもしれません。