2017年3月31日金曜日

「はるみ」ちゃん ~ノーストレスな究極の春蜜柑~

 僕は、好き嫌いは無い方だと思います。ただ、酸っぱいものが苦手です。ですから、蜜柑を食べるときには、いつも皮がブカブカしているのを選びます。「味が濃い」とか、「コクがある」というのは要警戒です。いくら甘くても酸味が伴うのは困ります。だったら、何も味がしない方がマシです。僕にとって「大味」は「安心」の同義語です。
 酸味が無く甘いだけの「ノーストレス蜜柑」、それが僕の理想の蜜柑像でした。

 「ポンカン」を食べたときは、その酸味の無さに感動しました。

 「デコポン」を食べたときは、見た目とのギャップに参りました。

  「せとか」を見たときには、その値段の高さに仰天しました。

 そして昨年、ついに究極のミカンに出会いました。敬意を込めて「はるみ」ちゃんと呼ばせていただきます。「ポンカン」よりも大ぶりで種子が無く、「デコポン」よりも皮が薄く繊細で、「シラヌヒ」のように当たり外れがなく、「せとか」の4分の1の値段で買える。それが「はるみ」ちゃんです。


 「はるみ」ちゃんは、静岡市の果樹研究所で誕生しました。同じく静岡生まれの母親「清見オレンジ」とインド原産の父親「ポンカン」との交配だそうですから、「デコポン」とは姉妹、「せとか」とは、父親違いの姉妹になります。
 姉の「デコポン」は、その容姿のあまりの醜さに、味覚検査をされることなくボツにされたものの、味の良さを惜しんだ生産者さんが、密かに育て続け、やがて、見た目と味とのギャップと「デコポン」というネーミングの巧みさで人気を高めていきました。
 一方、妹の「はるみ」ちゃんは、姉とは違い、生まれながらの美しい容姿の持ち主でした。香りはオレンジに似ていますが、皮は薄く柔らかく剥きやすく、じょうのう膜は極めて薄く、種子もありません。酸味は全くなく、甘みは抜群。皮を剥いたら、中からみかんの缶詰が出てきたと云えば、お分かりいただけるかと思います。
 見た目も味も最高の「はるみ」ちゃんですが、栽培が難しいという弱点をかかえていました。そういえば、芸能界にも、可愛くって、歌も上手いけど、扱いにくいという歌手がいましたね。

 「はるみ」ちゃんは、生まれは静岡県ですが、生産の中心は、愛媛県や広島県で、生産量も少なく、流通も限られていたみたいです。静岡県で、広く栽培されるようになったのは、ごく最近のことだそうで、生産の中心は、発祥の地である、清水・興津のあたり、みかんの栽培が盛んな浜名湖の北部、それから、伊豆や、愛知県東部でも作っているみたいです。流通量が増えるに従って、スーパーマーケットでも普通に売られるようになりました。値段も大玉が1個100円くらい、小玉だと5個で300円くらいですから、「せとか」よりもずっと安いと思います。

 昨年、近所のスーパーで見つけて、試しに食べてみたところ、一発で虜になってしまいました。それから、スーパーに行くたびに買い求めて、1ヶ月間、毎日1個ずつ食べ続けました。昨年度の静岡県の「はるみ」ちゃんの消費量の何%かは僕です。
 で、今年も、食べ続けました。何個食べたか想像もできません。今はもう、旬も過ぎつつあり、売っている店も限られてきました。大きさも小玉なものばかりですが、まだまだ味はしっかり「はるみ」ちゃんです。しかし、あと1週間ほどで、今シーズンも終わりと思うと、さみしい限りです。

 最近、「はるみ」ちゃんの他に、「はるか」「せとか」「せとみ」などという品種も並んでいますので、是非とも「デコポン」みたいに、「はるみ」ちゃんの魅力が伝わるインパクトある素敵な名前を付けて、「登録商標」していただきたいと思います。

 来年は、生産量もさらに増えて、スーパーの果物売り場に君臨してくれることでしょう。

2017年3月27日月曜日

ウォーターライン製作記⑤ ~巡洋艦「天龍」とウェーク島の戦い~

 軽巡洋艦「天龍」はハセガワの製品で、2015年3月に完全リニューアルしたモデルです。では、早速ハセガワの製品紹介を見てみましょう。
 
【第一次大戦直後に竣工した天龍型は、日本海軍軽巡洋艦の始祖に当たる艦艇です。キットは最新の考証に基づいて設計を行い、現在の金型技術を駆使したハイディテールな精密モデルとして生まれ変わりました。14cm砲の砲身や25mm連装機銃の銃身の細さなどは感動ものです!】

 自社製品を「感動もの」と言い切ってしまうところが何ともですね。砲身をリアルに再現するのも良いんですけど、細さまで700分の1にしなくても良いかなって思います。折れたらお終いですから。
 ただ、連装機銃や内火艇など、共通部品であったものを、専用部品に入れ替えるなど、ハセガワのディテールに対する意気込みは大変なものです。写真では、お分かりいただけないかもしれませんが、魚雷発射管などは確かに感動ものです。プラモデルの精密化は、パーツを細分化することでなく、パーツ個々のクオリティーを高めることにある、というハセガワの信念に深く共感した次第です。
 まあ、共通部品を新しい精密金型でリニューアルすれば良いだけの話なんですけどね。その辺の各社の足並みの揃わなさが、残念なところではあります。

  上がタミヤの従来品、下がハセガワのリニューアル品です。


 船体を左右に分割しているのは、「赤城」と同じです。このやり方は、艦船の大小に関わらずハセガワのスタイルのようです。あと、前部の三本足のマストの長さがどうしても合わなくって、仕方なく、前足を少し切り落として接着しました。で、先輩方の作品を見たら・・・・あれっ「天龍」のマストって斜めだったんですか。マストは垂直に立っているという固定観念に捕らわれて、こりゃ部品の成形ミスだ、なんて思ってしまいました。ハセガワさんゴメンナサイ。

 こちらがネットから拾ってきた「天龍」の画像です。当初は、艦橋の天井が天幕なんですね。昔の船乗りは、吹き曝しのなかで操艦していたわけです。
 で、マストは・・・改装前ってことでしょうか。


 箱絵は、「加藤単駆郎」氏が担当しています。右旋回中の「天龍」です。「外方傾斜」によって、船体が左側に傾いているのが分かります。その傾斜を利用して甲板上を描いています。そう云えば、セウォル号の沈没原因も外方傾斜で積み荷が崩れたからでした。
 それから、主砲の周りにいるのは、弾込めしている水兵さんです。「天龍」の14cm速射砲は、人力装填だったそうです。
 このこだわり感こそ精密イラストですね。ますます単駆郎氏のファンになってしまいました。で、マストは・・・こちらは改装後ですね。


 先ほどから、一緒に写ってるのは、タミヤの駆逐艦「暁」です。比べて分かるように、天龍型は排水量3500トンですから、大型の駆逐艦サイズってところですね。


 「天龍」は、前述の通り、第一次世界大戦直後の1919年に竣工した小型の軽巡洋艦です。主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待され建造されました。日本の軽巡洋艦の元祖とも云われています。傑作艦といわれた「天龍」ですが、居住性に難があり、小型であるが故に大規模な改装も不可能で、姉妹艦「龍田」の2隻しか建造されませんでした。この後、軽巡洋艦のサイズは、航空機の搭載が可能な5500トンクラスが標準となっていきます。

 太平洋戦争が始まったとき、「天龍」は、竣工から20年を越えていました。しかし補助艦艇が絶対的に不足していた海軍において、旧式ながらも最前線に送られ、ウェーク島攻略作戦、珊瑚海海戦、ポートモレスビー作戦、第一次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦など太平洋戦争を代表する作戦の支援任務に従事しました。

 特に、第一次ソロモン海戦は、老艦であることを理由に夜襲作戦から外されていたのを、戦隊参謀らが参加を懇願して急遽認められたものでした。艦隊の足手まといにならないようにと、最後尾に配置されていたのですが、乱戦の中、米巡洋艦を雷撃で撃沈、駆逐艦を砲撃で撃破するなどの思わぬ大戦果をあげます。
 しかし、開戦からわずか1年後の1942年12月、ビスマルク海にて輸送船の護衛の最中、潜水艦の雷撃により撃沈しました。この時は、沈没まで2時間ほど時間があり、救助活動の結果、乗組員の多くが生還することができたようです。

 艦これの「天龍」です。名前のイメージからか、ソロモン海戦の活躍からか、艦これには珍しく武闘派キャラです。隻眼なのは、ソロモン海戦で、探照灯を破壊されたという史実からと思われます。って、よく考えるものですね。


 で、今回紹介させていただく「ウェーク島の戦い」は、太平洋戦争の中では、あまり知られていない戦いではないでしょうか。島を守っていた米海兵隊が、僅かな戦力と知恵と勇気によって、迫り来る大軍を撃退するという、アメリカの戦争映画そのままみたいな戦いです。


 アメリカ領ウェーク島は、太平洋のど真ん中にある珊瑚礁の島です。日本軍は1941年12月8日の日米開戦と同時にウェーク島を空襲。三日後に軽巡洋艦、駆逐艦、輸送船で構成された攻略部隊が島に接近。軽巡「天龍」も支援部隊として艦砲射撃をおこないました。
 空襲により米戦闘機部隊及び島の砲台は壊滅という報告を受けていた攻略部隊ですが、島に接近した艦隊は、島の砲台から思わぬ反撃を受け混乱します。
 駆逐艦「疾風」は直撃弾を受けて轟沈。さらに、米軍は、残存していた4機の戦闘機で敗走する艦隊を追撃します。F4F戦闘機に100ポンド爆弾をロープで吊り下げて爆撃機に仕立てるという、どこかの映画みたいな攻撃により駆逐艦「如月」は爆沈。「天龍」も機銃掃射を受けて多数の死傷者を出しました。

 ウェーク島攻略に失敗した日本軍でしたが、その10日後に第2次攻略部隊を派遣します。前回の攻略部隊がたった4機の戦闘機に翻弄されたことから、真珠湾攻撃から帰投中の第2航空戦隊(飛龍・蒼龍)に支援を依頼。さらに、グアム島攻略を終えた重巡洋艦4隻を加えるなど、戦力を大幅に増強しての出撃でした。
 一方、真珠湾攻撃による混乱が続いていたアメリカ軍は、ウェーク島への支援を断念してしまいます。孤立無援となった米守備隊ですが、大軍を相手に激しく抵抗しました。
 残存2機となっていた米戦闘機は、2航戦の精鋭部隊に奇襲を仕掛け、攻撃機2機を撃墜するという大戦果をあげますが、直後に零戦に撃墜されます。海岸では、上陸した海軍陸戦隊に米海兵隊が応戦しました。
 激戦の末、アメリカ軍は降伏しますが、アメリカ軍の戦死者122名に対し、日本軍の戦死者は少なくとも469名に及んだと云われています。

 捕虜となった米兵に滑走路の修復を命じたところ、倉庫からブルドーザーとパワーシャベルを持ち出し、半日で作業を終えてしまったのを見て、人力の土木作業しかやったことのない日本兵は大変驚いた、というエピソードが伝わっています。

 開戦直後のこの戦いは、この後3年半にわたって太平洋で繰り広げられる離島の攻防戦について、多くの教訓を残しました。
 航空機支援の重要性。空爆の効果を判定することの難しさ。太平洋の高波が押し寄せる海岸での上陸作戦が、いかに困難であるか。機銃陣地に向かって歩兵を突撃させることが、いかに愚かなことか。そして何より、アメリカの正規軍が、いかに強い軍隊であるか。
 しかし、日本海軍の上層部は、これら実戦部隊からの報告を、次の戦いに生かすことはできませんでした。この8ヶ月後、日本軍は、ガダルカナル島において、同じ過ちを繰り返すのです。それも何倍もの規模で。

 ウェーク島に残った日本軍の状況も凄惨を極めていきました。戦局が悪化するにつれて補給も滞りがちになり、米軍の大空襲により物資は焼失、混乱の中、抑留していた米兵98名全員を虐殺するという事件も起きています。

 やがて、太平洋戦争の主戦場はマリアナやフィリピンへ移り、戦略的価値を失ったウェーク島は、敵からも味方からも見捨てられました。

 そして、島には飢餓が訪れました。椰子の木しか生えていないような絶海の小島に4,000人もの兵士が駐留していました。彼らは全員が極度の栄養失調に陥りました。島にある食べられそうなものは全て食べ尽くし、時折、潜水艦が決死の思いで運んでくる僅かな物資によって、辛うじて命を繋いでいるという状態でした。
 ウェーク島守備部隊は、終戦までに1,331名の戦死・戦病死者を出しますが、そのうちの1,000名以上が餓死だったと云われています。

2017年3月24日金曜日

「100回のKISS三昧」③~松浦亜弥13年のキセキ~ 2004年編

 まずは、2004年の6月に放送されたNHKの「夢・音楽館」からのテイクです。この番組では、「買い物ブギ」とか「ドッキドキLoveメール」など、村田陽一氏がアレンジを担当したテイクが放送されました。リンクになります。


 このNHK番組のテイクは比較的短命のものが多かったんですけど、このファイルはアップしていただいてから、かれこれ1年半ほどになります。視聴回数は一年半で600回ちょっとと、淋しい感じですが、ファンには有名なテイクだと思います。
 このビッグバンドバージョンがあって、スローバージョンがあって、これらがあるからこそ、末永く歌うことが実現できたわけで、そう云う意味でも、このテイクは貴重ですよね。歌に対してのチャレンジングな姿勢というのは、後のカバー曲にも通じるところで、彼女の特徴の1つに思います。

 そして、ただ貴重なだけでなくって、本当にイイ感じなんですよね。アレンジも素晴らしいと思います。

 そして、もう1つが「アロハロ2」ヴァージョンになります。DVDのリリースが2004年の7月とありましたから、この2つは、ほぼ同時期のテイクになります。どちらのテイクからも云えることですけど、発育は確かに良いと思います。Amazonのレビューなんか、そのことしか書かれてませんからね。CDよりも写真集のほうが売れたというのも納得です。


 こんなレビューがありました。
「松浦が大人になるのが早すぎて、複雑な思いがライブをみても、これをみても感じられる。」
ですって。

 「大人になるのが早すぎて」・・・当時のファン心理をうまく言い表していると思います。そして、今回取り上げた2つのテイクに共通していることでもあります。
 この妙な背伸び感は、彼女の魅力でもありましたが、アイドル「あやや」に対するイメージは混乱していったのです。

2017年3月23日木曜日

いきものがかり「SAKURA」を初音ミクがカバーしてくれました

 桜の開花宣言が、あちらこちらで出始めました。温暖化のためでしょうか、このところ、卒業シーズンから咲き始めてしまう年が続きましたが、今年は、入学シーズンに合わせて満開に咲いてくれそうに思います。
 日本人の桜好きは、たくさんの桜の歌を生み出しました。それらは「出会い系」と「別れ系」に分けることができます。桜の花は、希望に溢れる出会いの季節に咲くように思うんですが、桜の散るイメージが別れを連想させるからでしょうか、圧倒的に「さよならソング」が多いように思います。

 「SAKURA」は、2006年3月にリリースされた、いきものがかりのメジャーデビューシングルです。路上ライブを中心に活動していた彼らが、メジャーデビューするにあたっての渾身の一曲になります。題材があまりにもオーソドックスな「桜」をデビュー曲にするについては、いろいろと懸念もあったようですが、奇をてらうことなく、正攻法でぶつかっていったのが良かったみたいですね。まあ、曲さえ良ければ、心配ご無用ということでしょうか。


 続いてボーカロイドカバーです。このブログでも度々紹介させていただいている「melodylights」さんの作品になります。 
 

 伴奏はオリジナルを越えているんではないでしょうかw

 歌の方は「~さくら、まい『チー』る~」のところが、いかにもミクって感じですね。もちろん、これは、ちゃんと個性があるという褒め言葉です。
 それから、これは褒め言葉にならないかもしれませんけど、いきなり高音を出したり、短い息継ぎで歌い続けたりなんてところは、さすがボーカロイドだと思います。下手に人間にカバーされるくらいなら、ミクちゃんに歌ってももらった方が良いと思うんですけど・・・まあ、少数派ですよね。

2017年3月17日金曜日

伊豆と駿河と遠江、そして静岡県

 静岡県というのは、思っている以上に東西に長く延びています。「のぞみ」は全てスルーしますけど、新幹線の駅は6駅もありますし、高速道路を運転していても、静岡県を通りぬけるだけで疲れてしまいます。
 電力会社も富士川を境に、中部電力と東京電力に分かれています。ですから同じ県なのに周波数が50Hzと60Hzの所があります。震災直後、計画停電が夜にあると、東部の人たちは、中部電力の管内である富士川の向こう側に遊びに行ったりしたものでした。
 
 静岡県は、過去には「駿河」「遠江」「伊豆」の3つの国に分かれていました。「遠江」は、現在の西部地方、「駿河」は現在の中部地方と東部地方の半分、「伊豆」が東部地方の残り半分にあたります。
 昔の人が別の国としていたのは、それなりの理由があります。戦国時代、遠江国は今川や徳川が治めていました。伊豆国を納めていたのは北条です。互いに敵対していた国どおしが、同じ県になっているわけですから、まあ、いろいろとあるわけです。

 というわけで、今回は、静岡の県民性についてです。ただし、静岡県民は怠け者が多いとかいう、個人レベルの話にならないように心がけていきたいと思います。

 まずは、言葉です。「浜松弁」と「静岡弁」は、全く別の言語です。単語が異なるだけで無く、イントネーションからして全く違います。標準語を話していると自負している東部の人間からすると、「浜松弁」は、ほとんど「名古屋弁」です。ですから、「静岡弁」と「浜松弁」の違いは、「標準語」と「名古屋弁」との違いに匹敵します。

 それから、浜松の人たちは、「中日ドラゴンズ」を応援しています。東部の人間は、基本的に「ジャイアンツ」です。中部地方の一部には、「横浜ベイスターズ」を応援している人たちがいますが、これは、昔々、静岡が大洋ホエールズのキャンプ地であったことに由来するものです。
 プロ野球のキャンプ地に使われていたくらいですから、静岡の気候は穏やかです。南に駿河湾をかかえ、残りの三方を山に囲まれている静岡市は、陽だまりの中で暮らしているようなものです。宮崎よりも暖かいくらいです。今年、大寒波がやってきて全国的に雪が降った時も、静岡は雨でした。
 一方、浜松は、遠州の空っ風が吹きます。雪雲が濃尾平野を抜けてやって来るので、時々雪も降ります。

 でも、その分、西部の人間は、たくましいところがあります。遠州には、「やらまいか」という言葉があります。とにかくやってみようというチャレンジ精神を表す言葉です。ですから、遠州には、たくさんの起業家が育ちました。音楽の「YAHAMA」と「KAWAI」、自動車の「ホンダ」と「スズキ」など数え切れない程あります。世界の「TOYOTA」は、今でこそ愛知県が本拠地ですが、「豊田佐吉」氏は、遠州の出身です。
 静岡には、「やらまいか」をもじって「やめまいか」という言葉があります。面倒なことをいやがって、現状維持を良しとする精神です。
 江戸時代、大御所となった徳川家康は、駿府(静岡)に住んでいました。ですから、駿府の町はいろいろなことで優遇されていました。家康に甘やかされていた駿府の商人たちは、何の苦労も無く特権を手にしていたんです。日本全国にコンビニが広まっていった時代、最後までコンビニがなかった都市が静岡市でした。

 それから、静岡県人を揶揄する言葉に、「遠州の泥棒」「駿河の物乞い」「伊豆の餓死」というのがあります。食べ物がなくなったときの行動ですけど、この言葉の根拠は、もうお分かりですね。アグレッシブな西部、他人任せの中部ってことです。
 「伊豆の餓死」っていうのは、何もしないってことですけど、あまり困難に遭遇することが無いということの裏返しでもあります。もし、静岡県人について、温暖な気候の中で、争うこと無くのんびり暮らしているというイメージがあるとすれば、東部の人間がそれにあたります。これといった産業もないのに、暮らし向きが豊かで(実際に年収が多いと云うことで無く、気持ちの面で)新車の売上げも一番多いと云われています。

 スポーツは、完全に西高東低です。っていうか、僕が子どもの頃から、運動に限らず全ての部活動において、東部と西部のレベルの差は歴然としていました。野球、サッカーから、吹奏楽、読書感想文にいたるまで、全ての大会、コンクールにおいて東部は西部に敵いませんでした。
 だからといって、頑張ろうってことにならないのが東部の特徴。東部の学校が高校野球やサッカーの代表になれないのは、有力な私学校がないからばかりではありません。
 でも、西部には中学校や高校で燃え尽きてしまう奴も多くって、プロの選手には、東部の人間が意外に多かったりします。

 東部からだと、浜松は東京よりも遠いですし、話し言葉も違うので、外国に行った気分になります。電話代の請求がNTT西日本から来た時は何かの間違いだと思いました。
 西部の人間は、静岡県人にもかかわらず富士山を見ると喜びます。県民あるあるで「静岡県はこんな所です」って「ももクロ」の子が言うと「それは西部のことだろ」ってつっこみ、勝俣が言うと「それは東部だろ」ってつっこまれます。だから、静岡県代表で出てきた奴がどこの出身かを大変気にします。
 
 でも、同じ県のおかげで良いこともあります。炭焼きレストラン「さわやか」があります。手土産に困ったら「うなぎパイ」を持っていきます。パチンコ「コンコルド」のCMを見ることが出来ます。

 このように静岡県は、東日本的で、西日本的で、山あり、海あり、街あり、農村あり、漁村ありと、様々な特性を合わせ持っているので、マーケティング業界では、新製品のテスト販売に使われることが多いと聞きました。

 そんな静岡県民が心を1つにするのが防災訓練です。30年間東海地震のことばかり言われ続けたので、子どもの頃から避難訓練ばかりしています。どんなオンボロ市役所も耐震化だけはガッチリされていますし、どの家庭でも家具は壁に固定されています。避難訓練のネタ話を語り合う時、僕らは同じ静岡県民であることを認識するのです。

2017年3月14日火曜日

冨田勲「ドクターコッペリアス」公演と3Dホログラム

 尊敬する故冨田勲先生の遺作「ドクター・コッペリウス」。11月の渋谷公演に続いて、4月にすみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団による再演が発表されていましたが、突然の延期となりました。代替え公演として、4月19日に生誕85周年記念としてアニメ交響詩「ジャングル大帝」が演奏されます。

 延期の理由については、技術的な課題とされていますが、だったら11月の公演は何だったんでしょうか。まあ、初音ミクよりもジャングル大帝の方がチケット売れそう・・・、なんて勘ぐりもしましたが、冨田勲先生のブランド力で、何をやってもコンサートホールは、満席になるでしょうから、中止の裏には、何かあったのかなって思います。

 製作ドキュメンタリーの動画があります。


 変形する布状のスクリーンが紹介されていましたね。あれ、最初見たときは、スピーカーかと思いましたよ。何を映していたか思い出せないんですけど、劇的な演出効果ってほどでもなかったですね。まあ、スクリーンを変形させるというチャレンジは、大いに評価したいと思いますが、効果的な使い方となるとまだまだ検討の余地があるようです。

 それから、CG製作風景が紹介されています。モーションキャプチャーの様子が出ていましたけど、ミクのライブ映像もああやって作っているのだと思います。

 で、バレエダンサーさんと共演する映像についてです。

 以前にも、感想を書かせていただきましたが、あれは酷い物でした。やっぱり3Dホログラムだったんですね。それを斜めに設置した鏡に反射させていたようです。

 時々、誤解されるんですけど、ライブでの初音ミクの映像は、3Dじゃありませんし、ホログラムでもありません。レーザープロジェクターで映し出された2Dです。それを透過型のディラッドスクリーンに映すことで、スクリーンの向こう側を見せ、奥行きと立体感を出している。つまり、ポイントは、プロジェクターでなくってスクリーンの側にあります。
 それに対して、ホログラムは、投影装置そのものにポイントがあります。バーチャル技術としては、3Dホログラムの方が優れていますが、問題は映像の大きさです。コンサートホールで、観衆に向かって、等身大の女の子の映像を滑らかに、尚且つ鮮明に映し出すということは、現在のホログラム技術でも難しいようです。映像が不鮮明であるために、結果的に立体感など微塵も感じられません。
 このことが再演延期の理由では無いと思いますが、この問題の解決はかなり困難かと思います。もちろんチャレンジする価値は大いにありますから、是非とも頑張って欲しいです。

 このCG映像を見て、改めて思ったことは、ディラッドスクリーンの有用性です。複数の高輝度レーザープロジェクターを使い、スクリーンに二重三重に重ねて映し出される映像は、武道館や横浜アリーナなどの大型施設でも有効であることが証明されていますからね。
 お店のショーウィンドーやビルの窓などに設置できる投影装置として、街中でもっともっと活躍して欲しいです。

 ただ、「初音ミク」と云うのは、あくまでも歌うシステムであって、CG技術ではありません。ですから、本当は、オーケストラに合わせて歌うソリストとしての歌唱が、どうであったのかを語るべきなんですよね。
 で、この点についてどうだったのかと云えば、「・・・・・」って感じですね。このコンサートに限った話ではないのですけど、どうも歌わせているキーが高いように感じます。この娘の良さが出てくる音域ってもう少し下の方にあるんじゃないかって思います。これだとキンキンした歌声にしか聞こえないんですよね。初音ミクは、ソプラノ歌手に非ずってところでしょうか。まあ、これは僕がオジさんだからってことも関係あるかも知れません。

 で、4月の生誕85周年記念公演、関心はありますが、今のところ参戦する予定はありません。「イーハトーブ交響曲」と「ジャングル大帝」の二本立てなら最高なんですけどね。で、アンコールに、「マイティジャック」とか「青い地球は誰のもの」とかの懐かしのテレビテーマソングとかやってくれたら、号泣ものなんですけど・・・。

2017年3月12日日曜日

「松浦亜弥がカッコ良すぎる!~奇跡の香りダンス~」が奇跡的なことになっている

 YouTubeで「松浦亜弥」と入力して検索すると、「桃色片想い」や「めっちゃホリデー」のPVを差し置いて1番最初に出てくるのが、「松浦亜弥カバー曲集」です。もうかれこれ、3年近くこんな状態が続いています。カバー曲の再生リストがオリジナル曲のPVよりも上に出てくるってのが、ずっと複雑な心境だったんですけど、ついに逆転の可能性が出てきました。
 ふくちゃんさんが4年前にアップしてくださった「松浦亜弥がカッコ良すぎる!~奇跡の香りダンス・The美学~」が猛烈な勢いで再生されているようです。これって確か2008年のライブからのテイクですよね。でも、何で今頃「奇跡の香りダンス」と「The美学」なんでしょうか。とりあえず確認してみましょう。


 コメント数が凄いですね。お知らせメールとか設定していたら鳴りっぱなしになってそうです。

 コンサートツアー「AYA The Witch」は、松浦亜弥さん念願のフル生バンド構成のライブで、数あるコンサートDVDの中でもファンからの評価が高いライブです。僕的には、まだ22才だというのに、どうみても30才くらいに見える出で立ちが気に入らないんですけど、バンドを前面に出した格好いいライブであることは確かです。

 この動画もそんなバンドの格好良さを前面に出しているテイクだと思います。もう何回も見ていますので、最初の煽りのところから、梶やんのボケまで暗唱できるくらいなんですけど、今も見始めると、ついつい最後まで見てしまいます。
 楽曲の途中でのメンバー紹介って、バッチリ決まれば格好いいんですけど、スベると1曲無駄にしてしまいますから難しいんですよね。梶やんに3つふったのは、アドリブでしょうから、そこから加速していって菊ちゃんのギターソロにもってくところなんて秀逸です。オタさんも完璧にコールを合わせてくるし、こういったところって、一朝一夕にできるものではありませんからね。

 先ほど、最後まで見ちゃいますって書きましたけど、嘘をついてました。実は、The美学が始まるところで、お終いにしてしまうことも多いんです。けっしてThe美学がつまらないってことじゃなくって、ここまでで、松浦亜弥さんの格好良さは十分満喫できるってことなんです。ちょっと苦しいですね。

 歌手復帰の噂があります。
 ファンからすれば馬鹿馬鹿しい話かもしれませんけど、世間的には「元アイドル歌手が30才でカムバックしたときの復活ライブ」ってこんなイメージじゃないかって思うんですよ。マニアックライブの影響からか、松浦亜弥さんの歌を聴くときには、立っちゃダメとかペンライト振っちゃダメみたいなイメージがありますけど、そちらの方がレアなことですからね。
 とにかく、松浦亜弥さんの動画が盛んに再生されているというのは嬉しいことです。もし、松浦亜弥さんが歌手復帰したら、世間に松浦亜弥の素晴らしさを広めた功労者として、YouTubeに動画をアップした方々には、コンサートツアーの永久パスポートくらい出しても良いんじゃないでしょうか。

 このまま行くと、視聴回数200万回越えも時間の問題のようです。ってことは、「奇跡の香りダンス」と「The美学」のPVの合計よりも多くなるってことなんですけど、CDよりもライブの評価が高い松浦亜弥さんならではの現象と云えるでしょう。

2017年3月11日土曜日

東日本大震災から6年 ~本当に応援すべき人たち~

 以下は、福島県に在住している知人が、震災直後にメールで知らせてくれたことです。

 知人は、震災当時、ある公共機関に勤めていました。震災後の原発事故で、街はパニックになり、子どもを抱えている母親たちの多くは、親戚や知り合いを頼って、県外に避難したりしたそうです。
 しかし、避難先のあてのない人や、仕事がある人たちは、とどまるしかありません。街の人たちは、放射線の恐怖に怯えながらも、しだいに冷静さを取り戻し、懸命に生活していたそうです。
 で、その街には、ある放送局の支局があったのですが、こともあろうに、記者たちは、真っ先に避難してしまったそうです。でも取材はしなくてはなりません。そこで記者たちは、電話取材をかけてきたそうです。地震と放射線の対応に忙殺されている知人の勤め先にも電話がかかってきたといいます。
 皆さんご存じの通り、マスコミの取材と云うのは、既にストーリーができていて、それに合わせたコメントを集めてくることです。彼らにすれば、街はパニックになっていて欲しいわけです。その方が記事になりますから。しかし、現状はそうでも無い。知人が、そういった取材には応じられないと云うと「オマエら、マスコミをなめてんのか!」って逆ギレしたと云うんです。逆ギレというか、もはや恫喝です。知人は悔しくって、その晩は涙が止まらなかったと云います。
 街の現状を知りたいのであれば、自ら出向いてくればいいだけのことです。それが、自分たちは安全なところへ逃げ出しておいて、必死に生活している市民に対して、無遠慮に電話をかけてくる。取材が思うようにならないと、適当に捏造した記事を書く。それが当時、マスコミが福島県民に対してとった行動なんです。
 
 福島県から避難していた中学生がいじめられていた事件など、放射線を恐れて、見知らぬ土地で暮らし、辛い思いをしている人たちがいるのは確かです。でも、放射線を恐れながらも、福島の地に踏みとどまって暮らしている人は、もっともっとたくさんいることを忘れてはいけないと思います。

2017年3月9日木曜日

松浦亜弥 育休3年目の「ママドル復帰」がどうしても気になる

 ポニーキャニオンさんが観測気球を揚げてくださったというのなら、呑気にプラモデルなんて作ってる場合じゃありませんね。

 今回の記事の特徴は、ネットの噂などでなく、ちゃんとした(?)週刊誌の記事であることと、本人がインタビューに応じて全否定していないことなどですが、さらに注目すべきは、彼女の歌手復帰をレコード関係者なる制作筋が宣言しているところにあると思います。

 過去に、松浦亜弥さんが、夏までに新曲を出すとか、新しいアルバムを考えているなんて云ったところで、結局実現しなかったのは、制作側の了解が得られなかったからだと思います。逆に、「チョコレート魂」のように、本人にその気が無くても、制作側が出すといえばCDは出るわけです。

 もう1つは、慶太氏が関わるとされていることにあります。慶太氏のファンの反応も気になるところですけど、なにも二人でデュエットするって話じゃありませんからね。それに台湾とかのファンはともかくとして、日本のファンならば、今さら慶太氏と亜弥さんが二人で何したからって、べつにどうってことないと思うんですよ。ライブなんかにも堂々と行ってるわけですし。それよりも、慶太氏だって、このままソロ活動を続けていっても、先細り・・・・失礼しました。

 僕は、今回の話が出てきた理由の1つに、YouTube動画の動向が関わっているように思えてなりません。最近になって、動画の再生数が堅調に伸びています。それからコメントなどの書き込みも多いように思います。「あやや」のアイドル時代をあまりよく知らない若い世代の支持も目立ちます。
 
 こう云うと、松浦亜弥さんは、アイドルとして復活するわけでないのだから、アイドル時代の動画が今さら再生されたところで関係ないという意見もあるかと思いますが、決してそんなことはありません。
 今回の話は、「あの伝説のアイドル松浦亜弥が大人の歌手となってカムバックする」というものです。世間の関心を「どんな風に変身しているのだろう」というところに持っていこうとしているわけですから、アイドル時代の動画だろうが、脱アイドルを目指していた時の動画だろうが、アイドルを卒業した覚えはない頃の動画であろうが、松浦亜弥って凄かったんだって思ってくれればいいわけです。
 
 とは云っても今日明日に実現する話ではなさそうです。御本人がゆっくり考えていくというのなら、こちらもプラモデルでも作りながらのんびり待つことにいたしましょうか。

2017年3月4日土曜日

松浦亜弥 育休3年目の「ママドル復帰」がやっぱり気になる

 せっかくの機会ですから、反応するのがファンの務め。気になる点をいくつか。

 そもそも、あんなにガードが堅かったのに、何故本人への取材ができたんでしょうか。しかも子連れの状態ですよ。
 そりゃあ芸能誌ですから、取材してなくても、あれくらいの記事なんて平気で書くでしょうけど、一応、リアルな写真付きですからね。あの評判悪い写真は、ちゃんと取材したんだぞっていうアピールでもあるわけです。もちろん、事前に話が入ってたことも十分考えられますけど、だとすれば、いったい誰が仕掛けたんでしょうか。

 それから、何故この段階でってことです。今年か来年って、まだ今年は始まったばかりですよ。随分先の話です。だいたい、極秘に進めていることが記事になっちゃマズいでしょ。極秘の話が明るみに出たら、一番困るのは、極秘に進めている人ですからね。

 ですから、この記事って「復帰を期待してお待ちしてます」みたいな風を装ってますけど、話をぶち壊しにかかっているようにも思えます。記事にしたのが旧権力側の「女性自身」ってところも気になります。裏に黒幕がいて「妙な考え起こしてんじゃねえぞ」って圧力だとしたら・・・、なんて、ドラマの見過ぎでしょうか。

 逆に考えれば、こういう話ができるようになったってことは、アップフロント側との話がある程度ついたとも考えられます。「レコード会社は同じポニーキャニオン」って酷い間違いだと思っていましたが、すでに移籍の話が了解済みってことだったりして。

 まあ、今回の記事の意図が、慶太氏主導の復帰を妨害するところにあるのか、復帰に向けて世間の反応を見るアドバルーンなのか、単なるガセネタなのか、今後に注目ってところです。

 いずれにせよ、話は穏便に進めていただきたいものです。頼りの長良氏は、もう居ません。ゴタゴタすれば、CDも出せませんし、ライブも開けません。小林幸子さんみたいに何としても歌うんだって気持ちがあれば、ニコニコ動画とかYouTubeとかありますけど、そんなタイプじゃ無いことは明らか。きっと「やっぱり、やめたっ」ってなると思います。

 でも、だからと云って、悲観しているわけではないんです。

 彼女が歌いたいという気分になったことは、本当のことだと信じています。そして何より、それを慶太氏がサポートしようとしていることが嬉しいんです。

 彼女の言動を見る限り、周囲から引っ張り出されるかたちでの歌手復帰は100%有り得ません。有るとすれば、それは後ろから押し出されるかたち。もし、彼女の歌手復帰を一番望んでいるのが慶太氏だとすれば、大いに期待できると思います。
 
 そうそう、お終いに1つ。松浦亜弥さんって育休中だったんですね。初めて知りましたww
 ならば、芸能界復帰に向けての最初のお仕事に良いのがあります。「保育園待機児童解消キャンペーン」のイメージキャラクターなんていかがでしょうか。

2017年3月3日金曜日

松浦亜弥 育休3年目の「ママドル復帰」 だって

 ファンブログの端くれとして、この話題、スルーするわけにもいきませんからね。

 発信元がよく分からないネットニュースと違って、創刊60年、老舗「女性自身」が記事にするとインパクトがありますね。インタビューの内容を信じる限り、歌うことに関しては、前向きな気分になりつつあるようです。
 記事のタイトルが「ママドル復帰」ってところが気に入りませんけど、まあ、仕方ないですね。でもタレント復帰でなく、歌手復帰って書かれているところに、若干の救いを感じます。
 Yahooニュースのコメントは、写真についてのことばかりですけど、よく知らない人たちにとっては、他にツッコめるところがなかったのだと思います。あと、一部、歌唱力に関するコメントがあるのは、何の見返りも無いのに、せっせと動画をアップしているファンの努力の成果ですね。「需要が無い」というのは、残念な思い違いをしている方々ですけど、世間的には、このあたりが多数派なんでしょう。

 おそらく、レコード会社がその気満々で、リークしたのもレコード会社周辺でしょう。松浦亜弥さんのYouTube動画が若者を中心にかなり視聴されているってことも分かっているはずです。
 で、本人は満更でも無く、事務所は渋い顔ってところでしょうか。特に旦那さんプロデュースでは、アップフロントは面白くないでしょうね。松浦亜弥は最強の隠し球、最後の頼みの綱ですから、絶対難色を示しているはずです。ですから、実現するには、乗り越えるべき山がいくつかあるように思います。

 でも、悪い話では無いと思います。旦那さんが関われば自然な形で脱アイドルできますし、プロデュースっていうことならテレビの画面に2ショットで出る必要も無く、何より旦那が奥さんのプロデュースをするなんて、アーティストっぽいじゃありませんか。
 

 でも、気になる記述が・・・・。

「レコード会社は同じポニーキャニオンなので協力しやすい関係なんですよ」(レコード会社関係者)ですって。「ゼティマ」がポニーキャニオンの傘下だったなんて知りませんでしたよw

 まあ、話半分ってところでしょうか。

2017年3月2日木曜日

ウォーターライン製作記④ ~航空母艦「赤城」とミッドウェー海戦~ 遂に本気を出したのかハセガワ編

 ハセガワは、「飛行機のハセガワ」といわれるように航空機モデルに関しては、世界的に評価の高いメーカーです。僕も、記憶に残るところでは、子どもの頃にF-4FファントムとかB-24爆撃機を作ったことがありますけど、あれってハセガワだったのかなあって感じです。


 最近の話題モデルでは、マクロスの可変戦闘機「バルキリー」を出して結構売れたらしいです。バルキリーといえば、何と云ってもロボット変形の格好良さですが、バンダイのモデルと違って、ハセガワは変形しない戦闘機タイプの物だそうです。って、変形しないんだったら、ただのF-14トムキャットじゃないですか。まあ、だからハセガワが出したんでしょう。
 会社としてはバンダイの方がずっと大きいんでしょうけど、プライドの高さでは、ハセガワのようです。ハセガワにしてみれば、バンダイは子ども相手のおもちゃメーカーって絶対思ってると思います。                                                    
 ウォーターラインに関しての、ハセガワのイメージは、可も無く不可も無くってところでしょうか。ただ、最近のヤル気の無さはタミヤ同様、あるいはタミヤ以上で、全然リニューアルが進んでいませんでした。そんなハセガワが、突然、航空母艦「赤城」の新モデルを出したんですから。

 ハセガワのホームページからの引用です。

【第1航空艦隊旗艦 航空母艦 赤城の近代化改装後の姿を完全新金型でリニューアル!1/350赤城の開発時に検証された最新の考証と、最新の金型技術による精密な作り込み。設計は実艦の雰囲気を最大限リアルに再現しつつも、パーツ数を無闇に増やさないことに重点を置き、的確なパーツ分割と情報の取捨選択により組み立て易さと精密感を同時に実現した決定版!船体はサポートを挟み込み確実な組み立てと強度を確保。】

 まあ、凄い気合いですけど、言葉に嘘はありませんでしたよ。船体を左右に分割してサポートを挟み込むってのがハセガワのモデルの特徴のようですね。
 無闇にパーツを増やさないとか、的確なパーツ分割とか、完全にフジミを意識した発言に思えます。これを受けて、フジミが次にどう出るのか期待したいところです。

 「赤城」は、巡洋戦艦(といっても戦艦「長門」より巨大です)として建造されていましたが、ワシントン海軍軍縮条約によって戦艦の建造が制限されたため、航空母艦として完成しました。当時は、航空機も空母も開発実験段階、いろいろと試行錯誤されていた頃で、完成後の赤城も改造や改装を重ねたようです。

 航空機の発着艦の邪魔になるだろうと云うことで、煙突を側面に設置した結果、右舷後部の居住区は窓を開けることができなくなるなど、居住性は劣悪だったようで、赤痢や結核が蔓延するありさまだったそうです。
 それから、高射砲の位置が低いため左舷の砲は、右舷側に撃つことができなかったそうです。それでいて、空母なのに20cm砲を6門も持っています。飛行機の攻撃から守ることよりも、敵艦と撃ちあうことを想定しているんですよね。まあ、艦船自体の防空能力が低くても、直掩機に守らせればいいだろうと考えていたみたいです。
 戦艦の船体の上にそのまま格納庫を載せているので、甲板から飛行甲板までの厚みがすごいんですよね。構造的にもかなり複雑になっていたそうで、巨大な船体の割りには、搭載できる航空機数は、意外と少なかったようです。
 とにかく、改装に改装を重ねているので、船体も左右対称じゃありません。両舷で搭載している高射砲の型式が違っていますし、構造物も付け足し付け足しで、統一感が全くありません。ジブリ映画に出てきそうな感じです。ただ、このゴチャゴチャ感がプラモデルとしては良いんですよね。

 箱絵は、「加藤単駆郎」氏によるものです。単駆郎氏はハセガワのプラモデルの箱絵を多く手掛けている若手(?)のイラストレーターさんのようです。


 上手いですよね。海とか空とかすごくリアルで吸い込まれそうです。写真かと思いましたよ。で、何よりこのアングルですよ。空母のイラストなのに、飛行甲板が描かれてません。空母なのに飛行機を描かないなんて有り得ないでしょ。でも、「赤城」が一番格好良く見えるのが、このアングルなんですよね。よく分かってらっしゃる。一発でファンになってしまいました。

 というわけで、僕もこのアングルからの「赤城」に挑戦しました。ピンぼけが上手い具合にリアル感を醸し出していると自負しているのですが、いかがですかw


 映画「永遠の0」のメイキング動画です。


 いろいろとツッコミどころはあるようですけど、「赤城」を再現した映像としては、よくできていると思いますよ。僕もテレビでこの映画を見たときに、こんなにカッコ良かったんだって再認識させられましたから。      

 さて、現実世界での「赤城」ですが、第一航空艦隊・第一航空戦隊の旗艦として、真珠湾攻撃の主役となったことは、皆さんご存じのことと思います。赤城の航空隊には、教官レベルの優秀なパイロットが集められていて、練度は充分、技量もプライドも高かったようです。

 太平洋戦争開戦から半年後の1942年6月、ミッドウェー海戦で日本機動部隊は、正規空母4隻を喪失し大敗しました。そして、これ以降、日本軍の快進撃は止まり、長く緩やかな敗退の道を歩むことになります。

 この敗戦の原因については、暗号が解読され作戦が米軍に察知されていたこと、巡洋艦のカタパルトが故障して索敵機の発艦が遅れたこと、攻撃隊の発艦直前に攻撃を受けたことなど、戦略的な問題点から、運・不運的なことまで語られてきました。しかし、それらは結果論にすぎません。
 不運がこの戦いの大きな敗因であることは確かですが、アンラッキーなことは、米軍にも起きています。ということで、斜め視線でこの海戦を考えていきたいと思います。

 日本軍のプランは、まず、ミッドウェー島の航空基地を機動部隊の奇襲攻撃により制圧する。ハワイから駆けつけてくる米機動部隊を返り討ちにする。後続の戦艦及び陸上部隊がミッドウェー島を占領する。アメリカの戦意を喪失させて有利な条件で早期に停戦する。といったものでした。資源に乏しく、工業力も決定的に劣っている日本にとって、持久戦になれば勝ち目はありませんから、戦力が優位なうちに決着をつけてしまおうという、当然の戦略だと思います。

 しかし、日本には、大きな誤算が2つありました。1つは暗号が解読され、ミッドウェー島攻略が米軍にバレていたことです。米軍は、ミッドウェー島の守りを強化し、機動部隊を周辺に配置し待ち伏せをしていました。
 もう1つは、翔鶴・瑞鶴の第五航空戦隊が1ヶ月前に行われた珊瑚海海戦での損害が大きく、作戦に参加できなかったことです。

 珊瑚海海戦は、史上初の空母対空母の戦いでした。お互いがノーガードで攻撃しあい、痛み分けとなったこの海戦は、機動部隊への攻撃がいかにリスクを伴うものなのかを示していました。
 しかし、一航戦のパイロットたちは、「あれは五航戦が未熟だからで、俺たちは、あんなヘマはしない」と考えていました。
 開戦から半年間、日本の機動部隊は、勝利を重ねていました。空中戦の消耗比は「1:12」、魚雷の命中率は5割、急降下爆撃の命中率は80%を越えていたと云いますから、まさに神懸かった強さです。これで謙虚であれ、と云うほうが無理というものでしょう。

 しかし、ミッドウェー作戦は、島にある航空基地と米機動部隊の両方を対象にしたものでした。これでは、真珠湾攻撃よりも難しい作戦を真珠湾の3分の2の兵力で行わなければなりません。まあ、無敵の一・二航戦ならば何とかやってくれるだろうという考えで出したのであれば、慢心していたのは、パイロットではなく司令部の方かも知れません。

 空母「赤城」を中心とした日本機動部隊は、ミッドウェーを奇襲(のつもり)しましたが、基地の守備隊と航空兵力が予想以上に強力なのに戸惑います。
  
 ミッドウェー島の基地から発進したアメリカの航空機部隊は、攻撃機隊が日本機動部隊を目指し、戦闘機隊は日本の攻撃部隊を迎撃しました。しかし、この空中戦は日本側の圧勝に終わります。戦争初期の段階では、零戦の性能は、米戦闘機を圧倒していました。
 米軍の迎撃を退けた日本の攻撃部隊は、ミッドウェー島を空襲しますが、基地の機能を停止させるまでには至りませんでした。
 
 一方、戦闘機を日本の攻撃部隊の迎撃に回したため、日本機動部隊を目指した米攻撃部隊には、護衛機がついていませんでした。そのため、こちらも直掩の零戦に次々と撃墜されてしまいます。

 基地航空機の攻撃を退けた、日本機動部隊でしたが、アメリカ機動部隊が来襲していることに気づきます。日本軍は同時に2つの敵を相手にすることになりました。しかし、ミッドウェーを攻撃している最中に米機動部隊が来襲することは、ギリギリ想定の範囲内のことでした。そのために、攻撃機の半数に魚雷を装備して待機させていたからです。ところが、基地の空襲の効果が不十分であるという報告を受けて、待機させていた攻撃機の魚雷を陸上用の爆弾に交換していたのです。格納庫では、装備を魚雷に戻す作業に追われます。
 航空母艦では、ミッドウェー島と米機動部隊からの攻撃をかわしつつ、上空を守っている直掩戦闘機の補給と、米空母への攻撃準備と、ミッドウェーの空襲から帰ってきた攻撃部隊の収容という3つの作業を同時に進めることになりました。

 そして、一瞬のスキを突かれ、急降下爆撃機の攻撃を受けてしまいます。投下された爆弾は、飛行甲板を突き破り、格納庫内で爆発しました。格納庫には、燃料を満載した航空機と装填中の魚雷や取り外した爆弾が転がっていました。それらが次々と誘爆し、大火災を起こしてしまいました。

 最強を誇った日本機動部隊のあっけない最期でした。

 最終的に日本の空母を撃沈したのは、アメリカの機動部隊の攻撃機でしたから、ミッドウェー海戦は、日米の機動部隊同士の戦いというイメージがありますが、ミッドウェー島の基地航空機部隊が重要な役割を果たしていたことは、ご理解いただけると思います。

 歴史の教科書には、「日本軍は、ミッドウェー海戦の大敗により、空母と優秀な搭乗員を多数失い、戦争の主導権を失った。」と記述されています。

 確かに空母の損失比は、4対1。日本は正規空母を同時に4隻も失いました。しかし、「赤城」と「加賀」は、最初に書いたとおり、欠陥だらけの旧式艦で、新空母が完成すれば引退が決まっていたそうです。さらに、結果的に米空母を攻撃する前に撃沈してしまいましたので、航空機は全て失われましたが、パイロットの多くは無事でした。
 それに対して、アメリカ軍は、空母を撃沈したものの、航空機を多数撃墜され、パイロットの戦死者は、日本の二倍であったとされています。アメリカ軍にしてみれば、ミッドウェー海戦は、多数の犠牲を払いながら、ようやく得た勝利でした。

 太平洋における戦力は、以前、日本が有利な状態であったのにもかかわらず、この敗戦以降、日本海軍の作戦は、一気に消極的になりました。慢心は一転して自信喪失へと変わり、太平洋戦争は、短期決戦から持久戦へと変わっていったのです。