2016年7月31日日曜日

みんなで踊ろう! MMD動画の傑作「ハイファイレイヴァー」

 「ハイファイレイヴァー」は、「EasyPop」さんが、2012年に発表したボカロ曲です。歌は「巡音ルカ」「GUMI」「初音ミク」の3体のボーカロイドが歌っています。で、この曲が、他のボカロ曲と少し違っているところは、もの凄く沢山のMMD動画及び人間の「踊ってみた動画」がアップされているということです。
 曲のノリが良いのもありますけれど、振り付けが良くできているんですよね。そこで、今回は、このMMD動画の傑作「ハイファイレイヴァー」を踊り比べていただこうというわけです。

 では、最初に人間の女の子にお手本を見せてもらいましょう。気の遠くなるほどたくさんある動画からセレクトさせていただきました。歌っているのは、ボーカロイドのようです。


 まず、MMD動画の1番手は、「艦これ」から「天津風」です。歌っているのは、有名な歌い手さん「96猫」さんですね。
 先ほどは、ボーカロイドの歌で人間の女の子がダンスをしましたけど、これは、人間の歌でCGがダンスしてますから、ちょうど反対になりますね。


 カメラの移動が無いので、オジさんにとって、とっても優しい動画だと思います。それにしても、動画の滑らかな動きには驚きます。MMD動画もここまで進歩しているんですね。ネットのスペックと共に進化する、日本のオタク文化恐るべしです。

 続けて、ボーカロイド代表「IA」ちゃんです。歌は、やはり歌い手さんのようです。「IA」ちゃんは、歌唱力も抜群ですので、是非とも、自身で歌って欲しいところですけど、致し方ありません。


 あと、エフェクター掛けまくりの動画でしたね。「IA」ちゃんの可愛らしさと格好良さがよく出ていたと思います。「IA」ちゃんは、日本では、初音ミクの影に隠れて、知名度も活躍もイマイチですけど、海外では、絶大な人気を誇っています。昨年の北米ライブに続いて、今年は、上海でもライブを開催するとのことですが、是非とも、日本でも再開催していただきたいものです。

 最後は、再び「艦これ」から駆逐艦「天津風」と「島風」さんです。2体でダンスをする場合、コピーにするか、鏡にするかで、雰囲気も変わってくるんですけど、この動画は鏡になってます。歌は、ボーカロイドですね。


 動きも滑らか、2体を重ねて踊らせる場面もありますし、カメラワークもスイッチを多用するのでなくって、ズームや移動が主体なので、オジさんでもあまり目が回らず見やすいです。なかなかの技術をお持ちの方とお見受け致しました。
 ただ、僕的には、艤装を着けて踊って欲しいです。やっぱり艤装あっての「艦これ」だと思うものですから。

 実際の駆逐艦「島風」については、このブログで紹介させていただきました。駆逐艦「天津風」の方ですが、陽炎型の九番艦として建造されるのですが、新型のボイラーを搭載し、新型駆逐艦「島風」建造のためのデータを収集したとあります。だから、「島風」と「天津風」がペアを組んで踊っているんですね。さすがの細かいこだわり。勉強になります。
 「天津風」は、3度の沈没の危機を乗り越えたり、米国海軍の巡洋艦を沈めたり、爆撃機を撃墜するなど、帝国海軍の駆逐艦の中では、多くの戦果をあげています。海上自衛隊の護衛艦に「天津風」の名前が使われているのは、そのあたりの験を担いでいるのでしょう。
  


 これだけの技術と時間があれば、もっと世の役に立つものを作れそうな気がするんですけど・・・w

2016年7月30日土曜日

松浦亜弥「買い物ブギ」他 with村田陽一

 例によって、NHKの「うたコン」を何となく見ていたらリオオリンピックに向けて「ブラジル特集」というのをやっていました。「イパネマの娘」などを歌っていたんですけど、その時のトロンボーン演奏で村田陽一氏が出ていて、オーケストラアレンジなんかも担当していたみたいです。
 村田陽一氏は、日本を代表するトロンボーン奏者で、プロデューサー、編曲家、作曲家としても活躍されています。「米米CLUB」のメンバーでもあったそうで、同じ日に石井竜也さんも出演していましたので、皆さんお仲間だったということみたいです。

 で、村田陽一氏と松浦亜弥さんが大きく関わったのが、2004年の6月に放送された、NHKの「夢・音楽館」になります。番組内でのトークもアップされていますので、紹介させていただきます。

 今回、紹介させていただく動画は、貼り付けが許可されていませんので、すべてリンクになっています。

夢・音楽館 トーク 桃井かおり&村田陽一&松浦亜弥


 では、村田陽一氏をして、「プロだね」と言わしめたテイクをお聴きいただきましょう。

買い物ブギ  松浦亜弥


 6月のオンエアとは云え、お誕生日前ですから、まだ17才なんですよね。
 可愛く歌うとか、上手に思わせるとか、格好良く魅せるっていうのは、歌手であれば皆さん目指すところでしょうけど、この歳で、演じるこのとできる歌手というのは、お目にかかったことがありません。
 こういう演技力って云うのは、そう簡単に身につくものではないと思うんですけど「めっちゃホリデー」とか「ね~え!」などを歌わされたことが、芸の肥やし・・・じゃなくって、成長の糧になっていたのでしょうか。

 次は、半音下げの「ドッキドキLoveメール」になります。

ドッキドキLoveメール  松浦亜弥


 松浦亜弥さんはトークの中で、キーを下げたことは全然気にならないということを云ってましたけど、最初の音さえつかんでしまえば大丈夫ってことなんでしょう。でも、この伴奏ですからね。僕だったら伴奏の音なんて聞いたら、つられちゃって絶対歌えません。きっと耳を塞ぎながらアカペラ感覚で歌うしかないと思います。それを半音下げても気にならないと云うのは、どういう感覚なんでしょうか。

 では、お終いは「100回のKiss」でいかがでしょうか。デビュー前から大人になってまでのどのテイクも素晴らしいのですが、これもまた秀逸。「100回のKiss」にハズレ無しってことですね。

100回のKiss   松浦亜弥


 大人になった松浦亜弥さんの歌唱力の素晴らしさは言うまでもありませんが、彼女だって、いきなり歌が上手くなったわけでは無くって、全ては、こういった活動の延長線上にあるのだと思います。
 「松浦亜弥は一日にしてならず」ってところでしょうか。

 今回の記事で紹介させていただいた動画は全て「kanpyomakisan」さんが再アップしてくださったものです。比較的短命なこの動画群を投稿してくださったアップ主さんに深く感謝すると共に、このテイクが広く世に知られることを願うばかりです。

2016年7月28日木曜日

松浦亜弥「Love涙色」with武部聡志

 武部聡志氏は、日本を代表する作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、音楽監督です。テレビなどの音楽番組の企画から、松任谷由実さんのコンサート、アニメ映画「コクリコ坂」の音楽監督など、幅広く活動されています。
 手掛けた編曲の数も、もの凄く多くって、これもあれもって感じなんですが、これなども、きっと皆さんご存じと思います。


 端っこの方で、控え目にピアノを弾いているのが、武部氏ですね。NHKから番組主題歌の相談を最初に受けたのが、武部氏のようで、氏からスガオシカオ氏にオファーをかけたようです。

 「プロフェッショナル」は、僕のよく見ていたんですけど、番組の最後で、プロフェッショナルとは、という問に出演者が答える場面がありますよね。まあ、ありきたりな答えが多いんですけど、何かのクリエーターさんが「プロとは・・・明日、仕事があること」って答えたのが印象に残っています。

 では、松浦亜弥さんに登場していただきましょう。お馴染みのファクトリーライブからなんですけど、ピアノを弾いているのが武部氏です。曲のアレンジも当然、武部氏が手掛けていると思います。
 再生の時には、ボタンを2回押して下さいね。

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 歌っていうのは、基本的には、「大きな声で元気よく」歌うものですから、声量がある=歌唱力があるって思われがちなんですけど、声量を抑えても感情を表現できてこそ、一人前の歌手だと思います。このライブは、松浦亜弥がアイドルとしてだけでなく、ビジュアルに頼ることもなく、1人の歌手として存在できると云うということが証明された、記念すべきテイクだと思います。

 次のテイクは、それから2年後のものになります。武部氏は、フジテレビ系の音楽番組「僕らの音楽」の音楽監督を務めていたとのことす。曲は「2台のピアノ伴奏によるLove涙色」。ピアノ伴奏は、松任谷正隆氏と武部聡志氏という豪華な組み合わせです。
 こちらもボタンの2度押しで願います。

video

  この動画、悲しいことにYouTubeで行方不明になって久しいです。

 前回のテイクより更に小さな声ですね。ちょっとやり過ぎ感もあります。私、歌上手いでしょうオーラも出ています。でも、右手に有線マイクを持って、左手でコードの中程を持って歌う姿がなんとも良いんです。

 武部聡志氏は、ももいろクローバーZコンサートの音楽監督も務めていて、ファン(モノノフでしたっけ?)からも高く評価されていいるようです。ライブでは、バックバンドとして自らキーボードを演奏していると聞きました。間もなく還暦を迎えるそうで、大御所としてふんぞり返っていても許される立場だと思いますが、やっぱり、ライブは一度やったら一生やめられないんでしょうね。尊敬すると同時に、生涯現役な人生に羨ましい限りです。

2016年7月26日火曜日

グリーン対決! ~小池百合子さんVS初音ミク?~

 日本国民の1割程しか選挙権を持って無いのにも関わらず、ワイドショーでも連日取り上げられている都知事選。立候補者も豪華な顔ぶれで、贅沢な選挙だと思います。県知事選挙なんて云ったって、ろくな候補者もいなくて、ほぼ信任投票状態の地方県民にとっては羨ましい限り。どなたでもOKですので、次点になった方は、是非とも我が県の知事になっていただきたいものです。

 で、都知事候補の1人、小池百合子さんですけど、百合子グリーンとか云って、選挙カーの周りには、緑のペンライトを持った支持者が集まるそうです。緑のペンライトと云えば・・・そう、初音ミクですね。
 と云うことで、8千人が一斉に緑のペンライトを振るとどうなるのか見ていただきたいと思います。


 「マジカルミライ2016幕張メッセ」開催まで40日あまり。僕も先日、隣町のドンキホーテで緑のサイリュームを4本調達してきました。僕は、ペンライトを1本しか持っていませんから、サイリュームを買って、二刀流にしています。もう何回かライブにも通っているので、今までのサイリューム代を合わせると、ペンライトがもう1本くらい買えるのですが、2本目のペンライトを買う決心がつきません。何か二本持ちをすると、そこまで入れ込んでいる自分を嫌悪しそうになるものですからw
 それに、サイリュームだったら、いざという時、皆さんに、お分けすることもできますからね。

 そういえば、増田さんのイメージカラーも緑でした。都内のドンキホーテで緑のサイリュームだけが売り切れに・・・そんなことないかw

2016年7月23日土曜日

榊原郁恵 ~百恵から聖子へ繋いだ最強のセットアッパー~

 久しぶりの昭和アイドルのネタです。今回、取り上げさせていただくのは、「ナッキー」こと「榊原郁恵」さん。郁恵ちゃんについては、現在も現役バリバリのタレントさんとして、幅広く活動されているので、昭和のアイドルと云う括りは失礼かもしれません。
 おそらく、来年がデビュー40周年になるかと思います。ネットなどで「ウザいおばさん」などと言われながらも、40年間ほぼコンスタントにタレント活動を続けているというのは、驚異的なことであります。もちろん、旦那が成人病で稼ぎが当てにならないとか、所属する事務所、ホリプロの力もあるかと思いますが、40年という時の長さを考えれば、彼女自身のタレントとしての魅力や需要があってのことなのでしょう。

 で、郁恵ちゃんの代表曲と言えば、世間的には「夏のお嬢さん」ということになりますが、ファンや隠れファンにとって、郁恵ちゃんと云えば、まずは、この曲ということになりますです。


 ご存じでしょうか。4枚目のシングル、「アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた」、タイトルが長いので、個人的に「2A<A」と表記させていただきます。不等式を解きますと「A<0」ですから、Aはマイナスとなります。

 改めて見ても、典型的なアイドルですよね。歌い方からもお分かりかと思いますが、周りの大人たちに、あーしなさい、こーしなさいと云われる通りにアイドルを演じていると思います。そして、底抜けに明るいキャラクター。子狸と言われていた郁恵ちゃんですが、この辺りは、子猿と言われてた「あやや」と、どことなく共通する部分かと思います。

 年代的には、山口百恵さんと松田聖子さんに挟まれた、中継ぎ的扱いになるかと思います。生まれは、山口百恵さんと同じ1959年、百恵さんが中学生でデビューしたのに対して、郁恵ちゃんがホリプロスカウトキャラバンで優勝したのは、高校2年生の時ですからね。百恵さんの現状がどうなのか存じませんけど、全然変わらないと言われる聖子ちゃんより、さらに3才ほど年上ですから、たいしたものだと思います。


 2014年のテイクとありますから、55歳でしょうか。55歳ですよ。55歳。皆さんの周りの55歳と比べてみてくだ・・・・
 この状況で、アイドルソングを歌うというのは、ほとんど罰ゲームに近いと思いますが、「ウザい」とか、「何様」とか云われながらも、どうせやるならここまで突き抜けてしまえ、という人生のお手本にも思います。でも、時折見せる、恥じらいのような表情が可愛らしいですね。女性というものは、幾つになっても可愛らしいんだなと改めて感じたしだいです。

 では、現役時代のテイクも紹介させていただきます。


 若干こちらのテイクの方がコロコロしてますけど、それほど大きな違いは無いかと・・・w。

 続けて、初音ミクカバーになります。一応、初音ミクのファンブログなものですから。


 なんか、ちょっと控え目なところが、昭和と云うより、今風のアイドルって感じですね。振り付けまで含めて、良くできていると思います。思わずポチッと高評価を押してしまいました。
                                                      
 で、郁恵ちゃんと云えば、何と言っても、85のDと云われていたバストですよね。ただ、当時も今もアイドルに色気を感じさせないというのは鉄則ですので、郁恵ちゃんもアイドル衣装の下で揺れてしまわないように、胸にサラシを巻いていたといいます。しかし、あれだけあると、どうやっても隠し通せるものでは無いですから、だんだんオープンになっていきましたけど。まあ、最後までイヤラシくならなかったのは、郁恵ちゃんの底抜けな明るさがあったからだと思います。で、この辺りも「あやや」と、どことなく共通している部分に思います。
 とは云っても、同年代の中高生には、衝撃的でしたよ。だって、自分の同級生くらいの女の子が水着でテレビ出て、あのインパクトですから。

 「夏のお嬢さん」は、郁恵ちゃんの最大ヒット曲です。リリースはデビュー翌年の夏で、シングルとしては7枚目になります。この辺も「あやや」の「めっちゃホリデー」との共通点を感じますね。売上げは20万枚、オリコンチャートは、最高11位となっています。その後40枚近くシングルをリリースしますが、結局ベスト10には、1枚も入ってないんですよね。タレント活動の好調さからすると意外ともいえます。歌唱力もそれなりにありますし、じっくり聴くと良いなあと思わせる、しっとり系の曲なんかもあるんですが、1人でCDを何枚も買ったからと云って、郁恵ちゃんと握手できるわけでもないし、アイドルの曲は、買ってまで聴くものでは無かったということでしょうか。
  
 って、ここまでチョイチョイ「あやや」を挟ませてきましたけど、実は、僕、松浦亜弥さんの「ね~え!」を見たときに、何故か既知感を持ったんですよ。で、それが郁恵ちゃんだったというわけなんです。「あやや」の「ね~え!」って云うのは、アイドルテンションがかなり高くないと歌いきれない曲で、ハロプロの女の子たちも度々カバーしていますけど、歌いきれる子ってなかなかいないと思います。でも、もしかしたら(もちろん年代は、逆になりますけど)郁恵ちゃんだったら「ね~え!」を歌いきれるんじゃないかって、そんな気がしてならないんです。
 アイドル時代の松浦亜弥さんも榊原郁恵さんも、底抜けに明るいキャラクターで、国民的アイドルとして幅広い年代に親しまれたし、CMにもたくさん出ていたし、ミュージカルの評判も良かったし、でもCDはあまり売れなかったしって、考えてみると、共通点が結構あったように思います。まあ、途中から、歌をとるか捨てるかで、大きく変わっていくわけですけど。

 お終いは「ラブ・ジャック・サマー」でいかがでしょうか。「夏のお嬢さん」の翌年、2匹目のドジョウを狙ったような曲なんですけど、あまりヒットしませんでしたかね。もう少しヒットした曲もあるはずですが、夏ですし、リオオリンピックも近いということで。


 絶対、歌えると思いません?

2016年7月18日月曜日

「上を向いて歩こう」 ~みんなで歌おう その2~

 先日、永六輔氏の逝去報道がありました。ご冥福を祈って、などと云うとおこがましいのですが、みんなで楽しく歌いましょう企画の第2弾として、今回は、名曲「上を向いて歩こう」を取り上げさせていただきます。

 永六輔氏と云うと、他にも何曲が有名な曲がありますが、やはり、どれか1曲となると「上を向いて歩こう」ということになるかと思います。


 「永六輔」氏が「坂本九」氏の歌い方に難癖をつけたのは、有名な話です。かなり酷く罵ったらしいです。まあ、坂本九氏は、この時代の多くの若者がそうであったように、アメリカに憧れていた歌手でしたから、こういう、日本語を崩したような歌い方をしたかったのでしょう。

 その後、この曲は、「SUKIYAKI」として、アメリカでヒットしますが、日本語歌詞のままで発売されているんですよね。多くの楽曲が、アメリカで発売するにあたって、英語の歌詞に書き換えられていることを考えると、異例のことと云えます。
 日本語のままで発売された理由については、坂本九氏の歌い方が、アメリカ人にも嫌悪感なく聞こえ、「このままで良いんじゃねえ」みたいな感じだったからだと云われています。英語に書き換えられていたならば、歌詞の内容も少なからず変更されていたでしょうから、(実際、外国語歌詞の内容は、オリジナルとは、異なっています。)作詞家、永六輔氏は、坂本九氏にかなりの恩があると云えます。(でも、絶対反省してないと思います。だって、それが永六輔氏ですから)

 もっとも、当時の日本人の多くが、坂本九氏の歌い方に違和感を覚えたことは確かなようで、僕の死んだ祖父さんも坂本九氏がテレビに出てくる度に「コイツの歌い方は変だ」と言ってたことを覚えてます。ちなみに僕の祖父さんは「森進一」も嫌いでした。

 では、英語版で歌っていただきましょう。数ある中で、これをセレクトさせていただきました。


 出だしの4小節、日本語では、「うえをむいてあるこう」だけですが、英語版では、「It's all because of you, I'm feeling sad and blue.」となります。「僕がこんなに悲しくってブルーな気分になっちゃたのは、全部、君のせいだからね。」と英語だとこれだけ詰め込めるんですよね。日本語は、世界的に見ても特異な言語で、曲に僅かな言葉しか乗せられません。
 最近、「オノ・ヨーコ」さんが、「SUKIYAKI」を「Look At The Sky」として、原詞に沿って意訳して発表したそうです。出だしの4小節は「Look at the sky as you walk through life(人生を歩むときは、空を見てごらん)」となり、かなり原詞に近いのですが、それでも、付け足さないと音符が余っちゃってますからね。

 では、ボーカロイドカバーを貼りつけさせていただきます。この曲、投稿自体は多いんですが、ボーカロイドに歌わせるのは難しいみたいで、なかなか、自信を持って、お聴かせできるテイクが無くって・・・。
 

 だいぶ古い作品で、MMD動画も初期のヴァージョンなんですけど、すごく丁寧に歌わせているところを評価させていただきました。失恋の歌というシチュエーションになってます。
 永氏がご存命でしたら何と仰られるか分かりませんけど、理論武装して徹底的に争う覚悟はできておりましたww

 この歌詞の誕生秘話については、いくつか伝わっているようですが、この歌が「困難に直面した時の歌」であることは確かです。その困難が、聴く人、歌う人によって、失恋であったり、安保闘争の敗北であったり、震災であったりするわけで、その普遍性があればこそ、歌い継がれてきたのだと思います。

 では、3曲目。日本の有名なロックンロールのカバーです。
 
 歌は1分40秒からです。NHKで追悼番組として再放送されましたね。アンコール曲の定番だったようです。


 
 リンクになりますけど、もう少し若いときのテイクです。こっちの方が好きかな。


 忌野清志郎氏も故人になってしまいましたね。僕は、坂本九氏のテイクで泣いたことは、ありませんけど、忌野氏のテイクを聞いて泣いたことがあります。「涙が溢れないように」のところが何とも云えなく良いんですよ。

  「上を向いて歩こう」については、坂本九氏の事故死の時も盛んに流されましたし、東日本大震災の避難所でよく歌われていたというのも有名なエピソードです。永六輔氏の逝去で、作詞者、作曲者、歌手と全てこの世を去りましたが、これからも、忘れ去られることなく、歌い継がれていくんでしょうね。

2016年7月16日土曜日

「恋のバカンス」 みんなで歌おう

  先日、亡くなられた、伊藤ユミさんを追悼してなどというとおこがましいですが、名曲「恋のバカンス」を楽しくみんなで歌いましょうという企画です。

 最初に、お手本としてCD音源を貼りつけさせていただきます。1963年に発表されたそうですから、50年以上前なんですが、全然古さを感じませんね。


 当時は、高度経済成長期で、日本人は、「働き蜂だ」なんて世界から云われていた頃でした。フランス人は「バカンス」といって何ヶ月も夏休みがあるんだ、なんて子どもの時に聞いて、その間、誰が代わりに仕事をするんだろうって、子ども心に、心配しちゃいましたよ。
 で、思ったよりも、濃い歌い方だったんですね。すごく大人っぽいです。今のタレントさんは、実年齢より若く見せたいという感じですけど、当時は、早く大人なりたいという時代だったと思います。18歳くらいでデビューする歌手もできるだけ大人っぽく、大人っぽくって云う感じでしたから。

 2つめは、辻・加護コンビによるテイクです。
 2004年のテイクのようですね。辻・加護が、最後に輝いていた頃かも知れません。ザ・ピーナッツは、一卵性双生児でしたけど、彼女たちは、一卵性他人と云われていて、見た目も声質も合ってましたから、この曲をカバーすると云う決断はヒットだったと思います。


 オタクってのは、どんな曲でも前奏が流れると「オイ!オイ!」ってコールしちゃうんですね。でも、なかなか良いカバーだと思いますよ。ザ・ピーナッツは、リリース当時、22歳でしょうか、一方、彼女たちは、17歳。原曲もしっかりリスペクトしているし、彼女たちの可愛らしさも出ているし、原曲との距離感がちょうど良いですね。

 次は、ボーカロイドカバーです。鏡音リンと初音ミクによるデュオですね。主旋律はリンが担当しているようです。


 投稿が2008年1月4日とありました。ザ・ピーナッツのカバーというよりは、Wのカバーをさらにカバーしている感じですね。
 鏡音リンの発売日が2007年12月27日ですから、発売から1週間後の投稿になります。正月休みを全て費やして調教したのでしょうか。それにしても、出来すぎと云える作品だと思います。最初聞いたときは、こっそり人間が歌っているのだと思いましたよ。
 デモ作品なんですかね。鏡音リンのカバー作品としては、トップレベル。最高レベルの作品が、発売1週間で出てしまったことになります。

 では、4つ目、今度は、ロシア語カバーになります。動画のアップ主さんのコメントを引用させていただきます。

【当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ:国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が本曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込み積極的に展開、ニーナ・パンテレーエワが1965年に"Каникулы любви"のタイトルで大ヒットさせた。ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない者さえ居る程、現在のロシアでも世代を超えた有名曲となっている。】
・・・だそうです。
 YouTubeでも、やたらとロシア語のコメントが多かったのはこういう事情があったからなんですね。1965年なんて冷戦真っ只中なんですが、当時、こんなことがあったなんてびっくりいたしました。


 最後に日本語で歌っているんですね。ロシアでも、たくさんの歌手にカバーされながら、現在でも、歌い継がれているようです。でも、だいぶ歌詞の内容が変わっているようです。他の曲でも良くあることですが、別の歌詞に書き換えられて海外でヒットした場合、作詞家の心境ってどうなんでしょうかね。音楽は世界共通ですが、それは、あくまでもメロディーのことで、そのメロディーにのせたい想いっていうのは、各民族それぞれと云うことなんでしょうか。

 最後は、再び、御本家のテイクでお終いにします。1975年とありますから、芸能界引退の時の映像みたいです。お姉様が沢田研二氏と結婚されたのは、この翌年になります。
    

 現在でも、カラオケの定番になっている「恋のバカンス」。覚えやすくて、歌いやすくて、デュエットだから、一人じゃ恥ずかしいから2人で歌おうって感じでカラオケ向きだし。
 ザ・ピーナッツは、40年も前に歌わなくなってしまいましたけど、忘れ去られてしまうことなく、こうやって、みんなで歌い継がれていくんでしょうね。

2016年7月13日水曜日

吹奏楽部  ~T先輩の思い出~

 僕の通っていた中学校は、1学年が約200人という結構な大規模校だったんですけど、当時は、運動部至上主義でしたので、文化系の部活は、吹奏楽部と休部状態の科学部しかありませんでした。僕は運動が苦手でしたので、卓球部にでも入ろうかなって思ってたのですが、ひょんなことから、吹奏楽部に入ることになりました。
 もう40年以上も前の話なんですけど、歳をとるとこんな昔話ばかり思い出してしまいます。まあ、僕の音楽活動の原点とも云えることですので、宜しかったらお付き合いください。

 吹奏楽部の練習場は、鉄筋校舎群の外れにぽつんと残された木造校舎にありました。僕と友人は、部長の前に立ちました。部長は、トランペットを担当しているT先輩でした。T先輩は、僕たちを見て、まず友人に「お前は、体が大きいからユーホニューム。」僕には、「お前は、小さいからトランペット。」と言いました。

 吹奏楽部は、部員が30人程しかいない、弱小部でした。顧問は全く姿を見せず、放任状態で、吹奏楽コンクールにも参加できないような部でした。

 部室にあてがわれた木造校舎は、吹奏楽部専用の部屋でした。入り口には、錠前が掛かっていて、鍵は部長が持っていましたが、まず僕らは、鍵を使わずに錠前を開ける方法を伝授されました。中学生が校内に自分たちだけの部屋をあてがわれていたわけで、部室は完全に秘密基地状態でした。先輩も後輩も男子も女子も仲が良く、遊んでばかりいました。そんな吹奏楽部が崩壊することも無く、部活動としての体裁を保つことができたのは、T先輩を中心とした3年生の存在があればこそでした。
 T先輩は、頃合いを見計らって、遊んでいた僕たちを集めました。僕らは、円く椅子を並べて座ります。「教則本5ページ。いくぞ、せーのーで」顧問のいない僕らは、T先輩のかけ声に合わせて、演奏を始めました。それが僕らの全体練習でした。

 T先輩は、足に障害を持っていました。差別用語で云うところの「びっこ」でした。大人たちの噂によると、小さい頃、交通事故に遭ったとのことでした。
 僕の住んでいた町は、街道に沿って東西に長く延びた宿場町でした。僕の家は、街道の東側にありましたが、T先輩の家は、同じ東側でも一番端の地区にありました。足に障害のあるT先輩は、特別にバス通学の許可をもらっていました。
 僕は、T先輩に誘われて、よく一緒に帰りました。そんな時、T先輩は、学校の近くのバス停でなく、駅前のバス停まで一緒に歩いてからバスに乗りました。話が弾んだときなどは、僕の家のところまで歩いて、そこからバスに乗ることもありました。

 ある時、T先輩は、「腹が空いたから、お好み焼きを食べよう」と言いました。僕は、驚きました。登下校中の飲食店への出入りは、禁止されています。誰かに見られて、チクられでもしたら大変なことになります。この頃の先生たちは、さすがにグーでは、殴りませんでしたが、ゲンコツやビンタは日常茶飯事でしたからねw
 T先輩は、周りを見回して誰もいないことを確かめると、お好み焼き屋に入っていきました。店のおばちゃんと先輩は、知り合いのようでした。僕は、先輩からお好み焼きを奢ってもらいました。食べ終わると、おばちゃんは、外を覗いて、「今なら大丈夫だよ」と言って、僕らを送り出しました。
 僕は、T先輩が大人に見えました。

 夏になりました。

 当時は、野球部至上主義でした。今では信じられないことですが、野球部だけは特別で、中体連の試合は、市営球場で行い、全校応援が常識でした。吹奏楽部も応援に参加しました。やっていることは、高校野球の応援の真似ごとでした。

 応援団長が僕らの部室を訪ねてきました。団長は、3年生で、部活のレギュラーになっていないお調子者が、任命されていたみたいです。団長は、高校野球でやっている「コンバットマーチ」を応援でやりたいと言いました。T先輩は、コンバットマーチの音階をトランペットで探りながら、紙にメモしていきました。
 T先輩は、「できたぞ」と言って、黒板に、音符でなくって、「ドー・ラファラドー」って階名を書きました。皆で黒板を見ながら、演奏しました。何回もやっていくなかで、それぞれのパートが勝手にアレンジを加えて、僕らのコンバットマーチができあがりました。
 団長は、「部活よりも楽しい」と言って、毎日のように僕らの部室に来て、応援の練習をしました。ついには、「俺も吹奏楽部に入れば良かった。」と言い出す始末でした。

 野球部の大会が始まりました。初戦の相手は、小規模校でした。吹奏楽部の無い学校のようで、僕らは、応援でも試合でも、相手校を圧倒して勝ちました。
 次の日の相手は、大規模校でした。この学校の吹奏楽部は、県大会の常連校でした。ところが吹奏楽部は、コンクールの練習で、応援には来ていませんでした。来ていたのは、コンクールに出られない2軍(主として1年生)のメンバーでした。吹奏楽部の強豪と言っても、1年生中心の2軍です。校歌を演奏するのがやっとみたいな連中でした。僕らは、弱小とは云え、3年生まで含めたフルメンバーでした。オリジナルのコンバットマーチも持っていました。僕らは、応援で圧倒しましたが、肝心の野球部が負けてしまったので、野球部共々、僕らの夏も終わりました。

 秋の文化祭に向けての練習が始まりました。T先輩は、皆を集めて、どんな曲をやりたいのか聴きました。あれこれ話し合った末、何曲か候補曲が決まりました。その頃流行っていた、カーペンターズとかだったと思います。T先輩は、今度の日曜日に楽譜を買ってくるから、明日、一人100円ずつ持ってくるように言いました。
 日曜日、T先輩は、皆から集めたお金を持って、電車で隣町の楽器屋へ出かけました。僕と2年生の先輩も一緒について行きました。楽器屋で楽譜を探しましたが、話し合いで出てきた曲は売っていませんでした。先輩は、売っている中で、同じようなジャンルの曲を買うことにしました。文化祭で演奏する曲が揃いました。
 
 演奏曲には、トランペットのソロパートがありました。ちょうど3曲あるから、一人1つずつやろうってT先輩が言いました。僕は、「十字勲章」という曲のソロパートをもらいました。8小節ありましたが、中音域で吹きやすく、僕の得意なスラーがたくさん付いているメロディーでした。

 文化祭まで、あと1週間ほどになった時、顧問がやってきました。文化祭のステージでは、顧問が指揮をすることになっていたので、合わせに来たのでした。「どんな曲をやるの、楽譜見せて」と顧問は言いました。顧問は、曲の出だしや、終わり、いくつか気になったところを指摘して帰りました。それは、僕が顧問から受けた、初めての指導でした。

 僕は、2年生になりました。木造校舎は取り壊され、練習場は鉄筋校舎の中の音楽室になりました。それ以外は、何も変わりませんでした。

 T先輩は、高校へ進学し吹奏楽部に入っていました。先輩は、障害を持っていたので私学の受験ができませんでした。噂によると市内でも№1の進学校に入れるくらい勉強ができたそうですが、私学の併願ができないため、志望校を1ランク落として受験をしたとのことでした。

 新学期が始まって間もなく、T先輩がやってきました。いろいろと雑談をした後で、皆を集めました。T先輩は僕らに向かって、指揮者を決めるように提案しました。「お前たちに必要なのは、指揮者なんだ」と力説しました。
 僕らは、面食らってしまいました。それは無理な話に思えました。みんな楽器が演奏したくて部活をやっていました。その楽器を捨てて、指揮者に専念するなんて考えられないことでした。第一、指揮者は、先生がやることで、生徒がやるものではありませんでした。それに、僕たちは、今までずっと指揮者無しでやってきたんですから。

 僕は、T先輩が進学した高校の定期演奏会を見に行きました。先輩の学校の吹奏楽部は、特に上手くも下手でもないレベルと云われていましたが、高校生の大規模編成の吹奏楽の演奏は、さすがに迫力があって、僕は圧倒されました。そして、何より驚いたのは、T先輩が1年生でありながら、1曲だけとはいえ、ソロパートを任されていたことでした。
 僕は、T先輩を誇りに思いました。

 僕は、3年生になりました。吹奏楽部は、相変わらずの弱小部でしたが、男子部員がほとんど入ってこなくなりました。入ったものの、親に反対されて、運動部に転部する子もいました。それまでは、男子は金管楽器、女子は木管楽器というような雰囲気があったのですが、金管楽器のいくつかは、女子が担当するようになりました。

 実は、それ以上に変わったことがありました。新しい顧問がやってきたのです。

 新顧問は、音楽の若い女教師でした。前任校は吹奏楽部が無かったらしく、顧問になれて嬉しいと言いました。こんな弱小吹奏楽部でも、彼女にとっては、宝物に思えたのでしょう。
 新顧問は、毎日のように部活に来ました。3年生の僕は、ご想像の通り、新顧問に反抗的な態度をとりましたが、所詮、子どもが大人に敵うはずも無く、吹奏楽部の活動は、新顧問のペースで進んでいきました。
 新顧問は、講師を連れてきて、僕らの練習を見てもらいました。僕らは、演奏について細かい指導を受け、注意されたことを赤鉛筆で楽譜に書き込みました。
 合同練習にも参加しました。市内の吹奏楽部員が集まって指導を受けました。トランペッターも1つの部屋に集まって練習しました。中には、県大会常連校の部員もいました。僕は、強豪校の部員は、凄い演奏技術を持っているのだと勝手に思っていましたが、実際に会ってみると、技能的には、僕とさほど違わないように思いました。僕はちょっと拍子抜けしました。
 僕は、1年生でありながらソロパートを任されたT先輩を思い出しました。僕ら個々の演奏技術は、強豪校とさほど違わないのなら、その差は、どこで生まれるのだろうか。

 「お前たちに、必要なのは、指揮者なんだよ」

 僕は、T先輩の言ったことがようやく理解できました。必要なのは、個々の技術を引き出して、1つにまとめる力。高校の吹奏楽部では、顧問以外にも、生徒が指揮を担当します。T先輩は、それを見て指揮者の必要性を思い知り、それを僕らに伝えたかったのだと思いました。
 
 今、僕らの指揮者の位置にいるのは、新顧問でした。

 僕らは、吹奏楽コンクールに出場することになりました。部員30名の小規模編成の部です。学校によっては、部員を30名に選抜して参加するところもあるようですが、僕らは、補欠無しの全員合わせての30名でした。

 夏になり、野球の応援が始まりました。新顧問は応援の練習などより、コンクールの練習をしたかったようですが、長いこと続けてきた伝統でしたから、簡単に変えることもできないようでした。新顧問は、応援の時も付いてきました。
 応援の演奏というのは、テンション物ですから、やっているうちにどんどんテンポが速くなります。新顧問は、指揮をしながら「速い速い」と叫んでいましたが、やがてあきらめたと見えて、何も言わなくなりました。
 僕は、愉快に思いました。

 野球の応援も終わり、いよいよコンクールの練習が本格的に始まりました。が、僕は、何故か突然のスランプに陥りました。楽曲の中に、2小節のファンファーレのソロパートがあるのですが、それが上手く吹けなくなってしまいました。高音域の音とは云え、出せない音ではありませんでした。普段なら問題なく吹ける音のはずなのに、2回に1回の割合で失敗してしまうのです。
 応援で頑張りすぎたかな、なんて考えましたが、有り得ないことです。特に緊張しているつもりもないのですが、どうしても、2回に1回の割合で失敗してしまうのです。僕は、だんだん自信を無くしていきました。

 コンクールの日がやってきました。僕は、相変わらず2回に1回の割合で失敗していました。まあ、逆に考えれば、2回に1回は成功しているのですから、本番で成功すれば良いだけのことです。僕は、できるだけ気にしないようにしました。

 そして、本番で、僕は失敗しました。

 僕らの結果は、次点でした。上の大会へは、進めませんでした。採点表をもらってきた新顧問は、「入賞校とは少しの差だった」と言いました。「審査員の中には、私たちの方を高く評価してくれた人もいた」と慰めてくれました。でも、それは、僕にとって慰めの言葉でもなんでもありませんでした。

 「僕が失敗しなければ、入賞したということじゃないか」



 秋の文化祭が終わって、僕は、バンドに誘われました。僕は、受験勉強そっちのけで、3月の予餞会へ向けて、バンド活動に熱中しました。
 高校では、アマチュア無線に熱中して、理系オタクの道を進みました。2年生の時、再びバンドに誘われました。この辺りの話は、以前、昔話として、投稿させていただいた通りです。

 高校でも、吹奏楽部に入れば良かったと思うことは、ありませんでした。
 入っていたらどうなっていただろうと考えてみましたが、結局、何も思い浮かびませんでした。

2016年7月12日火曜日

松浦亜弥コンサートツアー2009秋「想いあふれて」 その4

 リクエストコーナーの後は、観客を起立させて、アイドル曲のメドレーです。


 改めてDVDを見返しますと、振り付けとかちゃんとやってるんですよね。「Love涙色」「ドッキドキ!Loveメール」「トロピカ~ル恋して~る」ってどれも1番だけですけど、最後まで歌ってからつなげているので、不自然にもなっていないし。ここまでやってくれるのなら、メドレーなんかじゃなくって、ちゃんとセットリストを組んでもらいたいところなんですけど、もう、そういう気分じゃなかったんでしょうね。

 後半の1曲目は、「オリジナル人生」。ここでの注目は、あしたのジョー的演出と、梶ヤンのウッドべースでしょうか。


 で、ラストスパート。「I Know」「DO YOU LOVE ME?」「The  美学」「絶対解ける問題」の続けて4曲。
 この選曲、どう思いますか。確かに「DO YOU LOVE ME?」など、新しい振り付けになっていて、それなりに面白いとは思います。ただ、コンサートツアー「想いあふれて」を松浦亜弥のライブの集大成だと考えて、このセットリストにしたのだとすると「?」な感じがします。初期の曲だと、「100回のKiss」なんかもセットリストに入ってないし。これぞ松浦亜弥のライブっていう選曲なんでしょうか。
 まあ、彼女自身がこれを是非とも歌いたいと決めて、会場のファンがこの選曲に満足しているのならば、僕は悲しい少数派ということになるのですが。

 僕は、「想いあふれて」は、普通のアルバムツアーの方が良かったと思います。あと3,4曲は、アルバム曲を歌った方が良かったと思います。そりゃあ、アルバムは全然売れなかったかもしれないけど、この方向性を決めたからには、もう少し徹底した方が良かったのではないかと思います。そうしてくれれば、松浦亜弥さんの未来にもっと希望が持てたように思います。
 このセットリストからは、結局こうなるんだというマンネリ感と、もう2度とコンサートツアーをすることは無いんじゃないかという閉塞感を感じてしまうんですよ。だから、僕は、どうもこの部分が好きになれません。たまーにDVDを見返しても、この4曲は、スキップしちゃったりして・・・ゴメンナサイ。

 で、アンコール曲は、「笑顔に涙」


 歌の後に、MCがありますけど、今になってみれば「大嘘」ですね。本当のことが言えなくって、こういう発言をしたのか、それとも、この時は、本気でこういうことを思っていたのか、どちらか分かりませんけど、聞けば聞くほど虚しい限りです。
  
 リハーサルを進めていく段階で、このようなコンサートツアーを維持していくことのキツさを実感したのでしょうか、直前のマニアックライブⅡの手応えが、このような決断に結びついたのでしょうか。いずれにせよ、2009年をもって、松浦亜弥のコンサートツアーは終了します。

 コンサートツアー「想いあふれて」は、単なるアルバムツアーでなく、松浦亜弥のライブの集大成とされました。これぞ松浦亜弥のライブというものにしたかったそうです。
 でも、やっぱり2009年のツアーは、アルバムツアーであって欲しかった。リクエストコーナーをやっても良いし、テニスボールを打っても良いんです。アルバム曲をじっくり聴かせてくれて、最後は、みんなの知っている曲で盛り上がって、普通にお終いにして欲しかったです。ありふれたセットリストかもしれないけど、そんな、オープンエンドって云うのかなあ、将来に続く感じでお終いにして欲しかったんです。
 
 ラストソングが「想いあふれて」なのが、せめてもの救いだったのかも。

 
もらい泣きですね・・・

2016年7月10日日曜日

松浦亜弥コンサートツアー2009秋「想いあふれて」 その3 ~リクエストコーナーについて(再投稿)~

 リクエストコーナーについての記事は、昨年末に投稿してましたので、ちょっと横着させていただいて、部分修正して再投稿します。


 ライブにおいて観客からリクエストを募るというのは、珍しいことではありません。しかし、多くは小規模なライブハウスでのことで、2000人規模のコンサートホールのライブで、リクエストを募るというのは、ベテラン演歌歌手のリサイタルなら有るかなという程度で、やはり珍しいことのようです。

 リクエストコーナーと云えば、ラジオ番組を思い出しますが、聞くところによると、あれって、予め流す曲が何曲か用意されていて、その曲を当ててくれた時に、その人のリクエストとして流す場合が多いそうです。つまり、○○さんがリクエストしたから曲をかけたのではなくって、○○さんは、ラジオ局が用意していた曲をビンゴしたってことみたいです。まあ、リクエストしたことに変わりはありませんけどw
 その場でのリクエストというのは、受ける側にとっては、それなりにリスクがあることのようです。

 で、このコーナーで演奏された楽曲なんですが、ネットで、ざっと調べただけなんですが、21曲ほど分かりました。

「ダブルレインボウ」「Blue bird」「灯台」「ダイアリー」「きずな」「元彼」「真珠」「Beautiful Day」「渡良瀬橋」「可能性の道」「風信子」「ね~え?」「Dearest.」「待ち合わせ」「気がつけばあなた」「そう言えば」「LOVE TRAIN」「ハピネス」「チョコレート魂」「THE LAST NIGHT」「女Day by Day」と云ったところです。
 一公演当たり、3曲ですから、40曲以上は、演奏されたはずですが、中には、セットリストに入っていないのが不自然な楽曲も含まれています。

 YouTubeには、DVD収録されたものの他に、会場でファンが録音したと思われるテイクもいくつかアップされています。

 と云うことで、1曲目は、「待ちあわせ」。MCも併せて収録されていますので、どのような感じでリクエストを募ったかが分かります。これでもDVD収録にあたって、結構カットされているようで、実際のMCは、もっと長かったようです。しゃべりを多くして、曲を減らしたかったとも云えますが、ここでは、ファンとの交流を図りたかったということにしておきましょう。
 曲は、2分20秒からです。


 続けて「ダブルレインボウ」です。これがリクエストされるってことは、逆に言えば、セットリストに入って無いってことですよね。その一方で、セトリには、「DO YOU LOVE ME」なんてのも入っています。ここに至って、そんな曲を聴きたいファンがいたとも思えないんですけどw


 このリクエストコーナーについては、ミュージシャンの間でも話題になったようで、菊池真義氏のブログによると、何人かの仲間達から本当にガチなのか質問されたとありました。
 
 リクエストを募ると言っても、「それは無理」なんて云って却下する曲もあったり、その一方で、アカペラで歌った曲もあったみたいです。あと、やってみたものの、グダグダになったのもあったらしいです。こんな時、松浦亜弥さんは、ゴメンナサイで、済ませるつもりなんでしょうけど、プロならば、あってはならないことだと思いますよ。

 そもそも、プロというのは、綿密に準備をして、本番に備えるっていうか、当たり前のことを淡々とこなしていくのが格好いいわけで、一か八かの挑戦というのは、プロの仕事と言い難いですよね。フィギュアスケートだって、競技では転倒しても、アイスショーでは転倒しないでしょ。
 菊池真義氏にしたって、失敗しました御免なさいというのは、プロとして許せないことだと思います。それが、面白そうだからやってみよう、というノリになったのだとしたら、それは、ひとえに菊池氏の人柄によるもので、普通のミュージシャンだったら、こんな企画は通らないと思います。
 
 では、「dearest.」です。これをセットリストに入れないというのも、理解しかねます。しかも、このテイクかなりの出来だと思いますよ。


 ピアノ伴奏が多いdearest.ですが、このギター伴奏のテイクもなかなかですよね。やはり、菊池氏あっての松浦亜弥だと確信した次第です。

 リクエストを募ることによって、ファンと直にやりとりを楽しみたいという、松浦さんの意図が伝わってきます。やはり、「想いあふれて」が最後のツアーだということで、前々からやってみたかったことに挑戦したのでしょう。
 アイドル時代の、何から何までがっちり決められ、リハーサルを重ねて、同じルーティンをこなしているだけだったステージに対する反発、その想いと云うか、ワガママを受け入れてくれる菊池氏の度量の深さというか、ノリの良さには、感心させられるばかりです。


 では、次回でまとめとさせていただきます。

2016年7月8日金曜日

松浦亜弥コンサートツアー2009秋「想いあふれて」 その2

 オープニングの後、コンサートは、新アルバム「想いあふれて」に収録された楽曲が続きます。アルバム収録曲は10曲、コンサートで披露された曲は5曲です。前々回の「ダブルレインボウ」は、11曲中9曲でしたから、それと比べるとかなり少ないと云えます。
 「想いあふれて」の収録曲で、披露されなかった曲は、「七回歌うといいことがある歌」「beautiful day」「レスキュー!レスキュー!」「真珠」「きずな」となります。中でも「レスキュー・レスキュー」「真珠」などは、直前のマニアックライブで披露されて、評判も高かったようですから、オタさんとしても期待していたのではないでしょうか。
 会場のファンから「レスキュー・レスキュー」をリクエストされたときに、松浦さんが、ちょっとキツイから難しいけど、ツアーの後半では、どれかと入れ替えてやるかも、みたいな発言もあったようです。
 
 では、アルバム「想いあふれて」の収録曲から「結婚しない二人」を貼りつけさせていただきますね。


 この曲は、かなりお気に入りだったようで、この後のライブでも良く演奏されてます。このテイクでは、軽い感じの振り付けもついていて、ライブの楽しさが伝わってくるように思います。これ以降のテイクでは、座ったまま歌っていることが多いですからね。

 この流れのままで、続けて「boomboomboom」ですね。


 う~ん、もっと「福長雅夫」氏を映して欲しかったですね。一番活躍できる楽曲ですからw

 パーカッション、例えばタンバリンなんて小学生でも叩くでしょ。パーカッションって、誰でもできそうな楽器を、いかに格好良く叩いて魅せるかにあると思います。さすがプロはひと味違うなってことで。僕もバンドの演奏を見る時って、ドラムやパーカッションを見ている時間が一番長いんですよ。


 「中央改札」は、座って歌う演出になりますね。そう云えば、前回も、前々回のツアーでも、座って場面があったように思いますけど、演出で無くって、体力的にマジでキツかったのかもしれませんね。
 
 アルバム「想いあふれて」からは、あと1曲、アンコールで表題曲「想いあふれて」を演奏します、これで、全5曲。
 一般的に、アルバムリリース後のツアーというのは、アルバム曲を中心に構成されるものです。松浦亜弥さんだって、初期の頃からそういう構成でライブを組み立てていたはずです。
 もし、リクエストコーナーがなければ、あと3、4曲は、アルバム曲を歌っていたかもしれません。今後ツアーを休止するという事を決定した時点で、リクエストコーナーを導入することを決め、結果として、アルバム曲をカットしたということなのでしょうか。 
 ただ、カットするならば、ライブ後半に盛り込んである、盛り上げ曲を削るという選択肢もあったはずです。それをしなかったのは、当時のファン層のニーズを考えた結果なのでしょうか。

 当時のライブレポートの書き込みを2つ紹介して、今回は、お終いにします。
 「新しいアルバム曲(想いあふれて)の曲を中心としたライブだと思っていたから、今回は、パスしようと思っていたけど、これでしばらくライブを休止するってことだったので、急遽、参戦することにした。」
 「アルバムからの曲があまり無くって残念。やっぱり「あやや」が歌いたい曲と、私たちが聴きたい曲って、違っているのかなあ。」

 
 この続きは、また近いうちに投稿しますね。

2016年7月6日水曜日

松浦亜弥コンサートツアー2009秋「想いあふれて」 その1

 コンサートツアー2009秋「想いあふれて」は、9月5日から10月10日にかけて、八王子、大阪、名古屋、座間、中野、札幌の6都市で8日間、のべ14公演開催されました。DVD収録は、中野サンプラザでのテイクになります。ラストソングの雰囲気から、DVD収録された中野がファイナルのような錯覚に陥りますが、あくまでもファイナルは札幌公演です。ただ、ライブレポートによると、初日の八王子公演でも涙を見せていたそうですから、毎回、ファイナルみたいな雰囲気でツアーをしていたのかもしれません。
 
 これを最後に、しばらくはツアーを行わないという、宣言があったのは、ライブの直前だったようです。それならば、と云うことで、急遽参戦を決めたオタさんも多かったようですが、それでも、ちゃんとチケットが手に入ったということは、売れ行きは、かなり悪かったみたいです。
 マニアックライブⅡのMCでも、秋のライブについて語っていますが、これで最後みたいな話は出ていません。ということは、7月、8月の間に何かしらの事情があったということになります。

 セットリストは、松浦亜弥さんが全曲セレクトしたとありました。それまでも、ライブで歌う楽曲については、松浦亜弥さんの希望を取り入れていたようですが、前回までは、いくつか提示された中から、彼女が選ぶという形をとっていたようで、最初から、1人で全部決めたというのは、これが最初だったようです。

 また、このライブの特徴の1つに、リクエストコーナーがありますけど、これは、2009年の7月に開催された「マニアックライブ vol.2」の影響が大きいと思います。「マニアックライブvol.2」は、YouTubeファンの中でも評判が高いのですが、彼女自身もかなりの手応えがあったはずで、このことがリクエストコーナーにつながったのだと思います。
 ただ、ファンクラブイベントとコンサートツアーは、本来は、区別して考えるべきものだと思うのですが・・・。

 では、松浦さん自身がセレクトしたはずの、オープニングを貼りつけさせていただきます。


 しかし、皆さんご指摘の通りの、酷い映像ですね。ピントはボケるし、今、そこ映す?って感じのカメラワーク。固定カメラで撮ってくれた方が、まだマシだと思います。まあ、複数のカメラで撮っているのでしょうから、要は編集が下手すぎなんだと思います。
 よくMMD動画の初心者がやってしまうんですけど、機能を使うのがうれしくなっちゃって、カメラをやたら動かしたり、細かくスイッチングしたりして、見てる側の目が回ってしまうような動画を作っちゃうことがあるんですが、まさか、1枚数千円で発売するDVDを、動画編集の初心者が任されて、ノーチェックで市場に出てきたなんてことは、ありませんですよね。

 間奏の「ピーチ!」の部分で、演奏が止まり、ネタをかましました。DVDでは久本雅美さんのネタを披露していますが、公演地によって変えていたようで、大阪公演では、「大阪の皆さん、もうかりまっか?」だったそうです。

 オープニングに「桃色片思い」を持ってきたことは、悪くないと思います。自身の最大ヒット曲とは云え、盛り上げ用には最適ですから。また、生バンド伴奏も曲の雰囲気をよく伝えていますので、僕的には、ここではネタなどかまさずに普通に最後まで歌って欲しかったところです。ネタは、歌った後でもできたはずですし、バラエティー番組に出演しているわけではありませんからね。まあ、この時の彼女にとっては、この歌自体が、すでにネタ的なものだったのかもしれませんが。
 
 で、衣装を1枚脱いで、2曲目「GOOD BYE 夏男」になります。


 この動画は、公式PVよりも多く視聴されています。振り付けも少し大人っぽく、格好良く変えてありますし、何よりも生バンドが恰好良すぎます。だた、菊ちゃんの最高の見せ場である間奏の部分で、彼を映さないという編集のセンスには、改めてガッカリですw

 彼女の体調を考えると、これだけのパフォーマンスは、かなりきつかったと思います。月の半分近くは体調不良だったでしょうから、1ヶ月間に渡るツアーの中の少なくとも2公演は、辛い中での公演だったはずです。辛い期間は、公演と公演の間隔を空けるなどした、柔軟な日程が組めなかったのでしょうか。

 この後、MCを挟んで、「Fallin'」になるんですけど、「GOOD BYE 夏男」での頑張りすぎが、歌に影響しているように思います。この日は、DVDの収録日ですから、頑張っちゃうのは、致し方ないですよね。「Fallin'」の出来不出来が、公演によってばらつきがあるという意見がありますが、もし、「Fallin'」の出来の良い日があったら、ペース配分を考えて、「GOOD BYE 夏男」を乗り切ることができた日だったと思います。


 完全にお手振り曲にしていますね。まあ、このテイクがイマイチだと云うのも、他のベストテイクと比べてみればという話で、このテイクをライブの流れで考えれば、よくできていると思います。
 ライブでのお手振りは、大切なファンサービスですからね。アイドル時代から、松浦亜弥さんのお手振りは、適当に手を振る形式なものでなくって、ちゃんと相手を見てのものでしたから。



 今日は、ここまでにします。続きは近いうちに投稿しますね。