2017年10月14日土曜日

「スローモーション」中森明菜feat.初音ミク

 「スローモーション」は、中森明菜のデビュー曲です。作詞・作曲は来生たかお、えつこの姉弟、編曲は船山基紀氏です。

 最近、この曲が注目されているみたいです。どうやら、 加納梨衣さんの「スローモーションをもう一度」というコミックが原因らしいです。80年代大好き高校生男女のラブ・コメディー漫画だそうです。心がホンワカするようなウルトラピュア・ラブストーリーだそうです。
 まるで「いちご白書をもう一度」みたいなネーミングですけど、80年代を代表する楽曲に、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」とかじゃなくって、あまり知られていない「スローモーション」を持ってきたところがポイントですね。同じ中森明菜さんでも、「少女Aをもう一度」じゃあ、更生に失敗した女の子の物語みたいですし、おニャン子の「セーラー服を脱がさないでをもう一度」はヘンに誤解される恐れがあります。ちなみに「セカンドラブをもう一度」だと、2+1=3回目、それとも(1+1)×2=4回目の恋のどっち・・・ってどうでもいいですね。

 中森明菜さんがブレイクしたのは二曲目の「少女A」からで、これがデビュー曲と思っていた人も多かったように思います。リアル80年代では「スローモーション」は、それほど知られた楽曲ではありませんでした。ですから「スローモーション」は、80年代を代表する曲とは云えませんが、来生作品ってこともあって、80年代っぽい楽曲ではあります。

 当時、中森明菜ファンであった僕は、デビュー曲「スローモーション」と、ファーストアルバム一曲目の「あなたのポートレート」、この2つの来生作品が大好きでした。

 デビュー曲「スローモーション」は、二ヶ月後にリリースされたファーストアルバムの先行シングルカットという扱いだったそうです。しかも、海外レコーディング。アイドル系の歌手は、シングル版がメインで、ある程度曲がたまるとアルバムにまとめるみたいな感じでしたけど、このようにアルバムが中心ですよっていう形式をとっているのは、中森明菜をアルバムアーティスト系アイドル歌手として売り出そうとしていたからに他なりません。こういう子たちは、年間に何十曲ってレコーディングしたので、覚えるだけでも大変だったみたいです。でも、たくさん売りたければ、たくさん曲を出すってのは、コストはかかるでしょうが正攻法この上ないやり方です。後の世の、握手券を付けるとか、特典○○を付けるみたいなやりかたが、いかに音楽文化を破壊していったかということですね。

 で、中森明菜さんのYouTube動画って短命なんですけど、次々とアップされてくるんですよね。デビューから35年ですけど、今も熱いファンがたくさんいるということでしょう。


 ビックバンドの生伴奏、スクールメイツのお嬢さん、有線マイク、どれも古き良き昭和です。マイクを右手で持って、コードを弛ませて左手で持つ。昔は、アイドルだって、演歌歌手だって、みんなこうやって歌ったんですよ。
 そういえば、松浦亜弥さんも有線マイクを持って歌うときは、左右の違いはありますけど、ちゃんとこうやって持っていましたね。事務所の先輩の演歌歌手にでも教わったんでしょうか。

 しかし、これで16歳ですからね、デビュー曲ですからね。この20年後に松浦亜弥さんがデビューして、16歳の時に「めっっちゃほりでーーーー」とか歌っていたわけですから、アイドルも時代とともに随分変わっていったってことが分かります。
 今じゃあ、16歳の女の子が、ソロで生歌を生放送で披露するなんて、考えられなくなってしまいました。


 伴奏は、バンドマスターが自らのバンドに合わせて編曲していたので、ちょっとずつ異なるんですよね。あと、番組の進行が押してきて、マキが入ると、やたらテンポが早くなったりします。でも、出だしを間違えたりすると、さりげなくフォローなんてのもありました。 
 アイドルと云えど、歌番組では、真剣勝負の時代だったと思います。

 初音ミクカバーは、「のつP」さんの作品になります。「のつP」さんは、最近、精力的に投稿をされているボカロPさんです。僕の望んでいる曲を知っているんじゃないかってくらい、涙ものの作品を投稿してくれます。
 そういえば、初音ミクも16歳でした。


 キターッって感じでしょうか。中森明菜のボーカロイドカバーというのは、今までもいくつかあったんですけど、なかなか満足な作品に巡り会えなかったんですよ。
 歌っているときの息づかいなども伝わってきて、初音ミクの歌唱力も、ようやくここまで来たかって感じです。久しぶりに、初音ミクが人間で無いことを淋しく思いました。今回「スローモーション」の記事を投稿しようって気になったのも、このカバー作品があればこそです。
 
 できれば、インカムでなくって、有線マイクで歌わせて欲しかったところですけど、だったら、お前が作れってことになっても困りますから、今日はここまでにしておきます。

2017年10月9日月曜日

Wink(ウィンク)がTwinkle(光り輝く)した瞬間 ~解散のための復帰に思う~

 国民的女性アイドルユニットを並べると次のようになるそうです。

「キャンディーズ」「ピンクレディー」「おニャン子クラブ」「Wink」「SPEED」「モーニング娘。」「AKB48」・・・

 まあ、「おニャン子」が国民的かどうかは、若干の検討の余地を感じますが、各ユニットが被ること無く一列に並んでいます。
  国民的と云うからには、老若男女問わず支持されていたわけですが、それぞれメインターゲットといえるファン層を持っていたと思います。
 例えば「キャンディーズ」は男子大学生。「ピンクレディー」を支えていたのは小さな女の子。「おニャン子クラブ」は元祖ヲタクな男子高校生。「SPEED」は同年代の女子中学生と云ったところでしょうか。
 で、「Wink」は、女子高校生や若いOLと云われています。お人形のような素敵なお洋服に、ヲタクコールが入る隙の無い洋楽カバー。従来のアイドルに無いスタイルが、同年代の同性から支持されていたようです。

 Winkの楽曲群から感じるのは、選曲のセンスの良さです。それから、(原曲と聞き比べて分かったんですけど)ちゃんとWinkの曲として昇華しているんですよね。これに関しては、訳詞を担当した及川眠子さんや編曲の船山基紀氏の功績が大きいと思います。

 では、膨大なYouTube動画から、特に鈴木早智子さんが可愛いく歌っているテイクを、厳選して貼り付けさせていただきます。
 しかし、歌番組に出演する度に衣装を変えてくるだけでも凄いんですけど、どれも可愛く着こなしていて、まあ、こういうところも女性に人気があった理由の1つなんでしょう。

 まずは、3枚目のシングル「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」です。


 相田翔子さんの方が少し歌唱力があるので、歌割りは多め、鈴木早智子さんの方がダンスのスキルが少し高かったので、振りがちょびっと難しめになっています。
 タレントとしてのインパクトは、相田さんの方があったように思います。天然ボケキャラが売りの相田さんですが、当初から、ちょっと不思議な雰囲気を持っていましたね。相田翔子さんは、何度か歌手デビューの話があったそうですが、「早智子と二人だったらできそうな気がした」と語っています。
 早智子さんは、歌っているときの表情が良いですし、リズムのとりかたも可愛いくって、まあ、普通に素敵なタレントさんに思います。

 4枚目のシングル「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」です。ユーゴスラビアの音楽ユニット「ムーラン・ルージュ」の「Boys Don't Cry」のカバーだそうですよ。


 会場が一緒に歌っているんですけど、女の子たちなんですよね。ここまで黄色い声援が飛ぶ女性アイドルというのも記憶にありません。
 Winkは、もともとアイドル路線のタレントとしてデビューしたのでは無いと云われています。そのことが、かえって斬新なアイドルとしてブレイクすることになるわけですから、世の中、何がウケるか分かりません。
 彼女たちが、いわゆるアイドルのように歌いながら笑わないのは、歌の世界観に笑顔が必要なかっただけのことで、この「涙を見せないで」みたいなテイクでは、ちゃんと笑顔を見せてくれてます。
 そして、この時の、鈴木早智子さんは、最高に可愛いと思います。笑わなくても十分可愛いのですが、笑うとさらに可愛いです。
 
 5枚目のシングル「淋しい熱帯魚」です。これは洋楽カバーではありませんが、作詞が及川眠子さん、編曲が船山基紀氏と同じコンビですから、同一線上にあるような感じで、他の曲との違和感もありません。


 紅白出場時のテイクのようです。1989年においてワイド画面なのは、アナログハイビジョンの試験放送だからだそうです。30年近く前のテレビ映像が超高画質で鑑賞できるのは、この映像を高画質で録画してくれたファンがいたからこそで、貴重な動画と云えます。
 
 6枚目のシングル「One Night in Heaven~真夜中のエンジェル~」です。作詞:松本隆、作曲: スティーブ・リローニ、ダン・ナヴァーロ、編曲:船山基紀とありました。訳詞でなく作詞なんですよね。カバー曲かと思われがちですが、オリジナルなんだそうです。


 この歌の世界観。Winkの完成形と云われている楽曲ですね。
 
 以上4曲が、彼女たちの絶頂期の楽曲でしょうか。ファンの語るところでは、活動後期にも名曲と云うべき楽曲があるとのことですが、世間に知られているとなると、この4曲と次の「Sexy Music」までだと思います。「Sexy Music」は、「ノーランズ」のカバーで、「愛が、止まらない」の二匹目のドジョウ的な楽曲です。勢いのままにオリコン1位をとりますけど、イマイチ感は否定できません。「愛が、止まらない」の時は、明らかに原曲以上の魅力がありましたからね。

 Wink(ウインク)と云うユニット名は「キラキラ輝く」を意味するTwinkle(トゥインクル)からきていると云います。
 小さな事務所で、大きな後ろ盾もなくデビューした彼女たち。新曲のイベントをうっても、観客が1人2人ということもあって、二人並んで楽屋の壁を見つめながら、「もうやめようか」と話し合ったそうです。事務所が抱えていた借金は、すでに4,000万円を超えていて、個人経営の事務所にとっては限界にきていました。
 そんな時に、3枚目のシングルが突然のヒット。ザ・ベストテンの「今週のスポットライト」のコーナーに呼ばれたときは、スタイルストも付いていなかったといいます。
 そこからブレイクして、1年後にはレコード大賞を取ってしまうのですからね。賞取りレースは、事務所の力次第と揶揄されていた頃です(今でも?)。1989年のWinkは、文字通り「光り輝いて」いました。受賞には、レコード大賞は、その年に最も輝いていた歌手と楽曲に与えられるべきという、選考委員会の意地があったと云われています。

 急にブレイクしたことについては、かなりの戸惑いもあったようで、早智子さんは、次のように語っていました。
 「私も翔子も人見知りだし、レコーディングとライブ以外の仕事は正直いって苦手でした。気持ち的にもいっぱいいっぱいで、「いずれは人気が落ちて、人も周りからいなくなるんだろうな」なんて考えて、勝手に23歳で引退しようって思っていた時期もあったくらいです。」

 1996年の活動停止については、相田さんの移籍が理由とされています。落ち目になった東芝(事務所)が半導体部門(相田翔子)を売り渡したってところでしょうか。
 彼女たちは、売れなくなっても、ソロの仕事が中心になっても、Winkを解散する気持ちは無かったようですが、現実は厳しかったみたいです。結局、Winkは、解散する機会すら与えてもらえませんでした。
 しかし、このことによって、相田翔子さんは残りましたし、残ったからこそ、復帰話も現実味を帯びていると云えます。

 Winkの活動停止後の二人の対照的な芸能活動については、様々なところで、「勝ち組」「負け組」として語られています。鈴木早智子さんの「ASAYAN」でのヤラセ演出、過激な写真集、アダルトDVDなどについて、悪い大人に欺されたみたいな言い訳が通用するとも思えませんが、その後の、薬への依存、不倫騒動、金銭トラブルと、絵に描いたような転落人生を考えると、他人事ながら、やるせない気持ちになります。
 僕が、絶頂期の鈴木早智子さんに惹かれるのも、その後の彼女を知ってしまったからかもしれません。でも、決して、同情なんかじゃないんですよ。

「止まったままの時計を動かし、けじめをつけて終わりたい。」

 これが、今回の復帰報道の根底にある想いのようです。ただ、復帰には乗り越えるべき困難がたくさんあるみたいです。Winkを続ける想いが叶えられなかったように、Winkをやめる想いも、また、叶えられないまま終わってしまうのでしょうか。

2017年10月2日月曜日

Wink(ウィンク)「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」~美空ひばりを追い落とした伝説のアイドルユニット~

 Wink。

   来年は、デビュー30周年だそうで、22年振りの活動再開か、なんて云う噂が出ています。ライブだけでなく新曲も、という話もあるようです。報道によると、「けじめのため」だそうですから、ファンにさよならを言うために復活するってことでしょうか。

 YouTubeには、Winkの動画がたくさんアップされています。多くは、テレビの歌番組の録画ですが、ファンの方々の熱い想いが伝わってきます。VHSテープって、保存しておくだけでも大変でしょうからね。

 数あるテイクの中から、まずはこちらを。


 ザ・ベストテンですね。MCが酷いんですけど、画質がズバ抜けて綺麗なものですから、セレクトさせていただきました。

 Winkのデビューは、比較的遅くって、相田翔子さんが高校を卒業してからだそうです。鈴木早智子さんは1つ年上ですから、このときは、18歳と19歳ということになります。
 で、鈴木早智子さんって、こんなにも可愛かったんですね。びっくりしました。何より歌う表情が良いです。可愛さの中にも、儚さとか、艶めかしさを感じました。ファンにならなかったことを後悔しておりますw

 「Turn It Into Love」は、カイリー・ミノーグのデビュー・アルバム「ラッキー・ラヴ」に収録されていた楽曲です。カバー曲「愛が止まらない」は、Winkにとって3枚目のシングルで、最大のヒット曲になりました。カイリーもアイドル的な扱いでしたけど、Winkの2人とカイリーって同年代だったんですね。

 2つめは、ライブ動画。ファースト・ライブとのことですよ。


 生バンドライブですね。良い時代です。

 Winkのテイクって、同じ歌でも、いろんな衣装があるんですよね。ゴスロリって云うんでしょうか。どれも手が込んでて、お金かけていて、如何にもバブルって感じです。あと、特徴と云えば、振り付けが、二人で違っているところです。

 この曲に限らずWinkは、洋楽のカバーを歌うことが多かったんで、何となく軽く扱われていた覚えがあります。「淋しい熱帯魚」は、待ってましたって感じで、デビュー二年目ながら、レコード大賞受賞となるのですが、このときに賞を争ったのが、美空ひばりの「川の流れのように」だったと云うんですから、またもや驚きです。故人とはいえ、偉大なる歌手を押しのけての受賞ですからね。80年代は松田聖子に始まりWinkに終わると語られる所以です。

 洋楽カバーが中心だったWinkは、当初、レコード大賞とは無縁の存在と思われていました。しかし、ヒット曲を連発する彼女たちを無視するわけにもいかず、という流れでのノミネートであったと云われています。
 美空ひばりさんは、この年の6月に亡くなっています。故人が大賞を受賞するというのは、前例のないことでしたが、それを承知でノミネートしてるわけで、これで取れないとなれば「美空ひばり」に恥をかかせることになります。ですから、受賞は美空ひばりでほぼ決定、と思われていました。
 この年のWinkの大賞受賞は、その選考方法だけでなく、レコード大賞のありかたそのものが問われる大事件であったと云われています。
 
 「淋しい熱帯魚」は、売り上げこそ「愛が止まらない」に及びませんが、大賞受賞曲ですし、洋楽カバーでもありませんから、懐かしのメロディーなどでは、こちらの方が紹介されることが多いみたいです。

 レコード大賞のテイクです。これも高画質ですね。


 最後まで歌い切っちゃいましたね。Winkは笑わないアイドルと云われてましたけど、泣かないアイドルでもあったみたいです。
 あと、鈴木早智子さん、ホントに可愛いんですけど、中森明菜入ってませんか?
 
 デビューから8年でWinkは活動を休止。それぞれ事務所も変わって、ソロの活動を始めます。

 相田翔子さんの現在の事務所って、アップフロントだったんですね。相田さんは、今月の22日に、作詞作曲も手がけたソロアルバムの発表を受けて、ソロコンサートを開くそうです。(会場はもちろん、コットンクラブ)音楽活動の他にも、CMもありますし、司会、バラエティー、映画にも出演していて、芸能活動は順調のようです。
 早智子さんは、アダルト向けのDVDを発売して予約が20万枚なんて出ていましたけど、スキャンダルとか、金銭トラブルとか、いい話がありません。

 2人は、今も仲が良いみたいで、ラインで連絡を取り合ったりしているそうです。Winkの再結成についても、早智子さんの現状を憂う翔子さんから出てきた話と云われていますが、事務所にしてみれば、大きなリスクを負うわけで、再結成報道の後に、否定こそしないものの、慎重なコメントが出てくるのも致し方ないかと思います。
 
 お終いに、それぞれのソロテイクを貼り付けさせていただきます。


 この時、30歳くらいでしょうか。大人の歌が似合っていく素敵な時期を、無為に過ごしてしまったことが残念でなりません。


 1989年は、まさにWinkの年でした。しかし、Winkの紅白出場は、この年の1回だけ。この後も、コンスタントに音楽活動は続けていきますが、しだいに低迷していきます。そして、1996年に活動を休止。8年間でのシングル25曲、アルバム26枚とありました。

Winkは解散したわけでは無い。だからこそ、もう一度ステージに立って、けじめをつけたい。
さよならを云うための再結成。
そして、あまりにも対照的な2人の現状。

 今夜放送された「歌のゴールデンヒット」で、司会を務めていた相田さんですが、堺氏から再結成の話をふられたときも、言葉を濁していましたね。レコード大賞受賞時のVTRが流れてきたとき、涙を浮かべていたように見えたのは、気のせいでしょうか。

2017年9月30日土曜日

駿河湾の鯵と「えびす丸」の遭難

 静岡県東部に沼津という街がある。長らく県東部地区の商都として栄えてきたが、最近は元気が無い。駅前のデパートは、居酒屋が入居する雑居ビルになってしまったし、商店街はシャッターが目立つ。そんな沼津市で唯一賑わっているところが、沼津港の周辺だ。海産物を売る店や、海鮮料理屋が並んでいて、観光バスが次々とやってくる。お目当ては「アジの干物」「生シラス」「生桜エビ」といったところだろうか。観光地価格でボッタくらないのが人気の理由らしい。
 沼津という地名は、狩野川河口の「沼沢地にある湊」という意味だから、港周辺が栄えるのは、古の姿に戻ったようで面白い。
 沼津の港には、西伊豆で捕れた豊富で多様な海産物が集まり、周辺には加工場が多く作られた。とくに「鰺の干物」の生産量は、現在まで不動の全国一位である。干物の材料のアジは、今では外国産や養殖物になってしまったが、干物業者が云うには、材料がどこであっても、沼津で干物に加工しているのだから立派な国産品だそうだし、養殖業者が云うには、駿河湾の鰺の養殖技術は抜群で、味も安全性も天然物を超えているそうだ。


 僕は、伊豆半島のとある漁村で生まれ、僕の祖父は漁師だった。僕が言葉を覚え始めた頃、家には魚の図鑑があって、魚を見ると「オトト」「オトト」と言っていたらしい。どの魚を指しても全て「オトト」というので、家族は、「これは?」「これは?」と、面白がって聞いていたが、あるとき、突然「アジ」と言ったそうである。駿河湾でアジがたくさん捕れていた時代の話である。

 当時、駿河湾のアジは、巻き網で捕っていた。巻き網漁は、2隻の網船でイワシやアジの群れを囲い込んで捕る漁法である。今では、どんな小さな漁船だってエンジンくらい付いているだろうが、当時の網船は大型の伝馬船でエンジンは無く、漁場まではエンジン付きの漁船に曳航されていたそうである。
 漁は夜間におこなわれた。漁師たちは、夕方になると弁当を持って出かけ、夜が明けると帰ってきた。納戸という部屋が家の奥にあって、昼間はそこで寝ていた。僕らが、家の近くで大騒ぎして遊んでいると、「寝ているから静かにしろ」って、近所のおばさんに叱られたものである。
 月夜の晩は、漁は休みであった。それから、風が強かったり、波が高かったりする日も漁を休んでいた。村の爺さんたちは、ベンチに座って海をよく見ていた。「今日はニシ(西風)が強い」とか「今日はナライ(東風)だ」とか、風の話が挨拶代わりだった。
 だから、なんだかんだで、漁に出ない日も多かった。近隣の村では、大型の漁船を使って遠く太平洋まで出かけていったり、多少の荒波でも漁に出ていたので、「うちの村の漁師は怠け者だ」なんて揶揄する者もいたが、使っている船が船だからってこともあるし、資源保護の意味合いもあったように思う。
 漁に出ない日は、網の修繕などをしていた。仕事で縫い物をしていたので、漁師はみんな裁縫が得意だったそうだ。でも、休みの日のほとんどは、酒を飲んでいたように思う。昼間っから酔っ払いが歩いているなんてのは、漁村ならではの光景だろう。

 祖父は、自分の船を持たず、網元が運用する巻き網船にのっていた。船の名前は「えびす丸」、いわゆる雇われ漁師だった。あるとき、祖父たちの漁船が操船を誤って座礁し、乗っていた伝馬船が転覆するという事故が起こった。夜の9時頃、漁場に向かう途中のことだったらしい。漁師たちは、伝馬船(網船)の上で仮眠をしていて、夜の海に投げ出された。が、海に落ちたといっても、漁師である。夏だったし、海が荒れていたわけでもなかった。
 ところが、転覆した伝馬船には、大量の漁網が積んであった。漁師たちは、網と一緒に海に落ち、このことが、事故を大きくした。

 その夜、僕は、異様な雰囲気を感じて目が覚めた。寝床から這い出すと、縁側で母と祖母が、誰かと話し込んでいた。近づいて話しかけようとしたら、「お前はあっちに行ってろ」みたいなことを言われたのを覚えている。
 事故は、南伊豆町の妻良沖で起きた。妻良の漁協から村の漁協に事故の状況を伝える連絡が続々と入ってくる。漁協に届いた連絡は、口伝いで村の人たちに広がっていった。
 父は、消防団員として、妻良に向かって出て行った。今は、車で飛ばせば1時間もかからない所だが、当時は、未舗装の曲がりくねった山道しかなかった。

 翌朝、僕は幼稚園に行くために玄関にいた。すると、祖母に連れられた祖父が、浜の方から歩いて来るのが見えた。仲間の船に乗せられて帰ってきたのだろう。祖父は裸足であったが、新しい上下の服を着ていたそうだから、妻良の人たちに着せてもらったものかもしれない。
 祖父は、玄関先に立っている僕を見つけると、僕の名前を呼び、抱きついてきた。祖父が泣いていたのを覚えている。僕は、ようやく、大変なことが起こっていたのだと分かった。

 村では、5件の葬式が出た。

 事故の状況について、「滅多なことを云うもんじゃ無い」と、祖父は家族に釘を刺していたらしい。狭い村だ。濃くて複雑な人間関係の中で暮らしていたから、不用意な発言が、どこにどう伝わっていくか分からなかった。
 妻良の人たちには、いろいろと世話になったと聞いた。救助されて最初に与えられたのは、お湯で、次に重湯が出てきたという。

 祖父は、その後も漁師を続けていたが、次第に駿河湾のアジの漁獲量は減少していった。簡単に云ってしまえば資源の枯渇だろうが、年寄りの話だと、もっと昔はアジなど捕れなかったそうだから、アジが捕れたのも、捕れなくなったのも、自然界の大きな変動の1つに過ぎないのかもしれない。

 
 「えびす丸海難事故」についての僕の記憶は、縁側で話し込んでいた祖母たちの姿と、祖父に抱きつかれたことである。これらは、僕が辿ることのできる最も古い記憶の1つだ。
 そして、この記事を書きながら気づいたことであるが、あの時、涙を流して僕に抱きついてきた祖父は、今の僕と同い年である。 

2017年9月24日日曜日

「スカボローフェア」サイモン&ガーファンクルfeat.巡音ルカ

 サイモン&ガーファンクルと云えば、映画「卒業」ですよね。ダスティン・ホフマンが主演し、1968年に封切りされたこの映画は、感動の(?)ラストシーンと全編に流れるポール・サイモンの楽曲で、青春映画の最高峰とされています。
 映画で流れてくる楽曲は、「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「4月になれば彼女は」「プレジャー・マシーン」そして、この映画のために作られたと云う新曲「ミセス・ロビンソン」です。
 
 有名な映画なので、テレビの映画劇場でも放送されましたし、それを見た覚えもあますが、ナンと、僕は、この映画を劇場で見ているんです。

 中学校を卒業した春休みのことでした。義務教育の間はクラス替えがあるにしても、皆、同じ学校に通っていたわけで、それが高校進学では、別々の学校に進むことになります。そんな卒業式と入学式の間というのは、何とも云えない「おセンチ」な気分ですよね。そんな時に、隣町の映画館に「卒業」がやってきたんです。卒業の季節なんで、ウケるだろうってことで、何年振りかで再上映したんだと思います。
 もちろん、サイモン&ガーファンクルにハマっていた僕らは、喜んで見に行きました。男子と女子、それぞれ4人ぐらいのグループだったと思います。1対1じゃ付き合えない、典型的な中学生のグループ交際でした。まだマクドナルドなんて無い時代でしたから、中学生でも入れそうなカレースタンドで昼飯を食べて、それから・・・忘れてしまいました。

 肝心の映画の内容は、ほとんど理解できてなかったと思います。しばらくしてテレビで放映されたのを見てやっと分かったってところでしょうか。って云うか、ウブな田舎の中学生ですからね。彼女の母親と何であんなことになるのか理解不能なのも当然です。でも、何となく羨ましいなあ、なんて心の底では憧れましたが・・・。
 花嫁を奪ってしまうという、有名なラストシーンは、感動するもなにも「こんなことになって大丈夫なの?」って、不安な気分が先立ってしまい、僕的には後味の悪い作品でしたw

 音楽は、分かりましたよ。あっ「サウンド・オブ・サイレンス」だとか、「スカボローフェア」だとか。当時は、知っている音楽が流れてきただけで、嬉しかったんですけど、今思うと、とってつけたような感じに思います。もともと、既存の楽曲を当てはめたわけですから、歌詞の内容が、映画の中身とリンクしている訳でもないし。主題歌はともかく、歌詞付きの音楽がサウンドトラックというのは、映画的には、どういうものなんでしょうか。

 映画にも使われていた「四月になれば、彼女は」です。僕は、この楽曲に憧れて、ついにピアノでスリーフィンガーが演奏できるようになったんですよ。


 今回貼り付けさせていただくボカロカバーは、「スカボロフェア」になります。この曲は、世界中でホントにたくさんのボーカロイド作品が発表されています。他の楽曲と桁が違います。唄わせやすいとか、挑戦させたくなるとか、様々な理由があると思いますけど、優れたカバー作品が、新たなカバー作品を誘発するってこともあったかと思います。伴奏のMIDI音源が公開されたりすれば、カバー作品作成の敷居も少し下がるでしょうし。
 で、たくさんの作品からセレクトさせてただいたのが、こちらになります。


 S&Gファンの方でなくともご存じかと思いますが、「スカボローフェア」は、正確に云うと、彼らの楽曲ではありません。映画で使われていた「スカボローフェア」は、イギリスで古くから歌われていた作者不詳の伝統的バラッド「Scarborough Fair」に、彼ら創作の歌詞(反戦歌)とメロディーを被せたものを「スカボローフェア/詠唱」として1966年に発表したものになります。「Scarborough Fair」は、400年近く前には原詞が存在していたことが確認できるそうですから、ものすごい古謡になります。
 オリジナルの部分と、加えられた部分、ともに意味深な歌詞の解釈は、僕の手に負えるものではありませんが、単純に1つの楽曲、歌詞の意味もよく分からない洋楽の1つとして聴いた場合、この詠唱の部分があればこその名曲に思いますし、このデュオこそがサイモン&ガーファンクルの真骨頂に思います。

 ボカロカバーにも、詠唱の部分の付いている作品と付いていない作品があります。同じ、又は異なる2体のボーカロイドに歌わせた場合、最も難しいのが2つの旋律のバランスだと思います。ポール・サイモンとアート・ガーファンクルだったら、阿吽の呼吸ってところでしょうけど、機械はそういうわけにはいきませんからね。

 ところが、YouTubeにアップされている彼らのライブ動画の「スカボローフェア」は、詠唱タイプのものではありません。確かに、主旋律でハモった場合、3人いないと歌えないんですが、何故、詠唱の部分の方をカットするのでしょうか。あからさまな反戦歌としての部分が敬遠されたのでしょうか。この辺の事情は、S&Gファンの方々に御教授いただきたいところです。

 そういえば、中学生の時「スカボローフェア」と云ったら、「違う!スカボローフェア/詠唱だ。」って、偉そうに言い返されたことを思い出しました。でも、今は、そんなウンチクを云う奴はいないんじゃないでしょうか。カバー作品を投稿しているボカロPさんも、それほど意識して無いように感じますし、詠唱の部分は、単なるバックコーラスであって、有っても無くても、という扱いになった感すらあります。

 イングランドの伝統的バラッド「Scarborough Fair」は、サイモン&ガーファンクルによって、「スカボローフェア/詠唱」として、世界中に広まり、スタンダードになるにつれ「スカボローフェア」に戻っていった。

 と、巧いこと云ったつもりになったところで、お終いは「スカボローフェア/【詠唱】」です。映画の名場面集とともにサウンドトラック盤で。

2017年9月23日土曜日

「明日に架ける橋」サイモン&ガーファンクルfeat.巡音ルカ

 サイモン&ガーファンクルに出会ったのは、中学生の時だった。もちろん「サウンド・オブ・サイレンス」とか「コンドルは飛んでいく」などは、もっと前から聞いていたと思うが、これらの作品が、彼らの楽曲であることを認識したのが、その頃ということである。

 僕も、当時の中学生が、皆そうであったように、ギターにハマり、「ビートルズ」にハマり、「NSP」や「かぐや姫」にハマっていたから、当然「サイモン&ガーファンクル」にもハマることになった。ただ、ギター仲間が集まってコピーしようにも、彼らの楽曲は、とても中学生の手に負えるような代物では無かった。僕らにとって、サイモン&ガーファンクルは、演奏するもので無くって、聴くものだった。

 僕は、「グレーテスト・ヒッツ」というベストアルバムを借りてきて、カセットテープにダビングして聴きまくっていた。さらに歌集を買ってきて、なんとか伴奏ができないものかと、オルガンを弾きまくった。おかげで、完全に自己流ながら、ピアノでスリーフィンガーができるようになった。
 「明日に架ける橋」も、ギターコードを頼りに耳コピでピアノ伴奏に挑戦した。他の曲に比べれば、コピーしやすい方だったと思う。もちろん、人に聴かせられるレベルでは無かったけど。
 
 僕が中学生の時には、彼らはすでに解散していた。当時、僕が知っている楽曲は20曲あまりだったと思う。彼らには、僕の知らない名曲がまだまだあるものだと勝手に思っていた。彼らの活動期間が、わずか6年間だったということを知ったのは、すっと後のことだった。彼らがリリースしたアルバムは、数枚しかないそうだから、おもだった曲は大体知っていたことになる。
 
 それらの楽曲群の中で、「明日に架ける橋」が異質であったのは、子どもだった僕にも分かった。まとわりつくようなデュオでなかったし、ピアノ伴奏だったし。
 
 S&Gファンに云わせると、「明日に架ける橋は、良い曲なんだけど、好きな曲では無いかな」ってところだろう。この曲が、サイモン&ガーファンクルの代表曲とされることには異論も多いと思う。
 確かに、サイモン&ガーファンクルがやらなくても、って感じはある。でも、ポール・サイモンが作ったことには違いないし、彼はこの曲ができたとき、生涯最大の傑作だと、周囲に語っていたらしい。

 ウィキペディアによると、この曲は、ポール・サイモンがゴスペルに影響を受けて作った曲なんだそうだ。Gのキーで作曲され、ポールはファルセットで歌うつもりだったらしいが、うまくいかなかったので、キーをE♭に下げて、アート・ガーファンクルが歌うことになったとのことだ。


 この曲が作られたのは、二人の関係が危機的状態に陥っていた頃だった。

 全く同じ頃に、ポール・マッカートニーも「レット・イット・ビー」を出している。この2つの楽曲は対比されることが多い。ピアノ伴奏だし、ゴスペルの影響を受けているし、グループ解散の危機の時期だったし。名曲とは、悩み苦しんだときに生み出されるもの、と云うことだろうか。
 ただ、ポール・マッカートニーが、「Let It Be」と、全てを悟り、放り投げてしまったのに対して、ポール・サイモンは、「Like a bridge over troubled water」と、もがき続けた。

 1970年、アルバム「明日に架ける橋」を最後に、サイモン&ガーファンクルは解散してしまう。

 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは、完全に決別したわけではなくって、その後も、二人でステージに何度か立っている。復活ステージのライブ動画も、YouTubeにはたくさんアップされている。
 でも、「明日に架ける橋」を歌うときは、何となく、しっくりきていない感がある。ヒット曲だから歌わないわけにはいかないし、仕方なく・・・、って感じだ。
 最大ヒット曲が、最も「らしくない曲」って云うのは、あることかもしれないが、ここまであからさまなのも珍しい。

 「明日に架ける橋」は、プレスリーをはじめ、多くのアーティストにカバーされることになる。普通、カバー曲っていうのは、「やっぱり本家には敵わない」ってことになるものだが、この曲に限れば、誰が歌っても、それなりに似合っている。「レット・イット・ビー」が、誰がどうカバーしても、ビートルズの楽曲でしか有り得ないのと対照的である。
 特に、反アパルトヘイトの象徴歌となった、ソウル歌手「アレサ・フランクリン」のゴスペルカバーは有名で、南アフリカでは現在も学校や教会で歌い継がれているとのことだ。ところが、この曲がポール・サイモンによるものであることを、ほとんどの南アフリカの人は知らないらしい。名曲とはそういうものなのかもしれない。

 「明日に架ける橋」は、サイモン&ガーファンクルの代表曲とすることに異論があるにしても、ポール・サイモンが生み出した名曲であるのは確かだ。

 で、いくつかあるボーカロイドカバーで、貼り付けさせていただくのは、この作品。かなり初期の作品なのだが、ボカロが最も盛んだった頃の作品には優れたものが多い。バージョンアップを重ねた最新型のボーカロイドも、当時のボカロPさんの熱意には敵わないというのだろう。


 サイモン&ガーファンクルについて語っておきながら、「明日に架ける橋」だけでお終いというのもナンですけど、今日のところは、ここまでです。

2017年9月18日月曜日

松浦亜弥さん移籍について、アップフロントの神対応が話題になってる!?

 とにかく、めでたい。ありがたい。
 何がありがたいかって、ブログのネタを提供してくれたことです。
  ここんところ、このブログって何なんだか、自分でも分からなくなってましたからね。

 何の活動もしてないのに、移籍話がネットニュースになるんですから、松浦亜弥さんもまだまだ捨てたもんじゃ有りません。
 自慢になりますけど、「松浦亜弥さんが活動を再開するとすれば、それは慶太氏の後押しがあったとき。」って、今年の3月に書いた通りになりつつありますしね。

 ただ、ネットニュースに対するコメントの多くが、松浦亜弥さんの活動再開についてでなく、事務所の対応についてなんですよ。どうも、そっちに注目がいっちゃってるみたいです。

 アップフロントのホームページによると、

 【・・(略)・・・この度の契約期間満了に伴い今後の活動に関して本人と話し合った結果、弊社との専属マネージメント契約を円満に終了する結論へと至りました。】

 と、あります。自ら「円満に」って言っちゃうところが面白いですね。で、この後、「長い間、応援ありがとうございました。」で終わっていいのに、何故か続きがあるんですよ。

 【松浦は、今後は夫である橘慶太氏の個人事務所に籍を移しますが、本人に関する問い合わせ等は、しばらくの間、弊社にて対応させていただきます。】

 「夫である橘慶太氏の個人事務所」って、やめたタレントがどこに行こうが関係ない話だと思うんですけど、しかも、「夫である橘慶太氏」ってわざわざ云うんですから。さらに、9月15日付けで契約満了なのに、「しばらくの間、弊社にて対応」するんだそうです。

 そして、結びの言葉が、

 【今後とも松浦亜弥へ皆様のお引き立てのほど、宜しくお願い申し上げます。】

 円満移籍と云われる所以ですね。このコメントが、今時珍しいと話題になって、アップフロントの好感度が上昇しています。解雇されても仕方ないくらい何もしてませんでしたからね。

 アップフロントに在籍したままでは、松浦亜弥さんの活動を慶太氏がプロデュースするのは、無理な話だったのでしょう。ただ、文面から判断すると、アップフロントは完全に縁を切ったわけでも無いように思えます。
 何としても夫のプロデュースを受けたい松浦亜弥さんと、活動を再開させ影響力を残したいアップフロント、その妥協点が「個人」事務所への移籍だったのではないでしょうか。松浦亜弥さんが「独立」でも良かったように思いますが、「夫の事務所に移籍」にしたのは、今後の活動への強い想いからかもしれません。

 アップフロントが「円満」を強調しているってことが何よりです。個人事務所では、ライブ1つ開くのも、いろいろと苦労があると思いますが、コットンクラブとか、使わせてもらえるかもしれませんし。

 とは云っても、厳しいことは確かだと思います。それなりの覚悟が無くてはできない決断だったはずです。悠々自適に暮らしていくんだったら、面倒見の良いアップフロントにずーーーっと在籍していれば良かったんですからね。
 こうなったからには、「何も無いということだけは無い」のは確かなことかと思います。

 まあ、あまり期待しすぎるのも、後が辛いですから、このくらいにしておきます。「解雇」だと格好悪いから「移籍」にしただけかもしれないし・・・・。

2017年9月10日日曜日

竹内まりや「SEPTEMBER」feat.初音ミク

 たまには、季節感のある投稿をということで。

「SEPTEMBER」は、竹内まりやさんの3枚目のシングルで、大ヒット曲「不思議なピーチパイ」の1つ前の楽曲になります。作詞:松本隆、作曲:林哲司という当時の最強コンビ。オリコンチャートは、最高39位ながら、セールスは10万枚越えだそうですから、ロングヒット曲だったんですね。1979年リリースですから、もう40年近く前になります。

 竹内まりやさんの楽曲は、カバーがとても多いんですけど、この楽曲も、たくさんの歌手がカバーしています。その中の1つ、「原田知世」ちゃんのテイクです。


 良いですねえ。フルコーラスで聴きたければ、CDを買いなさいってことですね。

 デビューした時、竹内まりやさんは、すでに立派な大人だったのですが、アイドル歌手的な扱いをされ、かなりご不満だったようですね。その後、山下達郎氏と結婚をして、テレビには出なくなっていったように思います。
 失礼な話ですけど、僕は、一発屋のアイドルが結婚して引退したみたいに思っていたものですから、「元気を出して」が出てきた時は「へえ~作曲とかするんだ」ってびっくりしたことを覚えています。


   いかがですか。なかなか可愛いテイクだと思います。

 気になる点をあげるとすると、英語の発音の部分でしょうか。「セプテンバー」の「プ」が強く発音されているのが気になります。「セッテンバー」って歌わせて欲しかったところです。もう1つは、「グッバイ」の「イ」ですかね。ここも「グッバー」で良いかと・・・、だったらオマエが作れと言われそうですから、このくらいで。

2017年9月6日水曜日

「マイカルミライ2017」で、鏡音リンのコスプレしてる女の子が、喫煙コーナーで煙草吸ってたのがシュール過ぎ!!

 鏡音リンは、永遠の15歳ですから、明らかに補導の対象となるはずです。

 とはいえ、ライブでリンちゃんが出てくると盛り上がります。今日は、14曲目に演奏された「ココロ」から貼り付けさせていただきます。


 今回のマジカルミライは、3日間で、のべ3万人だったそうです。その中の2人は僕です。客層は、相変わらず幅広いのですが、ファミリーとか、ヲタクさんとか、熱狂的なファンは減ったように思います。コスプレの方のための更衣室(男性用も)が用意されていましたけど、そんなに多くはなくって、普通の若者が中心って感じでした。男女比は、僕の周りでは、7:3くらいでしょうか。外人さんも思ったほどでは、ありませんでした。ただ、同じブロックにイスラムのお嬢さん(インドネシアかマレーシア?)がいて、ライブが終わると感動されて泣いていたのが印象的でした。
 まあ、賑わいを実感できないのは、幕張メッセが広すぎて熱気が拡散してしまっているからで、神社の境内みたいなところで開催されていれば、印象も変わるかもしれません。

 同じ日に、イベントホールでは「三森すずこ」さんのライブが開かれていたみたいです。夕方になると、男の子の集団が集まっていて、あちらは、声優ライブ、こちらはボーカロイドライブ、まあ世間的には、どちらも同じように思われているかもしれませんけど、集団の雰囲気が何となく違っていて面白かったです。

 17曲目の「気まぐれメルシィ」です。こんな激しいステージだったんですね。かけ声ばかりで、ステージ見てませんでしたw



 今年の初音ミクは、ダンスもキレッキレで上手だったような気がします。モーションキャプチャーのダンサーさんが上手だったんでしょう。

 企画展ですけど、オジさん的には、見るべきものは乏しかったです。カメラは持参しませんでしたけど、持っていたとしても、撮るところは無かったと思います。物品販売が主になるのは致し方ないんですけど、昨年は、痛車の展示とかありましたからね。

 企画展ステージは、盛り上がっていたようです。初音ミクのCGが無くっても、DJなどによるボカロ曲を楽しみたい人も多いだろうし、少なくなったとはいえ、歌ってみた動画や踊ってみた動画もあるわけですから、音楽の様々な楽しみ方と、その発表の場として、企画展のミニライブ会場が運営されていくのは、良いことだと思います。
 ボーカロイドライブの原点は、楽曲の発表の場でしたし、ステージには、スクリーンに映されたCGでなく、楽曲の制作者が上がるのが本来の形ですからね。

 会場を仕切って、覗けないようにして、別料金を取るのも運営上仕方ないことですけど、音だけ聞こえるというのも悲しいです。もっと会場を大きくして、入退場フリーのイベントステージみたいだったら、賑わいを共有できて嬉しいんですけどね。

 アンコールの1曲目「砂の惑星」です。ミクの衣装が、MVみたいので無くって、可愛いやつだったので良かったです。


 来年の告知がありました。「マジカルミライ2018」は、「インテックス大阪」と「幕張メッセ」の2会場だそうです。って、本当に幕張が好きなんですね。会社の忘年会みたいに、今年の打ち合わせに行ったついでに、来年の予約をしちゃうみたいな感じでしょうか。

 だからといって、マンネリだとかは決して云いませんよ。いつまでも、少なくともあと1年は楽しめる。ファンにとっては、これ以上の幸せはありませんから。

2017年9月3日日曜日

初音ミク「マジカルミライ2017」に参戦したのだが、五十肩でペンライトが振れない!!

 前々から、違和感があったんですけど、ついに五十肩になってしまいました。左腕を上げるのがつらいです。僕は利き手が左なんで困ります。上げた腕を下げる時は、もっとつらいです。肩が痛くてたまりません。でも、痛いのが分かっているのに、何故か腕を上げてしまいます。で、下げられなくなって「何で腕を上げたんだろう」って、後悔します。

 と、云うことで「マジカルミライ2017」は、最悪のコンディションの中、ロキソニンを飲みながらの参戦になりました。会場で、両手にペンライトを持っているのに、左腕を下げたままのオジさんを見かけましたら、それが僕です。

 とりあえず、印象に残った曲をいくつか貼り付けさせていただきます。まずは、鏡音レンによる「Fire◎Flower」、この動画はニューヨークでのライブテイクのようですね。


 バックモニターのCGとか、今回と同じみたいです。でも、さすがアメリカですね。盛り上げ方が違いますw

 僕が、参戦したのは、9月2日(土)の昼と夕の2公演でした。今回は、SS席が取れなかったので、どちらもS席での参戦となりました。

 ギリギリまで、ファミレスとかで時間を潰してから行きました。もうオジさんですから、長時間立ってられませんし、しかも五十肩ですから・・・。
 開場待ちで並んでいた人のつぶやきによると、リハーサルの音漏れがすごくって、セットリストが事前に全部分かっちゃったみたいですね。

 昼公演は、前の方だけど端っこのB8ブロック。ほんとに端っこの方でしたけど、スクリーンは、思いのほか見やすかったです。横から見ても見やすいように改良されてきているのでしょうか。
 それから、隣が通路なのは、動きやすくって良かったんですけど、係のお兄さんが頻繁に見回りに通るので、気になって仕方ありません。職務に忠実なのは良いんですけど、刑務所の看守みたいに歩くのは、やめて欲しいです。ライブのリズムに合わせて、ちょっと体を揺らすだけでも、雰囲気壊さなくなるんですけどね。一緒に楽しんでいるっていう姿勢を演出してくれれば、「通路にはみ出さないで」って云われても、素直に聞くことができるんじゃないかなって思います。

 夕公演は、真ん中だけど後ろのG3ブロックです。ブロックの中でも最後列でしたから、ほんとに後ろの方でした。でも、今年の会場は展示場の第3ホールのみと狭めで、座席のほとんどがSS席扱い、S席は、その周りだけでした。これでも、武道館だったら、アリーナー後ろの方って感じでSS席扱いだと思います。2公演目でしたし、さすがにスクリーンは遠かったんで、見ると云うよりも、声出しに集中でしたね。
 まあ、広い会場で一度にやるよりも、このくらいの所で、5公演やってくれるほうが、良心的かもしれません。コンサートホールならもっと良いんですけどね。

 肝心のライブですけど、昨年と同じ幕張メッセで、バックバンドも同じ、楽曲もいくつかは、かぶってますから新鮮さはありませんが、それでも、同じ楽曲でもキャラクターを複数登場させて、合いの手を入れさせたり、ダンスさせるなど、所々では、趣向を変えてきていました。
 あと、ボーカロイドの歌は聴き取れないことが多いんで、いくつかの曲でバックモニターに歌詞を映してくれたのは嬉しかったです。
 それから、初音ミク発売10周年、マジカルミライも5回目という節目を迎えて、今までの歩みを振り返るような演出が印象的でした。今回のライブが「みくみくにしてあげる」で始まって、ラストが「メルト」というのも、その流れからきているのでしょうか。
 ライブの中盤で、過去のライブを振り返るみたいなコーナーがあって、「エレクトリック・エンジェル」とか演奏したんですけど、昔のCGを使っていたように見えました。
 で、最後の1曲が、ずいぶん早いなあと思ったら、アンコールで5曲もやりました。これも、今までになかった流れでしたね。

 2曲目は「ツギハギスタッカート」。抽象的な表現が多い歌詞ですから、いろいろな解釈がされているみたいです。


 この手の歌は、初音ミクがお似合いですね。人間の女の子だと誰でしょうか。昔だったら、「谷山浩子」とかでしょうけど。

 最初に「みくみくにしてあげる」が流れてきたときは、ちょっと泣きそうになりました。その後、知らない曲が続いて困ってしまいましたけど・・・。昨年のライブが、ノリの良い曲がほとんどだったのに対して、今回は、バラードっぽいのとか、メッセージソングとか、バランスのとれた良いセットリストだったと思います。
 ただ、「これ、良い曲だな~」って思った曲のほとんどが、昔のものだったんですよね。「名曲は過去に有り」っていうのも寂しいですけど、考えてみれば、偉大なアーティストのライブでも、過去のヒット曲をやるときが一番盛り上がるわけで、これも10年間の積み重ねの賜と云うことでしょうか。

 それから、ライブの中盤に演奏した5曲分ですけど、初日とセットリストを変えてきたとのことでした。先ほど、3日目のセットリストの情報も入ってきましたけど、全部取っ替えっていうわけでもないようです。でも、新しい試みで面白いです。
 ただ、1日目と2日目は、セットリストを変えても、昼の部と夜の部は同じなんですよ。これって、どうなんでしょうか。2日間続けて通える人って、そういないと思います。僕的には、日替わりでなくって、昼夜で変えて欲しかったです。それとも、昼夜2回参戦する方が珍しいのかなあ。

 ラストソングは、今回も「ハジメテノオト」をみんなで歌いましたが、ラス前は、livetune氏の「DECORATOR」でした。最後にボーカロイドの皆さんがスクリーンに勢揃いしてお終いという演出でした。


 今回も、全27曲を再生リストにまとめましたから、よろしかったらどうぞ。

  初音ミク マジカルミライ2017(いろいろ集めて再現しました)

 思いつくままに書きました。今日のところは、ここまでにさせていただきます。

パソコンが壊れてしまいました

 パソコンが動かなくなりました。ハードディスクだと思います。

 ブログを始める少し前、頻繁にYouTubeを見るようになってから買い換えたので、そんなに古くないはずです。でも、無いと困りますから、新しいパソコンを買ってきました。思わぬ出費でつらいです。欲しくって買い換えるのと、壊れて買い換えるのでは、テンションが違いますから。

 それほど大切なデータが入っていた訳ではないんです。整理済みのデジカメのデータとか、YouTubeで拾い集めてきた○○とかくらいでしょうか。あと、書きかけのブログ記事が少し。

 昔だったら、パソコンを買うなんて、一大イベントでしたから、何日も前から情報を収集して、パソコン屋に何度も通いましたけど、今日は、量販店で速攻で決めてしまいました。扇風機を買ったときのほうが、いろいろと悩んでいたと思います。
 Lenovoとかありましたけど、結局、国内メーカーにしました。聞いたところによると、NECだって、今じゃあ中身はLenovoだとか云うことだし、東芝だって富士通だってMaid in Chinaですけど、昭和世代の悲しさでしょうか、国内メーカー至上主義から抜け出せません。
 というわけで、今回は、富士通にしました。Blu-rayくらい再生したいですから、「CORE i3」搭載の「中の下」くらいのにしました。これにしますって云ったら、カウンターの向こうから、持ってきて、そのままお会計です。ほんとにあっけなかったです。

 記憶をたどっていくと・・・。

 NEC8001mkⅡ→ NEC8801mkⅡ(中古)→空白の期間→FM-TOWNS(初めてのワープロソフト購入)→NECのオールインワンのやつ→NECのオールインワンの液晶のやつ(インターネット開始!)→VAIOのノートパソコン(一番の高額パソコン)→東芝のダイナブック(一太郎ワープロ専用機として今も現役)→東芝ダイナブック(クラッシュ!)→富士通ノート

 ってところです。ノートパソコンになってから4台目ですけど、買い換えるごとに、値段が安くなっていきます。でも、YouTubeの画像とか、また一段と綺麗になったような気がします。

 と、いうことで、新しいパソコンで心機一転、テンション上げていきますね。

2017年8月23日水曜日

【緊急投稿】 潜水艦「伊58」と米巡洋艦「インディアナポリス」の悲劇 ~ウォーターライン製作記・番外編~

 僕は、「伊58」のプラモデルも「インディアナポリス」も製作してないのですが、この2隻に関するニュースが相次いで飛び込んできましたので、番外編として投稿させていただくことにしました。

 まずは、米巡洋艦「インディアナポリス」について、8月21日付の新聞記事からです。

「米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が率いる探査チームは19日、太平洋戦争末期に旧日本軍の潜水艦に撃沈された米軍の重巡洋艦インディアナポリスの残骸の一部をフィリピン沖の水深5,500メートルの海底で発見したと発表した。」


 ポール・アレン氏は、戦艦「武蔵」を発見したことでも話題になりましたが、沈没船の探査が趣味だというのですから、世界有数の大富豪がやることはスケールが違います。

 次に、潜水艦「伊58」について、5月25日の公開記事です。

「海中ロボット研究の第一人者である東京大学の浦環名誉教授らのグループは、長崎沖の海底で終戦直後にアメリカ軍によって処分された旧日本海軍の潜水艦を発見した。曳航式のサイドスキャンソナーで撮影された画像には、ほぼ垂直にそびえる潜水艦が写っている。艦首とみられる部分の高さは約60メートルで、大きさから「伊58」またはその同型艦であると推測されるとのこと。」
 
 で、再調査の資金を集めるためのクラウドファンディングを行ったところ、目標としていた500万円が集まったので、8月22日から再調査を行っているそうです。映像は、ニコニコ動画で生中継をするとのことでした。22日のNHKのニュースでも紹介されていましたが、確認は未だのようですね。
 ポール・アレン氏との資金力の違いはともかくとして、マイクロソフト&ニコニコ動画という組み合わせが何ともです。

 ウォーターラインシリーズでは、「伊58」も「インディアナポリス」もタミヤの製品になります。過去に40周年記念限定モデルとして、この2隻をセットで売り出したこともあったようです。今回の出来事を機会に再び、と考えるところですが、まあ、フットワークが軽くないところがタミヤですからねえ。

 日本の潜水艦「伊58」は、終戦の1年前、1944年9月に竣工した巡潜乙型(航続距離が長く偵察任務を主とした)潜水艦です。物資が窮乏する中での建造のため、スペック通りの性能は出せなかったようですが、それでもレーダーなどを備えた最新型の潜水艦でした。しかし、すでに戦争は特攻戦が中心の時期、「伊58」は人間魚雷「回天」を使用する作戦に従事するようになります。

 
 「伊58」は、終戦間近の7月、回天を搭載して4度目の出撃をしました。そして、29日深夜、グァム島とレイテ島を結ぶ航路上で、速力十数ノット、単艦で航行中の大型軍艦と遭遇します。橋本艦長は、「回天」でなく通常魚雷での攻撃を選択、右60度、距離1500mという絶好のポジションより魚雷を6本発射、そのうち3本が命中します。
 「伊58」が浮上したときには、艦影は無く、撃沈と判断し海域を離脱します。沈めた艦が巡洋艦「インディアナポリス」であったことを知るのは、終戦後のことでした。
 その後、「伊58」は、終戦を知らせる電報を洋上で受け取り、8月17日に呉に入港。橋本艦長は、そのまま海軍にとどまり、復員輸送船の艦長となります。


 アメリカの重巡洋艦「インディアナポリス」は、アメリカ海軍第5艦隊の旗艦を務めた有名な軍艦でした。第5艦隊は、空母18隻、戦艦12隻、航空機300機などからなる大艦隊でしたから、巡洋艦を旗艦とするには、スペース的にムリがありましたが、司令官スプールアンスは同行する参謀の数を減らしてでも、「インディアナポリス」を旗艦とすることにこだわりました。少数精鋭主義を実現すべく、参謀を減らす口実とするために旗艦にしたとも云われています。幕僚は32人いたそうですが、それでも第3艦隊の半分だったそうです。

 1945年3月31日、「インディアナポリス」は、沖縄上陸戦を支援中に特攻機の攻撃を受け損傷、旗艦の任を解かれ、サンフランシスコで修理を受けることになります。スプールアンスは、修理が終わったら、インディアナポリスを再び旗艦にすることを希望していたそうですから、よほどお気に入りの軍艦だったようです。


 修理がほぼ完了した7月16日、インディアナポリスは、極秘の荷物を積んでサンフランシスコを単艦で出港、テニアン島へ向かう命令を受けます。荷物は、後に広島へ投下された原子爆弾(部品)でした。積み荷については、乗組員はもちろん、マクベイ艦長にも知らされてなかったと云われています。

 7月26日、無事任務を完了したインディアナポリスは、テニアン島を出発、グアム島を経てレイテ島へと向かう途中で「伊58」の雷撃を受けることになります。
 3本の魚雷を受けたインディアナポリスは、弾薬庫が誘爆し、SOSを打電するものの、まもなく電気系統が停止し、雷撃から12分で沈んでしまいます。

 この事件は、2016年に「パシフィック・ウォー」という題名で、ニコラス・ケイジ主演により映画化されています。


 インディアナポリスに特攻したのは、「零戦」でなく「隼」で、当たったのは船尾だったそうです。まあ、他にもいろいろとツッコミどころはありますが、話が逸れてしまいますのでやめときます。

 乗員1,200名のうち、沈没時の戦死者は約300名、約900名が海上に投げ出されたと云われています。

 一方、海軍の各基地では、SOSを受診するものの、すぐに途絶えてしまったため、発信者や位置が不明のまま時間だけが過ぎていきました。
 インディアナポリスの任務が極秘であったために行動が知らされず、サンフランシスコにあるものだと思われていたこと、駆逐艦の護衛も無く単独での航海であったこと、(任務終了後のはずなのに)グァム島からレイテ島に向かっていることが通達されていなかったことなどが、発見を遅らせた理由とされています。
 また、グァムの基地は海軍、レイテ島は陸軍の管轄であったため、意思の疎通について何らかの問題(ニミッツとマッカーサーが日本攻撃の主導権を争っていて司令部間の相互連絡が全然取れていなかったなど)があったのではないかとも云われています。

 撃沈から3日たって、飛行艇が漂流者を偶然発見したことで、インディアナポリスの遭難が明らかになります。救助が完了したのは沈没から5日後、その間に900名いた生存者の3分の2が亡くなり、生きて帰ることができた者は、艦長を含めて316名だけでした。
 漂流者の主な死因は衰弱死でしたが、鮫に襲われた者も少なくなかったと云われています。また、鮫が襲ってきたことでパニック状態になり、多くの兵が衰弱を早めてしまったとも云われています。この「鮫に襲われて亡くなってしまった」という話は誇張され、インディアナポリスの悲劇としてアメリカ国民に伝わっていきました。

 制空権も制海権も完全にアメリカが握っていた海域で、何故このような事態になったのか、戦後、アメリカ国民の批判を受ける形で、異例の軍事裁判が開かれました。

 原因は、明らかでした。1つは、原爆を運ぶという極秘任務についていたこと、もう1つは、人為的ミスによる連絡不備でした。ところが裁判は思わぬ方向へと進んで行きます。裁かれたのは、救助の遅れではなく、沈没の責任でした。適切な行動をとらなかったことで魚雷攻撃を受けたとされ、マクベイ艦長が起訴されたのです。
 戦時下で、艦長が撃沈の責任を追求されるなどと云うことは異例のことです。アメリカは、第2次世界大戦で、夥しい数(700隻とも)の艦船を喪失していますが、沈没の責任の追及を受けたのはマクベイ艦長だけでした。
 さらに、海軍は、証人として「伊58」の橋本艦長を召喚します。自国の指揮官の責任を追及するために、敵国の指揮官を証人に立てるなど、これもまた前代未聞の出来事でした。

 予告編の動画の敬礼の場面になります。二人が直接対面したとは考え難いのですが、感動の場面ではあります。

 橋本艦長は、予備尋問で、「あの状況であれば、魚雷回避は不可能であった」との証言をしますが、これは海軍の求めていたものではありませんでした。橋本艦長は本裁判では証言をする機会を与えられなかったといいます。

 判決は「有罪」。しかし、海軍上層部(第5艦隊の関係者か)の嘆願により裁判は突然中止になり、マクベイ艦長は海軍に復帰することになります。「有罪」ではあるが「お咎め無し」となったのは、海軍としても責任を彼に負わせれば、それで十分だったのでしょう。
 しかし、有罪となったことで、彼は乗組員の遺族などからのバッシングを受けることになりました。度重なる非難を受けて、彼は1968年にピストル自殺をしてしまいます。

 自殺から8年後の1975年、1つの映画が封切られます。題名は「ジョーズ」。映画に登場する漁師は、「元インディアナポリスの乗組員で過去のおぞましい体験によって、鮫に強い恨みを持つようになった」という人物設定でした。(そうだったんだ)
 「鮫」=「インディアナポリス」というイメージが、いかに深くアメリカ人に刻み込まれていたのかが分かります。
 この映画を見てインディアナポリスの事件に強い関心を持った少年がいました。当時12才のハンター・スッコトは自由研究にこのテーマを選び、過去の裁判記録や元乗組員の証言を調べます。そして、この裁判が明らかな誤審であったことを確信します。彼の活動は、少しずつ広がり、やがて橋本艦長の予備尋問の証言が再発見されるなどして、マクベイ元艦長の名誉回復運動が始まりました。
 日本のマスコミからこのことを知らされた橋本元艦長は、名誉回復運動に名前を連ねるようになります。

 2000年、アメリカ議会は、マクベイ元艦長の名誉回復を議決します。インディアナポリスの撃沈から55年後のことでした。

 艦を沈められた乗組員が悲惨な運命をたどるのは、珍しいことではありません。日本海軍など乗組員全員戦死という艦はいくらでもあります。
 ただ、インディアナポリスが原爆を運搬していたことが、この悲劇を引き起こしたのは確かです。インディアナポリスが極秘任務に就いていなければ、単艦で行動することもなく、撃沈されたとしても速やかに救助活動が行われてたはずだからです。
 しかし、原爆投下を正当化しなければならないアメリカ政府にとって、悲劇の原因が原爆運搬にあるとは、何が何でも認めるわけにはいきませんでした。

 漂流中に命を落としたインディアナポリスの乗組員たち、彼らもまた、原爆の犠牲者と云えるのかもしれません。

2017年8月17日木曜日

上國料萌衣「ピザーラお届け!」

 何となく、ピザでも取ろうかってことになりました。このところは「50%OFF!」みたいなチラシを頻繁に入れてくる「ドミノ・ピザ」を注文していたんですけど、たまには、「ピザーラ」にしようって話になりました。僕の住んでいる町では、選択肢は、その2つだけです。

 で、「ピザーラ」と云えば、そう、「上國料萌衣」ちゃんの「夏のよくばりクォーター」じゃありませんか。何という偶然!。


 ネット情報によると、「よくばりクォーター」を注文すると3人のカードがオマケに付いてくるみたいです。「よくばりクォーター」は、「タルタルチキン」や「もち明太子」が入っているんですけど、「子どもじゃあるまいし」ってことで却下されてしまいました。で、結局「夏のキャンペーンクォーター」になりました。もしかしたらって、密かに期待していたんですけど、カードは付いてきませんでした。でも、美味しかったですよ。ドミノ・ピザよりクォリティーは高いように思いました。
 ただ、値段もそれなりです。聞いたところによると、値段を下げて大量に売る「薄利多売」では、配達にコストがかかって経営が成り立たないんだそうです。つまり、宅配ピザは気安く頼んでもらっちゃあ困るんだそうで、たまーにしか食べられないような価格設定にしてあるそうですよ。

 「ピザーラ」が業界1位になったのは、「ピザーラお届け」でお馴染みのCMに力を入れた結果ですよね。1号店オープンは30年前、CM開始は26年前からだそうで、有名タレントを数多く起用し、過去には「松田聖子」さんも出演したことがあったみたいです。(覚えてないけど)
 このところは、ハロプロのタレントさんをよく使ってくれるので、「ピザーラ以外のピザは食べない」という誓いを立ているハロオタ君も多いようです。


 まあ、間接的のそのまた間接的なんですけど、上國料萌衣ちゃんのタレント活動を、サポートできたかなっていう感じですw

 で、この場を借りて。

 先日紹介させていただいた「上國料萌衣:Love涙色」の動画に自主規制がかかっちゃいました。視聴回数がもうすぐ30万回ってところだったんですけど・・・仕方ないですね。
 だからといって、わずか3分間のテイクのために、数千円もする「ひなフェス」のBlu-rayを買う人がいるとも思えませんし・・・。
 あのテイクは、是非とも公式動画として公開して欲しいです。安い先行投資だと思いますよ。上國料を広く世間に伝えることができれば、将来、何倍にもなって、事務所に恩恵をもたらすはずですから。

2017年8月13日日曜日

八神純子「みずいろの雨」「思い出は美しすぎて」「想い出のスクリーン」 ~挑戦するボーカロイドたち~

 「高い声で歌うだけなら機械でもできる」の第2弾になります。もちろん、最終的な結論は、「やっぱり、八神純子さんは凄いなあ。」というところへ持っていくつもりであることを、予めお伝えしておきます。

 まずは、初音ミクによる「みずいろの雨」。この曲は、松浦亜弥さんも歌ドキッでカバーしていました。現在は、YouTubeのコメント欄の仕組みが変わって、批判的な書き込みは影を潜めてしまいましたが、以前のテイクでは、「所詮アイドル」みたいな書き込みがたくさんあって、一部ではバトルも繰り広げられていたように思います。
 まあ、「偉大な名曲を気安くカバーするんじゃネエ」ってことなんでしょうけど、歌唱力を披露したい人たちの絶好の挑戦曲でもあるわけですから、たくさんのプロ・アマが、この曲にチャレンジしてきたのも事実です。もちろんボーカロイドもその例外ではありません。

 このテイクは、いくつかあるボーカロイドカバーの中でも、ストレートな歌声とノーストレスな高音が特徴の、おすすめテイクです。初音ミクAppend Darkのささやくような高音が楽曲にピッタリだと思いますよ。


 いかがでしょうか。八神純子さん=熱唱という固定観念にとらわれず、この楽曲の持つ魅力を引き出していると思います。

 2つめは、ボーカロイドGUMIによる「思い出は美しすぎて」、伴奏は、耳コピによる打ち込みで、ギターは生で弾いているとのことです。


 Megpoid Whisperの声質が、ボサノバ調の楽曲にピッタリです。少しタメを持たせた歌い方がイイ感じですね。そして何より伴奏、ボーカロイドカバーにおいて、伴奏は重要ですからね。ギター格好良すぎでしょう。

 3つめは、結月ゆかりによる「想い出のスクリーン」。結月ゆかりの投げやりな唄い方が、妙に合ってます。説明なしで聴いたら、人間が歌っているって思うかもしれません。


 で、このテイク、いくら何でもやりすぎじゃないのかなって思って、八神さんのテイクを聴いてみたら、全く同じように歌っていたんで笑ってしまいました。

 いかがでしょうか。いずれも名曲ばかり、そして、どのテイクもボカロPさんの力作揃いだと思います。オリジナルの歌唱を分析し見習いつつも、ボカロの特性を生かした表現を追求する姿勢を賞賛させていただきます。

 優れたカバー作品は、オリジナルへのリスペクト無しには有り得ない。それが、人間だとしても、機械だとしても。ってところで、お終いです。

2017年8月10日木曜日

上國料萌衣の「Love涙色」がやっぱり気になる

 乗りかかった船と云うことで、「上國料萌衣」さんについて、もう少し。

 ウィキペディアからです。
”上國料萌衣:2014年に「モーニング娘。'14」のオーディションを受けるが落選。ハロプロの楽曲を好きになれない時期もあったが、アンジュルムの「大器晩成」の歌詞に影響され、2015年7月より行われたアンジュルム新メンバーオーディションを受験した。応募1800人中、合格したのは上國料1人であった。愛称は「かみこ」”
前回、貼りつけさせていただいた動画は、今年の3月に幕張メッセで行われたハロプロのイベントでのテイクのようですね。動画アップから1ヶ月で、視聴回数が約26万回と、此の手の動画にしては多いのですが、それ以上に注目されるのは、高評価率の高さで、イイネ!が4,000を越えています。ちなみに低評価は40余り。ネタ動画は別として、イイネ!が4,000を越える動画というのは、再生数が100万回位になっているのが普通ですから、ハロヲタさんたちの期待のほどがうかがえます。


 「Love涙色」を選曲した理由を、彼女自身がブログで語っていました。1つめはソロ曲であること。まあ、当然ですね。2つめは、「モーニング娘。」の5期オーディションの課題曲だったこと。3つめは、鈴木香音さんがバースデーイベントで歌っていたこと。だそうです。
 「かみこ」は、ハロプロのイベントで、鈴木香音(ズッキ)さんと握手をしたことがあって、それ以来、憧れのタレントは、ズッキだと公言していますので、このことに配慮した発言のように思います。
 
 ここで、注目すべきは、2番目の「5期オーディションの課題曲だから」という理由です。つまり、「憧れの大先輩、松浦亜弥さん云々」じゃないんですよね。5期と云うと、「モー娘。」絶頂期の時のオーディションで、「高橋 愛」さんなどが参加した時ですから、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 彼女は、最終審査で落選したことで、かなりのショックを受けたようです。研修生というアドバンテージを目の当たりにして、自らが置かれている立場に失望したのかもしれません。
 その後、彼女は、研修生に誘われます。落選した子を研修生に入れるというのは、ハロプロの常套手段ですが、家族の反対もあり、受験勉強のためといって熊本に帰ってしまいます。
 翌年、彼女が「アンジュルム」のオーディションを受けることになる本当の事情は、知る由もありませんが、結果としては、良いところに落ち着いたと思います。美形といっても「乃木坂」とかで活躍するタイプとも違いますし、過去の栄光を背負わされ、「18才定年制」が定着してしまったかのような「モー娘。」より、「アンジュルム」の方が生き生きと活動できそうな気がします。
 ソロで、という意見もありますが、歌手や女優に専念するのならともかく、現在のアイドル事情を考えるとソロアイドルは精神的にキツイと思います。ホームポジションを持った上で、ピンの仕事を増やしていくというのが、無難なところではないでしょうか。

 「かみこ」は、続けてこのように語っています。
”松浦さんがこの曲を出した時の年齢は今の私より若くて、それなのにリズムも細かくて、高音も上手に歌いこなしていて。私が練習で歌った時はすぐ喉が疲れてしまって、高音も出ないし、リズムも取れないし、「やっぱり違う曲にすればよかったかなぁ」って何回も思ったんですけど、今日、たくさんの方に良かったよ!って言ってもらえて、また一つ新しい挑戦ができてよかったなぁってすごく感じました。”
この選曲が「モー娘のオーディションに落選した上國料萌衣」というイメージを払拭し、さらに英才教育によるアドバンテージに対する挑戦だったように思えてきます。

 もう1つ。ハロヲタさんが「松浦亜弥×上國料萌衣」なる動画を編集してくれました。


 何で「あやや」が2005年のライブ動画なんですかね。これは悪意すら感じるセレクトですよぉw

 デビュー1年ちょっと、という観点で選ぶのなら2002年ですし、同じ17才ということなら2003年ですからね。いっそのこと、2007年のテイクでも良かったと思います。と考えると、時代が違うとはいえ「あやや」って凄かったんだなって改めて思います。「あやや」が「かみこ」の年令の時には、もうアイドルなんかヤダみたいなことを言い出して、次のステップに踏み出そうとしていたわけですし。
”歌ってる時は会場が私のメンバーカラーになって、本当に幸せでした。来年もソロが当たるといいなぁああ”
良いですね。「もっとソロで歌わせろ」ですか。知れば知るほど面白い子です。
 そうそう、今日、初めてピザーラのCMを見ました。さらなる活躍を期待しつつ、今日のところはこのくらいで。

 続編が書けることを楽しみにしています。

2017年8月4日金曜日

上國料萌衣「Love涙色」「渡良瀬橋」他 ~ハロプロの救世主なんかじゃ勿体ない~

 「上國料萌衣」さんをご存知でしょうか、「かみこくりょう もえ」と読むそうです。1年半前にデビューしたハロプロのタレントさんで現在17才。ハロプロのアイドルですから、欅坂とか乃木坂みたいにテレビに出たり、世間の話題に上ったりすることはありませんけど、ハロヲタたちが、神の子だとか、奇跡の透明感だとか云って盛り上がっています。最近は、CMとか、雑誌のグラビアとか、お仕事も順調のようですから、普通のオジさんたちに認知される日も近いかも知れません。

 まあ、百読は一見にしかずということで、「Love涙色」です。


 「あやや」の歌をハロプロの若い子たちがいろいろとカバーしてくれても、その動画を最後まで見ることなんてなかったんです。「あやや」の歌を「あやや」以上に歌える子はいない、ってことを確認するだけのことでしたから。
 でも、これは最後まで見ちゃったんですよね。お目めパッチリ系のイマドキのアイドルなんですけど、ただそれだけじゃないような気がして。
 で、気づいたんですけど、この子、ノーテクニックなんですよね。偉大なる先輩「松浦亜弥」の楽曲を、ただ、元気いっぱいに歌っているだけなんですよ。ああ、これが奴らの云うところの透明感ってことなのかって。あややの振りマネもぎこちないんですけど、これだけ堂々とやれるのは、たいしたステージ度胸です。

 身長152cmですから、だいぶ小柄ですけど、小顔ですし、それでいて華奢な体型ではなく、振りが大きいのでステージ映えします。このへんは、「あやや」とも共通しているところでしょうか。ちょっと前の資料では身長150cmとありましたから、まだ伸びている途中みたいですね。

 上國料さんは、「アンジュルム」というグループに在籍しているそうです。そんなグループありましたっけ、と思ったら、「スマイレージ」が改名したんだそうです。で、スマイレージってなんでしたっけ?

 こんなテイクもありました。森高千里さんの「この街」のカバーですね。出身が同じ熊本県だから選んだのかな。


  Bメロで「かーみこオイ!」とか、完全に昭和のアイドルのノリじゃないですか。こんな世界が今も残っていたとは。
 普通に可愛い子が、普通に出てきて、一生懸命歌う。そりゃあアイドルですから、どう振る舞えば可愛く見えるかとか計算しているのでしょうけど、それをアザとく感じさせないのもアイドルの大切な才能の1つです。
 彼女、オーディションに合格して上京するまでは、熊本の県立高校に通っていて、サッカー部のマネージャーをしていたそうです。ってことは、1年前までは普通の女子高生。○○アクターズスクールとか、○○研修生出身とかで無いのも魅力の1つですね。このへんも「あやや」と共通するところです。
       
 こんなテイクもありました。ミュージカルでは、新人ながら、主演に抜擢されたそうです。可愛いは、人生最強のアドバンテージってことでしょうか。


 こういうのって、音をとるのも難しいように思うんですけど、なかなか良いんじゃないでしょうか。
 ハロヲタたちが、素直な歌声とか、透き通った歌声とか、褒め称えてますけど、ハロプロ独特の歌い癖が付いていないってことを評価しているのだとすれば、研修生制度って何なのかってことになりますが。

 で、何かのご褒美で、ソロで一曲歌えることになった時に、この「渡良瀬橋」を選曲したのも、森高千里さんを意識してのことでしょう。でも、アレンジは松浦亜弥ヴァージョンですよ。


 松浦亜弥さんは、大人になって、どんどん歌が上手くなっていきましたけど、渡良瀬橋については、どんどん似合わなくなってしまったように思います。
 そりゃあ、上國料の歌は、松浦亜弥さんの足元にも及びません。でも、大人になった「あやや」が失っていった世界観を、この子は持っているように思います。
 特別なトレーニングを受けて無くって、デビュー1年でこのくらい歌えるのなら、まだまだ上手になりそうです。でも、この世界観は、いつまでも失わずにいて欲しいものです。
 
 久し振りにアイドルらしいアイドルに出会えたって感じです。そして何より嬉しいのは、彼女が、ファンが支えるタイプでなくって、ファンを惹きつけて引っ張っていくタイプであるということです。
 何度も云いますけど、アイドルの社会的存在価値って、世の中に元気を与えるってことに尽きます。会社でイヤなことがあった奴とか、学校で虐められた奴とかを、癒やしたり励ましたりして、まあイイかって気にさせてくれるのが、アイドルですよね。松浦亜弥さんが、「あやや」と呼ばれてた頃、彼女に救われたって奴は、たくさんいたはずです。
 「上國料萌衣」は、「アンジュルム」の中心メンバーとして、そしてアイドルとして、ヲタクどもに元気を与え続けて欲しいと思います。

 で、この子、うまく育っていけば、大人になってもマルチなタレントさんとして、活躍できるような気がします。まあ、一番の心配と云えば、ハロプロだってことでしょうか。

2017年8月3日木曜日

広瀬香美「ロマンスの神様」feat.鏡音リン ~高い声で歌うだけなら機械にだってできる編~

 前回の記事で、広瀬香美さんについて取り上げさせていただきましたが、その折りに「高い声で歌うだけなら機械にだってできる」なんて余計なことを云ってしまいました。決して、広瀬さんの歌唱力(表現力)が、ボーカロイド並みだと云ったわけではありません。今回ボーカロイドの歌唱を取り上げたのは、「やっぱり広瀬さんは凄いなあ」という結論にもっていく意図があってのことだということを予め述べさせていただきます。

 で、ボーカロイドカバーの作品ですが、今回は、「初音ミク」でなく「鏡音リン」ちゃんを紹介させていただきます。
 リンちゃんは、世間的には無名のボーカロイドかもしれませんが、ライブでの人気は抜群です。リンちゃんが登場すると、会場は異様に盛り上がります。


 ただでさえ滑舌悪いのに、オートチューンかけたので、とんでもないことになっちゃいましたね。でも、ボーカロイドに歌わせるなら、これくらい突き抜けないと面白くないってことも確かです。ところどころで崩した歌い方をさせるなどテクニックも駆使していて、なかなかの力作ではないでしょうか。
 何より、リンちゃんの底抜けに明るいキャラクターが、この曲の持っているイメージと、ぴったりなんだと思います。

 「ロマンスの神様」ってスキーのCMに使われたんで、ウインターソングのイメージがありましたけど、季節感ゼロで、肉食系女子の婚活ソングだったんですよね。でも、冬になるたびに曲が流されて、20年経った今でも世間から忘れ去られることが無いんですから、こういうヒット曲を1本持っているというのは、強いことだと思います。

 Aメロ、Bメロ、サビと頻繁に転調をおこない、必要とされる音域の広さと相まって、歌唱力自慢の人たちが好んで歌う楽曲となっています。高音域が意識されますけど、一番難しいのは、「こぶし握りしめる私」って下がっていくところ。松浦さんと稲葉さんのテイクでは、オリジナルより、だいぶ音を下げたので、ここのところがとんでもないことになってます。
 広瀬さんとか松浦さんは、何ともなく歌ってますから、それほど感じませんが、ボーカロイドの歌を聴くと、やっぱり難曲なんだなって、改めて思いました。

 2つめは、アカペラバージョンになります。投稿が2010年とありましたから、少し前の作品になります。でも、この頃って、ボーカロイドカバーが最も盛んだった時期ですから、レベルの高い作品が多いんですよ。


 ちゃんと歌うこともできるんだぞ、っていうテイクですね。ボーカロイドのアカペラと云うのは、どうしても単調になるんで、1番と2番で伴奏を変えたり、っていう工夫が必要になるんですけど、このテイクは、歌わせ方を歌詞に合わせて変えることで、変化をもたせているようです。癖の強いリンちゃんを、ここまで調教するのは、なかなかのものです。
 
 広瀬さんの素晴らしさについては、僕などが語るまでもないことですから、今日はこれでお終いです。

2017年7月26日水曜日

「ロマンスの神様」松浦亜弥&稲葉貴子

 「歌ドキッ」のテイクですね。視聴回数が70万回越えですけど、タイトル名が「ロマンスの神様」だけ(意図的?)なので、松浦亜弥さんのテイクだと知らずに迷い込んでくる人も多いかもしれません。

 オリジナルは、ハイトーンボイスで有名な「広瀬香美」さん。現在は、ライブ活動の他に、音楽学校を経営したり、著書も多数出したりしているとのことです。
 広瀬さんは、今でもライブでは、キーを下げずに歌っているそうで、4オクターブの音域を維持されているとのことでした。聞くところによると、3日トレーニングを怠けると、2音下がってしまい、元に戻すのには1週間かかるそうです。歌手として必要なのは、毎日の積み重ねって、・・・どこぞの育休中の元アイドルに聞かせてやりたい話です。

 もっとも、どこまで高い声が出せるかって云うのは、本来は男が競うモノで、女性であれば、どこまで低い声が出せるかが勝負だと思います。高い音で歌うだけなら、初音ミクでもできますからね。
 このテイク、オリジナルより2音くらい下げて歌っています。で、その結果、サビ前が低くて辛くなっちゃいましたね。


 稲葉貴子さんとのデュオというと、2003年の「松リングPink」が思い出されます。あの頃は、「あやや」もまだセンが細くって、ステージングに関しては、稲葉さんに一日の長があったように思います。
 ライブでの立ち振る舞いも、稲葉さんから教わったなんてことを言ってました。2003年というと、松浦亜弥さんにとって、いろいろと苦しい頃だったはずですし、良いときも悪いときも見守ってくれていたのが、稲葉さんでしょうから、(僕が云うのも変ですけど)亜弥さんにとっては、大恩人ではないかと思います。

 で、今頃気づいたんですけど、このテイク、歌は別録りですよね。

 YouTubeの動画では映像と音声がズレることはありますけど、これは、明らかに合っていません。そう思って見てみると「歌ドキッ」って、別録りかもって云うテイクが、結構あるように思います。何となく違和感を感じていた「ひこうき雲」も、別録りな気がしてきました。
 まあ、別録りだからといって、本人が歌っていることには、変わりありませんし、レコーディングのように、何度も録り直して、良いところだけつなげるなんてことをしているとも思えません。それに、松浦亜弥さんは、何回も歌わせられるのはイヤでしょうから、絶対、一発OKにしたがるはずです。自分の持ち歌でもないのに、何でこんなに「余裕ブッこいて」歌えるでしょうか。まあ、稲葉さんは、録り直して欲しかったかもしれませんけど・・・。

 さっき、高い声を競うだけなら初音ミクでもできるって云いましたけど、これこそ、人間の歌ですよね。歌声に表情が出ている。もちろん広瀬さんの突き抜けるような高音も魅力的ですけど、これはこれでアリだと思います。広瀬香美さんは声を聞かせ、松浦亜弥は歌を聴かせる。ってところでしょうか。

 お終いに、一つだけ云えること。松浦亜弥さんは、音楽学校の講師には、絶対不向きだと云うことだと思います。

2017年7月22日土曜日

ウォーターライン製作記⑨ ~航空母艦「蒼龍」と真珠湾攻撃~

 当時、日本は、ナチスドイツと同盟を結んでいました。これは、成り行きでそうなっただけで、特段に強い信頼関係があったわけではありません。当時、中国を侵略中の日本は、ソ連とは絶対戦争をしたくなかったのに、ドイツはソ連に侵攻してしまいましたし、ドイツは、ヨーロッパの戦争にアメリカが介入して欲しくなかったのに、日本は、真珠湾を攻撃しました。結局、お互いの足を引っ張り合っただけで、これと云った利点など無かったのが、日独伊三国同盟でした。
 「ナチスドイツは、思っているほど強くない」「アメリカと戦っても良いことは1つもない」などというのは、誰もが分かっていることでした。
 でも、日本がアメリカに頭を下げ、戦争をしないで、結果、負けることなく、戦前の体制が今も続いていたら、この日本は、どんな国になっていたんでしょうか。アメリカは、戦争に勝ちましたけど、その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など、世界中の紛争に介入することになり、今でも、多くのアメリカの若者が、世界の何処かで犠牲になってます。今の日本の存在は、馬鹿な戦争をして、負けてくれたからこそあるとも云えます。
 歴史を反省することは必要ですけど、否定することはできないし、現在を肯定するということは、過去を受け入れることでもあると思います。
 
 で、真珠湾攻撃に関しての評価ですけど、「アメリカ国民を本気で怒らせた」「攻撃が不十分だったので、アメリカの反撃を容易にした」などという批判的なモノが多いです。これは、結果的に戦争に負けたからであって、もし、勝っていれば(ありえない話ですけど)評価も180度変わっていたと思います。

 当時の日本海軍の仮想敵国は、(一応)アメリカでした。戦争が起きれば、日本は、資源を求めて東南アジアへ進出します。で、怒ったアメリカが日本近海にやってきます。そこを空母や潜水艦の攻撃で弱体化させ、戦艦を中心とした艦隊で迎え撃つというのが基本戦略でした。つまり、常識的で現実的な防衛思想です。こちらから、航空母艦で遠路遙々ハワイまで出掛けていって、要塞化された真珠湾の海軍基地を先制攻撃しようなんてのは、あまりにも奇想天外な発想でした。この有り得なさが、現実に実行されたために、今一つ理解されてないように思います。
 つまり、真珠湾攻撃などは、遂行不可能か、あるいは、決行しても失敗確実な作戦だったのです。

 アメリカは日本を完全に見くびっていました。この前まで、頭にちょんまげをのせていた民族です。黒船4隻でパニックに陥り、日露戦争で勝ったといってもイギリスの援助があればこそ、最近、新型の戦闘機を作ったらしいがエンジンは非力だし、そもそも、黄色人種で近眼な日本人に飛行機の操縦などできるわけがない。というのが、アメリカ人が日本人に対して持っていた一般的なイメージでした。
 これほど大掛かりな軍事行動が、奇襲という形で成功したのは、アメリカが日本を見くびっていたからとも云えます。


 写真を見て驚くのは、真珠湾の狭さです。この狭い湾内で魚雷攻撃を成功させたパイロットの技量は驚異的と云えます。かなりの低空から侵入したようで、雷撃機がビルの3階から見下ろせたという話も伝わっています。

 真珠湾攻撃を描いた映画はいろいろとありますが、何と云っても、20世紀フォックスと東映による日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」でしょう。街にポスターが貼り出されていたのを、子ども心に覚えています。実際見たのは、少したってテレビで放映されたときでした。日米両国の視点で描かれていて、オタク的にはいろいろとツッコミ処もあるのでしょうが、史実に最も近い作品だと思います。それにしても、自国の軍隊がボコボコにされる作品を、巨額な制作費を投じて作ってしまうんですから、アメリカって、懐が深いっていうか、たいした国だと思います。


 真珠湾攻撃でよく批判されているこのが、第二次攻撃隊を出さなかったことです。日本の機動部隊は、奇襲には成功しますが、米空母を討ち漏らしてしまいます。また、石油タンクや修理ドックなどの港湾施設は、無傷のまま残してしまい、このことが、後々の戦局に大きく影響していったからです。

 ただ、「二次攻撃隊を出してこれらを叩いていれば・・・」というのは、結果論にすぎません。真珠湾攻撃の目的は、あくまでも、敵主力艦と航空機の撃滅でした。港湾施設への攻撃も検討されたようですが、空母6隻、航空機350機という、限られた戦力の中で、中途半端な攻撃に終わってしまうことを危惧して、艦船と航空機に目標を絞っていました。ただ、奇襲が想定以上に上手くいったので、一次攻撃で、ほぼ目標を達成できてしまったのです。
 で、ここで2つの選択肢があります。1つは、まだ余力もあるわけですから、二次攻撃を行って港湾施設を破壊する。もう1つは、戦力を温存して帰るかです。出張先で早々に仕事が片付いた時、サービス残業をすべきか否かって感じでしょうか。

 第一次攻撃隊も、完全な奇襲になった第一波と比べて、その1時間後に攻撃を行った第二波は、未帰還率が12%で、被弾損傷率も50%にのぼっています。母艦に戻ってきたものの、再出撃できる状態に無い機体も数多くありました。
 さらに、米軍は、混乱の中でも迎撃態勢を整えつつありました。破壊を免れた戦闘機を整備し、高射砲陣地を構築し、防空レーダーで監視しているわけです。第一次攻撃が順調にいったのは、米軍が油断していただけのことで、第二次攻撃を出せば、かなりの航空機が撃墜される恐れがありました。
 さらに、ハワイ近海には、討ち漏らした米空母が存在していました。二次攻撃隊を出しているときに、空母からの反撃を受けたら、ミッドウェーどころが、真珠湾の時点で、日本の機動部隊は全滅していたかもしれもしれないのです。
 目的を果たし、早々に帰還した。当然と云えば、当然の決断です。

 米軍の損害ですが、戦艦については、旧式の船ばかりで戦略的には、それほどの喪失にはならなかったとされています。しかし、航空戦力の、3分の2を失い、戦死者2,345名、負傷者1,347名、要塞化され攻撃は不可能とされた真珠湾を奇襲され、ほとんど反撃できなかったという衝撃は、大きかったはずです。
 アメリカは、工業力、技術力、知力、資源など、持てる全てを使って、日本との戦争に臨むことになり、結果として、無差別爆撃や原爆投下へとつながっていくわけです

 一方、思わぬ戦果をあげた日本軍は、楽観的な考えが支配するようになります。戦線を実力以上に拡大し、太平洋戦争を局地戦から世界大戦へと変えてしまいました。早期停戦など不可能となり、もはや、相手の国家体制を崩壊させない限り、戦争を止めることはできなくなりました。
 真珠湾攻撃は、明確な目標の下、綿密に計画され、準備された優れた作戦でした。しかし、その後の日本軍は、戦略の無い、場当たり的な作戦に終始することになっていきます。

 アオシマの「蒼龍」です。


 「蒼龍」は、1937年に竣工した中型の正規空母です。設計の段階から純粋な航空母艦として建造され、この後、建造された「飛龍」や「翔鶴」などは全て、この「蒼龍」を改良した艦になりますから、日本型航空母艦の原型と云えます。


 新金型とのことですが、極小部品も無く、サクサクと組み上げることができました。作り応えという点では、ハセガワの「赤城」よりも劣りますが、艦載機が専用パーツになっていて、汎用パーツで省略されていた、零戦の増槽タング、九九艦爆の車輪と爆弾、九七艦攻の魚雷などが、別部品として取り付けるようになっていました。まあ、爆弾あっての爆撃機ですから、嬉しい限りです。
 
 空母「赤城」との2ショットです。小さい方が「蒼龍」になります。プラモデルを作るまで、こんなに大きさが違うとは思いませんでした。


 「蒼龍」は、同僚艦「飛龍」とともに 第二航戦隊として、真珠湾へ出撃しました。蒼龍の航空隊の内訳は次の通りです。
 第一波 九七式艦攻18機(水平爆撃10機、雷撃8機)、零戦8機 全機帰還
 第二波 九九式艦爆18機(未帰還機2機)、零戦9機(未帰還機3機)
 攻撃隊が二波に分かれているのは、飛行甲板に一度に並べられる機体数に限りがあるからです。


 プラモデルでは、12機並べています。軽くて助走距離が短くて済む戦闘機が前、攻撃機が後ろです。空母は全速力で風上に向かって航行し、航空機は、向かい風を利用して飛び立って行きます。

 その後の蒼龍ですが、ウェーク島の攻略支援、南方攻略作戦に従事した後、インド洋へ進出し、セイロン沖海戦では、イギリス東洋艦隊に壊滅的打撃を与えています。
 そして、真珠湾攻撃から半年後、ミッドウェー海戦において、急降下爆撃機の攻撃を受け、3発の爆弾が命中、格納庫内の爆撃機や魚雷が次々と誘爆して撃沈、1,100名余りの乗組員のうち、艦長以下718名が艦と運命を共にしたとありました。機関科部員がほぼ全員戦死している一方で、飛行機の搭乗員は多くが救助されており、格納庫の上と下とで、大きく運命が変わってしまったようです。

 ずっと疑問に思っていたことがあります。それは、真珠湾を攻撃した目的がアメリカの戦意を喪失させることにあった、ということです。実際は、ご存知の通り、逆の結果になりました。その原因として、宣戦布告が遅れたとか云われていますけど、では、攻撃の前に宣戦布告があって、機動部隊の喪失を恐れずに第2次、3次攻撃隊を繰り出して、完膚なきまで真珠湾を攻撃すれば、アメリカの戦意は喪失したのでしょうか。
 確かに、アメリカは建国以来、一度も本土を攻撃されたことがありませんでしたから、真珠湾攻撃の後、国内はパニック状態になります。が、厭戦気分にはなっていません。彼らは、多民族国家で個人主義者ではありますが、やられてそのまま引き下がるような国民ではありませんでした。
 だとすると、真珠湾を攻撃することでアメリカ国民の戦意を喪失させるという考えは、根本的に間違ってたということになります。

 相手を見くびり、侮っていたのは、日本の方だったのかもしれません。

2017年7月15日土曜日

ウォーターライン製作記⑧ ~金剛型戦艦と第三次ソロモン海戦~

 金剛型戦艦とは、大正2年から就役した旧日本海軍の4隻の戦艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の総称になります。
 1番艦「金剛」は、日本海軍がイギリスのヴィッカース社に発注して建造したものです。同型艦については、2番艦「比叡」が横須賀海軍工廠、3番艦「榛名」が神戸川崎造船所、4番艦「霧島」が三菱長崎造船所で建造されました。特に「榛名」と「霧島」は、民間の造船所で建造された最初の戦艦になります。
 両社ともに社の名誉をかけ建造を競いますが、神戸川崎造船所の工作部長が、工期の遅れの責任をとって、自刃してしまうという事件が起きます。以降は、優劣のつかないよう、竣工日を同日に設定するなど、海軍もかなり気を遣ったとありました。ちなみに、工期の遅れは、6日間だったそうです。

 意外と知られていないことなのですが、これ以前の日本海軍の主力艦は、全てイギリスなどに発注して造ってもらった外国製でした。日露戦争で活躍した戦艦「三笠」もイギリスのヴィッカース社製になります。
 当時、日本とイギリスの間には、日英同盟がありましたから、日本は、いろいろとイギリスに良くしてもらっていました。三笠は、元々、別の国の発注によって建造されていた艦だったようですが、順番を変更して、日本に優先的に納入してくれたそうです。三笠はイギリス海軍にも無いような最新鋭の戦艦でしたから、破格の好待遇になります。もっとも、イギリスにとっても、ロシアはイヤな奴でしたから、日本がロシアと戦うとあれば、そのくらいの援助は当然とも云えます。
 イギリスの援助を受けた日本海軍は、無敵と云われたロシアのバルティック艦隊を打ち破ります。そして、旗艦「三笠」の活躍は、イギリスのヴィッカース社にとっても名誉なことだったようです。

 そのような縁もあって、金剛の建造に関してもヴィッカース社は、いろいろと良くしてくれました。まず、イギリスの造船所でお手本となるべき1番艦を建造し、その設計図を基に日本で3隻を建造することになりました。最高の社内機密・軍事機密と云える設計図を譲渡するばかりか、1番艦の建造に日本の技師たちを参加させて、技術指導をするという、手厚さだったそうです。これによって日本の造船技術は飛躍的に向上し、研修した若い技師たちが、後に、戦艦大和建造の中心になっていくわけです。
 ウィキペディアには、進水式でシャンパンボトルを割るのでなく、日本式に、鳩の入ったくす玉を割ったところ、イギリス人に大いにウケたというエピソードが紹介されています。
 金剛型の4隻は、同じ設計図から造られた同型艦ですが、細かい仕様は、それぞれ異なっていたようで、イギリス生まれの「金剛」のデキが、最も良かったと云われています。

 フジミの戦艦「金剛」です。


 フジミのモデルの制作は、巡洋艦「摩耶」以来です。摩耶の組み立てに関しては、いろいろとストレスがありまして、フジミの製品に対して良いイメージが無かったのですが、ウォーターラインシリーズの金剛型の評判が悪いこともあって、再チャレンジとなりました。


 対空装備を大幅強化した、レイテ海戦モデルです。正にハリネズミ状態、対空機銃などは、取り付けらそうなスペースに全て取り付けた、という感じです。しかし、シルエットからうけるスマートさは抜群。ファンが多いのもうなずけます。


 組み立てについては、部品数、取り付け易さなど、摩耶とは別物と云える程良かったです。

 艦これでも、金剛型は人気キャラです。グループで一人は眼鏡キャラは、アニメの鉄則です。
 

 動画は自己責任でどうぞ。背景の戦艦は、ちゃんと金剛型になってます。


 金剛型の戦艦は、その後、2度の改修を経て、近代的な高速戦艦に生まれ変わります。攻撃力・防御力は、やや劣るものの、速力30ノットは、日本の戦艦群では、最速であり、高速機動部隊の護衛用として運用されました。また、上層部が、艦の損失を恐れ、来る決戦に備えて(?)最新の大和型を温存したことにより、開戦時には、すでに艦令が30年を越えていた超老朽艦であったのにもかかわらず、数多くの作戦に参加することとなり、皮肉にも太平洋戦争で最も活躍した戦艦となりました。
 これは、この後、建造された純国産の「山城」や「日向」が多くの欠陥をかかえていたため、太平洋戦争で全くといっていいほど使い物にならなかったのと対照的でした。

 金剛型の4隻が参加した多くの作戦の中で、最も熾烈な戦いとなったのが、第3次ソロモン海戦です。この海戦は、ガダルカナル島をめぐる戦いにおいて、米軍の飛行場を夜間砲撃によって攻撃しようとする日本軍と、それを阻止しようとする連合軍との間で二夜にわたり行われました。
 この海戦は、航空機が関与できない夜間に行われ、双方が操艦上の細かいミスを重ねた結果、艦隊はバラバラ、狭い海峡に敵味方が入り乱れることとなり、海戦史上、例の無い大乱戦となります。
 米軍の艦船はレーダーに艦影を捉えるものの、敵味方の判別もできない有様で、日米両軍ともに味方への誤射も続出。主砲、副砲、高射砲から機銃まで使い、至近距離で手当たり次第に撃ちあった結果、両軍合わせて15隻が撃沈、残った艦も全てが損傷を受け、双方に2,000名近い戦死者を出しました。日本軍は、作戦に参加した戦艦「比叡」「霧島」を失い、米軍も、艦隊司令官が2名とも戦死するなど大きな損害を出しました。
 海戦そのものは、痛み分けに近いと云えますが、飛行場攻撃に失敗したことで、ガダルカナル島での日本陸軍の敗戦は決定的となりました。この敗戦は、太平洋戦争のターニングポイントとされ、これにより、日米両軍の攻守は逆転し、以降、日本軍は敗北を重ねていくことになります。
 
 この海戦で、日本の水雷戦隊はアメリカ軍の新鋭戦艦に対して20本近い魚雷を発射しましたが、信管の調整ミスにより、命中する直前に、全て自爆してしまいました。このうちの数本でも当たっていれば、米戦艦を撃破できただろうと云われています。もっとも、米軍が発射した魚雷も、あまりにも距離が近すぎたため安全装置が働いてしまい、不発弾が相次いだそうですが。

 米軍が最新鋭の戦艦や航空母艦を投入してきたのとは対照的に、日本軍は、戦艦大和や武蔵をこの海域に投入することは、ありませんでした。「霧島」と撃ちあったアメリカの「ワシントン」は、この年に就役したばかり、レーダーと40センチ砲を装備した最新鋭の戦艦です。今年発売の新車と30年前に作られたクラシックカーで勝負したのですから、よく健闘したと云うべきでしょう。
 工業力に劣る日本は、失った戦力を回復するのは容易なことではありませんから、来たるべき決戦(?)に備えての戦力温存、出し惜しみは、理解できないことではありません。しかし、元々、短期決戦でしか勝つ見込みのない戦争のはずでした。太平洋戦争の雌雄を決する決戦に、失っても惜しくないからと老朽艦を派遣するという海軍の戦略は、あまりにもお粗末なものと云わざるを得ません。

 「比叡」「霧島」とも、沈没する直前まで、護衛の駆逐艦が横付けして救助にあたったので、ともに1,000名以上の乗組員が救助されたとあります。

 多くの激戦が行われ、日米両軍の艦船が多数沈没したこの海域は、軍艦や飛行機の残骸が海底を埋め尽くしていることから「アイアンボトム・サウンド」(鉄底海峡)と呼ばれるようになり、現在は、スキューバ・ダイビングの名所になっているそうです。赤字が日本、青字がアメリカの艦船の沈没地点です。


 1番艦「金剛」は、この後も数多くの作戦に参加し、レイテ沖海戦の後、日本に帰投する途中で、潜水艦の雷撃を受けます。命中した魚雷は2本でしたが、浸水を止めることができず、沈没してしまいました。歴戦の損傷で船体が痛んでいたためと云われています。雷撃から沈没まで2時間もあったのにも関わらず、避難命令が遅れたため、司令官、艦長以下1,200人が犠牲になりました。

 3番艦「榛名」は、1944年12月に日本に帰投しますが、すでに国内には、軍艦を動かす燃料は無く、そのまま浮き砲台として、呉軍港に係留されました。
 すでに日本海軍は事実上壊滅状態でした。それは、艦船が沈められたのでなく、動かす燃料が無くなったからでした。1945年4月、温存されていた戦艦大和は、日本に残っていたありったけの燃料を積んで沖縄に出撃していきました。

 榛名は、同年7月の空襲により、20発以上の命中弾を受け大破着底。そのまま、終戦をむかえ、解体されました。資材は、戦後復興に使用されたと云われています。

2017年7月8日土曜日

「最愛」KOH+ feat. 初音ミク ~ガリレオ「容疑者Xの献身」と「四色定理」~

 四色定理(四色問題)は、数学でグラフ理論と呼ばれている分野の問題です。簡単に言えば、世界地図を国別に色分けするとき色鉛筆は4本あれば可能、という定理になります。
 4色以上必要なことは明らかで、5色あれば十分という証明は成されていましたが、4色で必要かつ十分であることの証明は、長い間できませんでした。
 数学の世界での未解決の問題には、他にフェルマーの最終定理(1995年に証明)などがありますが、四色定理の面白さは、素人でもイメージ可能な、その簡潔さにあります。僕もこの話を高校生の時に聞いて、早速、ノートに試したものでした。
 日本地図を塗り分けしてみれば分かることですが、当てずっぽうでは、山梨県の辺りで行き詰まってしまって、4色で塗り分けるのは、意外と難しいものです。


 この定理は、1976年に証明されますが、この時、世界を驚かせたのは、証明にコンピュータを利用したことでした。人間が長年証明できなかった問題をコンピュータが解いた、という衝撃は、質的な違いはあるものの、現代の人工知能にも通じる出来事で、この証明を数学的に認めるのかという論争も起きたと云います。

 で、この四色問題を世間に広く知らしめたのが、劇場版ガリレオ「容疑者Xの献身」です。僕の周りにも、この映画で四色定理を知ったという人が何人かいます。


 天才「湯川」が認めた唯一の天才「石神」・・・良いですね。最高のキャラクターです。数学に優れた才能を持ちながらも、家庭の事情で研究者の道をあきらめ、人生を絶望している石神。人との付き合いを苦手とし、想いを相手に伝えることに不器用な石神。とにかく、感情移入しまくって見てました。事件が解決しないでくれと願ってしまうミステリーなんて、そうあるものではありません。
 石神が天才にもかかわらず、これだけ感情移入できるのも,彼がネットの住人たちが云うところの「こっちの人間」だからに他なりません。感動のラストシーンですけど、あれって、石神がフラれたってことですよね。無償の愛さえも受け入れてもらえないというオタクの哀れさが、あの叫びなんだと思います。

 主題歌「最愛」は福山雅治氏によるもので、オリジナルで歌っているのは柴咲コウさん。今回紹介させていただくテイクは、僕の大好きなmelodylightsさんによるカバー作品です。ミクの歌声があまりにも幼いので、かなりの違和感がありますが、まあ、これはこれで。


「この事件を解決したところで、誰が幸せになると云うんだ」
「となり同士は、決して同じ色になってはならない」
「君は不思議に思ったはずだ、なぜ警察は3月11日のことばかり聴くのかと。」

 印象的なセリフの数々です。湯川が四色定理の証明問題を手土産に石神のアパートを訪ねるシーンがありました。証明の不備を見つけるという課題に徹夜で取り組み解決してしまう石神。格好良かったです。
 レベルは全然違いますけど、数学の問題を徹夜で解いてた受験生の頃を思い出しました。大人になって、徹夜で報告書や企画書を書いていると、あの頃って、なんて贅沢な時間の使い方だったんだろうって思います。

 ガリレオシリーズというと、何と云っても、あの数式(微分方程式?)ですけど、この作品では封印していたみたいです。
 よく誤解されているようですけど、あれは一種の検算です。解答は、湯川の頭の中に既にあって、それを確かめるために計算しているにすぎません。でなければ、あんな速さで書けるわけありませんから。
 この前、テレビの数学チャンピオン決定戦みたいな番組で、同様な場面を見ました。東大の大学院生で、左利きの女の子でした。与えられた課題に対して、他の出場者が試行錯誤しながら解いているのをよそに、可愛らしい丸文字の数式を淀みなく連ねていました。この子が、既に頭の中に解答を得ていることは明らかでした。こういうことって、本当にあるんだって思いました。しかも、それが、ちょっとオタクっぽい、でも、とっても可愛い女の子だったんですから、よく覚えています。

 原作者「東野圭吾」が「堤真一」氏演じる「石神」をして「この証明は美しく無い」と云わせた四色問題の解法。コンピューター解析に依存しない証明は、現在もなされていないとのことです。

2017年7月2日日曜日

1/fゆらぎ理論と松浦亜弥

 エアコンを買い替えました。近所の量販店に行ったら、半年前の型で結構良いやつが、お手頃価格だったので決めました。そしたら、ポイントを5,000も付けてくれました。
 で、今度は扇風機を買いに行きました。今までは、扇風機なんて回っていれば良いって感じだったんですけど、5,000ポイント持ってますから、気分が大きくなってます。さすがに数万円もするダイソンは買えませんが、奮発して、1万円以上するDDモーターのやつを買ってきました。
 そしたら、コンセントにACアダプターが付いてるじゃありませんか。パソコンのコードみたいな感じです。消費電力は、従来のACモーターの半分なんですけど、アダプターに微弱電流が流れてますから、コンセントをさしっぱなしにしていると、電気代なんてトントンかもしれません。
 で、パナソニックなんで、憧れの「1/fゆらぎ機能」が付いてます。しかも、流線型7枚羽根です。直流モーターですから、低速回転が自在です。さっそく、スイッチを入れました。扇風機なんてどれも同じだと思っていた自分が、いかに浅はかだったか思い知らされました。                                                          
 一言で云うと、扇風機をつけていることを忘れてしまうほど快適です。

 さすが、「1/fゆらぎ」です。ところで、松浦亜弥さんの歌声が「1/fゆらぎ」になっているって云われていることをご存知の方も多いと思います。
 歌声の1/fゆらぎ分析は、いくつか行われていて、「美空ひばり」「宇多田ヒカル」「徳永英明」さんなどの歌声が、1/fゆらぎ成分を持つとされています。

 宇宙は、ゆらぎに満ちていて、僕らはゆらぎの中で生きています。高速道路で車が規則正しく等間隔で走っていたら、永遠に合流できません。
 1/fゆらぎは、予測可能な大きくゆっくりした変化に、予測困難な小さく早い変化が、「程よく」ミックスされた状態といえます。世の中は、たまーに起きる大きな出来事と頻発する小さな事件が「程よく」混在してる、なんて言い方もできるかもしれません。この「程よい」混ざり具合が「1/f」で表現できるというのが、理論の中心になります。(と思う)

 ネットから拾ってきた1/fゆらぎ曲線です。周波数や振幅幅が異なる6種類のSIN曲線を1/fゆらぎになるように合成しています。大変美しくできています。


 意図的に不快になるよう作らない限り、音楽は、基本的に1/fゆらぎ成分を持っています。良い音楽を作ろうとすれば、自ずから生体リズムに合致するからです。ただ、音楽に関するゆらぎ分析は、風速だけを考えていれば良い「そよ風」や、単調な音である「せせらぎ」と違って、一筋縄でいくようなものではありません。
 1/fゆらぎの理論的な部分は、僕も十分に理解しているわけでありませんが、分析そのものは、数学的な処理ですから、手順に従っていけば客観的な結果が得られます。分析用のフリーソフトなんかもあって、素人でも可能のようです。でも、これは、高級料理をミキサーで粉々にして栄養分析をして「この料理は体に優しい」とか云っているにすぎません。粉々にする定義を変えれば、結果も変わります。

 音楽に関する分析では、楽曲をfの指数によって分類しています。数値が「1」に近いものを「1/fゆらぎ」とし、数値が大きいほど癒やし成分が多く、小さいと刺激的という具合です。ロックは、数値が低く、クラッシックは大きいとされています。
 数値に最も影響を与えるのは、パーカッションだそうです。ロックの数値が低いのは、バスドラやハイハットをガンガン叩くからで、クラッシックはパーカスが前面に出ることはありません。まあ、その程度のことのようです
 歌声とゆらぎというと、「音痴」「ビブラート」「声量」などを思い浮かべます。これらも無関係ではありませんが、問題にしたいのは声質です。例えば、同じラの音でも、バイオリンとピアノでは音質が違いますし波形も異なります。同様に声質も歌手によって波形が異なり、これは先天的なモノとされています。で、これを分析しようというわけです。(たぶん)

 松浦亜弥さんについてですが、濱本和彦氏(東海大学情報理工学部情報メディア学科)の『1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究』という論文が根拠となっているようです。以前は、ネットでも読むことができたようですけど、今は、検索不能になっていて、実は、僕は読んだことがありません。
 ですから、憶測で語るしか無いんですけど、論文の書かれた頃から推測すると、分析に使われた歌声はアイドル時代のものだと思います。複数の楽曲で分析したのであれば「めっちゃホリデー」とか「桃色片想い」あたりでしょうか。ライブ音源というわけでは無いでしょうから、恐らくCD音源。「あやや」の安定した高音と抑え気味のビブラート、平凡な声質あたりが、ゆらぎ指数を1に近づけた要因でしょうか。
 指数が1に近いということは、ゆらぎに関してはバランスがとれていると云えますが、だからと云って、歌手として、タレントとして優れているとはなりません。「松浦亜弥は1/fゆらぎだから国民的アイドルになった」のではなく、「一人の国民的アイドルを調べたら1/fゆらぎ成分をもっていた」ということにすぎません。だから何なの?って云われたら、それでお終いです。

 ただ、数値そのものは、客観的な評価ですから、全く役に立たないと決めつけるのもどうかと思います。食品のカロリー表示が購入の判断基準の1つになっているように、ゆらぎ指数は、漠然と表現するしかなかった楽曲や歌手のイメージを、数値として表すツールとしての可能性を持っています。『桃色片想い』(松浦亜弥)「演奏時間4分10秒:テンポ156:キーF♯:ゆらぎ指数0.93」なんて表示して、購入の判断材料の1つにしてもらえば良いわけです。
 ただ、カロリー表示だけでは美味しさが分からないように、ゆらぎ指数だけで名曲度や歌唱力の判断ができないのは、云うまでもありません。
 
 学術的な価値は別として、たくさんの歌手を分析して分類してみたり、松浦亜弥さんの歌声の経年変化をゆらぎという尺度で追跡してみるのも、面白いかと思います。いろいろとやっていけば、そのうち何か面白いことが分かったかもしれませんが、ブームが去ってしまった今となっては期待薄です。

 で、パナソニックの扇風機なんですが、ゆらぎ機能は、「蓼科高原」の風をサンプリングしたものとありました。1/fゆらぎのグラフは、計算式で簡単に描けるのですが、そうでなくって、サンプリングデータだったんですね。「蓼科の自然風は1/fゆらぎである。」「パナソニックの扇風機は蓼科の風である。」ゆえに、「パナソニックの扇風機は1/fゆらぎである。」ということのようです。だったら、自然風機能とか、蓼科ボタンでいいと思うんですけど、それを1/fゆらぎ機能とするところが、パナソニックの商売上手なところでしょうか。


 ただ、1/fゆらぎ機能は、微妙な回転数の変化に対応できる直流モーターとそれをスムーズに風に置換する流線型7枚羽根があればこそ効果を発揮できるわけで、歌声だって、歌下手であったら、声質に1/fゆらぎ成分を持っていたとしても話になりません。

 1/fゆらぎがブームだった頃と、松浦亜弥さんが活動していた時期は被ってますから、「松浦亜弥:1/fゆらぎの歌声」なんて云うコピーで売り出したら、当時苦戦していたバラードも、けっこうウケたかもしれません。

 それから、彼女が今も声質に1/fゆらぎ成分を持っているのなら、彼女に子守歌を歌ってもらえる「子あやや」ちゃんは、最高の幸せ者だと云えます。

2017年6月25日日曜日

松浦亜弥さん31才の誕生日に ~LIVE at COTTON CLUB~

 40才を越えたあたりから、自分の年齢が分からなくなった。名簿や申請書に年齢を書くときに当てずっぽうで書くようになり、間違うことも多かった。誕生日が来ても、誰も祝ってくれないのだから致し方ない。もっとも、最近は、定年まであと何年、って感じになってきて、そこから逆算するから間違えることは無くなってしまった。

 で、松浦亜弥さんは、今日で31才になるらしい。自分の印象からすれば、30才の時は、特に何とも思わなかったが、31才になったときは、それなりに考えるところがあった。30代になれば、仕事ができない自分が情けなくもなるし、失敗すると恥ずかしいと思うし、結婚というプレッシャーもかかってくる。
 「三十而立」って昔の偉い人は言ったらしい。大人というのは、30代から始まるし、30代というのは、31から始まるように思う。


 本格的に30代に突入した松浦亜弥さんは、何を考えているのだろう。確か、お子さんは、3つになるはずだ。第2子を考えるか、それとも仕事への復帰を考えるかの分岐の頃である。でも、それは、一般人の思考であって、彼女が何をどう考えているのかなんて想像もつかない。


 ファンというのは、タレントとは独立した存在でもある。
 ジョン・レノンは、もうこの世にはいないけれど彼のファンは存在するし、そのファンの大部分は、彼のライブになんて行ったこともないはずだ。子どもの時、友人に借りた「ヘイ・ジュード」のシングル盤に衝撃を受けたけれど、ビートルズは、もう解散した後だった。

 僕らの存在は、彼女の動向に左右されるものでは無く、自らの意思によるものだ。


 勿論、僕だって、ファンの端くれとして、再び歌ってくれることを希望している。松浦亜弥って、こんなに凄いんだって、世間をあっと云わせて欲しいし、僕は、ずっと前から知っていたんだって、周りの奴らに自慢もしたい。大人になった彼女が、どんな歌唱を披露してくれるか、楽しみにもしている。
 
 期待はしないけれど、絶望もしていない。彼女の動向は、彼女の意思によるモノだけど、僕らの存在は無意味では無いはずだからだ。

2017年6月17日土曜日

遠州・湖北五山「龍潭寺」 №184と「おんな城主 直虎」

 NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」が意外と面白い。

 視聴率もマズマズのようです。女性が主人公の大河ドラマは苦戦することが多いそうですが、相手役に「髙橋一生」氏、チョイ役で「菅田将暉」氏、人気子役の「寺田心」君など、大河ドラマならではの贅沢な俳優陣と、史実がほとんど知られていないために、伏線が効果的に機能、新鮮な気持ちでハラハラドキドキできるストーリー展開などが、ウケている要因のようです。
 歴史ファンからは、髙橋一生氏演ずる「小野但馬守」の描き方について、この路線で大丈夫なの?と危惧する意見もあるようですが、だいたい、この期に及んでも、ドラマの主人公が男だったか女だったか論争されているくらいですから、その他の登場人物の描き方など何でも有りって感じです。
 勉強になったといえば「今川氏は、桶狭間の後、無為無策の内に簡単に滅んでしまった」という誤ったイメージを変えてくれたことでしょうか。まあ、せっかくマイナーな人物が主人公なんですから、下手に検索して、ネタバレに遭遇することの無いように心がけたいものです。


 で、今回紹介させていただく「龍潭寺」は、小林薫氏が演ずる「南渓瑞聞」が住職を務めた、井伊家の菩提寺になります。
 南渓は、井伊家の出身で、井伊家の危機を救った名僧として知られています。ドラマで「直虎」が行ったことになっている施策は、実際には彼によるものだろう、と云われております。
 南渓和尚が抱っこしているのが、ネットで話題の茶トラ猫「にゃんけい」。動物プロダクションにも所属している、れっきとした俳優猫で、オス・メス2匹でのダブルキャストだそうですよ。


 実は、恥ずかしながら、毎回ドラマに登場し、重要な舞台になっている龍潭寺が、湖北五山の龍潭寺であることに気づいたのは、しばらく経ってからのことでした。といいますのも、ドラマの龍潭寺は、いかにも山寺の雰囲気ですが、僕の知っている龍潭寺は、丘の麓にあったようにイメージしていたからです。
 「井伊谷」は、南アルプスに連なる遠州山地を背にして、広大な遠州平野を臨む、平安時代より拓けた地であって、決して、人里離れた山奥の盆地ではありません。

 ドローンによって撮影された映像です。最初に写っているは、ドラマでも度々登場する「出生の井戸」のようです。


 大河ドラマが始まってからは、観光バスが連なって来るなど、龍潭寺も拝観者が急増し、日によっては、拝観待ちになることもあるそうです。

  湖北五山とは、浜名湖の北側にある「初山宝林寺」「龍潭寺」「方広寺」「摩訶耶寺」「大福寺」五ヶ寺の総称です。この五ヶ寺は、どれも由緒正しく、貴重な文化財を所有する立派なお寺さんですが、創建時期や宗派も全く異なっていて、互いに関係は無く、湖北五山という名称も、観光の拠点作りのために、最近になって付けられたとのことでした。
 しかし、五山の名称が商業的に作られたものだとしても、それぞれ個性があって、佇まいの異なるお寺さんを巡るのは、楽しいものです。五ヶ寺を一度に訪れるのが厳しいのであれば、「龍潭寺」「方広寺」「摩訶耶寺」の三ヶ寺だけでも巡ってみてはいかがでしょうか。


 御朱印帳の日付を見ますと、五山を訪ねたのは、平成24年の2月でした。一日かけて五つのお寺さんを巡って、最後に浜松の「石松餃子」にでも行ったのだと思います。


 仏像巡りの観点から云うと、禅宗の龍潭寺は、五ヶ寺の中では、特に見るべきものも無いお寺さんでした。本堂の脇に、江戸時代作の丈六釈迦如来像が客仏として祀られていましたが、そのくらいであったと思います。
 ただし、見るべきものが乏しいというのは、あくまでも仏像に関してであって、いかにも禅宗の寺院らしい落ち着いた佇まいや、小堀遠州作と伝わる庭園、井伊家歴代当主の墓所など、遠州を代表する拝観寺院であることに違いはありません。
 ただ、お庭については、写真も撮りましたし、覚えているのですが、墓所については、どうであったか全く記憶がありません。今思えば、もっと心して拝観すべきであったと反省しております。



さて、拝観を終えて、帰ろうとしたとき、靴を取り間違えられていることに気づきました。靴箱に似たような黒いスニーカーが残っていましたから、どうやらこの靴の持ち主が間違えたようです。代わりにその靴を履いて帰っても良かったのですが、何となく気が引けたので、お寺の奥さんに事情を話したら、寺のサンダルを貸してくれました。それから、近くのホームセンターへの道を教えてもらって靴を買い、サンダルを返すためにもう一度寺に戻りました。
 奥さんは、僕が戻ってきたことに驚いていました。まさか、サンダルを返しに来るとは思っていなかったみたいです。自分としては、お寺のサンダルを借りたままにしているのは、間違えられた靴を履く以上に気が引けただけのことだったのですが、善人扱いされてしまって妙な気分でしたよ。


 ドラマでは龍潭寺の僧侶として、市原隼人氏演ずる「傑山」、小松和重氏演ずる「昊天」などが出てきます。どちらも実在の僧侶のようで、武勇にも優れ、井伊直政に従って参戦したという記録もあるようです。
 井伊家が彦根藩主となったとき、彦根にも龍潭寺をつくります。開山は昊天宗建。やはり立派なお寺さんで、特にお庭が有名のようです。僕は、彦根には2度行きましたが、こちらの龍潭寺には、まだお参りしておりません。
 
 ドラマも佳境に入ってきました。とりあえずの関心は、髙橋一生氏演ずる小野但馬守について、どのようにオチを付けてくれるかってところでしょうか。

2017年6月13日火曜日

幻の枇杷(びわ)

 枇杷の季節になった。僕の住んでいる町には、家の庭先とか、畑の一角とか、公園の片隅とか、思わぬところに枇杷の木があって、たわわに実をつけている。枇杷の木は、実を食べた後の種を埋めておくなどすれば、実生で簡単に増やせるそうだから、そうやって増えていったのだろう。
 ただ、その実は、いわゆる「琵琶」の形をしている一般的な枇杷と違って、丸くて小さい。これは、「白枇杷」と呼ばれているもので、伊豆半島で栽培されていた品種だ。


 僕が生まれた村は、かつて「白枇杷」の栽培が盛んだった。今は、限られた農園でしか栽培されていないとのことだが、僕が子どもの頃は、村には「枇杷山」と呼ばれている果樹畑があちらこちらにあった。

 枇杷の収穫は短期決戦だ。枇杷山を所有しているのは、本家と呼ばれている、地主クラスの家だった。季節になると、村の女性たちは、枇杷山へ収穫の手伝いに行った。
 僕の祖母も、朝早くから日の暮れる頃まで、枇杷山で働いていた。そして、ザルいっぱいの枇杷を持って帰ってきた。たぶん、虫食いや傷みがあって市場に出せないやつをもらってきたんだと思う。今だったら、ジャムなどの加工用にまわすのだろうけど、当時は、そんなことを考えもしなかったのだろう。
 僕らは、ザルの周りに群がって枇杷を食べた。腹一杯、飯が食えなくなるくらい食べまくった。で、次の日になると、また、ザルいっぱいの枇杷を持ってきた。この季節は、村のどの家にも枇杷が置いてあって、食べ放題だった。冬、こたつに入って蜜柑を食べるような感覚で枇杷を食べていた。
 枇杷の実には渋があって、たくさん食べると、指先が茶色に染まった。この渋は、ちょっとやそっと手を洗っただけではとれなかったから、村の子どもたちは、この時期、みんな指先を茶色に染めていた。
 枇杷という果物が、高級で、腹一杯食べるようなものでは無いということを知ったのは、大人になってからである。

 幼いときの記憶ではあるが、枇杷山に遊びに行ったことがある。山には、収穫小屋(と云っても普通の平屋の一軒家くらいあったと思う)があって、枇杷の絵が描かれた紙を貼った木箱が積まれていたのを覚えている。
 枇杷山は、果樹園というよりは、自然林に近かった。枇杷の木は人々が植えたのであろうが、整然と並んでいるわけでは無くて、山をめぐり、高木に梯子をかけて、実を収穫していたように思う。

 「白枇杷」は、一般的な「茂木枇杷」などと比べて、実が丸く小さいのが特徴である。ところが、実が小さいのにかかわらず、種の大きさだけは他の枇杷と同じときている。ただでさえ、枇杷は食べる部分が少ないのに、白枇杷はさらに食べる部分が少ない。枇杷の可食率は65%程度と云われているが、白枇杷は50%も無いと思う。実が薄いので缶詰などに加工することもできない。さらに、白枇杷の実は柔らかく傷つきやすいので、長距離の輸送に耐えられないし、日持ちも極めて悪かった。
 そんな厄介な品種であるのにもかかわらず、白枇杷が珍重される理由は、その味の良さにあった。濃くて上品な甘さは、他品種とは別物と云えるほど美味しい。嘘では無いが、こればかりは実際に食べてもらわないと理解していただけないだろう。
 ただ、欠点が1つあった。白枇杷は、味のバラツキが極めて大きいのだ。もの凄く美味しい実があると思えば、ほとんど味のしないものもあって、それが、外見からは全く判別できないのである。まさにロシアンルーレット状態。白枇杷を食べていると、時々「うおー」という声が出る。これは、当たりを引いた時の、思わず発する至福の叫びだ。

 そんな枇杷の中に、比較的実が大きくて、いわゆる琵琶の形をしたものが混じっていることがあって、これは「ツクモ」と呼ばれていた。果肉は厚めで赤っぽく、味は大味で、可も無く不可も無くといったところだろうか。大人たちの話によると「田中枇杷」との交配によってできた雑種だという。この交配が人為的なものか、自然交配なのか、僕は知らない。が、みんなは、この「ツクモ」を蔑んでいた。村の人たちにとっては、「白枇杷」こそが枇杷であり、誇りだった。
 でも、僕は、この「ツクモ」が好きだった。肉厚で、何より、味にハズレが無いのが良かった。僕が「ツクモが好きだ」と云うと、変わり者あつかいされた。
 
 やがて、食生活が豊かになり、様々な果実が流通するようになって、枇杷の生産量は減少していく。収穫期間が短く、多くの人手を必要とし、デリケートな「白枇杷」は、市場に流通させるには、あまりにも不向きな品種だった。
 村では、枇杷を使って羊羹を作ったり、ワインを作ったりしたようだが、成功したという話は聞いていない。結局、生食以上のものなど有り得なかったのだろう。
 だが、最も深刻な問題は、村の急激な過疎化と高齢化だった。管理する人手の無い枇杷山は、次々と荒廃していった。

 今、伊豆の「白枇杷」は、生産量が極めて少なく、その全てが観光農園と特売所で消費されてしまうので、一般の市場に出てくることは無いという。「初夏の宝石」とか「幻の果実」とか云われているそうだ。観光農園の枇杷狩りは、40分で1500円だと聞いた。
 「以前は枇杷を腹一杯食べたものだ」なんていう話は、完全な昔話になった。もっとも、今ではそんな話をする者もいないだろうし、聞いてくれる者もいないだろう。


 実は、ここだけの話、現在「白枇杷」として売られている品の中には、かなりの比率で「ツクモ」が入っている。恐らく、純粋な白枇杷だけでは、出荷量を確保できないのだろう。でも、これを偽装表示だとか詐欺だとか云う気は無い。「ツクモ」だって僕の故郷が誇る枇杷に変わりないからだ。

 ただ、年寄りたちが生きていれば、何と云うだろうか。

2017年6月10日土曜日

小田さくら、時は来たれり! ~「dearest.」「中央改札」「部屋とYシャツと私」~

 ちょうど2年前、「小田さくら」さんのことを記事にさせていただきました。その時の内容を要約いたしますと、『モーニング娘にいたところで、いいように使われて、センターとかになれるわけでもない。18才くらいまでは、モー娘で頑張るにしても、是非とも10代の内に、ソロに転向して欲しい。』って感じでした。

 そして彼女は18才になりました。

 「小田さくら」さんは、ハロプロのタレントさんの中では、抜群の歌唱力の持ち主ということになっています。ファンイベント「さくらのしらべ」では、ソロで様々な曲を披露していて、松浦亜弥さんの持ち歌も精力的にカバーしているようです。YouTubeにアップされているものでは、「dearest.」とか、「気がつけばあなた」「奇跡の香りダンス」「ずっと好きでいいですか」などがあります。最近のものでは、「引っ越せない気持ち」の音源もアップされています。
 
 ただ、松浦亜弥さんのカバーとなれば、御本家と否応なしに比べてしまうわけで、結局「あやや」の曲を「あやや」以上に歌える子はいないという、悲しい現実とありきたりな結論に至ってしまいます。
 にもかかわらず、僕は、「小田さくら」さんを良いと思います。何故か、彼女の動画を繰り返し見てしまいます。


 この時、デビューから1年後、14才くらいでしょうか。年齢によるハンディを別にしても、松浦亜弥さんとは、比ぶべくもありません。
 正直云って、彼女より可愛いアイドルはたくさんいますし、歌唱に関しても、裏声から地声に戻ってくるところなどは、音程もかなり不安定です。ハロプロの歌手の中には、もっと上手にカバーをしている子もいると思います。
 でも、その至らなさを不快に感じさせない何かを感じます。完璧で無いところが不思議と魅力になっているって云うか、全力でぶつかって玉砕しているようなこのテイクが、僕は好きなんです。まあ、それをファンというのだと云われてしまえばそれまでですが。

 次は、「中央改札」です。昨年のテイクのようですから、17才ってことでしょうか。


 だいぶ、お姉さんっぽくなってます。歌も安心して聴いてられます。マニアックライブ5番の松浦亜弥さんとの勝負だったら、いい線いってるように思います。

 アイドル歌手と呼ばれるからには、しっかり歌うことと、可愛く魅せることの共立は、誰もが目指すことでしょうが、どちらに軸足を置くかは、タレントそれぞれです。当然「小田さくら」さんは、しっかり歌うことに軸足をのせていると思います。それは、周囲の期待もあるでしょうし、自らのプライドからきているのかもしれません。
 しかし、「モーニング娘」というグループアイドルにおける彼女の存在感って、どれほどのものなんでしょうか。集団でダンスをして、僅かばかりの歌割りをもらって、それから・・・。
 
 彼女のテーマソングみたいになっている「Be Alive」です。この曲によるオーディション風景は視聴数も120万回を越えている有名動画ですが、歌っているシーンは1分ほどしかありませんでした。「さくらのしらべ」がDVD化されたと云うことで、フルコーラスのテイクがYouTubeにアップされていました。


 デビュー直後みたいですね。だいぶ幼く見えます。オジさんが此の手の動画を見るのって犯罪にならないのか、ちょっと心配になってきました。
 この楽曲は、ソロで歌うには不向きなんですが、それなりに歌えていると思います。彼女、ホントは一人で歌いたいんじゃないかなと思います。そういえば、松浦亜弥さんも、ユニットやデュエットの曲をソロで歌い直したがるところがありました。

 で、僕は、再び確信しました。

 遂に時は来たれり。「小田さくら」は、モーニング娘を卒業し、おデコを隠し、ソロデビューするべきです。そして、高田みづえ以来、40年近く空席のままの「アイドル系演歌歌手」として君臨して欲しいです。
 別に「ド演歌」を歌えと言っているのではありません。「dearest.」でいいんです。「中央改札」でいいんです。日本語で日本の歌を歌ってくれればいいんです。

 きっと、世の爺さん婆さんたちは、孫を見るように、彼女を応援してくれると思います。
 
 「部屋とYシャツと私」でお終いにします。
 彼女の良いところは、普通に歌ってくれるところです。無理に個性的であろうとしない。誤魔化そうとしない分、未熟さも出てしまう。でも、それが不快に感じないのは、そこに「素直さ」があるからだと思います。

 そして何より、歌うことを彼女自身が楽しんでいる。かつて「あやや」がそうであったように。


2017年5月29日月曜日

「100回のKISS三昧」⑤ ~松浦亜弥13年のキセキ~ バラード編

 5回目の今回は、大人の魅力溢れる2つのテイクを紹介したいと思います。

 まずは、マニアックライブの3番、24才になったばかりの松浦亜弥さんです。歌は、55秒からになります。


 桜井さんのコーラスが素敵ですね。確か「あなたに会いたくて」でも、歌声を披露してくれていたと思います。

 アレンジとしては、ちょっと単調で、淡々と流れていくようなところがあります。盛り上げソングじゃありませんから、これはこれで良いのでしょうけど、僕としましては、多少物足りなさも感じます。
 しかし、歌唱は申し分ないと思います。「100回のKiss:スローバージョン」のNo.1と云えるでしょう。14才の女の子が「あの頃は淋しかった」なんて歌ったところで、あの頃っていつのことだ、ってなりますから。まあ、その背伸び感が彼女の可愛らしさであり、魅力であったわけですけど・・・。皆さん仰るところの、歌詞に彼女自身が追いついたというテイクだと思います。

 お終いは、2013年マニアックライブ5番のテイク。曲は、2曲目で10分58秒からです。
 本当に譜面の準備ができていなかったようですね。それでも歌うって即決したってことは、彼女がこの曲に特別な想いを持っているってことなんでしょう。


 ギターの伴奏で始まって、2番からみんなで入るっていうアレンジは、アコースティックコーナーで披露されたものと同じでしょうか。最後の方で、声が伸びなくなるところがありますけど、すかさずエコーを効かせる、ナイスフォローも入ってます。
 
 最後のグダグダは、何処をどう間違えたのかよく分からないんですけど、気持ちよく歌いすぎて、歌詞を見失っちゃったってところでしょうか。アイドルコンサートでの歌詞飛ばしは、御愛嬌ですけど、バラードでの歌詞飛ばしは致命的です。確か、お台場のライブでの「元気を出して」もそうでしたね。
 マニアックライブの5番の、特に夜の部は、歌唱的には、かなり厳しいものが多い中で、最後に最後にベストテイクが出たって思ったところでの大コケですから、勿体ない話です。
 ホント、そこを抜かせば、イイ感じで歌ってくれていると思います。 

 再生リスト「100回のKISS三昧」は、ここでお終いです。でも、松浦亜弥さんが、いつか復帰したとき、NHKの「SONGS」みたいな番組に出てきたとしたら、きっと「100回のKiss」を歌ってくれるような気がするんです。
 だから、いつか必ず、この再生リストに動画を追加する時が来るって信じているんですよ。

2017年5月19日金曜日

艦これ「阿武隈」MMD動画の完成度が凄い

 先日、ウォーターライン製作記の中で紹介させていただいたMMD動画です。曲は「千本桜」で有名な「黒うさP」氏による「恋愛フィロソフィア」、歌っているのは初音ミク、ダンサーは「艦これ阿武隈改二」になります。


 こちらは、ニコニコ動画へのリンクです。パスワードお持ちの方はこちらを。同じ動画ですけど、艤装付きになってます。

【MMD艦これ】阿武隈改二の恋愛フィロソフィア【モデル配布】

 これ、凄く良いと思いますよ。MMDが公開されて9年になるそうですけど、遂に、ここまで到達したかっていう感じですね。

  MMDの正式名称は「MikuMikuDance」、名前の通り、初音ミクにダンスをさせるために2008年2月に公開されたフリーソフトです。プログラマーの「樋口優」氏が、自家用として、年末年始のお休みを使って組み立てたとされています。
 その最大の特徴は、シンプルで直感的なインターフェイスであること。さらに、モデルや、エフェクト、モーションデータなど、それぞれの分野を得意とするヲタクたちが日々開発し、それらの素材をお互いが共有しているという点にあります。これによって、誰もが簡単にCG動画を製作できるわけです。そして、それらの発表の場としての「ニコニコ動画」存在。
 つまり、自分で楽曲を作らなくても、キャラクターを描かなくても、ダンスを考えなくても、全て借りてくるだけで、動画が作れてしまう。凄いんだけど、誰でもできる。「ご自由にお使い下さい」の究極の形態。著作権を主張しあうので無く、共有するところがMMDの最大の特徴と云えます。

 考えてみれば、この世の中全てのものは、先人たちの技術の積み上げによって成り立っているわけですからね。

 次も「阿武隈」の動画です。モデル作成は、可愛い艦娘をたくさん発表している「つみだんご」さんです。
 

 滑らかに動くものですねえ。モーションキャプチャーしているのかと思いました。

 艦これMMD動画作品は、たくさんのヲタクさんたちの、技術の積み上げによって作成されています。ヲタク連鎖の頂点に君臨するもの、それが「艦これMMD」であり、世界に誇れる日本の文化の1つと云えましょう。

2017年5月13日土曜日

「艦これライヴ 始まるよっ!」のライブ感が凄すぎる

 小ネタです。

 曲名は「恋の2-4-11」と云います。歌っているのは、艦隊のアイドル「那珂ちゃん」です。(声優の佐倉綾音さんでは無いらしい)
 ここでは、「艦これ」とは何かとか、何故、旧帝国海軍のライトクルーザー「那珂」がアイドルなのかとか、「2-4-11」ってどういう意味なのかとか、すべて割愛させていただきます。
 では、何で取り上げたのかと云いますと、とにかく、曲のアレンジが面白すぎだからです。まあ、聴いてみて下さい。


 ライブ会場だと、ベースの音とか、こもるじゃないですか。その辺も忠実に再現していると思います。ドラムの音が雑っぽいところなんて妙にリアルだし。何より、バンドアレンジが「あるある」って感じで面白いです。

 高校生の時に、バンドに誘われて、文化祭でディープパープルのコピーバンドで参加した話を、以前、投降させていただきました。で、その時に、ステージには、バレーボール部の奴らも出てたんですよね。それが、女子バレー部の子たちにアイドル(キャンディーズでした)やらせて、男子バレー部の奴らが、バックバンドやるっていうのだったんです。それが、本当に楽しいステージで、その時から、アイドルライブのバックバンドをやるってのが、僕の密かな夢になりました。
 この動画を見つけたとき、そんな思い出が蘇ってきて、ときかく、ニヤニヤしながら、この動画を見てしまいました。

2017年5月9日火曜日

初音ミク「マジカルミライ2017」チケット予約戦況報告


 「マジカルミライ2017 in幕張メッセ」のチケット争奪戦が始まっています。場所は、昨年と同じ幕張メッセなんですが、ライブ会場が国際展示場第3ホールのみと云うことで、少し小さくなってしまいました。
 昨年もチケットは完売だったはずですが、規模が縮小されたってことは、人気の低下が続いているってことでしょうか。
 まあ、好意的に考えると、デカいホールでやったところで、後ろの方なんて全然見えませんからね。ある程度、規模を小さくして、後ろの人もちゃんと見られるようにした方が良いってこともあります。(だったらイベントホールでなくって、コンサートホールでやるべきですけどw)
 3番ホールでの開催ということで、もしかしてスタンディングでは?と危惧していたんですけど、指定席のようですから、昨年同様、パイプ椅子を並べるみたいです。

 今回は、3日間で5公演です。昨年は、SS席2公演分を奇跡のゲットでしたが、そんなに毎回うまくいくものではありません。でも、S席ではありますが、昼の公演をとりあえず1つ確保できたので一安心です。

 先日、抽選結果が出たのが「5周年メモリアルチケット抽選先行」ってやつです。で、今度は、「オフィシャルWeb抽選先行」があります。この後、「プレイガイド先行」があります。
 一般販売前に「先行・・・」が3つもあって、どれがどう先行なのか分かりません。「プレイガイド先行」なんて、先行なんて云ったって、完全に残席だと思います。いったいチケットをどのように配分しているんでしょうか。
 初音ミクはファンクラブがありませんから、チケット争奪戦は、全員平等、ハンディー無しの横並びヨーイドンのはずですけど、一般販売では、良席を取れるわけもなく、今回の先行予約でダメならば戦闘終了ってことになりそうです。

 ライブも、行けば楽しいんですけど、爆発的なヒット曲が無い中で、毎年のこととなると、若干マンネリ気味と云うか、義務的な気持ちになってしまうのも事実。昔の「亜弥ヲタ」さんたちもこんな気分で離れていったのかな、なんて考えてしまいました。
 
 楽曲コンテストの入選曲だそうです。ライブ会場で演奏されるとのこと。なんか「初音ミク」=「オートチューン」ってイメージが固定化しつつありますけど、自然な歌声を追求してきたエンジニアの皆さんの努力を考えると複雑な気分です。


SS席ゲットできたら報告します。