2018年12月31日月曜日

夢を叶えようとする「丸山純奈」と、バンドとソロの二刀流という敵わぬ夢

丸山純奈さんが、芸能事務所トライストーン・エンタテイメントに所属し、高校進学を機に上京、シンガーソングライターとしてプロデビューを目指すそうです。

徳島新聞の記事から抜粋させていただきました。                 
 徳島市の中学生シンガー、丸山純奈さんが来春、シンガー・ソングライターを目指して拠点を東京に移す。ボーカルを務めるバンドPOLUは3月で解散、メンバーはそれぞれバンドなど音楽活動を続ける。
丸山純奈さんは、2019年1月に、俳優の小栗旬さんや田中圭さん、miwaさんらと同じ東京の芸能プロダクションに所属。4月の高校進学を機に上京し、歌や楽器、作詞・作曲のレッスンに取り組む。
POLUは16年に徳島市万代中央埠頭のイメージソングを歌うバンドとして、丸山さんをボーカルに結成。3月16日に東京、24日に徳島で開催する自主企画ライブが最後のステージとなる。
平成も終わろうとしてる時代に、上京してプロを目指すとか、なんか昭和っぽい表現です。でも、地方紙とはいえ、これが記事になっちゃうんですから、「すーちゃん」も凄いんだなって思います。まあ、徳島の中学生と云う肩書きで「うたコン」に出演しちゃったのも凄いことでしたけど。

シンガーソングライターとしての勉強を・・・とのようです。普通の歌手でも十分だと思うんですが、イマドキ、そのような選択肢は無いのでしょう。アイドルでなければシンガーソングライターってことでしょうか。
トライストーンは大きな事務所ですし、デビューを急いでないのは、じっくり育てようということなんでしょう。考えてみれば、まだ15歳ですからね。

いずれこの時が来ると思ってましたし、中学卒業というのは絶好のタイミングに違いないのですが、なんとなくのドタバタ感が気にな・・・いえ、そんなことより「解散」という言葉が重く響いてきます。

正直云って、丸山純奈さんを知った当初は、POLUのボーカリストとしての活動に、あまり好印象を持っていませんでした。将来、歌手として大成するための良い経験になるとしても、POLUが彼女の良さを引き出しているとは思えなかったからです。それは、僕が徳島県人で無いということも、大きかったのかもしれません。

純奈さんからの「メジャーデビュー目指します」みたいな発言は、以前にもありましたけど、今1つ現実感が伴わなかったのは、彼女が今後も徳島に在住し、POLUのボーカリストとしての活動を続けてく雰囲気があったからです。少なくとも高校卒業までは、このかたちでやっていくのではないか。POLUがバンドとして完成していくにつれて、僕は、それらを漠然と肯定するようになっていました。バンドとソロの二刀流という活動も可能なのではないかと。でも、それは敵うはずもない夢に過ぎませんでした。

やはり、9月に体調を崩して入院したあたりから、様子が変ってきたように思います。ソロ活動とバンド活動に、明らかな一線を引き始めたのもこの時からです。
ただ、上京することが早くから決まっていれば、POLUが活動休止宣言をしたときに、あのような言い方はしませんでしょうから、具体的な話は、ここ1・2ヶ月で進んでいったのでしょう。

3月に開催される自主企画ライブ・・・なぜ自主企画なのでしょうか。

これからの「すーちゃん」は事務所所属のタレントさんです。街で出会っても、握手はともかく、勝手にサインをしたり、写真を撮ることは原則NGになるはずです。すーちゃんのサインも写真も商品であり、その権利は事務所が持っているわけで、その対価として彼女はレッスンを受けることができるのです。レッスンを受けることが彼女の仕事になるのです。プロとはそういうものだと思います。

ですから、トライストーン・エンタテイメントに所属する丸山純奈が、アクア・チッタが管轄するPOLUのボーカルとして活動することなど、簡単にはできないはずです。
でも、POLUの活動に、自ら区切りを付けるというのは、すーちゃんにとって何より大切なこと。このライブを自主企画とすることで、事務所の了解を取り付けたのではないでしょうか。

と考えると、2月の「パフォーマート・ライブ」の出演者で、純奈さんだけがゲスト出演になっているのも同じ理由に思います。形式的なことでしょうが、彼女はプロのタレントさんとしてライブに招待されるのでしょう。


丸山純奈さんは、プロになるために徳島を出ていきます。まあ、プロになるために上京するなんてことは、いろんな分野で普通にあることで、それ自体は珍しいことではありません。しかし、彼女は徳島において、POLUのボーカルとして、中学生シンガー丸山純奈として様々な活動をしてきました。彼女はすでに普通の中学生ではありませんでした。彼女が徳島を出ることによって、捨て去らなければならないものはあまりにも多く、その影響はあまりにも大きい。
プロになることによって、2000組によるオーディションを勝ち抜いたPOLUというバンドは、わずか3年で解散してしまうのです。

プロになるというのは、これほどの覚悟が必要なのだと、こんなに厳しいことなのだと。その決断を15歳になったばかりの彼女はしたのです。いえ、15歳だからできたのかもしれません。

この秋に丸山純奈さんは、「HOME」や「ふるさとの色」という、故郷をイメージする楽曲を歌う機会を得ました。故郷を懐かしむこの楽曲を歌ったことが、逆に、故郷を出る決断の後押しをしたのではないか。そんな気がします。


すーちゃんが将来、大物アーティストとなったとき、プロになる前のバンド活動が必ず語られるはずです。その伝説のバンドPOLUが渋谷で開催したファーストワンマンライブ。物販で純奈ママから売っていただいたサイン入りCD・・・丸山純奈さんへお願いがあります。

すーちゃん頑張れ。そしてこのCDに思いっきりプレミアムをつけてください。

2018年12月16日日曜日

「時をかける少女」から「変らないもの」feat.丸山純奈&闇音レンリ 

今回は、アニメ映画「時をかける少女」の挿入歌、奥華子さんの「変らないもの」を取り上げさせていただきます。

「時をかける少女」は今から50年以上前に発表された「筒井康隆」氏のミドルティーン向けの正統派SF小説で、ライトノベルの元祖(?)だそうです。この50年の間に、何度も映画や演劇化、テレビドラマ化、さらにはアニメ化されていて、企画に行き詰まったら「時かけ」という感さえあります。

最も有名なのは、1983年の大林宣彦監督、原田知世さん主演の実写映画でしょうか。尾道を物語の舞台にした作品で、主役の「芳山和子」は、知世ちゃんの実年齢(当時15歳)よりも年上の高校二年生という設定になっています。


知世ちゃん・・・イイですねぇ。演技が素人でも、目がちっちゃくても、ぜーーんぜん構いません。今って、小さい頃からレッスンとか受けてるんで、新人でも完成されちゃってるじゃないですか。古き良き時代だったんだなって思います。

僕の「原田知世」さんへの想いは、2016年10月3日投稿の「原田知世:奇跡の40代の奇跡の歌声」で語らせていただいた通りです。

で、僕的には、1972年にNHKで放送された少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」が元祖になります。「タイムトラベラー」で主役の「芳山和子」を演じていたのが「島田淳子」さん。設定は中学三年生となっています。


深町役の男優さんが、どう見ても中学生には見えません。

当時は放送用のビデオテープが貴重だったため、番組を収録したテープが再利用されてしまい、映像がNHKにも現存せず、幻のテレビドラマと云われてましたが、和歌山県で最終回を録画したテープが発見されて、話題になりました。家庭用のビデオデッキが、当時の価格で三十数万円、60分録画用のテープが1本1万円もした時代で、電気屋の息子が売り物のデッキを使って、1本のテープで重ねながら録画していたため、最終回だけが残ったのだと云われています。

彼女に淡い想いを抱いていたのは、2015年7月13日投稿の「時をかける少女~初音ミク&原田知世そして島田淳子~」で告白させていただいた通りです。

そして、今回、取り上げさせていただくのが、2006年に制作されたアニメ映画版「時をかける少女」です。
このアニメ映画は、原作から20年後の世界となっていて、芳山和子の姪っ子で高校二年生の「紺野真琴」を主役として、東京の下町が物語の舞台になっています。
「細田守」監督の出世作であり、この作品を「時をかける少女」の原点とする若い世代の方々も多いようです。
僕は、アニメ版がテレビ放送された時に、せっかく録画していたのにもかかわらず、何を思ったのか消去してしまいました。聞くところによると、主人公の女の子はかなりアクティブに描かれているそうで、女子高生が放課後に男子とキャッチボールしてるなんてのは、理系ヲタクだった僕にとっては、想像もできないようなリア充です。


知世ちゃんは、こんなハシタナイまねはしません。

挿入歌「変らないもの」は、映画のヒットによって、主題歌「ガーネット」とともに世間に知られることとなりました。青春系バラードで歌唱力をアピールできる楽曲として、現在まで歌ウマ少女たちに好まれてカバーされています。

丸山純奈さんも、2017年3月に横浜O-SITEで歌っていて、YouTubeで視聴することができます。


この時のすーちゃんは13歳。中学一年生から二年生への春休みの時期ですね。この頃のテイクは、YouTubeにたくさんアップされていて嬉しい限りです。
ストレートでぶつけるような歌い方をしているのが特徴で、特に、横浜O-SITEで歌った「明日への手紙」と、この「変らないもの」は、すーちゃんのカバーテイクの中でも秀逸です。

元々は主題歌として作歌された「変わらないもの」が挿入歌になったのは、この歌がばっちりハマったシーンがあったからだと云われています。そして丸山純奈さんの歌は、この映画の世界観に見事にハマっています。(見てませんけど)
もし丸山純奈さんがタイム・リープして、細田守監督がこの歌唱に出会っていたならば、オファーを出していたかもしれませんね。

で、今回紹介させていただく、もう1つのテイクは、「闇音レンリ」さんによるカバーです。
その「闇音レンリ」さんのプロフィールですけど、年齢は17歳、身長158cm、体重45kgと紹介されています。まずは、聴いてみてください。


いかがでしたか、オリジナルの「奥華子」さんに、だいぶ寄っている歌唱ではないでしょうか。

お気づきのことと思いますが、「闇音レンリ」は人間ではありません。このテイクは、歌声合成ソフト「UTAU」によるコンピュータの歌唱になります。
「UTAU」は、「飴屋/菖蒲」氏が開発した、歌声合成のためのフリーソフトで、ヤマハのボーカロイドとは異なる理論によって構築されています。このソフトの最大の特徴は、音声ライブラリーを自作できることで、自分の声をライブラリーとして、コンピュータに歌唱させることができます。
もちろん、公開されたライブラリーを使うこともできて、個々に名前が付けられています。闇音レンリは「ゆずり」さんの音声提供によって作成されたライブラリとのことです。

闇音レンリは、息成分の多いウィスパーヴォイスで、癖の或る歌唱が特徴ですが、上手く調教された作品では、人間かと思えるほどの歌唱を披露してくれます。

参考までに、闇音レンリの使い手として有名な「Police Piccadilly」さんのオリジナル作品を貼り付けさせていただきます。折角ですから、踊ってみた動画にしましょうか。


歌もダンスも素晴らしいですね。アップテンポでノリの良いダンスミュージックというのは、コンピュータ歌唱の最も得意とする分野なんですけど、何も言われなければ、人間の女の子が歌っていると思うのではないでしょうか。
「ナーヴ・インパルス」は、ボカロのオリジナルにしておくには勿体ないほどの良曲ですから、人間の歌ってみた動画もたくさん投稿されています。但し、どれも、日本語を少し崩したようなスタイルの歌唱で、まあ、今っぽい歌い方なんでしょうけど、誰が歌っても同じに聞こえてしまいます。まるで、人間の方から、闇音レンリに寄っているみたいです。

人間が個性的であると思っている歌唱スタイルというのは、その癖を捉えられれば、コンピュータでもかなり近いところまで模倣できてしまう。演じた個性などは、機械にだって再現可能な程度のモノに過ぎないんです。

それに対して「すーちゃん」の歌唱は、ストレートなんですけど、力強さがあります。この「力強さ」というのは、コンピュータでは再現が難しい要素の1つです。音の強弱やテンポ、パラメーターの微調整などで簡単に対応できる代物ではないんですよね。

一見、個性的に歌っているかのようなテイクが、実はコンピュータによる作り物の歌唱であり、ストレートに歌っているだけに思えるテイクが、人間の女の子の歌唱だというところに、歌の面白さがあります。

当然のことながら、コンピュータは生きていません。しかし、歌は音波という純粋な物理現象ですから、機械の歌も人間の歌も根本的な差違はありません。人の歌もまた物理現象である限り、人工的な再現は可能なはずです。ただ、そのためには、人が歌うとは如何なるものかという問題を突き詰めていく必要があります。本質を解明できなければ、再現もまた不可能だからです。

力強さの源は生命力です。そして、生命は、無限ともいえる揺らぎを持っています。この揺らぎを解明して、歌に如何に生命力を宿すかが、コンピュータ歌唱の究極の目標と云えます。13歳の丸山純奈の歌唱を再現することは、理系のロマンでもあるわけです。

で、知世ちゃんの歌を聴いていて思ったんですけど、「時をかける少女」って、すーちゃんが歌っても似合うような気がしました。実年齢が近いというのは、最大の強みですし。次のリメイク版では、主題歌「丸山純奈」とか実現してくれると嬉しいです。いっそのこと主演しちゃっても良いかもです。「深町くん・・・これって・・」なんてねw

2018年12月8日土曜日

映画ボヘミアン・ラプソディの「エアー・クイーン」で感動する奴、しない奴

話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を鑑賞してきました。

一応、「ネタバレ注意」です。まあ、公開から一ヶ月以上たってますし、クイーンが何をして、フレディーが最期どうなったかなんて、歴史上の事実ですから、今更って感じですけどね。
   
鑑賞日は、映画の日の割引デーで、しかも土曜日。座席も9割方埋まっていました。僕が観る映画って、観客5人みたいなのばかりでしたから、こんな賑やかな劇場で観るのは「千と千尋」以来です。
しかも、今日は応援上映とか、期待が膨らみます。

上映前にお姉さんが出てきて注意事項です。一緒に歌う、拍手、声援はOKですけど、立ち上がるのはNGだそうです。

で、映画が始まったのですが・・・至って普通なんですよね。ニュースでは、ペンライトを振って盛り上がる映画館の様子が流されてましたけど、地方の映画館では、そんなことは全然起きていない。
そもそも、映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、フレディの伝記映画です。ですから、ライブシーンと云っても、楽曲をフルコーラスで流すことはなくって、どれもさわりだけです。本格的なライブシーンが映されるのは、ラストのライブ・エイドくらい。だから「Radio Ga Ga」で手拍子したり、「We Are the Champions」を一緒に歌う程度で、極めて温和しめな応援上映でしたよ。

その皆さんが最も感動したというライブ・エイドのシーンなんですけど、スタジオに再現したステージでエキストラを使って撮影したものに、CGを合成、それに本物のライブ・エイドの音源を重ねて制作したそうです。ピアノの上のペプシコーラの位置とか、極めて細かいところまで再現しています。

あれっ、本物の音源にモノマネ映像を重ねるって・・・・これって、「はるな愛」による松浦亜弥のモノマネ「エアーあやや」と同じじゃないですか!!!

映画はこんな感じ。トレイラー動画ですね。


先日も、この映画のおかげで、三年前に書いたクイーンのブログ記事にアクセスが来ていると云いましたけど、11月の総アクセス数は通常の2倍以上になってしまいました。Googleで「クイーン ライブエイド」と検索した場合、僕の記事が出てくるのは5,6ページ目くらいなのに、この状況なんですから、クイーン人気恐るべしです。
まあ、せっかく検索していただいても、引っかかるのが僕の記事では申し訳ないなぁと思っていたんですが、映画を観てから、改めて自分の記事を見てみると、イイ感じにまとめてるかも・・・なんて、ちょびっと自賛してしまいました。

僕がクイーンの記事を書いたのは、癌の手術を受けて入院していた時期にあたります。病室でもインターネットがつながると聞いたものですから、パソコンを持ち込んで、クイーンのネタを検索したり、YouTubeでライブ動画を漁ったりしてました。
クイーンの楽曲が癌で闘病している僕を励ましてくれたんです、って云えたら格好良いんですけどね。

ライブエイドの映像も何度も見ました。だから、セットリストとか、どこで何をしたのかとか全部知ってました。
クイーンの絶頂期は、1975年から1980年あたりかと思います。その頃にクイーンにハマっていた世代を「リアルタイム爺さん」と云うそうで、此処が違う、彼処が変だと、映画にケチをつけるそうですけど、僕もリアルタイム爺さん程では無いにしても、ある程度の予備知識を持って、映画を観ちゃったわけです。

だから、どうしても本物と比べてしまう。「エアークイーン」が本物の「クイーン」に敵うわけがない。だから、リアルタイム爺さんの「ラストシーンは、本物のライブ・エイドの映像をそのまま流した方が良かったんじゃねぇ」ってコメントに頷いてしまうんです。もちろん、映画としては、それをやっちゃぁオシマイですけど。

映画の中でも云ってましたけど、ライブエイドって朝の7時から始まってたんですね。そこから16時間ぶっ通し・・・、野外ライブというのは、暗くなるにつれて異様にテンションが上がっていくものですけど、クイーンが出てきたのは、まだ明るい午後の6時過ぎ。暑さと疲れで観衆はグズグズだったそうです。「ボヘミアン・ラプソディ」での、あのヤケクソ気味の大合唱の裏には、そんな事情もあったようです。
でも、そこから一気に7万5千人の観衆を惹き付けてしまうんですからね。クイーンの後に出てきたアーティストは、かなりやり難かったそうですよ。

僕がライブエイドのステージで一番好きなところは、「Radio Ga Ga」から観衆との掛け合いを経て「Hammer to Fall」を演奏するところです。


口髭、短髪、筋肉、・・・どう見てもゲイですね。

映画でも「エアークイーン」による「Hammer to Fall」の前奏で泣きそうになってしまいました。「Bohemian Rhapsody」も「We Are the Champions」も良いんですけど、ライブエイドに限って云うと「Hammer to Fall」が最高です。4人のメンバーがそれぞれの役割を完璧にこなしていて、ロックバンドとしてのクイーンの格好良さが、存分に発揮されているテイクだと思います。


俳優さんでは、フレディ役の俳優さんがちょっと華奢で小柄でしたから、違和感がありましたね。ゲイには筋肉が必要です。あと、フレディは歯並びが独特なんで、役者さんが入れ歯をしてるんですけど、ちょっとやり過ぎで、「小森のおばちゃま」か「明石家さんま」さんのモノマネみたいに見えてしまいました。

フレディは、過剰歯だったと云われてて、ウサギさんの口みたいなんですけど、初期の頃は、コンプレックスもあったようで、話をするときに意識的に口をつぐむ場面が見られます。でも、彼には、出っ歯のおかげで口腔が大きいから音域が広いんだ、みたいな信念もあって、最期まで矯正をしなかったそうです。出っ歯って歌手向きなんですかね。

ブライアン・メイはソックリでした。まあ、ヘアースタイルを真似すれば、誰でも似るのかもしれませんけど。そのブライアン・メイ・・・良かったです。人格者であるとは聞いてましたけど、ホントに知的で良い人だったんだなって思いました。フレディが滅茶苦茶なことをしでかしても、クイーンにはブライアン・メイがいるからってことで、辛うじて社会的信用をキープしてたと云われてますしね。

他のメンバーもみんな良い奴でした。家族も友人も、出てくる人、みんな良い人たちでしたよ。

そんな中で、唯一、悪役として描かれていたのが、フレディの付き人だった「ポール・プレンター」氏です。彼は、解雇後にフレディのスキャンダルを暴露したので、ファンから凄ーく嫌われてますけど、実際のところは、彼がドラッグを調達したのも、ゲイ・パーティーを開催したのもフレディの要望によるものと云われますので、「彼さえ居なければ、フレディは、あんなことにならなかった」みたいな描き方は、ポールにとっては、ちょっと酷かもしれません。

映画では、あっという間にバンドが結成されて、瞬く間に人気者になっていきます。実際には、クイーンのベーシストはなかなか決まらなくって、ジョン・ディーコンがメンバー入りするのは、フレディの加入の一年後です。ジョン・ディーコンが気になる僕としては、この辺りのエピソードを丁寧に描いて欲しかったところですが、まあ、2時間で全てを終わらせなくてはいけませんから、致し方ないですね。

で、僕が、この映画で最も気に入った場面は、最初のライブのシーンです。
新しいボーカルのフレディですってステージに立って、観客の、誰だオマエ?って冷たい視線を浴びながら「Keep Yourself Alive」を歌うんですけど、前奏が始まったのに、マイクスタンドの高さが合わなくって、ガチャガチャやってたら、すっぽ抜けちゃって、何だコリャって感じで、上半分だけ持って歌い出すんです。
で、歌詞をちゃんと覚えてないんで、もうメチャクチャなんですけど、圧倒的なパフォーマンスで、一気に観客を虜にしちゃうんですよね。もう、最高でした。


実際のフレディのマイクパフォーマンスも、こんなアクシデントから始まったそうです。で、こういう場面って、YouTube動画に在るわけない。映画でしかできないんですよ。僕的には、ライブエイドを完璧にモノマネすることより、こういった映画でしかできないことを、もっともっとやって欲しかったです。

もう一度、観に行くかと云われると・・・うーん・・・行くとしても、応援上映はヤメときます。映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、フレディの生き様を描いた伝記映画として楽しむものだと思いました。多分、若者にウケているのもこの部分であって、だから、本物のライブを寸分違わず再現する必要なんて、全く無かったように思えてきたんです。

あっ、フィルムコンサートなら行きたいです!
その時は、机の引き出しに入れっぱなしの「カラフルサンダー」持って。

2018年12月2日日曜日

丸山純奈「今夜、誕生!音楽チャンプ I LOVE YOU」から1年

早いものですね。もう1年です。今晩、M-1があると聞いて思い出しました。

M-1放送後、放送時間が若干延びたため、CMを挟むことなく始まった「音楽チャンプ」。見るともなく見ていた歌番組で、予選の一人目として登場し「木蓮の涙」を披露。一位で通過して、決勝で歌った「I LOVE YOU」。
Mステで、すでに全国にインパクトを与えていたとは云え、この音楽チャンプのオンエア、そして何よりも、テレビ朝日がこのテイクを公式チャンネルからYouTubeで公開したことが、彼女の現在の立ち位置をつくったのは間違いありません。
徳島での精力的なライブ活動は評価に値しますが、地方で地道に活動している歌の上手い子などは、日本中に何人もいるわけで、それだけで、ツイッターフォロアー五万人など有り得ないし、YouTube動画再生1,228万回という肩書きがあればこその、様々な特別扱いなのだと思います。


テレビを見ていて、思わず泣いてしまいましたみたいなコメントがたくさん寄せられていますけど、決して大袈裟な話では無くって、本当に号泣した人もいたみたいです。と云う僕も、泣きはしませんでしたけど、直後に話そうとした声が、うわずってしまっていたのを覚えています。

あれから、一年。歌い方も熟れてきました。以前にも指摘させていただきましたけど、サビの「届いてーますか」と歌っていたのを、「届いていますか」と「い」を意識して歌うように修正することによって、歌唱に力強さが加わわったのも進化の表れと思います。

純奈ママさんのツイッターからお借りしました。


丸山純奈さんの歌唱の特徴と云えば、天使の歌声と称される天性の声質と、合唱団で培われたであろう伸びやかなファルセットですが、縋り付くような感情表現をともなう唱法は、むしろ演歌に近いとも云えます。

四国音楽祭で共演された島津亜矢さんが、ご自身のブログで純奈さんについて「吸い込まれるような透明な声!心!」と評されました。ここで重要なのは「心」の部分です。普通なら「透明な声」で終わるところに島津さんは「心」と付け足されました。
丸山純奈の歌には心があると、聴き手に思わせるような「何か」が、彼女の唱法の中に存在するということなのでしょう。

この「何か」が彼女の魅力であり、「何か」についてあれこれ想いを巡らすことが、僕のささやかな楽しみであるわけです。

2018年11月26日月曜日

フレディ・マーキュリーも草葉の陰で泣いて喜ぶRavan Axentカバー「ボヘミアン・ラプソディ」の完成度

 11月24日は、「フレディ・マーキュリー」の命日だったんですね。没後27年を経て公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」も好調のようです。

クイーンが1975年に発表した、楽曲の方の「ボヘミアン・ラプソディ」も、公式PVの視聴回数が7億2千万回を越えました。音楽チャートでも、クイーンの楽曲が十何年ぶりかでベスト10入りしたとか、凄いですね。
実は、クイーンって、オフィシャルも含めてYouTube上に動画が豊富にあるんですよ。それでも、CDは売れまくり、映画は大ヒットですからね。クイーンが廃れることなく、若い世代にも影響を与え続けているのは、YouTubeの存在が大きいと思います。ライブでの動画撮影禁止とか、撮影してもSNSにはアップするなとか云ってる事務所もありますけど、ならばちゃんと公式に発信すべきで、鎖国政策ばかりでなく、むしろ積極的に活用していただきたいものです。

でも、今回、貼り付けさせていただくのは、その公式動画ではなくって、「Ravan Axent」さんのカバーテイクです。
Ravan Axentさんは、欅坂46などのカバー作品を投稿していらっしゃる一人バンドさんですけど、今回、投稿された「ボヘミアン・ラプソディ」のデキが、それはそれは凄いんです。


以下は、二年前の投稿記事の再掲です。
                                                                     
「ボヘミアン・ラプソディ」
この曲を初めて聴いたのは、中学校の給食中の校内放送です。僕は、その頃は、かぐや姫とかN.S.P.なんかを聴いて、必死にコピーしていた頃で、せいぜいビートルズ止まり。レッド・ツェッペリンなんて理解不能のウブな中学生でした。

当時、僕のいた中学校は、放送委員会と教師たちの熱い闘いがあって、放送委員が、流行の曲をかけると、先生たちが放送室に乗り込んできて強制終了させられて、また、次の日に、放送委員が、これならどうだってムキになってかける、というバトルを繰り広げてたんですよ。ところがこの曲をかけた時は、何故かストップがかからなくって、そのまま流れたんですよね。理由は、分かりません。先生たちの中にクイーンのファンがいたのか、或いは、この曲がロックだなんて思わなかったのかも知れません。

その時は、僕はクイーンなんて全然知らなかったんですが、凄い衝撃を受けたんですよね。その後、僕の弟がクイーンにハマりだして、LPとかを買ってきたんですよ。で、一緒に聴いてました。確か、家にあったLPは、「オペラ座の夜」から「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」「ジャズ」までだったと思います。

日本のフォークソングと昭和歌謡しか知らなかった僕は、この曲の構成とか、コード進行とか、いったいどうなっているんだろと思いました。こんな曲の構成は、絶対理解不能だし、アマチュアバンドでコピーなんてできるわけ無いし、素人は、ただ憧れながら聴いているだけなんだって思い知らされましたよ。

まあ、正統派(?)ロックファンからは、世界で最も過大評価されているアーティストなんて云われてますけど、昭和の中学校教師にもストップされることなく、ロックのことなど何も分からない僕に衝撃を与えたという事実は、彼らが偉大なアーティストであることの何よりの証明だと思います。

・・・と云う感じなんですけど、まずは、アマチュアバンドではコピー不可能なんて書いてしまったことを訂正してお詫びいたします。

演奏者のRavanさんは、この曲よりもお若い方かと思います。この楽曲が話題になってからカバーに取り組んだのでしょうから、短時間でここまで仕上げてしまうという才能は恐るべきものです。
ドラムパターンとかベースラインとか、一回聴けば頭に入ってしまうのでしょう。そして特筆すべきは、ボーカル力です。「オペラ」の部分のカバーなんてのは、練習すればどうにかなるってものではありませんからね。

クイーンの楽曲には、良い曲と有り得ない曲があるんですけど、「ボヘミアン・ラプソディ」は有り得ない曲の代表格です。後期になるとフレディの創作意欲が衰退していって、ロジャーとかジョン・ディーコンの楽曲がメインになって、それはそれで良い曲なんだけど、やっぱりフレディの楽曲あってのクイーンですからね。

今までの常識では、此手の映画って云うのは、往年のファン相手のものだったと思いますけど、観衆の中には、産まれたときには、もうフレディは死んでいた、なんて云う若者も多いそうです。時代を超えて、新しいファンを獲得し続けるって、やっぱりクイーンって凄いんだなって、改めて思いました。

この続きは、映画を観てから、と云うことで。

2018年11月24日土曜日

「丸山純奈」と「松浦亜弥」の奇跡の接点 その2 ~NHKホール編~

「天王洲アイル ふれあい橋編」から十ヶ月、奇跡の接点シリーズ(?)の第2弾です。


先日、丸山純奈さんがNHK「うたコン」に初出演しました。
録画しながら生でも見ていたんですけど、とにかく落ち着かなくって、歌っているあいだ中、部屋の中をウロウロ歩き回ってしまいましたよ。


それにしても、この日は「故郷の歌」特集でしたから、「手紙~拝啓 十五の君へ~」を歌うとは思いませんでした。最初から、これを歌うために呼ばれてたんでしょうかね。案外、構成を考えているうちに、次の日が15歳の誕生日ですって話になって、じゃあ、その方向で行きましょうか、みたいな流れになったのかもしれません。
アンジェラ・アキさんのカバー曲を歌うんだったら、他にもあっただろうって思いますけど、ワガママを云うのはやめておきましょう。

でも、十五の君「へ」ですからね。周りの人たちが、15歳になった「すーちゃん」に歌うのなら分かりますけど。15歳の子が「十五の君へ」を歌うというのは、本来、不自然な話です。

で、歌詞を読んでみると、1番は、15歳の僕が、誰にも打ち明けられない悩み、思春期にある漠然とした将来への不安を未来の自分に告白する内容、2番は、大人になった自分が、未来の君は必ずしも幸せとは云えないけれど、まあ頑張れって、過去の自分に答えるという構成なんですよね。

つまり「十五の君へ」というサブタイトルは、2番の歌詞に関連して付けられているもので、大人になったアンジェラ・アキさんが、15歳の自分に向けて歌うという形態から転じて、15歳の若者全般に向けてのメッセージ(お説教)となっているようです。

でも、大丈夫です。今回、純奈さんは1番しか歌いませんでしたから。

その代わりに、ゴスペル風のコーダを歌いました。このコーダのところは、アンジェラ・アキさんの才能の成せるところですが、取って付けたような感じは否めません。ですから、1番2番を歌って、コーダを省略という歌い方もあったと思うのですが、今回は2番を省略してコーダを歌うという形をとりました。
そして、コーダでは、洗足学園音楽大学のお兄さんお姉さんのサポートがつきました。これは完全な想定外でした。あおぐみの皆さんにとっては、すーちゃん一人で歌って欲しかったところでしょうけど、結果的には、このサポートが良かったように思います。

と云うのも、この日のすーちゃんは、ド緊張からか、声の伸びがイマイチだったからです。すーちゃんの歌唱の凄いところは、ここ厳しいだろうなーって思わせておいて、バッチリ地声で歌い切っちゃうところなんですけど、今回は、やっぱりキツそうだなって感じでしたからね。
でも、大学生のお兄さんたちが後押しに入ってからは、ちょっと気が楽になったようで、余裕が出たように感じました。かなり、助けられた部分があったのではないでしょうか。

とは云っても、一緒に出演した諸先輩方と比べてみても、遜色なく歌い切ることができましたし、NHKの生歌番組で、これだけの歌唱を披露できたことは、良かったと思います。会場ならばホールエコーもかかるでしょうから、NHKホールのお客さんたちは、きっとテレビの視聴者以上に感動してくれてたと思います。

四国大学でのソロライブが、かなりの高評価のようですけど、このNHKホールでの経験が、彼女をまた一段と成長させたのだろうと思う次第です。


そして、今回紹介させていただく、もう1つのテイクが、こちら。

純奈さんが産まれる二年前、同じNHKホールでのテイクになります。「あやや」こと「松浦亜弥」さんは、2001年4月にデビューし、この年の紅白歌合戦に初出場しました。純奈さんは11月、亜弥さんは6月がお誕生日ですから、14歳と15歳の違いはありますけど、どちらも中学三年生のテイクなんですよ。


ママチャリ&ヘルメットで紹介された「すーちゃん」とのギャップが凄いですね。どちらも可愛いことには違いありませんけど、「カワイイ」という言葉には、これだけの振れ幅があるということです。改めて確認しますけど、この時の二人は同学年なんですよ。

松浦亜弥さんがデビューしたのは、モーニング娘とハロプロの絶頂期です。彼女は、つんく♂氏の大のお気に入りで、当時「モー娘。」で稼いだ金を、全て彼女のプロモーションにつぎ込んだと云われてました。で、デビュー8ヶ月で紅白出場となりましたが、最大ヒット曲の「桃色片思い」は年が明けた2月、お馴染みの「めっちゃホリデー」は6月のリリースですから、この時の全国的な知名度は、それほど高かったわけではありません。

この後、松浦亜弥さんは、アイドル、タレントとして大成功を収めます。しかし、アイドルキャラが全面に押し出されてしまったことで、ファンや一部の音楽関係者をのぞいて、その歌唱力が世間に評価・注目されることはありませんでした。
松浦亜弥は、当時(例えば2010年頃)女性歌手でNo.1の歌唱力だったんだよ、って云ったところで、何人が本気にしてくれるでしょう。

今では、アイドルからアーティスト路線への典型的失敗例みたいな扱いです。では、あの頃、14歳の歌の上手い(でも作詞作曲をするわけではない)女の子が歌手デビューするとして、アイドル以外の選択肢があったでしょうか。

もちろん、アイドル松浦亜弥に励まされた奴らは沢山いたし、彼女の歌に救われた奴も多かったとは思います。だけど、2001年当時に、もし「中学生シンガー」という肩書きが世間に認知されていたら、日本の歌謡史はもっと違ったものになっていた、そんな気がしてならないのです。

「丸山純奈」さんと「松浦亜弥」さん、中学三年生の二人は、アイドルとシンガーという、対照的なスタートをきりました。MCからも分かりますけど、性格もボケとツッコミのように正反対です。でも、歌詞は間違えても音程は絶対外さないとか、カバー曲を歌うときのオリジナルとの絶妙な距離感とか、そして、何より、歌に対するプロ意識とか、共通点も多いんですよ。

ちなみに、今の旦那さんである「橘慶太」氏と交際を始めたと云われているのが、この時期になります。若いアイドルどおしの(ファンには公然でしたけど)秘密の交際、きっと、アニメに出てくるカップルみたいに可愛らしかったと思います。

「すーちゃん」も、もうすぐ高校生ですけど、好きな男の子とかいるのかなあ。あおぐみの男性陣は、オヤジばかりなので、ちょっと心配です。

2018年11月17日土曜日

メジャー7thでつなぐ思い出 ~フランシス・レイ「男と女」から五輪真弓「落日のテーマ」・荒井由実「晩夏」へ~

先日、フランスの作曲家「フランシス・レイ」氏が亡くなりました。氏が作曲した数多くの映画音楽、フランシス・レイの名前を知らなくても、その曲名を知らなくても、そのメロディーは誰もが聴いたことのあるものばかりだと思います。中でも、映画「男と女」のテーマソングは、氏の出世作であり、世界中の人々に親しまれている名曲です。フランシス・レイ氏逝去のニュースを聞いて、ちょっと昔のことを取り留めも無く思い出したものですから。


子どもの頃、僕ら家族は、ある事務所の建物に間借りして暮らしていました。六畳間が2つだけのところに家族4人。そんな狭いところだったのに、家には、中古のエレクトーンが置いてありました。弟が、当時流行っていた「ヤマハの音楽教室」に通っていたので、母が買ったのだと思います。
いつからか、僕は、そのエレクトーンを玩具代わりに弾いて遊ぶようになりました。誰に教わるわけでもありませんでしたから、完全な自己流でした。
実は、弟が、そのエレクトーンを弾いていたという記憶がありません。母が「オマエに習わせればよかった。」と笑っていたのを覚えています。

家には、エレクトーン初級の教則本がありました。「チューリップ」とか「きらきら星」などの超簡単な曲から始まって、最後の方に載っていたのが、フランシス・レイの「男と女」でした。
誰に強制されるものでもありませんでしたから、その曲にたどり着くまでには、長い時間がかかったと思います。

僕は、その「男と女」で、初めてメジャー7thコードに出会いました。音楽の教科書に載っているような楽曲しか知らなかった僕は、Fmaj7(FM7)のお洒落な響きに魅了されました。
それからは、メジャー7thばかりを弾いて遊んでいました。やがて、C7sus4とかBm7-5とかDm7/Gとか、いろいろなコードを覚えていきました。

映画の「男と女」は、テレビの洋画劇場で見た覚えがあります。悲しい過去を持つバツイチの男と女が、くっついたり離れたりしながら。最後は駅のホームみたいなところで、抱き合って、映像が止まって、ハッピーエンドという映画だったと思います。(合ってますか?)

やがて、僕は、簡単な楽曲ならば、メロディーやコードを耳コピして弾いて遊ぶようになりました。中学生が親にねだってギターを買ってもらったとしても、ギター教室に通う奴なんかいないのと同じように、僕のエレクトーンも完全な自己流でした。級友たちは、ピアノなどは、教わらなければ弾けないものと思い込んでいましたから、僕が流行の曲をそれっぽく弾くのが、凄いことのように思っていたようです。

その頃、NHKでは、夜の連続ドラマ「銀河テレビ小説」ってのがあって、僕らの母親世代の人たちが喜んでみるようなドラマを放送していました。
石川達三氏原作の「僕たちの失敗」もその中の1つでした。でも、僕は、「酒井和歌子」さんと「荻島真一」さんが主演のそのドラマよりも、その主題歌に衝撃を受けました。なんとも不思議な、体験したことのない雰囲気をもった楽曲だったからです。

僕は、さっそく、その主題歌を耳コピしようとしましたが、皆目見当がつきませんでした。メロディーは探ることができても、コードが全然分かりません。完全にお手上げでした。

その主題歌は、評判だったようです。あるとき、返信用の封筒を同封すれば楽譜をプレゼントします、みたいなお知らせがありました。僕は、早速申し込みました。楽譜が送られて来るまで、随分待たされた覚えがあります。ようやく届いた封筒を開けると、小さな紙切れが一枚入っていました。楽譜といっても、ちゃんとした伴奏譜じゃなくって、メロディーが書かれた五線譜に、歌詞とギターコードが付けられていただけのものでした。

早速、その曲を弾こうとしたのですが、いきなり出てきたコードがC△7でした。「さんかく?」そんなコードは見たこともありませんでしたから、面食らってしまいました。それは、メジャー7の略号だと知りました。その主題歌は、いきなりC9とかCM7から始まる楽曲でした。僕の音楽力などで太刀打ちできるような代物ではなかったのです。

その曲名は、「落日のテーマ」。作ったのは「五輪真弓」さんでした。当時の五輪さんは、「恋人よ」などのヒット曲を送り出す前で、まだ、それほど知られた存在ではなかったように思います。
「落日のテーマ」という曲名も、今回初めて知りました。ずっと「僕たちの失敗の主題歌」と云うのだと思ってました。(ちなみに、「僕たちの失敗」で検索すると森田童子の楽曲が引っかかるので要注意)

この記事を書くにあたって、ネットで検索してみたのですが、この主題歌に衝撃を受けたという奴は、けっこう多かったようで、「40年以上たった今でも忘れられない」みたいな書き込みがゾロゾロ出てきます。
いわゆる、ニューミュージックが、始まりつつある時代で、楽曲に使われるコードも、複雑化していった時代でした。

ドラマ主題歌の音源はすでに失われているようですが、五輪さんがアルバムの中でセルフカバーしてるテイクがあるそうです。ただ、コメントによると、主題歌のとは、雰囲気が変ってしまっているとのことでした。
YouTubeには、いくつかのカバーテイクが投稿されています。そんな中から、貼り付けさせていただいたのがこのテイクです。


改めて聴いてみても、凄いつくりだと思います。終わり方のコードなんて、本当にあれで合っているのでしょうか。全く理解できません。
実は、もっと上手な演奏もあるのですが、(ゴメンナサイ)、なんとなくオリジナルに忠実なように思ったのでセレクトさせていただきました。でも、ドラマ主題歌との違和感は拭えません。まあ、御本人でさえ再現できなかったのですから、致し方ないことではあります。


「銀河テレビ小説」の主題歌で、もう1つ忘れられないのが、荒井由実さんの「晩夏(ひとりの季節)」です。
この頃の荒井由実さんは、だいぶ有名になっていたと思います。相変わらず、ドラマについての記憶が全く無いのは、主題歌だけを聴いてたからでしょう。


この音源、テレビにラジカセを向けて録ったものだそうです。家庭用のビデオデッキが普及する以前の話で、このころのVHSテープは、1本6,000円したそうです。
僕も、同じように歌番組をラジカセで直録りしてました。ただ、そういったテープを保存している人がいて、こうやって聴くことが出来るのですから、凄い世の中だと思います。YouTubeには、アルバム音源も投稿されていて、音質も良いのですが、やはり、僕にとっての「晩夏」は、こちらのイメージなのです。

この曲もCM7から始まります。オリジナルキーは違うのかもしれませんけど、僕は、#とか♭が苦手でしたので、勝手にC調にして弾いていました。なのに出だしの音はB。この頃は、完璧とは云えないまでも、それっぽく耳コピできていたと思います。ただ、僕は、それ以上に僕は、この歌詞に衝撃を受けてていました。

ゆく夏に 名残る暑さは 
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さはコスモス
空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの
丘の上 銀河の降りるグランドに
子どもの声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る
藍色は群青に 薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝き出す

秋の訪れとともに、空の色は「空色」から「水色」に変化してゆくのだと、夕焼けは、「茜色」から「紅」に変ってゆくのだと、そんな歌詞の意味さえ、当時は分かっちゃいませんでした。もっとも、色彩を明るく変化させたことの意味は、今でもよく分かりませんけどw

YouTubeには、この楽曲の素敵な映像作品がたくさん投稿されています。で、この映像作品でお終いにします。これをセレクトした理由は・・・分かりますよね。


2018年11月12日月曜日

丸山純奈&ドクター・キャピタルが歌う「ふるさとの色」って、どこの色なんだろう

「ふるさとの色」は、アンジェラ・アキさんが、音楽番組「もっと四国音楽祭」からの、四国のテーマソングを作って欲しいという依頼に応えるかたちで、書き下ろした楽曲だそうです。
丸山純奈さんは、この楽曲のメイン・ボーカルとして音楽祭に参加。番組では、ドクター・キャピタル氏とのデュエットと、参加者全員での合唱と、2回歌っています。

その全員合唱での立ち位置ですけど、島津亜矢さんがセンターで、丸山純奈さんとリト・グリがその両脇という形だと思いますが、その外側のSTUが多人数なんで、島津亜矢さんと丸山純奈さんのダブルセンターみたいな並びに見えます。

7月に、この丸山純奈さんと島津亜矢さんの共演について投稿させていただいたんですけど、今頃になって急にページアクセスが増えまして、不思議に思ってたんですよね。どうやら、島津亜矢さんのファンサイトの掲示板で、僕のブログ記事のことを紹介していただいてたようで、そこからのアクセスだったみたいです。
どこでどうつながるか分からないのがネットですね。悪口を書いてなくって良かったですww

ちなみに、2年前に書いた「クイーン」のライブエイドの記事にもアクセスが来ていますけど、これは、先日公開された映画の影響でしょうか。せっかくのご縁ですから、今度映画館に行こうと思います。


で、この番組では、丸山純奈さんは、「HOME」も歌っています。どちらもアンジェラ・アキさんが故郷をイメージして作った楽曲なのですが、作りはだいぶ異なります。

「ふるさとの色」は、メロディーが歌い易くできています。皆で歌えるように、誰でも歌えるようにという意図が感じられます。
それから、歌詞の内容も平易ですね。(レベルが低いと云ってるのではありませんよ)アンジェラ・アキさんの楽曲にみられる、論理的に飛躍した(?)比喩表現が無くって、ひたすら情景描写が続いています。
そして、四国のテーマソングといいながら、瀬戸内海以外に、具体的な地名が出てくるわけではありませんから、ご当地ソングではないようです。

秋になると、田んぼが黄金色に染まり、木々が紅葉し、冬には山並みが白銀に輝く・・・・。

四国の四季を描写した歌詞とのことですけど、僕が住んでるところだって同じです。秋には、近所の田んぼにはコシヒカリが黄金色に実りますし、冬になれば、南アルプスが銀色に輝いているのを遠望することができます。って云うか、それって日本全国共通の情景ですよね。
番組では、四国の風景の映像をバックに流してましたけど、別に四国の景色じゃ無くっても通用するわけです。この歌は、全国の誰もが共感できる要素を持っていて、四国の人にしか理解できない歌ではありません。日本人共通の想いが歌われた、みんなの歌といえます。

でも、全国どこでも同じということは、似たような歌は、日本中に溢れてるわけです。「四国の新しい歌」っていう触れ込みだけど、同じような曲は、すでに日本全国たくさんある。故郷を描写して、誰にでも口ずさめるような歌を作ろうってなれば、みんな同じ様な楽曲になってしまう。

純奈さんは、番組のインタビューで、この歌は自分と重なるところが多いって云ってましたけど、重なると云うんだったら、日本人みんな重なっているわけです。

だから、こういう曲って、プロらしく歌いこなすのは難しいと思います。ラブソングのように感情移入するものでもないから、個性を発揮できないし、普通に歌ってもアピールできない。
ありそうなのは、超国民的歌手の「嵐」みたいな方に歌ってもらって、歌手のキャラクターに完全に依存してしまうか、どこかの少年少女合唱団に歌ってもらって、歌い手の存在感をなくして楽曲だけの印象にしてしまうかでしょうか。

で、今回の「丸山純奈&ドクター・キャピタル」という組み合わせですけど、なんでドクターが一緒に歌うことになったのかが、よく分かりませんw

確かに、ドクターは、アンジェラ・アキさんとは昵懇の仲ですし、ギタリストとしても一流の方ですから、編曲や伴奏を手がけるのは当然だと思います。でも、なんで「すーちゃん」と一緒に歌うんでしょうか?

たぶん「コノキョク、メッチャエエキョクヤサカイ、フルサトヲオモイウカベテ、ウトーテミタクナッタンヨ」とか云ったんだろうけど、あなたの故郷って、どこ?どこなのっ? って思います。

ところが、改めて聴いてみると、思いの外イイ感じに聴こえてくるんですよね。

中学生の女の子と怪しい外国人・・・(失礼しました)著名な音楽教授という、シュールな組み合わせが、ありふれた普通の曲にイイ感じのインパクトを与えているんです。
だからと云って、島津亜矢さんとドクター・キャピタルではクドすぎです。
つまり、このデュエットは、14歳の「すーちゃん」が純粋無垢に歌っている基盤があり、そこに不思議な外国人という意外な組み合わせがあって成り立っているわけです。今の世に歌ウマ少女は多かれども、此手の歌を唄わせたら、やっぱり「すーちゃん」が一番です。キャラの濃いドクターの代わりはいても、純粋で透明な「すーちゃん」の代わりを見つけるのは難しい。

大ヒットするような曲ではないだろうけど、こういう楽曲が必要とされる時って絶対あるわけで、杉山勝彦さんが、入間市の応援ソング「どこから来たの」のレコーディングを地元の合唱団さんでなく、あえて丸山純奈さんに依頼したというのも、同様のことに思いました。

2018年11月9日金曜日

丸山純奈がNHK「うたコン」でORANGE RANGEと共演するというちょっと心配な話

自分が出るわけでもないのに、緊張してしまって、今週は仕事が手に着きませんでしたよ。

「うたコン」の出演については、遠くないうちに実現するだろうとは思ってましたが、来週ですからね。こんなに早くこの日が来ようとは思ってもみませんでした。
BS放送に出演したときも、凄かったんですけど、今回のように、地上波の全国放送っていうのは、インパクトありますし、歌手にとっては憧れの聖地NHKホール、しかも生放送で7時のニュースの後という、超ゴールデンタイムです。きっと、日本中のお爺ちゃん、お婆ちゃんが見ていることと思います。


紅白歌合戦がそうですけど、NHKの生歌番組と云うのは、エコーをほとんど効かせてもらえないので、緊張したりしてピッチが乱れると、もろに伝わってきちゃって、普段より下手に聴こえてしまうことが多いんですよね。しかも、生放送。胃にも、心臓にも悪いです。純奈さんのではありませんよ。僕らのです。

ただ、「もっと四国音楽祭」の時と比べて、かなり状態は良いようです。先日の「ゴジカル」で歌った「ドラマ」を聴かせていただきましたけど、凄い気合いの入れようでしたね。あんなに力強い歌唱は、久し振りに聴いたような気がします。YouTubeに投稿されてれば、間違いなくベストテイクになると思います。

それから、大阪教育大学の学園祭の写真。どのショットもよく撮れています。こんなに良い表情ができるというのも、体調が良いからでしょう。やっぱり、鳴門こども園の時とは違います。


「うたコン」は、ニュースの後にいきなり始まりますから、その流れで、ほぼ毎週見ているんですけど、生放送の歌番組なんて、今では「Mステ」と「うたコン」くらいしかありませんからね。日本中のプロ歌手が出たがっている番組に、メジャーデビューしているわけでもない中学生が「歌が上手い」という理由だけで出演するわけで、異例の大抜擢ですし、画期的な出来事です。さすが「国民のための放送局NHK」と、絶賛させていただきましょう。

番組的には、アンジェア・アキさんの「ふるさとの色」を歌うと思われます。来週は、45分の通常放送ですから、2曲歌うってのは、難しいかもしれませんけど、せっかく徳島から出てくるんですから、さらにカバー曲を1曲歌わせていただきたいものです。

日本のNo.1アイドルグループである「乃木坂46」さんと共演するのも嬉しいですね。そう云えば、乃木坂さんのメンバーにすーちゃんの「ドラマ」を絶賛していた子がいましたよね。これを機に、乃木坂ファンを始め、幅広い年代の人たちにアピールできればと思います。

あと、なんと云っても「ORANGE RANGE」ですね。テレビの世界からずっと干されてたんで、解散したのかと思っていた方も多かったのではないでしょうかw
絶大な人気を誇っていた彼らが評判を落としたのは、「パクリ」と「天狗」と云われてました。天狗発言については、僕も、何かの歌番組で実際に聞いて、不快に思ったことがありました。二十歳そこそこで大ブレークしましたんで、致し方ないとも云えますけど、最近は、地道な活動が再評価につながっていて、再ブレークの兆しありって感じのようです。とは云っても、よくまあNHKさんも「うたコン」に出しましたね。ここは「NHKは懐が深い」と云うことにしておきましょう。

テレビ出演が激減した直接の理由は、インディーズへの移籍のようです。ただ、バンドなんてのは、インディーズでライブしてた方が、稼ぎは良いそうですから、優等生になってテレビに出ることばかりが、ミュージシャンの道では無いのは確かです。聞くところによると、オリコン1位を連発していた頃よりも、好きなことも出来るし、稼ぎを事務所にピンハネされることもないんでミュージシャンとしては、今の方が幸せじゃないかって云われてるようです。

でも、生放送なんで、また余計なことを云わなきゃいいんだけど・・・なんて考えてしまいます。まあ、デビュー時は、ヤンキーな兄ちゃんぽかった彼らも、今では、三十代半ばの立派な大人。きっと、大人の振る舞いで、「丸山純奈」さんの初出演を盛り上げていただけるものと信じております。

で、ORANGE RANGEというと、「上海ハニー」とか「ロコローション」が、彼らっぽいイメージなんですけど、世間的に最も有名なのは、この「花」じゃないでしょうか。


「パクリ」がどうこうと云われたことがありましたけど、スリーボーカルをいかす、ドラム、ギター、ベースだけのシンプルな伴奏。シンプルで、キャッチー、分かりやすいメロディー。どことなく懐かしい・・・・ってのが「パクリ」と云われた所以w
まあ、改めて聴いてみても、彼らの才能は本物だと思いますし、当時は、日本中の若者達から支持を受けてたわけですからね。

来週の「うたコン」は、話題いっぱいの放送になりそうです。

そして、そんな放送回に巡り会えた「丸山純奈」さんも、このチャンスを思いっきり生かしていただきたいものです。

そうそう、大阪教育大学のライブで、ステージに譜面台を置いてたんでびっくりしましたよ。なんでも云ってみるものですねえ。

まあ、偶然だと思いますけどww

2018年11月4日日曜日

ウォーターライン製作記⑭~爆装ゼロ戦とマリアナ沖海戦~

太平洋戦争は、日本が1945年8月14日(日本では8月15日)にポツダム宣言を受諾したことにより終結した。戦争に限らず、ヤメ時を決断すると云うのは難しいことである。この8月15日については、本土決戦が愚行される前という点では早かった決断と云えるが、勝つ見込みが無くなった時期を考えれば、あまりにも遅すぎた感がある。

日本が降伏を決断したのは、原子爆弾の投下を受けたからというのが、一般的なイメージであろう。もちろん、それも大きなことではあるが、最大の理由はソ連の対日参戦である。

というのも、日本が、敗戦が決定的となった後もズルズルと戦争をしていたのは、ソ連の仲介によって、少しでも良い条件で終戦させることを期待していたからである。そのソ連に宣戦布告されてしまったのだから話にならない。あのまま戦争を続けていけば、日本は、アメリカとソ連に分断統治されてしまい、今の韓国と北朝鮮みたいになっていただろう。

ならば、ソ連が対日参戦を決定したのは、いつなのだろうか。

それは、1945年2月8日にヤルタに於いて、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三人で結ばれた秘密協定によってである。この密約は、副大統領にも知らせなかったという超極秘事項で「ソ連は、ナチス・ドイツの降伏後、3ヶ月を準備期間として、対日参戦する」というものであった。
ドイツの降伏が5月8日、満州侵攻が8月8日(日本では8月9日)であるから、まさに約束通りだったことになる。

実は、この密約を日本の情報部は、ちゃんと掴んでいた。情報源は、ポーランド系ユダヤ人のインテリジェンス。ポーランド人やユダヤ人は、敵国であるのにもかかわらず、日本と極めて友好的な関係にあった。(ずっと昔からロシアに虐められてきたポーランド人は、日露戦争でロシアをやっつけた日本が大好きで、今でも日本人が旅行に行くとビックリするほど良くしてくれるらしい)まあ、誤解を承知でザックリ云ってしまうと、杉原千畝の「命のパスポート」のお礼に、こっそり教えてもらった、といったところであろうか。
ところが、軍部は、この貴重な情報を握りつぶしてしまったのだ。このへんの経緯は、岡部 伸著「消えたヤルタ密約緊急電」に詳しいのだが、もし、日本がこの時期に降伏していたとすると、日本の戦後は、大きく変っていたことになる。

日本軍の戦死者の9割は、最後の1年間に集中している。さらに、3月東京大空襲、4月沖縄戦、8月原爆投下、ソ連軍満州侵攻・・・。もし、日本があと半年早く降伏していれば、これら全てが回避でき、沖縄問題も、中国残留孤児問題も、被爆者問題も、北方領土問題も存在しなかったことになるのである。

日本が降伏すべきリミットタイムは、1945年2月であり、8月15日は、遅すぎた終戦と云わざるを得ない。

で、マリアナ沖海戦の話である。

ここまで、降伏の話をズルズルとしたのは、日本の降伏問題を考えるとき、このマリアナ沖海戦(1944年6月19日)での敗戦が降伏(講和)の決断をする最早の時期だったと云われているからである。

マリアナ沖海戦は、日本海軍がありったけの航空兵力を集中運用し、マリアナ諸島に侵攻してきた米機動部隊に戦いを挑んだ一大決戦であった。構図的には、ミッドウェー作戦の裏返しになるのだが、作戦規模はミッドウェーを遥かに上回る。

すでに、米軍と日本軍の兵力には決定的な差がついていて、兵器のスペックにおいても日本軍は圧倒されていたのだが、劣勢の中でも知恵をしぼり、過去の戦訓をふまえて臨んだのがこの作戦であったし、ミッドウェーのような不運に見舞われたわけでもなかった。マリアナ沖海戦は、日米の機動部隊が正面から堂々とぶつかり合った、史上最大の海軍航空戦なのである。

このとき、日本側が採用した作戦が、有名な「アウトレンジ作戦」である。これは航続距離が長いという日本軍機の特徴を生かして、遠方より先制攻撃を仕掛けるという戦術であった。そして、ミッドウェー海戦の戦訓を生かして、索敵に力を注いだ。その結果、日本軍の索敵機は、米機動部隊を発見。日本機動部隊は、第六次にわたって、攻撃隊を発艦させた。完全に先手を取ることに成功したのである。

この時、新たな攻撃力として期待されたのが、戦闘機であるゼロ戦を爆撃機として流用した「爆装ゼロ戦」(戦爆)であった。

開戦初期に主力であった九九式艦上爆撃機は、旧式化して対空砲火による喪失率が跳ね上がっていた。新型の爆撃機「彗星」は、高性能を追求した結果、機体が大型化し正規空母でしか運用できなかった。そこで考えられたのが、ゼロ戦21型に250kg爆弾を搭載できるように改装し、戦闘爆撃機として運用することであった。
爆装ゼロ戦は、中・小型空母でも運用でき、性能も九九式艦爆よりは良く、爆弾投下後は戦闘機としての戦力も期待できた。

映画「永遠の0」の一場面。特攻機も爆装ゼロ戦も、爆弾を抱えているゼロ戦であるから、両翼にある増槽タンクを切り離してしまうと、見た目は同じである。もちろん、その戦術は大きく異なる。


爆撃機は、操縦士と爆撃手の2人乗りが基本である。また、急降下爆撃を可能にするためにはエアブレーキなどの装備が必要なのだが、爆装ゼロ戦には、そのような装備は無く、照準器の性能も劣っていたので、正規の爆撃機と比べて命中精度は低かった。さらに、長距離を航行するための燃料を満載したうえ、250kg爆弾を搭載した機体は、速度も運動能力も低下し、真っ直ぐ飛ぶのがやっとだったとも云われている。
しかし、最大の問題点は、一人で操縦と爆撃、空中戦、ナビゲーションをこなさなければならないことであった。そのため、戦闘爆撃機のパイロットには高い練度が求められるのだが、日本軍は、長引く消耗戦でベテランパイロットの多くを失い、実戦配置された搭乗員のほとんどは、二十歳前後の若者で、訓練不足のため発着艦もままならないような状態であったと云われている。
そんな新米のパイロットに、爆弾を装備したゼロ戦で、太平洋の真っ只中を片道2時間半飛行して、650km先の敵艦隊を攻撃、再び母艦に帰ってくることを強いたのである。
「アウトレンジ作戦」とは、研修もそこそこの新入社員の愛社精神(大和魂)を前提に、長時間労働による成果を期待するブラック作戦であった。

しかし、日本軍は、先手を取っていた。機動部隊の戦いでは、先制攻撃を仕掛けた方が勝つというのが通説であった。

この時、アメリカ機動部隊は、日本艦隊を発見できていなかった。しかし、アメリカ機動部隊が装備していた最新鋭のレーダーは、日本の攻撃部隊を200km先に捉える。このレーダーは、敵の位置の方位と距離だけでなく、高度も探知できるという優れものであった。さらに、米艦隊は、各艦のレーダー情報を空母レキシントンの管制室に集約し、一元化して運用する戦闘機指揮管制システムを構築していた。迎撃に上がった米戦闘機F6Fは、管制室からの無線電話の指示により、向かってくる日本機編隊ごとに振り分けられ、最適な迎撃ポジションに誘導された。

空戦では、日米の搭乗員の練度の差が語られることが多いが、マリアナ沖海戦に参加した米戦闘機パイロットの中には、これが初めての実戦という新米も多かったと云われている。ミッドウェー以来の総力戦である。新米を多く抱えていたという点では、日米両軍とも同じであったのだ。
彼らは、迎撃態勢をとるまでは管制室から、戦闘が始まってからは、隊長機からの無線電話によって、コミュニケーションをとりながら戦った。全ては訓練の通りに。

日本機動部隊の第一次攻撃隊64機は、62機のF6F戦闘機の奇襲攻撃を受け、42機を失って敗退。特に爆装ゼロ戦は、出撃した43機のうち31機を喪失するという壊滅状態であったという。
第二次攻撃隊128機は、編隊を突撃体制に組み直している最中(敵艦隊を目前に編隊を組み直し、10分もタイムロスをしている)という最悪のタイミングで、待ち伏せしていた97機のF6Fに襲撃され、全体の3/4にあたる99機が撃墜されてしまった。

辛うじて、米艦隊にたどり着いた攻撃機も、近接信管等で精度を増した対空砲火によって撃墜され、六次にわたる日本機動部隊の攻撃隊は、ほとんど戦果を上げることができなかった。
また、途中で方向を失い、母艦に帰還できずに墜落してしまった機も多く、なんとか帰還できた機体も損傷が激しく、使える航空機は、ほとんどなかったという。

翌日、日本機動部隊は米機動部隊の反撃を受ける。艦載機のほとんどを失った日本の機動部隊は、迎撃も満足にできず、ここに壊滅するのである。


写真は、改装空母「隼鷹」。同型艦「飛鷹」、小型空母「龍鳳」とともに、第二航空戦隊として、マリアナ沖海戦に参戦。3次にわたって攻撃隊を出撃させたが、敵艦隊を発見できず帰還中に米戦闘機に襲撃されたり、母艦の位置が分からず行方不明になったり、敵艦隊を発見するも迎撃されたりと、戦果を上げることができなかった。
「隼鷹」は戦線離脱中に米機動部隊の攻撃を受け、爆弾2発命中、至近弾6発を受けて損傷するも、撃沈は免れている。


実は、この時、米機動部隊が日本機動部隊を発見したのは、米艦載機の航続距離ギリギリのところで、日没も迫っていた。攻撃隊を出せば、帰還は夜間になり、途中で燃料切れになる可能性もあった。無茶なことは、米軍だってする。
実際、攻撃隊約200機のうち、燃料切れで海上に不時着したり、着艦に失敗するなどして、80機を喪失している。しかし、米軍は、全力を挙げてほとんどのパイロットを救出した。それは、人命尊重などという話ではない。一人のパイロットを育てるには、3年の年月と現在の価値で2億円の費用がかかる。それが理由の全てであった。

作戦終了後の第二航空戦隊の残存戦力は、九九式艦上爆撃機:8機(喪失21)・彗星艦上爆撃機:5機(喪失6)・天山艦上攻撃機:3機(喪失12)・爆装ゼロ戦:5機(喪失22)・零式艦上戦闘機:12機(喪失41)とある。喪失率は75%。第二航空戦隊は解隊され、艦載機を失った「隼鷹」は輸送船として運用されることになる。

この海戦で、日本機動部隊は第一航空戦隊の正規空母「大鳳」「翔鶴」を失うなど、壊滅的な敗北を喫してしまう。もはや普通に戦っても、アメリカには勝てないことが、明らかになったのである。アメリカに西太平洋の制海権と制空権を完全に握られた日本軍は、この後は、特攻攻撃を戦術の柱にしていくことになる。

日本海軍の敗退により、孤立無援となったサイパン島の守備隊は、多くの民間人を巻き込んで玉砕。サイパン島陥落の結果、アメリカの戦略爆撃機B29による本土空襲が可能になり、東条内閣は総辞職する。この時、早期講和を訴え、内閣総辞職へと導いたのが、国務大臣・軍需次官だった岸信介氏(安倍総理の祖父)である。

だが、内閣が替わっても講和が実現することはなかった。講和を妨げていた最大の要因は、意外にも国民感情であった。国民の多くは、嘘で塗り固められた大本営発表を信じ、負けを実感していなかったのだ。早期講和は、国民感情を刺激することになり、軍の強硬派によるクーデターを引き起こす恐れもあった。3月東京大空襲、4月沖縄戦、8月原爆投下、ソ連軍満州侵攻・・・結局は、たくさんの犠牲を目の前にして、初めて降伏が現実となったのである。

とすれば、8月15日の終戦は、早くも遅くもなく、歴史の必然だったのかもしれない。


写真は、サイパン島「バンザイクリフ」と天皇皇后両陛下

2018年11月1日木曜日

都道府県テストで18個しか答えれんかった「丸山純奈」だが、分からないのは場所だけで、県名は全て言えるらしい

10月27日、28日と二日連続のライブも無事終了とのこと。前日に東京入りして27日は新宿においてTANEBI.フェスでの2回公演。翌日は徳島で健祥会学園祭のライブと、まるで絶頂期のWinkみたいなスケジュールでしたね。それぞれ、バンド・コラボ・ソロとバラエティーに富んだステージで、初披露の楽曲も多かったとのことです。せっかくの首都圏公演だったのに、ツマラナイ用事で行けなかった我が身を恨むばかりです。

ファンの方々のツイッター情報によると、MCでは相変わらずの天然ぶりを発揮されてたようです。

「すーちゃん」が都道府県の位置を全然分かっていないのは、ファンの間では周知のことなんですが、彼女が都道府県テストで18県しか正解できなかったことを、バンさんが暴露したところ、本人曰く「わからないのは県の場所だけで、47都道府県名は全て言える」と反論したらしいです。

で、名前は覚えているけど場所が分からないと云う話を聞いたとき、あれっ!?って思ったんですよ。

実は、すーちゃんは歌詞覚えが苦手で(これもファンの間では周知のことなんですけど)歌詞間違いの多くは、歌うところを違えちゃうところにあります。つまり、言葉を間違えるんじゃ無くって、歌う順番を間違えてしまうんですよね。
渋谷のワンマンライブで「I LOVE YOU」の2番の時に1番の歌詞を歌っちゃった、なんてのは極端な例ですけど、繰り返し後のサビの歌詞を、1回目で歌っちゃうみたいなことって多いみたいです。

都道府県の名前と位置って、規則性とか法則があるわけでは無いので、単純に暗記しようと思っても難しいのは確かですけど、歌についても、単語を羅列してるだけの歌詞って結構多くって、純奈さんは、そういうところで間違えてるように思います。

その代わりに、彼女は、メロディーは、あっというまに覚えてしまうそうですから、得ているモノと失ったモノを比較した場合、新潟県の位置が分からない程度のことなんて、全然構わないと思います。

 健祥会学園祭での「君はロックを聴かない」を披露した時に「この曲は最近練習したばかりで、歌詞をみました」とのMCがあったそうですけど、僕は、それで良いと思います。歌唱では、何故が、歌詞を見ながら歌うのを恥ずかしいことと思う風潮があります。歌詞を見ながら歌ったのでは、気持ちが聴き手に伝わらないなどと云いますが、どうなんでしょうかね。楽器演奏では、楽譜を見ていたからって、そんなこと云いませんし、朗読だって本を見てるでしょ。歌詞を完全に覚えるまで、人前で歌ってはイケない。なんてなってしまう方がオカシイと思います。

動画は、「純奈ママ」さんのツイッターから、健祥会学園祭での「I LOVE YOU」になります。挨拶代わりの1曲って感じですね。


ツイッター動画ですから、フルコーラスで聴けないのがなんとももどかしいです。

それから、「POLU」さんですけど、10月19日にツイッターで【大切なおしらせ】と題して、活動休止宣言を出しました。
来年の春までだそうですから、半年間と云うことになります。

ラストライブは、11月18日に開催される「アクア・チッタフェスタ音楽花火Live」。もともとPOLUは、このイベントのために2年前に結成されたバンドだそうですから、区切りとしては、これ以上のものはないでしょう。

活動休止の理由は、ボーカル丸山純奈さんの体調維持と受験準備のための負担軽減で、この期間に再活動に向けての楽曲制作にも取り組むそうです。POLUに関しては、活動2年で充電期間が必要というのも不自然ですから、主たる理由は、丸山純奈さんの個人的な理由なのでしょう。
ところが、その1時間後に、今度は丸山純奈さんのツイッターから、ソロ活動は続けるとの投稿がありました。

どうやら、両方やるのは大変だから、バンドの方をお休みすると云うことのようです。で、11月17日には、「四国大学芳藍祭」にソロで出演だそうです。昨年度は、バンドで出演していたそうで、こんなふうにPOLUの出演が無くなった分、ソロで活動してたら、同じだと思うんですけど・・・結局、忙しさはあまり変らないみたいです。

この様子だと、来春のPOLUの復活ライブまでに新潟県の位置を覚えるのは難しいかもしれませんね。

2018年10月21日日曜日

一青窈「ハナミズキ」feat.丸山純奈&初音ミク ~熊本復興支援事業いのちのうた共演記念~

ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)。このアメリカ原産の街路樹は、丈夫で育てやすいこと、樹木としてのまとまりが良いことなどで、最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
僕の家の近くにも「花水木」が植えられています。さもない一方通行の道路なんですが片側に2・30本ほどの花水木が街路樹として植えられているんです。普段は地味な街路樹なんですが、春になると、突然、薄紅色というか、限りなく白に近い大きな花を咲かせるので、ああ、花水木だったんだ、なんて思い出すんです。


10月19日。熊本市民会館で、全労済熊本復興支援事業「いのちのうた」が開催されました。丸山純奈さんの共演者には、元KAT-TUNの田口さん、石塚英彦さんや一青窈さんのお名前がありました。

で、一青窈さんと云えば「ハナミズキ」ですよね。

「ハナミズキ」は、一青窈さんの最大のヒット曲で、世間に広く知られた曲です。ところが、この曲の歌詞は、比喩表現が飛躍しているところが多く、意味不明なところがたくさんあります。一説によると、アメリカで起きた9.11テロを追悼している歌とされていますけけど、もし、そうであれば、それなりに分かるように書くべきだと思いますけどね。

まあ、気にしなければ、何ともないことなんですけど、追悼とはいえ、死のイメージがあるこの曲を、熊本のライブで歌うのかどうかが気になってました。でも、集まっている観客は、この歌を期待しているでしょうから、歌わないという選択肢は、有り得ないかと・・・で歌ったのかなあ。歌いましたよね。歌ってくれないと、この投稿、無意味になっちゃうんですけど。

丸山純奈さんは、2年前のライブで、この歌を歌っています。MCによると、この歌で、地元のカラオケ大会で優勝したそうですよ。


如何でしたか、2番からの歌詞が、とんでもないことになっていますね。この曲、本当にカラオケ大会で使ったんでしょうかww

まあ、ただでさえ、歌詞覚えが苦手な「すーちゃん」なんですから、読解不可能とも云える歌詞は、呪文を覚えるようなものだったのでしょう。すぐ顔に出るのが「すーちゃん」の正直なところですね。
これに関しては、覚えにくい歌詞の方が悪いとしておきます。

純奈さんのカバーの特徴は、本家との距離感なんですけど、このテイクは、どことなく一青窈さんっぽくなっています。これは、本家に寄せたというよりも、この頃の彼女のコブシの入れ方などが、たまたま一青窈さんと似ていたからだと思います。

そういえば、ツイッターで、今度カバー曲を歌うときは、譜面台を置くことを提案させていただいたのですが、どうやら「嫌味」と思われたみたいで、完全にスルーされちゃいましたw
でも、歌詞間違いを気にしながら歌うぐらいなら、ちゃんと楽譜を見て歌った方が、聴いている側にも、歌っている側にも、そしてカバーされている御本家にも良いことだと思うんですけどね。
だって、正式なスピーチのときなんか、例え暗記していても、原稿を見ながら語るのが礼儀だって云うではありませんか。伴奏者は楽譜を見てるわけですから、歌唱者だって見て悪いことは無いと思いますよ。

では、正しい歌詞による「ハナミズキ」です。

僕の尊敬するボカロP「melodylights」さんの作品になります。初音ミクがかなり幼く歌っているのですが、ピアノ伴奏でのテイクが良い感じです。いつか、丸山純奈さんがカバーする時も、こんなピアノ伴奏ヴァージョンでお願いしたいところです。


熊本の支援ライブも無事終了とのことで、何よりです。
今回は、ピアノ伴奏での4曲披露だったそうです。ソロライブでは、ピアノ伴奏というのが定番になってきたようです。僕は、彼女の歌唱の良さを最も引き出せるのが、ピアノ伴奏だと思います。
会場には、彼女のことを知らずに来た人もたくさんいるはずです。そんな観客が、彼女の歌唱を聴いて驚く様を想像していると、僕まで誇らしく思えてくるんです。
近い将来、首都圏で、彼女のリサイタルが開かれるのを楽しみに待ちたいと思います。
譜面台付きで。

今回のライブは、一青窈さんもその映画版に出演したという「はなちゃんのみそ汁」の著者である「安武信吾」氏の企画によるものだそうです。純奈さんとはなちゃんのツーショット写真も投稿されていました。もちろん、一青窈さんは、映画版の主題歌「満点星」を歌われたと思います。
この物語は実話だそうです。実話の部分については、その家族の問題ですから、他人がどうこう云うべきことではありませんが、絵本やドラマ、映画となって世に出てきたものは批評の対象であり、一応ガン患者である僕にも、思うところがあります。
まあ、それは、もう少し考えがまとまってからにします。

で、毎年、花を咲かせてくれた花水木なんですが、今年の台風24号の強風と塩害のために、折れてしまったり、早々と落葉してしまいました。
POLUの活動が再開される来年の春、花水木は、薄紅色の花を咲かせてくれるのでしょうか。

2018年10月14日日曜日

丸山純奈「ひまわりの約束」at鳴門子ども園 

入院と自宅療養で3週間。木曜日に久ぶりに登校して、金曜日がUSJへ遠足。で、土曜日にライブ活動再開。ファンのツイッター情報によると、ライブ後には、お疲れの様子も見られたとのことですが、不安を抱えた中でも、無事にライブを終えられたことを喜びたいと思います。


昨日は、鳴門子ども園の「にこにこまつり」でスペシャルライブだったそうです。

僕が昔住んでいたところの近くにも、同様の福祉施設がありました。いろいろな事情で、親と暮らせない子供たちです。正直なところ、子供は天使だとか云ってられないこともあるようですし、職員の定着率も悪いと聞きました。支援団体などがあって、園児たちとクリスマス会をしたり、ディズニーランドに行ったりと、様々な活動が行われていましたけど、鳴門子ども園さんのような地域開放型の学園祭は、ありませんでしたね。園の規模とかも関係あると思いますけど、鳴門子ども園の職員さんの努力とか、地域の方々とのつながりとかが、あってのことだと思います。

丸山純奈さんが、今回、このようなライブ活動を行うというのは、尊敬に値することに思います。

此手の活動は「慰問」と云われてましたけど、子供が子供を慰問するというのは斬新すぎですね。今までに無かった新しいタイプの活動だと思います。
そういえば、他所の中学校の文化祭でもライブしてましたけど、中学校の文化祭のゲストが、別の中学校の生徒というのも、これまた斬新なことでしたねw
同年代からの支持は、タレントとして最大の強みですけど、純奈さんに関しては、主催者世代からの支持も絶大なように思います。


今回のライブでは、秦基博さんの「ひまわりの約束」がセットリストに入っていました。

「ひまわりの約束」は、アーティストのライブでもよくカバーされてますし、YouTubeにも男女、プロ・アマたくさんの動画が公開されています。皆さん上手で素晴らしい。でも、手作りのステージで、こんな青空の下で歌っているテイクはありませんでしたよ。町内のカラオケ大会みたいですけど。


お似合いですよね。だって、向日葵なんですから。

聴いたところでは、声の調子もまずまずかと思いますけど、「ドラマ」のテイクを聴くと、いつもの力強さがなくって、自信の無さが出ていたように感じました。
またいつか、体調100%の時、こんな青空の下で「ひまわりの約束」を歌って欲しいです。

「ひまわりの約束」って、感動させやすい歌なんでカラオケバトルなどでもよく選曲されるんですけど、YouTubeの動画を視聴していて思ったことは、皆さん「私って歌うまいでしょオーラ」が出ているってことです。
でも、この歌って、やっぱり純粋であって欲しいし、純粋ってことは、健気であって欲しいし、何より謙虚であって欲しい。

最近、「元気をもらう」って言い方をすることが多いですよね。元気は、もらうモノではなくって、自分でつくりだすモノだと思うんですけど、まあ、歌を聴くことで、テンションが上がったのであれば、そういう言い方もアリかもしれません。だけど、歌う側は、「歌で元気をあげよう」なんて思って欲しく無いんです。


で、フルコーラスのテイクをということで、いろいろと考えたんですけど、ちょっと思いたって、スライドショーを作ってみました。

純奈さんの写真は「すだっちたいちゃん」さんのツイッターから、楽曲は、僕の大好きなボカロP「あにめちゃんねる」さんの作品になります。で、ひまわりの写真は、今年の夏に僕が撮ってきたんですよ。

コンピューターの歌唱で申し訳ないんですけど、カラオケバトルで、高得点を出すためのテクニックを駆使して歌っている人間よりも、ずっと純粋でマシだと思いますんでww。


シャボン玉と歌っている写真を見ていたら、なんだか泣きそうになりました。
シャボン玉は、バブルマシーンじゃなくって、学園児たちが飛ばしていたとのことでしたよ。

「そばにいたいよ 君のためにできることが 僕にあるかな」
歌で出来る事って、あげるとか、もらうとかじゃなくって、寄り添い合うことじゃないかなって・・・そんなことを考えながら聴いていました。

えっ、シャボン玉を飛ばしたのは、次の曲のときでしたっけ?

2018年10月6日土曜日

丸山純奈「HOME」 ~もっと四国音楽祭~

丸山純奈さん、無事退院して自宅療養中とのことです。喉の不調も、疾患というよりは体調不良からきていたような感じですね。本来、十代半ばというのは、一番病気と無縁の年代ですから、やはり、無理が積み重なっていたのでしょう。

早速、今月の13日から活動再開とのことですが、ファンからは、「無理をしないで」の大合唱。完全に子供扱い・・・・って子供でしたね。でも、新宿「TANEBI FES」の次の日に「健祥会学園祭(徳島の?)」って、本当にこんなスケジュールで大丈夫なんでしょうか。

今回、情報解禁された活動は、ほとんどがソロ活動のようです。新宿のライブは「POLU」としての出演ですけど、出演者の欄には、POLU(丸山純奈)って書いてあります。「カッコ丸山純奈」ってナンでしょうか。今までこんな記述は無かったと思います。ソロでも歌いますよっていうメッセージでしょうか。そのうち「丸山純奈(POLU)」になって、最後は「丸山純奈」だけになるかもしれません。だんだんとバンさんたちがバックバンド扱いになってきているようですw

そういえば「もっと四国音楽祭」の紹介VTRでも、出演依頼が殺到(?)とか云ってましたけど、ほとんどはソロ活動の依頼なんでしょうね。

ねっとで「丸山純奈HOME」って検索すると、こんな動画が出てきます。


今から2年前、12歳の時のテイクですね。この動画の存在は知っていたんですが、取り立ててデキがイイわけでもありませんでしたから、一度聴いただけでスルーしていました。
2番になった途端に不安そうな顔をするのも、歌詞間違いを気にしているんだと思います。地声から裏声へいって、また地声に戻ってくるところとか・・・まあ、ここでそんなことを云うのも野暮ですね。昔のことをほじくるのはやめておきましょう。


で、今回貼り付けさせていただくのは、先日放送されたNHK「もっと四国音楽祭」での録音になります。音のバランスが若干悪いんですけど、とりあえず貼り付け可能で手に入ったテイクが、これなものですからご勘弁を。参戦したファンのツイートによると、歌が流れた瞬間に会場の空気を一変させたとのことですよ。


このテイクの2日前に喉の不調を訴えるツイートがありましたから、どうしてもそういう先入観で聴いてしまいます。

歌唱に関しては、かなり丁寧に歌っていると思います。いつもの「すーちゃん」だったら2小節目あたりで声を張り上げてくるはずですからね。ずーっと溜めておいて、最後のところだけ張り上げてきました。
まるで、肩を痛めて全力投球ができないピッチャーが、コントロールだけで勝負していて、最後の最後に、一球だけ全力投球して完投したみたいです。

丁寧というのは、探り探りとも云えますし、恐る恐るにも通じます。この丁寧さは、喉の調子を気に懸けながら歌っていた結果なのか、それとも、最初から、こういうふうに歌っていこうと決めていたのか。最も参考になるのは、同じようなピアノ伴奏で歌った「オンコロライブ」のテイクってことになりますけど、参戦していない僕には、判断のしようがありません。
ただ、彼女のツイートからも感じるんですけど、彼女自身は、このテイクに満足してないのは確かなようです。

でも、1つ云えることは、こういうのもアリだということです。

世に、歌の上手い女の子は、たくさんいます。でも、そのほとんどは、安室奈美恵さんに代表されるよな、今時のJ-POPっぽい歌唱です。そのこと自体は、致し方ないことであり、悪いこととも思いません。御本家アンジェラ・アキさんの歌唱でさえ、その延長線上にあるわけだし、大切なことは、歌に心を込めることでは無く、心を込めて歌うことなのですから。
ただ、今の日本に、日本のスローバラードを、日本語の歌として歌い上げられる歌手が、何人いるのかと考えると淋しくもあります。

アンジェラ・アキさんは「HOME」を作詞・作曲し、その世界観を自ら歌うことで世に伝えました。アキさんは、この曲でメジャーデビューを果たし、紅白歌合戦にも出場しました。
でも「HOME」の世界観には、彼女自身でも伝えきれていない、細かな襞のような部分があって、それを丸山純奈は、伝えようとしているのではないかと思うんです。

今の彼女にとって、NHKの歌番組は、大舞台です。で、紹介VTRでは、天使の歌声とか、超美声とか、ハードルを上げられちゃった中での、今回の出演だったわけで、辛かったんだろうなって思います。

これからも、歌うのが辛いときとか、絶対あると思うけど、プロになったら逃げられないわけですからね。


僕は、丸山純奈の「HOME」をリピートして聴きながら、彼女が少しだけ遠い存在になったように感じました。

そして、それは、彼女がちょっとだけ大人になったからなんだと思いました。

2018年9月29日土曜日

丸山純奈「I LOVE YOU」 at 沖縄ライカム

9月25日、丸山純奈さんが喉の不調により出演キャンセルとの報が、AQUA CITTAからありました。9月12日に「喉にめっちゃ痛いデキモノが」という投稿があり、その後の小豆島と京都でのライブでは、かなり辛そうだったとのことですから心配です。

状況から予想すると、喉にポリープでもできたのかと思いますが、入院が必要としか発表されていませんし、療養という表現も気になります。具合が悪いのは、喉だけでは無いとすれば、復帰まではかなりの時間がかかる可能性もあります。
10月中旬を目途として、とありましたから「熊本いのちのうた」とか「新宿TANEBI FES」にはどうにかと云うことでしょうか。11月には、POLUにとって大切なステージ「アクアチッタ・フェスタ」もありますけど、かといって無理をしては、元も子もありませんからね。


で、今回貼り付けさせていただくのは、6月の末に沖縄のイオンショッピングモールで歌った「I LOVE YOU」の録音になります。
再生数1,160万回越えの「音楽チャンプ」の番組テイクから半年後、歌唱の安定度は、さらに向上しています。まあ、ケチをつけるとしたら、Cメロの「温もりの部屋でキスをした」のところの歌い方がちょっと雑になってしまったことくらいでしょうか。
ショッピングモールのイベント広場と云う劣悪なステージで、このデキは素晴らしいですし、京セラドームでのギター伴奏が最悪であったことを考えると、公開されている「I LOVE YOU」の中では、これがベストテイクになると思います。


純奈さんの歌唱を評する場合、必ず「透明感」と云う言葉が出てきます。「透明感」と云うのは、ノーテクニックで無個性な歌い方を評するに便利な言葉として使われることが多く、必ずしも褒め言葉とは云えないのですが、彼女の場合は、「透明なのに○○」と付け足されるのが面白いところです。
その○○の部分には、張りがあるとか、存在感があるとか云われていますけど、最大の特徴は、その質感にあります。彼女の歌声は、透き通っているけど、けっして軽やかでは無い。彼女の歌は透明なのに重いんですよね。

本来、透明な歌声というのは感情表現には不向きです。で、ムリヤリ伝えようとすると、やり過ぎ感が出てしまいます。芝居がクサくなるってやつです。ただ、ボーカロイドの記事でも繰り返して書いていますが、僕は、歌に感情を込めるという行為は、歌唱の必須とは思いません。ですから、透明感ある歌声ならば、そのままストレートに歌ってくれた方が、心に響くことが多い。
ところが、彼女は、その質感のおかげで、そこそこ感情を込めることができて、それなりに伝わってきます。しかも、透明感のおかげで、感情を込めたことが嫌味にならないという強みがあります。これは天性のものです。歌に心を(さりげなく)込めるという、プロの歌手が何年もかけて獲得していく術を、彼女は産まれながらに持っているのです。

「I LOVE YOU」はクリス・ハートさんの持ち歌で、内容的にも男歌のはずなんですけど、歌詞に女々しい部分があって、何となく中性っぽいんですよね。それが上手い具合に、彼女の重く湿った声質にハマったように思います。


お詫びの文章には、追記がありました。ソロ活動については、HMS大阪へ聞いてくれとのことです。POLUのボーカリストとしての丸山純奈と、ソロシンガーの丸山純奈との活動に一線を引いてます。まあ、当然のケジメだと思いますけど、改めて文章として出てくるとインパクトがあります。
今までは、ここのところが曖昧だったんですよね。例えば京セラドームのライブは、HMS関連の活動に思いますけど、POLUのツイッターでもフォローしちゃってたわけですし。
ファンにしてみれば、POLUのすーちゃんも、ソロのすーちゃんも、どっちも大好きです!とか云っていればいいことなんですけど、今後、彼女がプロ歌手として活動していくためには、この二刀流問題は避けられないと思います。

このへんの妄想については、いずれまたと云うことで。

2018年9月20日木曜日

狩野川台風から60年 ~ある体験作文との再会~

2019年に狩野川台風に匹敵するといわれた「台風19号」がやってきて、狩野川流域に浸水被害が出ました。その時の様子は、こちらに投稿させていただきました。


土曜日の午後、旧大仁町(伊豆の国市大仁)にある中央図書館を訪ねた。今年(2018年)は、狩野川台風(1958年9月26日)から60年だそうだ。中央図書館では、地域の方々から当時の資料を提供してもらい、特別陳列を開催しているらしい。で、その中に当時の文集があるという。僕にはどうしても確認したいことがあった。

図書館の2階、郷土資料室の片隅にあったその展示は、会議机2つ分の、あまりにもささやかで、笑ってしまうような特別陳列であった。


小学生だった頃、狩野川台風の話を聞かされたことがあった。たぶん社会科の時間だと思う。当時、完成して間もない「狩野川放水路」の授業だった。その時、担任は、僕らに1つの作文を読み聞かせた。それは、洪水に流された子どもの体験談だった。作文のラストは、自らを励ますために学校で習った歌を歌いながら、流木につかまって流されていくシーンになっていた。
歌いながら流されていくという場面に、僕は衝撃を受けた。それから僕は、台風が来る度に、洪水のニュースが流される度に、この話を思い出した。

僕が特別展を訪ねたのは、担任が50年前に読み聞かせた、その作文を確かめるためだった。

狩野川台風が来襲した年、旧田方郡(現:函南町・伊豆の国市・伊豆市)の小中学校では、子どもたちに水害関連の作文を書かせ、デキの良い作品を集めて、狩野川台風の特集号を作っていたのだ。

僕は、「ささぶね」と名付けられた小学生の文集を手に取った。「洪水はこわかったです。」とか「自衛隊の人が助けてくれました」とか「仲良しの○○ちゃんが死んでしまいました。」みたいな作文が掲載されいる。全ては、生々しい体験談だ。しかし、そこには、歌いながら流されていくことを書いた作品はなかった。担任が読み聞かせたのは、文集ではなかったのだろう。まあ、念のためと、次に中学生の文集を開いてみた。

僕の捜し物は、その巻頭にあった。

中学生の作文だった。「大仁中学校3」とあるから3年生のようだ。改めて読み返す。間違いない。ところが、その文章は、稚拙とまでは云わないが、あまりにも平易であった。中学生も3年生ともなれば、しかも、学校代表であれば、作家顔負けの文章を書くものである。彼女が、作文が得意な生徒ではないことは明らかだった。しかし、当時の教師達は、この作品を一位と評価したのだ。文集の巻頭に掲載されるというのは、そういうことである。
会話と簡単な感情記述で構成されたその作文は、確かに、平易ではあったが、特集号の巻頭に相応しい作品であった。

(作品はコピーさせていただきました。ブログの最後に載せてあります。)


狩野川台風とは、昭和33年9月26日に、中伊豆地方に甚大な被害をもたらした台風22号のことである。

翌年の同じ9月26日には「伊勢湾台風」が来襲している。だから、僕らのところでは、「狩野川台風」と「伊勢湾台風」は、一年違いの同じ日と記憶されている。実は、狩野川台風は、26日夜に伊豆半島をかすめた後、相模湾を進んで鎌倉付近に上陸したのだが、その時は、日付が変っていたので、上陸日は27日ということになるらしい。母の話によると、27日は台風一過でピーカンだったそうだから、上陸は27日だったんだよなんて話をしたら、怪訝そうな顔をしていた。


台風22号について、ウィキペディア等の記述を参考にまとめると、次のようになる。

・「狩野川台風」は、気象庁が公式に命名した最初の台風である。
 (それ以前の命名は自然発生的なものだった)
・死者・行方不明は1,269名。被災地域が田園地帯であったことを考えるとこの犠牲者数は極めて多い。
・翌年の伊勢湾台風の陰に隠れ知名度は低く、昭和の3大台風(室戸・枕崎・伊勢湾)にも入ってない。
 最近では、伊勢湾台風は聞いたことあるけど、狩野川台風なんて知らないという静岡県人も多い。
・最大勢力は、気圧877hPa、最大風速75m/sで、気圧の低さでは戦後第4位である。
 ただし、これは海上にあった時のデータであり、上陸時の気圧は960hPaほどに衰えていたらしい。

台風が急速に衰えたのは、日本列島に流れ込んでいた寒気の影響とされている。この時、秋雨前線は日本の南の海上に停滞していた。狩野川台風は、秋雨前線を押し上げながら北上し、上空の寒気と遭遇して伊豆地方に大量の雨を降らせた。狩野川台風は、典型的な「雨台風」であった。

狩野川台風は、首都圏にも多大な浸水被害を与えたが、人的被害は狩野川流域に集中している。その原因については以下の通りである。

・上流の天城山に記録的な降水があった。
 湯ヶ島では21時からの時間雨量が120mm、総雨量は753mmと記録されているが、
 天城山での総雨量は1000mmを越えていたと推定される。(当時、天城山には雨量計が無かった。)
・一週間前に、台風21号が伊豆地方を襲い、すでに天城山が大量の雨水を含んでいた。
 この時の台風のために、狩野川流域の白山堂では堤防が破損していた。
・戦後の復興需要で、天城山では大量の森林が伐採されていた。
・洪水の発生が夜間であった。
・狩野川流域は水害の多発地帯であったため、放水路の建設が行われていたが、
 戦争や戦後の財政難のために建設工事が進んでいなかった。

静岡県の地形は、北に富士山、南に駿河湾と、北から南へ低くなっている。ところが、狩野川は、太平洋岸の川では珍しく南から北へ流れているため、下流域では北から流入する土砂に流れが圧迫され、排水能力が低い。そのため、度々浸水被害を出してきた。
そして、狩野川は大きな氾濫を起こす度に、流れを変えてきた。源頼朝が配流された「蛭ヶ小島」は、今は田方平野の田んぼの中にポツンとあって、島でもなんでもないのだが、平安時代は、このあたりを狩野川が流れていたと云われている。


昭和33年9月26日、午後9時頃から天城山で多発した土石流は、大量の流木を伴って狩野川を流れ下っていった。旧修善寺町横瀬にある修善寺橋は、頑丈に作られた鉄橋だったので流失を免れていたが、ここに上流からの大量の流木などが堆積し橋梁が閉塞、橋の上流側に洪水湖を形成した。やがて橋は水勢に耐えきれなくなり倒壊、大量の土石流が一気に下流地域を襲ったのである。この土石流で、避難所になっていた修善寺中学校は流失、多くの犠牲者を出した。

1は支流の大見川。2が狩野川である。2つの川が合流した先の3のあたりが修善寺橋のあったところ。コンクリート製で重さ150トンあった橋桁は 800m下流にまで押し流されたという。

洪水は、下流にある大仁橋も倒壊させたが、この時、橋のたもとの護岸が削られて、熊坂地区が濁流にのみこまれた。熊坂地区は全域が洪水の被害に遭い、住民の3割が犠牲になった。
1が破壊された大仁橋。2の辺りが瓜生野地区があったところ。3の辺りが熊坂地区があったところである。この2つの集落は、家屋のほとんどが流され、特に大きな被害を出した。

熊坂地区から撮った現在の狩野川。上流の大仁橋方面。

狩野川記念公園にある慰霊碑。

熊坂小学校も浸水被害にあったが、山の縁に建てられていてたので、辛うじて流失は免れている。これは学校再開時の有名な写真。亡くなった児童の机には、花瓶が置かれている。熊坂小学校では、児童78名、教師2名が犠牲になっている。

氾濫原の中にポツンと取り残されているのが、旧大仁町中島地区。ここが「中島」と呼ばれていた理由がよく分かる。中島地区は周囲よりわずかに高かったおかげで、流失をまぬがれた。作文の作者も中島に住んでいたようだが、「新住」と云っているから、中島地区の中でも新しく開かれた所で、土地も低かったと思われる。中島地区の家屋の流失率は50%とある。

修善寺橋の倒壊は午後10時。洪水がいっきに押し寄せたことと、夜間であったため、人々は自宅の屋根に登るのが精一杯であった。昔の日本家屋は、浸水が2mを越えると流失が始まるとされている。これは、一階の天井部分まで水に浸かることによって浮力が発生するからである。作文では、作者の家屋の流失が始まったのは、午後10時50分となっている。

旧伊豆長岡町にかかる「千歳橋」。作文に出てくる「長岡の橋をこぐった」とあるのは、この橋のこと。千歳橋は鉄橋であったので流失をまぬがれた。洪水域で唯一残った橋であり、今でも伊豆長岡温泉へのメインルートとして使われている。
この橋にも大量の流木が堆積している。溢れ出た洪水は、写真手前、旧韮山町方面に流れ、田方平野一帯を水没させた。

狩野川は、函南町に入ると流れを大きく西側に曲げる。ここでも堤防が決壊して、洪水は、まっすぐ北へ流れ、函南町仁田(父の話によると、今の田方農業高校のあたり)で、渦を巻いて滞留したようである。

背後に見える山の形から、洪水が滞留し、作者が流れ着いた仁田の辺りと思われる。彼女が凍える妹を抱き、歌を歌いながら救助を待ったのが此処。水が引いた後の瓦礫の下からは、捜索によって、たくさんの遺体が発見された。

中島から仁田までは、直線距離にして約10kmである。作文には、時間や時刻の記載がある。漂流しているのにも関わらず、時間を把握できていると云うのは、不思議な感じがするが、救助された後で、時刻などを教えてもらったのかもしれない。救助を待ちながら滞留していた時間を除くと、彼女たちは10kmを2時間半ほどで流されたことになり、平均時速は約4kmである。
作文には、流れて来た別の家に乗り移る場面が書かれているので、漂流の速度は一定では無く、かなり緩やかに流されていた時間帯もあったことが分かる。

作文は、二人が救助されたところで終わっていて、洪水の中で分かれた兄妹たちの記述が無い。家族がどうなったかは、彼女にとって最も大切なことだろうから、作文に書いていないというのは不自然である。書かれていたが掲載の都合でカットしたのか。それとも最初から書かなかったのだろうか。

狩野川台風から7年後、工事開始から15年後の昭和40年に狩野川放水路は完成する。
放水路は、伊豆の国市の墹之上から狩野川を分流し、2つのトンネルでショートカットして駿河湾へ流すようにできている。普段は水門を閉じていて、狩野川が増水すると水門を開けて放流を開始する。近年、最も大量の放水がされたのが、平成19年の台風9号の時で、放流によって狩野川の水位は約3.7m低下した。
放流は、年に平均2・3回行われているらしい。
(平成29年の台風19号でも、大量の放水が実施されたが、狩野川の水位は越水寸前まで上昇し、危険な情況であった。)

水門を開放したところ

放流トンネルの海側出口

ところが、この放流が思わぬ騒ぎになったことがある。放流口のある江の浦地区は、近年、鯵の養殖業が盛んで、たくさんの養殖筏があるのだが、放流された淡水が筏に流れ込んでしまい、とんでもないことになった。漁業関係者にとっては、水門が開放されるかどうかは大変な関心事で、放流によって養殖に被害が出た場合は、補償金が支払われることになっているらしい。


最後に、親から聞いたどうでもイイ話を3つほど。

洪水の後、狩野川流域の家には嫁をやるなという雰囲気があった。ある家に、狩野川流域の家との縁談話があった。実家の両親がその家を訪ね「失礼ですが、こちらの被害はいかほどでしたか?」と訪ねたところ「うちは、床下浸水でしたから大丈夫でしたよ。」と笑った顔の向こう側の壁には、洪水痕がくっきりとあった。

たくさんの遺体が流れ着いた函南町の蛇が橋付近では、夜な夜な幽霊が出るとの噂が絶えなかった。幽霊を乗せたタクシーがあるというので、新聞社が取材に来て、タクシーの運転手一人一人に聞いてまわったが、幽霊を乗せたタクシーなど一台も無かった。

狩野川河口域の浸水常襲地帯での話。水に浸かると、家の中には大量の土砂が入り込んでくる。それらは、水が引いて乾くと固まってしまい、洗い流すのが大変である。そこで、洪水の水が引き始める時を見計らって家の中に入り、土砂を掻き出して引いていく水で流すと、家の中が綺麗になる。



「恐ろしい一夜」     大仁中学校3 西島秋代

 屋根の上にいる子供達に、憎らしい風雨は吹きつける。屋根にへばりついていないと吹き落とされそうな風。顔、手、足、そして耳にも痛いほどに吹きつける雨。水はきちがいのように荒れ狂っている。礼子、悦子、幸江、美恵子、マーチャン、テッチャン、おにいちゃん、そして私達は、風雨のために頭の毛は乱れ、寒さのために口も思うようにきけない。十時五十分、スウーッと家が流れ出した。そして、それから三時間半、死ぬような思いの旅が始まった。

 家はみるまに速度を増し、ミシミシと壊れ始めた。おにいちゃんが
「みんなこの家が壊れたら何でもいいからつかまるだぞ!いいか、わかったな!」
とまるで腹の底からしぼるような声で叫んだ。でもそれより風雨の方が激しく、兄の声は時々打ち消された。家は見る間に壊れ、とてもこんなに大勢では沈んでしまいそうになっていた。兄は電池を回し、少しでも皆を元気づけようと
「最後までがんばるんだ。何でもいいからつかまれ!そして浮いているんだぞ!」
と叫ぶ。前後左右で
「おかあちゃん、おかあちゃん。」
「おおーい、たすけてー。」
「みさ子ー。」
などと声がする。(助けてやりたい。でも私だって危ない)そのうちどこかの家が流れてきた。まず兄が乗った。
「よし、だいじょうぶだ。みんなこっちへ移れ。」
子供達は無我夢中で移った。悦子も私も移ろうとした。その時、家がまた流れ出した。
「秋代ちゃんしっかりするんだぞう。」

(もうだめだ。私と悦子と二人になってしまった。でもどこを流れているのだろうか。燈が見える。光が動いている。人だ。人間だ。)
「たすけてー。」
と叫ぶ。(だめだ。どこまで流されていくのだろう。助かるだろうか?……。いやだ。死ぬなんて……。)
「秋代ねえちゃん、ずっといっしょにいようね?」
と言う。悦子はえらい。涙一つ浮かべない……。と、
「たすけてー。」
すぐ向こうでかすかな声が聞えた。だれかいる。
「これにつかまって。」
屋根に上げてやる。新屋のおじさんだ。たしかに中島の人だ。
「おじさん泳いで来た?」
「あーもうだめだ。子供もみんな死んでしまった。」
「おじさん。そんなこと言わないで生きられるだけ生きようよう。」
「あーだけどなあー、お前さんはどこの人だ。」
「新住だよう。おじさんは新屋だら?」
「おお新住か、新住も流れたかあ。」
「おじさん、この柱を二つ持っていようよ。これが壊れても沈まないようにね。」
「おー。」

 長岡の橋をこぐった。ものすごい波だ。
「あっ、たすけ……。」
(もぐっているのだ。屋根がひっくり返ったのだ。苦しい、息がつまる。これで死んでしまうのか。苦しい。上に出なければ……。)
 あっ!助かったのだ。息ができる。苦しくない。
「秋代ねえちゃん。」
悦子だ。悦子がいる。
「よかったねえ。」
「本当によかったねえ。」
あっ!新屋のおじさんがいない。(死んでしまったのだろうか?かわいそうに。でも、どうしてがんばらなかったのだろう。私だって悦子だって生きているのに……。)おや、あそこに大きな柱が流れて来た。あれにつかまろう。
「悦子、それにつかまんな!いい?つかまった?ほらひっぱるよ。」
「これにつかまっていればもう平気だね?」
「うんもう何でもないよ。」
(でも、ここはどこだろう。もうだいぶ流れて来たようだ。本流を流れているのだろうか?流れが速い。空もだんだんと曇ってきたようだ。雨が降りませんように……。)あっ、森だ。(あそこに着いてくれますよう……。)あっ、人がいる。
「たすけてー。」
「おーい、しっかりするんだぞうー。」
「たすけてー。」
(だめだ、またはなれてしまった……。)
「悦子、ねむったい?ねちゃあだめだよ、ねたら死んでしまうよ。うん?寒い?こら、悦子おきな!」
「あっ、曲がった!」
(あー流れがゆるやかになった。ここは水がぐるぐると回っているだけだ。もう流れはないかもしれない……。でも、この水がひけたら、海へ流れるだろう。そうしたらもう、私の大好きな音楽も聞けないだろう。歌を歌おう、私の生きている時の最後の歌を……。)

      うさぎおいし かの山……。

あっ、人がいる。燈が見える。動いている。人の話し声が聞える。
「たすけてー。」
「おーい。今いくぞオー、しっかりしていろー。」
「悦子。今に助けてもらえるからねッ。もうすぐだからねッ。ねちゃあだめだよ。ほら、ひっくりかえるじゃあ。ねえちゃんの顔が見える?ほら、あの光が見える?寒いねえッ悦子。」

それから数十分後私達は仁田で助けられた。長く、そして恐ろしい一夜がすぎた。

2018年9月16日日曜日

「安室奈美恵」人気に便乗して、「丸山純奈」の「Love Story」について語ろうと思う

凄いですねえ。今日で引退ですって。でも、ここまで社会現象化するとは思いませんでしたよ。ライブのチケット取れてないのに沖縄まで行くって云うんですから、ファンというのは恐ろしいものです。

で、僕は「安室奈美恵」世代ではありませんので、社会の流れに完全に乗れてません。もちろん、彼女のパフォーマンス力が凄いことは理解できますけど、当時、すでにオジさん化していた僕は、細い眉毛も、痩せすぎた体も、20歳のできちゃった婚も容認できなくなっていましたからね。
でも、世間でこんなに絶賛の嵐が吹き荒れると、安室奈美恵の魅力が分からない僕って感性が鈍いのかしらん、なんて一人で悩んでしまいます。

で、思いのほか偉大だった「安室奈美恵」さんと、「丸山純奈」さんをつないでいる楽曲が「Love Story」であります。さっそく、聴いてみましょうと思ったのですが、YouTubeには、偽物が多くって・・・。
格好いい動画がありましたので、こちらを貼り付けさせていただきます。これはさすがに、御本人が歌っていると思うのですが・・・・。


 月9ドラマ「私が恋愛できない理由」の有名なシーンのようです。「Love Story」は、このドラマの主題歌だったんですね。彼女の偉大さが見事に演出されている映像だと思います。

この収録は、代々木第一体育館で開催された、安室さんの本物のライブの終了後に、観客をそのまま残して撮影したそうですよ。
代々木第一体育館ですって。「松浦亜弥」さんもそうでしたし、「Wink」のライブもありましたよね。「すーちゃん」もいつの日か、こんな大きなステージで、ホールエコーをバンバン効かせながら歌って欲しいものです。

あー、でも人気は、ほどほどで結構です。安室さんみたいにチケット倍率が天文学的数字になっちゃったら困りますから。

では、「丸山純奈」さんのテイクを貼り付けさせていただきますね。「音楽チャンプ」のテイクで、ピアノ伴奏は「堀 倉彰」氏ですね。     


このテイクについては、「菅井秀憲」氏に、16ビートのリズムに乗れてないとか、ボロくそに云われてましたよね。テレビ番組ですから、全ては演出の1つかと思いますけど、こういう発言って視聴者に先入観を与えてしまうみたいで、今でも、動画のコメントなどに「丸山純奈はリズム感がない」なんて書き込みが見られます。まあ、少なくともリズム音痴ではないんですから、正確には、「無い」のではなく「身についてない」と云うべきかと思います。

で、歌唱についての評価なんですけど、「すーちゃん」の歌い方って、全部同じなんですよね。だからどうしても、ハマる曲とハマらない曲があるんですけど、それを強引にワンパターンの歌唱で押し切っちゃう。まあ、若い時には、球種を増やすことよりも、ストレートに磨きをかけることの方が大事なわけで、これが、彼女の、ある意味、魅力なわけです。

ただ、歌詞への感情移入という点では、この子の歌唱は評価されて良いかと思います。特にサビの部分の「すがりつくような」歌い方は秀逸です。普通、こういう感じで迫ってくると、聴き手はドン引きしてしまうものなんですけど、彼女の場合は、島津亜矢さんが云うところの「吸い込まれるような透明な歌声」によって、クドさを感じさせないんですよね。

安室さんの歌唱は、代々木体育館に相応しく、すーちゃんは、スタジオライブに合っている歌唱と云う結論でいかがでしょうか。
もちろん、何年か先、「すーちゃん」が代々木で歌うときには、安室さんのような、スケールの大きな歌い方をしてくれるでしょうし、それが出来る子だと思います。

と云うわけで、早くしないと、日付が変ってしまいますので、今日は、これでお終いです。。

2018年9月15日土曜日

行っても無いのに「丸山純奈」の「もっと四国音楽祭」を考察してみた

鳴門市で開催されたNHK「もっと四国音楽祭」の公開収録が無事終了したようです。一昨日になって、いきなり「丸山純奈」さんが「喉にできものができて、すごく痛い」との書き込みをしたものですから、心配で心配で、僕まで食事が喉を通りませんでしたよ。
まあ、そんなツブヤキを気軽にしちゃうのがSNS時代の特徴であり、「すーちゃん」らしいところでもあります。「島津亜矢」さんは、仮にあったとしても、ファンに対してそんなことは云わないと思います。大人ですから。

では、前回に続き、ツイッターに公開された写真から、いろいろと語らせていただこうと思います。

さっそく一枚目の写真です。この方は、アンジェラ・アキさんの飲み友だちで、番組のテーマソング「ふるさとの色」の編曲を担当した「Dr.キャピタル」氏ですね。さりげなく肩に手を回しちゃえるのが外人ですよね。物販では握手が限界ですから、羨ましい限りです。


Dr.キャピタル氏は、サポートギタリストとして有名な方ですが、音楽博士の称号を持ち「南カリフォルニア大学」で音楽教授をしているそうです。YouTubeに音楽講座の動画をたくさん投稿していらっしゃいましたよ。
その中の1つです。最初の「一人ボケ・ツッコミ」を我慢すれば、ポリリズム(多重拍)のギターテクニックを披露してくださいます。


結局は、歌いたいだけのようですが、ただの、スケベな外国人では無いと云うことは、よく分かりましたです。

次の写真は、「Little Glee Monster」です。今回は、3曲ほど披露してくれたとのことです。


なんか、微妙な距離感が気になる写真です。普通、もうちょっとくっついて撮りません?
よくネットでは、メンバーの不仲説が書かれていますけど、やっぱり本当なのかも、なんて気になります。まあ、プロの歌手ですから、パフォーマンスが素晴らしければ、仲良しこよしである必要はありませんけどね。

動画のコメントで、丸山純奈さんをリトグリの新メンバーに、みたいなのがよくあります。まあ、投稿した御本人にとっては、純奈さんへの褒め言葉のつもりなんでしょうけど、彼女の魅力は、ソロでしか発揮できませんからね。売れているグループのメンバーであることよりも、売れないソロの方が良いってこともあるわけですし。っていうか、入ったりしたら絶対虐められ・・・スミマセン無かったことにしてください。

「STU48」さんですね。16人の選抜メンバーさんのようです。大所帯ですから、テレビに映してもらえるだけでも、大変なようです。今回は、2曲披露してくれたとのことです。


センターは「瀧野由美子」さんだそうですけど、どの子でしょうか。こうやって見ると、純奈さん、アイドルと一緒に写っても、なかなかイケてると思います。完全に後列の子たちなんか・・・スミマセンこれも無かったことに。

今回は、テレビの公開収録ですから、ここから番組作りに向けて編集が始まるのだと思います。放送は「尺」が決まっていますからね。収録したものが全て使われるわけではありませんし、番組内で取材VTRを流したりすれば、さらに使われる部分は少なくなると思います。
ですから、インタビュー場面などは、かなりカットされるでしょうし、リトグリは3曲披露したそうですけど、放送で3曲流してもらえるかなんて分かりません。丸山純奈さんの「home」だって安心できないわけです。
ただ、今回は、ゲストアーティストが5組だけと云うことですから、収録分は大切にしてもらえそうな気もしますです。

お終いは、「島津亜矢」さんとのツーショットですね。


誰がナンと云おうと、僕的には、この写真が一番の涙ものになります。

なんと、島津亜矢さんが、ご自身のブログで、「すーちゃん」のことを褒めてくださっているではありませんか。

島津亜矢さん「もっと四国音楽祭2018」

いつもお世話になっている「すだっちたいちゃん」さんのツイッター情報によると、「島津亜矢」さんは、インタビューの時に「すーちゃん」の歌声に太鼓判を押してたそうです。お世辞な部分が多いとしても、これほど嬉しいことはありません。「ハヤシライス作れます」みたいなインタビューは、ぜーーーんぶカットしてもいいから、この部分は是非とも使って欲しいところです。

と云うわけで、今回の「四国音楽祭」は、10月4日(木)に BSプレミアムで全国放送されるそうです。僕のテレビは、残念ながら衛星契約をしておりませんので、誰か録画してくれる人を探さなければなりませんけどね。

今回の出演では、アンジェラ・アキさんと正式につながることができたのが良かったと思います。で、Dr.キャピタル氏とも良い関係ができたようですし、今後は、氏が間を取り持ってくださることと思います。まあ、我らの大切な「すーちゃん」の肩を気安く触ったんですから、これからいろいろと働いていただきたいものです。

まあ、こうやって、可愛がってもらいながら、少しずつ人脈を広げ、成長していく才能を見守るというのは、ファン冥利に尽きることですし、嬉しい限りです。

2018年9月8日土曜日

丸山純奈「オンコロライブ」と、初音ミク「マジカルミライ2018」が、大盛況のうちに閉幕したらしい

9月1日は、気になっていた2つのライブが開催された日でした。

まずは、初音ミクの「マジカルミライ」。

今年の「マジカルミライ」は、大阪と幕張の2カ所で四日間、8公演。しかも幕張メッセでは、広めの第9ホールと云うことで、過去最大規模の4万人動員だったようです。世間的には、もはや話題にもならないボーカロイドですけど、これだけの観客を動員できると云うことは、底堅い人気を維持しているようです。ニュース映像なんかを見ると、若い女の子の参戦が目立つのですけど、「米津玄師」効果とかあるんでしょうか。

実は、4年連続で参戦していたマジカルミライですが、ちょうど申し込みの時期が、「初音ミク×鼓童」の申し込みと重なっていて、さすがに両方は難しかったものですから、今年は参戦を見送ったんです。
で、先日のブログにも書いたとおり、「初音ミク×鼓童」が、僕的には完全に不完全燃焼だったので、やっぱりマジカルミライに参戦すれば良かったと、後悔している次第です。
いつもだったら、どんなセットリストだったのかなとか、いろいろとネットで検索するのですが、知れば知るほど辛くなります。


大阪公演のフル動画が早速YouTubeに出てきてたんで、ブロックされる直前に駆け足で視聴したんですけど、「鏡音リン・レン」の二人のステージは相変わらず盛り上がってたみたいですし、今年は「Tell Your World」も復活していたし、バンドメンバーも入れ替わってたり・・・そして、大好きな「OSTER project」さんの楽曲を演奏してたんですよ!
高輝度レーザープロジェクターを7台並べたというのも、初のことだと思いますし、ちょっと、立ち直れそうにありませんので、この話は、これでお終いです。


次に、丸山純奈さんの「オンコロライブ」です。

実は、裏のブログにあるように、僕は癌患者であります。大腸に癌が見つかったのがちょうど3年前。それから手術をして、リンパ節への転移が分かって、ステージⅢCの診断を受けて、抗がん剤治療が終わったのが2年前。今は経過観察の身の上です。

ライブの告知の時に、癌患者の招待枠があることを知って、「もしかしたら、オレって、タダで観覧できるんじゃネエ」って思わす考えてしまいました。でも、今や国民の半分が癌になる時代、肝臓に転移でもあれば別ですけど、経過観察者の分際で招待席を申し込むというのは、さすがに気が引けました。まあ、無料だとしても、チケット代の相当額を寄付すれば良いだけのことですけど。

だからというわけでは無いのですが、グズグズしていたら、なんとなく時期を逸してしまいました。で、「クラーキー」こと「堀倉彰」さんがサポートすると知って、大後悔と云うわけです。


次回は、新宿でライブをするとのことですが、普段はヒマなのに、この日だけはNGです。チャンスというのは、一度逃してしまうとダメが続くみたいです。まあ、ファンを自称していながら勝手なことばかり云ってましたから、バチが当たったのでしょう。

参戦されたファンの方々のツイッター情報によると、セットリストは、「home」(アンジェラ・アキ)、「I LOVE YOU」(すでに持ち歌的存在)、「何度でも」(ドリカム)、「ドラマ」(持ち歌)の4曲のようです。

この中では、「何度でも」が完全に想定外でした。確かにドリカム好きみたいだし、確かに応援ソングですけど、ピアノ伴奏では選ばない楽曲に思いますからね。

でも、ネットでクラーキーさん伴奏の歌唱を聴くと、やっぱり良いなあって思いますし、ピアノというのが、如何に優れて、そして完成された楽器であることを改めて感じました。
純奈さんって、出だしはメゾピアノで、サビになったらフォルテで、みたいな歌い方をしたがるところがあるんですけど、バンド伴奏ではそういうわけにはいきませんからね。
彼女とサポーターさんとの相性を比較させていただきますと、大知直樹さん<<<バンさん<熊五郎君<クラーキーさん、と云ったところでしょうか。コード進行は似たり寄ったりでも、弾き方は様々。歌う人の気持ちが分かるというのも、一種のセンスだと思います。偉い人だからと云って、サポートが上手くできるものでは無いようですし、歌手との相性もありますからね。

会場では、記録用の撮影をしていたとのことですので、ダイジェスト版とかでも良いんで、公開して欲しいものです。そんなことをすると、チケットを買って参戦した人が云々、みたいな話になりますけど、YouTubeで見れるからライブに行かないと考えるか、YouTubeで見たからライブに行きたいと考えるかの違いで、少なくとも丸山純奈さんに関しては、後者だと思うんですけどねえ。
特に「オンコロライブ」に関しては、啓蒙活動なわけですから、広く世間に公開することは、間違ってはいないと思います。
これは、天王洲アイルのライブも同じで、僕が行けなかったからこんなことを云っているわけではないんですよ。

そもそも、丸山純奈さんが、全国区的な知名度を獲得したのは、YouTube動画群によるところが大きいわけで、今回のことに限らず、もう少し積極的に使っても良いんじゃないかと思います。動画だとツイッターもありますけど、内輪で回しているだけという印象がありますからね。

で、聞くところによると、オンコロライブでは、参戦したファンどおしが、推しグループの登場に合わせて、座席を譲り合ってローテーションすると云う、上杉謙信の伝説の戦術「車懸りの陣」みたいなことが行われるそうですけど、今年もそんなことしてたんでしょうか。

妄想するほど辛くなってきましたので、こちらの話もこれでお終いです。

2018年8月26日日曜日

行っても無いのに「丸山純奈」の「MONSTER baSH ’18」をレポートしてみた

今回は、8月18・19日に開催され、丸山純奈さん(POLU)も出演した「MONSTER baSH 2018」を、ツイッターでの投稿写真を頼りに、妄想していきたいと思います。

行っても無いライブを語ってどういうつもりなのか、と云う意見もありましょうが、松浦亜弥ファンの一人として、会ったことも無い彼女の記事を150本以上書いてきましたからね。まあ、僕にとっては、普通のことであるわけです。
POLUファンの皆様、事実と異なる記述がありましたら、是非ともコメントお願いいたします。

では、さっそく一枚目。


ここが「POLU」の皆さんが演奏する「茶堂ステージ」のようですね。
公式ホームページによると・・・。
安らぎとくつろぎの空間に存在するステージ。アコースティックを中心に、ライヴを近い距離で感じることが出来ます。ゆったりと音楽を楽しんでください。
なるほど、ロックフェスと云うと、若者たちが拳を振り上げて飛び跳ねているイメージなのですが、そういうところばかりでは無いようです。

で、公式ツイッターからの写真です。お顔がバッチリ写ってますけど、入り口とかに「取材が入ってますからご了承ください」みたいな掲示があるんでしょう。


POLUのライブは、マッタリした雰囲気で始まったと聞きましたけど、その通りのようです。みなさん座って聴いているようですから、小さい子でも大丈夫みたいですね。
まあ、欲を云えば、座っていられないほどたくさんの観衆に集まって欲しいところですが、初出場だし、ロックファンには未だ馴染みが無さそうだし、しかも初日のトップバッターですからね。

POLUさんのツイッターからの写真です。後ろの方には立ち見のお客さんもいるようです。純奈さんも「フェスは怖い。(観客に)帰られたら。」みたいなことを言ってましたから、この写真を見たときには、関係者でも無いのにホッとしましたです。
観客は、200人ってところでしょうか。ここを出発点として、ビッグになっていくのを楽しみとしましょう。


主催者さんからすれば、茶堂というのは、この様なマッタリとしたライブをするために設けられたステージのようですから、POLUは、茶堂にもっとも相応しい出演者だったと云えましょう。

今回のセットリストは、「Sing」「夢見る虹色」「Lily」「ミズイロ」「おまもり」というミニアルバム「145」の4曲に「ミズイロ」を加えた、この夏お馴染みの5曲だったようです。「Sing」と「おまもり」という、温和しめの2曲を前後に持ってきたということは、やはり茶堂というステージを意識したのかもしれません。


今回のMCは、バンさんが担当したとのことですから、純奈さんとの親子漫才は封印したようですね。
MCでは、昨年の最終審査で落選したことを語ったそうで、よほど悔しかったんでしょう。まあ、同時期に行われた「Mステへの階段」では優勝したわけで、オーデションでは癒やし系の「すーちゃん」をどう評価するかで、結果は大きく変るってことですね。

そんな「すーちゃん」がボーカルを担当する「POLU」のステージは、やっぱり座って聴くのが似合っているのかもしれません。おじさんとしても、その方が助かります。ライブハウスでのスタンディングって、始まってしまえば良いんですけど、待っている間もずっと立ってるのがキツいんですよね。場所を確保するために、外すわけにもいかないし・・・。ライブハウスの床に将棋盤みたいな線を引いて、あなたの場所は此処ですよって、指定してくれれば良いんですけど・・・・って、だったら丸山純奈さんのソロイベントに行けば良いのかw


今後も、たくさんのフェスに出演することと思います。丸山純奈さん、歌唱についてはプロのアーティストにも引けを取りませんけど、ステージングに関しては、まだまだスタートしたばかり。そういう意味でも、この夏のフェスで、プロの方々のステージを間近に見ることができたというのは、良い刺激になったのではないでしょうか。


こんな写真がありました。写真のお方は「ファンキー加藤」さんでよろしいんでしょうか。


ロック大好きなお父さんに連れられた娘さんのようですね。年齢的にも親子で違和感ないと思います。このまま二人で会場を歩いていても、誰も出演者だとは思わないでしょう。


これは、シュールですねえ。POLUのお兄さんたちが、完全に普通です。こんな感じで、僕の町を歩いていたら、女の子は補導の対象になるはずです。KenKenさんは、Dragon Ashのサポートベーシストとして参加していたようです。そういえば、POLUもベーシスト不在のバンドですけど・・・・キャラ濃すぎですね。全部持って行かれそうです。


音楽チャンプの審査員「田中隼人」さんのツイッターからの写真になります。出演者パスを首にかけてますけど、デジカメぶら下げてるし、うどんとか食べてるし、どう見てもタレントとファンの2ショットです。

田中隼人さんは、「ファンキー加藤」さんのサポートミュージシャンとして参加されていたようです。音楽業界では裏方のお仕事をされている田中さんですが、なかなかのイケメンですので、タレントとしての人気も高いようです。聞くところによると「はやや」とか呼ばれているそうですけど、似たようなニックネームをどこかで聞いたような気がします。かつては「w-inds.」の楽曲にも関わっていたとのことですから、「丸山純奈」→「田中隼人」→「橘慶太」→「松浦亜弥」と人脈をつなげていただけると、当ブログとしては、嬉しい限りです。

ネット情報誌「SPICE」でもPOLUのことが取り上げられていたそうです。これって、全部のバンドが紹介されてたわけじゃないので、POLUがそれなりに注目された存在だってことでしょうか。もちろん、ボーカルが中学生という物珍しさから来ていることは否定できませんけど、入り口がそうであっても、一度聴けば、彼らが実力を伴った本物であることは分かってくれるはずですからね。

記事によると、すーちゃんのことを「圧倒的な透明感と存在感を兼備した歌声」と書いてありました。まあ、誰が聴いても似たような言い方になるようです。POLUの演奏については、
丸山の綺麗な高音と、生命力のたぎる伸びやかな声。ボーカルの力を増長させる見事なアレンジ。全てが渾然一体となって新人とは思わせない、説得力のあるステージングを魅せた。
と、ありました。これは「おまもり」のことを云っているんでしょうかね。

お終いに今年の「モンバス」のダイジェストMOVIEです。1分52秒のところに写っている女の子が「丸山純奈」さんでは?という書き込みがありましたけど、


どう思いますかw

2018年8月22日水曜日

Wink。「思い出のメロディー」で、奇跡の再結成

何回かこのブログでも取り上げさせていただいたWinkですが、先日放送されたNHK「思い出のメロディー」にて、一夜限りとはいえ、10年ぶりに再結成いたしました。

まずは、再結成は有り得ないなどと断言したことをお詫びいたします。
                       
平成の始まりと共にブレイクしたWinkが、平成最後の「思い出のメロディー」に出演したというのも感慨深いモノがありますが、番組の収録が行われた翌日、Winkの生みの親である、プロデューサーの「水橋春夫」さんが逝去されたというのも、これまた、因縁めいたモノを感じます。

今回の番組における最大の目玉は、西城秀樹さんだったと思います。確かに「氷川きよし」さんの熱唱は感動モノでしたが、代役感は拭えませんでしたからね。
ここは、故人以外の話題が欲しいというNHKさんと、ポリドールレコードさんの30周年記念復刻版の販売促進という2つの思惑が、鈴木早智子さん、もしくは、鈴木早智子さんの再登場を妨げているモノ、或いは、その両方を動かしたということでしょうか。

さすがNHK、それでこそNHK。これからも、様々な思惑やしがらみを超越し、国民の想いを第一に考えた番組作りを心がけていただきたいものです。

番組内でも使われていた紅白の懐かしいテイクです。


今回の出演において、何より嬉しかったのは、「淋しい熱帯魚」だけでなく「愛が止まらない」も歌ってくれた(歌わせてもらえた)ことだと思います。ファンの皆さんも同じ思いではないでしょうか。NHKさんの粋な計らいに感謝です。

で、久々に登場された「鈴木早智子」さん。僕としては、想定の範囲内の真ん中やや低めくらいでした。でも、相方の「相田翔子」さんはともかく、共演した同年代の「荻野目洋子」さんとか「長山洋子」さんとも比較されてしまうのが辛いところです。(長山洋子さんが凄すぎだと思うけど)
特に、歌に関しては、かなり厳しかったと思います。ソロパートはどうにかって感じですけど、二人で歌うところでは、早智子さんの声は、僕には殆ど聴こえてきませんでした。
って云うか、ソロパートをどうにかってところまで、頑張ってもってきたんでしょうね。オファーをもらった段階では、もっと歌えてなかったのかもしれません。

まあ、「元気なのが確認できただけで良かった」なんて云うコメントもありますからね。出てくれば、劣化を揶揄されることは予想できたことですし、それを承知の上で、こうやって出てきてくれたわけですから。翔子さんの涙が全てを物語っていると思います。

今回のインパクトがどのくらいのものかは、僕には分かりません。でも、こんなちっぽけなブログでさえWink関連の記事へのアクセスがちょびっと増えましたので、それなりにあったのだと思います。

再結成については、相田翔子さんが「30周年という節目の年を迎えて、ファンやお世話になった方々への挨拶」みたいなことを云ってました。10月には、レコードを買ってくれた人を対象にトークイベントを開催、とありましたけど、継続的なライブ活動などは伝えられていません。22年ぶりの復活と云わずに、10年ぶりの再結成としたことからも、今回が1回限りの活動であることは間違いないと思います。

今回のステージにあたっては、スタイリストさんとか、メイクさんとか、振付師さんとか、当時のスタッフが集まって備えてきたそうです。思い出のメロディーは、伴奏がフルバンド構成でしたけど、ストリングスのアレンジは「船山基紀」氏が自ら再アレンジしたとのことです。たった数分間のステージのためにですよ。さすがNHKとも云えますけど、スタッフさんたちの「Winkは徹底した職人たちが作り出した世界」という想いと誇りは、ずっと変らなかったということなんでしょう。

Winkが故「美空ひばり」さんを押しのけて、レコード大賞を受賞したのは、平成という新しい時代の始まりと無縁ではありませんでした。その平成が過去の時代となり、Winkもまた、過去の存在となっても、YouTube上の動画群は、Winkの魅力をいつまでも伝え続けてくれてるわけで、ここにくれば僕らはいつでも彼女たちに会えるわけで。


絶頂期の鈴木早智子は半端なかったなあ、なんて語り合えるわけで。

2018年8月14日火曜日

丸山純奈の「メジャーデビューめざします」宣言に、戸惑うファンの話

昨日は、徳島の大型音楽イベント「エキサイティング・サマー・イン・ワジキ」の日だった。今年は、「家入レオ」さんがメインとのことで、歌唱力に定評のあるレオさんと、丸山純奈さんとの共演は魅力的だったのだが、如何せん徳島は遠すぎる。
それにしても、オープニング・アクトと云うステップをパスして、いきなり正規の出演者なのだから、徳島における「POLU」の勢いはたいしたものだと思う。
聞くところによると、雷による中断のために演奏順が変わり、「家入レオ」さんの後に「POLU」が出たらしい。ってことは、中学生がフェスのヘッドライナー!?w
レオさんが終わったところで帰ってしまう薄情者もいたようだが、大トリならではのアンコールもあったそうで、参戦した「あおぐみ」の皆さんが羨ましい限りである。


さて、中学生アーティストの(僕は詳しく知らないけど)「RUANN」さんが、トイズファクトリーからメジャーデビューするらしいのだが、それに関連して丸山純奈さんが「あたしも早くメジャーデビューできるように頑張ります。」とツイッターで発言した。
夢を追いかける姿があればこそ、周りにも夢を与えることができるわけで、タレント自身が夢を持つことは、絶対に必要なことなのだが、この発言がファンの間でちょっとした波紋を広げている。

寄せられたコメントの多くは「頑張ってね。応援するよ。」と云う、ファンの鏡といえる発言。で、これだけなら、話はこれでお終いなのだが、ファンの思いは、それだけではないらしい。

まずは「もう、メジャーデビューしてたんじゃなかったの?」という発言だ。
どうやら、「ドラマ」で配信デビューしたことや、Mステなどでテレビ出演をしたことをもって、デビュー済みという認識だったらしい。
デビューとメジャーデビューは少し違う。何をもってメジャーデビューとするかは、いくつか基準があるようだが、一般的には、ちゃんとしたレコード会社と契約することだと云われている。丸山純奈さんは、どこのレコード会社とも契約していない(だから無料配信?)はずだし、「POLU」のレーベル「AQUA CITTA RECORDS」は、地方のインディーズに過ぎない。

それから、「そんなに焦らんでもええよ。」というもの。
本人が「デビューしたい」と云ってるのに、「せんでもええ」と止めようとするファンもファンだが、「すーちゃんは今のままで良い」とか「上京して苦労すると思うと」と云った、年寄りが可愛い孫を心配しているかのような発言や、「今は受験勉強を頑張りなさい」という母親の気持ちを代弁しているような意見もある。

そして「えっ、したかったんだ?!」という驚きの声。
というのも、メジャーデビューを考えていたのであれば、音楽チャンプで注目されて、配信デビューした時が、最大のチャンスだったはずだからである。だから、今年の4月に上京するのではないかと(僕も含め)多くのものが思ってた。それが無かったということで、当面メジャーデビューは考えてないと思われていたからだ。
ならば、中学校を卒業してから上京かと云うと、徳島県内の高校に進学するらしいという噂も出ていたから、しばらくは、徳島で活動を続けていくんだと考えていたファンも多いと思う。

そもそも、彼女が「POLU」のボーカルにこだわっている限りは、メジャーデビューは有り得ない。
というのも、バンド活動をするのであれば、稼ぎのほとんどを事務所にピンハネされるメジャーデビューなど割に合わないからだ。「POLU」にとっては、今のように、いろいろなイベントに呼んでもらって、CDやグッズを物販で手売りしているのが、最も良いのである。今時、インディーズで活動していて、メジャーデビューを目標にしてるバンドなんてほとんど無いという。
今の「POLU」は、自分たちで好きなように楽曲を作って、コンスタントにライブ活動をして、「エキサマ」とか「モンバス」のような大型フェスにも呼んでもらえてるわけで、他のバンドからすれば羨むような存在なのだ。
                                         
だから、彼女がメジャーデビューすると云うことは、「POLU」から卒業することに他ならない。この発言を受けて、一番ショックを受けているのは、「POLU」の他のメンバーかもしれない。もちろん、純奈さんの将来を誰よりも考えている彼らだから、そうなったときは、気持ち良く送り出してくれることだろう。

丸山純奈さんがメジャーデビューすることの利点は、良いプロデューサーさんについてもらって、良い楽曲をもらって、有名になれるということだろう。「POLU」では、彼女の魅力を生かすようなソングライティングができているとは、残念ながら思えない。
ただ、その場合、いろいろと細かく契約されて、年寄りが心配しているように、最低限の人権さえも保証されないような生活になるかもしれない。よく、事務所とタレントのブラック契約が話題になるが、事務所だって投資した分を回収しなければならない事情があるからだ。
だけど、事務所が彼女を預かったとして、バラードが得意な普通の中学生を、どんなふうに売っていくと云うのだろう。僕には、全然イメージがつかめない。

彼女のこれからのスケジュールを見ると、
品川で「小児ガンの啓発チャリティーライブ」。
鳴門でNHK「もっと四国音楽祭2018」(共演者は島津亜矢さん、Little Glee Monster)
熊本で「熊本地震復興支援ライブ」(共演者は一青窈さん)
といった感じだし、これに加えて「POLU」として、いくつかの大型音楽イベントにも呼ばれているわけだから、現状にナンの不足があるのかと考えてしまう。


彼女の、シンガーソングライターとしてメジャーになるという夢は、夢として追いかけて欲しい。だけど、家族と一緒に暮らし、徳島の人たちに可愛がってもらって、ときどき東京でライブしたり、歌番組に出演したり・・・っていう、今の状態が一番幸せに思えてくるわけで、「焦らんでええよ」という言葉には、それなりの説得力があるし、ファンにそういうことを云わせてしまうのが、彼女の魅力なんだと思う。


丸山純奈は、幸せな女の子なのだ。