2018年4月30日月曜日

欅坂46「世界には愛しかない」 ~デビュー2周年での「あの頃は良かった」?~

今回、紹介させていただく楽曲は、「欅坂46」の2枚目のシングル「世界は愛しかない」です。

僕が好きなのは「あくまでも歌が上手くって、できれば可愛い女の子」ですので、
特に「欅坂46」さんのファンと云うわけではないのですが、
「二人セゾン」とか「世界は愛しかない」などの楽曲は、何故かリピートして聴いています。
「大人たちは信用できない」みたいな歌詞を書いているのが、
最も信用できない大人の代表「秋元康」氏ってところがなんともですが、
まあ、綺麗事を云うのは、大人の大切な仕事ですからね。

先日、一人バンドの「Ravan Axent」さんが、新作「世界は愛しかない」を投稿してくださいました。
楽曲の格好良さが伝わる、素晴らしい完成度です。
このカバーテイクの視聴がなければ、今回の投稿は無かったと思います。
2017年1月29日の投稿で「世界は愛しかない」について、あまり印象に残らないなどと書いたことを、
この場を借りて訂正させていただきます。

「欅坂46」の曲というのは、アイドルソングにしてはメッセージ性を意識して作られていますから、
そんなところも、バンドカバーが似合う理由なのだと思います。


バンドの楽しさに溢れたテイクに思います。
高校生の頃、楽器屋さんのビルにある貸し練習場に集まって、
デープ・パープルとかのカバーをして遊んでいたのを思い出しました。
欅坂の楽曲全てに共通していることですけど、
このまま、どこかのバンドライブで演奏しても、バッチリ決まると思います。
たぶんコンペで採用しているんでしょうけど、欅坂の楽曲って、なかなかの良曲揃いだと思います。
Amazonでアルバム買っちゃおうかな、なんて思ってしまいました。

御本家のテイクは、YouTube動画の中から、オフィシャルのMVをセレクトさせていただきました。
どこかのステージのテイクもアップされていたんですけど、
台詞から全部、あからさまな口パクだったんで・・・MVだったら、口パクとか関係ないですからね。

           
MVの監督は、「池田一真」氏とのことです。
氏は、丸山純奈さんがCMソングを歌っている「ピッタマスク」のMVも手がけている方でしたね。

で、どの動画にもたくさんのコメントが寄せられています。
その中で、目に付くのは、「てち」こと「平手友梨奈」さんに対しての、
「神様!あの頃の「てち」返してください」と云う類いの、ファンの悲痛な想いですね。
デビュー2年で、早くも「懐古厨」登場ってところでしょうか。
聞くところによると、平手友梨奈さんは欅坂46の絶対的センターでありながら、
コンサートツアーやイベントの欠席が続いているようで、ネットは、いろいろな憶測で溢れています。

アイドルと云うのは、山口百恵さんや中森明菜さんまで遡るまでも無く、
影があったり、ちょっとくらい危うかったりした方が、人気が出てくるものです。
タイプは違いますけど、AKBの前田さんも、正統派とは言い難いキャラでしたからね。
ですから、「平手友梨奈」さんをセンターに抜擢したのは、さすがと思います。

欅坂の楽曲というのは、危ういキャラの平手さんがセンターであることを大前提に作られていて、
どちらかと云うと、暗めの「不協和音」とか「サイレントマジョリティ」の方が売れ筋です。
新曲「ガラスを割れ!」のMVでは、平手さんはモニターを蹴っ飛ばしたうえに、
腕を吊っていた三角巾をドラム缶で燃やしてましたよ。
もう、「可愛い・格好いい」を通り越して「可愛い・ヤバイ」のレベルです。
彼女が腕を怪我したことで、予定されていた、初の武道館公演が振り替えになったそうですから、
三角巾を燃やす場面は、そのことを暗示しているんでしょう。

ここまでセンターに重心を置いたグループというのも記憶にありません。
で、復活をイメージさせといて、肝心の2周年記念ライブには、出てこないって云うんですから、
もう、危うさ此処に極まれりって感じです。
ここまで絶対的にしてしまうと、卒業でもしない限りセンターを降りることもできないわけで、
他人事ながら心配になってしまいます。


で、この楽曲の最大の特徴が「ポエトリーリーディング」と呼ばれる語りの部分です。
学校の演劇部をイメージしたらしいです。
こういう演出は、棒読みも困りますけど、わざとらしくなってもイケませんから、
感情の込め具合が難しいですね。

この「ポエトリーリーディング」をコンピューターに挑戦させた試みを紹介させていただきます。
このブログでも、何回か取り上げさせていただいた「あにめちゃんねる」さんの作品で、
歌っているのは、ボーカロイドとは異なるシステムを持つCeVIOの「ONE」になります。
YouTubeにある、いくつかの投稿作品のなかでは、さすがのデキに思います。


「もう少ししたら」のところが「もう少しちたら」に聞こえましたけど、
サ行の問題点って、ボーカロイドもCeVIOも同じみたいです。

「ポエトリーリーディング」は、単なるBGMに合わせての演劇や朗読と違って、
楽曲に合わせての読みですから、あまり感情的にならない方が聴いていて負担になりません。
先ほどの欅坂のMVも、お世辞にも良い朗読とは思えないんですけど、
「言霊」とは良く云ったもので、人の言葉というのは、それ自体に感情を内包していますから、
淡々と語っていても、それなりに伝わってきます。

この「ポエトリーリーディング」を口パクしていたライブテイク・・・あれはいただけませんです。
歌の時は、「まあ仕方ないなあ」と許せた口パクも、語りでされたらがっかりですよね。
どんな下手な朗読でも、口パクよりは、遥かにマシです。

ところが、コンピューターの棒読みは、人間のようには許容してもらえません。
無感情に語れるというのがコンピューターの長所と云えなくもありませんが、
コンピューターに語りで伝えさせると云うのは、歌わせる以上に難しいことなのかもしれません。
まあ、それでも、語りを口パクでやられるよりは、マシだと思います。


平手さんは、2001年生まれ、ちょうど、松浦亜弥さんがデビューした年に生まれ、
しかも、松浦亜弥さんと誕生日が同じ6月25日です。
ですから、まもなく17歳。

2016年10月3日の投稿記事で、原田知世さんの「時をかける少女」を紹介させていただいたときに、
15歳だった平手さんとのデュエットテイクを貼り付けさせていただきました。
ちょうど、この「世界は愛しかない」を歌っていた頃になるでしょうか。
その動画はもう消えてしまいましたけど、
こんな親子が本当にいたら、さぞかし素敵だろうなって云うツーショットでした。
欅坂に特に関心のなかった僕だって、良い子がデビューしたなって思いましたからね。
平手友梨奈さんの名前も誕生日もその時に覚えましたし。

SNSなどが発達した現在のアイドルは、過度なストレスの中で活動しています。
現代のアイドルがグループを組む理由の1つは、その精神的負担の分散にあります。
ところが絶対的センターを擁する欅坂は、その分散が十分にできてなかったように思います。

これからの平手さんと欅坂の活動について、僕は特に意見を持っていないのですが、
デビュー2周年の記念ライブを「スケジュールの都合」で欠席するセンターというのは不自然ですし、
それを許容するしかないのであれば、状況はかなり深刻だと云えます。

「危うさ」が彼女の存在感であり、
「可愛らしさの中に垣間見られる危うさ」が、彼女の魅力であるのは確かです。
ただ、そこを売りとするには、彼女は、あまりにも純粋だったのかもしれません。


2018年4月24日火曜日

Winkデビュー30周年の復活騒動

1988年の4月27日、アイドルユニット「Wink」は、洋楽カバー「Sugar Baby Love」を発表しました。
つまり、この27日で、デビューから、ちょうど30年ということになります。

昨年の8月、サンケイスポーツに「30周年を機に復活か?」という記事が出ました。
オリジナルの新曲も予定されているとか、かなり具体的な報道だったのですが、
直後に鈴木早智子さんの金銭トラブルが報道されるなどして、一気に話がしぼんでしまいました。

それでも、一応、Wink 30周年特設サイトなるものがあって、過去の音源を再リリースするという、
これぞアップフロントなノーリスク企画が進行しているようです。
って、熱心なファンは、そんなの全部持ってるだろうし、ライトなファンはYouTubeで十分ですから、
いったい誰が買うというんでしょうか?

特設サイトには、彼女たちのコメントが並記されています。
歌っていたときの立ち位置と同じ、向かって左が早智子さんで、右が翔子さんです。
連名ではありません。
2人は別々の人生を歩んでいるのですから、当然と云えば当然のことですが、
せめて写真くらい2ショットで撮ればいいのにと思った次第です。(肖像権とかあるのかなあ)

産経新聞WEB版からの抜粋です。

Winkが22年ぶりに復活することが分かった。デビュー30周年を迎える来年4月に再始動する方向で調整が進められており、新曲発売やコンサートも計画中という。1996年の活動停止以降、二人はソロ活動を続けながらも、ずっと連絡を取り合うなど仲良し。現在水面下で調整に入っており、23年ぶりとなるシングル発売やコンサート活動も計画されている。活動停止後、2人は年末の音楽特番などでそれぞれ一夜限りの“復活”を果たしたが、来年は継続的な活動になりそうだ。復活計画は今年に入って浮上。節目を大切にしたい2人とスタッフの思いが合致した。相田の長女が来春小学校に入学し、育児が一段落することもきっかけの一つになったとみられる。

極めて希望に溢れた報道でした。
スポーツ紙が全面を使って報じたのですから、信憑性は、それなりに高かったと思いますし、
自信に満ちた文面からも、ファンは本気で期待したのではないでしょうか。

実際、この記事が出る前から、相田さんは「復活を考えている」みたいな話をしていましたし、
やたらと2人の仲が良好に続いていることをアピールしていました。

ただ、記事に出ているような、新曲発表や本格的なライブツアーは、さすがにどうかと思いました。
これらは、かなりのリクスを伴います。
相田さんの事務所は、超保守的経営の「アップフロント」です。
損する可能性が少しでもあるなら、何もしない方がマシと考える事務所ですからね。
まあ、新曲については、内輪で勝手に盛り上がっていただけ、ということもあったかと思います。

ところが、記事が出たとたん、相田翔子さんは、一転して慎重な、そして否定的な態度をとります。
そこに、鈴木早智子さんの金銭トラブル報道。

もっとも、このトラブルは早智子さんが未払いのギャラを前の事務所に(強引に)要求したもので、
早智子さんの印象は悪くなりますが、どちらかというと彼女の方が被害者と云えます。
それに、せっかく復活の話が出ているときに、
こんなつまらないトラブルを自ら引き起こすなんて考えられません。
相田さんが早智子さんのアダルトビデオ出演を嫌悪しているとの報道もありましたが、
では、何故、2人は今も仲良しみたいなことを直前まで(わざわざ)言ってたのでしょう。
また、再始動を行うと、明暗がハッキリ分かれている二人の芸能活動が比較されたり、
早智子さんの過去のスキャンダルが掘り返されることによって、
相田さんに悪影響が及ぶことを事務所が危惧しているとの報道もありました。

あれだけ、大々的に報じられたのは、いったい何だったのだろうって思います。
そして、ダメになった理由が、全く見えてこないんです。

相田さんが歌謡特番の司会をしたときに、再結成について聞かれていました。
彼女は「復帰は自分だけの都合で実現することでは無い」みたいなことを話していて、
僕には、復活が出来ない原因が早智子さんの側にあるかのように聞こえました。
まるで、娘(翔子)が、親(アップフロント)から、
「昔の悪い友だち(早智子)と付き合うのは、もうやめなさい」と云われたかのようです。

そう考えると、再活動に関しての相田さんの発言が、妙に冷たいのも気になります。
もしかしたら、翔子さんはWinkの復活が有り得ないことを確信していて、
だからこそ、復活したいなどと気楽に言うことができたのではないでしょうか。

Winkの再結成を妨げている最大の原因は、繰り返し否定されてきた彼女たちの人間関係にある、
つまり、二人の関係は伝えられているほどには良好でなく、
不仲ではないにしても、たまに会って話をする以上の関係は、もはや持てないのではないか、
そんな気がしてならないのです。

再活動の話は実際にあったと思います。
でなければ、あれほど自信に満ちた報道が出てくるはずがありません。
元々無い話であれば、今後の復活も期待できますが、
理由が何であれ、有った話が無くなったというのは、したくても出来なかったということです。
ここで無ければ、これからも無いと考えざるをえません。


貼り付けさせていただくのは、1日限定復活の「淋しい熱帯魚」たち。
まあ、熱帯魚と云っても、アロワナのような妖艶な魅力溢れたテイクです。

まずは、1998年ですから、今から20年前の映像ですね。リンクになります。
復活と云っても、活動停止からそれほど経っていない頃になります。

淋しい熱帯魚 1998

 
次は、2008年、今から、10年前の映像になります。


せり上がってきたときのインパクトが半端ないですね。
どうせやるんだったら、このくらい突き抜けるべきという、お手本のようなステージに思います。
普通、此手のステージというのは、聴いたときに「ああ~↓」って、落胆の溜息が出るものですけど、
「これはこれでアリかも↑」って思わせてしまうところが凄いと思います。

Winkは、時代を超えても、そして、年齢を超えても通用するグループだったわけで、
当時の楽曲も、そのまま今でも通用するように思います。
だからこそ、今回の復活話も、ほぼ確実みたいな印象を与えたのでしょう。

Winkの30周年特設サイトには、作詞家「及川眠子」さんのコメントもあります。

Winkが過去に出した楽曲を聴いたり映像を見たりしても、長い時の経過をまったく感じさせない。
サウンドはまったく古びておらず、振り付けや衣装なども色鮮やかなまま、今でも充分に通用する。
ただそこにバブル時代の余韻が横たわっているだけだ。
凄まじいまでのスケジュールで制作していたあの頃。
でもどこにも手抜きを感じさせないのも、プロがプロとしての力を結集して作っていたからだろう。
Winkはいわば「徹底した職人たちが作り出した世界」でもあった。

プロの職人が作り出したWinkとWinkの楽曲は、30年の月日を経ても色褪せることなく輝いています。

ただ、人の心にとっての30年は、あまりにも長かったのではないかと・・・
そんな気がしてならないのです。

2018年4月21日土曜日

「チビあやや」 名も知らぬ可愛い女の子の入園を祝おう

まずは「女性自身」の記事を抜粋引用させていただきます。
都内にある女子大学の付属幼稚園、入園式開始直前となり看板の前から人が減ったころに現れたのは松浦亜弥、橘慶太、そして3歳の長女。橘が妻と娘を「入園式」と書かれた看板の前に立たせてすばやくスマホで撮影すると、足早に会場に向かっていった。
橘はきっちりとしたスーツにネクタイ、髪もしっかり分け、松浦も濃紺のワンピースに、パールのネックレスといったフォーマルスタイルだ。活動を休止してから、すでに4年あまり。久しぶりに姿を現した松浦はすっかりママらしい顔になっていた。
入園式終了後に、まっさきに園の外に出てきたのも彼女たち。
長女は初めて体験する大きな式典に、ちょっぴり疲れてしまったのか、松浦の背中におんぶされている。駐車場の精算機でもおんぶされたままの長女が、清算ボタンを押させてもらっている姿が微笑ましい。
「松浦さんも、ずっと復帰のタイミングをはかっているようです。お子さんの幼稚園入園を機に、音楽活動を徐々に再開することを考えていると聞いています」(芸能関係者)
とはいっても、あややソックリの長女はかわいい盛り、芸能界復帰に踏み切るには勇気がいることだろう。
今回は、「週間女性」でなくって「女性自身」なんですね。

活動再開については、どちらともとれるような言い方をしていますから、
何も決まっていないというのが真相なんでしょう。
だいたい、復帰というのは、後になればなるほど難しくなりますから、
図るようなタイミングなど有るはずもありません。
芸能界復帰が、まるで我が子との今生の別れみたいですw

で、今回の報道で、最も注目されることは、ツーショット写真が出てきたということだと思います。


彼女たちは、交際期間が極めて長く、公然の仲であったのにもかかわらず、
2ショット写真だけは出てこなかったんですよね。
フライデーのスクープの時も、マンションに入る「あやや」の写真だけで、
各誌が狙っていたであろう2ショットだけは出てきませんでした。
結婚後は、2人で仲良くしているところを目撃されることも多くなったようですけど、
写真は出てきませんでした。
唯一と云われた、ハワイの結婚式へ向かうための空港での写真も、かなりの望遠レンズで撮っていて、
1枚の写真に収まってはいるものの、実際の2人の距離は、前後にだいぶ離れていたそうです。
ですから、今回の写真は、実質的な初2ショット写真と云えます。
しかも、隠れているとはいえ、背中には、「子あやや」ちゃんもいます。
女の子であること以外、名前も誕生日も公開してませんでしたから、これも画期的と云えます。

プライベートを明かさないという点では、山口百恵さん的なのかと思っていましたが、
一般人としての生活が長くなるにつれ、ガードも下がってきているように思います。
って云うか、案外、2人で仲良くしているところを見て欲しいのかもしれませんね。
アツアツと云うことにしておきましょうか。

僕が子どもの頃は、入園式だろうが卒業式だろうが、来てくれたのは母親だけでした。
高校の入学式までは来たと思いますが、卒業式はどうだったかなあって感じで、大学は一人でした。
つい最近までは、どこでもそうだったと思います。
僕の会社でも、パパが我が子の入学式に出席するために有給を取ろうものならば
「オマエなに考えてんだ」って感じでしたから。
ところがいつからか、両親がそろって出席するのが普通になってしまいました。
今は、子どもの入学式なのに休まない父親がいれば
「オマエ何かあったのか」って、逆に心配されそうです。
最近は、両方のジジ・ババまで来ることがあるそうで、
となると、子ども1人当りに大人6人です。保護者席に椅子が幾つあっても足りそうにありません。

今回の報道は、生存確認以上のものは何もありませんが、
松浦亜弥さんは相変わらず可愛らしくって安心しました。
まあ、最近の若いお母さんたちは、皆さんお綺麗ですから、
入園式では特別目立つことは無かったかも知れません。
一方、橘慶太氏はオーラありますね。長身でイケメンで、格好良すぎです。
式場のパパたちの中でも際だっていたと思います。

式場に最後に来て、最初に帰るというのも、タレントさんであるがゆえの配慮なんでしょう。
それでも、入学式の看板の前で写真を撮るという、たわいない儀式を、
足早にでもこなそうとするところなど、
元トップアイドルといえども、結局は、一人の父親であり、母親なんだなと思った次第です。

彼女(松浦亜弥さんではありませんよ)が、デビューするであろう12年後までは、
この世にいられるようにと、つまり何としても生き続けようと、想いを新たにした日でありました。

2018年4月15日日曜日

初音ミク「恋のミュージックアワー」 ~あの素晴らしき時代と~

現在、最も売れているアーティストと云えば「米津玄師」氏であろう。
その米津氏が、かつて「ハチ」名義で、ボカロPとして活動していたことは、ご存じであろうか。

彼のような、元ボカロPのアーティストというのは今までにも何人かいたが、
人間界の仕事が増えるとボカロの仕事には見向きもしなくなるという傾向があった。
まあ、ボカロ界への裏切り行為とも云えるが、
手っ取り早く売れるために、当時人気のボカロに手を出したって奴も多かったし、
考えようによっては、それもボカロへのリスペクトと云えなくも無いから良しとしよう。

米津氏も「ボカロは卒業しました」っぽい感じだと思っていたが、
昨年のマジカルミライでは、初音ミクのために新曲を提供してくれた。
トップを獲る人間というのは、ちゃんと心遣いができているものだと感心した次第である。

米津氏のファンの中心層は、女子中高生である。
ところが、彼女たちは、「憧れの米津さんが、ボカロPだったなんて、ちょっとショック」
とか言ってると云うのだ。
彼女たちにしてみれば、ボカロというのは、キモいオタクの物であって、
米津氏がボカロPであったことは、黒歴史ということになるらしい。

いつから、そんなイメージになったのだ。

マジカルミライに行けば分かることだが、
チェック柄のシャツを着て眼鏡をかけた小太りの男なんて、ライブ会場では極めて少数派だ。
(そんな奴いないと言い切れないところが辛い)
・・・って云うか、つい数年前の中高生は、カラオケでボカロ曲を歌い、
初音ミクのキーホルダーを鞄に下げていたんじゃなかったのか。
人類史上でも画期的な発明、神の領域に踏み込んだと云えるボーカロイド技術、
それが、この数年のあいだにオタクの象徴へと変わってしまっていたのだ。

昨年は、初音ミク10周年だった。
いろいろなイベントが組まれたようだが、さほど世間に注目されることもなく、
結果的にボカロ界の斜陽化を印象付けることになってしまった。
思えば、GoogleのCMで初音ミクの「Tell Your World」が流れていた頃が、
最後の輝きだったのかもしれない。

で、貼り付けさせていただくのは、10周年記念に制作されたという楽曲「恋のミュージックアワー」。
単純に可愛くて、純粋に前向きな、たわいないラブソングであるが、
コメント欄に「あなたのおかげで私はたくさんの友達ができました。」とあるように、
MVは「Tell Your World」のオマージュといえるような作品である。


このMVから受ける印象は「あの頃は楽しかったね」といったものだろうか。
初音ミクの歌わせ方など、滑舌も改良されて、抜群に可愛くなっているが、
それも今では空しく感じるばかりである。

Google Chromeのキャッチコピーは「Everyone Creator」だった。
それは初音ミクも同様だと思う。

初音ミクが出てからの2・3年は、
多くの者がこの言葉を信じていたか、信じてみようかなという気分になっていた。
熱い想いがあって、気の利いたフレーズを思い浮かべることができたなら、
彼女が歌い、作曲支援ソフトが伴奏を付けてくれる。
ニコニコ動画に投稿すれば、誰かが聴いてくれて、評価してくれる。
さらには画を付ける奴、歌う奴、踊る奴、歌詞を深読みして小説を書く奴。
ボーカロイドが、インターネットが、人と人を結びつけ、
「音楽好きだけど引き籠もり気味な兄ちゃん」たちのリハビリになっていたことは確かだ。

「米津玄師」氏は、才能有る男だから、初音ミクに関わろうが無かろうが、世に出てきただろうけど、
「ハチ」としての活動が現在の彼を作っていることは間違いない。
「Everyone Creator」という謳い文句は、そりゃあEveryoneというわけにはいかなかったにしても、
少なくとも嘘では無かったのだ。

パソコンが世に出たばかりの頃は、基板を集めて自作する奴も少なからずいたし、
プログラムは、自分で組むものだった。
本田宗一郎のバイクだって、山葉寅楠のオルガンだって、全て素人の手作りから始まっている。
いつの時代だって、技術的に未発達な頃は誰でも参加できるのだが、
やがてレベルが上がるにつれて敷居は高くなり、素人は手が出せなくなっていく。

ボーカロイドも制作するものから、しだいに鑑賞するものに変わっていった。
今では、素人が楽曲をニコニコ動画に投稿したところで、誰も聴いてはくれないだろう。
そのニコニコ動画も、最近はユーチューバーにとって変わられた感がある。
インターネットは、自らも参加するものから、一方的に情報を受け取るだけのものになってしまった。
流行のインスタグラムだって、やがて素人の投稿は無視され、
一部の人気インストグラマーの投稿だけが相手にされるようになるだろう。

もはや「何を発信したか」でなく「誰が発信したか」だけが重要なのだ。
そして、「Everyone Creator」は夢物語となり、ボーカロイドは誤解の海の中に沈んでしまった。

って、ここで力説したところで、こんな素人のブログなんて、誰も見向きもしてくれないだろう。

と云うことで、「恋のミュージックアワー」のMMD動画バージョンでお終いにします。
やっぱり、初音ミクには、MMD動画が似合うし、MMDと云えば「艦これ」だと思う。


あっ、これのせいか・・・。

2018年4月14日土曜日

「丸山純奈」がオーディション免除で「MONSTER baSH 2018」に出るらしい

「MONSTER baSH(モンバス)」は、毎夏に香川県の国営讃岐まんのう公園で開催される野外ロックフェスらしい。
昨年は、2日間で5万人を動員したそうですから、結構な規模のフェスなんだと思います。
先日、チケットの先行販売に合わせて、出演アーティストの第1弾発表があったそうで、その「モンバス」とやらに「丸山純奈」さんがボーカルを務める「POLU」が出演するらしいんです。
四国在住のミュージシャンにとって「モンバス」は特別な存在みたいで、喜びのコメントが出ていました。

と書かせていただいたところで、残念ながら、僕には無縁の話であります。
だいたい、2時間のスタンディングライブでさえ辛くなってしまうオジさんにとって、炎天下の野外フェスなんてのは命にかかわります。

「モンバス」には、オーディション枠が2つあって、そのうちの1つが四国在住のバンドに割り当てられているとのことでした。
昨年、「POLU」も、このオーディションに参加していて、1次選考を突破した6組に選ばれたようですが、最終のライブ審査で落選したらしいです。
ちなみに、この時の応募曲は、「mizuiro」だったみたいです。

で、その「POLU」が、今回、めでたく出演決定、しかも、第1弾で早々と発表されたそうです。
わずか半年前までは、出たくても出してもらえなかったフェスに、今回は向こうからオファーが来たのですから、「Mステ」出場と、YouTube再生900万回という2つの称号の威力は、かなりなものです。


で、どんなステージをするんでしょうか。
隅にある小さなアコースティックステージで、バラードとかを歌うのが無難なところでしょうけど、どうせなら、メインステージに立って、ロックファンの前でパフォーマンスして欲しいところです。

可愛い女の子がロックファンの前でのパフォーマンスといえば・・・・これですよね。


まあ、ロックフェスに集まっている観衆の中には、丸山純奈ちゃんがお目当ての奴なんていないでしょうけど、そういう人たちにどれだけアピールできるか見てみたいですね。

今年の夏は、徳島県那賀町で開催される「エキサイティングサマーinワジキ2018」への参加も決まっているようですし、これから新しい告知も出てくるかも知れません。

そういえば、チケットの予約サイトに出演アーティストの一覧が出ていたんですけど、「POLU」だけリンクが無かったんですよw
まあ、ここから、伝説を作っていって欲しいですね。

2018年4月11日水曜日

松浦亜弥デビュー17周年 ~この国には、かつて「アイドル歌手」というプロがいた~

17年前の今日、2001年4月11日は、松浦亜弥さんが歌手としてメジャーデビューした日です。
つまり、今日は、松浦亜弥さんのデビュー17周年という記念すべき日です。
もっとも、デビュー17周年という云い方は、17年続けていればの話ですから、こういう状態の場合は、何と云ったら良いんでしょうか。
一般の会社では、産休育休中は勤続年数に入れないのが普通ですから、だとすると松浦亜弥さんは、デビュー12周年で止まったままということになります。
5年間も止まったままのエンジンを再起動するには、大変なメンテナンスが必要です。
まあ、過去にも、長い休業期間を経て、再活動したタレントさんも、いないわけではありませんが。
もはや、復活を期待しないことが、ファンの美徳とされつつあるかのようです。

17年前のデビュー時、松浦亜弥さんは14歳の中学3年生でしたから、今の丸山純奈さんと同い年になります。
「あやや」は、ここから始まって、12月には、紅白歌合戦に出場するわけで、ハロプロ全盛期とはいえ、やはり松浦亜弥は凄かったのだと思い知らされます。


せっかくのデビュー記念日なのですが、新しい記事もありません。
思いつく言葉は、全て、過去に語ったモノばかり。
ならばと、過去に書いたコメントを貼り付けて、お祝いの言葉とさせていただきます。

                         
彼女の歌唱力を構成している要素は3つ。
ライブで見せる抜群の安定感。
フレーズごとに多彩な感情を盛り込んでくる表現力。
そしてロック、ジャズから演歌まで歌える守備範囲の広さ。

松浦よりダンスの上手い子はいるし、
松浦より声量のある歌手はいるし、
松浦より心を揺さぶる声の持ち主もいるかもしれない。
しかし、全てが№2ということは、
トータルすれば、断トツの1番ということなのだ。


松浦のカバーの良さは、オリジナルとの絶妙な距離感。
これ以上寄り添うとモノマネになり、離れては、原曲の雰囲気を変えてしまう。
カバー曲は、大抵本家のファンからの評判が悪いものだが、
彼女のカバーから伝わってくるのは、オリジナルへのリスペクト。
本家とカバー、どちらがイイかという話では無い。
この楽曲が、素晴らしいのだ。


スーパーアイドルの最高到達点。
ダンスの魅せ方、視線の運び方、ファンのあしらい方・・・。
いかに歌えば可愛くなるか。いかに歌えばカッコよくなるか。
そして、本物のアイドルとは・・、本物のライブとは・・、その答えの全てがここにある。
いつか、「松浦亜弥って何だったの?」って質問されることがあったら、
ボクは、迷うことなくこの一本を紹介するだろう。
そして、こう答える。
かつて、この国には「アイドル歌手」というプロがいたと。


松浦のバラードの魅力は、聴くほどに感じる心地よさ。
それはアクのない素直な歌唱に、感情をさり気なく盛りこむところにある。
彼女の歌唱は、決して感動を強要しない。
聴いている僕らが、勝手に感動するのだ。


なぜ、こんな音質の悪い、静止画のファイルを何度も再生するのだろう。
パソコンの前、
ヘッドフォンをかけて座り、
時には涙を流しながら。

     
14歳の女の子が、歌手として生きていくためには、アイドルという選択肢しかなかった。
アイドルの歌など聴く価値もないとされながらも、「あやや」こと、松浦亜弥は、歌うことにプライドを持ち、数年間で300公演ものソロコンサートのステージに立ち続ける。


「あやや」がもう少し可愛くなければ、日本を代表する歌手になっているだろうし、
「松浦亜弥」がもう少し歌が上手くなければ、タレントとして今も活躍していることと思う。
アイドルであることと、歌手であること。
天から二物を与えられた彼女は、その2つの才能の間を迷走し、
やがて自らの過去と決別することを選択する。
しかし松田聖子・中森明菜から35年、モーニング娘とAKBにはさまれた僅かな期間とはいえ、
天下を取ったソロアイドルは、未だに彼女しかいない。

2018年4月8日日曜日

音楽花火「mizuiro」feat.丸山純奈にマクロス「愛・おぼえてますか」を重ね見る

音楽花火とは、その名の通り、音楽に合わせて打ち上げる花火のことです。
海外の花火大会では昔から行われていたとのことですけど、最近は日本でもよく行われるみたいです。
花火の打ち上げは、コンピューター制御で行われるのが一般的で、音楽に合わせるために、打ち上げから空中で開くまでの時間を計算に入れて、点火時間を制御するらしいです。
とは云っても、プロジェクションマッピングのようなCG映像と音楽ならともかく、花火は、観覧席と打ち上げ地点が離れていますので、光と音との速度差により、どうしてもタイムラグが発生します。
そういった困難を克服して、音楽と花火のシンクロ率をどこまで上げられるか、ってところが職人さんの腕の見せどころのようです。
しかも、今回紹介させていただく音楽花火は、生バンドライブとのコラボですから、タイミングを合わせるのは、さらに大変だと思います。

貼り付けさせていただくのは、昨年の秋に、徳島市の万代中央ふ頭で開催された、「アクア・チッタフェスタ2017」のライブ動画です。
花火とコラボするのは、丸山純奈さんがボーカルを担当する徳島のご当地バンド「POLU」です。
元々、「POLU」は、このイベントのために2016年に結成されたバンドなんだそうです。
ですので、2016年のイベント動画もあるのですが、今回は、(Mステの)凱旋公演とされた2017年の動画の方を紹介させていただきます。

花火が打ち上がるのは(予算の関係で)2分20秒過ぎ、2曲とも歌の2番からです。

 
で、歌声と共に夜空に閃く光と云えば、これじゃありませんか。

   
音楽花火で思い立って、久し振りに見てみたんですけど、泣きそうになってしまいました。
ミサイルやビームが飛び交う戦場に、アイドルライブを生配信して、戦意を高めるという戦略ですね。
平和なオタク大国日本だからこその発想です。

で、花火とミサイルの違いこそあれ、やっていることは似たようなモノ(?)ですから、マクロスは、音楽花火の原点でもあったわけです。

そもそも、花火と音楽をコラボさせる必要があるのか、なんて意見もあるようです。
と云うのは、海外では、花火というのは「賑やかし」ですが、日本では、花火そのものの美しさを愛でる傾向があって、大袈裟に言えば、花火は「芸術作品」であるとされているからです。

とは云っても、音楽と花火の組み合わせというのは、別に珍しいことではありません。
野外ライブの演出で花火を上げるのはよくあることですし、花火大会にBGMを流すことも普通です。
しかし、「音楽花火」と云うからには、花火と音楽が対等でなくてはいけません。
流される音楽が、CD音源なのか、生ライブなのかによって、印象は大きく変わってきます。
花火に対等にコラボするためには、音楽の方にもそれなりのパワーが必要ですから、ライブとコラボさせてこその音楽花火だと思います。
「リン・ミンメイ」(仮想ライブですが)も「丸山純奈」もライブで歌っているからこそ、感動を呼ぶのです。

で、肝心な、丸山純奈さんの歌ですけど、まあ、こんな感じかなってところでしょうか。
歌い難そうな仮設の野外ライブですし、エコーも効かせて無いなかでの歌唱ですからね。
でも、こうやって、場数を踏んでいることで、鍛えられる部分って大きいと思いますし、近い将来、花火の圧にも負けることの無い、ボーカリストに育ってくれると信じています。

花火大会はどこも運営が大変で、寄付金が頼りとのことですけど、今年は、もう少し寄付金も集まると思います。
今年の「アクア・チッタフェスタ2018」では、花火も丸山純奈さんも共にパワーアップして、素敵な音楽花火を期待しています。

「愛・おぼえてますか」でやっていただけると最高なんですが。

2018年4月7日土曜日

バンドのオーディションなのに「丸山純奈の声だけで97点」って、アリなのか?

今回、貼り付けさせていただくのは、「Mステ」への階段という番組録画になります。
さすがテレビ局だっけあって、「丸山純奈」と「POLU」について、分かりやすくまとめてあります。

       
「2倍は言い過ぎかもしれん」は名言として、末永く記憶に留めておこうと思います。
この番組では、2次審査で10組に絞られたバンドの中から、さらに上位3組を選んだようです。

上手に歌えているようですが、不安定なところもあります。
やはり、2倍は言い過ぎでしょう。
でも、これだけの緊張の場で、堂々としているというのは、
たくさんのコンクールを経験しているからだと云えます。

「Mステ・ウルトラFES」のオーディションは、友人の勧めで軽い気持ちで応募したのだそうです。
応募総数2000組の中で、99.9%は、そういう軽いノリのバンドだったと思います。
今では、応募用の動画なんて簡単に作れますからね。

応募曲「Sing」は、「丸山純奈」さんをイメージして作詞された楽曲とのことです。
冒頭にある、サビを丸々1つ分という長ーーいアカペラ部分が最大の特徴ですが、
最初から、そういうアレンジだったわけでは無いようです。
公式MVは、こんな感じです。
1年ほど前の歌唱ですから、今は、もう少し上手く歌えていると思います。

     
つまり、冒頭のアカペラは、「丸山純奈」の声を前面に押し出して、
視聴者にインパクトを与えるための、あからさまな工夫であったわけで、
それが、勝ち抜くためのオーディション用アレンジとしても有効であり、
「丸山純奈の声だけで97点」という名言を生み出すことになったのだと思います。

「バンドとしての完成度」なのか、「楽曲のデキの良さ」なのか、
或いは「メンバーのキャラクター」なのか。
オーディションの審査の観点をどこにおくのかって、凄く重要なところだと思います。

で、最終審査は、審査員の得票と視聴者の得票の2つを合わせての選考だったそうです。

最終審査では、審査員の票が完全に割れてしまいます。
審査の観点をどこに置いたかで、評価が変わってしまったわけですよね。
まあ、そういうことが起きたということは、審査が多様な観点で行われた証拠ですし、
ある意味、審査の公平さを表しているとも云えます。

そして、視聴者は「POLI」を支持します。
徳島県民の組織票の存在も否定できませんが、「POLU」は視聴者票の55%を獲得し、
視聴者の支持を最も多く受けた「POLI」が、最終的に選ばれたというわけです。
アカペラ一本で、2000組の頂点に立ったのですから、格好良い事この上ありませんね。

云うまでも無く、視聴者票獲得のポイントは「丸山純奈」のキャラクターによるものです。
冒頭のアカペラと、徳島から来たということと、13歳であるということです。
彼女が東京の18歳の女の子だったら、結果は変わっていたかも知れません。

それにしても、13歳の女の子の声、それも歌唱力以前の「声質」が、
バンドの完成度や、楽曲のデキの良さを抑えて評価されては、どうすることもできません。

お終いに、もう1つ「Sing」のテイクを。
Mステのオーディションより1ヶ月ほど前のテイクなんですが、
過緊張になっていない分、こちらの方が上手く歌えていると思います。


最近、「丸山純奈」さんは、「中学生シンガー」という肩書きで呼ばれることが多くなりました。
そして、同性・同年代の支持を多く受けているようです。
これは、かつての「SPEED」がそうであったように、とても興味深い傾向に思います。

それから、今日、4月7日に予定されていた、「瀬戸大橋開通30周年記念イベント」は中止になってしまいましたね。
「Little Glee Monster」との共演(?)も予定されてたとのこと、大変残念に思います。

2018年4月2日月曜日

PITTA MASKのCM曲って本当に「丸山純奈」が歌っているのだろうか

数日前からなんですが、目と鼻の調子がイマイチです。
原因は、もちろん花粉です。
まあ、花粉症といっても、病院にかかるほどでは無いのですが、今日は、ちょっと辛いです。
どうやら、僕は、スギよりもヒノキ花粉に弱いようです。

で、貼り付けさせていただくのは、「株式会社アラクス」が作っている花粉用マスク、「PITTA MASK(ピッタ・マスク)」の OFFICIAL MUSIC VIDEO「これからの景色」になります。
CM作品ですが、テレビ用でなく、YouTubeで流れているみたいです。




「株式会社アラクス」と云われてもピンときませんでしたが、頭痛薬の「ノーシン」を作っている会社なんですね。
こちらの製品は、現在、「藤田ニコル」さんがテレビCMをやっていて、今日もテレビで流れてました。

「PITTA MASK」は、アラクスが4年前に発売を開始した、新素材花粉用マスクで、伸縮性ポリウレタンを採用した、顔に密着しても、息がしやすいマスクとのことです。
デザイン性と機能性、ちょっと高価格ながらも、まあ手頃な値段で、それなりのヒット商品になっていたようです。
で、最近、「羽生 結弦」君が使っている高級マスクが話題になったように、高機能・高価格のマスクが注目されているものですから、花粉シーズンには、遅いような気もしますが、この気を逃すなと、販売促進のためのCM用MVを作ってみたと云うところでしょうか。

監督は、欅坂のMVなどを多く手がけている、映像ディレクターの「池田一真」氏、そして、CMソングを歌っているのが「丸山純奈」さんだというんです。
先日、彼女のツイッターでも紹介がありましたが、僕は、マスクが嫌いなので、花粉だろうが、インフルエンザだろうが、予防のためのマスクはしません。
ですから、「丸山純奈」さんに「ピッタマスク買ってな(≧∇≦)」とか云われても困ってしまいます。

って、それ以前に、これって、本当に「丸山純奈」さんの歌なんでしょうか。
あまりにもイメージが違うので、云われてみなければと云うか、言われても分かりません。

イメージがちょっと違うのは、声が多少加工してあるからかもしれません。
そういえば、松浦亜弥さんの「ドッキドキLoveメール」とか「トロピカール恋してーる」の時も、こんな感じだったように思います。

それから、ロック調の楽曲も、へえ~って感じですね。
ただ、徳島の人たちの話によると、「丸山純奈」さんは、あちらでは、バンド活動が主だったので、「音楽チャンプ」にいきなりソロで出てきて、バラードを歌ったことの方が、意外だったそうですから、分からないものです。

楽曲そのものは、誰が歌っても良いような曲ですけど、彼女にオファーが来た理由は何でしょうか。
まあ、プロフィールなんかに「奇跡の歌声」とか「話題の中学生」とか、「再生850万回」とか書けば、それなりに説得力もありますし、ギャラなんてのも、ただみたいなものでしょうからね。
でも、配信デビューして、早速のCMソングのオファーですから、大手プロダクションに所属しているわけでもない新人歌手としては、なかなかの滑り出しではないでしょうか。

バンドボーカル、バラードシンガー、演歌も良い感じに歌えるし、何より、アイドルソングを心地よく歌ってくれる。
歌で人を泣かせるだけでなくって、歌でみんなを笑顔にしてくれる。
そんな彼女が、ロック調の曲も無難にこなすんだって分かったことが、ちょっとだけ嬉しかったです。

これからも、「アラクス」さんと末永くお付き合いさせていただき、次は、顔出しでCMソングを歌って欲しいです。
生理痛・・・?
子供用の頭痛薬なんてのがイイかもです。

2018年4月1日日曜日

松浦亜弥 マニアックライブvol.4 2007年編

今回は、2007年の松浦亜弥さんについて妄想させていただきます。

M.L.4で披露してくれた、2007年の楽曲は、
昼の部が「今はレットイットビー」、夜の部が「ダブル レインボウ」となってます。
どちらも、オリジナルアルバム「ダブルレインボウ」からのセレクトですね。

この年の亜弥さんは、シングルのリリースは、「笑顔」、CPは「あなたに出会えて」の1枚だけで、
売り上げの方は、オリコン週間16位とのことです。
まあ、1年に1枚ずつでも、コンスタントに出していれば、十分なことだと思います。

で、この曲は、アルバムに収録されていますので、
2007年はアルバム「ダブルレインボウ」をチェックすれば、とりあえずOKということになります。

2つのシングル曲を含めた、全11曲で構成された、「ダブルレインボウ」は、
渾身の1作とも云える、素晴らしいデキに思います。
実年齢からすると、若干落ち着き過ぎの感はありますが、
松浦亜弥は、こういう方向へ進んでいくんだ、という想いが伝わってきます。

もう1つ、注目される活動はミキティとのユニット「GAM」のライブツアーを開催したことです。
「GAM 1stコンサートツアー」と銘打った7会場19公演のライブは、なかなかの迫力のステージで、
やってる方も、見ている方も、ホントに楽しくて堪らないって感じです。
「1st」ってことは、当然「2nd」もやるつもりだったのでしょうけど、
ミキティがあんなことになってしまったんで、これっきりになってしまいました。
もっとも、恋愛問題で爆弾を抱えていたのは、松浦亜弥さんも同じでしたから、
たまたま、ミキティの方が暴露されただけで、この件に関しては、どっちもどっちだと思います。

そして、何より、ソロ・コンサートツアー「ダブルレインボウ」の公演が開かれたことです。
3年ぶりのオリジナルアルバムのリリース、そのアルバムをもとにソロ・コンを開催するという、
アーチィストっぽい活動が開始できたことです。

もし、過去に戻れるのなら、一番参戦したいライブは、2004年の「代々木スペシャル」ですが、
それと同じくらい、僕が参戦したいのが、この2007年の「ダブルレインボウ」です。

生バンド伴奏の導入。
バラードもアイドルソングも同等に扱うセットリスト。
聴かせるときには聴かせ、盛り上げるときは盛り上げる。
アイドルとしても、大人のシンガーとしても充分通用しています。
全てを兼ね備えた、理想のライブに思えます。

「今はレットイットビー」です。

   
褒めておいてこんなことを云うのもなんですけど、
アルバムの歌唱も、2007年のライブの歌唱も、ちょっと頑張りすぎの感があります。
やはりベストテイクは、このマニアックライブⅣだと思います。
ライブ全体に云えることですが、力の抜け具合が本当に良い感じに思います。
静かに自分を振り返っていると云う、歌詞のイメージにぴったりの歌唱に思います。

「ダブル レインボウ」です。


「ダブルレインボウ」は、たくさんのライブで歌っていますが、どれも好テイクに思います。
もちろん、このライブのテイクも大好きです。
ピアノ伴奏を基本に、最後にパーカッションが入って、一気に盛り上げるというアレンジも最高です。
もちろん、オリジナル版の、(必要以上に)壮大なアレンジも良いと思います。

「ダブルレインボウ」にハズレなしと云うのが、僕の感想です。
これは、ある意味歌いやすい(歌うのが簡単という意味ではありませんよ)というか、
歌唱力をアピールするのに最適な楽曲だといえます。
日本中の歌自慢の女の子たちが、カラオケバトルとか、ボーカルコンテストで
使ってくれると嬉しいんですけどね。

2007年以降は、「つんく♂」氏のプロデュースから完全に外れることになります。
これはハロプロのアイドル「あやや」からの決別でもありました。
このことは、数々の困難を乗り越えながらも、
アイドル「あやや」を追い求めて、付いてきた多くのファンを失望させることになります。

とは云っても、オリジナルアルバムのリリースと、ソロコンサートツアーが開催できたというのは、
残ったファンにとっても、松浦亜弥さんにとっても、最高の一年だったと思います。

と、いうふうに考えていくと、ポシャってしまった「GAM」の活動が、
実は、大きな意味を持っていたように思えてきます。
「GAM」の活動をハロプロタレントとしての本業とし、
サイドビジネスとして、本格的バラードシンガー「松浦亜弥」の活動を行うという構想です。
この活動を2・3年続けることができたらば、
その後の展開も大きく変わっていったように思えてなりません。

松浦亜弥さんは、2011年に「子宮内膜症」であったことを公表しますが、
体調に異変が始まったとされるのが、この年になります。
病気が芸能活動に与えた直接の影響は分かりませんが、
ここから、負のスパイラルが始まったのは、確かです。
熱愛騒動などなくとも、同じ結果になっていたかもしれません。

結局、2007年という年は、
松浦亜弥さんにとっても、ファンにとっても、最高でありながら、最悪の年だったのです。