2017年8月17日木曜日

上國料萌衣「ピザーラお届け!」

 何となく、ピザでも取ろうかってことになりました。このところは「50%OFF!」みたいなチラシを頻繁に入れてくる「ドミノ・ピザ」を注文していたんですけど、たまには、「ピザーラ」にしようって話になりました。僕の住んでいる町では、選択肢は、その2つだけです。

 で、「ピザーラ」と云えば、そう、「上國料萌衣」ちゃんの「夏のよくばりクォーター」じゃありませんか。何という偶然!。


 ネット情報によると、「よくばりクォーター」を注文すると3人のカードがオマケに付いてくるみたいです。「よくばりクォーター」は、「タルタルチキン」や「もち明太子」が入っているんですけど、「子どもじゃあるまいし」ってことで却下されてしまいました。で、結局「夏のキャンペーンクォーター」になりました。もしかしたらって、密かに期待していたんですけど、カードは付いてきませんでした。でも、美味しかったですよ。ドミノ・ピザよりクォリティーは高いように思いました。
 ただ、値段もそれなりです。聞いたところによると、値段を下げて大量に売る「薄利多売」では、配達にコストがかかって経営が成り立たないんだそうです。つまり、宅配ピザは気安く頼んでもらっちゃあ困るんだそうで、たまーにしか食べられないような価格設定にしてあるそうですよ。

 「ピザーラ」が業界1位になったのは、「ピザーラお届け」でお馴染みのCMに力を入れた結果ですよね。1号店オープンは30年前、CM開始は26年前からだそうで、有名タレントを数多く起用し、過去には「松田聖子」さんも出演したことがあったみたいです。(覚えてないけど)
 このところは、ハロプロのタレントさんをよく使ってくれるので、「ピザーラ以外のピザは食べない」という誓いを立ているハロオタ君も多いようです。


 まあ、間接的のそのまた間接的なんですけど、上國料萌衣ちゃんのタレント活動を、サポートできたかなっていう感じですw

 で、この場を借りて。

 先日紹介させていただいた「上國料萌衣:Love涙色」の動画に自主規制がかかっちゃいました。視聴回数がもうすぐ30万回ってところだったんですけど・・・仕方ないですね。
 だからといって、わずか3分間のテイクのために、数千円もする「ひなフェス」のBlu-rayを買う人がいるとも思えませんし・・・。
 あのテイクは、是非とも公式動画として公開して欲しいです。安い先行投資だと思いますよ。上國料を広く世間に伝えることができれば、将来、何倍にもなって、事務所に恩恵をもたらすはずですから。

2017年8月13日日曜日

八神純子「みずいろの雨」「思い出は美しすぎて」「想い出のスクリーン」 ~挑戦するボーカロイドたち~

 「高い声で歌うだけなら機械でもできる」の第2弾になります。もちろん、最終的な結論は、「やっぱり、八神純子さんは凄いなあ。」というところへ持っていくつもりであることを、予めお伝えしておきます。

 まずは、初音ミクによる「みずいろの雨」。この曲は、松浦亜弥さんも歌ドキッでカバーしていました。現在は、YouTubeのコメント欄の仕組みが変わって、批判的な書き込みは影を潜めてしまいましたが、以前のテイクでは、「所詮アイドル」みたいな書き込みがたくさんあって、一部ではバトルも繰り広げられていたように思います。
 まあ、「偉大な名曲を気安くカバーするんじゃネエ」ってことなんでしょうけど、歌唱力を披露したい人たちの絶好の挑戦曲でもあるわけですから、たくさんのプロ・アマが、この曲にチャレンジしてきたのも事実です。もちろんボーカロイドもその例外ではありません。

 このテイクは、いくつかあるボーカロイドカバーの中でも、ストレートな歌声とノーストレスな高音が特徴の、おすすめテイクです。初音ミクAppend Darkのささやくような高音が楽曲にピッタリだと思いますよ。


 いかがでしょうか。八神純子さん=熱唱という固定観念にとらわれず、この楽曲の持つ魅力を引き出していると思います。

 2つめは、ボーカロイドGUMIによる「思い出は美しすぎて」、伴奏は、耳コピによる打ち込みで、ギターは生で弾いているとのことです。


 Megpoid Whisperの声質が、ボサノバ調の楽曲にピッタリです。少しタメを持たせた歌い方がイイ感じですね。そして何より伴奏、ボーカロイドカバーにおいて、伴奏は重要ですからね。ギター格好良すぎでしょう。

 3つめは、結月ゆかりによる「想い出のスクリーン」。結月ゆかりの投げやりな唄い方が、妙に合ってます。説明なしで聴いたら、人間が歌っているって思うかもしれません。


 で、このテイク、いくら何でもやりすぎじゃないのかなって思って、八神さんのテイクを聴いてみたら、全く同じように歌っていたんで笑ってしまいました。

 いかがでしょうか。いずれも名曲ばかり、そして、どのテイクもボカロPさんの力作揃いだと思います。オリジナルの歌唱を分析し見習いつつも、ボカロの特性を生かした表現を追求する姿勢を賞賛させていただきます。

 優れたカバー作品は、オリジナルへのリスペクト無しには有り得ない。それが、人間だとしても、機械だとしても。ってところで、お終いです。

2017年8月10日木曜日

上國料萌衣の「Love涙色」がやっぱり気になる

 乗りかかった船と云うことで、「上國料萌衣」さんについて、もう少し。

 ウィキペディアからです。
”上國料萌衣:2014年に「モーニング娘。'14」のオーディションを受けるが落選。ハロプロの楽曲を好きになれない時期もあったが、アンジュルムの「大器晩成」の歌詞に影響され、2015年7月より行われたアンジュルム新メンバーオーディションを受験した。応募1800人中、合格したのは上國料1人であった。愛称は「かみこ」”
前回、貼りつけさせていただいた動画は、今年の3月に幕張メッセで行われたハロプロのイベントでのテイクのようですね。動画アップから1ヶ月で、視聴回数が約26万回と、此の手の動画にしては多いのですが、それ以上に注目されるのは、高評価率の高さで、イイネ!が4,000を越えています。ちなみに低評価は40余り。ネタ動画は別として、イイネ!が4,000を越える動画というのは、再生数が100万回位になっているのが普通ですから、ハロヲタさんたちの期待のほどがうかがえます。


 「Love涙色」を選曲した理由を、彼女自身がブログで語っていました。1つめはソロ曲であること。まあ、当然ですね。2つめは、「モーニング娘。」の5期オーディションの課題曲だったこと。3つめは、鈴木香音さんがバースデーイベントで歌っていたこと。だそうです。
 「かみこ」は、ハロプロのイベントで、鈴木香音(ズッキ)さんと握手をしたことがあって、それ以来、憧れのタレントは、ズッキだと公言していますので、このことに配慮した発言のように思います。
 
 ここで、注目すべきは、2番目の「5期オーディションの課題曲だから」という理由です。つまり、「憧れの大先輩、松浦亜弥さん云々」じゃないんですよね。5期と云うと、「モー娘。」絶頂期の時のオーディションで、「高橋 愛」さんなどが参加した時ですから、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 彼女は、最終審査で落選したことで、かなりのショックを受けたようです。研修生というアドバンテージを目の当たりにして、自らが置かれている立場に失望したのかもしれません。
 その後、彼女は、研修生に誘われます。落選した子を研修生に入れるというのは、ハロプロの常套手段ですが、家族の反対もあり、受験勉強のためといって熊本に帰ってしまいます。
 翌年、彼女が「アンジュルム」のオーディションを受けることになる本当の事情は、知る由もありませんが、結果としては、良いところに落ち着いたと思います。美形といっても「乃木坂」とかで活躍するタイプとも違いますし、過去の栄光を背負わされ、「18才定年制」が定着してしまったかのような「モー娘。」より、「アンジュルム」の方が生き生きと活動できそうな気がします。
 ソロで、という意見もありますが、歌手や女優に専念するのならともかく、現在のアイドル事情を考えるとソロアイドルは精神的にキツイと思います。ホームポジションを持った上で、ピンの仕事を増やしていくというのが、無難なところではないでしょうか。

 「かみこ」は、続けてこのように語っています。
”松浦さんがこの曲を出した時の年齢は今の私より若くて、それなのにリズムも細かくて、高音も上手に歌いこなしていて。私が練習で歌った時はすぐ喉が疲れてしまって、高音も出ないし、リズムも取れないし、「やっぱり違う曲にすればよかったかなぁ」って何回も思ったんですけど、今日、たくさんの方に良かったよ!って言ってもらえて、また一つ新しい挑戦ができてよかったなぁってすごく感じました。”
この選曲が「モー娘のオーディションに落選した上國料萌衣」というイメージを払拭し、さらに英才教育によるアドバンテージに対する挑戦だったように思えてきます。

 もう1つ。ハロヲタさんが「松浦亜弥×上國料萌衣」なる動画を編集してくれました。


 何で「あやや」が2005年のライブ動画なんですかね。これは悪意すら感じるセレクトですよぉw

 デビュー1年ちょっと、という観点で選ぶのなら2002年ですし、同じ17才ということなら2003年ですからね。いっそのこと、2007年のテイクでも良かったと思います。と考えると、時代が違うとはいえ「あやや」って凄かったんだなって改めて思います。「あやや」が「かみこ」の年令の時には、もうアイドルなんかヤダみたいなことを言い出して、次のステップに踏み出そうとしていたわけですし。
”歌ってる時は会場が私のメンバーカラーになって、本当に幸せでした。来年もソロが当たるといいなぁああ”
良いですね。「もっとソロで歌わせろ」ですか。知れば知るほど面白い子です。
 そうそう、今日、初めてピザーラのCMを見ました。さらなる活躍を期待しつつ、今日のところはこのくらいで。

 続編が書けることを楽しみにしています。

2017年8月4日金曜日

上國料萌衣「Love涙色」「渡良瀬橋」他 ~ハロプロの救世主なんかじゃ勿体ない~

 「上國料萌衣」さんをご存知でしょうか、「かみこくりょう もえ」と読むそうです。1年半前にデビューしたハロプロのタレントさんで現在17才。ハロプロのアイドルですから、欅坂とか乃木坂みたいにテレビに出たり、世間の話題に上ったりすることはありませんけど、ハロヲタたちが、神の子だとか、奇跡の透明感だとか云って盛り上がっています。最近は、CMとか、雑誌のグラビアとか、お仕事も順調のようですから、普通のオジさんたちに認知される日も近いかも知れません。

 まあ、百読は一見にしかずということで、「Love涙色」です。


 「あやや」の歌をハロプロの若い子たちがいろいろとカバーしてくれても、その動画を最後まで見ることなんてなかったんです。「あやや」の歌を「あやや」以上に歌える子はいない、ってことを確認するだけのことでしたから。
 でも、これは最後まで見ちゃったんですよね。お目めパッチリ系のイマドキのアイドルなんですけど、ただそれだけじゃないような気がして。
 で、気づいたんですけど、この子、ノーテクニックなんですよね。偉大なる先輩「松浦亜弥」の楽曲を、ただ、元気いっぱいに歌っているだけなんですよ。ああ、これが奴らの云うところの透明感ってことなのかって。あややの振りマネもぎこちないんですけど、これだけ堂々とやれるのは、たいしたステージ度胸です。

 身長152cmですから、だいぶ小柄ですけど、小顔ですし、それでいて華奢な体型ではなく、振りが大きいのでステージ映えします。このへんは、「あやや」とも共通しているところでしょうか。ちょっと前の資料では身長150cmとありましたから、まだ伸びている途中みたいですね。

 上國料さんは、「アンジュルム」というグループに在籍しているそうです。そんなグループありましたっけ、と思ったら、「スマイレージ」が改名したんだそうです。で、スマイレージってなんでしたっけ?

 こんなテイクもありました。森高千里さんの「この街」のカバーですね。出身が同じ熊本県だから選んだのかな。


  Bメロで「かーみこオイ!」とか、完全に昭和のアイドルのノリじゃないですか。こんな世界が今も残っていたとは。
 普通に可愛い子が、普通に出てきて、一生懸命歌う。そりゃあアイドルですから、どう振る舞えば可愛く見えるかとか計算しているのでしょうけど、それをアザとく感じさせないのもアイドルの大切な才能の1つです。
 彼女、オーディションに合格して上京するまでは、熊本の県立高校に通っていて、サッカー部のマネージャーをしていたそうです。ってことは、1年前までは普通の女子高生。○○アクターズスクールとか、○○研修生出身とかで無いのも魅力の1つですね。このへんも「あやや」と共通するところです。
       
 こんなテイクもありました。ミュージカルでは、新人ながら、主演に抜擢されたそうです。可愛いは、人生最強のアドバンテージってことでしょうか。


 こういうのって、音をとるのも難しいように思うんですけど、なかなか良いんじゃないでしょうか。
 ハロヲタたちが、素直な歌声とか、透き通った歌声とか、褒め称えてますけど、ハロプロ独特の歌い癖が付いていないってことを評価しているのだとすれば、研修生制度って何なのかってことになりますが。

 で、何かのご褒美で、ソロで一曲歌えることになった時に、この「渡良瀬橋」を選曲したのも、森高千里さんを意識してのことでしょう。でも、アレンジは松浦亜弥ヴァージョンですよ。


 松浦亜弥さんは、大人になって、どんどん歌が上手くなっていきましたけど、渡良瀬橋については、どんどん似合わなくなってしまったように思います。
 そりゃあ、上國料の歌は、松浦亜弥さんの足元にも及びません。でも、大人になった「あやや」が失っていった世界観を、この子は持っているように思います。
 特別なトレーニングを受けて無くって、デビュー1年でこのくらい歌えるのなら、まだまだ上手になりそうです。でも、この世界観は、いつまでも失わずにいて欲しいものです。
 
 久し振りにアイドルらしいアイドルに出会えたって感じです。そして何より嬉しいのは、彼女が、ファンが支えるタイプでなくって、ファンを惹きつけて引っ張っていくタイプであるということです。
 何度も云いますけど、アイドルの社会的存在価値って、世の中に元気を与えるってことに尽きます。会社でイヤなことがあった奴とか、学校で虐められた奴とかを、癒やしたり励ましたりして、まあイイかって気にさせてくれるのが、アイドルですよね。松浦亜弥さんが、「あやや」と呼ばれてた頃、彼女に救われたって奴は、たくさんいたはずです。
 「上國料萌衣」は、「アンジュルム」の中心メンバーとして、そしてアイドルとして、ヲタクどもに元気を与え続けて欲しいと思います。

 で、この子、うまく育っていけば、大人になってもマルチなタレントさんとして、活躍できるような気がします。まあ、一番の心配と云えば、ハロプロだってことでしょうか。

2017年8月3日木曜日

広瀬香美「ロマンスの神様」feat.鏡音リン ~高い声で歌うだけなら機械にだってできる編~

 前回の記事で、広瀬香美さんについて取り上げさせていただきましたが、その折りに「高い声で歌うだけなら機械にだってできる」なんて余計なことを云ってしまいました。決して、広瀬さんの歌唱力(表現力)が、ボーカロイド並みだと云ったわけではありません。今回ボーカロイドの歌唱を取り上げたのは、「やっぱり広瀬さんは凄いなあ」という結論にもっていく意図があってのことだということを予め述べさせていただきます。

 で、ボーカロイドカバーの作品ですが、今回は、「初音ミク」でなく「鏡音リン」ちゃんを紹介させていただきます。
 リンちゃんは、世間的には無名のボーカロイドかもしれませんが、ライブでの人気は抜群です。リンちゃんが登場すると、会場は異様に盛り上がります。


 ただでさえ滑舌悪いのに、オートチューンかけたので、とんでもないことになっちゃいましたね。でも、ボーカロイドに歌わせるなら、これくらい突き抜けないと面白くないってことも確かです。ところどころで崩した歌い方をさせるなどテクニックも駆使していて、なかなかの力作ではないでしょうか。
 何より、リンちゃんの底抜けに明るいキャラクターが、この曲の持っているイメージと、ぴったりなんだと思います。

 「ロマンスの神様」ってスキーのCMに使われたんで、ウインターソングのイメージがありましたけど、季節感ゼロで、肉食系女子の婚活ソングだったんですよね。でも、冬になるたびに曲が流されて、20年経った今でも世間から忘れ去られることが無いんですから、こういうヒット曲を1本持っているというのは、強いことだと思います。

 Aメロ、Bメロ、サビと頻繁に転調をおこない、必要とされる音域の広さと相まって、歌唱力自慢の人たちが好んで歌う楽曲となっています。高音域が意識されますけど、一番難しいのは、「こぶし握りしめる私」って下がっていくところ。松浦さんと稲葉さんのテイクでは、オリジナルより、だいぶ音を下げたので、ここのところがとんでもないことになってます。
 広瀬さんとか松浦さんは、何ともなく歌ってますから、それほど感じませんが、ボーカロイドの歌を聴くと、やっぱり難曲なんだなって、改めて思いました。

 2つめは、アカペラバージョンになります。投稿が2010年とありましたから、少し前の作品になります。でも、この頃って、ボーカロイドカバーが最も盛んだった時期ですから、レベルの高い作品が多いんですよ。


 ちゃんと歌うこともできるんだぞ、っていうテイクですね。ボーカロイドのアカペラと云うのは、どうしても単調になるんで、1番と2番で伴奏を変えたり、っていう工夫が必要になるんですけど、このテイクは、歌わせ方を歌詞に合わせて変えることで、変化をもたせているようです。癖の強いリンちゃんを、ここまで調教するのは、なかなかのものです。
 
 広瀬さんの素晴らしさについては、僕などが語るまでもないことですから、今日はこれでお終いです。

2017年7月26日水曜日

「ロマンスの神様」松浦亜弥&稲葉貴子

 「歌ドキッ」のテイクですね。視聴回数が70万回越えですけど、タイトル名が「ロマンスの神様」だけ(意図的?)なので、松浦亜弥さんのテイクだと知らずに迷い込んでくる人も多いかもしれません。

 オリジナルは、ハイトーンボイスで有名な「広瀬香美」さん。現在は、ライブ活動の他に、音楽学校を経営したり、著書も多数出したりしているとのことです。
 広瀬さんは、今でもライブでは、キーを下げずに歌っているそうで、4オクターブの音域を維持されているとのことでした。聞くところによると、3日トレーニングを怠けると、2音下がってしまい、元に戻すのには1週間かかるそうです。歌手として必要なのは、毎日の積み重ねって、・・・どこぞの育休中の元アイドルに聞かせてやりたい話です。

 もっとも、どこまで高い声が出せるかって云うのは、本来は男が競うモノで、女性であれば、どこまで低い声が出せるかが勝負だと思います。高い音で歌うだけなら、初音ミクでもできますからね。
 このテイク、オリジナルより2音くらい下げて歌っています。で、その結果、サビ前が低くて辛くなっちゃいましたね。


 稲葉貴子さんとのデュオというと、2003年の「松リングPink」が思い出されます。あの頃は、「あやや」もまだセンが細くって、ステージングに関しては、稲葉さんに一日の長があったように思います。
 ライブでの立ち振る舞いも、稲葉さんから教わったなんてことを言ってました。2003年というと、松浦亜弥さんにとって、いろいろと苦しい頃だったはずですし、良いときも悪いときも見守ってくれていたのが、稲葉さんでしょうから、(僕が云うのも変ですけど)亜弥さんにとっては、大恩人ではないかと思います。

 で、今頃気づいたんですけど、このテイク、歌は別録りですよね。

 YouTubeの動画では映像と音声がズレることはありますけど、これは、明らかに合っていません。そう思って見てみると「歌ドキッ」って、別録りかもって云うテイクが、結構あるように思います。何となく違和感を感じていた「ひこうき雲」も、別録りな気がしてきました。
 まあ、別録りだからといって、本人が歌っていることには、変わりありませんし、レコーディングのように、何度も録り直して、良いところだけつなげるなんてことをしているとも思えません。それに、松浦亜弥さんは、何回も歌わせられるのはイヤでしょうから、絶対、一発OKにしたがるはずです。自分の持ち歌でもないのに、何でこんなに「余裕ブッこいて」歌えるでしょうか。まあ、稲葉さんは、録り直して欲しかったかもしれませんけど・・・。

 さっき、高い声を競うだけなら初音ミクでもできるって云いましたけど、これこそ、人間の歌ですよね。歌声に表情が出ている。もちろん広瀬さんの突き抜けるような高音も魅力的ですけど、これはこれでアリだと思います。広瀬香美さんは声を聞かせ、松浦亜弥は歌を聴かせる。ってところでしょうか。

 お終いに、一つだけ云えること。松浦亜弥さんは、音楽学校の講師には、絶対不向きだと云うことだと思います。

2017年7月22日土曜日

ウォーターライン製作記⑨ ~航空母艦「蒼龍」と真珠湾攻撃~

 当時、日本は、ナチスドイツと同盟を結んでいました。これは、成り行きでそうなっただけで、特段に強い信頼関係があったわけではありません。当時、中国を侵略中の日本は、ソ連とは絶対戦争をしたくなかったのに、ドイツはソ連に侵攻してしまいましたし、ドイツは、ヨーロッパの戦争にアメリカが介入して欲しくなかったのに、日本は、真珠湾を攻撃しました。結局、お互いの足を引っ張り合っただけで、これと云った利点など無かったのが、日独伊三国同盟でした。
 「ナチスドイツは、思っているほど強くない」「アメリカと戦っても良いことは1つもない」などというのは、誰もが分かっていることでした。
 でも、日本がアメリカに頭を下げ、戦争をしないで、結果、負けることなく、戦前の体制が今も続いていたら、この日本は、どんな国になっていたんでしょうか。アメリカは、戦争に勝ちましたけど、その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など、世界中の紛争に介入することになり、今でも、多くのアメリカの若者が、世界の何処かで犠牲になってます。今の日本の存在は、馬鹿な戦争をして、負けてくれたからこそあるとも云えます。
 歴史を反省することは必要ですけど、否定することはできないし、現在を肯定するということは、過去を受け入れることでもあると思います。
 
 で、真珠湾攻撃に関しての評価ですけど、「アメリカ国民を本気で怒らせた」「攻撃が不十分だったので、アメリカの反撃を容易にした」などという批判的なモノが多いです。これは、結果的に戦争に負けたからであって、もし、勝っていれば(ありえない話ですけど)評価も180度変わっていたと思います。

 当時の日本海軍の仮想敵国は、(一応)アメリカでした。戦争が起きれば、日本は、資源を求めて東南アジアへ進出します。で、怒ったアメリカが日本近海にやってきます。そこを空母や潜水艦の攻撃で弱体化させ、戦艦を中心とした艦隊で迎え撃つというのが基本戦略でした。つまり、常識的で現実的な防衛思想です。こちらから、航空母艦で遠路遙々ハワイまで出掛けていって、要塞化された真珠湾の海軍基地を先制攻撃しようなんてのは、あまりにも奇想天外な発想でした。この有り得なさが、現実に実行されたために、今一つ理解されてないように思います。
 つまり、真珠湾攻撃などは、遂行不可能か、あるいは、決行しても失敗確実な作戦だったのです。

 アメリカは日本を完全に見くびっていました。この前まで、頭にちょんまげをのせていた民族です。黒船4隻でパニックに陥り、日露戦争で勝ったといってもイギリスの援助があればこそ、最近、新型の戦闘機を作ったらしいがエンジンは非力だし、そもそも、黄色人種で近眼な日本人に飛行機の操縦などできるわけがない。というのが、アメリカ人が日本人に対して持っていた一般的なイメージでした。
 これほど大掛かりな軍事行動が、奇襲という形で成功したのは、アメリカが日本を見くびっていたからとも云えます。


 写真を見て驚くのは、真珠湾の狭さです。この狭い湾内で魚雷攻撃を成功させたパイロットの技量は驚異的と云えます。かなりの低空から侵入したようで、雷撃機がビルの3階から見下ろせたという話も伝わっています。

 真珠湾攻撃を描いた映画はいろいろとありますが、何と云っても、20世紀フォックスと東映による日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」でしょう。街にポスターが貼り出されていたのを、子ども心に覚えています。実際見たのは、少したってテレビで放映されたときでした。日米両国の視点で描かれていて、オタク的にはいろいろとツッコミ処もあるのでしょうが、史実に最も近い作品だと思います。それにしても、自国の軍隊がボコボコにされる作品を、巨額な制作費を投じて作ってしまうんですから、アメリカって、懐が深いっていうか、たいした国だと思います。


 真珠湾攻撃でよく批判されているこのが、第二次攻撃隊を出さなかったことです。日本の機動部隊は、奇襲には成功しますが、米空母を討ち漏らしてしまいます。また、石油タンクや修理ドックなどの港湾施設は、無傷のまま残してしまい、このことが、後々の戦局に大きく影響していったからです。

 ただ、「二次攻撃隊を出してこれらを叩いていれば・・・」というのは、結果論にすぎません。真珠湾攻撃の目的は、あくまでも、敵主力艦と航空機の撃滅でした。港湾施設への攻撃も検討されたようですが、空母6隻、航空機350機という、限られた戦力の中で、中途半端な攻撃に終わってしまうことを危惧して、艦船と航空機に目標を絞っていました。ただ、奇襲が想定以上に上手くいったので、一次攻撃で、ほぼ目標を達成できてしまったのです。
 で、ここで2つの選択肢があります。1つは、まだ余力もあるわけですから、二次攻撃を行って港湾施設を破壊する。もう1つは、戦力を温存して帰るかです。出張先で早々に仕事が片付いた時、サービス残業をすべきか否かって感じでしょうか。

 第一次攻撃隊も、完全な奇襲になった第一波と比べて、その1時間後に攻撃を行った第二波は、未帰還率が12%で、被弾損傷率も50%にのぼっています。母艦に戻ってきたものの、再出撃できる状態に無い機体も数多くありました。
 さらに、米軍は、混乱の中でも迎撃態勢を整えつつありました。破壊を免れた戦闘機を整備し、高射砲陣地を構築し、防空レーダーで監視しているわけです。第一次攻撃が順調にいったのは、米軍が油断していただけのことで、第二次攻撃を出せば、かなりの航空機が撃墜される恐れがありました。
 さらに、ハワイ近海には、討ち漏らした米空母が存在していました。二次攻撃隊を出しているときに、空母からの反撃を受けたら、ミッドウェーどころが、真珠湾の時点で、日本の機動部隊は全滅していたかもしれもしれないのです。
 目的を果たし、早々に帰還した。当然と云えば、当然の決断です。

 米軍の損害ですが、戦艦については、旧式の船ばかりで戦略的には、それほどの喪失にはならなかったとされています。しかし、航空戦力の、3分の2を失い、戦死者2,345名、負傷者1,347名、要塞化され攻撃は不可能とされた真珠湾を奇襲され、ほとんど反撃できなかったという衝撃は、大きかったはずです。
 アメリカは、工業力、技術力、知力、資源など、持てる全てを使って、日本との戦争に臨むことになり、結果として、無差別爆撃や原爆投下へとつながっていくわけです

 一方、思わぬ戦果をあげた日本軍は、楽観的な考えが支配するようになります。戦線を実力以上に拡大し、太平洋戦争を局地戦から世界大戦へと変えてしまいました。早期停戦など不可能となり、もはや、相手の国家体制を崩壊させない限り、戦争を止めることはできなくなりました。
 真珠湾攻撃は、明確な目標の下、綿密に計画され、準備された優れた作戦でした。しかし、その後の日本軍は、戦略の無い、場当たり的な作戦に終始することになっていきます。

 アオシマの「蒼龍」です。


 「蒼龍」は、1937年に竣工した中型の正規空母です。設計の段階から純粋な航空母艦として建造され、この後、建造された「飛龍」や「翔鶴」などは全て、この「蒼龍」を改良した艦になりますから、日本型航空母艦の原型と云えます。


 新金型とのことですが、極小部品も無く、サクサクと組み上げることができました。作り応えという点では、ハセガワの「赤城」よりも劣りますが、艦載機が専用パーツになっていて、汎用パーツで省略されていた、零戦の増槽タング、九九艦爆の車輪と爆弾、九七艦攻の魚雷などが、別部品として取り付けるようになっていました。まあ、爆弾あっての爆撃機ですから、嬉しい限りです。
 
 空母「赤城」との2ショットです。小さい方が「蒼龍」になります。プラモデルを作るまで、こんなに大きさが違うとは思いませんでした。


 「蒼龍」は、同僚艦「飛龍」とともに 第二航戦隊として、真珠湾へ出撃しました。蒼龍の航空隊の内訳は次の通りです。
 第一波 九七式艦攻18機(水平爆撃10機、雷撃8機)、零戦8機 全機帰還
 第二波 九九式艦爆18機(未帰還機2機)、零戦9機(未帰還機3機)
 攻撃隊が二波に分かれているのは、飛行甲板に一度に並べられる機体数に限りがあるからです。


 プラモデルでは、12機並べています。軽くて助走距離が短くて済む戦闘機が前、攻撃機が後ろです。空母は全速力で風上に向かって航行し、航空機は、向かい風を利用して飛び立って行きます。

 その後の蒼龍ですが、ウェーク島の攻略支援、南方攻略作戦に従事した後、インド洋へ進出し、セイロン沖海戦では、イギリス東洋艦隊に壊滅的打撃を与えています。
 そして、真珠湾攻撃から半年後、ミッドウェー海戦において、急降下爆撃機の攻撃を受け、3発の爆弾が命中、格納庫内の爆撃機や魚雷が次々と誘爆して撃沈、1,100名余りの乗組員のうち、艦長以下718名が艦と運命を共にしたとありました。機関科部員がほぼ全員戦死している一方で、飛行機の搭乗員は多くが救助されており、格納庫の上と下とで、大きく運命が変わってしまったようです。

 ずっと疑問に思っていたことがあります。それは、真珠湾を攻撃した目的がアメリカの戦意を喪失させることにあった、ということです。実際は、ご存知の通り、逆の結果になりました。その原因として、宣戦布告が遅れたとか云われていますけど、では、攻撃の前に宣戦布告があって、機動部隊の喪失を恐れずに第2次、3次攻撃隊を繰り出して、完膚なきまで真珠湾を攻撃すれば、アメリカの戦意は喪失したのでしょうか。
 確かに、アメリカは建国以来、一度も本土を攻撃されたことがありませんでしたから、真珠湾攻撃の後、国内はパニック状態になります。が、厭戦気分にはなっていません。彼らは、多民族国家で個人主義者ではありますが、やられてそのまま引き下がるような国民ではありませんでした。
 だとすると、真珠湾を攻撃することでアメリカ国民の戦意を喪失させるという考えは、根本的に間違ってたということになります。

 相手を見くびり、侮っていたのは、日本の方だったのかもしれません。

2017年7月15日土曜日

ウォーターライン製作記⑧ ~金剛型戦艦と第三次ソロモン海戦~

 金剛型戦艦とは、大正2年から就役した旧日本海軍の4隻の戦艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の総称になります。
 1番艦「金剛」は、日本海軍がイギリスのヴィッカース社に発注して建造したものです。同型艦については、2番艦「比叡」が横須賀海軍工廠、3番艦「榛名」が神戸川崎造船所、4番艦「霧島」が三菱長崎造船所で建造されました。特に「榛名」と「霧島」は、民間の造船所で建造された最初の戦艦になります。
 両社ともに社の名誉をかけ建造を競いますが、神戸川崎造船所の工作部長が、工期の遅れの責任をとって、自刃してしまうという事件が起きます。以降は、優劣のつかないよう、竣工日を同日に設定するなど、海軍もかなり気を遣ったとありました。ちなみに、工期の遅れは、6日間だったそうです。

 意外と知られていないことなのですが、これ以前の日本海軍の主力艦は、全てイギリスなどに発注して造ってもらった外国製でした。日露戦争で活躍した戦艦「三笠」もイギリスのヴィッカース社製になります。
 当時、日本とイギリスの間には、日英同盟がありましたから、日本は、いろいろとイギリスに良くしてもらっていました。三笠は、元々、別の国の発注によって建造されていた艦だったようですが、順番を変更して、日本に優先的に納入してくれたそうです。三笠はイギリス海軍にも無いような最新鋭の戦艦でしたから、破格の好待遇になります。もっとも、イギリスにとっても、ロシアはイヤな奴でしたから、日本がロシアと戦うとあれば、そのくらいの援助は当然とも云えます。
 イギリスの援助を受けた日本海軍は、無敵と云われたロシアのバルティック艦隊を打ち破ります。そして、旗艦「三笠」の活躍は、イギリスのヴィッカース社にとっても名誉なことだったようです。

 そのような縁もあって、金剛の建造に関してもヴィッカース社は、いろいろと良くしてくれました。まず、イギリスの造船所でお手本となるべき1番艦を建造し、その設計図を基に日本で3隻を建造することになりました。最高の社内機密・軍事機密と云える設計図を譲渡するばかりか、1番艦の建造に日本の技師たちを参加させて、技術指導をするという、手厚さだったそうです。これによって日本の造船技術は飛躍的に向上し、研修した若い技師たちが、後に、戦艦大和建造の中心になっていくわけです。
 ウィキペディアには、進水式でシャンパンボトルを割るのでなく、日本式に、鳩の入ったくす玉を割ったところ、イギリス人に大いにウケたというエピソードが紹介されています。
 金剛型の4隻は、同じ設計図から造られた同型艦ですが、細かい仕様は、それぞれ異なっていたようで、イギリス生まれの「金剛」のデキが、最も良かったと云われています。

 フジミの戦艦「金剛」です。


 フジミのモデルの制作は、巡洋艦「摩耶」以来です。摩耶の組み立てに関しては、いろいろとストレスがありまして、フジミの製品に対して良いイメージが無かったのですが、ウォーターラインシリーズの金剛型の評判が悪いこともあって、再チャレンジとなりました。


 対空装備を大幅強化した、レイテ海戦モデルです。正にハリネズミ状態、対空機銃などは、取り付けらそうなスペースに全て取り付けた、という感じです。しかし、シルエットからうけるスマートさは抜群。ファンが多いのもうなずけます。


 組み立てについては、部品数、取り付け易さなど、摩耶とは別物と云える程良かったです。

 艦これでも、金剛型は人気キャラです。グループで一人は眼鏡キャラは、アニメの鉄則です。
 

 動画は自己責任でどうぞ。背景の戦艦は、ちゃんと金剛型になってます。


 金剛型の戦艦は、その後、2度の改修を経て、近代的な高速戦艦に生まれ変わります。攻撃力・防御力は、やや劣るものの、速力30ノットは、日本の戦艦群では、最速であり、高速機動部隊の護衛用として運用されました。また、上層部が、艦の損失を恐れ、来る決戦に備えて(?)最新の大和型を温存したことにより、開戦時には、すでに艦令が30年を越えていた超老朽艦であったのにもかかわらず、数多くの作戦に参加することとなり、皮肉にも太平洋戦争で最も活躍した戦艦となりました。
 これは、この後、建造された純国産の「山城」や「日向」が多くの欠陥をかかえていたため、太平洋戦争で全くといっていいほど使い物にならなかったのと対照的でした。

 金剛型の4隻が参加した多くの作戦の中で、最も熾烈な戦いとなったのが、第3次ソロモン海戦です。この海戦は、ガダルカナル島をめぐる戦いにおいて、米軍の飛行場を夜間砲撃によって攻撃しようとする日本軍と、それを阻止しようとする連合軍との間で二夜にわたり行われました。
 この海戦は、航空機が関与できない夜間に行われ、双方が操艦上の細かいミスを重ねた結果、艦隊はバラバラ、狭い海峡に敵味方が入り乱れることとなり、海戦史上、例の無い大乱戦となります。
 米軍の艦船はレーダーに艦影を捉えるものの、敵味方の判別もできない有様で、日米両軍ともに味方への誤射も続出。主砲、副砲、高射砲から機銃まで使い、至近距離で手当たり次第に撃ちあった結果、両軍合わせて15隻が撃沈、残った艦も全てが損傷を受け、双方に2,000名近い戦死者を出しました。日本軍は、作戦に参加した戦艦「比叡」「霧島」を失い、米軍も、艦隊司令官が2名とも戦死するなど大きな損害を出しました。
 海戦そのものは、痛み分けに近いと云えますが、飛行場攻撃に失敗したことで、ガダルカナル島での日本陸軍の敗戦は決定的となりました。この敗戦は、太平洋戦争のターニングポイントとされ、これにより、日米両軍の攻守は逆転し、以降、日本軍は敗北を重ねていくことになります。
 
 この海戦で、日本の水雷戦隊はアメリカ軍の新鋭戦艦に対して20本近い魚雷を発射しましたが、信管の調整ミスにより、命中する直前に、全て自爆してしまいました。このうちの数本でも当たっていれば、米戦艦を撃破できただろうと云われています。もっとも、米軍が発射した魚雷も、あまりにも距離が近すぎたため安全装置が働いてしまい、不発弾が相次いだそうですが。

 米軍が最新鋭の戦艦や航空母艦を投入してきたのとは対照的に、日本軍は、戦艦大和や武蔵をこの海域に投入することは、ありませんでした。「霧島」と撃ちあったアメリカの「ワシントン」は、この年に就役したばかり、レーダーと40センチ砲を装備した最新鋭の戦艦です。今年発売の新車と30年前に作られたクラシックカーで勝負したのですから、よく健闘したと云うべきでしょう。
 工業力に劣る日本は、失った戦力を回復するのは容易なことではありませんから、来たるべき決戦(?)に備えての戦力温存、出し惜しみは、理解できないことではありません。しかし、元々、短期決戦でしか勝つ見込みのない戦争のはずでした。太平洋戦争の雌雄を決する決戦に、失っても惜しくないからと老朽艦を派遣するという海軍の戦略は、あまりにもお粗末なものと云わざるを得ません。

 「比叡」「霧島」とも、沈没する直前まで、護衛の駆逐艦が横付けして救助にあたったので、ともに1,000名以上の乗組員が救助されたとあります。

 多くの激戦が行われ、日米両軍の艦船が多数沈没したこの海域は、軍艦や飛行機の残骸が海底を埋め尽くしていることから「アイアンボトム・サウンド」(鉄底海峡)と呼ばれるようになり、現在は、スキューバ・ダイビングの名所になっているそうです。赤字が日本、青字がアメリカの艦船の沈没地点です。


 1番艦「金剛」は、この後も数多くの作戦に参加し、レイテ沖海戦の後、日本に帰投する途中で、潜水艦の雷撃を受けます。命中した魚雷は2本でしたが、浸水を止めることができず、沈没してしまいました。歴戦の損傷で船体が痛んでいたためと云われています。雷撃から沈没まで2時間もあったのにも関わらず、避難命令が遅れたため、司令官、艦長以下1,200人が犠牲になりました。

 3番艦「榛名」は、1944年12月に日本に帰投しますが、すでに国内には、軍艦を動かす燃料は無く、そのまま浮き砲台として、呉軍港に係留されました。
 すでに日本海軍は事実上壊滅状態でした。それは、艦船が沈められたのでなく、動かす燃料が無くなったからでした。1945年4月、温存されていた戦艦大和は、日本に残っていたありったけの燃料を積んで沖縄に出撃していきました。

 榛名は、同年7月の空襲により、20発以上の命中弾を受け大破着底。そのまま、終戦をむかえ、解体されました。資材は、戦後復興に使用されたと云われています。

2017年7月8日土曜日

「最愛」KOH+ feat. 初音ミク ~ガリレオ「容疑者Xの献身」と「四色定理」~

 四色定理(四色問題)は、数学でグラフ理論と呼ばれている分野の問題です。簡単に言えば、世界地図を国別に色分けするとき色鉛筆は4本あれば可能、という定理になります。
 4色以上必要なことは明らかで、5色あれば十分という証明は成されていましたが、4色で必要かつ十分であることの証明は、長い間できませんでした。
 数学の世界での未解決の問題には、他にフェルマーの最終定理(1995年に証明)などがありますが、四色定理の面白さは、素人でもイメージ可能な、その簡潔さにあります。僕もこの話を高校生の時に聞いて、早速、ノートに試したものでした。
 日本地図を塗り分けしてみれば分かることですが、当てずっぽうでは、山梨県の辺りで行き詰まってしまって、4色で塗り分けるのは、意外と難しいものです。


 この定理は、1976年に証明されますが、この時、世界を驚かせたのは、証明にコンピュータを利用したことでした。人間が長年証明できなかった問題をコンピュータが解いた、という衝撃は、質的な違いはあるものの、現代の人工知能にも通じる出来事で、この証明を数学的に認めるのかという論争も起きたと云います。

 で、この四色問題を世間に広く知らしめたのが、劇場版ガリレオ「容疑者Xの献身」です。僕の周りにも、この映画で四色定理を知ったという人が何人かいます。


 天才「湯川」が認めた唯一の天才「石神」・・・良いですね。最高のキャラクターです。数学に優れた才能を持ちながらも、家庭の事情で研究者の道をあきらめ、人生を絶望している石神。人との付き合いを苦手とし、想いを相手に伝えることに不器用な石神。とにかく、感情移入しまくって見てました。事件が解決しないでくれと願ってしまうミステリーなんて、そうあるものではありません。
 石神が天才にもかかわらず、これだけ感情移入できるのも,彼がネットの住人たちが云うところの「こっちの人間」だからに他なりません。感動のラストシーンですけど、あれって、石神がフラれたってことですよね。無償の愛さえも受け入れてもらえないというオタクの哀れさが、あの叫びなんだと思います。

 主題歌「最愛」は福山雅治氏によるもので、オリジナルで歌っているのは柴咲コウさん。今回紹介させていただくテイクは、僕の大好きなmelodylightsさんによるカバー作品です。ミクの歌声があまりにも幼いので、かなりの違和感がありますが、まあ、これはこれで。


「この事件を解決したところで、誰が幸せになると云うんだ」
「となり同士は、決して同じ色になってはならない」
「君は不思議に思ったはずだ、なぜ警察は3月11日のことばかり聴くのかと。」

 印象的なセリフの数々です。湯川が四色定理の証明問題を手土産に石神のアパートを訪ねるシーンがありました。証明の不備を見つけるという課題に徹夜で取り組み解決してしまう石神。格好良かったです。
 レベルは全然違いますけど、数学の問題を徹夜で解いてた受験生の頃を思い出しました。大人になって、徹夜で報告書や企画書を書いていると、あの頃って、なんて贅沢な時間の使い方だったんだろうって思います。

 ガリレオシリーズというと、何と云っても、あの数式(微分方程式?)ですけど、この作品では封印していたみたいです。
 よく誤解されているようですけど、あれは一種の検算です。解答は、湯川の頭の中に既にあって、それを確かめるために計算しているにすぎません。でなければ、あんな速さで書けるわけありませんから。
 この前、テレビの数学チャンピオン決定戦みたいな番組で、同様な場面を見ました。東大の大学院生で、左利きの女の子でした。与えられた課題に対して、他の出場者が試行錯誤しながら解いているのをよそに、可愛らしい丸文字の数式を淀みなく連ねていました。この子が、既に頭の中に解答を得ていることは明らかでした。こういうことって、本当にあるんだって思いました。しかも、それが、ちょっとオタクっぽい、でも、とっても可愛い女の子だったんですから、よく覚えています。

 原作者「東野圭吾」が「堤真一」氏演じる「石神」をして「この証明は美しく無い」と云わせた四色問題の解法。コンピューター解析に依存しない証明は、現在もなされていないとのことです。

2017年7月2日日曜日

1/fゆらぎ理論と松浦亜弥

 エアコンを買い替えました。近所の量販店に行ったら、半年前の型で結構良いやつが、お手頃価格だったので決めました。そしたら、ポイントを5,000も付けてくれました。
 で、今度は扇風機を買いに行きました。今までは、扇風機なんて回っていれば良いって感じだったんですけど、5,000ポイント持ってますから、気分が大きくなってます。さすがに数万円もするダイソンは買えませんが、奮発して、1万円以上するDDモーターのやつを買ってきました。
 そしたら、コンセントにACアダプターが付いてるじゃありませんか。パソコンのコードみたいな感じです。消費電力は、従来のACモーターの半分なんですけど、アダプターに微弱電流が流れてますから、コンセントをさしっぱなしにしていると、電気代なんてトントンかもしれません。
 で、パナソニックなんで、憧れの「1/fゆらぎ機能」が付いてます。しかも、流線型7枚羽根です。直流モーターですから、低速回転が自在です。さっそく、スイッチを入れました。扇風機なんてどれも同じだと思っていた自分が、いかに浅はかだったか思い知らされました。                                                          
 一言で云うと、扇風機をつけていることを忘れてしまうほど快適です。

 さすが、「1/fゆらぎ」です。ところで、松浦亜弥さんの歌声が「1/fゆらぎ」になっているって云われていることをご存知の方も多いと思います。
 歌声の1/fゆらぎ分析は、いくつか行われていて、「美空ひばり」「宇多田ヒカル」「徳永英明」さんなどの歌声が、1/fゆらぎ成分を持つとされています。

 宇宙は、ゆらぎに満ちていて、僕らはゆらぎの中で生きています。高速道路で車が規則正しく等間隔で走っていたら、永遠に合流できません。
 1/fゆらぎは、予測可能な大きくゆっくりした変化に、予測困難な小さく早い変化が、「程よく」ミックスされた状態といえます。世の中は、たまーに起きる大きな出来事と頻発する小さな事件が「程よく」混在してる、なんて言い方もできるかもしれません。この「程よい」混ざり具合が「1/f」で表現できるというのが、理論の中心になります。(と思う)

 ネットから拾ってきた1/fゆらぎ曲線です。周波数や振幅幅が異なる6種類のSIN曲線を1/fゆらぎになるように合成しています。大変美しくできています。


 意図的に不快になるよう作らない限り、音楽は、基本的に1/fゆらぎ成分を持っています。良い音楽を作ろうとすれば、自ずから生体リズムに合致するからです。ただ、音楽に関するゆらぎ分析は、風速だけを考えていれば良い「そよ風」や、単調な音である「せせらぎ」と違って、一筋縄でいくようなものではありません。
 1/fゆらぎの理論的な部分は、僕も十分に理解しているわけでありませんが、分析そのものは、数学的な処理ですから、手順に従っていけば客観的な結果が得られます。分析用のフリーソフトなんかもあって、素人でも可能のようです。でも、これは、高級料理をミキサーで粉々にして栄養分析をして「この料理は体に優しい」とか云っているにすぎません。粉々にする定義を変えれば、結果も変わります。

 音楽に関する分析では、楽曲をfの指数によって分類しています。数値が「1」に近いものを「1/fゆらぎ」とし、数値が大きいほど癒やし成分が多く、小さいと刺激的という具合です。ロックは、数値が低く、クラッシックは大きいとされています。
 数値に最も影響を与えるのは、パーカッションだそうです。ロックの数値が低いのは、バスドラやハイハットをガンガン叩くからで、クラッシックはパーカスが前面に出ることはありません。まあ、その程度のことのようです
 歌声とゆらぎというと、「音痴」「ビブラート」「声量」などを思い浮かべます。これらも無関係ではありませんが、問題にしたいのは声質です。例えば、同じラの音でも、バイオリンとピアノでは音質が違いますし波形も異なります。同様に声質も歌手によって波形が異なり、これは先天的なモノとされています。で、これを分析しようというわけです。(たぶん)

 松浦亜弥さんについてですが、濱本和彦氏(東海大学情報理工学部情報メディア学科)の『1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究』という論文が根拠となっているようです。以前は、ネットでも読むことができたようですけど、今は、検索不能になっていて、実は、僕は読んだことがありません。
 ですから、憶測で語るしか無いんですけど、論文の書かれた頃から推測すると、分析に使われた歌声はアイドル時代のものだと思います。複数の楽曲で分析したのであれば「めっちゃホリデー」とか「桃色片想い」あたりでしょうか。ライブ音源というわけでは無いでしょうから、恐らくCD音源。「あやや」の安定した高音と抑え気味のビブラート、平凡な声質あたりが、ゆらぎ指数を1に近づけた要因でしょうか。
 指数が1に近いということは、ゆらぎに関してはバランスがとれていると云えますが、だからと云って、歌手として、タレントとして優れているとはなりません。「松浦亜弥は1/fゆらぎだから国民的アイドルになった」のではなく、「一人の国民的アイドルを調べたら1/fゆらぎ成分をもっていた」ということにすぎません。だから何なの?って云われたら、それでお終いです。

 ただ、数値そのものは、客観的な評価ですから、全く役に立たないと決めつけるのもどうかと思います。食品のカロリー表示が購入の判断基準の1つになっているように、ゆらぎ指数は、漠然と表現するしかなかった楽曲や歌手のイメージを、数値として表すツールとしての可能性を持っています。『桃色片想い』(松浦亜弥)「演奏時間4分10秒:テンポ156:キーF♯:ゆらぎ指数0.93」なんて表示して、購入の判断材料の1つにしてもらえば良いわけです。
 ただ、カロリー表示だけでは美味しさが分からないように、ゆらぎ指数だけで名曲度や歌唱力の判断ができないのは、云うまでもありません。
 
 学術的な価値は別として、たくさんの歌手を分析して分類してみたり、松浦亜弥さんの歌声の経年変化をゆらぎという尺度で追跡してみるのも、面白いかと思います。いろいろとやっていけば、そのうち何か面白いことが分かったかもしれませんが、ブームが去ってしまった今となっては期待薄です。

 で、パナソニックの扇風機なんですが、ゆらぎ機能は、「蓼科高原」の風をサンプリングしたものとありました。1/fゆらぎのグラフは、計算式で簡単に描けるのですが、そうでなくって、サンプリングデータだったんですね。「蓼科の自然風は1/fゆらぎである。」「パナソニックの扇風機は蓼科の風である。」ゆえに、「パナソニックの扇風機は1/fゆらぎである。」ということのようです。だったら、自然風機能とか、蓼科ボタンでいいと思うんですけど、それを1/fゆらぎ機能とするところが、パナソニックの商売上手なところでしょうか。


 ただ、1/fゆらぎ機能は、微妙な回転数の変化に対応できる直流モーターとそれをスムーズに風に置換する流線型7枚羽根があればこそ効果を発揮できるわけで、歌声だって、歌下手であったら、声質に1/fゆらぎ成分を持っていたとしても話になりません。

 1/fゆらぎがブームだった頃と、松浦亜弥さんが活動していた時期は被ってますから、「松浦亜弥:1/fゆらぎの歌声」なんて云うコピーで売り出したら、当時苦戦していたバラードも、けっこうウケたかもしれません。

 それから、彼女が今も声質に1/fゆらぎ成分を持っているのなら、彼女に子守歌を歌ってもらえる「子あやや」ちゃんは、最高の幸せ者だと云えます。

2017年6月25日日曜日

松浦亜弥さん31才の誕生日に ~LIVE at COTTON CLUB~

 40才を越えたあたりから、自分の年齢が分からなくなった。名簿や申請書に年齢を書くときに当てずっぽうで書くようになり、間違うことも多かった。誕生日が来ても、誰も祝ってくれないのだから致し方ない。もっとも、最近は、定年まであと何年、って感じになってきて、そこから逆算するから間違えることは無くなってしまった。

 で、松浦亜弥さんは、今日で31才になるらしい。自分の印象からすれば、30才の時は、特に何とも思わなかったが、31才になったときは、それなりに考えるところがあった。30代になれば、仕事ができない自分が情けなくもなるし、失敗すると恥ずかしいと思うし、結婚というプレッシャーもかかってくる。
 「三十而立」って昔の偉い人は言ったらしい。大人というのは、30代から始まるし、30代というのは、31から始まるように思う。


 本格的に30代に突入した松浦亜弥さんは、何を考えているのだろう。確か、お子さんは、3つになるはずだ。第2子を考えるか、それとも仕事への復帰を考えるかの分岐の頃である。でも、それは、一般人の思考であって、彼女が何をどう考えているのかなんて想像もつかない。


 ファンというのは、タレントとは独立した存在でもある。
 ジョン・レノンは、もうこの世にはいないけれど彼のファンは存在するし、そのファンの大部分は、彼のライブになんて行ったこともないはずだ。子どもの時、友人に借りた「ヘイ・ジュード」のシングル盤に衝撃を受けたけれど、ビートルズは、もう解散した後だった。

 僕らの存在は、彼女の動向に左右されるものでは無く、自らの意思によるものだ。


 勿論、僕だって、ファンの端くれとして、再び歌ってくれることを希望している。松浦亜弥って、こんなに凄いんだって、世間をあっと云わせて欲しいし、僕は、ずっと前から知っていたんだって、周りの奴らに自慢もしたい。大人になった彼女が、どんな歌唱を披露してくれるか、楽しみにもしている。
 
 期待はしないけれど、絶望もしていない。彼女の動向は、彼女の意思によるモノだけど、僕らの存在は無意味では無いはずだからだ。

2017年6月17日土曜日

遠州・湖北五山「龍潭寺」 №184と「おんな城主 直虎」

 NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」が意外と面白い。

 視聴率もマズマズのようです。女性が主人公の大河ドラマは苦戦することが多いそうですが、相手役に「髙橋一生」氏、チョイ役で「菅田将暉」氏、人気子役の「寺田心」君など、大河ドラマならではの贅沢な俳優陣と、史実がほとんど知られていないために、伏線が効果的に機能、新鮮な気持ちでハラハラドキドキできるストーリー展開などが、ウケている要因のようです。
 歴史ファンからは、髙橋一生氏演ずる「小野但馬守」の描き方について、この路線で大丈夫なの?と危惧する意見もあるようですが、だいたい、この期に及んでも、ドラマの主人公が男だったか女だったか論争されているくらいですから、その他の登場人物の描き方など何でも有りって感じです。
 勉強になったといえば「今川氏は、桶狭間の後、無為無策の内に簡単に滅んでしまった」という誤ったイメージを変えてくれたことでしょうか。まあ、せっかくマイナーな人物が主人公なんですから、下手に検索して、ネタバレに遭遇することの無いように心がけたいものです。


 で、今回紹介させていただく「龍潭寺」は、小林薫氏が演ずる「南渓瑞聞」が住職を務めた、井伊家の菩提寺になります。
 南渓は、井伊家の出身で、井伊家の危機を救った名僧として知られています。ドラマで「直虎」が行ったことになっている施策は、実際には彼によるものだろう、と云われております。
 南渓和尚が抱っこしているのが、ネットで話題の茶トラ猫「にゃんけい」。動物プロダクションにも所属している、れっきとした俳優猫で、オス・メス2匹でのダブルキャストだそうですよ。


 実は、恥ずかしながら、毎回ドラマに登場し、重要な舞台になっている龍潭寺が、湖北五山の龍潭寺であることに気づいたのは、しばらく経ってからのことでした。といいますのも、ドラマの龍潭寺は、いかにも山寺の雰囲気ですが、僕の知っている龍潭寺は、丘の麓にあったようにイメージしていたからです。
 「井伊谷」は、南アルプスに連なる遠州山地を背にして、広大な遠州平野を臨む、平安時代より拓けた地であって、決して、人里離れた山奥の盆地ではありません。

 ドローンによって撮影された映像です。最初に写っているは、ドラマでも度々登場する「出生の井戸」のようです。


 大河ドラマが始まってからは、観光バスが連なって来るなど、龍潭寺も拝観者が急増し、日によっては、拝観待ちになることもあるそうです。

  湖北五山とは、浜名湖の北側にある「初山宝林寺」「龍潭寺」「方広寺」「摩訶耶寺」「大福寺」五ヶ寺の総称です。この五ヶ寺は、どれも由緒正しく、貴重な文化財を所有する立派なお寺さんですが、創建時期や宗派も全く異なっていて、互いに関係は無く、湖北五山という名称も、観光の拠点作りのために、最近になって付けられたとのことでした。
 しかし、五山の名称が商業的に作られたものだとしても、それぞれ個性があって、佇まいの異なるお寺さんを巡るのは、楽しいものです。五ヶ寺を一度に訪れるのが厳しいのであれば、「龍潭寺」「方広寺」「摩訶耶寺」の三ヶ寺だけでも巡ってみてはいかがでしょうか。


 御朱印帳の日付を見ますと、五山を訪ねたのは、平成24年の2月でした。一日かけて五つのお寺さんを巡って、最後に浜松の「石松餃子」にでも行ったのだと思います。


 仏像巡りの観点から云うと、禅宗の龍潭寺は、五ヶ寺の中では、特に見るべきものも無いお寺さんでした。本堂の脇に、江戸時代作の丈六釈迦如来像が客仏として祀られていましたが、そのくらいであったと思います。
 ただし、見るべきものが乏しいというのは、あくまでも仏像に関してであって、いかにも禅宗の寺院らしい落ち着いた佇まいや、小堀遠州作と伝わる庭園、井伊家歴代当主の墓所など、遠州を代表する拝観寺院であることに違いはありません。
 ただ、お庭については、写真も撮りましたし、覚えているのですが、墓所については、どうであったか全く記憶がありません。今思えば、もっと心して拝観すべきであったと反省しております。



さて、拝観を終えて、帰ろうとしたとき、靴を取り間違えられていることに気づきました。靴箱に似たような黒いスニーカーが残っていましたから、どうやらこの靴の持ち主が間違えたようです。代わりにその靴を履いて帰っても良かったのですが、何となく気が引けたので、お寺の奥さんに事情を話したら、寺のサンダルを貸してくれました。それから、近くのホームセンターへの道を教えてもらって靴を買い、サンダルを返すためにもう一度寺に戻りました。
 奥さんは、僕が戻ってきたことに驚いていました。まさか、サンダルを返しに来るとは思っていなかったみたいです。自分としては、お寺のサンダルを借りたままにしているのは、間違えられた靴を履く以上に気が引けただけのことだったのですが、善人扱いされてしまって妙な気分でしたよ。


 ドラマでは龍潭寺の僧侶として、市原隼人氏演ずる「傑山」、小松和重氏演ずる「昊天」などが出てきます。どちらも実在の僧侶のようで、武勇にも優れ、井伊直政に従って参戦したという記録もあるようです。
 井伊家が彦根藩主となったとき、彦根にも龍潭寺をつくります。開山は昊天宗建。やはり立派なお寺さんで、特にお庭が有名のようです。僕は、彦根には2度行きましたが、こちらの龍潭寺には、まだお参りしておりません。
 
 ドラマも佳境に入ってきました。とりあえずの関心は、髙橋一生氏演ずる小野但馬守について、どのようにオチを付けてくれるかってところでしょうか。

2017年6月13日火曜日

幻の枇杷(びわ)

 枇杷の季節になった。僕の住んでいる町には、家の庭先とか、畑の一角とか、公園の片隅とか、思わぬところに枇杷の木があって、たわわに実をつけている。枇杷の木は、実を食べた後の種を埋めておくなどすれば、実生で簡単に増やせるそうだから、そうやって増えていったのだろう。
 ただ、その実は、いわゆる「琵琶」の形をしている一般的な枇杷と違って、丸くて小さい。これは、「白枇杷」と呼ばれているもので、伊豆半島で栽培されていた品種だ。


 僕が生まれた村は、かつて「白枇杷」の栽培が盛んだった。今は、限られた農園でしか栽培されていないとのことだが、僕が子どもの頃は、村には「枇杷山」と呼ばれている果樹畑があちらこちらにあった。

 枇杷の収穫は短期決戦だ。枇杷山を所有しているのは、本家と呼ばれている、地主クラスの家だった。季節になると、村の女性たちは、枇杷山へ収穫の手伝いに行った。
 僕の祖母も、朝早くから日の暮れる頃まで、枇杷山で働いていた。そして、ザルいっぱいの枇杷を持って帰ってきた。たぶん、虫食いや傷みがあって市場に出せないやつをもらってきたんだと思う。今だったら、ジャムなどの加工用にまわすのだろうけど、当時は、そんなことを考えもしなかったのだろう。
 僕らは、ザルの周りに群がって枇杷を食べた。腹一杯、飯が食えなくなるくらい食べまくった。で、次の日になると、また、ザルいっぱいの枇杷を持ってきた。この季節は、村のどの家にも枇杷が置いてあって、食べ放題だった。冬、こたつに入って蜜柑を食べるような感覚で枇杷を食べていた。
 枇杷の実には渋があって、たくさん食べると、指先が茶色に染まった。この渋は、ちょっとやそっと手を洗っただけではとれなかったから、村の子どもたちは、この時期、みんな指先を茶色に染めていた。
 枇杷という果物が、高級で、腹一杯食べるようなものでは無いということを知ったのは、大人になってからである。

 幼いときの記憶ではあるが、枇杷山に遊びに行ったことがある。山には、収穫小屋(と云っても普通の平屋の一軒家くらいあったと思う)があって、枇杷の絵が描かれた紙を貼った木箱が積まれていたのを覚えている。
 枇杷山は、果樹園というよりは、自然林に近かった。枇杷の木は人々が植えたのであろうが、整然と並んでいるわけでは無くて、山をめぐり、高木に梯子をかけて、実を収穫していたように思う。

 「白枇杷」は、一般的な「茂木枇杷」などと比べて、実が丸く小さいのが特徴である。ところが、実が小さいのにかかわらず、種の大きさだけは他の枇杷と同じときている。ただでさえ、枇杷は食べる部分が少ないのに、白枇杷はさらに食べる部分が少ない。枇杷の可食率は65%程度と云われているが、白枇杷は50%も無いと思う。実が薄いので缶詰などに加工することもできない。さらに、白枇杷の実は柔らかく傷つきやすいので、長距離の輸送に耐えられないし、日持ちも極めて悪かった。
 そんな厄介な品種であるのにもかかわらず、白枇杷が珍重される理由は、その味の良さにあった。濃くて上品な甘さは、他品種とは別物と云えるほど美味しい。嘘では無いが、こればかりは実際に食べてもらわないと理解していただけないだろう。
 ただ、欠点が1つあった。白枇杷は、味のバラツキが極めて大きいのだ。もの凄く美味しい実があると思えば、ほとんど味のしないものもあって、それが、外見からは全く判別できないのである。まさにロシアンルーレット状態。白枇杷を食べていると、時々「うおー」という声が出る。これは、当たりを引いた時の、思わず発する至福の叫びだ。

 そんな枇杷の中に、比較的実が大きくて、いわゆる琵琶の形をしたものが混じっていることがあって、これは「ツクモ」と呼ばれていた。果肉は厚めで赤っぽく、味は大味で、可も無く不可も無くといったところだろうか。大人たちの話によると「田中枇杷」との交配によってできた雑種だという。この交配が人為的なものか、自然交配なのか、僕は知らない。が、みんなは、この「ツクモ」を蔑んでいた。村の人たちにとっては、「白枇杷」こそが枇杷であり、誇りだった。
 でも、僕は、この「ツクモ」が好きだった。肉厚で、何より、味にハズレが無いのが良かった。僕が「ツクモが好きだ」と云うと、変わり者あつかいされた。
 
 やがて、食生活が豊かになり、様々な果実が流通するようになって、枇杷の生産量は減少していく。収穫期間が短く、多くの人手を必要とし、デリケートな「白枇杷」は、市場に流通させるには、あまりにも不向きな品種だった。
 村では、枇杷を使って羊羹を作ったり、ワインを作ったりしたようだが、成功したという話は聞いていない。結局、生食以上のものなど有り得なかったのだろう。
 だが、最も深刻な問題は、村の急激な過疎化と高齢化だった。管理する人手の無い枇杷山は、次々と荒廃していった。

 今、伊豆の「白枇杷」は、生産量が極めて少なく、その全てが観光農園と特売所で消費されてしまうので、一般の市場に出てくることは無いという。「初夏の宝石」とか「幻の果実」とか云われているそうだ。観光農園の枇杷狩りは、40分で1500円だと聞いた。
 「以前は枇杷を腹一杯食べたものだ」なんていう話は、完全な昔話になった。もっとも、今ではそんな話をする者もいないだろうし、聞いてくれる者もいないだろう。


 実は、ここだけの話、現在「白枇杷」として売られている品の中には、かなりの比率で「ツクモ」が入っている。恐らく、純粋な白枇杷だけでは、出荷量を確保できないのだろう。でも、これを偽装表示だとか詐欺だとか云う気は無い。「ツクモ」だって僕の故郷が誇る枇杷に変わりないからだ。

 ただ、年寄りたちが生きていれば、何と云うだろうか。

2017年6月10日土曜日

小田さくら、時は来たれり! ~「dearest.」「中央改札」「部屋とYシャツと私」~

 ちょうど2年前、「小田さくら」さんのことを記事にさせていただきました。その時の内容を要約いたしますと、『モーニング娘にいたところで、いいように使われて、センターとかになれるわけでもない。18才くらいまでは、モー娘で頑張るにしても、是非とも10代の内に、ソロに転向して欲しい。』って感じでした。

 そして彼女は18才になりました。

 「小田さくら」さんは、ハロプロのタレントさんの中では、抜群の歌唱力の持ち主ということになっています。ファンイベント「さくらのしらべ」では、ソロで様々な曲を披露していて、松浦亜弥さんの持ち歌も精力的にカバーしているようです。YouTubeにアップされているものでは、「dearest.」とか、「気がつけばあなた」「奇跡の香りダンス」「ずっと好きでいいですか」などがあります。最近のものでは、「引っ越せない気持ち」の音源もアップされています。
 
 ただ、松浦亜弥さんのカバーとなれば、御本家と否応なしに比べてしまうわけで、結局「あやや」の曲を「あやや」以上に歌える子はいないという、悲しい現実とありきたりな結論に至ってしまいます。
 にもかかわらず、僕は、「小田さくら」さんを良いと思います。何故か、彼女の動画を繰り返し見てしまいます。


 この時、デビューから1年後、14才くらいでしょうか。年齢によるハンディを別にしても、松浦亜弥さんとは、比ぶべくもありません。
 正直云って、彼女より可愛いアイドルはたくさんいますし、歌唱に関しても、裏声から地声に戻ってくるところなどは、音程もかなり不安定です。ハロプロの歌手の中には、もっと上手にカバーをしている子もいると思います。
 でも、その至らなさを不快に感じさせない何かを感じます。完璧で無いところが不思議と魅力になっているって云うか、全力でぶつかって玉砕しているようなこのテイクが、僕は好きなんです。まあ、それをファンというのだと云われてしまえばそれまでですが。

 次は、「中央改札」です。昨年のテイクのようですから、17才ってことでしょうか。


 だいぶ、お姉さんっぽくなってます。歌も安心して聴いてられます。マニアックライブ5番の松浦亜弥さんとの勝負だったら、いい線いってるように思います。

 アイドル歌手と呼ばれるからには、しっかり歌うことと、可愛く魅せることの共立は、誰もが目指すことでしょうが、どちらに軸足を置くかは、タレントそれぞれです。当然「小田さくら」さんは、しっかり歌うことに軸足をのせていると思います。それは、周囲の期待もあるでしょうし、自らのプライドからきているのかもしれません。
 しかし、「モーニング娘」というグループアイドルにおける彼女の存在感って、どれほどのものなんでしょうか。集団でダンスをして、僅かばかりの歌割りをもらって、それから・・・。
 
 彼女のテーマソングみたいになっている「Be Alive」です。この曲によるオーディション風景は視聴数も120万回を越えている有名動画ですが、歌っているシーンは1分ほどしかありませんでした。「さくらのしらべ」がDVD化されたと云うことで、フルコーラスのテイクがYouTubeにアップされていました。


 デビュー直後みたいですね。だいぶ幼く見えます。オジさんが此の手の動画を見るのって犯罪にならないのか、ちょっと心配になってきました。
 この楽曲は、ソロで歌うには不向きなんですが、それなりに歌えていると思います。彼女、ホントは一人で歌いたいんじゃないかなと思います。そういえば、松浦亜弥さんも、ユニットやデュエットの曲をソロで歌い直したがるところがありました。

 で、僕は、再び確信しました。

 遂に時は来たれり。「小田さくら」は、モーニング娘を卒業し、おデコを隠し、ソロデビューするべきです。そして、高田みづえ以来、40年近く空席のままの「アイドル系演歌歌手」として君臨して欲しいです。
 別に「ド演歌」を歌えと言っているのではありません。「dearest.」でいいんです。「中央改札」でいいんです。日本語で日本の歌を歌ってくれればいいんです。

 きっと、世の爺さん婆さんたちは、孫を見るように、彼女を応援してくれると思います。
 
 「部屋とYシャツと私」でお終いにします。
 彼女の良いところは、普通に歌ってくれるところです。無理に個性的であろうとしない。誤魔化そうとしない分、未熟さも出てしまう。でも、それが不快に感じないのは、そこに「素直さ」があるからだと思います。

 そして何より、歌うことを彼女自身が楽しんでいる。かつて「あやや」がそうであったように。


2017年5月29日月曜日

「100回のKISS三昧」⑤ ~松浦亜弥13年のキセキ~ バラード編

 5回目の今回は、大人の魅力溢れる2つのテイクを紹介したいと思います。

 まずは、マニアックライブの3番、24才になったばかりの松浦亜弥さんです。歌は、55秒からになります。


 桜井さんのコーラスが素敵ですね。確か「あなたに会いたくて」でも、歌声を披露してくれていたと思います。

 アレンジとしては、ちょっと単調で、淡々と流れていくようなところがあります。盛り上げソングじゃありませんから、これはこれで良いのでしょうけど、僕としましては、多少物足りなさも感じます。
 しかし、歌唱は申し分ないと思います。「100回のKiss:スローバージョン」のNo.1と云えるでしょう。14才の女の子が「あの頃は淋しかった」なんて歌ったところで、あの頃っていつのことだ、ってなりますから。まあ、その背伸び感が彼女の可愛らしさであり、魅力であったわけですけど・・・。皆さん仰るところの、歌詞に彼女自身が追いついたというテイクだと思います。

 お終いは、2013年マニアックライブ5番のテイク。曲は、2曲目で10分58秒からです。
 本当に譜面の準備ができていなかったようですね。それでも歌うって即決したってことは、彼女がこの曲に特別な想いを持っているってことなんでしょう。


 ギターの伴奏で始まって、2番からみんなで入るっていうアレンジは、アコースティックコーナーで披露されたものと同じでしょうか。最後の方で、声が伸びなくなるところがありますけど、すかさずエコーを効かせる、ナイスフォローも入ってます。
 
 最後のグダグダは、何処をどう間違えたのかよく分からないんですけど、気持ちよく歌いすぎて、歌詞を見失っちゃったってところでしょうか。アイドルコンサートでの歌詞飛ばしは、御愛嬌ですけど、バラードでの歌詞飛ばしは致命的です。確か、お台場のライブでの「元気を出して」もそうでしたね。
 マニアックライブの5番の、特に夜の部は、歌唱的には、かなり厳しいものが多い中で、最後に最後にベストテイクが出たって思ったところでの大コケですから、勿体ない話です。
 ホント、そこを抜かせば、イイ感じで歌ってくれていると思います。 

 再生リスト「100回のKISS三昧」は、ここでお終いです。でも、松浦亜弥さんが、いつか復帰したとき、NHKの「SONGS」みたいな番組に出てきたとしたら、きっと「100回のKiss」を歌ってくれるような気がするんです。
 だから、いつか必ず、この再生リストに動画を追加する時が来るって信じているんですよ。

2017年5月19日金曜日

艦これ「阿武隈」MMD動画の完成度が凄い

 先日、ウォーターライン製作記の中で紹介させていただいたMMD動画です。曲は「千本桜」で有名な「黒うさP」氏による「恋愛フィロソフィア」、歌っているのは初音ミク、ダンサーは「艦これ阿武隈改二」になります。


 こちらは、ニコニコ動画へのリンクです。パスワードお持ちの方はこちらを。同じ動画ですけど、艤装付きになってます。

【MMD艦これ】阿武隈改二の恋愛フィロソフィア【モデル配布】

 これ、凄く良いと思いますよ。MMDが公開されて9年になるそうですけど、遂に、ここまで到達したかっていう感じですね。

  MMDの正式名称は「MikuMikuDance」、名前の通り、初音ミクにダンスをさせるために2008年2月に公開されたフリーソフトです。プログラマーの「樋口優」氏が、自家用として、年末年始のお休みを使って組み立てたとされています。
 その最大の特徴は、シンプルで直感的なインターフェイスであること。さらに、モデルや、エフェクト、モーションデータなど、それぞれの分野を得意とするヲタクたちが日々開発し、それらの素材をお互いが共有しているという点にあります。これによって、誰もが簡単にCG動画を製作できるわけです。そして、それらの発表の場としての「ニコニコ動画」存在。
 つまり、自分で楽曲を作らなくても、キャラクターを描かなくても、ダンスを考えなくても、全て借りてくるだけで、動画が作れてしまう。凄いんだけど、誰でもできる。「ご自由にお使い下さい」の究極の形態。著作権を主張しあうので無く、共有するところがMMDの最大の特徴と云えます。

 考えてみれば、この世の中全てのものは、先人たちの技術の積み上げによって成り立っているわけですからね。

 次も「阿武隈」の動画です。モデル作成は、可愛い艦娘をたくさん発表している「つみだんご」さんです。
 

 滑らかに動くものですねえ。モーションキャプチャーしているのかと思いました。

 艦これMMD動画作品は、たくさんのヲタクさんたちの、技術の積み上げによって作成されています。ヲタク連鎖の頂点に君臨するもの、それが「艦これMMD」であり、世界に誇れる日本の文化の1つと云えましょう。

2017年5月13日土曜日

「艦これライヴ 始まるよっ!」のライブ感が凄すぎる

 小ネタです。

 曲名は「恋の2-4-11」と云います。歌っているのは、艦隊のアイドル「那珂ちゃん」です。(声優の佐倉綾音さんでは無いらしい)
 ここでは、「艦これ」とは何かとか、何故、旧帝国海軍のライトクルーザー「那珂」がアイドルなのかとか、「2-4-11」ってどういう意味なのかとか、すべて割愛させていただきます。
 では、何で取り上げたのかと云いますと、とにかく、曲のアレンジが面白すぎだからです。まあ、聴いてみて下さい。


 ライブ会場だと、ベースの音とか、こもるじゃないですか。その辺も忠実に再現していると思います。ドラムの音が雑っぽいところなんて妙にリアルだし。何より、バンドアレンジが「あるある」って感じで面白いです。

 高校生の時に、バンドに誘われて、文化祭でディープパープルのコピーバンドで参加した話を、以前、投降させていただきました。で、その時に、ステージには、バレーボール部の奴らも出てたんですよね。それが、女子バレー部の子たちにアイドル(キャンディーズでした)やらせて、男子バレー部の奴らが、バックバンドやるっていうのだったんです。それが、本当に楽しいステージで、その時から、アイドルライブのバックバンドをやるってのが、僕の密かな夢になりました。
 この動画を見つけたとき、そんな思い出が蘇ってきて、ときかく、ニヤニヤしながら、この動画を見てしまいました。

2017年5月9日火曜日

初音ミク「マジカルミライ2017」チケット予約戦況報告


 「マジカルミライ2017 in幕張メッセ」のチケット争奪戦が始まっています。場所は、昨年と同じ幕張メッセなんですが、ライブ会場が国際展示場第3ホールのみと云うことで、少し小さくなってしまいました。
 昨年もチケットは完売だったはずですが、規模が縮小されたってことは、人気の低下が続いているってことでしょうか。
 まあ、好意的に考えると、デカいホールでやったところで、後ろの方なんて全然見えませんからね。ある程度、規模を小さくして、後ろの人もちゃんと見られるようにした方が良いってこともあります。(だったらイベントホールでなくって、コンサートホールでやるべきですけどw)
 3番ホールでの開催ということで、もしかしてスタンディングでは?と危惧していたんですけど、指定席のようですから、昨年同様、パイプ椅子を並べるみたいです。

 今回は、3日間で5公演です。昨年は、SS席2公演分を奇跡のゲットでしたが、そんなに毎回うまくいくものではありません。でも、S席ではありますが、昼の公演をとりあえず1つ確保できたので一安心です。

 先日、抽選結果が出たのが「5周年メモリアルチケット抽選先行」ってやつです。で、今度は、「オフィシャルWeb抽選先行」があります。この後、「プレイガイド先行」があります。
 一般販売前に「先行・・・」が3つもあって、どれがどう先行なのか分かりません。「プレイガイド先行」なんて、先行なんて云ったって、完全に残席だと思います。いったいチケットをどのように配分しているんでしょうか。
 初音ミクはファンクラブがありませんから、チケット争奪戦は、全員平等、ハンディー無しの横並びヨーイドンのはずですけど、一般販売では、良席を取れるわけもなく、今回の先行予約でダメならば戦闘終了ってことになりそうです。

 ライブも、行けば楽しいんですけど、爆発的なヒット曲が無い中で、毎年のこととなると、若干マンネリ気味と云うか、義務的な気持ちになってしまうのも事実。昔の「亜弥ヲタ」さんたちもこんな気分で離れていったのかな、なんて考えてしまいました。
 
 楽曲コンテストの入選曲だそうです。ライブ会場で演奏されるとのこと。なんか「初音ミク」=「オートチューン」ってイメージが固定化しつつありますけど、自然な歌声を追求してきたエンジニアの皆さんの努力を考えると複雑な気分です。


SS席ゲットできたら報告します。

2017年5月6日土曜日

ウォーターライン製作記⑦ ~軽巡洋艦「阿武隈」とキスカ島撤退作戦~

 巡洋艦「阿武隈」は、大正時代に盛んに建造された5500トン級軽巡洋艦の長良型6番艦です。この5500トン級軽巡洋艦は、イギリス海軍の軽巡洋艦をモデルに設計された艦で、当時としては、画期的な性能を持つ日本海軍自慢の巡洋艦でした。
 太平洋戦争開戦時には、既に艦齢が20年を越えていて、老朽艦となっていましたが、新型艦の建造が遅れるなか、護衛、輸送任務の中核となって活躍しました。「大和」に代表される最新型の戦艦などが、その性能を十分に発揮できなかったのに対して、太平洋戦争の戦線を支えていたのは、彼女たちのような旧式の補助艦艇だったのです。最前線での運用が続いた結果、14隻あった同型艦は、そのほとんどが戦没しています。


 5500トン級軽巡洋艦の特徴は、何と云っても、レトロ感溢れる、単装砲と3本煙突です。


 タミヤ製の「阿武隈」、真珠湾作戦時のモデルです。製品化から10年、部品のディテールは、他社の新金型製品と比べると見劣りがしますが、組み立てやすさ、部品のはまり具合は、さすがタミヤ、他社の追随を許しません。ピンセットでつまんだ微小部品が指定された場所にビシッと嵌まった時の快感は堪えられませんです。
 「阿武隈」は、他の長良型と艦首の形状が違うので、プラモデルとして製品化するには、別部品が必要になります。そのため、第一水雷戦隊の旗艦でありながら、ウォーターラインのラインナップには、長い間、入っていませんでした。「阿武隈」の発売は、多くのファンが待ち望んでいたことでした。



 5500トン級軽巡洋艦って、古めかしいし、全然強くなさそうなんで、好みではなかったんですけど、大人になってこの艦を格好良いと思えるようになりました。
 戦争が激しくなるにつれて、どの艦艇でも、機銃などの対空装備が強化されていきました。子どもの頃は、対空機銃や高射砲が増設されたハリネズミのような艦形を格好いいと思っていましたが、最近は、米航空機に怯える憐れな姿に見えてしまいます。軍艦マニアは、開戦前のシンプルな姿を好む傾向がありますが、何となく分かるような気がします。
 
 で、この娘が、「艦これ」の「阿武隈」です。大変な人気キャラです。「阿武隈」の動画は、「MMD艦これ」の中でも傑作揃いなんですけど、これは特にお薦めです。楽曲、モーション、カメラワークとか最高だと思いますよ。


  可愛いでしょ。こんなアイドルが現実世界にいてくれたら、云うことないんですけどね。

 現実世界の軽巡洋艦「阿武隈」は、第1水雷戦隊の旗艦として、真珠湾攻撃に向かう機動部隊を直衛した他、ビスマルク諸島攻略作戦、ジャワ攻略作戦、インド洋作戦などに参戦して日本軍の快進撃を支えます。その後は、北太平洋を担当する第5艦隊に編入され、アリューシャン攻略作戦では、攻撃部隊の旗艦を務めました。
 
 数多くの作戦に参加した「阿武隈」ですが、有名なのは、1943年7月に旗艦として参戦した「キスカ島撤退作戦」でしょう。

 この作戦は、東宝により、三船敏郎主演「太平洋奇跡の作戦 キスカ」というタイトルで映画化されました。戦争映画ではありますが、人命尊重の撤退作戦であること、数々の困難を乗り越えてのハッピーエンドということで、娯楽性も高く、かなりの人気作品だったようです。僕も子供の時にテレビの映画劇場で放送されたものを見た記憶があります。

 確か、撤退作戦の参謀を潜水艦でキスカ島に送るシーンがありました。空襲を受けて沈む潜水艦に向かって敬礼するシーンが印象的でしたけど、何で助けに行かないんだろうって、子ども心に思った覚えがあります。
 後は、駆逐艦隊が島の岩礁帯を進んで行くシーンを覚えています。見張りのシーンはセットでしょうけど、駆逐艦が進んで行くところは、円谷プロの特撮だそうです。云われてみれば、怪獣映画で見慣れた雰囲気だったように思います。


 名場面集のようです。P-38飛来のシーン(艦載機でない戦闘機が飛来したのは近くに飛行場ができたということ、つまり敵の侵攻が近い)とか、島の守備隊が救援にきた駆逐艦の数を数えるシーン(泣けます)とか、いろいろと思い出しました。まあ、それだけ印象的な映画だったってことでしょう。戦争賛美とか反戦とか関係なく、現代の世に再放送しても十分鑑賞に耐えうる名作だと思います。

 作戦の詳細について語り出すとキリが無いのですが、霧が晴れたので突入をあきらめ、帰投する時に司令官「木村少将」が語ったと伝わる「帰ろう。帰れば、また来られるから。」は、名言となっています。
 勇ましく突入して、華々しく散ることが美徳とされた時代です。貴重な燃料を消費したあげく、手ぶらでノコノコ帰ってきたため、凄いバッシングを受けたと云います。
 上層部のご機嫌ばかりを気にする管理職が多いのは、今も昔も変わらないようですが、願わくば、このような上司の下で働きたいものです。

 そして、再びチャンスが訪れます。気象台の「7月25日以降、キスカ島周辺に確実に霧が発生する」との予報を受けて、救援部隊は22日に再出発します。
 救援部隊がここまで霧にこだわるのは、濃霧の中では、航空機の攻撃を受けなくて済むからです。しかし、海上封鎖をしている米艦隊のレーダーに捕捉されてしまったら、砲弾は霧の中でも飛んできます。救援後に米艦隊と遭遇した場合、5千人以上の島の守備隊だけでなく、救援部隊の乗組員までもが危うくなるわけで、この作戦がいかに危険なものであったかが分かります。
 この作戦は、「ケ号作戦」と名付けられていました。「ケ」は「乾坤一擲」の「ケ」、つまり、「成功しないかも作戦」ってことです。

 対する米艦隊の行動は、以下の通りです。

 25日:海上封鎖をしていた米艦隊のレーダーが濃霧の中に船影をとらえる。
     直ちにレーダー射撃を開始、約40分後に反応は消失。
 28日:敵艦隊を撃滅したと確信した米艦隊は弾薬補給のため後退。
 30日:補給が終わったアメリカ艦隊は封鎖を再開。

 救援部隊が突入したのは29日。たまたま、それも1日だけ、米艦隊が海上封鎖を解いていた日でした。米艦隊が海上封鎖を解いたのは、レーダーの誤反応により、砲弾を撃ち尽くしてしまったからです。これが、この作戦が奇跡と呼ばれている所以です。
 もちろん、闇雲に突っ込んだところで奇跡など起きるはずもありませんから、木村少将の冷静な判断が奇跡を呼び込んだと云ったところでしょうか。
 それから、撤収作業をスムーズに完了させるために、兵士に歩兵銃を捨てさせていたことが分かっています。天皇陛下から賜った銃を捨てる、などと云うのは、当時の常識からは有り得ない話です。他にも、撤収に使った「大発動艇」を遺棄したりと、兵士の命よりも兵器を大事にする風潮のあった当時の日本軍において、異例の行動をとっています。

 日本軍が撤退したことを知らない米軍は、無人となった島に大規模な艦砲射撃と空爆を行い、3万5千人もの大部隊を上陸させます。米兵は日本軍が一向に攻撃を仕掛けてこないことで疑心暗鬼に陥り、極度の緊張状態の中で同士討ちをしてしまう事故が多発、死傷者は100人を越えたと云います。
 米艦隊が、レーダーのゴーストに向かって弾薬が底をつくまで撃ち続けたりと、見えない敵ほど怖いものは無いってことでしょうか。

 キスカ島撤退作戦は、太平洋戦争における数少ない美談とされています。このままでは守備隊は全滅してしまう、だから、何が何でも助けに行かなければ、という論理は、一見人道的にも思えます。しかし、全ては、結果オーライであって、作戦そのものは、無謀の一言に尽きます。
 この後、戦局は、さらに悪化の一途をたどり、太平洋の各地で守備隊が「全滅」していきました。撤退作戦を遂行する戦力すら失ってしまったなかで、「降伏」「投降」という選択肢が無い部隊は「見殺し」にされていきました。そして、軍の上層部は、これを「玉砕」と名付けたのです。

 巡洋艦「阿武隈」は、その後、対空兵装を強化するなどの改装をうけ、レイテ沖海戦に参加します。1944年10月25日、魚雷艇群の攻撃を受け、魚雷1本が命中して損傷。翌26日、帰港中にB-24爆撃機30機の空襲に遭い、直撃弾3発、至近弾4発を受け、さらに積んでいた魚雷が誘爆して撃沈。戦死者は512名とあります。

2017年5月2日火曜日

松浦亜弥:聴くべし、この17本

 何年ぶりかに松浦亜弥さんの再生リストをまとめました。「松浦亜弥:聴くべし、この17本」と名付けました。17本に特別な理由はありません。思い付くままに放り込んでいったら、17本になっただけです。で、何となく17って云う数字がイイ感じだったので、そのままタイトルにしました。その後、いろいろと追加したくなったんですけど、17本ってことに決めたんで、今度は、17にこだわってセレクトしました。
     

 ヒストリー型式ですから、若い順に並んでいます。バラードっぽいのとか、ノリノリ曲とかを混ぜました。歌のデキよりも、ライブの楽しさが伝わってくるテイクを選びました。彼女の魅力の1つである「守備範囲の広さ」を感じていただけたらと思います。

 動画の説明文です。上手いこと書いてやろうって、いつも思っているんですけど、結局、どれもこれも似たような文になってしまいます。
 2001年にデビューし、アイドルとして一世を風靡した「あやや」こと「松浦亜弥」。しかし、彼女が希有な才能を持った歌手であることは、驚くほど知られていません。アイドルの歌など聴く価値もないとされながらも、歌にプライドを持ち、数年間で300公演ものソロコンサートのステージに立ち続けた「松浦亜弥」。彼女の13年間の軌跡を、17本のライブテイクにより振り返ります。
 セットリストです。いかがでしょうか。

① 大晦日の「LOVE涙色」 ~2001年「紅白歌合戦」~
② 松浦亜弥 - オシャレ! ~2002年春「ファーストコンサートツアー」~
③ Aya Matsuura-HikoukiGumo ~2002年「ファクトリーライブ」~
④ 松浦亜弥 - I Know ~2003年春「松リングPink」~ 
⑤ 100回のKISS (ビッグバンド) ~2004年「夢・音楽館」~
⑥ 恋してごめんね ~2004年春「私と私とあなた」~
⑦ 松浦亜弥 - 渡良瀬橋 ~2004年秋「松クリスタル」~
⑧ 松浦亜弥 - ね~え? ~2004年秋「松クリスタル」~
⑨ 松浦亜弥 - 気がつけばあなた ~2006年春「OTONA no NAMIDA」~
⑩ トロピカ~ル恋して~る ~2007年秋「ダブルレインボウ」~
⑪ 松浦亜弥 ダブルレインボウ ~2008年「AYA The  Witch」~
⑫ 部屋とYシャツと私 ~2009年「マニアックライブ vol.2」~
⑬ 松浦亜弥 - GOOD BYE 夏男 ~2009年「想いあふれて」~
⑭ 松浦亜弥 『ホームにて』 ~2010年「COTTON CLUB ライブ」~
⑮ 横浜ロンド ~2012年「Maniac Live Vol 4」~
⑯ 女 Day by Day ~2013年「マニアックライブ vol.5」~
⑰ これが最後なんですか? -dearest.- ~2013年「カウントダウンライブ」~

 久し振りにまとめてみましたけど、プレゼント選びみたいな気分になって楽しかったです。素敵な動画をアップしてくださったファンの方々に感謝。

2017年4月22日土曜日

「100回のKISS三昧」④ ~松浦亜弥13年のキセキ~ 脱アイドル?編

 今回、取り上げさせていただく動画は、いわゆる脱アイドル時代の2つのテイクになります。

 で、2005年のテイクの前に、「チー」さんが運営するブログ「アナザーディメンション」への
リンクを貼りつけさせていただきます。


  ここに2005年の松浦亜弥さんについての記述があります。

[ あややに関しては今年恋人騒動があったんだけど、その影響がかなり大きいようで客層が一変。いわゆるリピーター頼りのコンサになってました。年齢的な面でもアイドルか歌手かという狭間でゆれる時期だけど、去年の松クリスタルで見せた一つの完成系をあっさり失ってしまった感じで、少なくともハロプロ内では今年もっとも魅力を失った人だと思います。来年はソロツアーもあるようなんだけど、現時点で行く気はないかなぁ。それくらい興味がなくなったね、、、]

交際は、ファンの間では公然の秘密だったはずでしたが、実際に記事になった場合、アイドルの受けるダメージがいかに大きいか分かります。清純派アイドルが、プライベートで彼氏が存在するなんて、アニメの主人公みたいで、格好良いことに思えますが、現実的には、「18才の女の子が彼氏のマンションに夜な夜な通っていた」なんて記事はたしかにインパクトありです。25才くらいで卒業間近のアイドルの恋人騒動とは、受け止められ方がかなり違っていたのでしょう。
 二人の関係については、最近では「12年愛」とかいって、好意的にとらえられているように思います。恋愛騒動はNGでも、結婚まで行ってしまえばOKというところでしょうか。いずれにせよ、彼女を最後まで見捨てなかった「慶太」氏には感謝しかありません。

 で、問題は、この騒動の結果として、ライブ自体の魅力まで失ったとされていることです。脱アイドルを目指すと云いながら、コアなファン相手の商売を続けていってしまってるって云うか、頼らざるを得ない状況に追い込まれているんですよね。
「あやや」に疑似恋愛していた奴らが離れていくのも当然ですし、「リピーター頼りの内輪ライブ」というのは、黄昏期のタレントにとっては致し方のないこととはいえ、芸能界というのは恐ろしいところであります。

 では、松浦亜弥さん2005年の歌唱を聴いてみましょう。


 武道館でのライブテイクのようです。2005年の12月5日付けになってますけど、ハロプロ関連のイベントでしょうか。
 この時期の松浦亜弥さんの歌唱としては、標準的なデキだと思います。ただ、これが魅力的かというと、う~~んですね。やっぱりこういうのを、アイドルと歌手の狭間って云うんでしょうか。妙に個性的であろうとしていると云うか、新しい歌唱のスタイルを模索しているというか・・・。
 まあ、この時の歌い方と「100回のKISS」があまり合っていないということでしょうから、選曲が悪かったとしておきましょう。

 もう1つは、先の動画から約3年後、2009年1月のエルダークラブ公演、中野サンプラザのテイクになります。オリジナル版の伴奏で歌うテイクは、今のところこれが最後になっているように思います。2001年のファーストステージからだと、ちょうど8年後、同じカラオケ伴奏ですから、聴き比べるのも良いかと思います。


 いかがですか。「100回のKISS」ここに完成するって感じですね。これだけ声が出れば、歌っていても気持ちいいんだろうなあって思います。
 2005年と違って、余分な力が入っていないのが良いと思います。もともと松浦亜弥さんの歌唱は、素直なところが良かったわけですからね。

 これ以降、亜弥さんのライブは、アイドル時代とは別次元な魅力を増していきます。歌手「松浦亜弥」の完成ですね。ところが、皮肉なことに、大勢の人の前で歌う機会の方は無くなっていきます。この後、大きなコンサートホールで「100回のKISS」を歌うことはありませんでした。

 タレントには、それぞれ対応できるキャパがあると云います。カリスマ性というか、まあ1つの才能ってことでしょうけど、ですから、身分不相応なキャパでの公演は、グループになったり、ゲストに頼ったりしてこなしていくわけです。
 そして、松浦亜弥は、たった一人でも、1万人を相手にできるタレントでありました。

 小さなライブハウスでじっくり歌を聴かせるって云うと格好いいですけど、大きなホールでソロアイドルするって方が何倍も凄いと思うし、そんなことができる子なんて、何年に一人現れるかってレベルだと思います。
 松浦亜弥の凄さは、その才能がチャンスに巡り会えたことだと思います。でも、チャンスはいつまでも才能に寄り添ってくれてるわけでは無かったんです。

 大きなコンサートホールで「100回のKISS」を歌うことは無くなってしまいました。でも、それは「100回のKISS」をめぐる環境が変わったと云うことであって、新たな魅力を持った楽曲「100回のKISS」の登場へとつながっていくのです。

2017年4月17日月曜日

松浦亜弥さんの何回目かのデビュー記念日に「トロピカ~ル恋して~る」を

 松浦亜弥さんの復帰騒動から1ヶ月です。そして、デビュー記念日・・・。

 結局、何も起きませんでした。まあ、想定の範囲内のことですし、もとより今年か来年という話でしたから、のんびり待つことにしましょう。

 で、動画再生の方は、引き続き堅調のようです。特に、ふくちゃんさんがタイトル名を書き換えた動画が伸びているみたいですね。結構、若い人たちが見ているみたいで、皆さん優しくって、僕の古く拙いコメントにも「イイね」を押してくれるものですから、僕宛にもGoogle+からお知らせメールが届きます。
 コメントを寄せている人たちには「マエケン」さんや「はるな愛」のモノマネを知らない世代の若者も実際いるわけでして、先入観にとらわれていない彼らの意見って考えさせられるものが多いんです。 
 そう云えば、以前、盛んに行われていた、AKB叩きに「あやや」を利用すると云う、ハロヲタさんのコメントは、だいぶ少なくなったようです。あれも、あればあったで迷惑に思っていましたが、なければないで寂しくもあります。

 「松クリスタル」の「渡良瀬橋」も視聴回数が200万回を越えましたし、100万回越えの動画も、ざっと数えたところ20本ほどあるみたいです。どの動画も長寿ですから、視聴回数が増えるのは当たり前と云ってしまえばそれまでですが、広く聴かれていると云うことは、1人のファンとして嬉しい限りです。

 で、今、コメントがたくさん書き込まれている動画の1つがこれ。「トロピカ~ル恋して~る」の2007年のライブテイクです。「MC+歌」というタイプの動画で、歌が始まるのは、6分30秒後になります。歌以外のものが付いている動画というのは、編集機能が無くなってしまった現在の再生リストでは使い難いことこの上ないんですけど、この動画に関しては、歌が始まるまでのMCの方が有名になっているみたいです。


 残念ながら「トロ恋」は、この2007年のライブを最後に、完全に封印されてしまいました。折角コールを覚えたのに残念ですw
 素晴らしいパフォーマンスだと思いますよ。15歳の時の持ち歌を21歳で歌っているのに「残念感」が全く無いんですから。

 そして、このライブテイクと双璧を成しているのが、2002年のサマーライブだと思います。
 二度押ししないと再生しないかもですw

video

 松浦亜弥さんがアイドルとしてデビューしたことを間違いや悲劇とする意見があることは十分理解しています。でも、この時の彼女は、本当に輝いていたし、皆に元気を与えていたことは確かです。

 もはや、アイドル時代もSTBライブの頃も、どちらも遠い過去になってしまいました。 

 松浦亜弥さんには、是非とも一流の歌手として復活して欲しいと願っています。でも、「あやや」はいつまでも「あやや」であって欲しいし、幾つになっても「あやや」っぽさを持ち続けて欲しいです。「あやや」である限り一流の歌手にはなれないって考えているとしたら、それは本当に寂しいことだと思います。

2017年4月2日日曜日

ウォーターライン製作記⑥ ~水上機母艦「千歳」と零式観測機~

 水上機母艦とは、水上機を搭載・整備する設備と、それを射出するカタパルトを持つ艦艇のことです。
 で、水上機とは、水上にて離着水できるように設計された航空機のことです。機体の下にフロートを持つ「下駄履き機」と呼ばれているタイプと、機体そのものが船のようになっている「飛行艇」があります。大型機は「飛行艇」が、小型のものは「下駄履き」が多いようです。
 
 水上機というと、まず連想するのが、ジブリ映画の「紅の豚」ではないでしょうか。主人公の豚が乗っていたのが飛行艇、ライバル役のカーチスが乗っているのが下駄履き機になります。


 小型の飛行艇は、プロペラが水面をたたいてしまわないように、翼の上にエンジンを取り付けていたようですね。下駄履き機は、普通の飛行機にフロートを付ければよいので、小型の水上機の場合は、こちらが主流だったようです。(大型機はフロートが巨大化して不向き)
 それから、水上機と云うと、翼が2枚の複葉機を思い浮かべますが、丈夫な機体が作れるようになると、高速を出せる単葉機が主流になっていきます。

 軍用の水上機は、偵察機として使われることが多かったのですが、アメリカ軍の対空レーダーが向上するにつれて、敵艦隊を発見する頃には、すでに迎撃の戦闘機が上がってきていることが多く、とにかく逃げ足の速い飛行機が熱望されたとのことでした。
 中には、戦闘機に見つかったらフロートを切り離して身軽になって逃げる、なんていうのも開発されたそうです。って、フロート切り離しちゃったら、着水できないと思うんですけど・・・。

 で、水上機の運用に一番熱心だったのが、日本海軍だったそうです。水上機は、飛行場が無くても運用できるので、太平洋の孤島などに飛行機を配備するときに便利ですからね。
 特に中国大陸では多くの戦果をあげることができたようで、日中戦争の頃が水上機が一番活躍できた時代と云えます。そして、その水上機を整備したり、補給をしたりするための艦船が水上機母艦と云うわけです。
 一方、アメリカは、水上機の開発については、それほど熱心ではなかったようです。彼らは、飛行場が必要とあれば、ブルドーザーとパワーシャベルであっという間に作ってしまいますからね。

 さて、ウォーターラインの「千歳」は、アオシマの製品になります。こう云うマイナーな艦船は、アオシマの独壇場です。「千歳」を選んだ理由は、ちょっと変わった艦を作ってみたくなったからです。しかし、マイナーな艦とはいえ、船体は重巡洋艦並みですし、高角砲も備えていたりして、作りがいがありましたよ。


 この艦の特徴は、4基あるクレーンだと思います。プラモデルを作っていても、クレーンを組み立てているときが一番楽しかったです。付属していた水上機は、4機だけでしたけど、せっかくですから、余っていた部品を全部使って、12機も載せてしまいましたw。
 あと、このプラモデルを作るまで、複葉水上機の翼が折りたたみ式だってことを知りませんでした。
 それから、もう1つの特徴は、機銃甲板と呼ばれた屋根です。艦上機の帰着甲板として実験的に設置されたとも、特殊潜航艇を積み込むときに必要であったとも云われています。


 日本海軍は、偵察機以外にも、爆撃機タイプや戦闘機タイプなど、様々な水上機を投入しました。で、水上機の中で最も人気のあるのが、「零観(ぜろかん)」こと「零式(水上)観測機」ではないでしょうか。


 一緒に写っている軍艦は、4本煙突ですから「川内型軽巡洋艦」のようです。動画で見られるとは思いませんでした。さすがYouTubeですね。
 後半の勤労動員による航空機製造の様子なども興味深いです。熟練工を戦地に送っといて、女子供に飛行機を作らせているんですから、故障ばかりするのも当然です。アメリカのBー29 の製造風景と比べるまでもありません。
 空襲が始まると、軍需工場は真っ先に標的にされました。爆撃だけでなく、戦闘機の機銃掃射で犠牲になった子も多いと言います。

 700分の1だとこんな感じです。汎用部品で作った「零観」です。新金型だと翼の間の支柱やプロペラも部品に追加されます。精密になるのは良いことですが、ついでに、機体が2分割されたり、水平尾翼が別付けになったりするんですよね。そこは一体成形のままで良いと思うんですけど。


 「零観」の人気の秘密は、何と云っても複葉機であることでしょう。飛行機ファンにとっては、複葉水上機というのは、特別な想いを持つようです。
 この機体が投入された頃は、すでに単葉機の時代でしたが、飛行性能を重視してあえて複葉機としたそうです。複葉機といえど、機体は近代的なオール金属製、抜群の安定性と高い格闘性能を持ち、2人乗りで、最高速度は370km、7.7mm機銃3門と翼の下には60kg爆弾を2つ搭載可能とあります。
 米戦闘機と空中戦を行って、P-38 ライトニングやF4F ワイルドキャット、さらには、零戦でも敵わなかったF6F ヘルキャットを撃墜したこともあるそうです。
 ただ、こういったレアなケースにすがりつき、「零観」を護衛の戦闘機として運用した結果、多くの犠牲が生まれてしまった事実も忘れてはいけませんね。


 昔、読んだ漫画に「零観」が登場する話があったんですけど、松本零士氏の短編集『戦場まんがシリーズ』の一編「亡霊戦士」だと云うことが分かりました。
 南太平洋の孤島に拠点を築き、たった1人で戦い続ける水上機乗りの話です。確か、少年兵が迷い込んできて、まあ、いろいろとあるんですけど、アメリカ軍の潜水艦を撃沈したり、F6Fを撃墜したりというストーリーでした。空戦では、深追いしてきたグラマンが海面に激突する場面での「あんな重い戦闘機で軽快な二枚バネに挑戦するとああなるのである」というセリフが格好良かったですね。
 そういえば、島の洞窟に水上機を隠しているところが「紅の豚」のシーンにそっくりなんですけど・・・・まあ、偶然でしょうね。

 水上機母艦として、中国戦線や南太平洋で補給や支援任務に就いていた「千歳」でしたが、ミッドウェー海戦で航空母艦4隻を失ったことをうけて、空母への改装が決定します。「千歳」は、空母への改装も考慮して設計されていたそうですけど、改装には8ヶ月ほどかかっています。

 水上機母艦の「千歳」です。



 航空母艦の「千歳」です。面影残ってますか?


 航空母艦「千歳」が竣工するまでの8ヶ月間で、戦況は大きく変わっていました。優秀な搭乗員は失われ、パイロットの技量は著しく低下し、もはや空母があっても機動部隊を運用できるような状況ではありませんでした。
 航空戦力をかき集めて臨んだマリアナ沖海戦で、「千歳」から飛び立っていった艦載機たちは、レーダーと航空管制を用いた米軍の防空システムによって壊滅しました。4ヶ月後のレイテ沖海戦では、わずかな艦載機と共に参戦しましたが、それは米機動部隊を引きつけるための囮にすぎませんでした。米空母艦載機の攻撃により、3本の魚雷と多数の至近弾を受けて撃沈、艦長以下903名が戦死。空母に改装してから10ヶ月後のことでした。

 戦争後半になると「零観」は、船団護衛や対潜哨戒などが任務の中心となり、一部は、練習機としても使用されたそうです。
 戦争末期になると、「零観」は250kg爆弾をくくり付けて、特攻機として使われるようになりました。重い爆弾を抱えた「零観」は飛行するだけで精一杯で、出撃しても簡単に撃墜され、米艦隊に近づくことすらできなかったと云います。

 無謀に無謀を重ねた作戦でした。「零観」の特攻攻撃による戦果は分かりません。

2017年3月31日金曜日

「はるみ」ちゃん ~ノーストレスな究極の春蜜柑~

 僕は、好き嫌いは無い方だと思います。ただ、酸っぱいものが苦手です。ですから、蜜柑を食べるときには、いつも皮がブカブカしているのを選びます。「味が濃い」とか、「コクがある」というのは要警戒です。いくら甘くても酸味が伴うのは困ります。だったら、何も味がしない方がマシです。僕にとって「大味」は「安心」の同義語です。
 酸味が無く甘いだけの「ノーストレス蜜柑」、それが僕の理想の蜜柑像でした。

 「ポンカン」を食べたときは、その酸味の無さに感動しました。

 「デコポン」を食べたときは、見た目とのギャップに参りました。

  「せとか」を見たときには、その値段の高さに仰天しました。

 そして昨年、ついに究極のミカンに出会いました。敬意を込めて「はるみ」ちゃんと呼ばせていただきます。「ポンカン」よりも大ぶりで種子が無く、「デコポン」よりも皮が薄く繊細で、「シラヌヒ」のように当たり外れがなく、「せとか」の4分の1の値段で買える。それが「はるみ」ちゃんです。


 「はるみ」ちゃんは、静岡市の果樹研究所で誕生しました。同じく静岡生まれの母親「清見オレンジ」とインド原産の父親「ポンカン」との交配だそうですから、「デコポン」とは姉妹、「せとか」とは、父親違いの姉妹になります。
 姉の「デコポン」は、その容姿のあまりの醜さに、味覚検査をされることなくボツにされたものの、味の良さを惜しんだ生産者さんが、密かに育て続け、やがて、見た目と味とのギャップと「デコポン」というネーミングの巧みさで人気を高めていきました。
 一方、妹の「はるみ」ちゃんは、姉とは違い、生まれながらの美しい容姿の持ち主でした。香りはオレンジに似ていますが、皮は薄く柔らかく剥きやすく、じょうのう膜は極めて薄く、種子もありません。酸味は全くなく、甘みは抜群。皮を剥いたら、中からみかんの缶詰が出てきたと云えば、お分かりいただけるかと思います。
 見た目も味も最高の「はるみ」ちゃんですが、栽培が難しいという弱点をかかえていました。そういえば、芸能界にも、可愛くって、歌も上手いけど、扱いにくいという歌手がいましたね。

 「はるみ」ちゃんは、生まれは静岡県ですが、生産の中心は、愛媛県や広島県で、生産量も少なく、流通も限られていたみたいです。静岡県で、広く栽培されるようになったのは、ごく最近のことだそうで、生産の中心は、発祥の地である、清水・興津のあたり、みかんの栽培が盛んな浜名湖の北部、それから、伊豆や、愛知県東部でも作っているみたいです。流通量が増えるに従って、スーパーマーケットでも普通に売られるようになりました。値段も大玉が1個100円くらい、小玉だと5個で300円くらいですから、「せとか」よりもずっと安いと思います。

 昨年、近所のスーパーで見つけて、試しに食べてみたところ、一発で虜になってしまいました。それから、スーパーに行くたびに買い求めて、1ヶ月間、毎日1個ずつ食べ続けました。昨年度の静岡県の「はるみ」ちゃんの消費量の何%かは僕です。
 で、今年も、食べ続けました。何個食べたか想像もできません。今はもう、旬も過ぎつつあり、売っている店も限られてきました。大きさも小玉なものばかりですが、まだまだ味はしっかり「はるみ」ちゃんです。しかし、あと1週間ほどで、今シーズンも終わりと思うと、さみしい限りです。

 最近、「はるみ」ちゃんの他に、「はるか」「せとか」「せとみ」などという品種も並んでいますので、是非とも「デコポン」みたいに、「はるみ」ちゃんの魅力が伝わるインパクトある素敵な名前を付けて、「登録商標」していただきたいと思います。

 来年は、生産量もさらに増えて、スーパーの果物売り場に君臨してくれることでしょう。

2017年3月27日月曜日

ウォーターライン製作記⑤ ~巡洋艦「天龍」とウェーク島の戦い~

 軽巡洋艦「天龍」はハセガワの製品で、2015年3月に完全リニューアルしたモデルです。では、早速ハセガワの製品紹介を見てみましょう。
 
【第一次大戦直後に竣工した天龍型は、日本海軍軽巡洋艦の始祖に当たる艦艇です。キットは最新の考証に基づいて設計を行い、現在の金型技術を駆使したハイディテールな精密モデルとして生まれ変わりました。14cm砲の砲身や25mm連装機銃の銃身の細さなどは感動ものです!】

 自社製品を「感動もの」と言い切ってしまうところが何ともですね。砲身をリアルに再現するのも良いんですけど、細さまで700分の1にしなくても良いかなって思います。折れたらお終いですから。
 ただ、連装機銃や内火艇など、共通部品であったものを、専用部品に入れ替えるなど、ハセガワのディテールに対する意気込みは大変なものです。写真では、お分かりいただけないかもしれませんが、魚雷発射管などは確かに感動ものです。プラモデルの精密化は、パーツを細分化することでなく、パーツ個々のクオリティーを高めることにある、というハセガワの信念に深く共感した次第です。
 まあ、共通部品を新しい精密金型でリニューアルすれば良いだけの話なんですけどね。その辺の各社の足並みの揃わなさが、残念なところではあります。

  上がタミヤの従来品、下がハセガワのリニューアル品です。


 船体を左右に分割しているのは、「赤城」と同じです。このやり方は、艦船の大小に関わらずハセガワのスタイルのようです。あと、前部の三本足のマストの長さがどうしても合わなくって、仕方なく、前足を少し切り落として接着しました。で、先輩方の作品を見たら・・・・あれっ「天龍」のマストって斜めだったんですか。マストは垂直に立っているという固定観念に捕らわれて、こりゃ部品の成形ミスだ、なんて思ってしまいました。ハセガワさんゴメンナサイ。

 こちらがネットから拾ってきた「天龍」の画像です。当初は、艦橋の天井が天幕なんですね。昔の船乗りは、吹き曝しのなかで操艦していたわけです。
 で、マストは・・・改装前ってことでしょうか。


 箱絵は、「加藤単駆郎」氏が担当しています。右旋回中の「天龍」です。「外方傾斜」によって、船体が左側に傾いているのが分かります。その傾斜を利用して甲板上を描いています。そう云えば、セウォル号の沈没原因も外方傾斜で積み荷が崩れたからでした。
 それから、主砲の周りにいるのは、弾込めしている水兵さんです。「天龍」の14cm速射砲は、人力装填だったそうです。
 このこだわり感こそ精密イラストですね。ますます単駆郎氏のファンになってしまいました。で、マストは・・・こちらは改装後ですね。


 先ほどから、一緒に写ってるのは、タミヤの駆逐艦「暁」です。比べて分かるように、天龍型は排水量3500トンですから、大型の駆逐艦サイズってところですね。


 「天龍」は、前述の通り、第一次世界大戦直後の1919年に竣工した小型の軽巡洋艦です。主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待され建造されました。日本の軽巡洋艦の元祖とも云われています。傑作艦といわれた「天龍」ですが、居住性に難があり、小型であるが故に大規模な改装も不可能で、姉妹艦「龍田」の2隻しか建造されませんでした。この後、軽巡洋艦のサイズは、航空機の搭載が可能な5500トンクラスが標準となっていきます。

 太平洋戦争が始まったとき、「天龍」は、竣工から20年を越えていました。しかし補助艦艇が絶対的に不足していた海軍において、旧式ながらも最前線に送られ、ウェーク島攻略作戦、珊瑚海海戦、ポートモレスビー作戦、第一次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦など太平洋戦争を代表する作戦の支援任務に従事しました。

 特に、第一次ソロモン海戦は、老艦であることを理由に夜襲作戦から外されていたのを、戦隊参謀らが参加を懇願して急遽認められたものでした。艦隊の足手まといにならないようにと、最後尾に配置されていたのですが、乱戦の中、米巡洋艦を雷撃で撃沈、駆逐艦を砲撃で撃破するなどの思わぬ大戦果をあげます。
 しかし、開戦からわずか1年後の1942年12月、ビスマルク海にて輸送船の護衛の最中、潜水艦の雷撃により撃沈しました。この時は、沈没まで2時間ほど時間があり、救助活動の結果、乗組員の多くが生還することができたようです。

 艦これの「天龍」です。名前のイメージからか、ソロモン海戦の活躍からか、艦これには珍しく武闘派キャラです。隻眼なのは、ソロモン海戦で、探照灯を破壊されたという史実からと思われます。って、よく考えるものですね。


 で、今回紹介させていただく「ウェーク島の戦い」は、太平洋戦争の中では、あまり知られていない戦いではないでしょうか。島を守っていた米海兵隊が、僅かな戦力と知恵と勇気によって、迫り来る大軍を撃退するという、アメリカの戦争映画そのままみたいな戦いです。


 アメリカ領ウェーク島は、太平洋のど真ん中にある珊瑚礁の島です。日本軍は1941年12月8日の日米開戦と同時にウェーク島を空襲。三日後に軽巡洋艦、駆逐艦、輸送船で構成された攻略部隊が島に接近。軽巡「天龍」も支援部隊として艦砲射撃をおこないました。
 空襲により米戦闘機部隊及び島の砲台は壊滅という報告を受けていた攻略部隊ですが、島に接近した艦隊は、島の砲台から思わぬ反撃を受け混乱します。
 駆逐艦「疾風」は直撃弾を受けて轟沈。さらに、米軍は、残存していた4機の戦闘機で敗走する艦隊を追撃します。F4F戦闘機に100ポンド爆弾をロープで吊り下げて爆撃機に仕立てるという、どこかの映画みたいな攻撃により駆逐艦「如月」は爆沈。「天龍」も機銃掃射を受けて多数の死傷者を出しました。

 ウェーク島攻略に失敗した日本軍でしたが、その10日後に第2次攻略部隊を派遣します。前回の攻略部隊がたった4機の戦闘機に翻弄されたことから、真珠湾攻撃から帰投中の第2航空戦隊(飛龍・蒼龍)に支援を依頼。さらに、グアム島攻略を終えた重巡洋艦4隻を加えるなど、戦力を大幅に増強しての出撃でした。
 一方、真珠湾攻撃による混乱が続いていたアメリカ軍は、ウェーク島への支援を断念してしまいます。孤立無援となった米守備隊ですが、大軍を相手に激しく抵抗しました。
 残存2機となっていた米戦闘機は、2航戦の精鋭部隊に奇襲を仕掛け、攻撃機2機を撃墜するという大戦果をあげますが、直後に零戦に撃墜されます。海岸では、上陸した海軍陸戦隊に米海兵隊が応戦しました。
 激戦の末、アメリカ軍は降伏しますが、アメリカ軍の戦死者122名に対し、日本軍の戦死者は少なくとも469名に及んだと云われています。

 捕虜となった米兵に滑走路の修復を命じたところ、倉庫からブルドーザーとパワーシャベルを持ち出し、半日で作業を終えてしまったのを見て、人力の土木作業しかやったことのない日本兵は大変驚いた、というエピソードが伝わっています。

 開戦直後のこの戦いは、この後3年半にわたって太平洋で繰り広げられる離島の攻防戦について、多くの教訓を残しました。
 航空機支援の重要性。空爆の効果を判定することの難しさ。太平洋の高波が押し寄せる海岸での上陸作戦が、いかに困難であるか。機銃陣地に向かって歩兵を突撃させることが、いかに愚かなことか。そして何より、アメリカの正規軍が、いかに強い軍隊であるか。
 しかし、日本海軍の上層部は、これら実戦部隊からの報告を、次の戦いに生かすことはできませんでした。この8ヶ月後、日本軍は、ガダルカナル島において、同じ過ちを繰り返すのです。それも何倍もの規模で。

 ウェーク島に残った日本軍の状況も凄惨を極めていきました。戦局が悪化するにつれて補給も滞りがちになり、米軍の大空襲により物資は焼失、混乱の中、抑留していた米兵98名全員を虐殺するという事件も起きています。

 やがて、太平洋戦争の主戦場はマリアナやフィリピンへ移り、戦略的価値を失ったウェーク島は、敵からも味方からも見捨てられました。

 そして、島には飢餓が訪れました。椰子の木しか生えていないような絶海の小島に4,000人もの兵士が駐留していました。彼らは全員が極度の栄養失調に陥りました。島にある食べられそうなものは全て食べ尽くし、時折、潜水艦が決死の思いで運んでくる僅かな物資によって、辛うじて命を繋いでいるという状態でした。
 ウェーク島守備部隊は、終戦までに1,331名の戦死・戦病死者を出しますが、そのうちの1,000名以上が餓死だったと云われています。

2017年3月24日金曜日

「100回のKISS三昧」③~松浦亜弥13年のキセキ~ 2004年編

 まずは、2004年の6月に放送されたNHKの「夢・音楽館」からのテイクです。この番組では、「買い物ブギ」とか「ドッキドキLoveメール」など、村田陽一氏がアレンジを担当したテイクが放送されました。リンクになります。


 このNHK番組のテイクは比較的短命のものが多かったんですけど、このファイルはアップしていただいてから、かれこれ1年半ほどになります。視聴回数は一年半で600回ちょっとと、淋しい感じですが、ファンには有名なテイクだと思います。
 このビッグバンドバージョンがあって、スローバージョンがあって、これらがあるからこそ、末永く歌うことが実現できたわけで、そう云う意味でも、このテイクは貴重ですよね。歌に対してのチャレンジングな姿勢というのは、後のカバー曲にも通じるところで、彼女の特徴の1つに思います。

 そして、ただ貴重なだけでなくって、本当にイイ感じなんですよね。アレンジも素晴らしいと思います。

 そして、もう1つが「アロハロ2」ヴァージョンになります。DVDのリリースが2004年の7月とありましたから、この2つは、ほぼ同時期のテイクになります。どちらのテイクからも云えることですけど、発育は確かに良いと思います。Amazonのレビューなんか、そのことしか書かれてませんからね。CDよりも写真集のほうが売れたというのも納得です。


 こんなレビューがありました。
「松浦が大人になるのが早すぎて、複雑な思いがライブをみても、これをみても感じられる。」
ですって。

 「大人になるのが早すぎて」・・・当時のファン心理をうまく言い表していると思います。そして、今回取り上げた2つのテイクに共通していることでもあります。
 この妙な背伸び感は、彼女の魅力でもありましたが、アイドル「あやや」に対するイメージは混乱していったのです。

2017年3月23日木曜日

いきものがかり「SAKURA」を初音ミクがカバーしてくれました

 桜の開花宣言が、あちらこちらで出始めました。温暖化のためでしょうか、このところ、卒業シーズンから咲き始めてしまう年が続きましたが、今年は、入学シーズンに合わせて満開に咲いてくれそうに思います。
 日本人の桜好きは、たくさんの桜の歌を生み出しました。それらは「出会い系」と「別れ系」に分けることができます。桜の花は、希望に溢れる出会いの季節に咲くように思うんですが、桜の散るイメージが別れを連想させるからでしょうか、圧倒的に「さよならソング」が多いように思います。

 「SAKURA」は、2006年3月にリリースされた、いきものがかりのメジャーデビューシングルです。路上ライブを中心に活動していた彼らが、メジャーデビューするにあたっての渾身の一曲になります。題材があまりにもオーソドックスな「桜」をデビュー曲にするについては、いろいろと懸念もあったようですが、奇をてらうことなく、正攻法でぶつかっていったのが良かったみたいですね。まあ、曲さえ良ければ、心配ご無用ということでしょうか。


 続いてボーカロイドカバーです。このブログでも度々紹介させていただいている「melodylights」さんの作品になります。 
 

 伴奏はオリジナルを越えているんではないでしょうかw

 歌の方は「~さくら、まい『チー』る~」のところが、いかにもミクって感じですね。もちろん、これは、ちゃんと個性があるという褒め言葉です。
 それから、これは褒め言葉にならないかもしれませんけど、いきなり高音を出したり、短い息継ぎで歌い続けたりなんてところは、さすがボーカロイドだと思います。下手に人間にカバーされるくらいなら、ミクちゃんに歌ってももらった方が良いと思うんですけど・・・まあ、少数派ですよね。

2017年3月17日金曜日

伊豆と駿河と遠江、そして静岡県

 静岡県というのは、思っている以上に東西に長く延びています。「のぞみ」は全てスルーしますけど、新幹線の駅は6駅もありますし、高速道路を運転していても、静岡県を通りぬけるだけで疲れてしまいます。
 電力会社も富士川を境に、中部電力と東京電力に分かれています。ですから同じ県なのに周波数が50Hzと60Hzの所があります。震災直後、計画停電が夜にあると、東部の人たちは、中部電力の管内である富士川の向こう側に遊びに行ったりしたものでした。
 
 静岡県は、過去には「駿河」「遠江」「伊豆」の3つの国に分かれていました。「遠江」は、現在の西部地方、「駿河」は現在の中部地方と東部地方の半分、「伊豆」が東部地方の残り半分にあたります。
 昔の人が別の国としていたのは、それなりの理由があります。って云うか、同じ県になっていることが不思議なくらい違iいます。

 というわけで、今回は、静岡の県民性についてです。ただし、静岡県民は怠け者が多いとかいう、個人レベルの話にならないように心がけていきたいと思います。

 まずは、言葉です。「浜松弁」と「静岡弁」は、全く別の言語です。単語が異なるだけで無く、イントネーションからして全く違います。標準語を話していると自負している東部の人間からすると、「浜松弁」は、ほとんど「名古屋弁」です。ですから、「静岡弁」と「浜松弁」の違いは、「標準語」と「名古屋弁」との違いに匹敵します。

 それから、浜松の人たちは、「中日ドラゴンズ」を応援しています。東部の人間は、基本的に「ジャイアンツ」です。中部地方の一部には、「横浜ベイスターズ」を応援している人たちがいますが、これは、昔々、静岡が大洋ホエールズのキャンプ地であったことに由来するものです。
 プロ野球のキャンプ地に使われていたくらいですから、静岡の気候は穏やかです。南に駿河湾をかかえ、残りの三方を山に囲まれている静岡市は、陽だまりの中で暮らしているようなものです。宮崎よりも暖かいくらいです。今年、大寒波がやってきて全国的に雪が降った時も、静岡は雨でした。
 一方、浜松は、遠州の空っ風が吹きます。雪雲が濃尾平野を抜けてやって来るので、時々雪も降ります。

 でも、その分、西部の人間は、たくましいところがあります。遠州には、「やらまいか」という言葉があります。とにかくやってみようというチャレンジ精神を表す言葉です。ですから、遠州には、たくさんの起業家が育ちました。音楽の「YAHAMA」と「KAWAI」、自動車の「ホンダ」と「スズキ」など数え切れない程あります。世界の「TOYOTA」は、今でこそ愛知県が本拠地ですが、「豊田佐吉」氏は、遠州の出身です。
 静岡には、「やらまいか」をもじって「やめまいか」という言葉があります。面倒なことをいやがって、現状維持を良しとする精神です。
 江戸時代、大御所となった徳川家康は、駿府(静岡)に住んでいました。ですから、駿府の町はいろいろなことで優遇されていました。家康に甘やかされていた駿府の商人たちは、何の苦労も無く特権を手にしていたんです。日本全国にコンビニが広まっていった時代、最後までコンビニがなかった都市が静岡市でした。

 それから、静岡県人を揶揄する言葉に、「遠州の泥棒」「駿河の物乞い」「伊豆の餓死」というのがあります。食べ物がなくなったときの行動ですけど、この言葉の根拠は、もうお分かりですね。アグレッシブな西部、他人任せの中部ってことです。
 「伊豆の餓死」っていうのは、何もしないってことですけど、あまり困難に遭遇することが無いということの裏返しでもあります。もし、静岡県人について、温暖な気候の中で、争うこと無くのんびり暮らしているというイメージがあるとすれば、東部の人間がそれにあたります。これといった産業もないのに、暮らし向きが豊かで(実際に年収が多いと云うことで無く、気持ちの面で)新車の売上げも一番多いと云われています。

 スポーツは、完全に西高東低です。っていうか、僕が子どもの頃から、運動に限らず全ての部活動において、東部と西部のレベルの差は歴然としていました。野球、サッカーから、吹奏楽、読書感想文にいたるまで、全ての大会、コンクールにおいて東部は西部に敵いませんでした。
 だからといって、頑張ろうってことにならないのが東部の特徴。東部の学校が高校野球やサッカーの代表になれないのは、有力な私学校がないからばかりではありません。
 でも、西部には中学校や高校で燃え尽きてしまう奴も多くって、プロの選手には、東部の人間が意外に多かったりします。

 東部からだと、浜松は東京よりも遠いですし、話し言葉も違うので、外国に行った気分になります。電話代の請求がNTT西日本から来た時は何かの間違いだと思いました。
 西部の人間は、静岡県人にもかかわらず富士山を見ると喜びます。県民あるあるで「静岡県はこんな所です」って「ももクロ」の子が言うと「それは西部のことだろ」ってつっこみ、勝俣が言うと「それは東部だろ」ってつっこまれます。だから、静岡県代表で出てきた奴がどこの出身かを大変気にします。
 
 でも、同じ県のおかげで良いこともあります。炭焼きレストラン「さわやか」があります。手土産に困ったら「うなぎパイ」を持っていきます。パチンコ「コンコルド」のCMを見ることが出来ます。

 このように静岡県は、東日本的で、西日本的で、山あり、海あり、街あり、農村あり、漁村ありと、様々な特性を合わせ持っているので、マーケティング業界では、新製品のテスト販売に使われることが多いと聞きました。

 そんな静岡県民が心を1つにするのが防災訓練です。30年間東海地震のことばかり言われ続けたので、子どもの頃から避難訓練ばかりしています。どんなオンボロ市役所も耐震化だけはガッチリされていますし、どの家庭でも家具は壁に固定されています。避難訓練のネタ話を語り合う時、僕らは同じ静岡県民であることを認識するのです。

2017年3月14日火曜日

冨田勲「ドクターコッペリアス」公演と3Dホログラム

 尊敬する故冨田勲先生の遺作「ドクター・コッペリウス」。11月の渋谷公演に続いて、4月にすみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団による再演が発表されていましたが、突然の延期となりました。代替え公演として、4月19日に生誕85周年記念としてアニメ交響詩「ジャングル大帝」が演奏されます。

 延期の理由については、技術的な課題とされていますが、だったら11月の公演は何だったんでしょうか。まあ、初音ミクよりもジャングル大帝の方がチケット売れそう・・・、なんて勘ぐりもしましたが、冨田勲先生のブランド力で、何をやってもコンサートホールは、満席になるでしょうから、中止の裏には、何かあったのかなって思います。

 製作ドキュメンタリーの動画があります。


 変形する布状のスクリーンが紹介されていましたね。あれ、最初見たときは、スピーカーかと思いましたよ。何を映していたか思い出せないんですけど、劇的な演出効果ってほどでもなかったですね。まあ、スクリーンを変形させるというチャレンジは、大いに評価したいと思いますが、効果的な使い方となるとまだまだ検討の余地があるようです。

 それから、CG製作風景が紹介されています。モーションキャプチャーの様子が出ていましたけど、ミクのライブ映像もああやって作っているのだと思います。

 で、バレエダンサーさんと共演する映像についてです。

 以前にも、感想を書かせていただきましたが、あれは酷い物でした。やっぱり3Dホログラムだったんですね。それを斜めに設置した鏡に反射させていたようです。

 時々、誤解されるんですけど、ライブでの初音ミクの映像は、3Dじゃありませんし、ホログラムでもありません。レーザープロジェクターで映し出された2Dです。それを透過型のディラッドスクリーンに映すことで、スクリーンの向こう側を見せ、奥行きと立体感を出している。つまり、ポイントは、プロジェクターでなくってスクリーンの側にあります。
 それに対して、ホログラムは、投影装置そのものにポイントがあります。バーチャル技術としては、3Dホログラムの方が優れていますが、問題は映像の大きさです。コンサートホールで、観衆に向かって、等身大の女の子の映像を滑らかに、尚且つ鮮明に映し出すということは、現在のホログラム技術でも難しいようです。映像が不鮮明であるために、結果的に立体感など微塵も感じられません。
 このことが再演延期の理由では無いと思いますが、この問題の解決はかなり困難かと思います。もちろんチャレンジする価値は大いにありますから、是非とも頑張って欲しいです。

 このCG映像を見て、改めて思ったことは、ディラッドスクリーンの有用性です。複数の高輝度レーザープロジェクターを使い、スクリーンに二重三重に重ねて映し出される映像は、武道館や横浜アリーナなどの大型施設でも有効であることが証明されていますからね。
 お店のショーウィンドーやビルの窓などに設置できる投影装置として、街中でもっともっと活躍して欲しいです。

 ただ、「初音ミク」と云うのは、あくまでも歌うシステムであって、CG技術ではありません。ですから、本当は、オーケストラに合わせて歌うソリストとしての歌唱が、どうであったのかを語るべきなんですよね。
 で、この点についてどうだったのかと云えば、「・・・・・」って感じですね。このコンサートに限った話ではないのですけど、どうも歌わせているキーが高いように感じます。この娘の良さが出てくる音域ってもう少し下の方にあるんじゃないかって思います。これだとキンキンした歌声にしか聞こえないんですよね。初音ミクは、ソプラノ歌手に非ずってところでしょうか。まあ、これは僕がオジさんだからってことも関係あるかも知れません。

 で、4月の生誕85周年記念公演、関心はありますが、今のところ参戦する予定はありません。「イーハトーブ交響曲」と「ジャングル大帝」の二本立てなら最高なんですけどね。で、アンコールに、「マイティジャック」とか「青い地球は誰のもの」とかの懐かしのテレビテーマソングとかやってくれたら、号泣ものなんですけど・・・。

2017年3月12日日曜日

「松浦亜弥がカッコ良すぎる!~奇跡の香りダンス~」が奇跡的なことになっている

 YouTubeで「松浦亜弥」と入力して検索すると、「桃色片想い」や「めっちゃホリデー」のPVを差し置いて1番最初に出てくるのが、「松浦亜弥カバー曲集」です。もうかれこれ、3年近くこんな状態が続いています。カバー曲の再生リストがオリジナル曲のPVよりも上に出てくるってのが、ずっと複雑な心境だったんですけど、ついに逆転の可能性が出てきました。
 ふくちゃんさんが4年前にアップしてくださった「松浦亜弥がカッコ良すぎる!~奇跡の香りダンス・The美学~」が猛烈な勢いで再生されているようです。これって確か2008年のライブからのテイクですよね。でも、何で今頃「奇跡の香りダンス」と「The美学」なんでしょうか。とりあえず確認してみましょう。


 コメント数が凄いですね。お知らせメールとか設定していたら鳴りっぱなしになってそうです。

 コンサートツアー「AYA The Witch」は、松浦亜弥さん念願のフル生バンド構成のライブで、数あるコンサートDVDの中でもファンからの評価が高いライブです。僕的には、まだ22才だというのに、どうみても30才くらいに見える出で立ちが気に入らないんですけど、バンドを前面に出した格好いいライブであることは確かです。

 この動画もそんなバンドの格好良さを前面に出しているテイクだと思います。もう何回も見ていますので、最初の煽りのところから、梶やんのボケまで暗唱できるくらいなんですけど、今も見始めると、ついつい最後まで見てしまいます。
 楽曲の途中でのメンバー紹介って、バッチリ決まれば格好いいんですけど、スベると1曲無駄にしてしまいますから難しいんですよね。梶やんに3つふったのは、アドリブでしょうから、そこから加速していって菊ちゃんのギターソロにもってくところなんて秀逸です。オタさんも完璧にコールを合わせてくるし、こういったところって、一朝一夕にできるものではありませんからね。

 先ほど、最後まで見ちゃいますって書きましたけど、嘘をついてました。実は、The美学が始まるところで、お終いにしてしまうことも多いんです。けっしてThe美学がつまらないってことじゃなくって、ここまでで、松浦亜弥さんの格好良さは十分満喫できるってことなんです。ちょっと苦しいですね。

 歌手復帰の噂があります。
 ファンからすれば馬鹿馬鹿しい話かもしれませんけど、世間的には「元アイドル歌手が30才でカムバックしたときの復活ライブ」ってこんなイメージじゃないかって思うんですよ。マニアックライブの影響からか、松浦亜弥さんの歌を聴くときには、立っちゃダメとかペンライト振っちゃダメみたいなイメージがありますけど、そちらの方がレアなことですからね。
 とにかく、松浦亜弥さんの動画が盛んに再生されているというのは嬉しいことです。もし、松浦亜弥さんが歌手復帰したら、世間に松浦亜弥の素晴らしさを広めた功労者として、YouTubeに動画をアップした方々には、コンサートツアーの永久パスポートくらい出しても良いんじゃないでしょうか。

 このまま行くと、視聴回数200万回越えも時間の問題のようです。ってことは、「奇跡の香りダンス」と「The美学」のPVの合計よりも多くなるってことなんですけど、CDよりもライブの評価が高い松浦亜弥さんならではの現象と云えるでしょう。